2021/12/04

お金は無くなるか? 政府が国民にお金を渡す? お金はいくら刷っても良い? 政府は指導者はお金が無くなっても良い? ディジタル通貨、MMT理論、政治の崩壊 (武田邦彦)



本日の収穫(3955文字)
一日も早いご回復をお祈りしております。

えーと 病院におりましてね 今
病院の中からお金の話も
なんか合わないなって気がしますんですが
実は病院のベッドにいますとね
まぁ暇っちゃ暇なんですよ
ただやっぱり病気で全身が弱ってますんでね
あんまり張り切ると 疲れがどっと来るんですよね
今日も もう朝の九時半頃から
よく寝てるような気がするんですけど
朝の九時半頃からもう たまらなく眠たくなってですね
十二時頃までぐっすりっていうか
まぁ途中に看護婦さんとか いろいろ来られるんで
まぁそういう時に起きるんですけど
なんていうか もう寝せてくれって感じですね
まぁ入院して四五日経つもんですから
多少この環境にも慣れて
それで気持ちも少し緩くなってきたって
言う事じゃないかって思うんですね
屁理屈はともかくとしまして
今 お金がなくなる可能性が高いんですよね
一度 私3年ぐらい前ですね
デジタル通貨の変換に従って
どうも金が1/3ぐらいになるという結論に一回達したんです
結論に達したっていうのは いろんなのを勉強したら
そうなったっていうだけなんですけどね
ところがその後 もう一回勉強したらですね
ちっとも無くならないんじゃないかっていう
感じになってきたんですよ
それで今は デジタル通貨によるお金がなくなる危険性は
だいぶ減ってきたんですけども
今 MMT理論っていう厄介なものがありましてね
これが今 近代経済学の
主流になってるような感じもあるんですよね
さらにコロナに始まりましてね
お金を政府が国民に配り出したんですよ 現金を
これはね まぁその政策が良いか悪いかなんて事を
今 論じようとしてるんじゃなくて
これ ヒバリクラブですからね
そんな事は どうでもいいんですけども
こういう事が起こると だいたい政府っていうのはですね
お金を国民から税金で取るっていうところなんですよ
それがね 国民になんか飲食店一つ当たり6万円とかね
この頃 癖がついて
なんか今度こうなんか打撃を受けたところに
もし売上が減ったら いくら補填するとかがあってですね
政府がお金をばらまくっていう
逆流が生まれてるわけですね
このデジタル通貨とMMTと政府の崩壊のこの三つでですね
どうなんだろうかと
一体我々が持ってるお金は無くなるんだろうか
そのお金が無くなると言うのは
どういう事かって言うとですね
今20歳から50歳までの30年間の人ですね
僕で言えば 第一の人生の働いてる人はですね
平均的な資産が1,300万円
ちょっと高めかなという風に
思わないでもないですけど
まぁ内閣のきちんとした統計で
色々こういう統計って問題あるんですよ
絶対値としてみればですね
どのくらい臨時雇いの人が入っているかとか
病気で休んだ人はどうなのかとか
そういうのあるんで
この1,300万円という資産は
だいたい健常で普通に働いてる人じゃないかと思うんですね
じゃないかと思うっていうか これ詳細に調べても
それほど はっきりはしないんです
だから内閣の調査によればっていうのが
一番正確な言い方なんですね
それから50歳から80歳の30年間
これは僕に言わせれば第二の30年間ですね
この第二の人生の30年間の方々は持ってる資産が
4,300万円なんですよ
それで それが大体そうですね
まぁ直接お金としては1/3ぐらいになり
かつ生活に役立つお金という事になると
1/5ぐらいになるでしょうから
20歳から50歳までで1,300万円
いろんな形で持ってですね
まぁ普通預金もあるし
定期預金もあるし ファンドもあるし 株もあるし
土地とか家とかあるけど それがだいたい
例えば1,300万円持ってた人が
300万円ぐらいになっちゃうんですよ
やっぱりね これはかなりの打撃ですね
この打撃は二つあるんですよ
一つは直接的に1,300万円の資産が
300万円になっちゃって
やれることがぐっと少なくなる
子供を大学に出そうと思ったが出せなくなるとか もちろん
家のローンをかおうと思ったら
かえなくなるとか
病気で休んだ人はどうなのかとか
そういう具体的なことがある
もちろん生活の不安もある 病気なんかの人はね
それから4,300万円持ってる
50歳から80歳の人は
1,000万円ぐらいになっちゃうわけですからね
これはやっぱり
一体どうして生きていけばいいのって事になるしですね
旅行行くとか そういう計画は
全部諦めるって事になりますので
お金がなくなるっていう事は 非常に大きいわけですよ
つまり円の価値が
これね 円の価値が下がると普通言うんですけど
それだけではないんですよね
最初に僕は3年ぐらい前に勉強して説明したのは
ちょっと それだけにこだわったもんですからね
やや厳密さを変えたわけですね
よくよく考えますと
自分の持ってる 例えば
俺は3,000万円持ってるよ
という人がある日に通帳を見たら
1,000万円になってるってそういう感じなんですよ
ところが身の回りを見ると物価も上がってるし
いろんなものが変わるんで
その自分の打撃という点では
1,000万円以下になっちゃった
3,000万円あるからまぁ大丈夫かと思ってる人がですね
突然500万円になったら
それは人生やり直しになりますよ
まずはですね ここではですね
まずは今どういう問題が
起きてるのかっていうことですね
実はね この問題は
専門家の書いたものを
いくら読んでも分かりません
それはね 私が威張ってるわけじゃないんですよ
だから武田が言ってる
ヒバリクラブを聴けばわかるんだ
いやそんなこと言ってるんじゃないですよ
そんなに傲慢じゃないんですね
今 意見が対立してるんですよ
専門家の意見が対立してる 例えば
政治の崩壊と書きましたがおかしいですよ
政府から国民にお金を渡すって
いくら考えてもおかしいんですよ
おかしいという非常に経済学の偉い先生いるんですよ
だめだと そんなの
どんどん配れって人もいるんですよ
この二人がいるっていう事はですね
専門家で意見が分かれてるんですよ
専門家で意見が分かれてる
一人一人の専門家の事を
我々はいくら聞いてもですね
どっちが正しいか分かりません
もしそれが 私たちが分かるようになったら私たちは
その政府にアドバイスをしてる
専門家よりか学力が上だってことなんでね
それはありませんよね
MMT理論もそうですね
これはまぁ財政が 難しい言葉でいうと
財政が均衡してるのがいいとするか
それともお札はいくらでも
刷ればいいよというのかっていうことなんですね
これもやっぱり専門的な議論をすると
それは理解出来ません
せいぜい例えば私が
専門家のご意見を紹介するっていったら
この人はこう言ってるし
この人はこう言ってる
さあーあなた どっちか理解して
どっちかを取ってください なんつったってですね
専門家自体の意見が割れてるものを
素人の一人が まぁ1日や2日っていうか
1年や2年でもいいんですけど 勉強したからって
どっちか選べるわけじゃないじゃないですか
そんなに簡単に選べるんだったら
専門家が分かれませんよ 2つに ですよね
デジタル通貨もそうですね
まぁデジタル通貨の発行によって
通貨が安定するっていう方も勿論おられるんですよ
デジタル通貨の発行によって
世界の通貨がガラッと変わるという方もおられる
まぁドルが5分の1になるとかね そういう人もおられる
これもいくら勉強しても
デジタル通貨が発行されるとこうなると
言ってる人自体が専門家ですから
専門家が対立してる問題っていうのは
素人がどういう風に理解すればいいかということも
このシリーズで明らかにしていきたいと思っております
とにかく ポイントはですね
お金が非常に不安定だってことです 今
それで我々はやっぱりお金が安定して欲しいんですよ
だからお金は安定して欲しいんですが
不安定になりつつある
なんで不安定になりつつあるかつったら
不安定の方が得になる人が
結構多いんですよ しかも
不安定になって得になる人は
アメリカの例えば金融専門家だとか それから
世界の国際金融資本とかそういう人達なんですね
そういう人達は今までも 
今まではどのくらいあったかっていったら
我々の貯金を10パーセントぐらい下げて
株価を下げたりですね
彼らは株価下げたり上げたりするの簡単ですからね
金利を操作したりしてですね
彼らは自分の資産が10倍になる
僕らは自分の資産が10パーセントぐらい減ると
だから世界中の人たちの資産を
10パーセントと減らせばですね
まぁ千人とか一万人の人の財産は
10倍ぐらいに増えるんですよ
そういうことを今まで ずっとやってきたんですよね
まぁ1929年のブラックマンデーからはじめ 
ずっとやってきたんですね
資本主義になって大衆の時代になった時に
我々はお金のシステムを作り間違っちゃったんですね
ですから なんだかわかんないけど
一部の人が操作していいようになっちゃったんですね
アメリカではFBRという
国の金融政策を決める委員会が
株式会社で 民間の人がやってて
政府はそれに従ってると
しかも その会社の株主の
誰が株主か分からないと こういう状態ですよね
こんなのちょっとありえませんよね
日本でもそうですよ
日本でも一体こう株価のコントロールとか 例えば
東京証券取引所が またなんか
株の一部上場二部上場 形を変えるんですけど
なんで変えるのか もちろん説明されてますよ
表向きは しかし表向きは説明されても
私がこの前 そういう人に質問したんですけど
そのことは国民に幸福をもたらしますかって質問には
全く答えてくれないんですね
ですから 政府のお金の政策
もしくは ちょっとここまで踏み込むという事は
非難されちゃうんですけど
金融学者 金融専門家が考える
良い状態というのはですね
日本国民が平均として幸福になりますかっていうことは
一応 基準ではないんですよね
不幸になったって別に構わないんですよ 
国全体が良くなればいいんですね
国全体が良くなるっていう事は 分配が変わって
金融関係者がものすごくお金儲けて
その他一般の人が
お金を損するっていうのもいいんですよね
それに注意しながら 話を続けていきたいと
いうふうに思っております

