2022/01/04

高度成長に求められた政党と政治 (武田邦彦)



本日の収穫(3371文字) 

時代は30年ごとに変わるわけですね
それも人の意識が大きく変わるんですよ
1930年は軍服に身を固めた青年将校に
若い女性がキャーと言って憧れると
戦争はいいことだという時代だったわけです
もう今では信じられないって言ったって
そういう時代だったわけです
平均寿命は男女ともに43歳でしたからね
もう50歳以上の人は
ほとんどいないっていう社会だったわけですよ
それが 30年経った 1960年にはですね
日本社会は もうガラッと変わっておりまして
戦争及び戦後の混乱期を抜けてですね
高度成長になるわけです
その時はもう本当にですね
それまで戦争戦争って言ってた人は
みんな平和平和 平和こそが大切だ
これからは高度成長だ 経済成長だと
もう全員が言ってたんですね
それはそうですよ
私はその時に 少年時代だったわけですけども
もう冬になるとですね
冷たい水道で手を洗うわけですよ 
女の子はですね もうザクロみたいに割れた
ひび割れの しもやけの手をしてましたよ
まだ女の子は その頃はお母さんの手伝いをして
一生懸命洗濯してましたからね
洗濯にお湯が使えるような家っていうのは
それ裕福な家ですから 大変だったんですよね
かわいそうに 僕も少年時代思いました
トイレは汚くてね
もう底が抜けるような汲み取り便所で
ほんと汲み取り屋さんが来ると
臭くて臭くてしょうがなかったですね
もちろん家に風呂はありません
みんな戦後に建ったバラックに住んでました
だから少しでも早く
テレビは街頭のテレビを見てたわけですね
少しでも早く豊かになりたい
豊っていうのは 今で言う豊と違うんですよ
家が欲しい トイレが欲しい お風呂が欲しい
洗濯機が欲しい
洗濯機がその内 手が届くようになりました時には
二層式の洗濯機で 一層で洗ってですね
それを隣に移して
それを今度ローラーのやつで絞るっていう それでも
主婦にとっては もう大変な進歩で
今まで洗濯板でゴシゴシやってたやつがですね
あっという間に洗濯ができるわけですから
夢のようなものでしたね
冷蔵庫は その後少し経ってから
手に入るようになりましたが
冷蔵庫が手に入るようになってからはですね
買い物が一週間にいっぺんでいいという
考えられませんね
それまでは一日二回行ってたから
あの女性解放つったって仕事できないんですよ
魚が腐っちゃいますからね
まぁそういう時代でした
ですから本当に2DK夫人つってですね
2DKの家に住むっていうことが本当に夢だったわけですね
公団住宅 駅から30分歩いても
公団住宅の2DKに入れるというのが夢だったわけです
私その頃 思い出しますのはですね
石油ストーブを1万円ぐらいでしたかね
買うわけです やっとやっと買うわけですね
私の初任給が 割合高かったんですけど
3万円ぐらいでしたからね
1万円の石油ストーブってもう大変なんですよ
今で言えは10万円20万円のものを
買うようなもんですからね
それも生活にゆとりがない
遠い遠い量販店で買って
それも配達してもらうだけのお金がないので
一生懸命自分で持っていきました
家のそばは非常に激しい
坂がありますもんですから そこを持って歩くのに
肩に担いですね やっと家まで運んだことを思い出します
しかしそれはそれなりで 家族団結してですね
この苦労を乗り切ろうという精神力はみんなにありましたね
ですから 不真面目な人なんていないし
もちろんニートなんてのは存在しようと思ってもですね
ニートなんて言ったら死んでしまいますからね
オタクとか全部死んじゃいますから
だからそんな事言ってられない時代だったんですよ
だから高度成長が必要だったんです 今になってみればですね
成長 成長って言うけど
環境を壊してまでなんて言うけど
環境つったって死んじゃうんですからね
ですから 栄養失調で死んじゃうわけですから
やっぱりある程度2DKぐらいの家がありですね
アパートでも何でもいい 
家があり瞬間湯沸かし器はあって
それから ひねれば水道が出ると
井戸でしたからねー 
トイレも一応 水洗のトイレが家の中にあって
まぁお風呂も これはお風呂が
内風呂になったのはすごく後ですけども
どんなに風邪引いて 外に出たら行けなくても
銭湯に行かなきゃいけない 銭湯に入って出たらですね
