2022/01/06

幸福な人生になぜ宗教の知識が必要か? (武田邦彦)



本日の収穫(3578文字) 

このところですね
宗教の話を3回ぐらいしたわけですね
人生を幸福に過ごすと まぁいうことを
自分自身で作っていくということで
最初に宗教ってのを持ち出したんですが
これには違和感がある人が多いでしょうね
何で最初に宗教来るのって
働き方とか考え方とか人生とはとか
そういうのが来るんじゃないかという感じがしますけども
実はですね 例えば哲学というのを見ますとね
哲学というのは頭のいい人がですよ
カントとかヘーゲルとかですね
そういう まぁ日本ですと西田さんがそうですが
非常に頭のいい人かですね じっくり考えて
それで 人生とは斯くなるものだとか
現象というのは一体どういうものかって
いうようなことを考えるわけですね
ほとんど大脳皮質で考えるわけですが
それには二つ欠点があるんですよ
一つはですね 哲学はその性格上
あまり現実を見すぎると 哲学の体系が出来にくいんですね
ですから やや現状と離れるっていうかですね
そういうところがあるんですね
それから二つ目はですね
哲学の人っていうのは頭がいいから
大体恵まれてるんですよ 生活がですね
大体大学の いい大学の先生だったり
家の家系もですね 割合と金持ちでは
哲学なんていうのは 昔はその商売になりませんからね
お金にならなくてもいいやーってな
家庭の人が哲学をやるもんですから
これ非常に哲学の人が 怒るかもしれませんけども
エリート学問なんですよ
だから基本的にはお金持ちであって
まぁ貴族つってもいいんですね
あのー ヨーロッパでは貴族学問の一つなんですね
ですからまぁ普通の庶民 日本の場合はですね
平等主義ですから ちょっと違うんですけども
ヨーロッパは階級制ですからね
ですから階級制ってことは どういうことかっていうと
そのー 5パーセントとの人が恵まれた生活をして
残りの90パーセントが
まぁ奴隷みたいな生活するわけですよ
ところがその哲学者
特にヨーロッパの哲学者っていうのはですね
5パーセントの人を相手にしてるんですよね
だからヨーロッパの幸福論
ヒルティだとか有名な幸福論ってあるんですが
その幸福論っていうのはですね
どっちかったら哲学に似てるんです
どうして哲学に似てるかっていうと
やっぱり恵まれた人のための人生論なんですよ
ところがですね
宗教ってのは 何かつったらですね
これはもう
お釈迦様はちょっと哲学者ですから あれですけども
お釈迦様くらい偉くなったらですね
哲学者でも こう貧民のことにも目が配られるわけですけど
イエス様が 一番いいですね
もう最初っから病気の人
いざりの人 苦しんでる人 お金のない人
そういう人が イエス様の対象なんですよ
ですから新約聖書
イエス様の行状 一生を描いた新約聖書にはですね
ほとんど可哀想な人が出てくるんですよ
じゃあ宗教は恵まれた人のためか
可哀想な人のためかっていうと
やっぱりは可哀想な人のためなんですね
ですから哲学と宗教というのは非常に大きく違うんですよ
ですからまぁ日本でですね
ちょっとこれを間違えて考える人がいてですね
哲学の人って どっちかつったら真面目なんです
遊びがいらないんですよ
パチンコ?いやパチンコなんかしなくたって
人生を送れるじゃないですか
女性?いや女性なんか
関係ないんじゃないかっていう人がですね
哲学をやるもんですから
哲学は誠に綺麗な感じなんですけども
本当にそうなの?人間は病気もするよ 心の悩みあるよ
変な事になることもあると
その中で人生つうのはどうなのかっていうことになると
哲学はやっぱり弱いんですね
それから心理学も同じなんですね
心理学ってのはちょっと今度は哲学と違ってですね
守備範囲が違うんですよ
私なんか物理学者ですけど
物理学者は何の人生にも役に立ってないかって
そうでもないんですよね
ちょっと物理学で役に立ってるってのは
天文なんかそうですが
宇宙の最初はどうか
これから宇宙はどうなるかなんていうのはですね
人生を考える上でやはり役立つんですよ
もちろん生物学はそうですよね
生物はどうして生まれたのか
命とはどういうものなのか
オスメスはどうして誕生したのか
兄弟は元々 仲の良いものか悪いものか
全部これ 生物学が教えてくれますからね
ですから 学問つうのは守備範囲があるんですね
心理学っていうのはもちろん
心理学っていう名前で分かるように
人間の心理なんですよ ですから
心理学で幸福をつかむのは無理なんですね
なんかの問題が起きた時に
それは人間の心理としてどう考えられるかっていう