2021年12月3日(ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/03

入院と体験 一つの成長か? 先生と議論する 確率と絡合 不運の中の幸福 (武田邦彦)





一日も早いご回復をお祈りしております。
本日の収穫 3599文字

えーとあのー 武田邦彦って言わなくていいんですけど
なんか今日は言いたくなっちゃったんですが
ちょっと不覚にもですね
入院してしまいましてですね
まぁ かなり痛んだもんですから
救急車で とある病院に担がれましてですね
診断を受けまして
その時に私の まぁごく親しい先生がですね
お電話して診察してもらったら
これはもうすぐ行かんといかんって言うんで
救急車で病院に入りましたもんですから
病院自体はすぐ引き受けてくれましてですね
すぐ救急でCT撮ったり
なんか色んな事やりました
それでお医者さんが三人ぐらいで協議してですね
一回 一度は
これすぐ手術だと言うことになってですね
その時に腸の半分と
肛門がなくなるかもしれないなんて言われてですね
なくなると言われたと思います
その時に私がですね
あーそうですか 分かりました
という風に答えたらしいんですよね
私もそういう風に覚えてます
その時の私の心境は
これはまぁ 大変なことになっちゃったなと
自分も今まで 一応病気がちではあったけど
五体満足で生きてきましたね
それは五体満足ったって
右目を失明したりしましたからね
まぁ今この失明は全部人工的な目が半分がですけど
治っておりますが
まぁその他に色々苦しい歴史がありました
しかし それでも腸の半分と肛門がないなんてですね
ちょっと凄いなーと思ってですね
それからしばらくは
自分としては心の中で 一体どういう生活するのかなーと
普通の生活ってできるのかなーとかですね
まぁそういう風に思って
ベッドの上でやっておりましたね
そしたら そこにいたもう一人の人が
先生 写真撮ろうって言うから
よしよしと思ってですね
こうVサインで写真撮りましたら
その写真を見た方がですね
あーこれ何で なんか定期検診がなんかで
病院行ったのかなと思ったそうですけど
えー後にですね
まぁ三日ぐらい後に
私を救急病院まで引率してくれた先生ですね
大変にベテランで
大変に素晴らしい先生なんですけれども
その先生がですねえ
お医者さんから僕がそう宣言された時に
顔色一つ変えずですね 分かりましたと言ったのは
びっくりしたって言うんですねえ
普通の人だったら結構顔色が変わったりですね
それから がっくりしたりっていう事があるんだけども
あれにはびっくりしましたと 先生に言って頂きました
私は色々訓練をしてですね
右目を失った時には これが耐えられるだろうか
自分はこの
右目がもう見えないってことに耐えられるだろうかと
いう風に思いましたし まぁ今度もですね
あーこれで私は
まともな生活はできないんだなーと思いまして
どういう生活を
これからするべきかなっていう風に考えました
しかし私が最終的に
自分の目標としているのはですね
どんなこと言われても
それによって動揺する人には
人からは脱したいって言うんですかね
それが私の願いですので
今度先生に あの時に先生が
顔色一つ変えずに
分かりましたと言ったのはびっくりしましたと
言って頂いた事は
私の人生のプライドの一つであります
その後ひとしきり先生の
人間はなぜ病気になったり
なぜ人間は若いうちに亡くなる人もいれば
年取って長寿を全うする人もいると
いう話をいたしました
物理的には これ確率の問題ですね
どんな病気でもですね
例えば一億人いますと百人とか千人とかいうのは
必ず色んな病気になるんですね
それで そのお医者さんは
長い間 開業医の経験がありますから
本当なんですよ武田先生 健康に気を付けて
もの凄くちゃんとやってる人でも病気になるって
命を落とすし
いい加減な生活をしてても
全然元気だっていう人がいるんですよねと
それは確率的に少しの差はあるかもしれない
例えば 健康に気を付けている人は3パーセントとか
自堕落な生活をしている人は
4パーセントとかいう差はあるかもしれない
だけど当人 その一人の当人にとってみれば
やっぱり俺はこれだけ健康に
気を付けて生活してるのにと
そういうやっぱり思いがあると
そういう風に言われましたんでね
実は私はその物理的にはその確率という
つまり一億人いれば一万人はなるよと
二万人はなるよという そういう考え方だけを
今まで言ってきたんですけど
実は私は心の中は少し違ってですね
そういった確率的なものと もう一つですね
絡合があると僕は思ってるんですね
まぁあの 絡合というのはですね
個体間の 個体の影響
全体からの影響が個体に及ぶ
これはもう 現象としては幾らでもあるんですが
個体間の連絡方法がまだ未発見なんですね
ですから例えば 一番簡単に言えば
お化けが 私はお化けを見たと
そしたら みんながそれに対してなんて言うか
それは嘘だと言うんですよね
それは なかなか面白くて
この議論は なかなか面白くてですね
お化けを見たのを否定しているのか
それとも お化けっていうのは存在するはずがないので
あなたが見たのはお化けじゃないと
言ってるのかって全然違うわけですね
お化けを見たか 見ないかっていうことは事実ですね
それからお化けを見ても
我々今の その人類はお化けを説明できないから
ない事にしとくよっていうのとは もう全く違いますね
それで私は 絡合的現象ですね
つまり一人の行動とか 一人の運命
そういったものはですね
全体の運命の力を受けている
ということの事実ですよ 事実ですよ
そういう事があり得るかどうかは別にして
事実の例っていうのは
いくらでも知ってますって先生に言ったんですね
例えばって 二三の例を挙げました
これらの例は 事実としては観測されてます
事実として観測されているっていうのは
繰り返し事実として観測されてるってことですね
再現性 まぁ普通の一般の人が
我々が使う言葉ですと再現性があるっていう
再現性があって
その理由が説明できないという現象はありますと
ところがこの現象が学問の表面に出てこないのは
原因が説明できないから
どうしても人間はそれが嘘だという風に言いそうになる
ところが僕は 事実っていうのは
もしも再現性は非常に難しいんですね
実は再現性がなくてもいいんですよ
事実であれば というのは
再現性を こう何て言うか
観測できるっていうのは 相当
その事実の中身が分かってなきゃいけないんですね
ちょっと機会があったらもう一回
なぜ再現性っていうのが難しいのか
再現性が得られるような状態であれば
むしろもう その理由が分かってる様な時なんですね
ですから 普通は科学の先端っていうのは
再現性がない場合が多いわけですね
勿論 その星の観察とかですね
それから そういうものは
もう人間にとって大昔から見てますから
ある程度再現性があるんですけども
今まで人類が気が付いてなかったって
いう様なことはですね
なかなか再現性がないんですね
まぁちょっと外れますので
次回の時に もう少しいい例を持ってきますが
西暦千年 今から千年ぐらい前に生活をしてた
小説家の紫式部
源氏物語をお書きになった紫式部にですね
今 飛行機が
巨大な飛行機が空を飛んでるのを見せて
紫式部さん あれは何ですか?と聞いたら
いや分からないよ 天狗じゃないですかと言うと思うんですね
つまり我々人間はですね
事実は存在しても
自分の頭では説明できないっていうことは
山ほどあるんですよね
私なんかはもうそういう中で
研究をしてきたとも言えるんですね
それで私が絡合っていうのは必ずある
必ずありますね それは
もう事実がありますから
説明できないっていうだけですね
ですから 事実を否定しないっていうことが重要なんですね
事実を否定しないこと 事実の疑問をですね
事実の疑問ですよ
解釈の疑問じゃなくて事実の疑問は ちゃんと質問して
事実が存在しているかどうかを確認するっていうのは
まぁ科学者にとって
非常に重要なことじゃないかと思うんですね
まぁ 僕はこの議論は
お医者さんにしたのは3回目なんですよ
非常に偉い先生の場合
僕はちょっとこれ質問するんですね
先生 随分多くの人がいて先生から見て
原因があるから病気になるんですか?
それとも 原因なくても
ある確率で病気になるんですか?と
いうことをよくお話させていただきます
これに答えて下さるお医者さんというのは
かなりのレベルの人しか答えない
あとは面倒くさいっていうだけなんですよ
現在までの私の議論では
やっぱり絡合が効いてですね
ある人 だから例えば
お酒をどうとか 行動が乱暴だとかいうような
我々がすぐ思いつくような原因と
病気っていうのは
繋がってないんじゃないかという風に思いました
それからですねぇ ちょうどこの病室で一人で
もうとにかく今はもう面会もできませんしね
何しろ食事もまだ 発病から食事も
全然とらせてくれないってこともあって それで
まぁ じっとベッドの上になってるもんですから
この際 不運になった人間の幸福っていうのは
どういうメカニズムかっていうのをですね
今色々調べたり聞いたり読んだりしております
一応この今ですね まだ回復してませんが
あんまり脳を使うとですね
グリコーゲンが消耗されまして
絶食中なんであんまりいけないんですけど
一つ まぁ 入院を一つのいい事って言うか
不運の中の幸運かな なんかだと思ってですね
やってみたいという風に思っております


2021年12月2日 ヒバリクラブ

#武田邦彦

2021/12/01

 武田先生ですが、先週の土曜日に急遽腹膜炎で入院されたようです。心配です。

腹膜炎とは、何らかの原因により腹膜に炎症が起こる疾患です。 大きく急性腹膜炎と慢性腹膜炎に分類でき、急性では、突然の激しい腹痛が起こります。 慢性では、痛みが出たり消えたりといった症状が現れる点が特徴です。 また、重症の急性腹膜炎を24時間以上放置してしまった場合、命にかかわることもあります。(引用 https://medicalnote.jp/contents/170706-001-VL)



2021/11/29

100年人生時代の男女(2) 50歳から変わること 小説なし、体験なし 男性は第一線から後退 女性は産む育てるが軽くなる それだけでも文学がいる

 


