2022/01/28

基本的な人生設計(3) 家庭や絡合と個人 (武田邦彦先生)




本日の収穫(3736文字) 

社会の変化っていうのは
非常に大きくてですね
このブログで何回か言いましたけども
今から七十年前 戦争が終わった時は
日本人の平均寿命は五十歳だと
それで女性はですね
冷蔵庫も洗濯機もないんで
一日中洗濯したり
日に二回か三回 買い物行かないと
いけないというような時代でしたからね
それはもう男性もそうで
ぎゅうぎゅうの満員電車に乗って
やっとこう働くというね
そういう時代でしたから
それから現在と比べると随分違うんですよ
ですから本来は1990年
バブルが崩壊した時にですね
新しい政治っていうのは
できなきゃいけなかった
それをカバーするために
さきがけだとか
社会党の政権も一回ありましたしね
それから色んな合併した政権もありました
細川首相とかですね
なかなかうまく行かなかった
それから2009年には民主党も出てきた
しかし民主党政権の三年間は
皆さんのご存知の通りですね
やはり色んな問題点があった
なぜか?それはですね
時代が変わったのに
同じ人がやってるからなんですよ
だからその
少し名前だけ変えてね やったって
それは変わらないわけですね
それはその人たちが
悪いわけじゃないんですよ
悪いわけじゃなくて
どうしても人間っていうのはですね
長い間一緒に何か同じことを
やっていくっていうことは
やっぱりなかなか無理なんですね
年取ってきますから
もちろんその年取っていくには
それなりのその若い人を
出していくとかいうことができます
だけどやはり どっちかって言うと
現在みたいに自分の子供に
担当させようとかいうことになりましてね
それは一番最初に作った時は
二世議員なんてもちろんいませんよ
だって一生議員がいないんだから
まずそこで
新しいやっぱり活力が生まれるわけですね
それから人間ってのはどうしてもね
長く住んでると
しがらみっていいますかね
垢っていうかですね
そういうのがつくんですよ
これはもう人間というものが
そういうもんですね
イエスキリストもそう言ってますね
人との付き合いは
できるだけ浅くしなきゃいけないんだ
もちろんそれは深くしていいんですよ
深くしてもいいけど
深くすれば問題が生じるということは
意識してなきゃいけないって
おっしゃってますよね
そういうことで もう今や駄目なんですね
ですから五十年の人生が百年になり
女性と男性が
ほぼ同じような生活をするようになり
子供の教育環境も随分変わってきた
っていう中で基本的な人生設計の一番は
第一の人生ゼロ歳から五十歳まで
それから第二の人生
五十歳から百歳までというのを考えました
それから第二番目はですね
仕事という意味で
みんながみんなで一緒にやりましょう
っていう日本型ですね
力づくではない
例えば会社ですと従業員が中心だと
そういう社会から
ヨーロッパ・アメリカの文明が入ってきて
それをやはりどうしてもそれを
政府が採用して現在の商法のように
なんか会社が株主のものだと
そんなことが公に言われるような
貧弱な文化に落ちてしまった
もちろん男女関係家庭夫婦
子供との関係も大きく変わりましたね
だって大家族の生活から
夫婦単位の生活に変わったわけですよ
それにしてはね
やっぱり政治的体制が
すごく遅れてるわけですよ
年金の問題にしても
それからもちろん現在は
女性の賃金が
男性のちょうど半分ですけどね
忙しいのはどっちかっていったら
やっぱり女性なんですよ
そういったこと それから
子供はやっぱりいじめなんかがある
赤ちゃんも簡単に保育所に預けられる
だけど赤ちゃんの
それに対する発達だとか
発達障害の問題だとか そういったものは
まだ解決されてない
山ほどあるんですね
それで基本的な人生設計っていうのを
一つは高齢化の問題ですね
第二の人生の問題
第二の人生は女性ではね もう子供を
結婚する子どもを産む
子供を育てるっていうのは
ほとんどないわけですから
新しく考えなきゃいけない
男性であれば定年になってね
全然違う生活に入るわけですから
しかし第二の人生の五十年間
五十歳から百歳までの計画っていうか
そういうものが
ほとんどないという現状ではね
やはりうまくは行かないんですね
もちろん子供の問題もそうであります
そしてそのそれを解く鍵は
やはり日本文化であり
日本文化でもその中心となるのは
絡合という概念なわけですね
絡合っていうのは あんまり
聞いたことないっていうんですけど
これは空気を読むとかですね
それから集団性とかいうのと一緒で
生物ってのはですね
随分昔三十億年とか四十億年とか前に
誕生したと思われるんですが
その後は単細胞生物つって
細胞が一つだったんですよ
細胞と細胞の間が
うまく繋がらなかったんですね
ですから皆さんの
簡単にいわゆるアメーバですよね
一つの細胞でにょろにょろと
地面を這って歩くと
目も勿論ない
何で目がないかっていうと
