2021/11/27

「著作権」は「力づく」の社会の産物  著作権は根源的な権利ではない。 著作権は「力づく」、「金まみれ」の社会  日本で著作権がなかったのは「力づく」ではなかったから  著作権の無い社会を作っていきたい



 私はですね

この日本が力づくの社会ではなかったと 日本以外の国がですね ほとんどの主要国が力づくの社会でですね 軍隊が強い方が偉いと お金を持ってる方が偉いと 女より男の方が偉いと いう風に全部力がある方が偉いという そういう間違った 間違ったというか日本の文化とは違う国なもんですから どうしても外国にかぶれてる人 ヨーロッパにかぶれてる人はですね 力づくの社会がいいと思っているわけですね それからまぁ日本の独特の文化を 理解してないっていうぐらいあるんですね 日本が2,000年間 非常に平和で 平等で奴隷もいなかったという社会はやっぱり 力づくじゃなかったからなんですね 是非私は力づくでない社会ですね やっぱり人間を尊重するという 力のある人が偉いってわけじゃないと この社会はどうしてもですね 今のアメリカみたいに 1パーセントの人が40パーセントの金を握ってるとかですね それから中国のように 共産党の独裁であるとか そういった社会を作ってしまうわけですね 力のある者が偉いということになりますと どうしてもそうなりますね ところが日本は 結婚したら妻の方が偉くて 偉いというのは やること何でもやれて 夫はやれることが制限されてるわけですね それから会社もですね 日本の会社っていうのは従業員のためだったわけで 決して株主のためじゃないんですけども 最近では日本人がですね 日本人の方が株式会社は株主のものなのに あなたは知らないのかと この前言われたんでですね 知ってはいますけど 株式会社が株主のものという考えが間違ってるんですと まぁ会社っていうのは 従業員が努力し 経営も努力し 日本国も土地とかそういう道路とかを提供してくれて 初めて実施できるわけで 何も金を出す株主だけが会社を持ってるわけじゃないと 株主が会社を持ってるというのが 力づくの社会のシステムなんですね 非常に残念なんですが 著作権もそうなんですね 著作権というのは 18世紀にイギリスで出来た権利で これは力づくの社会だから 著作権というのが出来たんですね 金まみれ 力づくの社会という中で 人間の頭の中に発生したものですね 著作権ですから それが権利として 社会的に認められるという制度を作ったわけですね 現在では著作権があるからって すごく威張ってたりですね 著作権を侵害したって言って 侵害した人をものすごく非難したりしますが 元々著作権っていうのは期限付きなんですよ 出来た時は15年とか25年とかだったんですね なんで著作権が期限付きで 所有権は期限付きじゃないかって言うと 所有権は人間の根源的な権利なんですね 著作権は臨時に与えられている権利なんです それがイギリスで発生した後 アメリカで アメリカは更に力づくですから 著作権が50年になり75年になったわけですよね ですから 著作権で押さえつけるっていうのは正に 力づくの社会なんです じゃあなんで人間は著作権について 頭の中で出来たものについて 権利を認めなかったかっていうと 例えば まぁあのイエス様の聖書でもいいですし お釈迦様の書いたものでもいいんですが  そう言った物については 著作権が及んでないわけですね それはどうしてかって言うと 我々は地球上に生まれて 地球上でいろいろ権利も調整しながらやりましょうと その中で ものについてはね 例えば自動車を持ってると そしたら 他の人が勝手に自動車使うと不便だから やっぱり所有権というのをしっかりして どの家が 家とかそういう風にしようじゃないかと いう風になったわけですが 著作権と言うか人間の頭の中で考えたものは イエス様が考えついたと それを皆が それを聞いて あぁーなるほどいいなぁと思ったと そして イエス様が例えば貧乏なほど幸福であると こう言われたと それを聞いた人が本当だなーと思って 他の人に貧乏な方が幸福であると言ったから その人は損をするわけでもないし またそれを言ったイエス様が 損をするわけでもない つまり人間の頭の中で出来たものっていうのは 共有性があった方がみんなが使えた方が 人類の幸福になるって言うのが 実は18世紀のイギリス つまり力づくの社会じゃないところではですね こういったまぁ 森の入会権なんかもそうなんですが 人類は昔の方が レベルが高かったっていう様なところもあるんですね