本日の収穫(3338文字)
技術の政策についてですね 話してみますと
いろいろやっぱり
難しいことがあるっていうことがわかりましてね
この四回目で一応の区切りをつけますが
やっぱり日本の技術が良かったのはですね
日本人が技術自体の
心を持ってるってこともあるんですが
能力持ってるってこともあるんだけど
それ以外に日本の社会体制がですね
技術者を保護するような方向で
つまり技術が日本の
非常に重要な因って来たるところなんだと
モンゴルが攻めてきても技術で勝てる
植民地にならなかった
スペイン・ポルトガルが来ても
ポルトガルから鉄砲は知ったんだけど
それを凌駕する鉄砲ができる
というですね そういう様な
それで植民地を防ぐと
そういう様なそのことなんですね
明治時代でもそうなんですね
明治時代の時ですね
やはり日本は
技術立国であるという意識がありましてね
そのために大鳥圭介が演説をして東京大学工学部
それから東京大学の中に西洋美術を入れて
西洋美術で製図学を学ぶというようなですね
非常に はっきりとした政策があったんですね
もう一つはですね 日本の技術が進んだのは
やっぱり大工の棟梁制度とかですね
寿司屋の専門家制度というようなものがですね
日本の技術をカバーしたんですよね
育てていったんです
それで明治時代に入ってもですね
技術職を出た人間は生涯賃金が
事務系よりか十パーセント高くなるように
政府指導で設計されておりましたね
ですから技術関係の大学行くにはですね
ちょっと高いんですよ 授業料が
今でも多分ですね 技術系の大学行くんだったら
年に八十万ぐらいかかるのが
事務系だったら五十万ぐらいとかですね
やっぱり平均して事務系の方が安いんですね
だからそれに応じて
やっぱり給料高くせんといかん
今は逆になってますね
最初のうちは技術系の事務系の会社に入って
二十年ぐらい一緒なんですけど
それからやっぱり事務系の方が
平均賃金が上がってくるんですね
ですから社会体制全体もこれ政治の力でですね
技術者が日本のやっぱり生命線である
ってことをはっきりしてですね
そして技術者の
概念の復活をしなければいけないと思います
それの一番典型的なものが
建築士と医師にあらわれていますね
建築士はですね
昔は日本は棟梁と言いましてですね
それで技術の伝統が守られておりました
どういうのかっていうとですね
例えば家を建てる時に棟梁に頼む時に
四畳半を作ってくれとか
六畳を作ってくれとかですね
外見はこうしてください
なんて言わないんですよ
言わないのはどういう風に
言うかっていったらですね
自分はこういう人生を送りたい
こういうような考えを持ってる
夫婦の間はこういう夫婦でありたい
子供の教育はこうしたいと棟梁に言うんですよ
今は違いますよね
間取りだとかそういうのを詳しく言いますね
違うんですね 棟梁が専門家なんですよ
そうすると棟梁がわかったと
じゃあ あなたの人生を幸福に過ごすための家を
自分が作りましょうということなんですよ
それで これ全然考えが違いますよね
それで山に木を見に行って
自分がその依頼人のことを
達成できるような木を選んできて
それで切り出して家を作ると
こういうことなんですね
この技術者の専門知識を
十二分に生かすっていう点ではですね
建築士ばかりじゃなくて
寿司屋の職人もそうなんですね
基本的には寿司屋に行きますとね
これはまだ日本の伝統が生きてるんですけども
大将握ってくれよって言えばいいんです
そうすると大将はですね いつも来る客なんで
顔つきだとか食べ方を見ながらですね
今日その人がどのくらいの魚を
どのくらい食べたいかっていうことが
それがその寿司屋の職人の技術なんですよ
だから発展するんです
だから包丁の捌き方も素晴らしくなるんですね
それから自分の技術に対する
信念が非常に高いんで
まかり間違っても寿司屋の職人がですね
自分が使ってる包丁で
人を殺めたりはしないんですよ っていうのは
彼にとっては 寿司屋の職人にとって
包丁はもう本当に
ものすごく神聖なものなんですね
そういう一連の社会もそういう風に見る
それから本人もそう思ってるっていうのが
実は日本の技術の素晴らしさを
支えておりました
ところが建築についてはですね
棟梁のそういう立派さですね
いや間取りは俺が決めるんだと
間取りなんつうのは言ってもらっては困るんだ