本日の収穫文字数は4253文字です。

えーとですね
人生100年ということを考えますとね
一番考えなきゃならないのは
まぁ私の言う第二の人生なんですね
何と言ったって本当に考えられませんが
人間というのは本当に
ちょっと前もちょっと後も考えられないんですけど
今から100年前ですよ
100年前というと随分遠いように思いますけどね
なにしろ日本というのは人が住んで3万年
ちゃんとした国っていうのが出来て2000年ですからね
ほんと最近のことですよ
それまで日本人と言ったら平均年齢43歳だったわけですよ
1920年まで43歳ですからね
50歳を超えたのが1947年 戦争の後ですね
ですから今100年時代に入ったわけですよ
この100年時代は嘘だって言う人いるんですけど
嘘でもなんでもなくて
平均余命 平均余命の計算っていうのは
かなり厳密にやってるんですよ
そうしないとですね 社会システムも保険も
年金も何もできませんからね
2年ぐらい前に日本人の
50歳を超えた人達の平均余命が
50年を超えたんですよね
50歳になった人の平均余命が
平均余命ですよ
平均余命が50歳を超えたっていうことは
平均的に50歳を超えた人の人生は
100年になるっていう事なんですよ
もちろん早く亡くなった方は別ですけどね
ということは50歳を超える人って
いうのは大半なんですけどね
50歳まで生きてる人っていうのはもう
生きてる人の中の大半なんですけど
その人は100歳人生ってことなんです
だからもう結論として
100年人生があると言っていいんですよね
実はだけど これが一番困るのはですね
50歳までっていうのは 我々のイメージがあるんですよ
どういう人生かってイメージがありますね 例えば
産まれたら成長して
まぁ 6歳か10歳ぐらいになると物心ついて
それで勉強してずっと今度は 内面的にも成長していく
大体20歳ぐらいになると 心身ともに成長して
そして社会人になることができる
社会人になったら当然 会社に入って
一生懸命 伝手なんかもやったり
努力したりして会社に入り
会社の中でもまぁぺーぺーで
怒鳴られながらも一生懸命やり
そのうちには彼女とか彼氏を見つけて
結婚して子供ができたりできなかったりして
まぁそれで次はもう子供のことでもう
非常に心配したり喜んだりして
家も建てて ローンもあったり
会社が倒産したり色々家族にも
いろんな不幸もあるしですね
悲喜こもごものなか 一生懸命やって
45歳ぐらいになりますとね
まぁ子供も大体
まぁ大学生になつたり
高校に入ったりしてですね 一段落する
あんまりひどいことにはならない
それで50歳ぐらいになると
もちろん中には小さい子どもがいるとか
もちろんありますよ だけども
あらかたの人生って終わるんですね
ですから戦争が終わった1945年に戦争終わってるんですが
あと2年後のは1947年に50歳の平均寿命の時は
さして考えることはなかったんですよ
それまでの小説なり そういったものはですね
人生どう生きるべきか
もちろんそういう人生どう生きるべきかっていう
そのものの小説もありますし
それから結果として人生どう生きるべきか
例えばトルストイの戦争と平和を読めばですね
トルストイの戦争と平和の中に 人生いかに生きるべきか
伊藤左千夫の野菊の墓を見ればですね
その中で人生男女はどういうものか
ということを知るわけですから
そういうことの積み重ね
もしくは お婆さんから体験を聞く
爺さんから戦争の体験を聞くということで
50歳までの人生っていうのは
何で我々が50歳までの人生というのを
20歳ぐらいの時に描けるかと言うと それは
小説があり体験話があるからなんですよ
ところが50歳から以上というのはですね
小説とか体験話がないんじゃないですよ
だけど穏やかな老後とかですよ そういうね
そういう全然人生じゃないですよ
ただ生きるために
50歳から以上は穏やかに生きるためには
どうしたらいいかっていう事があるだけなんですよ
つまり男性は第一線から後退しますね
もちろんこれからは男女っていうのが
違う感じになるかはしれませんが
少なくとも現在まではね 第一線から後退する
粗大ごみなんて言われたりすると それから
女性はとにかく大きな変化がありますね
生理が終わって産む育てるってのが
非常に軽くなるか なくなるかなわけですよ
だから一応今はですね
どういう時代に突入してるかって言うとですね 
皆さんというか
全員がどういう時代に突入してるかって言うと
50歳以上の人生 50歳から100歳ですからね
0歳から50歳と同じだけの重みのある時間なんですよ
その重みのある時間がですね
今空白なんですよね
人生として空白なんですよ
それで まぁ私いつも言うんですけど
私はそれに45歳の時に気が付いて 大急ぎで準備して
50歳で会社を辞めて
第二の人生を今歩きはじめているわけですよ
それでまぁ とりあえず
基本的な骨格を作んなきゃいけないから
私の20歳から50歳の30年間の
社会生活と同じような社会生活を
60歳から90歳の30年間しようと思ったわけですよ
それはどうしてかと言うとですね
それしかその時には私の頭になかったんですよ 要するに
0歳から50歳の人生を
50歳から100歳の50年間を繰り返すと
ちょっとは違うですけど ほぼ繰り返すと
その50歳から100歳までの人生という
全く別の概念の別の人生っていうのは
