本日の収穫(3668文字)
戦争をなくしたいと
そういう話はすぐですね
戦争は悲惨なもんだからっていうのが出てくるんですね
もちろん戦争が悲惨じゃなくて 単なるゲームだったらば
別に戦争は そこら辺でやっててもいいわけで
テレビゲームなんかで戦争ゲームって
幾らでもありますからね
だけど生身の人間が殺されるということで
戦争は非常に悲惨なんですよね
そこで反戦運動とか平和の祈り
反戦運動というと 戦争は悲惨ですと
広島長崎の語り部がですね
いかに原爆は悲惨であるかと まぁいうことを強調する
しかしですね
我々の頭っていうのは
それほど優秀じゃなくてですね
こうやればこうなると いうようなことは
そのまま単純にはならないんですよ
私たちの頭は非常に単純なんですが
私たち人間っていうのは 非常に複雑なんですね
人間はですね 戦争が悲惨であることは
もう十分に実は知ってるんですよ
もう十二分に知ってるんですよ
もう昔からですね 肉親が死に色んな人が死に
悲惨な目にあって 戦争が悲惨であるってことはもう
骨身に染みて知ってるんですよ
そういう文学作品も 絵も音楽もいっぱいあるんですね
だけど戦争はなくならない ばかりか
二十世紀に入って
第一次世界大戦 第二次世界大戦とですね
第一次世界大戦 第二次世界大戦という呼び方も間違ってて
こういう平気で 間違った呼び方を使う
真面目なことに使うっていうことすらですね
私たちが非常にこう複雑な
人間っていうのは複雑なものであるっていうことが
分かるわけですね
実は戦争は悲惨であるという風に
いくら言ってもなくなりません
平和の祈りをいくらしてもなくなりません
むしろですね 歴史の示すことによるとですよ
戦争は悲惨だからやめようと言ったり
平和の祈りなんかすればするほど
戦争は増えるんですよ
そんなことはないだろうって言うけど
人間の頭ってそれほどなんですね
そこで人間はですね
かなり前 まぁはっきりは分からないんですけども
まぁ大体西暦0年
イエスキリスト様が お生まれになる頃にはですね
戦争っていうのはどうもなくならない
悲惨である 悲惨であるって言ったって
絶対なくならない
だからこれは
戦争をなくそうという風に努力しても駄目なので
ルールを作ろうということになってですね
一番大きなルールは殺しあうのは兵隊同士
これが一番でかいんですね
これは まぁその後
本当に人間の社会には定着したんですよ
つまり丸腰は撃たないと 相手が丸腰なら撃たない
つまり兵隊以外は丸腰ですからね
相手がこちらに攻撃してくる
可能性のあるときだけ こちらも相手を撃てると
これがまず そうなったわけですね
それでもやっぱり 日本で言えば応仁の乱とかですね
そういう風にこう 都市が戦場になったりすると
そこにいる人達は
標的にはならなくても犠牲になりますよね
そこでできるだけ広場でやると
いうようになったわけですよ
それで皆さんが ローマ時代ぐらいから
記録のあるやつをざっと見てたら すぐ分かるんですね
最近では関ヶ原 最近たって四百年前なんですが
関ヶ原の戦いとかですね
ワーテルロー
ナポレオンのワーテルローの戦いなんか見ても
全部 野原でやってるんですよ 人のいないの野原
どうしてあれ 人のいない野原でやるのかと
人のいる家の立ってるところが 便利ちゃ便利なんですよ
家の陰に隠れられるとか 色々あるからですね
爆弾を除けられるとか
だけど一応広場でやるんです それはですね
戦争はゲームなんだ
一応この どうしても人間は悲惨な戦争をやめられない
それが複雑な人間というものの性質なんだ
それじゃ それを認めようじゃないか
じゃあ広場でやって ルールを作って
軍人はきれいな洋服を着て
そしてお互いに 誰が軍人かってことはっきり分かると
しかもですね
ちょうどそれが戦争が非常に盛んだった
今からそうですね 三百年ぐらい前のヨーロッパ
一番こう そういう戦闘のルールっていうのがですね
色々整備されたわけですけれども
そのそういうものが そういう時の映画ですね
それがあのー よくネットなんかでありますので
皆さんもご覧になっていただければいいんですが
まず笛とか ドラムとか
そういうのが どんどん叩かれるんですよ
とにかく俺がここにいるぞーって
隠れて撃ったりしないんですね
それでねー
ちゃんちゃかちゃん ちゃんちゃかちゃんってね
それからイギリスだったらもう決まってるんですよ
あの音楽も決まってるんですよ
それでこう ピーピーピーピーって笛でやるんですよね
そして旗を掲げて そして胸を張って二列渋滞になって
そして正々堂々走るんですよ
向こうが歩くんです
向こうから 鉄砲撃ってこうが何だろうが
歩兵はきちっと 隊列を組んで歩くんですよ
その間を騎兵が 馬に乗って突撃することがあっても
基本的には そうなんです
人里離れて野原で 正々堂々派手な軍服を着て
