本日の収穫(3660文字)
えーとですね ヨーロッパでは
非常に有名な近代の思想家ですんでね
その人達をアホなんて言ったらですね
お前 何言ってんだと
日本には ヨーロッパかぶれが山ほどいますからね
それでヨーロッパの思想学とか哲学といった
ヨーロッパの頭脳で考えたのの大きな欠点はですね
ヨーロッパがアーリア民族社会にいる
つまり 獰猛な社会にいるということと
大脳皮質社会にいるっていう二つのですね
大きな欠点があるわけですね
この欠点が十六世紀以来ですね
人類社会にものすごく大きな
最悪をもたらしたわけですね
これだけ大きな最悪をもたらしながら
この最悪をもたらした文明を
貴重なものだと言って奉る人たちが
まぁ 日本には山ほどいると
その人たちが東大教授であり
文化人なもんですからね
だから ヨーロッパの悪口なんかなんで言うんだ
っていう風に言われちゃうんですが
実はですね ヨーロッパ文化というものが
ものすごく大きな最悪を
人類にもたらしたことは もしかすると
その洗脳された その人たちにもですね
まぁ わかっちゃいるかもしれないなと
思う節もあるんですね
その一例を挙げますと
イギリスの巨大な思想家 ホッブスはですね
人類は獰猛なものである
つまり人類っていうのは
元々獰猛なものだからですね
人類が戦争したり 争ったり
殺人事件が起こるのはもう仕方ない
これは止められないんだと いう風に考え主張しですね
それが後の
色々な植民地とか 戦争というのをよんで
世の中には 人間社会には
非常に大きな最悪をもたらしたわけですから
ある意味では ホッブスはですね
ホッブスのリヴァイアサンなんかっていう
著書があるわけですね
私なんか ホッブスのリヴァイアサン若い頃読んでですね
なんと素晴らしいことかと思ったんですが
それは私の考えが未熟だったから
素晴らしいと思ったんだってことは
後になってだんだん分かってくるわけですね
だから フランスの巨大思想家ルソーはですね
人間は穏やかなものである それが本来の性格性質だ
だから人間が獰猛に思うのは 若干
別の要素があるんだと言った人なんですね
ここでホッブスが正しいかとか ルソーが正しいかとか
それらの持っている思想の意味を論じるわけじゃないんですね
何で彼らが違う意見になったかっていうことですね
現在の日本でも
違う意見っていうのは非常に多いんですけど
なんで人間は
違う意見を持つようになるかっていうことの一例ですね
これアホだからなんですね
もちろん 私もアホであってですね
全員がアホなんですね
なんで全員がアホかって言うと我々はですね
全能な知識を持ってるわけじゃないんですよ
本当に人間が知るべき知恵のですね ごく一部
僕の感じではですね
感じですから 分かんないんですが
一万分の一とか そのぐらいしか持ってないわけですね
だから事実とか 知識があれば
思想っていうのは 簡単にひっくり返るわけですよ
今私日本でですね
色々議論している 特に野党の議論なんかはですね
ほとんどは知識の問題じゃないかと思うんですね
知識の問題じゃないやつもあるんですよ
そこに関係している人が 全部よく分かってるけど
利害関係から言って
ただそう言ってるってやつあるんですね
まぁそういうものは 人間のあれですから多いんですが
まぁ知識不足が多いですね
ちょっと このホッブスとルソーについて
科学的な知識をですね 整理します
この科学的な知識っていうのは またですね
あるいは 時代が変わるとですね
変わる可能性があるんですが
とりあえず現在のところの まぁ霊長類の研究ですね
そういうのとか 人類の先史時代の研究を参考にしますと
ゴリラは穏やかなんですよ
あのー よくあのー ゴリラはですね
獰猛だっていう風に思われますけど
これはただ単に 人間のアホがですね
ゴリラが胸をどんどんと高くってあれ
ドラミングって言ったかな
なんか言うんですけども あれを見てですね
ゴリラは好戦的な動物だと
獰猛なんだって 錯覚しただけで
その後のゴリラの研究によったら
あの胸をどんどん叩くっていうのはですね
平和な印なんですよ 妥協して
みんなで仲良く生きていこうじゃないかっていうことを
主張している時の行動なんですね
ですから あーそうですかと
じゃあ みんなで楽しく生活しましょうっていったら
絶対にゴリラはおとなしいんですね
まぁ もちろん動作っていうのはですね
民族によっても違うぐらいですから
まして人間とゴリラだって言うと
それは全然行動が違うわけですね
類人猿からだんだん人間になって
猿人になって だんだん行くんですけども
その考古学っていうか 先史時代の人間ですね
人類学でもいいし 考古学でもいいし
色んなことがあるんですが
この人間が戦争を始めるっていうのは
非常に最近のことでですね
少なくとも数万年前からなんですね
