本日の収穫(3606文字)
去年の夏頃ですかね から
私は色んなきっかけがありまして
それは参政党の関係もあるし
それからそれで日本全体のことを考えたり
それから幸せ砂時計っていうのを
去年の正月ぐらいから始めてですね
皆さんの色んな
悩みっていうのを聞いたりしますと
だんだんだんだん
こう色々考えることが多くなって
普段からかなり私よく考えてる方だと
思ってはいたんですが
大きなところをこうちょっと
まだ未開拓であったということがわかったんですね
それはですね 我々は
日本人なもんですから当たり前なんですけども
対人関係にしても
学問にしても政治にしても
日本人という考え方は基礎になってるわけですね
当たり前ですけどね
一番私がその典型的に言ってるのは
お天道様の下では嘘をつかない
こんなのはもう諸外国には
全くないんですね 日本だけなんですね
三菱商事の専務さんが
なんかの会食の時に私に言ったこと
つまり海外の事務所
小さな事務所が幾らでもあるでしょうね
三菱商事ぐらいになりますと
そこからの資金回収っていうのはですね
日本人の事務所だったらもう絶対に大丈夫だと
絶対にごまかさないで資金が回収できると
ところが外国の外国人のやってる事務所って言ったら
資金回収にものすごい大変だと
何かあったらすぐごまかして
ごまかそうとしていると
ところが不思議なことにその外国人だけで
まぁ五名か十名ぐらいでやってる事務所に
日本人を一人入れると
その事務所はもう
ごまかしをしなくなるっていうんですね
それでその専務さんは私にですね
日本人の力って凄いですねって
そういう感想を述べておられました
そういうこともあれこれあって夏頃から
一体我々は何が原因で不幸になってんだろうか
ここ三十年間ほとんど
日本っていうのは発展せずに
年収四百六十万 平均四百六十万で推移し
その間に消費税が十パーセントになりましたから
実質可処分所得っていうのは九十パーセント
つまり給料減っちゃったと
いうことになったわけですね
こういったその人間関係のもつれとか
色んなトラブルがですね こうずっと考えてると
我々は日本人というのを錯覚してるからだと
そういう今のところ結論に達しまして
まぁこれからこの炉端の話
もしくはこの話は参政党でも
色々議論しなきゃいけないものなんですが
勿論当たり前ですけど
己を知れば百戦殆からずということでですね
やはり自分を知るっていうことが
極めて大切だっていうことは
もう古今東西言われてるわけですね
今日は日本人とはなにかの1でですね
全く逆に錯覚してる何を錯覚してるってことに
私が気がついたかっていうと
これ気がついたのは十月か十一月頃でしょうかね
その頃 あ!そうかって一つ気がついたのが
その全く逆だったっていうことですね
何が逆かっていうと
なんか日本人っていうと同調圧力があるとか
それから自分で決定できないとか
意志が弱いとか集団としてはいいとか
真面目で規則を守るとか
そういうイメージがあるんですけれども
これは全く逆だったっていうことですね
日本人はですね 非常に自分でものを考え
自分で自分を作っていくっていうことができる
逆に外国人ってのは
ここで言ってる外国人は
中国・中東・ヨーロッパ・アメリカ
なんか大陸国なんですが
その人達は自分ではわからずに
他人から教えてもらって
初めてわかるっていう風に
私のこうぼんやりとした日本人とは何かって
いうことの全く逆だったってことですね
それの一番いい例が日本の宗教っていうか
宗教っていうとこれ日本語じゃないんですね
もちろん宗教って日本語ですけど
宗教っていう宗というのは
まぁ心みたいなもんですね
それからなんていうか起立みたいなものですね
それから教っていうのは
教えるっていうわけですね
だから宗教っていうのは 例えばお釈迦様が
お釈迦様は直接的には
仏教を作られたわけじゃないんですが
それの礎ほとんど
百パーセントの礎を作られたという意味では
仏教の教祖と言っても悪くはないんですが
お釈迦様の教えを聞く
これが仏教ですね 仏の教えですね
それからイエス様の教えを聞く
これがキリスト教ですね
ユダヤ教と区別しますと
新約聖書の教えということになりますね
もちろんイスラム教も同じですね
これは教えという字がついてるのは
人間は教えてもらって
初めてわかるっていうことが
前提になってるんですね
生まれてそのままほっといたら
野獣になる だけども
ありがたい方のお話を聞いてそれを
教えを受ければ
本当に立派な人間になるっていう考え方
これはもう人類共通の考え方なんですね
ところが日本には実は
宗教っていうのはなかったんですよ
