2021/11/27

日本は違う。一つ上 1.宿の女中 イギリス夫人が見た日本 マックスウェーバーとオルテガ 日本だけは「庶民が貴族」だ。 (武田邦彦)


 

先日ですね 東京で 幸せ砂時計っていう方々とですね 仲間と私がちょっと話をして その後みんなで 食事をしたんですけども とっても楽しかったって言うか 温かかったって言うかですね 私は人生長く生活してきましたが あんなに温かさを感じた会っていうのは ありませんでしたね 時間としては5時頃から 7時か8時頃までやったと思うんですが もう最後まで本当にこう ほのぼのとした感じの温かさを感じました まぁそういうものを感じた後ですね 私いろいろ考えるところがあって 今このブログをご覧の皆様のなかにはですね まぁそれは その話はもう聞いたよ という人もいるかもしれませんが 私は改めてですね 日本というのは違うなーと思いましたね まぁ外国生活 私それほど長いわけじゃないんですけども それでも30歳ぐらいから50歳ぐらいまで かなりの部分 まぁ1年で2ヶ月ぐらいですね 外国に居りました それもいろんな外国に居りました 会社の時には原子力やってましたから 主にほとんど先進国しか行きませんでした アメリカ ヨーロッパを中心としてですね それで後半大学の方に移ってからは 今度は東南アジア中国 そこら辺に盛んに行きましたね まぁそういうことから見て アフリカはあまり私知らないんですけども その他のところは大体知ってるわけですから 日本は違いますね もちろん私が経験したこと以外にもですね まああのー 物の本読んだり 歴史を勉強したりすることによってですね 知った外国のに関するものとですね 日本の物とか 違うなーと思うわけですね それで私がこれをまた 日本は違うというのを書きたいなーと思ったのは やはり現在の日本人がですね 残念ながら 日本が一枚上なのに 日本よりか下の文化ですね まぁヨーロッパとか中国なんかの文化に 日本は習ったという 間違った先入観があってですね それで日本人の多くの人が 不幸な生活を送っているように見えるんですね だから日本のことを知るということが やはり日本人を幸福にする それで日本人の方が劣っていればですね それは外国のことを学んでほしいんですけど 日本が一枚上なのに より悪いっていうか 劣った文化を学んでしまうって言うですね まぁそういうことがあるわけです 今日はですね 宿の女中さんということでですね これは かつて このブログでも出てるんですけども ただ全体で違う見方で見てみようと思うんですね 19世紀から20世紀になりましてですね まぁ1900年 丁度 日本で言えば日露戦争ですね ヨーロッパで言えは第一次世界対戦の直前ということで 世の中が貴族社会から大衆社会って言うか そういうのに変わりつつある時ですね いったいその貴族が治めていた世界と 大衆が民主主義で選挙なんかを使うと どう違ってくるだろうか というのがマックス・ウェーバーとか オルテガ・イ・ガセットなんかが研究してですね いろんな書物を出してるわけです もちろん その他にも出しておりますし またココ・シャネルとかですね マックス・ヴェーバーなんかが 女性のファッションとか お化粧を本格的にやりだすという まぁそういう時代にもなってきてるわけですね その時にみんなが ヨーロッパの人達ですよ ヨーロッパの人達が考えたその貴族社会と 大衆社会の差というのはですね やっぱり貴族社会は 一人一人に魂があるプライドもある 個人の個性というか アイデンティティというか そういうものがある これに対して大衆って言うのは その日暮らしであって迎合するところがあり すぐ錯覚するところがある だから マスコミなんかに ちょっと煽られると すぐその方向に行ってしまう だから実は貴族社会から大衆社会に移る ということがいいことなのかどうか 疑問がですね ずいぶん投げかけられてるわけですね まぁ例えば それまでの大学教授っていうのは 学問か好きだから大学教授になると ところが大衆社会に於ける大学教授は 別に学問が好きだから大学教授になるんじゃなくて 生活の糧として大学教授になる だから勉強が嫌いなんです これ確かに 私は大学を経験して そういう感じがするんですね ですから それは間違いではない それから大衆を煽られやすいから 戦争が増えるだろうという風に その時代の偉い人は予想しておりますけども