本日の収穫(4164文字)
えーとですね ある小説を読んでましたらね
ある人が 人間っていうのは
うっかりしたもんですねってこう言ったらですね
そばにいた人が
いや 人間がうっかりしてんじゃなくて
あなたがうっかりしてるんでしょっていう話がありまして
なかなかいいなーと思いましたが
そういうもんなんですよね
この前 新聞かなんか読んでたらですね 定年になって
ああー 若い頃にこういうことをしておいたら良かったなと
思ったことっていうのが集計されておりましてね
本当に面白いと思ったのは
もちろん 定年後の計画っていうのは
もちろん 定年前にしておかないとですね
計画ですからね
ところが人間っていうのは うっかりしたもんで
定年になんないと
定年後の計画を作って やろうとしないと
ところが定年になってから定年後の計画したって
それは間に合わないということになるわけですから
論理的におかしいんですけどね
それが人間というものになります
これからの百年人生ではですね
第一の人生 第一の人生っていうのは
ゼロ歳から五十歳まで
日本人の平均寿命が 戦争が終わった時には
まだ五十歳になってなかったんですね
これはおかしいという人がいるんですけど
おかしくもなんともなくて
公的な集計はそうなっております
人生五十年っていうのはもう
織田信長の時から言うじゃないかっていうけど
これは大名とかですね そういう人で
生活も恵まれてるし 栄養も
おいしいもの食べてたっていう人だけに限られますね
それからもちろんその 人生五十年ってのは途中の戦いで
三十五の時に槍に突かれて死んでしまったとか
そういう人 人生五十年の中に入ってませんからね
もちろん病気で亡くなった人も入ってません
そういう点では 人生五十年って昔言うのはですね
五十年まで生きることができる人は幸せだっていう
そういう感じなんですね
ですから 日本人の平均寿命が 1947年
戦争が終わってから 二年経った時に
やっと五十歳に達したっていうのも
わからないではないわけですね
ところが この前お話しましたように
このブログでお話しましたように
日本人の平均寿命はですね っていうか平均寿命っていうか
一昨年 五十歳を超えた人の平均余命が
五十年になりましたから
だから現在は まぁまぁ生きている人は
ほとんど全部が 特別に年取った人以外は
大体人生は百年近く生きる
ということは間違いないわけですね
そうすると私が言ってる 第一の人生
ゼロ歳から五十歳と
五十歳から百歳と二つに分けて考えなきゃならない
二つに分ける理由はですね
まず第一に第一の人生 生まれてから五十歳までの人生は
今まで人間が随分 これを過ごしてきましたから
誰にでも記憶はある 話はする 小説もあるっていうことで
大体イメージが描けるんですが
五十歳から百歳の人生っていうと
なかなか描けないんですね
昔は日本人の その引退後っていうかですね
隠居生活とか 色々いうのは老後とか言いますね
全部十五年なんですね
まぁ十五年ぐらいですと
なだれ込むことができるっていうかですね
最初の十年は やれやれ勤めも終わったかと思って
一二年ゆっくりし
旅行でも行くかとか好きなことでもしようかとして
五六年時間が経ち
その頃 体が悪くなってきて 病院通いしてるうちに
お亡くなりになるっていうことで
あまり計画ってのは いらないんですよね
ところが五十年ってなりますとね これはね
はっきりとした 人生設計がなきゃ駄目なわけですよ
それを私がちょっと最近読んだ新聞のその
ああー こういうことを
しておけば良かったっていう 反省なんですね
ところが私 講演なんかで第二の人生の話をしますとね
若い人はね 俺関係ないよって顔して見てるんですよ
いやいや あなた方こそ関係あるんですよと
実はその五十歳以上の 人生設計っていうのは
五十歳になってからじゃ
間に合わないんですよ 当たり前なんですけどね
ただ私もですね 四十五歳でそれに気が付いたんですよ
大慌てに 慌てましてね
それで五十歳から百歳の人生を今 送っているわけですが
私は第二の人生を
どういう風に設計したか 四十五歳の時ですね
その時会社に 大きな会社に勤めておりまして
順調に仕事をしておりましたから
まさか自分が この会社を
辞めるとは夢にも思ってなかったんですけど
私が五十歳からある百歳までの
自分の計画があるかと思ってると全然なかったんですよ
それで急いでですね
五十歳で何の不満もなかった いい会社でしたね
何の不満もなかったけども
会社を辞めて第二の人生に入りました
その時に私の計画ですよ
今からもう四十年ぐらい前の計画ですし
その頃そういう第二の人生を送るなんていう
概念もなかったですからね
だってその頃は 穏やかな老後とかですね
そういう風な本なんかが出てた頃ですからね
私はこういう風にやったんですね
五十歳から六十歳は まだ社会的自分の立場もあるし
体力もあるし ガンガンできるので
六十歳までは 準備の十年としようと
これはあのー 第一の人生で十歳から二十歳と同じですね
十歳から二十歳ってのは 学校行って勉強したり
運動したりやって 人生の基礎を作りますね
それと同じようなことを 五十歳から六十歳までやろうと
お金も貯めようと 健康にも注意しようと
それから 私が特に意識したのは対人関係ですね
やっぱり六十過ぎて 社会から後退して
社会の人と縁がなくなっては駄目だと言うことで
そういうことも積極的にやりました
そして六十 まぁ実際は六十三が私は定年だったんですけど
