本日の収穫(3371文字)
時代は30年ごとに変わるわけですね
それも人の意識が大きく変わるんですよ
1930年は軍服に身を固めた青年将校に
若い女性がキャーと言って憧れると
戦争はいいことだという時代だったわけです
もう今では信じられないって言ったって
そういう時代だったわけです
平均寿命は男女ともに43歳でしたからね
もう50歳以上の人は
ほとんどいないっていう社会だったわけですよ
それが 30年経った 1960年にはですね
日本社会は もうガラッと変わっておりまして
戦争及び戦後の混乱期を抜けてですね
高度成長になるわけです
その時はもう本当にですね
それまで戦争戦争って言ってた人は
みんな平和平和 平和こそが大切だ
これからは高度成長だ 経済成長だと
もう全員が言ってたんですね
それはそうですよ
私はその時に 少年時代だったわけですけども
もう冬になるとですね
冷たい水道で手を洗うわけですよ
女の子はですね もうザクロみたいに割れた
ひび割れの しもやけの手をしてましたよ
まだ女の子は その頃はお母さんの手伝いをして
一生懸命洗濯してましたからね
洗濯にお湯が使えるような家っていうのは
それ裕福な家ですから 大変だったんですよね
かわいそうに 僕も少年時代思いました
トイレは汚くてね
もう底が抜けるような汲み取り便所で
ほんと汲み取り屋さんが来ると
臭くて臭くてしょうがなかったですね
もちろん家に風呂はありません
みんな戦後に建ったバラックに住んでました
だから少しでも早く
テレビは街頭のテレビを見てたわけですね
少しでも早く豊かになりたい
豊っていうのは 今で言う豊と違うんですよ
家が欲しい トイレが欲しい お風呂が欲しい
洗濯機が欲しい
洗濯機がその内 手が届くようになりました時には
二層式の洗濯機で 一層で洗ってですね
それを隣に移して
それを今度ローラーのやつで絞るっていう それでも
主婦にとっては もう大変な進歩で
今まで洗濯板でゴシゴシやってたやつがですね
あっという間に洗濯ができるわけですから
夢のようなものでしたね
冷蔵庫は その後少し経ってから
手に入るようになりましたが
冷蔵庫が手に入るようになってからはですね
買い物が一週間にいっぺんでいいという
考えられませんね
それまでは一日二回行ってたから
あの女性解放つったって仕事できないんですよ
魚が腐っちゃいますからね
まぁそういう時代でした
ですから本当に2DK夫人つってですね
2DKの家に住むっていうことが本当に夢だったわけですね
公団住宅 駅から30分歩いても
公団住宅の2DKに入れるというのが夢だったわけです
私その頃 思い出しますのはですね
石油ストーブを1万円ぐらいでしたかね
買うわけです やっとやっと買うわけですね
私の初任給が 割合高かったんですけど
3万円ぐらいでしたからね
1万円の石油ストーブってもう大変なんですよ
今で言えは10万円20万円のものを
買うようなもんですからね
それも生活にゆとりがない
遠い遠い量販店で買って
それも配達してもらうだけのお金がないので
一生懸命自分で持っていきました
家のそばは非常に激しい
坂がありますもんですから そこを持って歩くのに
肩に担いですね やっと家まで運んだことを思い出します
しかしそれはそれなりで 家族団結してですね
この苦労を乗り切ろうという精神力はみんなにありましたね
ですから 不真面目な人なんていないし
もちろんニートなんてのは存在しようと思ってもですね
ニートなんて言ったら死んでしまいますからね
オタクとか全部死んじゃいますから
だからそんな事言ってられない時代だったんですよ
だから高度成長が必要だったんです 今になってみればですね
成長 成長って言うけど
環境を壊してまでなんて言うけど
環境つったって死んじゃうんですからね
ですから 栄養失調で死んじゃうわけですから
やっぱりある程度2DKぐらいの家がありですね
アパートでも何でもいい
家があり瞬間湯沸かし器はあって
それから ひねれば水道が出ると
井戸でしたからねー
トイレも一応 水洗のトイレが家の中にあって
まぁお風呂も これはお風呂が
内風呂になったのはすごく後ですけども
どんなに風邪引いて 外に出たら行けなくても
銭湯に行かなきゃいけない 銭湯に入って出たらですね
家に帰る前に 湯冷めしてしまうわけですけど
悲しい時代でした
ですから 平均寿命は50をやっと超えるという