根拠を示すということですね ところが心理学者の中でも
ちょっとこう お金儲けに興味があったりする人も
もちろんいますからね
そういう人達が
いやーまぁ人生を幸福にするにはこうしたらいいよ
心理学ではもうそれは分かってるよなんて 話になってですね
ちょっとあなた哲学とか いろんなものですね
と あわせて言って下さいっていうことに
ちょっとなりたいわけですね
まぁそういうことで 実は宗教こそがですね
人類の苦しみから ものを見るっていうところがあるんですよ
ですから宗教はその意味で 非常に貴重なんですね
ですからまぁあのー 人生を幸福
自分の人生を幸福に送るということは
お釈迦様の言っておられることをですね
よーくお聞きになる
もしくは そのお釈迦様の言われたことが
後にですね 百年後ぐらいなんですけど
お釈迦様は 紀元前 500年ぐらいなんですけど
紀元前400年から300年ぐらいになりますとね
お釈迦様は あまりに偉かったので
本当は哲学者なんですけど 宗教化したんですよね
その宗教化したものがですね
経典になっていくわけですね
その経典が中国に伝わり 中国から弘法大師が
日本に持ってきた そして宗教として育つ
だから仏教の宗教つったら
お釈迦様よりか むしろ親鸞とか道元とか
そういった人たちのものの方
栄西かな ものの方が
やや宗教的なんですね えー 日蓮ぐらいになると
かなり宗教的になってくるわけですよ
ですからまぁ 仏教の親鸞
例えば親鸞 それからキリスト教の新約聖書
ここら辺が参考になるんですね
キリスト教の場合はむしろ
新約聖書を読まれるのもいいですけど
むしろ土曜日の夕方にですね
やっぱりプロテスタントの カソリックでもいいんですが
カソリックはミサっていうんですけど
プロテスタントのお説教ですね
それをこう 誰でも入れてくれますから
教会に行ってですね
イエス様のお考えになったことを
イエス様の行状というのをですね
一生というのを勉強されると
宗教っていうのは こういうもんだってことがわかります
そこでうっかりキリスト教徒になってしまっても
別に構わないんですけど まぁ王道としてはですね
そこでキリスト教ってのはこういうもんだ
仏教っていうのはこういうもんだ
いうことを知るってことが大切ですね
まぁよく引っかかるのが
引っかかるつったら悪いんですけど
偉人とか偉い人のねー 本っていうのを結構
偉い人の本って魅力的なんですよね
だって いい事が書いてあるから
だけども いい事っていうのは
人生の幸福とはちょっと繋がらないんです
いい事はいいんですけどね
もうそれ 人間がね
毎日毎日迷わず真面目に働いてやっていける
病気もしない 心理的な葛藤もない
なんていう状態ってほとんどないんですよ
それからね 人間社会つうのは汚いもんなんですよ
人間社会っていうのは 人間というものが
そもそも欠陥を持ってますんでね
人間が集団になると意地悪あり いじめありですね
嘘があり ごまかしありという社会なんですよ
それを避けたらね
人間っていうのは 幸福にはなれないんです
やっぱりその人間社会 私たちは人間ですからね
人間っていうは  殺人あり放火あり
色んなことがある中での人生なんですよ
ですから こうあるべきだ
これが正しいんだっていうことを 学び過ぎますとね
全然 駄目になってしまうもんですからね
そこんところをこうー よくよく考えて
幸せな人生を送る自分として それでまたね
これがあのー 教科書があればいいんですけど
教科書ないんです というのはね
人間つうのは一人一人ものすごく違うんですよ
環境も違うし 自分自身も違うし
もちろん体が
ある人はこういう病気になる ある人は病気にならない
ある人は幸運で恵まれて
ある人は不運ばっかり続く そういうことがあるんでね
やっぱり自分自身で 幸福というものはどういうものか
どういう風に物を考えなきゃいけないのか
ということを自分で知る必要があるっていうことなんですね
ですから 昔は我々に学力がなかったですから
お坊さんとこに行ってお説教を聞くというような
ことしかなかったんですけども
我々は今 ネットもあるし
テレビはちょっと駄目なんですけど
まぁそのー 欠陥のある人間というものが
自分自身で幸せを見いだしていく ということのためには
やっぱり宗教っていうのは 欠かせないんですよ
宗教を信じるんじゃないんですよ
宗教を知るということなんです 知るということが大切で
信じなくていいんです
あの宗教を信じなければ幸せが来ない そんなことありません
宗教がよーく分かれば
自分で幸せをつかむことができると
こういうことになると私は思っています