家に帰る前に 湯冷めしてしまうわけですけど
悲しい時代でした
ですから 平均寿命は50をやっと超えるという
ちょうど高度成長の始まりが
日本の平均寿命は50歳でしたから
50歳超えたのがちょうど戦後ですからね
そういう時代でした
その頃に求められた 政党と政治っていうのは
自由民主党と日本社会党だったんですよ
その二つの政党が高度成長で行くのか
高度成長と共に生じる 歪ですね
社会の歪みを治していくのかということで
激しい論争をしながらですね
成長していったわけですよ
やっぱり これはね
非常にあのー 今で考えれば考えられませんけど
自由民主党も自由民主党として 非常に成果を上げたし
なんたって1960年から1972年までの間は
年率の成長率が9パーセントでした それから後に
石油ショックがあるから4.5パーセントに減りましたけどね
だけど給料はその間8.8倍になりました
私なんかも 本当こう若い頃嬉しかったですよ
毎年毎年給料が上がっていく
そして生活が目に見えて良くなっていくわけですね
良くなっていくったって 今に比べれば話になりませんよ
それは こたつに入ってた時代ですからね
だけど良くなっていった
それは夢だったんですよ
テレビが家で見れて ねー
そして暖房も 少しずつ少しずつ良くなって
石油ストーブになってですねー
それまでは練炭ストーブかなんかで
中毒になって 死んだりしたもんなんですよ
やっと 1980年ぐらいになって バブルになりですね
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるように
日本の工業が発達して 一息ついたのが1980年ですね
その間 石油がなくなるなんていう嘘をつかれましてね
マスコミに 石油がなくなるってのは
石油がなくなるじゃなくて 国際資本がですね
石油の国際資本が
それまでバレル2ドルだった石油を
20ドルにするためにやった
しかしその時は
もう既に自民党がちょっと駄目になってまして
日本社会党も ちょっと駄目になってましてね
それで国民側で考える人たちが もう
評論家も大学教授もいなくなっちゃったですね
ちょうど1980年ぐらいは
みんながもう豊かになったんですよ
環境意識というのが少し出てきてですね
それで環境を守れとか
石油を節約しろとかこうなってきたんですね
別に石油は節約する必要はないんです
もちろん節約してもいいですよ だけど
石油がなくなるっていうのは石油の値段を10倍に上げるための
原油の値段を 10倍に上げるための細工でしたからね
もう自由民主党も日本社会党も
それを暴くだけの力はなかった
つまり高度成長は終わりに差し掛かってたわけですね
1990年における 91年かな
株価は38,000円をつけて
現在でもまだそこまで行って
ぎりぎり行ってるって行ってないですね
まだ28,000円とかですから
ですから その時代その時代で
やっぱり政党は求められるわけですよ
自由民主党と日本社会党の政党としての価値は
社会の発展と日本の社会構造の変化
人々の意識の変化
まぁねー 日本人っていうのは
非常に良い性格を持ってるんですが
浅はかなんですよ
だって貧乏な時は経済成長 経済成長つってですね
みんなが豊になったら今度は 成長の限界とかですよ
それから成長だけを考えるとはなんだとかね
言い出すんですよ
江戸時代が良かった いやーあなたね江戸時代
江戸時代どころか 戦後の苦しさでもつらかったんですよ
それがね 豊かになるとですね
特に武蔵野辺りに住んでいる
インテリなんつうのはですね パイプふかしてワイン飲んで
いやー環境が大切だ
今までの我々の方向は間違ってた
なんて言ってるんですからねー
あの頃リベラルが盛んでですね
岩波の世界かなんか雑誌があったんですけど
それを小脇に抱えて なんか洒落た格好して
歩くのが流行ったんですよ
今で言えば武蔵野市の 外国人の投票権を無条件に
無条件ですよ 無条件がいけないんですから
投票権を認めようというような人たちと一緒なんですね
自分は豊かだと 豊になったばかりだと
コロッと意見を変えて 高度成長なんかなんだ
なんて言ってるわけですよ
まぁひどい事になりましたね
それが1960年から1990年の 30年間でした
それでは1990年に 我々は新しい社会が受け入れられる
政党と政治を選んだでしょうか
それを次に お話をいたしたいと思います