やっぱり僕は45歳の時は思い浮かばなかったのですよ 実は
だから50歳から60歳までは10年間
これはどういう風に考えたかって言うと
10歳から20歳までの教育期間と同じで
社会に出る準備をする
その10歳から20歳の時の準備っていうのは
主に勉強とか運動ですよね
という事をやって自分が人間として一応完成する
しかし今度は50歳になってますから
人間としては完成して
肉体的には やや下り気味なんですよね
ですから50歳から60歳の10年間で僕が準備したのは
60歳から90歳までを生きる準備なんですよ
それは教育とかそういうんじゃなくてお金とか健康とか
それから人間関係ですね
この3つに一応絞りまして
60歳から90歳までに
自分がやっていけるようにするということで
一生懸命それやってですね
それでまぁ今までそれまで 私は50歳までは
もう健康なんか何も考えなかったんですけど
考えなくても生きていけますね
ところがやっぱり50歳を過ぎた自分っていうのを考えると
やっぱり健康も大切だし それから
人間関係がだんだん
難しくなると思ってたんですね というのは
会社みたいな集団にいなかったり それから
まぁ自分自身も何か気難しくなったり
頑固になったりするんじゃないか
だからそれはその一つの手当てをしようと思いましてね
そして体なんかも ちょっと皆さん逆だと思いますけども
私が考えたのは 50歳から私は健康診断をやめたんです
つまり健康に関する考え方も
50歳までは 言わば
家族のための自分の健康だったんですよ
私は男性ですからね
私が倒れたら家族が困るだろう
だから健康診断をして
早期に 病気を見つけて治す
そして家族が危機に陥らないようにしようって
そういう概念ですよ
健康診断ってのは別に男の場合
自分が死ぬか生きるかよりか
むしろ家族なんですよね 中心は
特に僕ぐらいの世代はですね
ところが50歳以上はもう家族のためには
自分は生きてる必要はないんですよ
まぁもう一応生活は安定してるし
子供は一応 ちょっと若かったかな
もう収入がある状態ですからね ある状態にほぼ近い
だから むしろ50歳から100歳までの
私の人生の私の健康っていうのは
私自身の健康なんですよね
まさに私が死ぬか生きるかの問題だけなんですよ ですから
健康診断やめようと 
自分のためには一生懸命健康は気をつけますよ
例えばコロナが流行ったら
できるだけコロナにかからないように
自分の免疫を上げるとか 日光浴をするとかね
ご飯を食べて味噌汁食べるとか そういうことはしますけど
それは自分のためですから 軽いですよね
自分の命の価値っていうのは半分ぐらいになるわけですよ
家族から切り離されるから だから
まぁ健康診断やめた
そういうようなことで全てですね 
変えなきゃいけないんですね
血圧の問題もそうですよ
若い頃は血圧 多少気にしてましたけど
50歳以上になりますとね 血管壁が硬くなるので
血圧が上がることを心配してたら
認知症になっちゃいますからね
だからこれも違うわけですね コレステロールもそうですね
ですから 50歳までの健康基準というのと
50歳以上の健康基準というのは
元々考える基盤が違いますからね
違うわけですよ
そういう事を 一つ一つ全部自分で考えたので
大変だったんですよ あれやこれやとね
今は私はちょうど中間ぐらいにいるわけですね
あとまぁ90歳まで働けるかどうかわかりませんが
一応その働けると仮定してやると
そうするとね またいろいろ
死ぬという事についても考えが変わりますよね
いつかは死ぬだろう
だけども自分は今仕事中だ
それは20歳から50歳までと同じだけども
確率はものすごい死ぬ確率が高くなってるんですけど
そういうことでやっていくと
ところがまぁ 今ここで言いたいのはですね
このブログをお聴きの皆さんに言いたいのはですね
やっぱりひとまず第一小説なし体験話なしですから
まずは文学者はどんどんね
穏やかな老後じゃなくて
第二の人生の小説を書いて欲しいんですよ
まずイメージを作んないとね
我々は何しろイメージができなければ
考えることもできませんね
今まで僕はそういうことをずっとやってきて
今日も明日も私はもう 一日一日新しいことを考えて
やって行かざるを得ないわけですよ
人間関係なり なんなり
それはあるいは非常識だったりもしますけど
非常識ったって元々常識がないんですよ
特に女性がそうですね
女性は閉経しますから
まぁ孫の世話とか
そういうのはあることはありますが
夫がいて孫がいるってなったら まだ少しはね
延長線上で女性考えられますけども
夫がいなくて孫がいないなんてことになりますとね
男性もいないなんて事になりますとね
それは人生は随分違うんですよ
第一の人生と ですからこれはね
割合と積極的に女流の作家なんかもですね
自分のことだけを考えずにですね
ちょっと女性ってそういうところあるんで
やっぱり自分はこうだっていうところがあるんで
社会全体としてですね 第二の人生を
女性はどう生きるべきかということに
優れた女性は 頭を使ってもらいたいと
そんな風に思いますね
まぁ少しずつこの100年人生の男女というブログでですね
私自身の考え 少しずつ50歳以上の女性とか
そういう様な考えも述べていきたいと思いますが
これはもう大量の人がこれに参加しないと駄目ですので
みんなで考えていくべきものだと
私は思っております

