2021/11/27

「幸福」の「構造」1:幸福は学問 幸福には学問がある 心理学、宗教などと生物などが必要 断片はあるけれど体系化されていない その意味で教育と似ている 本来は学校で習うものだ (武田邦彦)


 

今日はですね 幸福 幸福論っていうか幸福ですね 幸福についての 幸福の構造論っていうのを 少しやってみたいと思いますが 一番このポイントはですね 幸福っていうのは 幸福学というのがあってもいいぐらい 非常に幅が広くて深い学問なんですね ところが幸福っていうのは なにかですね 思いつきのように思われててですね 例えば小学校中学校高等学校大学の講義を受けたら その中から人生を幸福に生きる方法っていうのは 方法とか考え方ですね それから幸福とは一体なにかとか そういうことが 自然に湧いてくるように まぁ思っていてですね 学校教育もそういうのが そういうことがあって 幸福学とか幸福の時間ってないんですよね 国語とか算数とかそういう事を勉強すると 幸福というのが自動的に思い浮かんでくる という風な構造になっておりましてね しかし 人生において幸福に人生を送るってことは ものすごく大切って言うか  もうほとんど人生そのものみたいなものな訳ですね したがって幸福は学問であるということなんですね それで それは心理学とか宗教とか お釈迦様がこう話されたとか それから心理学で このように考えられるって言うことを勉強してもですね 幸福には到達しないわけですね 幸福には到達するには生物学も入りますし まぁもちろん哲学とかそういうのは全然いるんですけども 科学的な考え方も非常に大切なんですね 総合的な判断が必要である まぁ法律なんかも大切ですし 医学はもちろん大切ですよね 病気したらダメですから だからその意味では 幸福というのが誤解されていてですね なんかあの人に聞いたら幸福になれるとか そういう感じの捉え方をされてるわけですよ これが多くの人を悩ませている訳です 特に人間関係なんかはですね 学問的知識があると 物凄く人間関係を 回避 トラブルを回避できるわけですね 結婚の問題もそうで 昨日ちょっと結婚の問題を言ったんですけど そういった問題もそうですし 家庭という問題もそうですね 歴史学も必要だし 非常に広く必要なんですね 日本学というのも必要ですね まぁ日本学というのも本当は必要なんですよね ですから 今の学校教育で国語算数理科社会 英語はいらないと思いますが かえって昔のように 美術とか音楽とか そういうものの方が歴史とかね その方が人間にとっては 必要な学問かもしれませんね その意味で とんでもなく難しい まぁ数学もですね まぁせいぜい どんなに必要でも 私は2次方程式ぐらいまで まぁ組み合わせなんかもあんまりいらないと いう風に私は思うんですね 数学の先生はそれ言うともの凄く怒るんですよ 怒りっぽいんですよね 数学の先生って あの数学はそんなに難しいとこまで やんなくていいんじゃないですかって言うと もの凄く怒るんですよ それは物理なんか 私が専門物理ですけど 物理もちょっと難しいとこまでやりすぎてるんですよね 化学もそうですね 何と何と反応したら何になるなんてことは 生活に必要な酸アルカリ反応とか 酸化還元反応とか そういった基礎的な反応ですね それから有機化学の本当の基本ですね それを教えるのはいいけど 有機化学でも何と何と反応させたら 何になるかなんてことは必要ないんですよね 電気陰性度とか 立体的な問題なんていうのを しっかり教えるって言う必要があるんじゃないか その意味では やっぱり教育も全部やり替えてですね まぁ皆が幸福とか健康とか法律的なトラブルとか そういうのに 巻き込まれないようなですね そういう学校教育って言うのが 必要なんじゃないかと思うんですが まぁここではそれを言っても あんまり想像的にやってくれる人がいないんで まあ断片はあるけれども 体系化されてないこの問題について 少し取り組もうかなと思っております つまりこれに似てるのが 実は教育の方法なんですね 教育の方法も 私は子供をこういう風に教育したいになんて言う 本なんかがすごく出回ってるんですけど いやまぁそれはね みんなには参考になんないんですよ 私はこうして金持ちになりましたとか 私はこうして幸福な人生送りました って言う一例を聞いてもですね やはりそれは 本筋じゃないんですね やっぱり教育学も 教育学としての基礎がいるわけです 私もあの随分大学教育って言うのを 文部省なんかと一緒にやってきましたが その過程で ある時にですね 東工大の総長がですね