2022年1月3日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/03

新しい酒は新しい革袋に (武田邦彦)



本日の収穫(3328文字) 

新しい酒は 新しい革袋にということで
お話を始めたいということを昨日申し上げましたが
えーっとこれはですね なかなか深い意味があるんですよ
もちろん具体的にはキリスト教の方向でですね
聖書に書かれていたものの一つなんですが
新しい酒は なぜ新しい革袋に
入れなきゃいけないのかと言いますとね
ちょっと日本の例でいきますとね
1930年 ちょっと古いんで
随分古いとこから始めるんだなっていう
感じされる人もいると思いますけども
今から約百年前ですね
九十年前っていうか その時代はですね
実は軍事最優先時代だったわけですね
ちょうどロンドン軍縮会議があったように思うんですけども
アメリカとイギリスと日本でですね
戦艦の量をどのぐらいの比率にするかとかですね
各国共に軍事競争をやってた時代なんですよ
ちょうどドイツにも 第一次世界大戦の敗北にですね
から立ち上がって ナチスドイツができてですね
1932年ぐらいにはナチスが
ドイツの第一党になるという時代ですね
その時代は 今ではですね
ちょっとおかしいと思うでしょうけど
その頃はですね
とにかく軍事が一番大切なんですよ
軍人さんが街を歩いてると
きらきらと輝いて見えたんですよ
軍服を着てですね 若い将校さんが歩いてると
もう若い女の子なんか きゃーきゃー言ったわけですよ
その時代なんですね
軍隊ってかっこいいなーっていうそういう時代なんですよ
それはどうしてかって言うと
世界的には もちろんどんどんどんどん
強い国が弱い国を植民地にしてましたからね
今は平和運動っていうんで
随分人間も進歩したもんですけども
その当時はもう 力任せなんですよ
とにかく力の強いものが勝ちと 軍艦でもですね
一万トンの軍艦が来たら
それは二万トンの軍艦には勝てないんですよ
だからどうして勝てないかって簡単でですね
軍艦っていうのは そこに載せてる鉄砲大砲ですよ
艦砲っていうんですけどね
その戦艦の上に載ってる
大砲が届く距離で決まっちゃうんですよ
陸上戦ですとね やぶに隠れたりできますから
片っ方の鉄砲が届くまでに 敵の鉄砲が届いても
隠れることができるんですけどもね
しかし海上はもう 鏡のような海の上で戦いをしますからね
まぁ例えば明治時代ですと
日ロ大戦争なんかあったわけですが
八千メートルで届くと 片方がですね
例えばロシアの軍艦は八千メートルで届くと
日本の軍艦は六千メートルでしか届かないっていうと
近づいているうちに 全部やられちゃうじゃないですか
逆に今度はロシアの戦艦の
長さが届く距離が八千メートルだったら
日本は一万メートルから届けばですね
艦隊の距離を一万メートルにして
そっから撃てば ロシアの大砲の玉は
全部日本の艦隊の前に落ちて
日本の艦隊のやつだけは向こうに届きますからねー
 叩き潰せるわけですよ
これが現実的に起こったのが 薩英戦争ですね
薩摩の殿様が 生麦ですから
神奈川県のところ東海道を通っておりましたら
参勤交代でですね
そこにイギリスの人がですね
三人 馬に乗ってきたわけですよ
そしたら彼らは当然日本人なんかは
猿だとか言ってるわけですから
馬に乗ったまま 島津の殿様の行列を横切ったんですよ
そしたら無礼者っていうんで薩摩の武士がですねー
イギリスのしょうかんを叩き斬って一人死んだんですね
大騒ぎになったと
幕府とイギリスの間で色々交渉があったけども
イギリスは腹の虫が収まらない
もう薩摩に直接行こうと
どうせ日本だって イギリスよりか弱いんだから
薩摩なんか イギリスよりか弱いだろうと思って
薩摩に行ってですね 鹿児島湾に入ったと
色々あって結局はもちろん
イギリス艦隊は射程が長いですからね
薩摩の町も焼き払われたりしたんですが
ちょうど運悪く 雨がものすごく激しかったり
嵐になったもんですから
イギリスの船がちょっと間違ってですね
島津の砲台に近づいたんですよ
島津の砲台から撃って届く距離よりかは
イギリス艦隊の船が届く方が ずっとずっと長いんで
晴天だったら もうイチコロにやられたんですけども
あいにく嵐だったもんですから
分からずにイギリスの船が
薩摩の砲台に近づいたんですよ
