本日の収穫(3471文字)
政治の問題の中でですね
教育問題っていうのは
非常に大きな問題であるってことは
非常に多くの人がですね そう思っておられるわけですね
もちろん小学校に入るまでの教育機関っていうのは
まだはっきりしておりませんしね
それから小学生からもいじめがありますし
それから中学高等学校での
色々な学校の問題がありますよね
不登校の問題だとか
まぁ多様化の時代ですからね
大学もまぁ大衆の大学とか
勉強しない学生とか言われて久しいんですが
この問題もありますし
また寿命が延びている中で
どのくらいの期間を教育機関と当てるかって
いうようなこともまだ未解決のままですね
それから日本の教育関係で 一番大きな問題だったのは
1990年代に一度話題になり 制度としても採用されて
直ちに制度が始まったら潰されたという
いわゆる ゆとりの教育の問題ですね
あの問題は非常にこの 教育というものに対する
日本社会の未熟性と言いますかね それを示したもので
実はゆとりの教育っていうのは
今まで詰め込み式の教育だったけども
これをこれからは一人一人が
個人としてやっていかなきゃいけない
それをアシストしていくのが教育だから
少しゆとりを持ってと 言うことでスタートしですね
ゆとりの教育がスタートする時はもちろん
教育界はもちろんのこと 政界も官界も財界も
メディアも一般社会も みんなが指示して
これから ゆとりの教育なんだって言ってスタートした
そしたらもちろん ゆっとりの教育ですからね
詰め込み教育と違って 単純な学力は落ちますよね
掛け算の力とか割り算の力とか
暗記が必要なような 科目のものってのは下がりますよね
これがあのー 世界の順位で
例えば国際的なテストで
まぁ5位ぐらいだったですかね 日本は
それが20位ぐらいに下がったっていうんで
大騒ぎになりましてね
まぁ実施した途端に止めになると
それでいわゆるゆとり世代
ゆとり教育世代っていうのが 生まれましてね
それで私その頃 色んな大学で教えてたんですけども
何か変なことがあって 僕の講義でこんな人がいるんだ
こんな学生がいたんだけどな
それは先生ゆとりの人ですよ なんて言われてですね
言わば 言えなき差別も生じましたね
ただこの ゆとりの教育の失敗っていうのはですね
色んなまたこれ要因があるわけですね
一番大きな要因というのは
やっぱり文部省主導で 教育をしているということなんですね
文部省っていうのは そんなに力があるわけじゃないし
文部省の役人というものがですね
全国の教育を担当してる先生方より
圧倒的に力が上ってことないんですよ
ただお金を握ってるっていうことで
まぁ日本の教育っていうのは
その生徒自身が悪いとは言えないんですが
文部科学省が主力になってるとかですね
それから戦後すぐに作られた 教育委員会なんかがですねー
主体になってるとか それからPTAなんかに関してはですね
アメリカの制度をそのまま日本に持ってきた
教育委員会もちょっとそういうとこあるんですけども
そういうことで日本に馴染んでないことで
理解がほとんどされてないと いうこともあってですね
実は日本は一度もですね
言ってみれば 戦後の新しい教育というものを
議論したことがないんですよ
しかしね それでありながら教育についてはすごくね
意見が強いんですよ
あるまぁ 私は
中央教育審議会の専門員なんかもやったりして
色んな大学のとか一般の教育の改革なんかも
委員なんかで携わったんですけども
とにかく不思議なことに教育と環境ですね この二つですね
教育と環境っていうのは なんか人間のこう
癇に障るっていうんですかね
感情的になるんですよ 議論がですね
ですから こう積み重ねていって
しっかりと議論するっていうことが
なかなか出来ないでいる
っていうことはあるんですね
長く考えますと 明治の時にですね
とにかく欧米に追い付くために 小学校を置いて
それで全員が小学校に入って
とにかく 尋常小学校でですね
とにかく読み書き そろばんをちゃんと教えるということは
大成功したんですよ
そして日本人の素質の高さもあってですね
その当時の大英帝国を抜いてですね
識字率なんかも世界一になった
というようなこともあってですね
大変にその後の日本の発展に 役立ったわけです
それが少しこう戦争までの教育が 少しこう行き過ぎてですね
歪んでたわけですが それが戦争に負けたことによって
負けたと言えませんが 戦争が終わったことによって
新しい教育を随分検討されましてね
昭和二十七年に作られた
日本の新しい教育に対する その著名人の
レポートっていうのは非常に優れておりましたね
私はそれを読んで あーこんな優れた考えで
