2022/03/10

【炉端の話】日本人とはなにか?4  日本人の神 2.祖先 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3378文字) 

日本人のですね 考え方
一つは神が一つは自然である
もう一つが祖先ですね
自分達を作ってくれたものこれがやっぱり
我々が一番大切にしなきゃいけないんだ
我々は自然から誕生してきている
太陽の光の恵みを受け
山や川とかですね
動物・植物・稲とか
そういうものから自分ができている
最近の言い方をすれば
ウイルスとか腸内細菌とかそういうのも
我々が生きていくには必要であると
だから自然は神様である これはいいですね
もう一つは祖先ですね
これはですね インドの思想が
まだ日本に入ってないと思うんですが
入ってない時に同時ぐらいにできたか
ちょっとインドよりか遅いかもしれませんが
日本人はですね 空間ですね
例えば日本列島とか地球の上とか
そういう空間とですね 時間ですね
過去から未来という二つで
物事を捉えているような感じがするんですね
それで祖先 祖先がいたから我々がいる
太陽がいるから我々がいると同じように
祖先がいないと我々いないんですね
それは単なる遺伝子のことも言ってるんですが
それ以上にですね
祖先が竪穴住宅に住み
それから藁葺屋根にして壁を作り障子を作り
そして少しずつ少しずつ進んできて
現在の我々の住居に住んでるわけですね
これは住居ばかりでなくて
食べ物もそうですね
最初はアワとかヒエとか食べて
その前は今度は栽培しないで獣を獲ったり
木の実を採ったりして食べてた
それが栽培するようになって米になり
それから水稲になりですね 水稲っていうのは
水で育てる 水田で育てる稲になり
今はコシヒカリとかそういう
ものすごくおいしいお米になる
魚も全部捕り方からそうですね
ですから我々は空間の中の一人であり
かつ過去の祖先がいたから
今の生活があるということになるんですね
そうしますと当然祖先は
神様であるということになるわけですね
それからもう一つの重要な点は
我々はお父さんお母さんが二人
お爺さんお婆さんが四人
曽祖父さん曽祖母さんが八人ということで
2のn乗といいますかね
30年大体一世代30年ですから
300年たつと10世代ですね
だから2の10乗になります
それから3000年たつと2の100乗ですからね
これはもう天文学的数字になっちゃうんですよ
だから我々は自分の祖先が
全ての日本人なんですよ
大体例えば二千年前の
ちょうど神武天皇あたりと
いうことを考えますとね
我々は全て親戚なんですよ
血がつながってるんですね
それが日本人の何となく日本人の顔
頭の髪の毛が黒い
ちょっと黄色い肌 目も黒い
ちょっとこう顔も日本人の顔 背も少し低い
筋肉の付き方から歩き方から
みんな似てるのはそれなんですね
私一回 随分精密に計算したことあるんですよ
高知県の人が何年ぐらいで
親戚になるのかなと
私の計算では六百年ぐらいでしたかね
それは難しいんですね
例えば いとこ同士の結婚なんかもありますし
重複度がどのくらいかとかですね
それから隣の愛媛県から
入ったり出たりしますからね
そういったものをこう計算しなきゃないんで
ややこしいんですが
まあまあそんな感じなんですよ
っていうことは
六百年で一巡としますとね
六千年ぐらいはもちろん日本人いますから
十回以上は他人という日本人の他人と
血が混ざってるんですよね
だから日本には他人はいないわけです
その意味では祖先を敬うというのは
遺伝子的にも正しいんですね
だから日本の場合は神様というのは二つある
一つは自然であり 一つは祖先である
ところがね ここでね
憲法改正が必要なんですよ
何で憲法改正が必要かっていったら
憲法二十条にはこう書いてあるんですね
信教の自由は何人に対してもこれを保証する
いかなる宗教団体も国から特権を受け
または政治的な権力を行使してはならない
とこう書いてるわけですね
何人も宗教上の行為・祝典・儀式
または行事に参加することを強制されない
ここにおける
宗教とか信教っていうのはですね
信教っていうのは
教えを信ずるわけですね 教えを信ずる
これね宗教学の方で
何とか早くしてほしいんですが
教えを信じてるわけじゃないんですよ 日本人は
私の言う能動的信仰ですからね
信仰 信教じゃないんですよ信仰
自然と祖先を信教してるんですよ
いや!違う 信仰してるんですよ
それでね しかしこれは日本だけなんですね