これは立派なこと言われました 私はもうこの席を帰りたいと なんでかって言ったら つまり退席したいと 会合ですね ちゃんとした会合だったのに退席したいと なぜならば 教育の議論になるともう 自分の経験とか そう言うのが出てきて困ると やっぱりもう少し基礎的で こういったちゃんとした識者がいるんだったら 基礎的でしっかりした議論をしたいと まぁそこでは教育の専門家がおられるのにも関わらずですね やはりそういう体験論みたいのが出てくるんですよ それで体験論と言うのはやっぱり それはそういうこともあり得るという事であってですね 決して学問的な あれじゃない体験論みたいなものでですね もし飛行機を作って飛ばしたら必ず落ちます そりゃあ 私の乗った飛行機はこうだったとか 言うんじゃなくて やっぱり綿密にデータを積み上げて それ論理的に展開してってことがないとダメな訳ですね その意味で教育と言うもの 教育学ってのはあるんですけどね まぁよく私なんかも教生って言ってですね 高等学校までの先生の教育を受けて そういう免許を持ってるんですけども まぁそういうところで習う教育原理だとか そういうものもですね 非常に浅いんですね まぁ30年前の教育学をやってるとかね たまにはこう フランスのルソーの辺りの 教育学がまだ幅を利かせてると言うのは そんな感じなんですね やっぱり本来はですね 今日は 幸福学として 学問としてたてて それを学問的に構造をきちっとすると だからこの前 私 まぁ私 幸せ砂時計っていうのを ネットでやってるわけですが 幸せ砂時計でもですね みんなの幸福は 断片的な質問で成立してると思ってるわけですね それが一番の問題なんです そこで例えば人によってはですね 幸福論という 世界の名著に入っている幸福論を読んだら 自分が幸福になるのに何か役立つんじゃないかとか 宗教家の話とか 心理学の話 心理学者なんかも そういうアプローチというか  そういう説明をしてる人がいるんですね 心理学を学べば幸福になる いやそんな事ないですね  心理学は人の心理を明らかにするわけで 心理学は幸福に至る 一つの道筋を示してくれる学問として必要ですが しかし幸福学問とは違うわけですね ですからまぁ ここでは少し しあわせ砂時計の理論版ですね まぁこの しあわせ砂時計でも少しずつ 幸福っていうのは 構造持ってって学問なんだということを 幸せ砂時計に参加してる方にはですね 示していきたいという風に思うんですね そのために今日は概論なんですけども 幸福は学問である そして 次にそういう事に触れようと思ってるんですけども 幸福がですね ヨーロッパの幸福論というのが 主流を成しているって言うとこに 日本人がまた辛いところがあるんですね ヨーロッパの幸福論と 日本の幸福論は全く違うんです それは社会の構造が違うからですね それから言葉も日本語と外国語と違いますし 社会構造そのものが違うわけですから そういう中で外国 特にヨーロッパのですね 幸福学というのを勉強してもですね それはまぁ混乱をもたらすだけだと言ったら ちょっと言い過ぎかもしれませんが そう言ってもいいぐらいなんですね むしろ混乱をもたらす 従って 目の前の人間関係とか 家庭の中の離婚の問題とか 自分の仕事の悩みとか そういうのは全く解決してくれないんですね やっぱり学問というのは 具体的に解決するためにあるわけですね 飛行機を飛ばそうと思ったら 操縦 飛行機の機体からですね 材料から破壊しちゃいけませんからね 上空で 全てのものが学問的に 高度に仕上がってないと 飛行機は飛ばないんですね それと同じように 幸福って言うのは もう飛行機よりか 更に難しいぐらいですから 幸福な人生を送るっていうことはですね 幸福の学問をしっかり基礎から勉強すると そういう意味じゃ先ほどですね 小学校中学校高等学校って言いましたが そこでは あるいは今よりかは少なくていいんですが 国語数学理科社会って言うのを 学ぶ必要があるかもしませんね だけども生涯学習という点では 幸福学とか健康学とかですね それからなんて言うかな 法律って言うか 法律じゃないですね トラブル学って言うか その世の中の人間関係のトラブルを どう処理するかとかですね 正義学?とかですね そういった 国語算数理科社会の分類とは違うですね 学問っていうのを 今後日本ででもいいですけども 作っていく必要が あるんではないかという風に思います (2021年11月12日 ヒバリクラブ)

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