本日の収穫(3365文字)
今年のヒバリクラブはですね
基本と嘘っていうのを
主たるテーマにしてやろうと思うんですけど
こんなのは 一か月も続かないかもしれませんけどね
基本っていうのはここで言ってるのは 宗教とは何か
人生とは何か 男女とは何か 幸福とは何かっていう
やっぱり基本をですね これはね
繰り返し繰り返し こう聞いたり考えたり
それから 気の合う仲間と議論して
随分それで やっぱり幸福になると思うんですね
嘘これはねー ものすごく困るんですよ
NHKが悪いっていうのは
もう今年は言うのやめようかと思ってんですけどね
私は NHKが1972年に石油がなくなるんじゃなくて
メジャー 国際石油資本 メジャーと言ってたんですけど
それがですね
バレル2ドルの原油を20ドルに上げるためについた作戦
それを知ってたのに もう石油がなくなる
石油がなくなるって放送したためにですね
原子力の方 行っちゃってですね
いやー それは大変だと
日本は石油なくなったら もうみんなが寒さに震えるし
自動車に乗れないし 大変だっつって原子力行って
大失敗しちゃったんですけどね
ですから 嘘というのは人を不幸にしますんでね
それで ニュースで嘘が出てきたら
やっぱり それは
このブログでやろうという風に思うんですね
だから 基本と嘘っていうのをですね
基本にして話をしていくと
今日は まぁ第一番目なので
宗教とは何かということを お話したいと思うんですが
これは どうしてかっていうとですね
宗教っていう言葉自身が日本にはない言葉なんですよ 実は
教えというのはですね
誰か教える人がいて 教えっていうのがあるわけですね
ですから まぁ基本的には一神教といいますか
ユダヤ教 それからキリスト教
それで イスラム教というこの三つがですね
同じ宗教なんですけども
同じ宗教の 分派みたいなもんなんですけども
それが正に教えなんですね 神の教え
つまり神様がいて
それを教えるという感じなんですね
それは 仏教でもそうじゃないかっていうと
実はちょっと仏教は違ってですね
お釈迦様のことを よーく勉強しますとですね
お釈迦様は あれ宗教家じゃないですね
どう見たって哲学者で
人生とはどういうものであるかっていうことを
非常にレベル高く お話になったということなんですね
ただ お釈迦様とイエスキリストってのは
非常に こう近いっていうかですね
まぁこれは私が感じるばかりでなくて
バートランド・ラッセル だったと思うんですが
イギリスの二十世紀の
大きな哲学者が 宗教は宗教はつったかな
えーとまぁ 日本語じゃないんで難しいんですが
お釈迦様で生まれて
イエスで死んだと言ってるぐらいでですね
本当に宗教の真髄っていうのは
紀元前五百年から紀元まで 紀元0年まで
という感じではあるんですね
日本には宗教がなかったっていうのは
どうしてかっていうとですね
日本の神様っていうのは 二つなんですよ
それは自然が神様なんですね
自然は教えてくれると言えば 教えてくれるんですが
それは自然という姿を以て 教えてくれてるだけで
自然がですね 言葉でこうだ あーだとは言わないわけですね
ですから キリスト教の様に聖書があるとか
イスラム教の様にコーラン
最近コーランって言わないんですけれども
コーランがあるとか いうようなことではないんですね
具体的な教えはないんです 自然ですから
それから祖先が もう一つの神様なんですね
祖先っていうのも
ご先祖様が言ったことってのはあるんですけど
やっぱりこれも抽象的でですね ないんです
したがって 例えば神道
日本の基本的な宗教っていうのは
宗教っていうかそういったもの
心の支えっていうものは 神道だけではないんですけども
神道でも 神教とは言ってないんですね
それで神道は 宗教じゃないとよく言われるんです
それは 宗教っていうのは教祖がいて 経典があって
戒律があること っていうことなんですね
これが宗教の三要件なんですよ
それは当然で 教えを我々受けるわけですからね
教えを受けるっていうことは 教祖がいて
教祖が教えを言うわけですから
それが神様にあるにしても
預言者でもですね 教えがあるわけです
それから 経典がやっぱりあるわけですね
それを書き記したものがあるわけですから
聖書なり コーランなりがあるわけですね
それから 戒律がある
つまり守るべきことっていうのがあって
その教えを実際にこう ポンコツである人間が覚えるには
やはり戒律がなきゃいけない
何時何分には どっちの方向を向いて祈りをするとか