2022年1月5日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/05

バブル後に失敗した政党作り (武田邦彦)



本日の収穫(3505文字) 

斯くして1990年を迎えましてですね
これは世界的にも大きく変化し
日本も大きく変化した年でしたね
世界的には まずイランで
ホメイニ師がお亡くなりになって葬儀が行われる
それから北京では天安門事件が起こって
中国共産党が大きく揺さぶられる
そうこうしてる内に
今度はベルリンの壁が破られるっていうですね
もう画期的なことがありまして
それでそれから東欧諸国が だぁーっと崩壊
共産党が崩壊しまして
それが波及して ソビエト連邦も崩壊するというような
大きな変化がありましてですね
日本もそれに伴って 大きく揺さぶられて
バブルが崩壊して 株価 38,000円が
たちまち 18,000円ぐらいになるという
大きなことがありました
これはですね 必然的な結果ですよね
だって30年間 正しければ34年間になるんですが
高度成長時期が続いて 国民はすっかり豊かになり
先進国入りしてですね
そして浮ついた左翼の人たち リベラルの人たちが
我々はその経済成長に 力を注ぎ過ぎたんではないかとか
江戸時代に返れとか
リサイクルした方がいいんじゃないかとか
石油がなくなるとか もう
でたらめを幾らでも言い始めたわけですね
それにバブルの崩壊ということがあって
日本社会はすっかりと 方向性を失ったわけですね
今になれば それから30年経ちますから
方向性ははっきりしてて
アメリカのようにITのソフトをやると
いう方向が一個ありましたね
これはアメリカの GAFAと言われるような
Googleとか Amazonだとか Facebookとか
それからそういったやつですね Apple
まぁ こういったものが1995年を中心にして創業いたします
アメリカ人の平均給与は 所得は三倍になりました
もう一つは中国が選んだ道ですね これはITのハードですね
スマホをやり 色々な通信機器をやりですね
そして現在は中国がもう
世界のITのハードの多くを牛耳ってると
まぁいうような状態になりですね
日本はヨーロッパに騙されて
これからは環境の時代だなんて言ってですね
その頃よく学生が私にですね
先生 環境は大切ですっていうから
僕がよくそういう学生に言いましたよ
君 環境が汚れてるっていうけど どこが汚れてんの?
その頃は名古屋大学でしたからね
空を見たって 空きれいじゃないか
水も 愛知県は水がおいしいですからね 水道が
水道だって臭くないじゃないかと
なんか海水面が上がってるって言うけど
あなたは海岸に行ったら海水面が上がってる?
なんであなた環境悪くなってるっていうの?って言ったら
その学生は その学生っていうか
いっぱい学生が そういう学生いたんですが
テレビが言ってるって言うんですね
それからテレビが世論 社会を作り
社会が間違った方向に誘導され
それに応じて政党が右往左往するということになりました
1992年からですね
まぁ皆さんがよく知ってるような 新しい政党が
雨後の筍のごとく出来てですね
次々とその内 その内のいくつかが政権を取り
細川 熊本県知事が首相になったり
それから社会党の党首が 総理大臣になってですね
実に変なことに 自衛隊の観艦式に出席して
自衛隊をあれほど反対だと言ってた社会党が
自衛隊賛成に回ると
自衛隊は憲法違反だけども合憲である
いやーなんつったかなんか変な 合法であるか
違憲合法論というのが出てきてですね
もう無茶苦茶な時代になりました
無茶苦茶は一回収まったんですが
その後すぐまた復活しましてね
民社党が政権を取り 悪夢の3年間をやりですね
また ばぁーっと政党ができるということで
現在に至っております
これはですね このブログでずっとお話ししてきたように
社会が大きく変わるわけですよ
1930年には軍隊が大切だと 平均寿命は 43歳だと
そういう中で国民が行動するわけです
1960年は あかぎれが切れるし
風呂は外に行くしと
女の人は洗濯板で洗濯するという中で
高度成長が始まるわけです
1990年になりますと 平和な世の中になり
物質は豊かになり 車をみんなが持つようになってですね
目標を失っちゃったんですよ
目標は まだまだあったんですよ
だって ここ三十年間政府がやったことはですね
日本政府がやったことは
消費税を0パーセントから
10パーセントに上げたということだけです
平均所得は 日本人平均所得は
460万のままですから