それまではどうも
戦争っていうのはなかった感じがするんですよ
これはですね
土地が豊かだからかとかそういうんじゃない
よくあの戦争が行われるのは 食べ物が減ったり
そういうことになって
戦争が行われるという風に言われたりする
これもですね アリア人が
自分たちの世界だけを考えたわけですね
ヨーロッパ人が何で背が高くて
男性が結構かっこよくて 女性が美人かっていうと
あれは競争が激しいからなんですよ
競争が激しければ 結局ですね
何とかして背が高くなり
何とかして女性は美人になってですね
そして対抗しようとしますので そういう風になりますね
南洋の方の人達は まぁ生活が楽ですから
いつも にこにこして
戦争の数は もう全然少ないですね
例えばイギリスと南方の島々とを見ますと
全く違うんですね
そういうことは どうしてかって言うと
まぁ体型にも表れているわけです
そういう厳しい 非常に厳しい環境の中で
ヨーロッパ人 アーリア人ですね
特にアーリア人の場合は 遊牧民が元々ですからね
そういう その草がなくなったらどうするのって
いやもう それから草を植えるっていうようなことは
彼らはしないで 面倒くさいから
人の土地を奪って生活するっていうことをしてたわけですね
戦争が始まったのっていうのは
いろいろ説がありますが
まぁまぁ数万年なんですよ
2~3万年前ですね
もちろん 近世まで
近代まで戦争を行わなかったのが
アイヌ 日本の親しみではアイヌ民族ですね
アイヌ民族っていうのは
日本民族よりかずっと優れておりまして
優れているというのは
平和という意味で優れておりまして
アイヌの遺跡の中には人間を殺す刀とか
槍っていうのは ほとんど見つかりません
熊をやっつける イコロ?とかですね
キツネを捕らえる狩猟するための
矢尻というのは見つかるんですけど
人間同士っていうのは ほとんどないんですね
それから 実際に刀傷がある遺体というのはですね
ほとんどありません
私が知ってる範囲で三体ですね
ですから アイヌのように非常に生活が厳しいんですよ
やっぱり 北の国ですからね
アイヌが重婚つってですね よく夫がですね
姉と結婚してたら その姉の妹ともう一回結婚して
妻が二人作れるつうのもあるんですけど
これをもって 非常にアホな人がですねぇ
アイヌは野蛮だとか重婚だとかは違うんですよ
あの北海道ぐらいですとね
要するに 女の人一人じゃ
なかなか昔は生きていけないんですよ
だって熊を 簡単に言えば熊を狩るわけですから
山に行って 激しい海に行って
船を漕いで魚を捕るわけですからね
これはちょっと無理なんですよ
野菜だけじゃちょっとね 生きていけないですよ
野菜つったって 本格的は栽培はしないですからね
ですから 命を救うために重婚制度っていうのは
特例としてあるわけですね
それをアイヌを非難しようという人たちが
使うということなんですね
私がここで言いたいのは
実は アイヌのことでも何でもなくてですね
人間の頭っていうのは 本当に浅はかだと思うんですよ
本当に浅はかなんですね
ホッブスとかルソーといった ヨーロッパでも
一二を争う巨大な 巨大な思想家ですよ
もう文章なんか読むと もうこの人たちの頭がいいのは
素晴らしいと思いますよ
しかし この頭がいいというのは
何の頭がいいかっていったら
大脳皮質の密度や
回転速度がいいということであってですね
その大脳皮質っていうのは
それまでに ホッブスとルソーの頭の中に入ってる分しか
動員されませんから
私はこれを一回大学の学生相手にですね
色々テストをしたわけじゃなくて
教育のために一生懸命やったんですが
ある有機合成反応っていうのはですね
学生はどうしても
自分の頭で覚えてる有機合成反応から
見つけようとか改良しようとか思うんですね
しかし学生が知っている有機合成反応っていうのは
本当に限定されてるんですが
自分の頭の中にある
有機合成反応が限定されているという
前提には立たないで
自分の知っている 合成反応っていうのは
あたかも合成反応の 有機合成反応の自然界にある
有機合成反応の全てでだと
いう風に思うような感じで取り組むんですね
ですから もちろん間違えます
しかし それもね
しょうがないってちゃしょうがない
人間の限界かもしれませんが
それを人間が知っているということは極めて大切ですね
私はギリシャ哲学をあまり評価はしませんが
ソクラテスが
人間の大切なのは知らないということを
知っていることである
っていうのは確かにある意味で
人間の頭脳のですね
働きを示したものだと思います
2021年12月12日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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