ちょうど高度成長の始まりが
日本の平均寿命は50歳でしたから
50歳超えたのがちょうど戦後ですからね
そういう時代でした
その頃に求められた 政党と政治っていうのは
自由民主党と日本社会党だったんですよ
その二つの政党が高度成長で行くのか
高度成長と共に生じる 歪ですね
社会の歪みを治していくのかということで
激しい論争をしながらですね
成長していったわけですよ
やっぱり これはね
非常にあのー 今で考えれば考えられませんけど
自由民主党も自由民主党として 非常に成果を上げたし
なんたって1960年から1972年までの間は
年率の成長率が9パーセントでした それから後に
石油ショックがあるから4.5パーセントに減りましたけどね
だけど給料はその間8.8倍になりました
私なんかも 本当こう若い頃嬉しかったですよ
毎年毎年給料が上がっていく
そして生活が目に見えて良くなっていくわけですね
良くなっていくったって 今に比べれば話になりませんよ
それは こたつに入ってた時代ですからね
だけど良くなっていった
それは夢だったんですよ
テレビが家で見れて ねー
そして暖房も 少しずつ少しずつ良くなって
石油ストーブになってですねー
それまでは練炭ストーブかなんかで
中毒になって 死んだりしたもんなんですよ
やっと 1980年ぐらいになって バブルになりですね
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるように
日本の工業が発達して 一息ついたのが1980年ですね
その間 石油がなくなるなんていう嘘をつかれましてね
マスコミに 石油がなくなるってのは
石油がなくなるじゃなくて 国際資本がですね
石油の国際資本が
それまでバレル2ドルだった石油を
20ドルにするためにやった
しかしその時は
もう既に自民党がちょっと駄目になってまして
日本社会党も ちょっと駄目になってましてね
それで国民側で考える人たちが もう
評論家も大学教授もいなくなっちゃったですね
ちょうど1980年ぐらいは
みんながもう豊かになったんですよ
環境意識というのが少し出てきてですね
それで環境を守れとか
石油を節約しろとかこうなってきたんですね
別に石油は節約する必要はないんです
もちろん節約してもいいですよ だけど
石油がなくなるっていうのは石油の値段を10倍に上げるための
原油の値段を 10倍に上げるための細工でしたからね
もう自由民主党も日本社会党も
それを暴くだけの力はなかった
つまり高度成長は終わりに差し掛かってたわけですね
1990年における 91年かな
株価は38,000円をつけて
現在でもまだそこまで行って
ぎりぎり行ってるって行ってないですね
まだ28,000円とかですから
ですから その時代その時代で
やっぱり政党は求められるわけですよ
自由民主党と日本社会党の政党としての価値は
社会の発展と日本の社会構造の変化
人々の意識の変化
まぁねー 日本人っていうのは
非常に良い性格を持ってるんですが
浅はかなんですよ
だって貧乏な時は経済成長 経済成長つってですね
みんなが豊になったら今度は 成長の限界とかですよ
それから成長だけを考えるとはなんだとかね
言い出すんですよ
江戸時代が良かった いやーあなたね江戸時代
江戸時代どころか 戦後の苦しさでもつらかったんですよ
それがね 豊かになるとですね
特に武蔵野辺りに住んでいる
インテリなんつうのはですね パイプふかしてワイン飲んで
いやー環境が大切だ
今までの我々の方向は間違ってた
なんて言ってるんですからねー
あの頃リベラルが盛んでですね
岩波の世界かなんか雑誌があったんですけど
それを小脇に抱えて なんか洒落た格好して
歩くのが流行ったんですよ
今で言えば武蔵野市の 外国人の投票権を無条件に
無条件ですよ 無条件がいけないんですから
投票権を認めようというような人たちと一緒なんですね
自分は豊かだと 豊になったばかりだと
コロッと意見を変えて 高度成長なんかなんだ
なんて言ってるわけですよ
まぁひどい事になりましたね
それが1960年から1990年の 30年間でした
それでは1990年に 我々は新しい社会が受け入れられる
政党と政治を選んだでしょうか
それを次に お話をいたしたいと思います
2022年1月3日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