それもその通りになった それはなぜかって言うと 貴族は一人一人 武田邦彦 私は貴族ではありませんが 武田邦彦という貴族がいたらですね その武田邦彦って言うのは貴族は個人 個人なんですね 大衆の中の一人じゃなくて 個人としての独立した人間なわけですね まぁこれに対して大衆というのはですね 武田邦彦という個人がいるんじゃなくて 大衆の中に武田邦彦というのがいる だから一応名前はついてるけども 精神的に独立してるわけじゃない という風になる という事なんですね つまり庶民は独立できないと 人間としては独立できない だからNHKが放送すれば NHKの放送通りに それが真実だと思うと 言うようになってしまうので 戦争が多くなるだろう 確かに日本の戦前もですね すでにヨーロッパ文化に侵されたこともあるんですが 朝日新聞なんかに煽られて 戦争に突入したわけですね だからまぁ そういうこともあり得ますね しかし貴族社会でもそうだったと思います しかしここでいうのはですね 大衆だから もしくは教育を受けてないから 自己が確立していないというのは 私はね ヨーロッパ人の偏見だという風に思うんですね その一例として私がちょっと話すんですけども イザベラ・シッドマーという イギリスの女流の旅行家ですね これが幕末の日本に来て 東北地方をぐるっと一回りしますね 大変な勇気と言うか積極性ですけども そのイザベラ・シッドマーがある時に 日本の宿屋 旅籠に泊まるわけですよ そうするとその旅籠の女中さんが 一生懸命やってくれる 誠意を持ってやってくれる 本当に良かったと思って その翌朝ですね その宿を離れる時に 女中さんに心付けを包んでですね 渡そうとする そしたら 女中さんはなんて言ったか いえ私は女中として 自分のすべきことをしただけのことですから お金を頂くわけにいきませんと言ったわけですね この女中さんは普通に考えますと おそらく学校に全く行ってません それから出身も貧乏な人だと考える方が普通ですね 教養もないと思います 勉強もしてないと思います しかしその人がですね 自分というものを持ってるわけですね 私は宿の女中ですと だから一生懸命 女中としての仕事をしますと その仕事をしてる範囲ですから 余分なお金は頂きたくありません これはもう立派にですね 魂もある 自己もある 考えもある 独立してるわけです 貴族ですよ 貴族 完全な貴族ですね  それから見たら 現在の大臣とか東大教授とか そういう人達の浅ましいことね NHKの放送のプライドがないこと まぁとにかく他人に阿る 自分はない 勉強の嫌いな大学の教授 真実を報道する気のない NHKの幹部 日本を良くしようと思わない愛国心のない国会議員 こう言ったものはですね このイギリス人が見た女中さんとはですね 格段に劣ってるわけですね なぜ江戸時代の末期の教養もない 何もない東北の 一東北の宿屋の女中さんがですね 自己というものを持ってて 魂を持ってて 立派な人間なのに対して 現代の東大教授 国会議員 NHK幹部っていうのは あまりにも愚劣であるのは何故かって言うと やっぱり私は日本にヨーロッパ文化が 入ってきたことによってですね まぁこれ お金中心の社会なのか それとも損得だけを考える社会なのか どういうものがですね 日本人の心を この宿の女中さんから 現在のNHKの幹部にしちゃったのか なんでこんなにひどく劣化したのかと いうことは考える必要がありますね これは女性と男性でもないんですよ 実は 江戸時代の男性の振る舞いっていうのは 非常にしっかりしていますしね もちろん現在は だけどもあれですね やっぱり現在の飲食業の女性の方があるいは こういう道徳はしっかりしてるという感じがしますね ですから あるいはそのヨーロッパ文化を 多く取り入れた文化人 学者 インテリと言われる人達の方が 劣化が早いということを考えますとね これは そうかもしれませんね そういう人たちがヨーロッパ文化に属されてひどくなった しかし一方日本の飲食の人なんかは 日本人の魂を持ってる人 いっぱいいるんですね 日本人の魂と言っちゃいけないんだ 貴族 庶民だけど貴族だ つまり 日本だけは庶民が貴族だったと いう事なんですね まぁちょっと どうしても 僕は心の中をまとめたくなって 今日 そういう話をいたしました

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