本日の収穫(3328文字)
新しい酒は 新しい革袋にということで
お話を始めたいということを昨日申し上げましたが
えーっとこれはですね なかなか深い意味があるんですよ
もちろん具体的にはキリスト教の方向でですね
聖書に書かれていたものの一つなんですが
新しい酒は なぜ新しい革袋に
入れなきゃいけないのかと言いますとね
ちょっと日本の例でいきますとね
1930年 ちょっと古いんで
随分古いとこから始めるんだなっていう
感じされる人もいると思いますけども
今から約百年前ですね
九十年前っていうか その時代はですね
実は軍事最優先時代だったわけですね
ちょうどロンドン軍縮会議があったように思うんですけども
アメリカとイギリスと日本でですね
戦艦の量をどのぐらいの比率にするかとかですね
各国共に軍事競争をやってた時代なんですよ
ちょうどドイツにも 第一次世界大戦の敗北にですね
から立ち上がって ナチスドイツができてですね
1932年ぐらいにはナチスが
ドイツの第一党になるという時代ですね
その時代は 今ではですね
ちょっとおかしいと思うでしょうけど
その頃はですね
とにかく軍事が一番大切なんですよ
軍人さんが街を歩いてると
きらきらと輝いて見えたんですよ
軍服を着てですね 若い将校さんが歩いてると
もう若い女の子なんか きゃーきゃー言ったわけですよ
その時代なんですね
軍隊ってかっこいいなーっていうそういう時代なんですよ
それはどうしてかって言うと
世界的には もちろんどんどんどんどん
強い国が弱い国を植民地にしてましたからね
今は平和運動っていうんで
随分人間も進歩したもんですけども
その当時はもう 力任せなんですよ
とにかく力の強いものが勝ちと 軍艦でもですね
一万トンの軍艦が来たら
それは二万トンの軍艦には勝てないんですよ
だからどうして勝てないかって簡単でですね
軍艦っていうのは そこに載せてる鉄砲大砲ですよ
艦砲っていうんですけどね
その戦艦の上に載ってる
大砲が届く距離で決まっちゃうんですよ
陸上戦ですとね やぶに隠れたりできますから
片っ方の鉄砲が届くまでに 敵の鉄砲が届いても
隠れることができるんですけどもね
しかし海上はもう 鏡のような海の上で戦いをしますからね
まぁ例えば明治時代ですと
日ロ大戦争なんかあったわけですが
八千メートルで届くと 片方がですね
例えばロシアの軍艦は八千メートルで届くと
日本の軍艦は六千メートルでしか届かないっていうと
近づいているうちに 全部やられちゃうじゃないですか
逆に今度はロシアの戦艦の
長さが届く距離が八千メートルだったら
日本は一万メートルから届けばですね
艦隊の距離を一万メートルにして
そっから撃てば ロシアの大砲の玉は
全部日本の艦隊の前に落ちて
日本の艦隊のやつだけは向こうに届きますからねー
叩き潰せるわけですよ
これが現実的に起こったのが 薩英戦争ですね
薩摩の殿様が 生麦ですから
神奈川県のところ東海道を通っておりましたら
参勤交代でですね
そこにイギリスの人がですね
三人 馬に乗ってきたわけですよ
そしたら彼らは当然日本人なんかは
猿だとか言ってるわけですから
馬に乗ったまま 島津の殿様の行列を横切ったんですよ
そしたら無礼者っていうんで薩摩の武士がですねー
イギリスのしょうかんを叩き斬って一人死んだんですね
大騒ぎになったと
幕府とイギリスの間で色々交渉があったけども
イギリスは腹の虫が収まらない
もう薩摩に直接行こうと
どうせ日本だって イギリスよりか弱いんだから
薩摩なんか イギリスよりか弱いだろうと思って
薩摩に行ってですね 鹿児島湾に入ったと
色々あって結局はもちろん
イギリス艦隊は射程が長いですからね
薩摩の町も焼き払われたりしたんですが
ちょうど運悪く 雨がものすごく激しかったり
嵐になったもんですから
イギリスの船がちょっと間違ってですね
島津の砲台に近づいたんですよ
島津の砲台から撃って届く距離よりかは
イギリス艦隊の船が届く方が ずっとずっと長いんで
晴天だったら もうイチコロにやられたんですけども
あいにく嵐だったもんですから
分からずにイギリスの船が
薩摩の砲台に近づいたんですよ
そしたらそこを狙って薩摩の砲台が
だんだんと撃ったもんですからね
もちろん薩摩の鹿児島県の人が ものすごく元気が良かった
戦いが すごく上手かったってことあるんですけど