日本で宗教という言葉が使われ始めたのは
今でいう宗派なんですね
法然上人とか親鸞聖人とか日蓮聖人とか
こういう偉い方が現れて
そして教えてくれる
それをこう畳の上に座ったり
板の間に座ったりして聞いて
覚えるっていうのは
中心は鎌倉時代 それよりかちょっと前
もちろん平安の後期にもあったんですが
それができたわけで
今は我々はそれを宗派と言ってますけども
元々はこれを宗教と言って教えですね
じゃその前は何だったか
日本に宗教がないっていうけど
宗教の教ってのは何だったかっていうとですね
それは実は天然自然と
それからご先祖様の二つだったんですね
自然というのは太陽にしても山にしても
川・海・キツネ・熊
何も教えてくれません 黙ってますね
まぁ熊とかキツネは少し泣いたり
吠えたりするでしょうけど言葉ではない
もちろん太陽とか山とか川は何でもない
しかし我々は太陽をじーっと見てる
太陽の光を浴びているとですね
ああ人生は嘘をついちゃいけないんだなっていう
自分の気持ちって言いますか
頭っていうかですね それが整理できる
それがまた日本人で
ほとんどの人は同じことを思う
これは遺伝子と
生活環境のもたらすことだと思いますが
そこでほとんどの人は太陽の下で嘘をつかない
ということに同意するということになるんですね
つまりこれは私のその後の言い方ですね
そうですね
こういった考えがまとまってきたのは
十一月頃なんですが
今では能動的信仰と僕呼んでるんですね
つまり自分で信仰を作る
つまり受動的信仰っていうのがその逆なんですが
仏様のお釈迦様のお話を聞く
イエス様のお話を聞いて受動的にそれを信ずる
だから宗教には
信じるか信じないかっていうのが
その一番の眼目になるわけですね
ところが日本の場合はですね
お天道様を見てればいいわけですね
そうするとお天道様が何も言わないのに
この世の中で嘘をつくのは良くないことだ
あなたはもし嘘がついたらお天道様の
あのほのぼのとしたぬるい暖かさ
日向ぼっこの暖かさはもう来ないよという風に
お天道様が言ってるように思う
だからお天道様に手を合わせ
お天道様の下では嘘をつかないとこう言うと
それから恩という概念ですね
あの人から恩を受けた
それから日本の自然から恩を受けた
お天道様のおかげで稲が育った
こういうことに対して自分はちゃんと
その恩を返さんといかんっていうのは
またこれは日本人に
非常に強い意識なんですね
これはご先祖様もそうで
ご先祖様が頑張ってくれた
だから私はその恩を返さなければいけない
っていうのも非常に似てるわけですね
この恩というのはですね
恐らくっていうか私の知ってる範囲では
少なくとも英語圏にはありません
契約とかですね 損得とかですね
そういうのはありますが
恩という非常に抽象的で
かつ深い内容のものはありません
したがって今ウクライナへの
ロシアの侵攻がありますが
ロシア人は恩を知らない
なんて言って怒ってる人がいますが
いやいやあの別にあのー
日本以外の民族は恩を知らないんですね
ですからどっちかっていうと
日本人から見ると豹変する
自分が得になるように
豹変するように見えるわけですね
これ何で豹変するように
見えるかっていうとですね
別に彼ら豹変してるわけじゃないんですね
恩という考え方がないので
その時その時の都合のいい方向に舵を切る
というだけでまともにやってるんですよね
別に悪い人でも何でもないんですよ
それで一時僕は英語の先生にですね
英語で恩というのはどういう風に
言えばいいですかと聞いたらですね
英語には恩という単語はないと
だからもっと具体的に
例えばあの人に
こういうことをしてもらったんで
こういうことを返さなきゃいけないとかいうように
言わなきゃ駄目だって言われてですね
なるほどなとこう思ったんですが
まぁその後も二十回ぐらいはですね
とあるそういう時に差し掛かると
私はどうも英語で
恩という単語が思い浮かばないんですけど
試しに言ってみても
誰もまだ返事をしてくれないところ見ると
民族が違うから当然なんですが
英語には恩という言葉がない
中国もないですね
そういう意味では何て言うかな日本っていうのが
日本人っていうのの基本がですね
自分で自分の人生 人間それから宗教 道徳
こういったものを自分で作っていく
つまり今まで全く付和雷同型であると
考えられた日本人は
実は世界で例えば
唯一の能動的な人種ではないか
これが混乱の原因ではないかっていうのが
最近の私の考えです
2022年2月28日
#武田邦彦 先生
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