そしたらそこを狙って薩摩の砲台が
だんだんと撃ったもんですからね
もちろん薩摩の鹿児島県の人が ものすごく元気が良かった
戦いが すごく上手かったってことあるんですけど
イギリスの方が もう20名ぐらい一度に死んじゃってですね
結局イギリスは あれやこれややったんですけども
まぁ薩摩湾から逃げたんですよ
結果的には日本の薩摩が
勝ったような形になったんですよね
そういう運の良い時はあるんですけど
基本的には もう長さで決まっちゃうんですね
ですから そういう時代なんですよ
もちろんその時代 1930年
今から90年から100年前ですね
私がよく言うんですけど 日本人の平均寿命は43歳
男も女も43歳だったんですねー
女性は子供5人ぐらい産みますからね
大体あの頃17~18で結婚するんですけど
43まで大体15年ぐらい 結婚生活を
25年ぐらい結婚生活をしてですね
それでお亡くなりになる
男の方は畑ではもう鍬を振い
炭鉱でつるはしを振るってですね
やっぱり 43ぐらいになると 体はボロボロになるんですよ
平均寿命は 43歳ですね
ブログを聴いておられる人は
人生50年というじゃないかっていうことなんですけど
我々が大体知っている人ですね
織田信長 人生わずか50年下天の内に
何とかって いうわけですね
これはあのー 割合と侍とかそういうのは
いいものを食べてますからね
それから戦争は侍ありましたけど 貴族はないですし
上流階級は 比較的いいものを食べてるから
50歳ぐらいまで生きた人が多いんですが
だから有名人っていうのは
大体 50歳ぐらいって言ってもいいですが
庶民はねー そうは行かなかったんですよ
何しろご飯とね 野菜ぐらいしか食べれないんですから
魚が付けばいい方だっていう方ですからね
ですから やっぱりそんなもんだったんです
そうしますとね 例えば我々の身をですね
1925年とか そのぐらいにおきますとね
周りの人はみんな45ぐらいで みんな死んでいくんですよ
もっと若い時に結核で死んでいく人もいる
労咳と言いましたけどね 死んでいる人もいる
50を過ぎで生きてる人は少ない
そういう時代ですね 時代自身が
それから世の中 もう戦争戦争
とにかく次の戦争に勝たなければ
日本は滅びてしまうというのが続くわけですからね
ですから もちろん新聞もラジオもですね
戦争しなきゃいけない戦争しなきゃいけないって言うと
そういう中で どういう日本は選択をするか
どういう政治をするかったら 今と全然違うでしょう
今は少子高齢化とかですよ
もちろん平和がいいとか
今では高度成長もあんまり良くないんじゃないか
なんて言われてるぐらいですよね
つまり なぜ新しい酒を新しい革袋に
入れなきゃいけないかって言うと
もう我々が頭で考えるよりか
遥かに時代の流れっていうのが激しいんですよ
だから それはもちろんね
最近だけ激しいというわけじゃないですよ
1930年のさらに 90年前っていうとですね
1840年ですから まだ江戸の終わりですよ
だからもう全然違うんですね
だからその それだけ違う社会で
同じような政治体制っちゃいけないんですよ
そういうわけにいかないんですねー
今から90年前の時代よりか90年前っていったら
江戸幕府で井伊直弼とか出てくるわけですからね
徳川将軍とか それから90年たつと
全然もう違って昭和天皇ですね
軍縮会議 イギリスをアメリカとの戦いとかねー
そういう風になってきて もう全然違うんです
それをですね やっぱり古い皮袋に
入れるっていうわけにはいかないわけですよ
それはもう考え方は 全部違うわけですから
ですから 今の時代ですね
2020年というのがどういう年だったかっていうのは
次の次ぐらいには いけると思うんです
あんまり慌てないのがいいですからね
この手の話は 自分自身の人生
自分の子供の人生に大きく影響しますので
ゆっくりゆっくり一つ一つですね
なぜ新しい酒が新しい革袋にいるのか 必要なのか
なぜ参政党という新しい政党が
必要なのかっていうことはですね
やっぱり我々は深い知識とじっくりと考えてですね
そして過たずに行かなければいけない ということなんですね
今日は 1930年お話ししましたが
次はそれから 30年後の1960年っていうのが
一体どういう年だったかと いうことを
お話をしていきたいと思ってます