消費税が上がった分だけ 10パーセント分だけ
使えなくなりましたから
30年間で給料が10パーセント
減ったようなことになっちゃったわけですね
じゃあ何のために政治やってんのって
政治は国民が幸福になるためじゃないんですかと
じゃあ幸福っていうのは 必ずしも豊かとは限りませんが
その間にアメリカは アメリカの平均所得は三倍になり
中国の所得は五倍になり
中国はちょっと格差がありますからね 難しいんですが
少なくとも海岸線の中国の人達は五倍になり
日本は取り残されて
かつて世界で第二位の国でしたが
もう今や 見る影もないという状態になりましたね
その間もうリサイクルにしてもダイオキシン
リサイクルってのは何の意味もなくて
ものすごく資源を使いますし 環境汚しますし
ダイオキシンは無毒ですし
今やってる地球温暖化も甚だ怪しいわけですね
しかし方向性を失った社会っていうのは
そういうもんなんですよ
政党は山ほどできる 
何で政党作りに失敗したかって言うとですね
従来のもう自由民主党 日本社会党という
もう時代が要求してない政党に所属している人たちが
社会が変わってきたので 新しい政党が必要だって言って
政党が分裂する形で 新しい政党ができる
ということを繰り返すからですね
そうじゃない政党はまぁ
我々の記憶に残るようなのは二つですね
一つは維新ですよ 日本維新の党
やっぱりこれは新鮮味があって
現在でもある程度の勢力を保ってますし
これはまぁ 前政治家だった人も
参加としては多いんですけども
基本的には新しい政党なんですよ
新しい地域政党としてスタートした
それからこれはもう
本当に一か月ぐらいのあだ花だったんですが
希望の党ですねー
これもやはり
従来の政党の人が移ってっていうわけじゃなかった
それが少し一部 小池さんなり
静岡県の民主党の人なりが入ってたんで
ちょっと混乱して 潰れましたけどね
今でも東京都では ある程度の勢力を持っております
本当に新しい政党とは一体何なんだ
自由民主党 日本社会党に代わる
新しい社会の政党ですね
全然 社会は変わっています
所得は増えなかったといっても 一年間五百万ぐらいあるし
インフラストラクチャーも 随分進んだし
平均寿命は85歳を超える もう100歳人生が始まったし
そういう中で それから中国が日本に向けて
ミサイルをいつも
核ミサイルを向けているという時代になった
日韓関係も全然違う ソ連もロシアになった
しかも アメリカも民主主義になるのを失敗して
上位5パーセントの人が
もう半分以上の富を持っているという風になった
中国も共産党の下の民主主義とは言うものの
約5パーセント 国民の5パーセントの共産党員が
残りの90パーセントの人達を 支配するという構造になった
日本ばかりじゃなくて
世界的に民主主義っていうのが衰えて
せっかく民主主義でみんなが考えてやると
高度成長時代の日本はですね
自由民主党 日本社会党っていうのがありましたけど
これはあくまでも 選挙で選ばれた人達でした
これをできるだけ日本では
選挙で選ばれない人達にしようということで
供託金をもの凄く高くして 小選挙区にして
そしてできるだけもう 二世三世の議員しか
もう議員にならないという 貴族制社会みたいな体制にした
だから現在はですねー
世界的にもうアメリカも民主主義に失敗し
中国も民主主義に失敗し
EUは EUの中心メンバーであるイギリスが離れてですね
フランスも今 EUから離れようとしてますが
イギリス フランスがEUから離れたら
もうドイツ一つになりますからね
まぁどうなるか分からないような情勢です
一方インドなんかも かなり伸びてきたし
また中東も紛争が少し 少なくなってきた
ということで世界全体が変わってるわけですよ
今まではまだ 1990年は
世界全体ということまで至らなかったんですけど
今はもう世界全体が 民主主義から離れようとしてるんです
だから参政党という党ができたんですよ
政治に参加しようじゃない
いや そんなのもう民主主義が出来た時
出来てるじゃないかって
いや実は それが潰れちゃったんですよ
それでこれから 2020年からの 30年ですね
30年ごとに変わってきますから
1930年から 1960年
1960年から高度成長 1990年
豊かになった1990年から 2020年までが
暗黒の時代 つまり方向が分かんなかった
それで2020年から 新しい2050年までの時代
これを日本の政治が どう舵を切るかというので
日本の子供達も含めた 日本の繁栄
我々の繁栄っていうのが決定されると
そういう局面にあるわけです