六十ぐらいで定年退職して 九十歳まで三十年間
これをまた第二の人生の 私の人生そのものにしよう
つまり仕事を中心とした人生にしようと
これはちょうど 二十歳から五十歳の三十年間
と同じ三十年間を 一応設定したんですね
六十歳から九十歳
だけどその頃はまだ平均寿命も七十
まぁ男の平均寿命なんて
七十ちょっと 超したぐらいでしたからね
ですから 本当に自分が
九十まで働けるかっていうのはあったけど
まぁまぁ とにかく計画ですからね
計画ってのは 将来のことですから
それで 六十から九十までの三十年間を
二十歳から五十歳までの三十年間と
同じように働こうということで
六十歳からあるところに勤めて それで七十歳までそこで勤めて
そこで本当に定年になって
また ずーっとそこで設計がありましてね 僕の
結構 設計うまく行ったんですけども
今から考えたら 反省事項が多いんですよ
だけども そういう計画を立てました
それで九十歳から百歳は
これはやっぱり疲れるから 家でぼんやりしてようかと
孫の世話でもしてようかと
孫ったって その頃孫はもう二十歳ぐらいになって
下手したら ひ孫がいるかもしれませんからね
そういう計画を立てました
それでやってみまして 私は今七十八歳なんですけども
まぁあのー 体の方はね ずーっと健康だったんです
私はもう四十二までは 病気のし続けだったんですけどね
五十歳ぐらいから元気になりまして
四十二三歳から元気になりまして
今まで元気だったんですけども
久しぶりにこの前 三十年か四十年ぶりにですね
病院に入院しましたが そういうことはあるでしょうね
それから いつ死ぬかわかりません
死ぬっていうのは 自分で選択できませんからね 時期が
向こうからお呼びが来たら 死ぬっていうわけですから
まぁ一生懸命やろうって 一生懸命やってきました
そのおかげで多分 僕は健康で活発で
現在でも 夢を持ってやってるんですね
まぁこの年で 夢を持ってつっても変ですけどね
ただ私の人生は 私の友達
つまり私の友達は ほとんど六十五ぐらいで引退して
あとは家にいる人が多いんですよ
そうすると やっぱりね
歩き方もよぼよぼになってきますしね
病気も しがちになってきますね
それから何をもとでも 不満が多くなってきますよ
だからあってですね 友達とビールなんか飲むとですね
まず不満が出てきますね
これは不満が出てくるのは
自分にすることがないからなんですね
周りもいじめるんですよ お前免許証もやめろとかね
お前老人じゃないか いやその人だってね
あなただって百歳まで生きるのよって
言いたくなっちゃうんですけどね
社会は他人の生きてるのを
非難するっていうのはあんまりよくないですね
ですからまぁ 同窓会なんかやるとみんなよぼよぼしてますよ
私はそれに比べれば 昔はね
私が よぼよぼしてたんですけど
やっぱりそういう人生計画を持ってますので
やっぱり やりがいがありますね
それからやっぱり何をおいても第一の人生 若い頃はやっぱり
自分が 俺が俺がっていう感じがありましたが
まぁ僕の 今の私は全くありません
本当にね 信じられないぐらい人のためなんですね
年取ってますからね
電車に乗ると座りたくなったりしますが
昔よりか座りたくないですよ
まぁ若くて疲れていそうな人がいたら
まぁどうぞという感じがありますねー
その点では やっぱり
第二の人生の設計を持つことっていうのは大切ですね
私はテニスっていうのは ほとんど若い頃してないんですが
テニスを始めたのは 七十二歳ですからね
ですから そういう気持ちにもなるんですよ
要するに 若々しく五十歳から百歳までは生きれる
その第二の人生を設計して その設計図を持っている
僕の感じはね 四十五歳は全く遅かったですよ
多分 四十でも遅いですね
ですからまぁ このブログをご覧の人は
四十 三十五ぐらいから
第二の人生の設計をされたらいいし
しかしそれに基づいた やっぱり社会の体制が必要なんですよ
だって無理やりに 定年させられたりね
老人は免許証が取れないとか
いろんな制約を設けられたら もうダメですもんね
あの この前はブログでお話した ある大きな市の
高齢者対策の時に僕が
高齢者は市民じゃないんですかって言ったわけですよ
あの市はね 人事部長がすごく偉くて
どうなったかっていうとですね
そこの市で採用する人間の定年を
八十歳にしたんですよ 一気に
六十歳から やっぱりそれね
僕はあのー これからの世界っていうのはね
老人だから排斥するっていうのは 駄目だと思うんですよ
老人も人生だと それをやっぱり
みんなで認めて みんなで朗らかに
それから老人の方も ブツブツ文句言ったり
汚い格好をしたりしてるんじゃなくて
ちゃんと髪の毛も染めて きちっと整髪して
そして ちゃんとした格好で歩く
お互いに 楽しくやろうじゃないかという社会を作っていく
これには やっぱりどうしても
政治が関与しなきゃいけませんので
今度 参政党が出てくれたらですね
その力で やっぱり第二の人生の設計も
参政党の主力の政策の一つとして
やりたいなという風に思っています
やってほしいなっていうと ちょっと第三者的なんでね
自分でやるぞと いうような感じであります
2022年1月17日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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