2022年1月2日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/02

今年は楽しい年にするぞ! 楽しい年は自分で作る 錯覚さえなければ  1)社会は自分ではない、 2)人は自分だ (武田邦彦)




本日の収穫(2868文字) 

今年もあけましておめでとうございます
ブログはですね 今年もやっていくぞーと思いまして
正月なので
宮城道雄が比較的若い時に録音してあります
この正月の筝曲をですね
最初に冒頭に入れました
今年は まぁブログはブログでやるということと
あまりそのー 最初に音楽入れなきゃいけないとかですね
色々その なければいけないってやつがいっぱいありますとね
やはり生活が息苦しくなるもんですから
今年は時間もルーズにスタートもルーズに
という風に考えております
新春にあたって元旦っていうのは
あまり方針を決めたりなんかしなくてもいいんですが
今年は楽しい年にするぞというのが
いいかなーと思っております
それはコロナのこともありますしね
それからまぁ内閣も少しは良くなりましたが
やはり今は専門家が 非常にこう頼りがないというか
人間としての心がないというようなこともあってですね
やはり自分で楽しい年にしなきゃいけない
という時代だなという風に思いますね
1960年ぐらいから1990年 30年間はですね
自分は別にあれこれ考えなくても
社会がだんだん 自分の人生を良くしてくれたと
そういう時代でしたけども
それはちょっともう今ではですね あまり期待ができないので
自分自身で楽しい年にするということを
積極的にやらなきゃいけないと思いますね
これに私が おぼろげに気がついたのが
1年半前の 2020年の6月頃でしたね
それでわたしはブログを変えて ヒバリクラブにしたんですよ
ヒバリクラブしたっていうのは何かって言うと
社会はもう このところ期待できないなと
まぁこういう期待できない社会に入りますとね
30年間くらいは そういう社会が来ますんで
むしろ社会を改革するというよりかは
改革の努力はするにしてもですね
改革が成功するには30年かかるつったほうがいいですかね
ですから 自分が改革するにはもう一日で済みますから
それがいいんじゃないかと思いますね
つまり楽しい年は自分で作る
楽しい時 楽しい人生は
自分で作るんだっていうことなんですね
幸い日本はですね
私がいつも言っているその
中国からヨーロッパ アメリカなんかのですね
5パーセントとが楽しい人生 あと90パーセントとが
まぁ奴隷的な人生という社会ではなくて
天皇陛下お一人おられれば 後は日本人全員が
平等という社会におりますので その点では
大変に恵まれてるわけですよね ですから
社会としては もう受け入れの措置はあると
ただ私たち自身が 
そういう気持ちになるかどうかということなので
まぁ今年もそれでいったらどうかなと思いますね
その大きな錯覚はたった二つなんですよ
一つはですね 社会は自分ではない これはあのー
2020年から2050年までの
30年間というのは 特に大切だと思いますし
お聞きになってるみなさんが 楽しい人生を
送るということはですね
もう何回も唱えたほうがいいと思うんですね
社会は自分ではない 社会は自分ではない
だから 社会が自分が満足するようにはならないんですよ
コロナもそうですしね
それから米中関係もそうですし
我々の給料もそうですし
まぁ電車に乗った時の乗客の態度もそうですし
あらゆることがですね
やや自分と距離をおいた方がいいつってもいいんですね
社会と自分の間に距離をおいた方がいい
だからまぁ政治活動するのは非常に結構なんですが
政治活動するときも
日本全体を変えるというようなことは
30年かかるよと いうような心構えで
自分たちがそういう志を同じくした人と一緒に 仲間を作って
その中で自分の楽しい人生を送ると
日本中を仲間にするっていうのは
ちょっと難しい時代だと そういう風に思うんですね
もう一つは全く逆なんですけれども
自分の周りの人は自分だっていうことなんですよ
この二つのことですね
社会は自分ではない
だから社会が 社会に腹を立ててはいけない
これがヒバリクラブですね
どんな状態でもヒバリは大空にヒューンと上がっていって
ピーチクパーチクと こう楽しく鳴く
それはその地球がどうだからということと関係なく
ヒバリは鳴くということなんですね
ですから社会と自分を切り離して
もちろん社会を良いように
改造する計画はしてもいいんですけども
基本的には社会は自分ではない
ということで それで先ずは楽しさの半分は獲得できます
これはヒバリクラブで追々
ずっーと話をしていきたいと思っております
全く逆 自分の周りの人は自分だっていうことなんですよ
自分というものを消すということですね
これはあのー 日本は昔から自分がないんですよ
個性を尊重しないんですよ 
この頃個性を尊重するということが
素晴らしいと それはですねー
恵まれた人が5パーセント
奴隷が90パーセントのヨーロッパ社会では
個性が大切だって言うだけなんですね
我々のような 日本のような文化
人は人だと 日本人は全員日本人だと
自分が幸福になるのと
周りの人が幸福になるのと喜びは同じだ
むしろ周りの人が幸福になった方が
自分も幸福感を味わえるという社会ではですね
周りの人は 自分だっていうことなんですよね
周りの人は自分だ
だから自分と他人っていうのを分けない
ということが非常に重要です
社会としての 一つのまとまりは自分ではない
しかし自分の付き合ってる人ですね
家族友人それから気持ちの同じような仲間
去年は私ですね 参政党の皆様とか幸せ砂時計の方々
それからまぁ色々ですね 意識改革大学だとか
それから未来塾とかですね
色々なもので 人と親しくなりました
ヒーローズクラブもそうですねー
その仲間で
その仲間は本当に自分と同じだという気持ちになれるし
非常に快適な時間を過ごしましたね
病気になった時も 随分励まされました
これは何かって言うと
やっぱり 周りの人が自分だっていうことなんですよ
自分だけ良ければいい まさかそんなことは考えないで
過ごしていけましたね
だからその点ではですね
まぁ今年の重要なことはですね
社会は自分ではないんだけど
周りの人は自分であって 自分と区別しちゃいけない
命も一つであり 幸福も一つであり
時間も一つなんだと
むしろと一つだというよりか
自分の家族 自分の友人 自分の仲間と
一緒に時を過ごすことがいいと
それには自分が正しいと思わないことですね
正しさっていうのは
それぞれの人によって大きく違いますから
だから自分が正しいと思うことが 正しいんではない
正しいということは 人によって違う
それは 大脳がですね
25歳までのその人の経験によってできますし
男性ホルモン女性ホルモンみたいなものとにも
随分関係があるので
それは絶対そうですね
ただ人間には非常に重要な武器があります
それは愛情ですね
愛 愛すること
人はやっぱり愛することが大切です
だけど社会全体を愛するってことはできませんが
自分の周り家族 友人そして仲間 これは
愛することができますね
ですから 愛こそがやはり
人間を より楽しい人生を与えるものである
それで自分を消して できるだけ自分というものを出さずに
やっぱり やっていくという一年にできればと
いう風に思っています
この音楽の琴は目が見えない
宮城道雄さんがですね 弾いてるわけですが
本当に素晴らしい 彼には彼の悩みがあったと思いますが
素晴らしい宝物を私たちにくれたと
いう風に言えると思います