2022年1月4日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/04

高度成長に求められた政党と政治 (武田邦彦)



本日の収穫(3371文字) 

時代は30年ごとに変わるわけですね
それも人の意識が大きく変わるんですよ
1930年は軍服に身を固めた青年将校に
若い女性がキャーと言って憧れると
戦争はいいことだという時代だったわけです
もう今では信じられないって言ったって
そういう時代だったわけです
平均寿命は男女ともに43歳でしたからね
もう50歳以上の人は
ほとんどいないっていう社会だったわけですよ
それが 30年経った 1960年にはですね
日本社会は もうガラッと変わっておりまして
戦争及び戦後の混乱期を抜けてですね
高度成長になるわけです
その時はもう本当にですね
それまで戦争戦争って言ってた人は
みんな平和平和 平和こそが大切だ
これからは高度成長だ 経済成長だと
もう全員が言ってたんですね
それはそうですよ
私はその時に 少年時代だったわけですけども
もう冬になるとですね
冷たい水道で手を洗うわけですよ 
女の子はですね もうザクロみたいに割れた
ひび割れの しもやけの手をしてましたよ
まだ女の子は その頃はお母さんの手伝いをして
一生懸命洗濯してましたからね
洗濯にお湯が使えるような家っていうのは
それ裕福な家ですから 大変だったんですよね
かわいそうに 僕も少年時代思いました
トイレは汚くてね
もう底が抜けるような汲み取り便所で
ほんと汲み取り屋さんが来ると
臭くて臭くてしょうがなかったですね
もちろん家に風呂はありません
みんな戦後に建ったバラックに住んでました
だから少しでも早く
テレビは街頭のテレビを見てたわけですね
少しでも早く豊かになりたい
豊っていうのは 今で言う豊と違うんですよ
家が欲しい トイレが欲しい お風呂が欲しい
洗濯機が欲しい
洗濯機がその内 手が届くようになりました時には
二層式の洗濯機で 一層で洗ってですね
それを隣に移して
それを今度ローラーのやつで絞るっていう それでも
主婦にとっては もう大変な進歩で
今まで洗濯板でゴシゴシやってたやつがですね
あっという間に洗濯ができるわけですから
夢のようなものでしたね
冷蔵庫は その後少し経ってから
手に入るようになりましたが
冷蔵庫が手に入るようになってからはですね
買い物が一週間にいっぺんでいいという
考えられませんね
それまでは一日二回行ってたから
あの女性解放つったって仕事できないんですよ
魚が腐っちゃいますからね
まぁそういう時代でした
ですから本当に2DK夫人つってですね
2DKの家に住むっていうことが本当に夢だったわけですね
公団住宅 駅から30分歩いても
公団住宅の2DKに入れるというのが夢だったわけです
私その頃 思い出しますのはですね
石油ストーブを1万円ぐらいでしたかね
買うわけです やっとやっと買うわけですね
私の初任給が 割合高かったんですけど
3万円ぐらいでしたからね
1万円の石油ストーブってもう大変なんですよ
今で言えは10万円20万円のものを
買うようなもんですからね
それも生活にゆとりがない
遠い遠い量販店で買って
それも配達してもらうだけのお金がないので
一生懸命自分で持っていきました
家のそばは非常に激しい
坂がありますもんですから そこを持って歩くのに
肩に担いですね やっと家まで運んだことを思い出します
しかしそれはそれなりで 家族団結してですね
この苦労を乗り切ろうという精神力はみんなにありましたね
ですから 不真面目な人なんていないし
もちろんニートなんてのは存在しようと思ってもですね
ニートなんて言ったら死んでしまいますからね
オタクとか全部死んじゃいますから
だからそんな事言ってられない時代だったんですよ
だから高度成長が必要だったんです 今になってみればですね
成長 成長って言うけど
環境を壊してまでなんて言うけど
環境つったって死んじゃうんですからね
ですから 栄養失調で死んじゃうわけですから
やっぱりある程度2DKぐらいの家がありですね
アパートでも何でもいい 
家があり瞬間湯沸かし器はあって
それから ひねれば水道が出ると
井戸でしたからねー 
トイレも一応 水洗のトイレが家の中にあって
まぁお風呂も これはお風呂が
内風呂になったのはすごく後ですけども
どんなに風邪引いて 外に出たら行けなくても
銭湯に行かなきゃいけない 銭湯に入って出たらですね
家に帰る前に 湯冷めしてしまうわけですけど
悲しい時代でした
ですから 平均寿命は50をやっと超えるという
ちょうど高度成長の始まりが
日本の平均寿命は50歳でしたから
50歳超えたのがちょうど戦後ですからね
そういう時代でした
その頃に求められた 政党と政治っていうのは
自由民主党と日本社会党だったんですよ
その二つの政党が高度成長で行くのか
高度成長と共に生じる 歪ですね
社会の歪みを治していくのかということで
激しい論争をしながらですね
成長していったわけですよ
やっぱり これはね
非常にあのー 今で考えれば考えられませんけど
自由民主党も自由民主党として 非常に成果を上げたし
なんたって1960年から1972年までの間は
年率の成長率が9パーセントでした それから後に
石油ショックがあるから4.5パーセントに減りましたけどね
だけど給料はその間8.8倍になりました
私なんかも 本当こう若い頃嬉しかったですよ
毎年毎年給料が上がっていく
そして生活が目に見えて良くなっていくわけですね
良くなっていくったって 今に比べれば話になりませんよ
それは こたつに入ってた時代ですからね
だけど良くなっていった
それは夢だったんですよ
テレビが家で見れて ねー
そして暖房も 少しずつ少しずつ良くなって
石油ストーブになってですねー
それまでは練炭ストーブかなんかで
中毒になって 死んだりしたもんなんですよ
やっと 1980年ぐらいになって バブルになりですね
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるように
日本の工業が発達して 一息ついたのが1980年ですね
その間 石油がなくなるなんていう嘘をつかれましてね
マスコミに 石油がなくなるってのは
石油がなくなるじゃなくて 国際資本がですね
石油の国際資本が
それまでバレル2ドルだった石油を
20ドルにするためにやった
しかしその時は
もう既に自民党がちょっと駄目になってまして
日本社会党も ちょっと駄目になってましてね
それで国民側で考える人たちが もう
評論家も大学教授もいなくなっちゃったですね
ちょうど1980年ぐらいは
みんながもう豊かになったんですよ
環境意識というのが少し出てきてですね
それで環境を守れとか
石油を節約しろとかこうなってきたんですね
別に石油は節約する必要はないんです
もちろん節約してもいいですよ だけど
石油がなくなるっていうのは石油の値段を10倍に上げるための
原油の値段を 10倍に上げるための細工でしたからね
もう自由民主党も日本社会党も
それを暴くだけの力はなかった
つまり高度成長は終わりに差し掛かってたわけですね
1990年における 91年かな
株価は38,000円をつけて
現在でもまだそこまで行って
ぎりぎり行ってるって行ってないですね
まだ28,000円とかですから
ですから その時代その時代で
やっぱり政党は求められるわけですよ
自由民主党と日本社会党の政党としての価値は
社会の発展と日本の社会構造の変化
人々の意識の変化
まぁねー 日本人っていうのは
非常に良い性格を持ってるんですが
浅はかなんですよ
だって貧乏な時は経済成長 経済成長つってですね
みんなが豊になったら今度は 成長の限界とかですよ
それから成長だけを考えるとはなんだとかね
言い出すんですよ
江戸時代が良かった いやーあなたね江戸時代
江戸時代どころか 戦後の苦しさでもつらかったんですよ
それがね 豊かになるとですね
特に武蔵野辺りに住んでいる
インテリなんつうのはですね パイプふかしてワイン飲んで
いやー環境が大切だ
今までの我々の方向は間違ってた
なんて言ってるんですからねー
あの頃リベラルが盛んでですね
岩波の世界かなんか雑誌があったんですけど
それを小脇に抱えて なんか洒落た格好して
歩くのが流行ったんですよ
今で言えば武蔵野市の 外国人の投票権を無条件に
無条件ですよ 無条件がいけないんですから
投票権を認めようというような人たちと一緒なんですね
自分は豊かだと 豊になったばかりだと
コロッと意見を変えて 高度成長なんかなんだ
なんて言ってるわけですよ
まぁひどい事になりましたね
それが1960年から1990年の 30年間でした
それでは1990年に 我々は新しい社会が受け入れられる
政党と政治を選んだでしょうか
それを次に お話をいたしたいと思います

