2021/11/27

「正しい」とは何か? 原理原則 裁判における裁判長の権限「正しい」ということはない 決め方があるだけ 決め方で変わる


 

正しいとは何かっていう 一回本を書いているんですけれども 正しいと言うのは非常に難しいんですね 難しいというか 昔は簡単で 神様がいる時代はですね 神様がお決めになったことが正しい ということなんですね 正しさの基準があったんです それが だんだん国際的にも広がってきてですね 神様っていうのはその信者しか駄目ですね ですから 例えばその国に 宗教が二つにあると言うような時にはですね 神様はこう言われましたといっても 国は統一しないわけですね そこで道徳っていうのが一時あったんですよ 日本なんかも まぁ道徳教育ってのも 名前がありましたしね この道徳っていうのは あのまぁ簡単に言えば 偉人が言ったという訳ですね 孔子様が言ったとか そういうものが 聖徳太子が言ったとか こういったものが道徳になるわけですね ところが道徳もあまり上手くいかなくなって 人には色々考え方がある いわゆる多様化の時代に入ってくるわけですね そうしますと  道徳を少し変更した倫理と言うのがあるわけです 倫理と道徳とほとんど同じように使っておられる 文化人なんかも方もおられるんですが 倫理と言うのは道徳と違ってですね この相手の相手 倫理の倫というのは相手という意味なんで 相手の理屈 断りですね 相手が考える正しさ それに合わせようかと それは相手に聞いてみるってわけですね 倫理の黄金率と言うのがあるわけです 倫理の黄金率ってどういうのかと言ったら 相手がして欲しくないことをしてはいけない 相手がして欲しいことをしなさいっていうまぁ 陽のプラス側の倫理の黄金率と マイナス側の倫理の黄金率二つあるんですね これが倫理の黄金率と言われるのは 常に相手がいるってことですね 相手がしてほしい事をしなさい 相手がしてほしくない事はしてはいけません というような それに変わったわけですね ということは これも多様化してるわけで 道徳のように一本槍じゃなくてですね 相手に聞いてみると まぁいう事なんですね 相手が一人の時はいいんですけども 日本の場合1億2500万人もいるので その相手と言うのは定まりませんね そうしますとそこのところでですね 多様化というまぁ民主主義と言ってもいいんですけど 民主主義とか多様化の時代における 正しさというのはどう決めるかと言いますとですね それはもう今確定しておりまして 法律っていうか 約束なんですね 社会の約束 法律ですね普通は その法律や 社会の約束も 勝手に決めちゃいけないわけですよ 勝手に決めると変なことになるんで やっぱりある程度一つの手続きがいる そのためには社会のみんなのっていうところを 選挙にした訳ですね 選挙によって当選した代議士が 国会で議論して決める法律 これを一応正しいというか 約束としようじゃないかって事なんですね 正しいって言うんじゃなくて約束なんですね みんなで約束した これは守ろうと約束した それが本当に正しいかどうかって あまり議論はしない方がいい つまりしてもキリがないって言うことでですね 約束を守る これがまぁ法律を守るって事ですね これが法治主義であります 逆に言えば 法律で決まってないことをやたらとですね 自分の意見で それは正しくないって言ったって しょうがないわけですね これはあの法律を遵守するとか 憲法を守るとか言ってるようなリベラルの人が いつも違反することなんですよ ですから 僕はいつもねリベラルの人にね ちょっとあんた方いつも言ってることと 違うんじゃないですかって 冷やかすのは それなんですね 今度はあの裁判 これはあの 内容的には 内容に触れる必要ないんですけども 内容的にはコロナ関係の裁判でした 内容には触れません この裁判で口頭弁論でですね 弁護士が口頭弁論書を読んでいた訳です この口頭弁論書はですね 事前に傍聴席なんかにも配られておりまして 傍聴希望者は3,500人かなんかすごく多て そのうち 入廷できたのは部屋の大きさによりますからね 230人ぐらいだと これも結構大きな法廷ですね たったわけですよ 読み始めたらですね ある程度経ったら 裁判長がですね 冒頭陳述の朗読を止めなさいって言ったんですね それにも聞かずに弁護士がですね 陳述書を読み上げていたらですね 警邏が来てですね 警察ですね 警邏が来て その弁護士の体を捕まえてですね 廊下に掘り出したと まぁそれを見てた 傍聴席の人は初めてだったんでびっくりしたんですよね そういうご連絡もありまして 私もこの件について少しコメントをしたいと思って 今日これしゃべってる訳ですが 実は正しいと言うことはないんですね 何になるかって 約束があるんです この場合の裁判所による約束はですね どんな内容であれ 裁判所は裁判長の判断で決めるっていう事なんですね これを私は仮の約束っていうか仮の正しさと こう 私の本では書いたのですね あのいろんな場所ではですね 仮の正しさを発揮しなきゃいけないわけですね 例えば一番簡単には 野球の監督と選手の関係ですが 選手が非常にいいピッチングをして まぁ1回から9回  8回までゼロで抑えてた 得点は1ー0だと この試合に勝つのは非常に大切だということで 監督がですね せっかくこのまま投げると もしかしたら完封できるかもしれないのに そのピッチャーを変えて そしてリリーフを送ったと ところが 9回に一人 