キリスト教はイエス様の教えを信じるんですよ
仏教は仏様の教えを信じる
イスラム教は
ムハンマド様の教えを信じるんです
だから世界は信教の自由になるんですけど
日本の場合は信仰の自由なんですよ
信仰の自由は何人に対しても
これを保証するならいいんですね
いかなる宗教団体じゃないんですよ
いかなる信仰に関する団体も
っていう風にしなきゃいけないんですね
日本の 日本人が全部入らない
日本の憲法なんですよ
日本人は 日本人の
九十パーセントぐらいは無宗教なんですよ
これ無宗教でいいんですよ
教を信じてるわけじゃないからね
だからこの信教の自由っていうのは
日本に来た外国の方とか
日本人の中でキリスト教とか
仏教とか 仏教もちゃんとですよ
イスラム教を信じている方のための
条項が第二十条で
肝心な信仰の自由っていうのがないんですよ
憲法に 驚くべきことなんですね
これでよく平気だと思うんですよ
それで何人も宗教上の行為・祝典・儀式
または行事に参加することを
強制されないって言ってるわけだから
靖国神社の参拝はあれ宗教じゃありませんからね
信仰ですから
日本人の信仰を神社という形にしているだけで
別段宗教とは関係ないですよ
誰が 靖国神社のことを 誰が教えたのって
誰も教えてませんからね
自然 太陽とか祖先はみんな
お亡くなりになってますから
お亡くなりになった人を
祖先と言ってるものですからね
ですから靖国神社に参拝を強制しても
宗教の自由には関係ない
信教の自由には関係ないんですよ
だけどそんなに憲法解釈って
いい加減でいいんですかね
憲法学者っていうのはいっぱいいますが
なんかいつも難しいこと言っておられるけど
この第二十条を修正してはいかんと
いう風には言ってないんですね
このね 解説にはね こういうのもあります
内心に 心の中における宗教上の信仰の自由
特定の宗教を信じる自由 信仰を変える自由
宗教を信じない自由ってあるんですが
信仰の自由っていうのはないんですよね
だからこれはですね まず宗教学っていうのが
信仰学に変えなきゃいけないんですね
人間は信仰が必要だからどうしても
必要っていうかほとんどの人が信仰ですからね
だから日本人は無宗教ですかっていったら
無宗教なんですよ
ほとんどの人が無宗教ですね だけども
信仰はあるんですよ
だから道徳が守られているわけですね
日本人は道徳はしっかりしてるんですよ
倫理もしっかりしてるわけですね
いつも私が言うんです カミユの異邦人という
ノーベル賞もらった小説にですね
裁判が出てきます
それで無宗教の人は人を殺すっていうんですよ
つまり道徳がないから
つまり日本以外の人間はですね
教えてもらわないと殺人がいけないということが
分からないっていう概念なんですね
ところが日本人は能動的信仰ですからね
教えてもらうのは受動的信仰ですから
日本人がなぜ教えてもらわないのに
道徳観念があるか
これは太陽を見たり
そのご先祖様の像を仰いだりする間に
自分の心の中に
あ!自分もしっかりしなきゃいけないな
悪いことしちゃいけないな
だからここで考える悪いことっていうのはですね
日本人の場合ね 千差万別なんですよ
日本人の正義とかね
日本人の誠意っていうのはね
全部 自分一人で考えたものなんですね
これがちょっと
いさかいの原因になったりするんですよ
キリスト教だと
イエス様がどう言われてる
イスラム教だったら
ムハンマド様がどう言われてるっていうんで
その論争ぐらいありますけどね
その論争のないやつは大丈夫なんですね
全員の意見が一致するんですね
ところが日本人の場合は
能動的信仰ですからね
だからこれは能動的信仰っていうのを
はっきりと宗教学とか信仰学に変えた
信仰学ではっきりするっていうことは
もう極めて大きな課題ですね
私もね 宗教学の方と
かなり付き合いがあるんですが
信仰学っていう人はいません
いないような気がするんですよ
これからちょっと色々探してみます
いや実はこのブログで恩について
ちょっと触れましたらね
中国語の恩っていうのはなんか
二十個ぐらいの言葉を使わないと
日本人の恩にならないっていうんで
これでいよいよですね
世界中には日本だけが
恩という概念があるってことが分かりましたので
大変にこの前 役に立ちました
ということで終わります

2022年3月4日

#武田邦彦 先生

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