戦後の教育っていうのは
始まったんだなーと思いましたよね
その中でも特にもちろん
こういう教育をやるんだっていう
具体的なことも全部書かれてるんですが
問題点としての指摘もありましたね
それは教育っていうのは 難しい矛盾があるんだと
今まで間違ってるから教育を改善するんだと
戦前の教育が間違ってたから
戦後は新しい教育にするんだと言いながら
戦後の新しい教育をするのを担当する人が
戦前の間違った教育を受けた人だと こういう矛盾がある
これはですね 本当に素晴らしい指摘なんですね
私が大学で色んな管理をやったり 教育を研究したりした中で
やっぱり優れた人っていうのは
いつもこういう意識を持ってますね
大体優れた人っていうのは お年寄りですが
お年寄りは自分たちが 間違った教育を受けたのに
間違いを受けた 教育を受けた人が
本当に正しい教育ができるんだろうか
教育っていうのは そんなに杓子定規のものだろうか
っていうことがあるんですね
今日あのこのー 今度のですね この党っていうのも
やっぱり一番最初に言いましてるように
新しいお酒は 古い革袋に入れちゃいけないって言うんですよ
これ本当そうなんですね
まぁあのー 時代の変化っていうのをやりましたけども
やっぱり明治の初めに 小学校中学校高等学校大学という
今の制度が大体明治時代にできてですね
その時は平均寿命43歳ですね
全然 今と違うわけですよ
ヨーロッパに追い付け 追い越せ
そのためには富国強兵ですからね
そういう中で作った 現在の学校制度をそのままですね
現在でも使ってる 平均寿命はもう85歳から
生活程度は欧米にしっかりと追いついている
ノーベル賞の授賞とか
オリンピックの成績なんかを見てもですね
まぁ十分に一流国としてのレベルに達している
特に最近の女性のですね
中距離1500 3000 5000なんかの陸上を見たりですね
その他の色んな球技なんかを見ても
決してその欧米なんかに遅れを取らないような
力を持った人が 若い人が多い
その中で学校制度だけが
一番遅れてるような気がするんですね
ここで私は 尾崎豊の15の夜
これは本当は 歌をうたうのが一番いいんですけど
ここで声を張り上げのも変ですから
ちょっとこの詞の一部をですね 紹介します
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は 今夜家出の計画をたてる
とにかくもう学校や家には帰りたくない
一番にこういう詞がありますね
それから 少したって
大人達は心を捨てろ捨てろと言うけど 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てならば
なんてちっぽけで なんて意味のない
なんて無力な15の夜 とこう続くわけですね
まぁこれを私歌いますとね いつも心が痛みます
なんで我々は 15歳の子供に
こんなに つらい思いをさせなきゃいけないのか
思春期に もっと思春期らしい
教育っていうのはできないもんなのか
もちろんですね 全員が全員じゃありません
しかしこういう歌が 尾崎豊が歌ってヒットする
大ヒットしましたね という裏にはですね
我々は何のために
教育というものをしてるんだということなんですね
これは元々 日本の教育ってのはそうだったら
まだ しょうがないんですけど
日本の教育というのは本当に 子供本位だったんですよ
子供は神の子と言いましてね
日本は大人よりか
子供の方が優れてるんだという意識を持った
世界で唯一の国だったんですね
だからイギリスなんかは
子供は教育を受けてない野獣だから
鞭で叩いて教育をするんだというんで
小学校の先生は 鞭をもって教育をしたわけですけど
日本は全く逆で 子供達がお互いに学び合うことがですね
教育の本質なんだっていう 本当に優れた考えを持ってた
その日本の中で
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
っていう子供を作る
大人達は心を捨てろ捨てろと言うけど 俺はいやなのさ
というような感じを持ってるのは
確かなんですよ 確かなんです
なぜそういう教育を 私たちはしているのか
これをもう一回ですね
別に子供達に
そのゴマをすろうとかそういうんじゃないんですよ
私達大人自身がね
もう一回よーく考えてみる必要があるのではないかと
いうのがスタート時点ですね
2021年1月6日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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