2021年11月29日(ヒバリクラブ)

#武田邦彦


2021/11/28

日本は違う。一つ上  6.子供は神の子  全く違う成長と教育  のびのびと育て魂を持つ  チップをねだる文化、チップを断る文化  敵将を遇する日本、敵将を辱める欧米  男女を比較しない。 仕事は恩返し。 日本の宗教は平和。



本日の収穫文字数は3416文字です。

今日はですね 日本は違う
主な国に対して一つ上であると
子供についての考え方ですね
本当に子供についての考え方は
日本とヨーロッパと ものすごく違うんですね
ヨーロッパはですね
子供というのはまだ教育されてないので
野獣であると 野獣であるので
それを教育で人間にしなきゃいけない
だから鞭を使うんだっていうのが
ヨーロッパの基本的な考えなんですね
ですから まぁ昔
今はそんなことはありませんが
昔のヨーロッパのイギリスのですね 小学校では
先生が鞭を持ってるんですよ
鞭を持ってるって事なにかていったら
相手が獣ですからね
獣ですから この子供は獣なんで
先生という大人 
つまり教育が終わって人間になった人がですね
獣に対して鞭を振って教育すると
もしくは木に縛り付けたりもしたりしたんですね
それで とにかく子供を人間にするんだと
獣から人間にするんだというのが
基本的なヨーロッパの教育の考え方なんですね
それと180度違うのは日本で
日本はですね
子供は神の子なんですね
実は人間というのは 
子供が一番正しいっていうか綺麗で
純粋で大人になってくると
どうしても人間の悪い所を つまり
大脳皮質の利己性が出てくるんでですね
これは どういう事かって言うと
大脳皮質の下にですね
ちょうど頭の下の方に
真ん中ら辺に扁桃脳?があるわけですね
この扁桃脳?は 
5億5千万年間の生物の知恵がつまってるので
どちらかと言うと利他的なんですね
利他的って言っても難しくて 例えば
獲物を捕食する 捕らえて食べるっていうのは
これは生物界では悪いことではないとされてるわけですね
そうしないと生きていけませんので
自然の秩序そのものがですね 太陽の光で草が生え
草を食べる草食動物がいて
草食動物を食べる肉食動物がいるって言うのは
これはもう 自然の摂理ですから
これはいいとしなきゃいけないですね
それから そういったものが繁栄するためには
ウイルスだとか微生物だとか
ミミズとかそういったものが必要なんで
それで一つの体系を成しているということなんですね
ですからそのー 草食動物が肉食動物を食べるとか
草食動物が草を食べたりするっていうのは
これは良い悪いという問題ではないということなんですね
それでその そういった中で一つの調和ですね
一つの調和をとって自然というのは成り立っている
その状態で子供は生まれるわけですね
子供は親から
扁桃脳?は もらって生まれるわけですね
それから0歳から25歳まで
大脳皮質を 人間の知恵を入れるわけですね
だから結局 大人と子供
生まれたての子供と大人の差っていうのはですね
日本の考えだと
子供は生まれた時に
神の子として生まれる 
この神の子っていうのはどういうことかって言うと
まだ人間の知恵が入ってない
5億5000万年間の動物の知恵ですね
生物の知恵が詰まってる この状態は神様だと
それは神様ですね 自然ですからね 
人間は 日本人は自然と祖先を神としたわけですが
その点では確かに 子供は神の子なんですね
つまり子供は生物としては正しい行動ができる
まだ人間としては その上澄みの人間としてはできていない
ということなんですね
ですから人間は子供は神の子 そうすると
子供はこの何を学ぶべきかっていったら
できるだけ自然に近いものを
学んでいくっていうことが大切で
それによって利他的な心も持ってですね
みんなで暮らしていこうと
全員で暮らしていこうと 恩とかですね
日本人の恩とかいう心が生まれるわけですね
ですから子供は神の子で
できるだけ子供同士で遊ばせて それも
自然の中で遊ばせる そのことによって
てにをはとか数学算数なんていうものよりかですね
1+1が2であるとか
そういう事ではなくて
そういう事を最初に覚えるのではなくて
つまり人間の知恵を覚えるんじゃなくて
生物としての正しい自然を学ぶっていうことなんですね
そして7歳ぐらいになると
読み書きそろばんとか
今で言う小学校1年生ですかね
読み書きそろばんとか言葉漢字っていうのを覚えてですね
そして人間社会で生活できる様にする
しかし人間社会っていうのは基本的に利己的ですからね
だからダメなんですね ところがヨーロッパのように
子供はまだ教育を受けてない獣だから
これを縛ったり引っ叩いたりして
人間の知恵を大脳に入れるんだと
これが先なんだという風にしますと
絶対に これはどういうことが生まれるかっていうと
大脳皮質から完成がしてきますから
利己的になりますね
そうしますとヨーロッパの社会のように
中国もそうですけど
支配層と非支配層に分かれるわけですね
ですから子供を鍛えて支配層に入れて
同じ人間の非支配層を圧迫して
自分だけが幸福な人生を送るという
個人主義になるわけですね ですから
個人を尊重しろということになって
集団を尊重するのは野蛮である 
こういう考えになるわけですね
ですから大本は
子供というものをどう捉えるかっていう事なんですね
もう生物としては完成してるから
後は人間の知恵を少し足さなきゃいけないが
人間の知恵っていうのは とかく利己的なので
どうしても自分が支配層に入ろう
自分の国が他の国を占領しよう
もしくは植民地にしよう 皆殺しにしよう
ということになるわけですね
その考え方は
歴史的にはも実証されておりまして
ヨーロッパ諸国はものすごく戦争しております
それからロシア これもあのウクライナよりか
西の方にいた昔のロシアですね
これがシベリアに進出してくる時は
村を 一つの村が一つの村を兵隊が囲んで
焼き払って皆殺しにする
そしてそこに白人のロシア人が住むと
そういうことでウラジオストック つまり
シベリアずっと来たわけですね
それからイギリスとかスペイン ポルトガル
イギリス オランダっていうところは 今度は
海に出て行って
そして有色人種の国を全部植民地にし
植民地の人に働かせて
そして自分達は まぁピアノ弾いたり絵描いたりしてたと
これは子供に対する考え方のところでも別れて
そして そこで会得した自分たちの考えをですね
やるわけですから
当然その帰結としてですね
支配層と奴隷を作るのがヨーロッパであり
一つの平等社会を作ったのが日本である
力づくの社会がヨーロッパであって
力づくではない社会が日本にできたということは
日本とかヨーロッパ全体の考え方の思想と
一致してるわけですね 教育もそうなんです
ですから日本の教育っていうのは 
今の教育は日本の精神の上に
ヨーロッパの残酷な力づくの精神を植え付けて
あたかも なんか算数とか国語はできる子が偉いとか
そういうような力づくの教育を現在してるわけですね
しかも国家のための教育というものはあるわけですね
それはどうしてかっていったら 一つは
その子供自身が実力を 力をつけて
力づくの社会で支配層に入るっていうことですね
もう一つは国家自信が 全体が力をつけて
そして他国を痛めるという 二つのことが目的ですからね
教育の元々が ですから日本のように
大きくなったらみんなで一緒に
幸福な人生を送ろうやっていうのと
全く180度違うんで 受験ステムとかですね
他人を蹴落とした人が優秀であるとか
それからあなたの長所は何ですか
取り柄は何ですか という質問をしてですね
取り柄っていうのは
他人よりか優れたこと ということなんで
そういうことで
支配層になって
奴隷を使うんだという精神の人間を作る
そしてまさに この2000年間って言うか
まぁ特に外国との交渉が増えてきた1500年
15世紀から近代にわたってですね
この子供に対する考え方っていうのが
教育に大きな影響を及ぼしたんですね
どちらが優れているか
他国と戦争するにはヨーロッパ流の
子供に対して鞭を打つほうが優れてるし
みんなで一緒にやろうやっていうのが
日本で 平和ですね
現在の中国が
非常に侵略的であるっていうのは
中国は日本の隣にいるにも関わらず
ヨーロッパ文化と全く同じなんですね
子供を鞭打って あるいは殺してもいいと
神の子って 子供は神の子じゃないよって
いうのは中国でありますので
日本と中国がですね
あまりうまくいかない 感覚として
アメリカと中国の方がうまくいくっていうのは
どういうことかって言うと 大陸文化ですね
中国 中央アジア 中東
ヨーロッパ アメリカという所の文化とはですね
日本はもう全然質が違うということで
おそらくアメリカ人も中国人も
日本人に対しては違和感を持つ 
違和感を持つというか もしかしたら
心の中で ひがんでるのかも知れませんね
日本人っていいなーと
みんなのためを考えて生活してるなあーと
それから見れば我々は本当にこう
一刻を争って他人を蹴落とそうとしてるなぁという
そういう引け目があるのかもしれないと
私は思っています