だから著作権 それで日本の最高裁判所高等裁判所の 著作権の判決って言うのは いっぱいあるんですけども この非常に制限されてるんですね 思想又は感情に基づく創作物であってって言う風に 事実ではないと 事実については著作権及ばないと いう事を明確に言ってるんですね 事実についてはもちろん 著作権は及ばないんですよ だからマスコミが非常に上品ではないんですが マスコミ 新聞記事なんかはですね 文学作品なら 著作権が及ぶと言ってもいいんですけども ただそのニュース記事なんかをですね 著作権があるって言って頑張るんですね マスコミって言うのは  例えば朝日新聞だったりNHKだったり すごく力が強いんで 一個人が逆らえないんですよ それをいいことに 最高裁の判決なんかをわざと隠してですね 著作権を主張するっていうのが その今のマスコミのやり方なんですね ですから私はここはですね 日本だけでもいいんですけども まぁ日本の最高裁の判決は今ですね 著作権ついて非常に厳しく制限しています 思想もしくは感情に基づく創作物であって 表現されたものと言うですね 極めて厳しい制限をしているんですね したがって著作権を主張する人にはですね 必ず これは思想か感情に基ずくものですかと 事実とは違うんですねって まず言わなきゃいけないんですよ それが表現されてあるもの  そういうものだけに限られるんだと なぜかって言うとですね 著作権個人の権利よりか 社会がその人間の頭の中で生じたものを 使うというメリットが大きいからだって言う事なんですね 私は自分のブログ このブログですね そういったものとか まぁ自分の著作物には 基本的には著作権を主張してないんですよ そうするとね 今度は著作権を主張しないと それをまぁ悪用とまでは言わないんですけども 私のブログの内容の表題をガラッと変えちゃってですね ちょっとそんなこと言ってないんだけど と言うような表題をつけてネットで流すと 武田先生おかしいじゃないかと 内容と表題が違うよって いつも怒られてるんですけど やっぱり著作権があまり主張しない時は やっぱり尊敬する心とかですね それから上品であるとか そういう社会基盤が必要なんですね 礼儀正しいとかですね 相手に敬意を表する こういった日本の文化っていうのは 同時に必要なんですね 著作権がなくて みんなが言ったことを使える 聖徳太子が何か言ったらそれが使えると いうその社会ではですね やっぱりそれなりの上品さ 礼儀正しさ 謙虚さ こういったものを伴わないとですね やっぱりうまくいかないんですね それで私は実は著作権を主張する社会は良くないと これはね そしたら歌を作る人は どうするんだとかいい事あるんですが そういうことなのでやはり私は 著作権がないような 著作権のね ないと生活が出来ませんという人もいるんですよ だけど方やね 著作権だけで 何億円って取ってる人もいるんでね やっぱり社会的に補償される範囲の 著作権というものを考えるってことと 一応マスコミはですね テレビ新聞なんかに書かれたものは著作権はないと いう様に はっきり言ってほしいですね 実際そういうのが 日本の最高裁判決なんかで主流ですからね 主流というか 確定してる訳ですから だからやっぱり欧米の力づくの社会と いうものをこれ以上進めていくっていうのは 私はあまり感心しない やはり日本のように 人間の頭の中で 作ったものを使用する時は その人を尊敬してですね いやぁこれは良寛様が言ったことだとか もちろん あの親鸞聖人が書いた 歎異抄とか そう言うのだって 何にもあの あれはないんですよ 著作権ないんですよ 日本はずっと著作権ないんですからね だから外国から悪い風習ですね 著作権とか株主総会なんか 皆悪いんですけども こういう 悪いって言うか日本の社会には合わないもので 日本は そういうのをやらなかったからこそ 平等社会であり 奴隷が生まれなかったりですね 天皇陛下がいくら軍隊を持っておられなくても みんなで天皇陛下を きちっと遇するという上品な社会だったんですね 金まみれの社会ではなくて もう少し上品な社会に やっぱり戻して行くっていうことがですね まぁ日本で生活する人が より幸福になるんじゃないかと思うんですね 著作権がね 本当にね 主張されなかったら 本当に日本人が考えた知恵とかそういうのが もっと有効に使用されて 社会は全体的に凄く良くなると 私はそう思っております

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