2022年1月3日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/03

新しい酒は新しい革袋に (武田邦彦)



本日の収穫(3328文字) 

新しい酒は 新しい革袋にということで
お話を始めたいということを昨日申し上げましたが
えーっとこれはですね なかなか深い意味があるんですよ
もちろん具体的にはキリスト教の方向でですね
聖書に書かれていたものの一つなんですが
新しい酒は なぜ新しい革袋に
入れなきゃいけないのかと言いますとね
ちょっと日本の例でいきますとね
1930年 ちょっと古いんで
随分古いとこから始めるんだなっていう
感じされる人もいると思いますけども
今から約百年前ですね
九十年前っていうか その時代はですね
実は軍事最優先時代だったわけですね
ちょうどロンドン軍縮会議があったように思うんですけども
アメリカとイギリスと日本でですね
戦艦の量をどのぐらいの比率にするかとかですね
各国共に軍事競争をやってた時代なんですよ
ちょうどドイツにも 第一次世界大戦の敗北にですね
から立ち上がって ナチスドイツができてですね
1932年ぐらいにはナチスが
ドイツの第一党になるという時代ですね
その時代は 今ではですね
ちょっとおかしいと思うでしょうけど
その頃はですね
とにかく軍事が一番大切なんですよ
軍人さんが街を歩いてると
きらきらと輝いて見えたんですよ
軍服を着てですね 若い将校さんが歩いてると
もう若い女の子なんか きゃーきゃー言ったわけですよ
その時代なんですね
軍隊ってかっこいいなーっていうそういう時代なんですよ
それはどうしてかって言うと
世界的には もちろんどんどんどんどん
強い国が弱い国を植民地にしてましたからね
今は平和運動っていうんで
随分人間も進歩したもんですけども
その当時はもう 力任せなんですよ
とにかく力の強いものが勝ちと 軍艦でもですね
一万トンの軍艦が来たら
それは二万トンの軍艦には勝てないんですよ
だからどうして勝てないかって簡単でですね
軍艦っていうのは そこに載せてる鉄砲大砲ですよ
艦砲っていうんですけどね
その戦艦の上に載ってる
大砲が届く距離で決まっちゃうんですよ
陸上戦ですとね やぶに隠れたりできますから
片っ方の鉄砲が届くまでに 敵の鉄砲が届いても
隠れることができるんですけどもね
しかし海上はもう 鏡のような海の上で戦いをしますからね
まぁ例えば明治時代ですと
日ロ大戦争なんかあったわけですが
八千メートルで届くと 片方がですね
例えばロシアの軍艦は八千メートルで届くと
日本の軍艦は六千メートルでしか届かないっていうと
近づいているうちに 全部やられちゃうじゃないですか
逆に今度はロシアの戦艦の
長さが届く距離が八千メートルだったら
日本は一万メートルから届けばですね
艦隊の距離を一万メートルにして
そっから撃てば ロシアの大砲の玉は
全部日本の艦隊の前に落ちて
日本の艦隊のやつだけは向こうに届きますからねー
 叩き潰せるわけですよ
これが現実的に起こったのが 薩英戦争ですね
薩摩の殿様が 生麦ですから
神奈川県のところ東海道を通っておりましたら
参勤交代でですね
そこにイギリスの人がですね
三人 馬に乗ってきたわけですよ
そしたら彼らは当然日本人なんかは
猿だとか言ってるわけですから
馬に乗ったまま 島津の殿様の行列を横切ったんですよ
そしたら無礼者っていうんで薩摩の武士がですねー
イギリスのしょうかんを叩き斬って一人死んだんですね
大騒ぎになったと
幕府とイギリスの間で色々交渉があったけども
イギリスは腹の虫が収まらない
もう薩摩に直接行こうと
どうせ日本だって イギリスよりか弱いんだから
薩摩なんか イギリスよりか弱いだろうと思って
薩摩に行ってですね 鹿児島湾に入ったと
色々あって結局はもちろん
イギリス艦隊は射程が長いですからね
薩摩の町も焼き払われたりしたんですが
ちょうど運悪く 雨がものすごく激しかったり
嵐になったもんですから
イギリスの船がちょっと間違ってですね
島津の砲台に近づいたんですよ
島津の砲台から撃って届く距離よりかは
イギリス艦隊の船が届く方が ずっとずっと長いんで
晴天だったら もうイチコロにやられたんですけども
あいにく嵐だったもんですから
分からずにイギリスの船が
薩摩の砲台に近づいたんですよ