2021年11月28日(ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/11/27

仮想なのか現実なのか? “貴族政治と変わらない日本”  度が過ぎた二世議員 それを産んだ小選挙区 それを正当化するメディア 議員報酬をサカナにする (武田邦彦)


 

この人間の頭と言うかですね 集団っていうのは非常に面白い特徴がありまして なんだか仮想なのか 現実なのかよく分からないというような 矛盾したことがしょっちゅう起こるんですね これは一言で言えば 人間の大脳の構造の欠陥なんですけども 事実 非常に面白いんですね まぁその一つとして 現在の日本は貴族政治なのか 民主主義なのかと 民主政治なのかと それはもちろん民主主義に決まってるじゃないか 民主政治に決まってるんじゃないかって言うんですけど それは そういう 名前になっているだけではないかと思うんですね というのは もう簡単に言えば 現在はもう既に 度が過ぎた二世議員なんですよ 本当に度が過ぎてるんですよね だって政府の上の方はみんな二世議員ですよ それでまぁ 陣笠って言うか 要するにぺーぺーの議員の中にはですね 二世議員じゃない人もいるというぐらいで まぁなんて言うか 安倍総理大臣 まぁ二世だと 麻生副総理 まぁ二世だと その他に今ちょっと注目されてる林前の文部大臣ですね もちろん二世であります しかもこれはですね 麻生さんは福岡ですけども 山口県出身 もの凄く多いわけですね それで山口広島ぐらいがですね やっぱり旧毛利藩の力がありましてね 明治維新の時に大変に力を出したので 現在でも山口を中心として この鹿児島の方が衰えて 山口県の方がですねえ ずっと続いているっていうのは やっぱりまぁ 吉田松陰の松下村塾 これの出身者の伊藤博文とか山縣有朋とか その他 ものすごく首相を出しましたからね そういうような事もあるでしょうし それから 鹿児島の方は西郷隆盛のやっぱり 反乱がかなり大きな影響を与えましたし 軍人の方はある程度 鹿児島県出身っていうのが幅を利かせましたが 現在では既に政治家の方はですね 山形貞則だったかな税金関係の それから 二階堂進とかですね かつて割合そうそうたる議員がいましたが 今ではもう鹿児島選出の議員っていうのは すっかり影を潜めたということですね しかしまぁ ポイントは二世議員ですよ 二世議員っていうことはどういうことか まぁ例えば 河野太郎さんとか 小泉進次郎さんを見ると分かるようにですね 一つは世間知らずであるということですね なんたってもう河野家でも 小泉家でも何代か続いてですね  議員やっておられるわけですよ 鳩山さんもそうでしたね 鳩山首相も ちょっと とんちんかんなことがあるんですが それはやはりあの 貴族階級ですね 現在の貴族階級っていうと二つありますよね 一つは政治関係の二世議員を ずっと繋いでいくような貴族関係と それから会社の会長社長あたりで これは比較的民主的なんですよね トヨタ自動車みたいに現在でも トヨタという名前を使って やや世俗的ではありますが それでもトヨタ自動車とか松下 ナショナルですね 今ではもう名前を パナソニックに変わっておりますが やや世襲というわけにはいかないようになっておりまして やはり産業界は政治と違って 優秀じゃないと社長やってられませんからね やはり二世というのはある程度は 制限されるということになりますね それを生んだのは もちろん小選挙区制で なにしろ選挙区に一人しか 実質 与党野党 一人ずつしか 立てられないということになりますと もちろん地盤看板鞄がものを言いますね 地盤というのは まぁその地盤ですよね  その地域の 地域でやってきた 看板ってのは名前とか そういう知名度ですね それから鞄 お金ですよね そういったものが どぶ板選挙とも言いますけれども 狭い 狭い選挙区で国政ですら 狭い選挙区で戦うわけですから これはまぁ 二世議員が出てきますね それからまぁ もちろんそのー 最近私が指摘してる供託金ですね 選挙に出るために衆議院だったら600万円 参議院で300万円 比例区と なんか一緒になると もっとさらに積み増すと言うのはですね もう本当 世界で稀に見る高さなんですよ 普通は10万円ぐらいなんですよね それは憲法違反してるわけです 日本人は結構 憲法違反が平気なんですよね 今度の色々なこともそうでしたけども 憲法違反で何かやってても それはいいよということなんですが 憲法ではですね 党を選ぶのじゃなくて 議員さんを選ぶわけですから 自分の代わりに代議士になって言ってくれる 議員を選ぶのですから 30人ぐらいいないとですね その中から 自分がこの人と思って推す人はいませんよね もう少し こう電子化されましたから もう立候補止めて 全員が誰でもいいから名前を書く という制度の方がいいような気がしますよね それから もちろんその所得だとか それから立場とか二世だとか そういうのって絶対に区別しちゃいけないと思う 憲法では厳重に書いてありますが 実際上は二世でないと立てない 例えば 有力な政党のボスと繋がってると 政党交付金で立候補する時にお金もタダになると しかも区割りもくれる地盤もくれるって事でですね 完全なこれ 貴族社会なんですよ だから日本の中に庶民社会と貴族社会があって 