2022年1月1日 (ヒバリクラブ) 

#武田邦彦

2022/01/01

明けましておめでとうございます。【参政党のトリセツ】と同時配信 (武田邦彦)




武田先生退院おめでとうございます。
あまり無理をせずにお過ごしください。

本日の収穫(2963文字) 

皆様 あけましておめでとうございます
新春というのはですね
まぁ 一年の始まりと言うかなんで今日が1月1日なのか
なかなか難しい議論もあるんですが
なんとなく爽やかですし
太陽もまぶしいしと言うことですね
まぁ新しい年というのは いいもんですね
世界的には やはり冬至ですね
やっぱり昔から太陽というのが 人間の希望の星でしたから
太陽が だんだんだんだん衰えていく
つまり日の出の時間が遅くなり
日の入りの時間が早くなってくると
太陽の照る時間が短くなってくるもんですから
人間の気持ちは 少しずつ少しずつ暗くなっていくんですね
これが冬至ですね
ですからまぁ 大体12月の20何日という日がですね
人間社会にとっては昔から非常に 暗い年だったわけですね
ですからイエスキリスト様がですね
お生まれになったのが 12月25日となってるのもですね
まぁ それは歴史的事実なんでしょうけれども
やはり希望の星という感じがあるわけですね
新春もそうで やはり日が長くなって
太陽が長くなってきて
そして生命が息づいてくる頃 その頃がですね
人間が一番 こうスタートするには良いという時期ですので
まぁ寒かったり色々なことはあるんですが
それでも それを克服しても
人間には 希望が一番大切であるっていうことですね
それで今では 誕生日っていうのは
その人が生まれた日を誕生日としてますから
誕生日はバラバラなんですけれども
昔は年の初め1月1日に 一斉に誕生日でしたからね
まぁ数えと言ったんですけど
それも非常に良い風習で
やはり同じく年を重ねていくという感じもあってですね
日本のそういう風習というのは
一見不合理のように見えて
もう一つ考えると今の合理的な人間社会よりか
さらに合理的であると 本当は合理的であると
人間らしいっていうところもあるんですね
ところで長く私のブログってのは 続けておりまして
大きく分けますと 福島原子力発電所の爆発前ですね
何十年ってことないけど 十年以上やっておりまして
その頃まだネットのブログっていうのは
それほど馴染みのあったもんじゃないんですね
私も最初 名古屋大学の教授の時に
書き始めました時は
当然 字で書いて録音なんかしないでですね
それで少しずつ出しておりました
しかしだんだんそれが 録音の方がいいかなと思いまして
録音にしたり また福島の爆発の時は
もう本当に一日一日ですね
いろんな方から ご相談やらなんやらあって
それにもう必死でやってましたね
ですから それからも毎日やるようになり
もう本当にこう 5月ぐらいから
爆発したのは3月 地震が3月11日ですが
それから少しずつ爆発して そして5月ぐらいから
本当にその年の11月ぐらいまで
本当にこう 大きな自分の人生に
大きな影響を受けた人っていうのは 山ほどいたんですね
その人と一緒にブログを作ってまいりました
それから録音になり
まぁ大体毎日 やるようになりました
それが一時は ちょっと
私自身も辛いことがあったりしてですね
色々考えることがなかったわけじゃないんですけれども
幸い 約10年を過ごしまして
去年からは おととしですね
2020年からは
新しい気持ちでやろうと思ってたところに
新型コロナってのが出て来ましてね
それで思い切った自分が
こう考えるということが言えなくなりました
私としては十分に考え 決して間違ったことを
お話はしてないつもりなんですが
人っていうのは それぞれ考えてることが違いますので
私の考えてることが 間違ってるという人もおられてですね
少し方向性を変えました
それで2020年の6月ぐらいからですね
ヒバリクラブというものに変えました
このヒバリクラブっていうのは
もうこの社会はそれほど個人の力 考え方
そういうもので変わるもんじゃない
利権でがっしりと作り上げられてしまって
それをこの日本とかですね
みんなが良い社会にしようという動きは
もう駄目だと思いましてね
そしてヒバリ つまりヒバリっていうのは
世の中がどうであれヒバリは
さらに高くピューと登ってですね
チューチューチューと鳴くと 
社会全体を変えようということよりか
むしろ自分自身の人生を 見直そうということで
一年半前にヒバリクラブということで
非常に多くの人の賛成を得て
ここ一年半 楽しい時を過ごしておりましたが
この度12月22日 去年の12月22日だと思うんですが
参政党から 参議院議員に立候補することになりましてね
色んな経緯があって それでまぁ
それに伴ってですね ヒバリクラブも続けていきたいし
参政党の綱領っていうかですね 方針と政策とか
ヒバリクラブと それほど違いがないものですから
ただ私としては
ヒバリクラブの方も随分お世話になったんで
できればヒバリクラブを
今までお世話してきて頂いた方に継続して
参政党の絡合の武田ゼミブログと
どういう名前になるかはちょっと
色々な方が考えてくれるんですが
いずれにしても参政党 キーワードはですね
参政党 それから絡合 武田ゼミ ヒバリクラブ
ここら辺をですね キーワードにいたしまして
今日から新しく
ブログを始めたいという風に思っております
最初はですね
新しいお酒は新しい革袋に入れる
というのは昔から これは直接的には旧約聖書ですけれども
ユダヤ教の旧約聖書なんですけれども
キリスト教と言ってもいいんですが
こういう話は もう世界各地にありましてですね
それと全く同じで 今度私が参政党からですね
参議院議員どうだろうかと思ったのも
やはり今までの自民党も 非常に日本には長い間貢献しました
また社会党もですね
昔 日本社会党ってのがあったんですが
ここもですね 日本の政治には大きく寄与したと思いますね
日本社会党の時代は政権が取れなかったんですけど
それでも野党として 非常に貢献があったと思いますね
日本が経済成長していく時にですね
自由民主党と日本社会党の戦いがですね
日本の政治を良くしてきたと いう風に思っております
それから時代が変わりまして
そのことは 次回に詳しくやりますけれども
新しい時代には新しい革袋がいるということで
時代は大きく変わりましたので
やはり参政党という 新しい革袋でですね
日本を発展させていくってのが
正しいんではないかという風に思いました
このブログは従ってですね
今日からは参政党の 一応あのー
新しい国作りっていう参政党の政策が示してある
ブログがあるんですけども このブログですね
参政党は
政治に参加するの参と 参議院議員の参ですね
それから政党ですね
普通の政党という名前を書きまして
まぁ党ですから ある程度の基本方針とかいうのあるんですが
非常に自由に議論をしていけると
まさに国民一人一人が 党を作っていくんだと
基本理念でいくようですので
私のここで書く ブログで書くものもですね
あるいは参政党のページに書いてあるものと
少し違うじゃないかと
言われるかもしれませんが
そんなことは多分 参政党の首脳人もですね
全然 気にしてくれなくていいよいいよと
武田先生は 武田先生が勝手に書いたらいいよと
いう風に言ってくれると思っておりますので
明日から自由にですね 書いていきたいと
できれば 私の希望としてはですね
政党の政策の理論面
特に政治とか財務とかですね ご専門の方がおられますので
私は科学 歴史 日本というものを中心にして
なんたって個人の幸福ですね
個人の幸福をとにかく
今から30年待ってくださいじゃ ちょっと長いんでね
すぐにでも 幸福な人生が送れるような
そういうことを目指してですね
ブログを続けていきたいと いう風に思っております