これはイスラムですね
それからクリスマスには こういうことを祈るとか
毎週土曜日の夕方とか 日曜日の朝のミサに行って
教会で牧師様の言うことを聞く
これは戒律といえないでしょうけど
そういった決まり事があるわけですが
もちろん神道には何もない
これは神道自身は やや宗教的なんですけれども
そのもとになる 日本人の宗教観っていうか
人間観 宗教っていう言葉じゃないんでね
言葉はないんで ややこしいんですけども
日本の言わば 宗教に相当するものは
自然と祖先なわけですから あるとすれば
例えばお天道様の前では 噓をつきませんとかですね
それから あなたそんなこと言っていいんですか
ご先祖様が見てますよ 聞いてますよといったような
そういうことで 日本の道徳
生きる道というのが教えられているわけですね
その意味では ノーベル賞に輝いた
素晴らしい文学があるわけですけれども
そういったヨーロッパの文学ですね それを読みますとね
宗教を持っていない つまりキリスト教を信じてないとか
そういう宗教を持っていない 無神教の人はですね
道徳を守ることができないから 危険であると
カミュの異邦人なんかはですね
それをテーマにしているわけですね
それで非常に見事に 割合と薄い本ですけども
見事に描いている
つまり宗教 神が人を殺してはいけないとか
そういうことを教えていただけるので それで人間は
人間としての道徳を守れると そういう考え方なんですが
日本人の場合は
よく私は無宗教ですっていうんですけれども
これは 外国人に言っちゃいけませんね
外国人に無宗教っていうと
本当に無宗教だと思っちゃうんですよ
ですから日本人の神
私の神様は自然と それから祖先ですと
いう風に言うのは正しくて
やっぱり神様はいますと 神様を拝みますと
お正月になると 外に出てお天道様に手を合わせますと
これは自然を象徴しているわけですね
本当は自然っていうのは 山であり川であり
海であり稲でありキツネであるわけですけども
それらは全部で私が生きている 私たちが生きている
生きている原動力は 自然であるという
日本の古代の人たちの 非常に鋭い頭脳ですね
それがあったわけです
それからもう一つは 千年も経ちますと
約三億人の人の遺伝子が混ざります 計算上はですね
ですから 日本は
まぁ三千万人ぐらいしかいませんでしたから
八百年ぐらいで 一回混ざるわけですね
日本の歴史っていうのは まぁ短く言っても八千年ぐらい
長く言えば 三万年ぐらいありましたから
日本人は周りが海で 島国でもありましてね
何回も何回も 混ざってるもんですから
日本人ってのは 全員が兄弟なんですね
同じ人間と言ってもいいわけです
だから自分とですね 他人っていうのは
区別しちゃいけないわけですね
自分と他人は同じ人だと
これは行き過ぎますとね ちょっと団体的な色彩があったり
村八分的なことが起こったりしますので
これはあのー 人間の心の中にある邪悪な部分
っていうと ちょっと言い過ぎなんですが
そういった部分が出てしまうわけですね
ですけども 少なくとも個人主義というように
個人を大切にするよりかは 日本人の考え方
お天道様 つまり自然とご祖先様を神として崇め
全員が日本人であるという中で 生きていくと
いうのは立派な 言わば宗教なんですね
ですから 日本人の宗教とは
何かっていうと 正にその通り
それから日本でも 弘法大師が中国から仏教を持ってきて
それで やがて親鸞聖人のように
ものすごく偉い人が出てきましてね
もちろん親鸞聖人以外でも
栄西様でも道元様でも日蓮様でも みんな同じですけどね
そういった その偉い人
明治以降にも そういう偉い人がおられるんですが
そういう人に言われたことも 教えの一つなんですが
しかし日本は それを教えとはとらないということですね
それから一神教っていうのが その他にあるということで
これは ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は全く同じ
神様は全く同じですからね
そういう風に頭の中を整理して
宗教とは 何かということ
それから自分はどう生きるべきかということを
まぁ考えるべきでないかと いう風に私は思います
2022年1月2日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦
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