貴族社会が政治をやってるわけです ですから民主主義じゃないんですよね これはもうどう見ても正しいんですが メディアは相変わらず それを促進する様なこと言ってますね 例えば供託金が少ないと 泡沫候補が出る 泡沫候補は相手にしない そんなこと言ってますが 日本のように供託金が高いって国が例外なんですから メディアは本当にきちっと議論をするんだったらですね 各国の供託金と候補者の数かなんかをちゃんとやってですね それが本当に泡沫化してるか 泡沫というのは民主主義で どういう意味を持ってるのかと 言う様な事を議論しなきゃいけないわけですね こういう風にこう貴族政治 日本の政治が貴族政治になった原因はですね 一つは戦後にマッカーサーがですね  これは正しかったと思うんですが 議員報酬があまりに低いと 日本の議員報酬がですね あんまり低いと 結局これは 金持ちしか議員になれないということになるので 報酬が高いとか低いっていうのは難しい 両刃の剣なんですね 報酬が低ければ 生活に関係なく 議員ができる人しか議員になれない ところが今度は報酬が高すぎると 政治家というのが 政治屋になって職業化するということになるんで 頃合が難しいんですが まぁ私は今の まだロートルの年取ったですね 議員の中で明らかに政治で金を儲けてきたという人が 結構いるんですよ それから河野家にしてもですね 小泉家にしてもですね 政治家は長くやったらお金がなくなる というほうが正しいと思うんですよね つまり利権を 政治っていうのは 利権を取っちゃいけないわけですから だから家はやっぱり出費があって 少しずつ貧乏になると 耐えられるぐらいの貧乏で やって行くっていうのが本当なのに 鳩山さんにしても 小泉さんにしても 河野家にしても金持ちなんですよ ということは政治が金になる つまり利権化してるって事は これでも証明されるわけですね 私が批判してるように 小泉進次郎さんが環境大臣の時にですね レジ袋を有料化したと 国民に環境意識を持ってもらうためだ なんて言いましたけど 自分は奥さんと合わせて資産が3億円以上もあると それで3億円以上資産のある夫婦がですね 環境にやさしい生活をすることができるはずがないんですよ 絶対できません お金を使えば環境には悪いんですよね 結局 レジ袋有料化したって3億円もある人がですね 3円のレジ袋が問題にはなりませんからね それからもう一つは その小泉進次郎さんなんかの感覚が 非常におかしいと思うのは かなりの 小泉さんがですよ 奥さんの資産が分かって 奥さんに申し訳なかったって言ってるんですよ 何言ってんだろと思いますね 大臣の資産を公開するっていうのは 国民のためにしようということに 国会というか みんなでなったわけですよ だから大臣ともなれば 奥さんの収入も含めて 公開しなければいけない ということなんですからね ですから それ決めた本人 立法した本人っていうかですね 大臣がですね 家内に申し訳ないなんていうのは 一体何を履き違えてるのかと思いますよね そういう覚悟で国政をやって下さいっていうことで やりなさいっていうことで 国民が大臣に命令してるわけですからね そういう点ではですね  江戸時代の士農工商というのは非常にいい制度で 侍は権限を持って 政治的権限を持ってましたから 報酬が米なんですよね 百石とか二百石とか  殿様ですと十万石とかこういう風になるわけですね 米で貰うわけです 米で貰うと 米を 米蔵につめて置くんですけど やっぱりまぁ最近の米でもですね 3ヶ月ぐらいも経ちますと味が落ちてきます まして古古米ぐらいになるとですね とっても味が落ちてきますので まぁ貰ったものは消費しなきゃなんない つまり 蓄財できない 政治的権力を持ってる人が 蓄財できないってなったわけですね 士農工商という 農と工はですね 現物を持ってるわけですよ 米がとれるとかね それから刀鍛冶をするっていうわけで これは現物と繋がってますから これはまた それで強いんですね 商はですね お前ら下賤だ下賤だと言われて 政治的権力も何もない 時には非道な方法で財産を没収される そういう立場の人は お金は使っていいということで 権力とお金が結びつかないような制度を 巧みに作ってるわけですね これは日本の天皇陛下の制度もそうですし つまり天皇陛下に軍隊がいなくても みんなが跪くとかですね 女性 男女の関係もそうで 女性に力がなくても 結婚したら男は 妻にですね 収入を全部渡すとかですね そう言ったその日本独特の その平等感覚って言いますかね そういうものが働いてるわけですから 国会議員もこの際報酬を魚にしたらいいと思うんですよ 日本は漁業国家ですからね 魚をうんと食べようということで 議員には魚を配る そうするとまぁ 大きな冷凍庫でもなかったらですね 取っておけませんから だから権力と お金だからいけないんですよ お金だから蓄財しちゃうんですね 魚だから議員報酬も魚 それから供託金も魚っていうのに決めればですね それはもう随分変わると思います

2021年11月27日(ヒバリクラブ)

#武田邦彦

日本人を幸福にする具体的な政策1 (教育)本人のための教育へ 国家のための教育から本人のために 誰もが数学の専門性はいらない 人生に必要な学問体系を作る (武田邦彦)


 

