2022/01/12

なぜ中学生は勉強が嫌いなのか?(武田邦彦)


本日の収穫(3755文字) 

さてですね いよいよ教育の関係もですね
中心に入ってきました
簡単に言えばですね
私達は 教育は子供達のためにやってるのか
それとも 大人の収入とか立場とかプライドとか
そういうものでやってるのかと もちろん全員がですね
それは この駄目だよっていう風に
決まってるんですが 果たしてそうでしょうか
今までですね ここの述べてきましたけれども
保育園を作る時も お父さんとお母さんの都合だけを言って
赤ちゃんに あなたは保育園に預けられた方がいいの?
それともお母さんに育てられた方がいいの?って
一回も聞いてない まぁもちろん聞いたって
赤ちゃんは返事しませんが
幼児発達学とか教育学とか そういったものは
そういうことを中心にやる学問ですからね
それは国立大学で保育園を作る時は それは考えなきゃない
しかし実は考えてない 全然考えてない
全然考えてないっていう証拠はですね
その時に私の委員会に その事務方が提案されたわけです
その時に一言も  その児童の発育に保育園は大切だから
もしくは いいからという話はありませんでした
楽しいからとか 全部ありませんでしたね
それから小学校に入る
そうするとやっぱり 小学校の最初のぐらいまではですね
本当に子供っていうのは
自分で勉強したくて
勉強する子供っていくらでもいるんですよ
知識力があってですね ところがですね
大人の方は 決まったことを勉強させようとするんですね
子供は自分が楽しいこと
興味のあることを勉強しようとする
それはね 絵のうまい子は
まぁ有名な画家でそういう人いますよね
もう何歳かの時に もう人の絵を書いたらすごい上手いと
それで世界的な画家になった
それから モーツァルトなんか有名ですね
五歳の時に作った交響曲第一番 素晴らしいですよ
だから子供は それぞれ個性を持って生まれるんですよね
絵の上手い人は絵 音楽の上手い人は奏
体操 運動のかけっこの早い子もいる これはよくわかる
だけど勉強については ほとんどですね
国語は嫌いでも 算数が嫌いでも 何でもかんでも
全部 同じように覚えさせるわけですよ
しかもね 小学校の頃はまだいいんですけども
高校ぐらいになると 今はあの選択制なんかがありまして
これは良くないですけどね
良くないけど 選択制がありますけど
到底 一般の社会では普通の人が使わない 数学を教えたり
ものすごく難解な漢字を教えたり
なぜかするんですよ
何か大人の心の中で 弱い子供をいじめようという
気持ちがあるんじゃないかと思うんですね
小学生はですね 最低の読み書き
そろばんができればいいと思うんですね
最低日本語が読めて まぁ大体
やっとさ こうさっとこうなんか書けて
例えば なんかの申請書とかですね
そういうものは書けて それで足し算引き算できる
大体外国は 引き算できませんからね 粗方
例えば 75円のものを買って
100円出したら 100-75 ってできないんですから
日本人だったらすぐ 100-75 って言ったら 
すぐ25 って答えますでしょ
ところが外国で
75ドルのもの買って100ドル出しますと
100ドル札出しますとね
全員が必ず5ドルだったかな 最初5ドルかな5ドルコイン
それから10ドル10ドルと出して はい
5ドル出して80ドル
10ドル出して90ドル
次もう一回10ドル出して100ドル 
はいこれでおつりってこうやるわけ
足し算しかできないんですね
もちろん足し算しかできないよりか
日本の子供みたいに
足し算 引き算 九九ができる方がそれはましですよ
だけど あまりに極端なんですよ
分数の割り算とかね こんなの難しいですからね
しかもなんかね 最近見てると集合とかね
統計みたいな難しいやつも 小学生で教えてるんですよ
そうするとね せっかく例えば小学校一年ぐらいでは
自分の好きなもの
自分の得意なものってわかってるわけです
それをさせればいいんですよ
別に国語ね 最初漢字を覚えなくても
この子は まぁ6年ぐらいになるまでは
小学生という漢字ぐらいは わかるだろうとかね
そのくらい応用に 教育をしなきゃいけないんですよね
その代わり その子は多分数学ができたり
数学ができる子供は 今度語学はできませんからね
語学ができる子は
語学をさせるという風にすればですね
多分 中学生になる時に
皆さん勉強が好きだと思うんですよ
勉強が好きっていうか
自分の才能を生かすことが好きだっていうかね
そういう風になってると思うんですよ
ところが違うんですよ
それは15の夜ですよね 15の夜
大人たちは何で
自分たちのことがわかってくれないんだろうか
何でだろうか 不思議に思いますよね
15の夜の詞っていうのは
本当に尾崎豊の詞はいいですよね
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
とにかくもう 学校や家には帰りたくない
こんな気持ちにして なんで教育なんですか
これ15歳だったら 中学生ですけどね
なんで中学校という学校があるんですか