目を作るためには
目という細胞が必要ですからね
ですから体の細胞の他に
目という細胞を作んなきゃなんない
足も作って歩けるようにするんだったら
足の細胞を作んなきゃなんない
足の形も必要だ
そうすると細胞がどうしても多くないと
目があったり
頭で考えたり足で歩いたり
手で何かものを
扱ったりできませんよね
だから人間は六十兆個と言われるんですが
そういうものすごく多数の細胞で
できるようにした
ただ今でもですね
人間はもちろんのこと
もっと下等生物でも
細胞と細胞の間が何で繋がってるのか
なんで自分は足の細胞だと
思ってんのかってわかんないんですよね
実はこれも絡合なんですよ
細胞と細胞の間の関係
それから多細胞生物ができて
非常に具合がいいので
目も見えるようになり
歩けるようになったので繁栄するわけです
それが大体五億年前なんですね
だけどすぐそれよりかですね
多細胞生物が集団になった方がいいと
いうことに気が付くんですね
例えばイワシだったら集団になる
集団になればイワシみたいな弱い生物でも
あんまり被害を受けない
もちろん強い生物でも集団になった方がいい
強い生物はちょっと集団が少ないですけどね
例えばライオンでも
やっぱり一匹じゃなくて十匹ぐらいでいる
もちろん個別で生活している生物とか
動物もいるんですけど数が少ないですね
しかしこれは動物ばかりじゃないんですよ
植物もそうなんですよね
植物のひまわり畑
ひまわり畑じゃなくてもですね
松林つったら松が割合と集合してるし
杉つったら杉だし
それから草もですね
似たような草が集団で生えてるんですよ
つまり多細胞生物が
さらに集団になった方が
生物が幸福になるということは
もう四億年ぐらい前にわかったんですよね
しかし今わかってないのは学問的に
その多細胞生物
個体の多細胞生物と多細胞生物が
どういう力でとか連絡をしているかが
わかんないっていうだけなんですよ
それを絡合というわけですね
だからそれは まだわかんないので
科学的に解明されてないんですけど
現象はもうはっきりしてるんですよ
事実ははっきりしてるわけですね
細胞と細胞の間
個体と個体の間が連絡しながら
我々は生きている
植物でもそうだ
動物はもちろんそうだと
いうことなんですね
だから絡合という力がわからないから
絡合っていうのはないのだという
そういう極端な議論があるんですけど
それは自分たちが知ってるか
知ってないかっていうのと
事実がどうであるかってのは
別ですからね
ですから
この絡合で今苦労してるのが
家庭であり
つまり離婚とかそういうのですね
親子関係であり
それから学校もそうだ
いじめもそうですね
戦争もそうですよ
これは二つ大きくありましたね 文化が
インドから日本に渡る太平洋側ですね
アジアの太平洋側は
最初から絡合っていう意識があるんですね
それはお釈迦様も絡合なんですよ
お釈迦様のお話を聞くと
もう絡合のことばっかり言っておられますよ
絡合がなきゃ駄目なんだって言ってます
ところがそれに対して
ヨーロッパ系の文化はですね
イエス様ぐらいまでは
絡合ってあったんですけども
イギリスの
バートランド・ラッセルが言ってるように
ヨーロッパ文化っていうのは
イエスキリストで終わったと言ってるのは
実は絡合という人間の幸福に
一番大きな影響を及ぼすことをですね
その無視して個人主義って
いうことになったわけですね
そこで力づくの社会っていうのを
作るわけですよ
金持ちの方がいい
東大出てる方がいい
体が強い方がいいって
いう風になるわけですね
ところが日本は違うんですね
日本は インド日本はですね
みんなで幸福になろう
幸福になるっていうのは
みんなで幸福になる以外に
幸福になりようが
ないんだっていうことなんですね
これはまぁ戦争ありましたが
戦争の前の日本までは
そういう文化がありました
だから日本人は幸福だったんですよ
日本人が平安時代から鎌倉
ずっと幸福だったっていうのは
歴史を見ればよーくわかりますね
それを今崩してるんですよ
どんどんどんどん崩してます
それが現在の女性の苦しみでもあり
年寄りの苦しみでもあり
子供達がいじめられる
苦しみにもなってるわけです
これを政治的にもどうしても
根本から改正しなきゃいけません
この問題は非常に大きいので
今日だけでは到底できないのでですね
これは日本文化とか
それから日本の技術とか
日本人の考え方っていうのを
じっくり学んでからでなきゃ
よく理解ができないので
少し後の方に回してですね
別立てで詳しく
どういう政策を取るべきか
我々はどういう風に
考えていくべきかということを
検討して整理していきたいと思っています

2022年1月25日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

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