日本人を幸福にするための具体的な政策って言うのが 必要ではないかと思うんですね 一応 基本的にはこのヒバリクラブで 検討を進めてるようにですね やっぱり日本人 和魂洋才ならいいんですが 洋魂洋才ですね ヨーロッパの考え 人生観 宗教観みたいなものまでですね 日本に持ち込もうとしますと 日本人は非常に混乱してですね 元々 日本社会は平等な社会なのに 支配層と被支配層を分けた社会にするとかですね それから男性と女性を 特に比較したりなんかしない日本文化なのに 男性と女性を盛んに比較しだすと そういうことによって 非常にこう不幸な社会になるわけですから それはあまり望ましいことではないということはもう それは誰でも分かる事ですよね それで そういうその矛盾した所をなくして 日本人が本来幸福になるような 具体的な政策が必要じゃないかと思うんですね どういう順番で ここであげてもいいんですが 他の所は別の視点から整理してますので この具体的な政策という意味では 教育から始めようかなという風に思うんですね 私は前半生を企業の技術者として送りましたが その間もいろんな教育関係ですね 例えば 工学教育とか そういったものに携わってまいりましたが 特に後半は大学の教育 もしくはそれに関係する 教育をしてきたわけですが 一番大きいのは 今日はその日本の考え方はですね 本人自らが好奇心を持って勉強するということが 最善であるという考えですが ヨーロッパの考えはですね 人間は教育を受けてないうちは野獣だから 縛り付けて鞭を打って教育するんだっていう考え方で 人間はその人間として生まれるか 従として野獣として 生まれるかっていう考えが全く違うんですね 日本は昔はですね 寺子屋をはじめとして 自ら勉強することを進めた国だったんですが ヨーロッパの人が入ってきてからですね 罰を与えるというような そういう教育に変わってましてね それがまだ続いております 特に日本が明治時代に外国から攻められて まぁひどい目にあったもんですから そういう印象もあってですね 富国強兵 つまり国家を守るための人間という様な 感じが強くなってきましてね そして現在でも 国家のための教育という意味があるんですね 本人のために教育するんじゃなくて 国家のために あるレベルまで とにかく鞭を叩いても到達させると それに教育ママなんかのですね ちょっと まあ良くないっていうか まぁお母さん方を非難するのはかわいそうなんですが やはり あまり望ましくないですね その考え方が蔓延りまして それからさらに数学の先生を批判すると いけないんですけども 非常に難しい数学の問題なんかを 解かせるっていう様なこともあってですね 国家のためにこのくらいまでやらなきゃいけない 例えば漢字でもですね 一応 ものが読めて文学作品が読めて 新聞が読めればいいのに 非常に難しい国語を勉強させる 算数なんか特にそうで 私はその特殊な人を除いたらですね 二次方程式ぐらいまでがある程度わかれば それ以上のことを勉強させる必要はない もちろん興味がある人は勉強していい 私が昔 一緒にお仕事をさせていただきました ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈先生はですね ??? 数学の 自然に数学が好きな子 もしくは才能がある子が大体200人に1人いると だから数学の得意な人がですね 日本社会には50万人いることになるけども それで不足なのかということを いつも言っておられましたが まさに私もその通りで 誰もが数学の専門家になる必要もないし 私は物理を教えてきましたが やっぱり物理もですね 基本的に自然とか そういうのを理解するための 物理の筋道を教えるのはいいんですが 非常に難しいものを教えますね 滑車とか光学とか 電磁気学なんかもそうなんですが 専門家が知ることの初歩を学生に教える まぁ高校生に教えるというところありましてね これはあの学問側の教育側の努力不足なんですね あの要するに僕が言ってるのは 例えば物理学で専門の物理の人が 知るべき事っていうのはあるんですね それの初歩を素人に教えるわけじゃなくて 物理の専門じゃない人に教えるんじゃなくて 物理の専門じゃない人は社会生活 人生 もしくは自然を理解するために必要な 別の体系を作って 教育体系ですね 教育体系が必要なんですよ 学問体系がですね あの物理学というものの体系と 物理教育学という体系と 二つ必要なんですよね 教育物理学って言ったほうがいいかな 要するに教育として使うべき物理学ですね これは 日本人が大体は知ってなきゃいけない物理学の体系 これは全然違いますね 教え方が違います 定量 あんまり厳しい定量性は要求しないしですね そういう中で物の本質ですね 自然と物理は違いますが 例えば生物だったら自然というものを理解する 自然学なんていうのも必要かもしれませんね 自然学という中には むしろ物理とか化学とか生物とかいう分類以外に 自然学と 自然を理解するための物理とか 化学とか生物とか地学というものが必要で まぁそういう学問体系を作ってないという点ではですね むしろ日本の教育を まず二つの軸として 一つは国家のための教育から 本人のための教育に変えるって事と もう一つは人生に必要な学問体系で 専門性を寛容する学問とは違う学問体系を やっぱり教育方面で 作っていかなきゃいけないと思いますね 非常に大きな努力がいりますが しかし非常に大きな考え方で やっていく必要があると思います まずあのー 本人のためっていうのは どういうのかっていうとですね 私の経験では 私は大学に行きましてね 採点をどうするかって 最初すごく迷ったんですよ それでまぁ学問 その教育において 採点はどうするべきかという本をですね 読み漁ったんですが 適切なものはなかったんですよね 特に大学教育で点数をどうつけるかなんていうことは 殆どもう 少しだけ書いてあるっていう様なものなんですね ですからまぁ自分で しょうがないや考えなきゃいけないと思って いろんな方法を確かめた結果ですね 私が到達した方法は 内容によって点数をつけないっていう方法だったんですね A4の紙を配ります 縦が 29.4㎝ ありますんでね 黒板に5問書いて そして皆さんに白紙のA4の紙を渡して 名前を書いてもらって そして5問のうち 好きなものを 自分の好きなものを選んで 5問全部でもいいけど どれでもいいから選んで そして回答を書きなさいと  それで採点は内容読みません 長さだけで採点しますから 29.4㎝ の 60%を書けば合格です という風に学生に言ってですね 最初は学生もゲラゲラ笑ってましたけど 2年目から3年目になりますと みんなが学生間の情報交換で それは分かりますからね それでやりました そうしますと驚くべき事にですね 採点を私が内容を見て 例えば 25.4㎏なんとかだったら OKだったらば それで〇したり✕したり 内容も 回答の内容も読みながらやってた時期よりかですね 長さだけで決めた時期の方が みんなの学力が上がってるんですよ 実は それはですね 私の見解では講義の途中にですね この講義は試験ないよと ない様なもんだよと 長さだけだから  みんなが学生がわーっと笑わうわけですよ だけど その代わり私はね 皆さんの将来には責任持たないよと 将来 物理が必要になっても その頃になって勉強しようと思っても もうできないよと だけど それは君たちの人生だからねと だから別に試験のために勉強するわけじゃないから 私もそういうことでやるから という様な事を時々話しますから そういうことにもよると思うんですけどね 学生は多分 人生で初めてというか 小学校の1年生は違うかも知れませんが 試験のためではない勉強をしたんでしょうね それで まぁ先生にそう言われるとですね 確かに大学に入って授業料を払って 物理のせっかく講義に 夏の暑い時とか 冬の寒い時にも出てきてるわけですよ それで それを勉強しなかったら 自分は一体何してんのって いうことになった感じがするんですね  ですから まぁ先生方は固くですね  採点が必要だと思ってますが 私の経験では採点することによって 勉強するんじゃないような気がするんですね 若い人っていうのは そういうやっぱり力を持ってますね 採点しなきゃ勉強しないとか 大学受験がなければ 人間は勉強しないと考えるのは そういうシステムの中にいる人なんですよ それはつまり なにも とにかく国家のために このレベルまで行かせるんだというものが 先に立っちゃってるんじゃないかと思うんですね 私はそういう経験を積んだ後ですね やはり人間っていうのは 特に若い人の場合は 相手を信用するんだということが一つありますね それから相手のために 常に相手のために講義をするんだと まぁいう風な精神を持つ事によってですね 今のいじめの問題から 大学生が遊ぶという問題がもしあるとしたらですね それも解消していけるんではないかと もう少しやっぱり踏み込んだ考えを持った人が たいへん 大切なんじゃないかという風に思いました

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...