大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てならば なんてちっぽけで
なんて意味のない なんて無力な15の夜だと
尾崎豊が言ってるわけですよ 苦しみを
私もその年を過ごしましたから わかります
もちろん思春期ですね せめてですよ
百歩譲っても男女共学は駄目なんですよ
なぜかといったら思春期は 二つの苦しみがあるんです
一つは男女の苦しみです 性に目覚めますからね
もう一つは 自分の人生に対する悩みなんですね
この二つが一緒に来るんですね
ですから昔の日本は
せめてそれを一つにしてあげたいということで 男女別学
男女七歳にして席を同じゅうせず なんですよ
それで良かったんです それは深い愛情があったんです
子供達に対する 深い愛情があった
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
っていうようなことじゃいけないんですよ
もちろん15ですから 15の少年つったら凄く変ですよ
しかしその変なところを 通過してくることが大切なんです
それまで嫌な勉強 嫌な勉強させられて
自分の得意なことじゃないことを言われて
勉強しなかったら怒られると
いう人生をずっと送ってきた
人間にとってどう思いますかね
しかも大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺は嫌なのさ
当然ですよ 心を捨てろ俺はこれはやりたい
それはみんな変ですよ 授業は退屈なんですよ
なんでかつったら 法務省の定めた
全国一律学習指導要綱で教えるんですからね
なんてちっぽけて
何の意味もないっていう風になるわけですよ
この叫びが なぜわからないのか
この叫びを この詞をですね
毎日職員会で 誰だか先生が言って
自分たちは こういう教育をやめようと
言ってくれればいいんですよねー
そしてまぁこのー
あれにも書きましたけど 大学教授になるとですね
60点が合格だっつって問題出して
平均的な問題出すんですよ
大体100人の講義でしたら まあ90人ぐらいとか
80人ぐらいが通過するぐらいの 問題を出すんですよ
しかし全員に60点を要求するんですよ
だからまぁその その時に言いましたけど
物理の得意な学生は 勉強する必要なく通過しちゃうんですよ
物理が嫌いで嫌いで 生物の方に
行こうとしている学生に要求するんですよ
なんですかね一体 逆じゃないですか
我々が教育してるのは 物理が好きな学生に物理
生物の好きな学生に生物を教えるために
大学教授がいるんですよね
おまけにその教えてる内容は
π=3でご説明しましたけれども
本質は一切 ものの本質ね
πの円周率の説明でも 先生がですね
ちゃんとそれを説明したらいい
しかし私は一回 名古屋の高等学校
いい高等学校なんですよ 偏差値はそれほど高くないけど
生徒さんは非常に活力があっていい
ところがね その時物理の先生が言ってましたよ
物理の先生か 理科の先生かな
まぁ高校だから 物理と生物とわかれてると思いますけどね
いくつか話をしたらですね
いやもう教えられないんですよ
今よりか恐竜の時代の方が
温暖化が激しくて凄く温度が高かったとか
それも 教えられないんですからねって
どうなってんですかねって 一体
子供達に正しいことを
教えられないんですよって言うんです
ですから今のね 教育っていうのは
子供達が嫌なことを教え 適性のないことを教え
そういうシステムを採点だとか
教育カリキュラムに作って しかも罰するわけですよ
私は大学の管理をやってる時ですね
学長事務代理という名前でしたけどね
それをやってる時に なんか教授方の会議の中で
ある先生が
いや近頃の若者は勉強が嫌いで困るって言うんです
そう言うんです だから僕はですね
いや先生勉強が嫌いっていう方が
普通なんじゃないんですかと
ここにいる先生方は 勉強が割合好きだという
ちょっと特殊な考えでなかったんですかと 言ったわけですね
それから ある先生はですね
一体学生は 大学に何のために来てるのか
勉強するために来てるんだろう
そんなことはないんですよ
国立大学は若干 そういう意味ありますけどね
私立大学は 自分でお金出すんですから
18から22の間 
友達を作ってもいいし スポーツをしてもいいし
芸術なんかに勤しんでもいいしですね
適当に勉強して 適当に遊んででもいいんですよ
何も学生の本分は勉強じゃないんですよ
学生の本分っていうのは
自分の人生の基礎を作るっていうことなんですよね
だから もちろん大学受験はいらないし
大学受験なんか ないほうがみんな勉強しますよ
それから選択科目とか そういうのもなくてね
必要なこと 世の中に出て必要なことはみんな勉強をする
しかし採点は その人に必要なだけの採点をする
それが教育の本質でしょうね
どうしてこんなに 子供達に対して
私達大人は愛情がないんですかね

2022年1月11日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

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