そしたらそこを狙って薩摩の砲台が
だんだんと撃ったもんですからね
もちろん薩摩の鹿児島県の人が ものすごく元気が良かった
戦いが すごく上手かったってことあるんですけど
イギリスの方が もう20名ぐらい一度に死んじゃってですね
結局イギリスは あれやこれややったんですけども
まぁ薩摩湾から逃げたんですよ
結果的には日本の薩摩が
勝ったような形になったんですよね
そういう運の良い時はあるんですけど
基本的には もう長さで決まっちゃうんですね
ですから そういう時代なんですよ
もちろんその時代 1930年
今から90年から100年前ですね
私がよく言うんですけど 日本人の平均寿命は43歳
男も女も43歳だったんですねー
女性は子供5人ぐらい産みますからね
大体あの頃17~18で結婚するんですけど
43まで大体15年ぐらい 結婚生活を
25年ぐらい結婚生活をしてですね
それでお亡くなりになる
男の方は畑ではもう鍬を振い
炭鉱でつるはしを振るってですね
やっぱり 43ぐらいになると 体はボロボロになるんですよ
平均寿命は 43歳ですね
ブログを聴いておられる人は
人生50年というじゃないかっていうことなんですけど
我々が大体知っている人ですね
織田信長 人生わずか50年下天の内に
何とかって いうわけですね
これはあのー 割合と侍とかそういうのは
いいものを食べてますからね
それから戦争は侍ありましたけど 貴族はないですし
上流階級は 比較的いいものを食べてるから
50歳ぐらいまで生きた人が多いんですが
だから有名人っていうのは
大体 50歳ぐらいって言ってもいいですが
庶民はねー そうは行かなかったんですよ
何しろご飯とね 野菜ぐらいしか食べれないんですから
魚が付けばいい方だっていう方ですからね
ですから やっぱりそんなもんだったんです
そうしますとね 例えば我々の身をですね
1925年とか そのぐらいにおきますとね
周りの人はみんな45ぐらいで みんな死んでいくんですよ
もっと若い時に結核で死んでいく人もいる
労咳と言いましたけどね 死んでいる人もいる
50を過ぎで生きてる人は少ない
そういう時代ですね 時代自身が
それから世の中 もう戦争戦争
とにかく次の戦争に勝たなければ
日本は滅びてしまうというのが続くわけですからね
ですから もちろん新聞もラジオもですね
戦争しなきゃいけない戦争しなきゃいけないって言うと
そういう中で どういう日本は選択をするか
どういう政治をするかったら 今と全然違うでしょう
今は少子高齢化とかですよ
もちろん平和がいいとか
今では高度成長もあんまり良くないんじゃないか
なんて言われてるぐらいですよね
つまり なぜ新しい酒を新しい革袋に
入れなきゃいけないかって言うと
もう我々が頭で考えるよりか
遥かに時代の流れっていうのが激しいんですよ
だから それはもちろんね
最近だけ激しいというわけじゃないですよ
1930年のさらに 90年前っていうとですね
1840年ですから まだ江戸の終わりですよ
だからもう全然違うんですね
だからその それだけ違う社会で
同じような政治体制っちゃいけないんですよ
そういうわけにいかないんですねー
今から90年前の時代よりか90年前っていったら
江戸幕府で井伊直弼とか出てくるわけですからね
徳川将軍とか それから90年たつと
全然もう違って昭和天皇ですね
軍縮会議 イギリスをアメリカとの戦いとかねー
そういう風になってきて もう全然違うんです
それをですね やっぱり古い皮袋に
入れるっていうわけにはいかないわけですよ
それはもう考え方は 全部違うわけですから
ですから 今の時代ですね
2020年というのがどういう年だったかっていうのは
次の次ぐらいには いけると思うんです
あんまり慌てないのがいいですからね
この手の話は 自分自身の人生
自分の子供の人生に大きく影響しますので
ゆっくりゆっくり一つ一つですね
なぜ新しい酒が新しい革袋にいるのか 必要なのか
なぜ参政党という新しい政党が
必要なのかっていうことはですね
やっぱり我々は深い知識とじっくりと考えてですね
そして過たずに行かなければいけない ということなんですね
今日は 1930年お話ししましたが
次はそれから 30年後の1960年っていうのが
一体どういう年だったかと いうことを
お話をしていきたいと思ってます