イギリスの方が もう20名ぐらい一度に死んじゃってですね
結局イギリスは あれやこれややったんですけども
まぁ薩摩湾から逃げたんですよ
結果的には日本の薩摩が
勝ったような形になったんですよね
そういう運の良い時はあるんですけど
基本的には もう長さで決まっちゃうんですね
ですから そういう時代なんですよ
もちろんその時代 1930年
今から90年から100年前ですね
私がよく言うんですけど 日本人の平均寿命は43歳
男も女も43歳だったんですねー
女性は子供5人ぐらい産みますからね
大体あの頃17~18で結婚するんですけど
43まで大体15年ぐらい 結婚生活を
25年ぐらい結婚生活をしてですね
それでお亡くなりになる
男の方は畑ではもう鍬を振い
炭鉱でつるはしを振るってですね
やっぱり 43ぐらいになると 体はボロボロになるんですよ
平均寿命は 43歳ですね
ブログを聴いておられる人は
人生50年というじゃないかっていうことなんですけど
我々が大体知っている人ですね
織田信長 人生わずか50年下天の内に
何とかって いうわけですね
これはあのー 割合と侍とかそういうのは
いいものを食べてますからね
それから戦争は侍ありましたけど 貴族はないですし
上流階級は 比較的いいものを食べてるから
50歳ぐらいまで生きた人が多いんですが
だから有名人っていうのは
大体 50歳ぐらいって言ってもいいですが
庶民はねー そうは行かなかったんですよ
何しろご飯とね 野菜ぐらいしか食べれないんですから
魚が付けばいい方だっていう方ですからね
ですから やっぱりそんなもんだったんです
そうしますとね 例えば我々の身をですね
1925年とか そのぐらいにおきますとね
周りの人はみんな45ぐらいで みんな死んでいくんですよ
もっと若い時に結核で死んでいく人もいる
労咳と言いましたけどね 死んでいる人もいる
50を過ぎで生きてる人は少ない
そういう時代ですね 時代自身が
それから世の中 もう戦争戦争
とにかく次の戦争に勝たなければ
日本は滅びてしまうというのが続くわけですからね
ですから もちろん新聞もラジオもですね
戦争しなきゃいけない戦争しなきゃいけないって言うと
そういう中で どういう日本は選択をするか
どういう政治をするかったら 今と全然違うでしょう
今は少子高齢化とかですよ
もちろん平和がいいとか
今では高度成長もあんまり良くないんじゃないか
なんて言われてるぐらいですよね
つまり なぜ新しい酒を新しい革袋に
入れなきゃいけないかって言うと
もう我々が頭で考えるよりか
遥かに時代の流れっていうのが激しいんですよ
だから それはもちろんね
最近だけ激しいというわけじゃないですよ
1930年のさらに 90年前っていうとですね
1840年ですから まだ江戸の終わりですよ
だからもう全然違うんですね
だからその それだけ違う社会で
同じような政治体制っちゃいけないんですよ
そういうわけにいかないんですねー
今から90年前の時代よりか90年前っていったら
江戸幕府で井伊直弼とか出てくるわけですからね
徳川将軍とか それから90年たつと
全然もう違って昭和天皇ですね
軍縮会議 イギリスをアメリカとの戦いとかねー
そういう風になってきて もう全然違うんです
それをですね やっぱり古い皮袋に
入れるっていうわけにはいかないわけですよ
それはもう考え方は 全部違うわけですから
ですから 今の時代ですね
2020年というのがどういう年だったかっていうのは
次の次ぐらいには いけると思うんです
あんまり慌てないのがいいですからね
この手の話は 自分自身の人生
自分の子供の人生に大きく影響しますので
ゆっくりゆっくり一つ一つですね
なぜ新しい酒が新しい革袋にいるのか 必要なのか
なぜ参政党という新しい政党が
必要なのかっていうことはですね
やっぱり我々は深い知識とじっくりと考えてですね
そして過たずに行かなければいけない ということなんですね
今日は 1930年お話ししましたが
次はそれから 30年後の1960年っていうのが
一体どういう年だったかと いうことを
お話をしていきたいと思ってます
2022年1月2日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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