2022年1月1日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

明けましておめでとうございます!


 

明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします🙇⤵

参政党のロゴを日の丸に入れたら かっこ良かった。

#武田邦彦


2021/12/31

暮2:誰も知らなくても自分が知っている 自分自身に対する誠実 (武田邦彦)



本日の収穫(2250文字) 

このブログもだいぶ このヒバリクラブになってですね
調子が出てまいりました
今日は一区切りということで 私の好きな言葉ですね
誰も知らなくても 自分が知っている
昨日はですね 誠実であったかと
この一年は誠実であったかと
誠実であったかどうかっていうのは どちらかと言うとですね
自分自身に対する誠実であるということもあるんですが
主には やはり他人に対してですねー
家族に対して もしくは友人に対して 近い人に対して
それから職場に対して
それで指導者の方々はですね
例えば学校の先生なら 生徒とか学生に対して
役所の人なら国民に対して 議員さんでも国民に対して
小学校の先生なら
やっぱり生徒さんに対してという風にですねー
まぁ主に相手に対して 自分が誠実であったかっていうことは
非常に重要なことですよね
どんなことでも重要だと
本当にこうお金のために なんか誤魔化さなかったか
自分に都合いいこと言わなかったか
本当に相手の幸福のことを考えてやってたか
自分のことよりか相手の幸福
自分の健康よりか相手の健康
その方に心が向いたかっていうのが まぁ
昨日お話した内容なんですが もう一つはですね
誰も知らなくても 自分が知っているっていうことは
長い人生を送った人は それなりにあるんですよね
これは全部なくそうと思うと 中々できないというか
私はやっぱり あんまりいいことじゃないと思いますね
人間っていうのは ある程度はですね
自分だけが知ってるという
都合の悪いことって言ったら 都合の悪いことなんですけど
そういうことを知ってて
まぁいいんじゃないかと思うんですねー
それが10パーセントぐらいか 20パーセントぐらいか
仲人口とも言いますしね
これは俺の胸の中だけにしまって 墓場まで持ってくよと
まぁいうことも正しいですよね
人間っていうのは それほどきれいなもんじゃない
世の中っていうのも 汚いものを含んでいるんですね
表面上は非常に順調であり
みんなが法律を守り ちゃんとやってるというんですが
しかし まぁ10パーセントから20パーセントはですね
その中に 自分だけが得しようと思ったり
時々色んな邪悪な心が起きたりですね するもんなんで
それも排除しようと思うと
人間ではなくなるっていうかですね
そういうところがありまして そこが難しいですが
一応ですね 原理原則としては
やはり言葉の中に
誰も知らなくてもあれは俺は知ってるんだ
これはあのー 小説なんかがいいですね
やっぱり哲学書とか そういうものですと
あんまり正面から 行きますものですから
ですから 誰も知らなくても自分が知っている
だけど これは隠しとかなきゃいけないことだ 
なんていうのはですね
そういう人間独自の悩みっていうのは
やっぱり小説によく出てくるもんなんですね
しかし 本当にそうだなーということを
思うことが随分あります
ですから他人に対して 指導者って言いますとね
学校の先生とか議員さんなんかを思い浮かべるですけど
母親でも指導者ですよ 親でも指導者ですね
そういった指導者というものが
やはり持っている大変なもんっていうのが
誠実さであると いうことが言えるわけですよね
それから見れば こっちの方が少し甘いと言えますかね
誠実さも徹底的に誠実であるっていうと
ぎくしゃくするんですが
まぁ10パーセントぐらい不誠実でもいいけども
90パーセントは誠実だ
じゃあ誰も知らなくても
 自分が知ってるというのはどのくらいかっていうとやっぱり
まぁ20~30パーセントは
誰も知らなくても自分が知っている
ちょっとごまかしてるなー ちょっとこれは問題かなー
絶対思うけど まぁ心の中に留めとこうっていうのは
20~30パーセントぐらいは
あってもいいかもしれませんね
それが言ってみれば その人間というものであると
しかし それでもですね
やはり 思い出してみる必要がありますね
誰も知らなくても自分は知ってるんだ
これはまぁ 別の言葉で言えば
お天道様の下では嘘をつかない
お天道様の下で嘘をつかないって
これはやっぱり難しくてですね
その天道様の下ではなのか
お天道様は照ってない夜は
少し嘘ついていいのかと
そうだという風に 僕なんか思ってるんですね
なんでかっていうと 人間には逃げも必要ですし
影も必要ですし そういう意味から言ったら
少なくとも
お天道様の照ってるところで嘘はつかないとこう
これはまぁ 例えば社会とかですね
公的な場所とか そういう場所で嘘をつくっつうのは
やっぱりまずいと 自分が一人でいるとかね
そういう時にっていうか 夜ですね
お天道様出ない時に 若干の嘘っていうか
仲人口ぐらい いいだろうっていうのが
まぁ言葉の裏に入ってるような 気もするんですね
いずれにしても 今年は色んなことがありました
とても いい年でもあり
また起伏のある年でありましたね
いいことあり悪いことありという
起伏のある年ではありました
私としては 体の面では色んなことがありましたし
それは誰でもありますね
自分の体も完璧ではありません
もちろん怪我もすれば 病気もすれば悩みもあるし
ノイローゼにもなる 色んなことを通じてですね
そして全体として
まぁ七割良ければいいかなーという感じですね
この一年を締めくくるにあたって 私はですね
人に対して誠実であったか
不誠実は10パーセントぐらい
それから 誰も知らなくても自分が知っている
自分自身に誠実であったか
まぁ80パーセント
誠実だったらいいかなーという風に思って
一年を振り返っているわけであります 
それでは 一応ここでですね 長い間ヒバリクラブ
ちょっと新年になったら少し
装いを変えようかなーと思ってますんで
一応の区切りですのでですねー
ここで皆さんに ご挨拶をして
今年の終わりとしようかと思います

2021年12月31日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/30

暮:今年は誠実だったか? 誠実でなければ人生は暗くなる。 誠実でなければ日本の子供はダメになる。 特に指導者は社会に対して誠実であること (武田邦彦)



本日の収穫(3025文字) 