俺は専門家なんだと いうような意識が
明治の初めに駄目になってですね
設計と施行が分離されちゃったんですよ
設計する人は設計 施工する人は施工
それで今はもう
建築の専門の先生でもですね 学生にですね
クライアントつまり
依頼主の要求に合うようにというような
教育をしてる場合もあるんですね
これは実はヨーロッパは
昔そうだったんですけど
ヨーロッパは日本のものを真似てですね
現在では Architect
アメリカでですね
二万人ぐらいしかいないんですよ
一級建築士は二十五万ぐらいいるんですね
これはなぜかっていったら
アメリカはまだですね
建築史が専門家なんですよ
だから専門家だから街並みを考えて
その人の希望を聞くんです
だからアメリカとかフランスの方が逆にですね
日本よりかは街並みが揃ってるんですよ
日本の古い街並みはみんな揃ってますよね
あれは棟梁がですね
その人の生活全体を考えるわけですよ
その人も家の中だけで生活してるわけじゃなくて
依頼主ですね 外にも出るんですよ
外に出た時に道路から街並みが
綺麗に見えなきゃいけないですね
だから日本の街並みっていうのは
棟梁がやりましたから
今だったら 例えば有名なところでは
倉敷の川のほとりとかですね
杵築だったかな なんかの武家屋敷の跡とか
そういうのを見ると非常に揃ってますね
これは棟梁が
専門家であったっていうことなんですよ
それから医師もそうですね
病気だからっていって
医師に注射を打ってくださいとか
あの注射を打ってください
あの薬を出してくださいって言わないんですね
症状を言うだけなんですよ
症状を言って希望はいいますね
そうすると医師が自分の判断で
この病気は多分こうだ
注射を打つ必要があるか
薬を出す必要があるかと考えるわけですね
だからヒポクラテスの
ギリシャの時代からそうなんですが
医師とか建築士とか
もちろんこれは会社の技術者もそうだし
広く言えばタクシーの運転手とか
それから寿司の職人とかですね
日本流の技術という
技術者の待遇とか考え方があるわけですね
ところが最近は建築士はですね
クライアントの言うことを聞いてしまう
医師は今度の
色んな疫病なんかについても同じですね
医師は所得のことを収入だけ考える
大体元々医者になろうっていうのが
将来儲かるから医者になろうっていうんで
医学の大学の偏差値が
高くなったりしているわけですから
そういう点ではですね やっぱり通常の
技術者の十パーセント増ぐらいに決めて
あと寿司屋の職人とか
タクシーの運転手も含めてですね
建築士 医師そういうところの人たちがですね
クライアントの希望はですね
本当に人生の希望を聞く
病気を治してくれということは言うんだけど
何を具体的に注射を打ってくれ
どの薬をくれってことは言わないと
これがですね やっぱり日本が
実は日本が育てた専門家の技術を
日本の技術を高めた
大きなソフト面での制度なんですよ
これをですね もう一回これはね
ドイツでは ヨーロッパですとドイツですね
ギルド制度 このギルド制度っていうのは
非常に似てるんですね
例えば大学教授ですと
大学教授は教授会が選任するんですね
だから学長とか理事長でも
大学教授を首にすることができない
医師もそうですね
医師も医師会が何かの決定すればできる
だけど雇い主の 例えば病院の理事長が医師を
高い薬を使ってくれないから
解雇するっていうことはできない
この専門職の身分保障と
それから仲間が認めていること
いうことはやっぱりドイツなんかは
やっぱり日本と一緒にですね
世界における技術は
非常に誇るべきものがあるんですが
日本人そのものが技術に対して良いと
それから社会的にも待遇が受けられると
そこに政府も注力をすると それから最後は
技術者自身の社会的な位置付けとか
待遇とか考え方
そういったものが相まってですね
やっぱり日本が技術が冠たるものになるわけで
非常にこの浅い考えで ただ技術が
良ければいいやというようなことではですね
やっぱりそれは 技術ってのは一人一人の
技術者のレベルが問題になりますからね
そこが重要なことだと思います
2022年2月8日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦 先生
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