きちっと歩いて戦うというルールなんですよ これはね
じゃんけんぽんと似てるんですよ
じゃんけんしたらいいじゃないかと思うんだけど
じゃんけんじゃ人間はやっぱり
人間の性質っていうのはですねー
実際に 本当に戦いあうのは悲惨だと
だからだって じゃんけんじゃちょっと物足りないと
だから軍隊同士は広場で戦おうやって
そういうことになるんですよね
これが人間っていうものですから しょうがないんですよ
こういう話は非常に簡単な話なんで
この話に参加する反戦運動なら反戦運動
平和運動なる平和運動に参加する人が
みんな嘘をつかなかったら すぐ方が付くんですけどね
とにかく左の人ですとかね
平和運動家 嘘をつくんですよ
これはね 環境運動家なんかもそうですし
共産主義者なんかも そうなんですけども
ああいう人たちはね どうして嘘つくかっていうのは
自分は正しいと思ってるんですよ
正しいと思ってるから
嘘をついてもいいと思ってるんですよ
正しいことを実施するための嘘はいいっていう
そういう考え方なんですね
ですからね 議論も屁理屈をこねたりするんですよ
問題はですね 私はねー
戦争は悲惨でなければまず良いと
戦争が悲惨でなければ まず良いというのを
平和運動の 第一段階にしたいと思ってるんですよ
それだったら一応もう現に
今から300年前400年前は達成できたわけですよ
関ヶ原では戦う ワーテルローで戦う
お互いに 相手が丸腰なら撃たないと
こういうことですからね これはできるんですよ
分かった 分かったと
戦争はどうしてもしなきゃいけない
だけども じゃそうしようと
つまり丸腰は被害を及ぼさないと 決めればいいわけですね
そうすると その決め方ですが
ここで提案したいのは
平和運動しようの七番のこれまでの間に
書いてはいるんですが もう一回やるとですね
ゲルニカっていうのがあるんですね
これはスペインの バスク地方のですね
つまりスペイン北部の まぁ伝統のある地域の
中心的な都市ゲルニカ これをですね
その当時 スペインはですね
フランコ政権っていう独裁政権がおりました
一般的には ファッショ政権と言われてますけどね
フランコ将軍
将軍が独裁者で治めておりました
1975年ぐらいまで
随分長く続いた独裁政権なんですが
それがナチスに頼んで ゲルニカっていうのは
どうも平和運動したり
なんか自由運動したりして面倒くさいから
これを爆撃してくれって言うんですよ
そうするとドイツから飛行部隊がですね
爆撃機部隊がフランスの上空を通って
スペインにまっすぐ来たんですね
それでスペインの北部の
ゲルニカっていう町にばーっと落としたと
ゲルニカには軍隊がいないから いわば丸腰なんですよ
つまり歴史的には 明確にはですよ
こういうのって 小さな事件山まであるんですよ
ですから この小さな事件を拾い出しますとねー
もう山ほどあって 話が混乱しますので
これ しかもゲルニカっていうのはピカソがね
有名なピカソが ゲルニカという作品を描いておりますし
目的がですね 軍事目的を爆撃しようと思ったけど
ついつい民家も爆撃しちゃったって いうんじゃなくて
最初っから 無抵抗な市民を殺そうという風にして
フランコ総統が
ナチスのヒットラー総統に頼んだっていうんで
非常にはっきりしてんですねー
しかも芸術作品になっている
世界的にみんながよく知ってるっていうことでですね
これが 1937年の4月26日ですから
僕は平和運動はまず
ゲルニカっていう平和運動をするべきだ
それで 4月26日をゲルニカの日
これは もうゲルニカの日なんですけど
それで世界的な平和運動のムーブメントを起こして
平和の第一段階は
丸腰の人を殺さないと
丸腰の人を殺すようなことはしないと
これはねー もしかしたら
国連総会を通るかもしれないんですよ
これが国連総会を通ったら しめたもんなんですよ
どのくらいしめたものかっていうのは
次の時にご説明しますが
なんだって政治的に物事を成すにはですね
やるのは簡単だなーと しかもいいことだなーと思わせて
実はそれを決めると
本当に本質も防げるっていうのが一番いいですからね
このゲルニカを防ごう つまり無差別爆撃ですから
つまり一般市民を殺そうとしてやった
こういうことをやっちゃいけない
一般市民を殺そうとしてやる
丸腰を殺そうとしてやるというような戦争は
これは悲惨とか そういうことじゃなくて
ルールとしてやめよう
これはね 僕はね
成功するんではないかと いう風に思っております
是非 賛成していただきたいなーと思ってますね
2021年12月23日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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