暮れも近づきまし 
暮れも近づいたっていうかもう暮れなんですが
二つですね 私自身も含めて
やはり年の終わりはですね 反省と
年の初めは 未来ということなんで
大晦日をはさみましてね
気分も一新するというのが またいいことなんですね
太陰暦と太陽暦と違うもんですから
もちろん1月1日というのも
本当に 絶対的に意味があるかと言われるとですね
ちょっといけないんですが
昔でしたら冬至ですね 今で言えば大体12月22日
太陽がどんどんどんどん短くなり
これ北半球のことですけども
もうこれで この地上も終わりになるかなーと思うと
次の日からまた日が長くなるというのもまぁ新年 
一番新年みたいなものですね
ですからまぁ イエス様が本当に12月24日に
お生まれになったかもしれないけど
この12月の20何日というのはですね
全世界的にやや新しい年が
始まるというようなことが行われるわけですね
これはまぁ太陽の日が長くなるということなんですが
その時に そのちょっと前にはですね
反省が必要だと 私は今年の反省の一つはですね
特に指導者 指導者つっても国会議員なんかもありますけども
学校の先生とかありますが
人は多かれ少なかれ指導者なんですよ
例えば親になれば 子供に対する指導者ですしね
先輩になれば 後輩に対する指導者だったりしますから
誰でもある程度は指導者なんですよね
完全に指導者じゃないっていう人は
本当に数が少ないという風に思いますけどね
まぁ私が最初に思うのは
今年は誠実だったかっていうことだと思うんですね
私の人生で忘れられないのは やっぱり
2011年の福島原子力発電所の爆発の後の
マスコミの人たちですね
これは爆発してから どのくらいでしたかね
2週間か ぐらいだったと思うんですが
朝日新聞 日経新聞 読売 毎日新聞
その他の大新聞とかですね
NHKその他の大テレビという記者はですね
カメラマン 一斉に福島から引き揚げました
そして4ヶ月経って
その人達が 恐る恐る放射線防護服を着て
福島に入ったら
そこにみんな福島の人達が普通に生活してると
このことを私に言っていただいた人は
ある大手の4大新聞の記者でしたね
年の頃は 大体45から50ぐらい
誠実そうな記者でした
東京のあるホテルのレストランの
ちょっとインタビューできるような所を作ってもらった所で
彼は顔が歪んでましたね
私が新聞社に入ってから初めて
こんなに辛い思いをしたことはない
だって先生どういうことが行われたか
事故が起こって しばらくたって
我々は全部 福島県から引き揚げました
それは会社の指令で引き揚げました
聞くところによると労働組合が
従業員の安全のために
引き揚げろと言ったから
引き揚げたという説明を受けておりますが
まぁとにかく
それは言い訳にもなってるわけですが 引き揚げました
引き揚げて4ヶ月経って 福島に再度入る時までですね
我々 新聞紙上に被爆は安全であるととか
1年1ミリシーベルトは嘘だとか
そういうことを書き続けてきましたと
読者の人は それでそうだそうだ
それで忘れないのは
それから福島に入って 福島の人たちが
普通の格好して 働いてるのを見て
大丈夫ですかと言ったら その人たちが何て答えたか
新聞に大丈夫だと書いてあったからと言ったらしいんですよ
それでその新聞記者はもう
自分の人生でこんなにつらかったことはない
と私に言ったんですね 耐えられなかったんでしょうね
せめて私に言って
少しは気持ちを晴らそうと思ったんでしょうね
あの頃から日本人のそういういわゆる
新聞記者ってやっぱり指導者ですよ
というのは新聞記者によって みんな影響を受けますからね
学校の校長先生 学校の先生
学者もちろんマスコミの人たち みんな指導者なんですよ
あの頃から あの頃ですね
福島原子力発電所の事故っていうのは
日本から 日本の指導者から
誠実さを奪った事件でしたね
その時の川崎市長は 児童の給食に
放射線で汚染された 食物が出たんですよ
そしたら こう言いましたね
福島の人たちを助けるために
川崎の児童は
放射線に強くならなきゃいけないとこう言いましたね
とんでもない話ですよ
それから4月24日だと思いますけれども
それまで原子力保安庁は
日本人の記者と 外国人の記者と言語が違いますから
二つに分けて記者会見しておりました
まだ4月の24日の時点では
日本人の記者向けの記者会見は満席でしたね
有名な おしどり夫婦なんてのもいましてね
満席でした 議論も活発でした
その時に 外人の記者ようの記者会見は
出席者がゼロになりました ゼロですね
そのゼロの 誰もいないとこに向かって
東京電力と原子力保安庁が発言をしてました
なんでゼロになったか 外国の人たちはですね
こんなに嘘な記者会見に
出てもしょうがないといってゼロになったんですね
あれも私にとっては 
とても印象的な写真で まだ今とってあります
もう一つは 私が地上波テレビに二つぐらい出た
5月15日の日ですね  この日は前の日に東京電力が
福島原発はメルトダウンしてたという発表をしました
それで翌日のテレビに
僕はあっちこっちからお呼び出しがかかって
メルトダウンしてたんですってね 
驚くアナウンサーの相手をしました
しかしメルトダウンしてるって言うのは
もう爆発の後 少なくとも一週間
二週間の間にはですね はっきり分かってて
メルトダウンして 床に落ちたデブリと言うんですけど
溶けたものですね 溶けた破片ですね
それが どのくらいの大きさかっていうことも
学会内では議論されておりました
つまり5月15日にみんなが驚いて
朝日新聞なんかも 確か一面のトップかなんかで
福島原子力発電所はメルトダウンしてたっていう
大きな見出しを出したのは
その時でしたねー
しかしそれはもう分かってたことなんですよ
分かってたことを何で放送しなかったか
それは 東京電力が言わなかったからです
つまり その時からもう
責任逃れは当然であるということだったんですね
誰か責任者 政府とか東電とか
そういうとこが言わない限りは
自分たちの取材は信頼できない
取材に基づいては出さないっていうことですね
このことですねー まぁ記者が退避したということ
それから外国の記者がゼロになったっていうこと
1年1ミリシーベルトの嘘をついたっていうこと
それからメルトダウンを分かってて報道しなかったこと
これによってマスコミは完全に駄目になりましてね
僕はその後 新聞もテレビも見ません
というのは そんな嘘つきの人の報道見たって
しょうがないですもんね
それで1年半ぐらい前
2年ぐらい前から始まった今度の騒動ですね
これについても 私は関係者の方々
お医者さんは ここでもう1回胸に手を当ててですね
私はこの問題について 本当に誠実だったのか
今まで自分たちが 特に感染症の人たちはですね
私たちが今まで言ってたことと違うことを言った
それはどうしてなのか
お金儲けたかったからか
仕事にかじりついてたかったからか
もしくは怖かったからか
やっぱりこれは 考えなきゃいけないと思うんですね
小学校の校長先生とか先生方も
本当に子供達を守るためにということで行動したか
それとも周囲の圧力で そういうことしなけりゃ
自分の職業が危ないと思ったからか
人間は誠実でなければ 人生は必ず暗くなります
不誠実で儲けたお金は
これはあぶく銭ですからね なくなります
それから誠実でなければ
日本の子供達は将来駄目になります
この二つのことを 私たちは大きな責任として持ってる
是非 今年終わるにあたってですね
どなたも ほぼ指導者
親も親であるということも含めたら指導者なんですよ
本当に自分は誠実だったのかと 言うことを一つ
いろいろな面から
考えていただきたいなーと思ってはおります

2021年12月30日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...