本日の収穫(3025文字)
暮れも近づきまし
暮れも近づいたっていうかもう暮れなんですが
二つですね 私自身も含めて
やはり年の終わりはですね 反省と
年の初めは 未来ということなんで
大晦日をはさみましてね
気分も一新するというのが またいいことなんですね
太陰暦と太陽暦と違うもんですから
もちろん1月1日というのも
本当に 絶対的に意味があるかと言われるとですね
ちょっといけないんですが
昔でしたら冬至ですね 今で言えば大体12月22日
太陽がどんどんどんどん短くなり
これ北半球のことですけども
もうこれで この地上も終わりになるかなーと思うと
次の日からまた日が長くなるというのもまぁ新年
一番新年みたいなものですね
ですからまぁ イエス様が本当に12月24日に
お生まれになったかもしれないけど
この12月の20何日というのはですね
全世界的にやや新しい年が
始まるというようなことが行われるわけですね
これはまぁ太陽の日が長くなるということなんですが
その時に そのちょっと前にはですね
反省が必要だと 私は今年の反省の一つはですね
特に指導者 指導者つっても国会議員なんかもありますけども
学校の先生とかありますが
人は多かれ少なかれ指導者なんですよ
例えば親になれば 子供に対する指導者ですしね
先輩になれば 後輩に対する指導者だったりしますから
誰でもある程度は指導者なんですよね
完全に指導者じゃないっていう人は
本当に数が少ないという風に思いますけどね
まぁ私が最初に思うのは
今年は誠実だったかっていうことだと思うんですね
私の人生で忘れられないのは やっぱり
2011年の福島原子力発電所の爆発の後の
マスコミの人たちですね
これは爆発してから どのくらいでしたかね
2週間か ぐらいだったと思うんですが
朝日新聞 日経新聞 読売 毎日新聞
その他の大新聞とかですね
NHKその他の大テレビという記者はですね
カメラマン 一斉に福島から引き揚げました
そして4ヶ月経って
その人達が 恐る恐る放射線防護服を着て
福島に入ったら
そこにみんな福島の人達が普通に生活してると
このことを私に言っていただいた人は
ある大手の4大新聞の記者でしたね
年の頃は 大体45から50ぐらい
誠実そうな記者でした
東京のあるホテルのレストランの
ちょっとインタビューできるような所を作ってもらった所で
彼は顔が歪んでましたね
私が新聞社に入ってから初めて
こんなに辛い思いをしたことはない
だって先生どういうことが行われたか
事故が起こって しばらくたって
我々は全部 福島県から引き揚げました
それは会社の指令で引き揚げました
聞くところによると労働組合が
従業員の安全のために
引き揚げろと言ったから
引き揚げたという説明を受けておりますが
まぁとにかく
それは言い訳にもなってるわけですが 引き揚げました
引き揚げて4ヶ月経って 福島に再度入る時までですね
我々 新聞紙上に被爆は安全であるととか
1年1ミリシーベルトは嘘だとか
そういうことを書き続けてきましたと
読者の人は それでそうだそうだ
それで忘れないのは
それから福島に入って 福島の人たちが
普通の格好して 働いてるのを見て
大丈夫ですかと言ったら その人たちが何て答えたか
新聞に大丈夫だと書いてあったからと言ったらしいんですよ
それでその新聞記者はもう
自分の人生でこんなにつらかったことはない
と私に言ったんですね 耐えられなかったんでしょうね
せめて私に言って
少しは気持ちを晴らそうと思ったんでしょうね
あの頃から日本人のそういういわゆる
新聞記者ってやっぱり指導者ですよ
というのは新聞記者によって みんな影響を受けますからね
学校の校長先生 学校の先生
学者もちろんマスコミの人たち みんな指導者なんですよ
あの頃から あの頃ですね
福島原子力発電所の事故っていうのは
日本から 日本の指導者から
誠実さを奪った事件でしたね
その時の川崎市長は 児童の給食に
放射線で汚染された 食物が出たんですよ
そしたら こう言いましたね
福島の人たちを助けるために
川崎の児童は
放射線に強くならなきゃいけないとこう言いましたね
とんでもない話ですよ
それから4月24日だと思いますけれども
それまで原子力保安庁は
日本人の記者と 外国人の記者と言語が違いますから
二つに分けて記者会見しておりました
まだ4月の24日の時点では
日本人の記者向けの記者会見は満席でしたね
有名な おしどり夫婦なんてのもいましてね
満席でした 議論も活発でした
その時に 外人の記者ようの記者会見は
出席者がゼロになりました ゼロですね
そのゼロの 誰もいないとこに向かって
東京電力と原子力保安庁が発言をしてました
なんでゼロになったか 外国の人たちはですね
こんなに嘘な記者会見に
出てもしょうがないといってゼロになったんですね
あれも私にとっては
とても印象的な写真で まだ今とってあります
もう一つは 私が地上波テレビに二つぐらい出た
5月15日の日ですね この日は前の日に東京電力が
福島原発はメルトダウンしてたという発表をしました
それで翌日のテレビに
僕はあっちこっちからお呼び出しがかかって
メルトダウンしてたんですってね
驚くアナウンサーの相手をしました
しかしメルトダウンしてるって言うのは
もう爆発の後 少なくとも一週間
二週間の間にはですね はっきり分かってて
メルトダウンして 床に落ちたデブリと言うんですけど
溶けたものですね 溶けた破片ですね
それが どのくらいの大きさかっていうことも
学会内では議論されておりました
つまり5月15日にみんなが驚いて
朝日新聞なんかも 確か一面のトップかなんかで
福島原子力発電所はメルトダウンしてたっていう
大きな見出しを出したのは
その時でしたねー
しかしそれはもう分かってたことなんですよ
分かってたことを何で放送しなかったか
それは 東京電力が言わなかったからです
つまり その時からもう
責任逃れは当然であるということだったんですね
誰か責任者 政府とか東電とか
そういうとこが言わない限りは
自分たちの取材は信頼できない
取材に基づいては出さないっていうことですね
このことですねー まぁ記者が退避したということ
それから外国の記者がゼロになったっていうこと
1年1ミリシーベルトの嘘をついたっていうこと
それからメルトダウンを分かってて報道しなかったこと
これによってマスコミは完全に駄目になりましてね
僕はその後 新聞もテレビも見ません
というのは そんな嘘つきの人の報道見たって
しょうがないですもんね
それで1年半ぐらい前
2年ぐらい前から始まった今度の騒動ですね
これについても 私は関係者の方々
お医者さんは ここでもう1回胸に手を当ててですね
私はこの問題について 本当に誠実だったのか
今まで自分たちが 特に感染症の人たちはですね
私たちが今まで言ってたことと違うことを言った
それはどうしてなのか
お金儲けたかったからか
仕事にかじりついてたかったからか
もしくは怖かったからか
やっぱりこれは 考えなきゃいけないと思うんですね
小学校の校長先生とか先生方も
本当に子供達を守るためにということで行動したか
それとも周囲の圧力で そういうことしなけりゃ
自分の職業が危ないと思ったからか
人間は誠実でなければ 人生は必ず暗くなります
不誠実で儲けたお金は
これはあぶく銭ですからね なくなります
それから誠実でなければ
日本の子供達は将来駄目になります
この二つのことを 私たちは大きな責任として持ってる
是非 今年終わるにあたってですね
どなたも ほぼ指導者
親も親であるということも含めたら指導者なんですよ
本当に自分は誠実だったのかと 言うことを一つ
いろいろな面から
考えていただきたいなーと思ってはおります
2021年12月30日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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