幸福に構造があるということは この前お話をいたしまして 幸福の問題 例えば人間関係とか 夫婦の事とかで 親子とかですね 仕事の事とか そういう事で悩んでる方のほとんどがですね 幸福というものを一回も勉強したことないと もしくはですね ネットとか それから まぁ簡単なノウハウ本でですね こういうのはこう考えたらいいって言った 主に心理学的もしくは宗教的なですね 事を知るということが精々なんですね ところが幸福に至る 人間が幸福に至るのはですね 構造その幸福というもの 言ってみれば幸福学って言うんですかね 幸福の学問っていうのは学ばないとですね やっぱりその場その場 限りになりまして 今の職場の人間関係は これで解決したけども 次また似たような問題が起きても 応用が効かないわけですね ですから幸福っていうのは 構造をちゃんと学問的に知る必要がある やっぱり学問的に知るんですから ちょっと面倒くさいことは面倒くさいんですが やはりあのー まぁ学校教育でやりませんからね 成人教育っていうか 大人の教育っていうか 社会人教育というか そういうところで学ぶのに 適しているんじゃないかと思うんですね それのいろんなその幸福のしょうほうには いろいろ考えることがあるんですが その一つにですね 日本と外国とでものすごく違うんですよ これがまぁ一つは誤解の基になっておりまして 解決しない基になってますねー というのは 日本人がある問題で悩んで それを その外国の幸福論を読んじゃうとですね 全く見当はずれの所 行っちゃうんですね なんでそうかって言ったら 日本だけが幸福に関する考え方 日常に対する考え方 夫婦に対する考え方が全く違うんですよね ですから 結局のところ外国の本に一回左右されると もう 幸福にはなれないっていう感じがするんですね その一番 まぁいろんなものがあるんですけども その一つに 勤労というものに対する考え方なんですね これがもう全く違うんですよ これをお聴きになってる方で キリスト教の原罪というのがありますね 罪 人間はもともと罪がある だからその罪をその解消するために 人間に神様が 人間に苦痛を与えた その苦痛は労働なんだ っていう仕事をすることなんだ だから仕事をするっていうのは苦痛なんだ できればやらないほうがいいんだ っていうのが キリスト教ばかりじゃなくて 中国 中央アジア 中東 ヨーロッパ アメリカ 全部そうなんですよ もちろん アメリカヨーロッパの影響を そのまま受けている南アメリカもそうですね ですから ところが日本は全く逆 もう正反対なんですね 日本はどう考えてるかって言ったら 今日ご飯を食べる 味噌汁を飲む 魚を食べて お新香を食べるという風にしますね それからもちろん洋服も着る 今では まぁ電車に乗るとか 自動車に乗るとか 冷暖房のエアコンを使うとかいう事もありますよね これはほとんどのものが 自分でやったもんじゃないんですよね それは完全な自給自足生活なら 自分でお米を作って あばら屋に住んで という生活もあり得ますけど そんなのは今はないんですよね そこで日本人はどう考えたかって言ったら 労働は別に神様の罰じゃない 労働はですね 自分で米を作らない 味噌を作らない 魚を獲らない 自動車を作らない エアコンを作らない 家を建てないのだから 自分の仕事の上でその分だけは返さなきゃいけない それは最低の義務なんだって事なんですね それは別に人間として正しいことである 勤労は正しいことであるって言うのは日本なんですよ 勤労は罰である 神様の罰であると考えるのが外国なんですよね ですからもう180度違うんです それで日本はもう それで一万年もやってきましたのでね 大体 そうしますとね 日本人が勤労を神様の罰だと考えてもね 考えきれないところがあるんですね 自然と自分は働いてしまう だから非常に簡単に言えば アメリカ人の理想的な人生はと言うと 45歳までにお金を稼いで 45歳からは仕事をしないで 遊んで暮らすのが理想的だって言うわけですよ それは労働が神様の罰ですから それから解き放たれるのが幸福なんですね ところが日本は 他の人が働いて頂いて 自分はご飯を食べて エアコンの生活をして電車に乗ってるんだから その分だけは死ぬまで 働きたいって言うのがあるわけですね ですから できるだけ長く働きたいっていう風な それが幸福だっていう事なわけですね だからもう180度違っちゃうんですね それで まぁ男の場合は定年制というのがありますから 強制的に その人生でやるべきことから離れて 不幸になっちゃうんですけども まぁ家事をやってる女性はですね 