ランナー出した後 ホームランを打たれて逆転されたと こう言ったケースありますね これはもしかして 前のピッチャーをそのまま投げさせていたら 勝ってたかもしれないという問題なんですね だけども監督はそれでもですね 仕方がないんです それはですね 人間には人知及ばぬところがあります 正しさって言うのはわかりませんのでね そこで仮に試合中は 監督の判断が正しいと考えて 選手交代は監督がすると これ決めてる訳です 決めごとですね これと同じように裁判所ではですね 裁判が開かれている時は 裁判長の指揮に従う つまり 裁判長が正しいとして進めるんだっていう これは仮の正しさなんですね 時々まぁ 大学生なんかでですね  先生それは違いますよとかって言う もちろん血気盛んなのが居るわけで なかなかそれはいいんですね おう そうかと ちょっと理由を述べてくれると まぁこういうわけですが 教室ではですね 先生が仮に正しいと決めて授業を進めるんですね 講義を進めるんです これはしょうがないんですね まぁ私が その学生と外でコンビニで会った時は その学生に何も言いません あそうかと 君はそう思うのかっていうだけのことだけど 教室ではですね やはりそれは違うよって言うようのことも言う訳ですね これもやっぱり仮の正しさなんです 人間はですね 二つの正しさがありますね 例えば会社で上司と部下っていうのも これ 仮の正しさなんですよ なんでかって言うとね 上司と部下は必ずしも意見が合いませんね これをね 本当の正しさまで 議論するって言うともう二人とも疲れちゃうんですよ それで時によっては議論が十分に行われませんから これが本当の正しさって事になると 片方はですね 俺の面子に関わるとか 俺の信念に背くとかいう事になってですね 中々うまく行かないんですね ところが仮の正しさ つまり会社に おいては 上司が正しいと仮に決めるって言う事なんですよ その前に議論をするのは全然構わないし 文句言うのも構わないんですよね 異論を述べるのも構わない だけれどもそうかと だけど俺はこうだと言ったらですね それを正しいとして これはしてなんですよね だから今度の裁判も ものすごく憤激してる人が多くて もうなんだと裁判官は せっかく陳述して 我々も傍聴に来てるのに 途中でやめさせるとは何事かとこういうんですが これは約束なんです その裁判官がもし適当でなかったら 裁判官を弾劾するとかですね いろんな回避手段って言うのがあるわけですね それは時間がかかります だけどもよく言われるように 民主主義は時間がかかるわけですね 何故かって言ったら正しいこと決まってないので また途中で誰かが正しいと決める訳にはいかない 昔だったら王様がとか殿様がですね そうしなさいって言ったらそれで終わりなんですけども それが民主主義の辛いとこではあるんですね ところがまぁこの民主主義って言うのは どこまで続くか分かりませんが 現在我々は民主主義の世の中にいる ここでは多様な価値を認めて どの価値が正しいとは言わない ただ法律を作ってその法律にみんなで それ約束事だから 法律の中身が正しいとか なんとかいうことは国会で議論して 国会で多数決で決まればですね それを正しいとするという そういう社会の約束のもとに生きているわけですね この約束は必ずしも万全じゃない だから日本の国内に割合と小さい国か 一県かなんか作ってですね そこは殿様が支配するって言うにして 好きな人はそこに行くということに 将来なるかもしれませんね そうすると 多様化はもっと進みますね みんなの約束事を守るというところが 例えば本州と四国と九州だと沖縄だと それから北海道は殿様がいて殿様が決めると 先ず その好きなところに行きなさい と言って好きなとこ行って さらに殿様のところは殿様が決める 後の所は民主主義で議会が決めるという風にして それがまぁ北海道が 誰もいなくなったら北海道を吸収して 全部 民主主義にしてもいいわけですね だから将来はそういう風になるかもしれませんが 現在では 日本という国は民主主義である 中国という国は共産主義ってのは 本当は民主主義のはずなんですけども どうしても共産主義っていうのは 今までの状態見ても どこ見てもですね 共産主義の国と言うのは独裁的ですから 誰か一人が決めるということになるわけですね 今度の裁判で 非常にかあっときた人がいるみたいなんで いやそれは かあっと来る必要はない 裁判長が裁判の時に全権を持ってるのは もうこれ僕らの約束なんですよ 裁判長が勝手に決めてる訳じゃないんですね そういう約束事で 裁判というのが開かれているということですね 私は日本の裁判と言うのは非常に インチキっていうか間違いが多いと思うんですよね 特に裁判長の人事について 最高裁判所総局とか そういうところが権限を持ってるということが まぁ最高裁判官も持ってるでしょうけど そういったその不透明な部分が ありますのでそれをできるだけ早く 透明化しなきゃいけないとかですね 出世裁判官の出世によって 判決が変わるって言うようなこともあるんで そこのところは非常に問題だとは思ってるんですが 今度のことですね 今度の裁判長がその 口頭陳述の時に冒頭陳述かな それの時 途中で止めたというのはですね これは憤激しなくていいという風に思います (2021年11月9日ヒバリクラブ)

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