主婦ですね 昔の は非常に幸福なんですね その点で というのは 今はね なんか家で働くのが賃金に結びつかないので 女性が嫌がってますけども やっぱり働くということが 賃金をもらうことよりか もっと優れているんですね そういう意味では 女性の場合は家庭労働をしてる限りはですね 定年が基本的にないので 一応家庭労働ができなくなるほど 体が弱るまでは まぁ幸福な人生を送れる可能性がある とも言えるんですね つまり例えば これはもういろんな所に現れておりまして 例えば東南アジアに 会社の用事で派遣になる人がいますね 課長さんぐらいって言うの 奥さんもついてって 外国だから珍しいとかですね 生活したいとか 会社はまぁ できれば奥さんも一緒に行ってくれって言うんで行く そうすると 日本の割合大きな会社で 東南アジアに支店を持っている様なところだったら 大体東南アジアに行きますとメイドが付く ところが このメイドに言わせると 日本人の主婦のいるとこが一番困るって言うんですね 自分たちが働くものがない トイレも奥さんがやってしまう 皿洗いも奥さんがやってしまう 日本の女性によってはですね 主婦によってはですね 皿洗いを他の人にやってもらいたくない 自分流儀にやって 自分の家族の健康は自分で守るんだって言う まぁそう言うのが多いわけですね つまりまぁ 例えば私でしたら物理学ですから 物理学でご飯ができるわけでもないし お味噌ができるわけじゃないので まぁ賃金でやると だから自分が 他人に恩を受けてる分だけは 自分の領域で返すっていう気持ちが強いわけです すごく強いわけですね ですから当然 幸福も違って日本の場合の幸福というのは 先ず それを示しているのが江戸時代の職人の話ですね 9時から2時までは ガキとかかあの飯のために働く 後は遊びだっていうわけです これはまぁ 短い言葉の中に全てを含んでますね つまり日本人の考え方は 幸福な人生っていうのは まず自分が外から他人から受けてる恩ですね お百姓さんが米を作ってくれた 技術者がクーラーを エアコンを作ってくれたり お風呂を作ってくれたりした その分は 9時から2時までで もう返すと 2時からはやっと やっとっていうか そこまでやらないと 2時から遊びに出ても 満足できないんですよ 日本人は満足できないですよ だから日本の幸福っていうのは まずは働く それも社長になるとか そういうんじゃないんですよ あの外国のね 特にヨーロッパの幸福論って言うのがですね 先ず偉くなることなんですよ 偉くなる その5パーセントって僕は言ってるんですけど 社会の中の5パーセント 20人に1人に入る これがもうとにかく 幸福の第一歩だっていうことで 一生懸命勉強し 我慢し 努力して仕事をするんです その仕事っていうのは 日本とはちょっと違うんですよ 外国の仕事はですね 出世した仕事なんですよ 出世した仕事の中に自分の身を置くっていうのが あの幸福の一つの条件なんですよ それはどうしてかって言ったら 労働が神様の罰だからですね ところが日本はそうじゃないんですよ お百姓さん お味噌の職人 それからお風呂を作る職人 これと同じレベルの仕事をしなきゃいけない それが一番 自分が生活してる上で まず人間としてやらなきゃなんない 先ず第一の事なんだって意識があるので 先ずはですね 仕事が面白くないとかですね 仕事がやりがいがないっていう人はいるんですよ それが引っかかって これは幸福じゃないって 不満を持つ人がいるんですけども これは非常に難しいんですけども やりがいがあるとか 面白いとかいうのじゃないんですよ 日本人の働く 妻が?ですね あのむしろ辛い方がいいって言った方がいいですね つらい方がいいというのは ちょっと極端な言い方ですが 人が辛い思いをして米を作ったり お米を作ると言ったって今は違いますよ 昔はね 鍬を振ったり 寒いとこでも出て行ったり 暑い時でも草取りしたりするわけですから その苦労を自分も 味わなきゃいけないって意識なんですよ ですから働くということが それほど快適であるとか 楽しいとか それから自分が人生でやりたい仕事を するって言うんでもないんです やっぱりそれは我慢して 他の人が仕事で我慢してくれてるように 自分も一緒に我慢しよう 私の言ってる絡合的な考え方なんですね ということで 今日は幸福の構造の2で 幸福の初歩ですので あまり深くは踏み込みませんが 勤労に対する考え方というのを
少し考えてみなきゃいけないと思います
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