2022年1月2日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/02

今年は楽しい年にするぞ! 楽しい年は自分で作る 錯覚さえなければ  1)社会は自分ではない、 2)人は自分だ (武田邦彦)




本日の収穫(2868文字) 

今年もあけましておめでとうございます
ブログはですね 今年もやっていくぞーと思いまして
正月なので
宮城道雄が比較的若い時に録音してあります
この正月の筝曲をですね
最初に冒頭に入れました
今年は まぁブログはブログでやるということと
あまりそのー 最初に音楽入れなきゃいけないとかですね
色々その なければいけないってやつがいっぱいありますとね
やはり生活が息苦しくなるもんですから
今年は時間もルーズにスタートもルーズに
という風に考えております
新春にあたって元旦っていうのは
あまり方針を決めたりなんかしなくてもいいんですが
今年は楽しい年にするぞというのが
いいかなーと思っております
それはコロナのこともありますしね
それからまぁ内閣も少しは良くなりましたが
やはり今は専門家が 非常にこう頼りがないというか
人間としての心がないというようなこともあってですね
やはり自分で楽しい年にしなきゃいけない
という時代だなという風に思いますね
1960年ぐらいから1990年 30年間はですね
自分は別にあれこれ考えなくても
社会がだんだん 自分の人生を良くしてくれたと
そういう時代でしたけども
それはちょっともう今ではですね あまり期待ができないので
自分自身で楽しい年にするということを
積極的にやらなきゃいけないと思いますね
これに私が おぼろげに気がついたのが
1年半前の 2020年の6月頃でしたね
それでわたしはブログを変えて ヒバリクラブにしたんですよ
ヒバリクラブしたっていうのは何かって言うと
社会はもう このところ期待できないなと
まぁこういう期待できない社会に入りますとね
30年間くらいは そういう社会が来ますんで
むしろ社会を改革するというよりかは
改革の努力はするにしてもですね
改革が成功するには30年かかるつったほうがいいですかね
ですから 自分が改革するにはもう一日で済みますから
それがいいんじゃないかと思いますね
つまり楽しい年は自分で作る
楽しい時 楽しい人生は
自分で作るんだっていうことなんですね
幸い日本はですね
私がいつも言っているその
中国からヨーロッパ アメリカなんかのですね
5パーセントとが楽しい人生 あと90パーセントとが
まぁ奴隷的な人生という社会ではなくて
天皇陛下お一人おられれば 後は日本人全員が
平等という社会におりますので その点では
大変に恵まれてるわけですよね ですから
社会としては もう受け入れの措置はあると
ただ私たち自身が 
そういう気持ちになるかどうかということなので
まぁ今年もそれでいったらどうかなと思いますね
その大きな錯覚はたった二つなんですよ
一つはですね 社会は自分ではない これはあのー
2020年から2050年までの
30年間というのは 特に大切だと思いますし
お聞きになってるみなさんが 楽しい人生を
送るということはですね
もう何回も唱えたほうがいいと思うんですね
社会は自分ではない 社会は自分ではない
だから 社会が自分が満足するようにはならないんですよ
コロナもそうですしね
それから米中関係もそうですし
我々の給料もそうですし
まぁ電車に乗った時の乗客の態度もそうですし
あらゆることがですね
やや自分と距離をおいた方がいいつってもいいんですね
社会と自分の間に距離をおいた方がいい
だからまぁ政治活動するのは非常に結構なんですが
政治活動するときも
日本全体を変えるというようなことは
30年かかるよと いうような心構えで
自分たちがそういう志を同じくした人と一緒に 仲間を作って
その中で自分の楽しい人生を送ると
日本中を仲間にするっていうのは
ちょっと難しい時代だと そういう風に思うんですね
もう一つは全く逆なんですけれども
自分の周りの人は自分だっていうことなんですよ
この二つのことですね
社会は自分ではない
だから社会が 社会に腹を立ててはいけない
これがヒバリクラブですね
どんな状態でもヒバリは大空にヒューンと上がっていって
ピーチクパーチクと こう楽しく鳴く
それはその地球がどうだからということと関係なく
ヒバリは鳴くということなんですね
ですから社会と自分を切り離して
もちろん社会を良いように
改造する計画はしてもいいんですけども
基本的には社会は自分ではない
ということで それで先ずは楽しさの半分は獲得できます
これはヒバリクラブで追々
ずっーと話をしていきたいと思っております
全く逆 自分の周りの人は自分だっていうことなんですよ
自分というものを消すということですね
これはあのー 日本は昔から自分がないんですよ
個性を尊重しないんですよ 
この頃個性を尊重するということが
素晴らしいと それはですねー
恵まれた人が5パーセント
奴隷が90パーセントのヨーロッパ社会では
個性が大切だって言うだけなんですね
我々のような 日本のような文化
人は人だと 日本人は全員日本人だと
自分が幸福になるのと
周りの人が幸福になるのと喜びは同じだ
むしろ周りの人が幸福になった方が
自分も幸福感を味わえるという社会ではですね
周りの人は 自分だっていうことなんですよね
周りの人は自分だ
だから自分と他人っていうのを分けない
ということが非常に重要です
社会としての 一つのまとまりは自分ではない
しかし自分の付き合ってる人ですね
家族友人それから気持ちの同じような仲間
去年は私ですね 参政党の皆様とか幸せ砂時計の方々
それからまぁ色々ですね 意識改革大学だとか
それから未来塾とかですね
色々なもので 人と親しくなりました
ヒーローズクラブもそうですねー
その仲間で
その仲間は本当に自分と同じだという気持ちになれるし
非常に快適な時間を過ごしましたね
病気になった時も 随分励まされました
これは何かって言うと
やっぱり 周りの人が自分だっていうことなんですよ
自分だけ良ければいい まさかそんなことは考えないで
過ごしていけましたね
だからその点ではですね
まぁ今年の重要なことはですね
社会は自分ではないんだけど
周りの人は自分であって 自分と区別しちゃいけない
命も一つであり 幸福も一つであり
時間も一つなんだと
むしろと一つだというよりか
自分の家族 自分の友人 自分の仲間と
一緒に時を過ごすことがいいと
それには自分が正しいと思わないことですね
正しさっていうのは
それぞれの人によって大きく違いますから
だから自分が正しいと思うことが 正しいんではない
正しいということは 人によって違う
それは 大脳がですね
25歳までのその人の経験によってできますし
男性ホルモン女性ホルモンみたいなものとにも
随分関係があるので
それは絶対そうですね
ただ人間には非常に重要な武器があります
それは愛情ですね
愛 愛すること
人はやっぱり愛することが大切です
だけど社会全体を愛するってことはできませんが
自分の周り家族 友人そして仲間 これは
愛することができますね
ですから 愛こそがやはり
人間を より楽しい人生を与えるものである
それで自分を消して できるだけ自分というものを出さずに
やっぱり やっていくという一年にできればと
いう風に思っています
この音楽の琴は目が見えない
宮城道雄さんがですね 弾いてるわけですが
本当に素晴らしい 彼には彼の悩みがあったと思いますが
素晴らしい宝物を私たちにくれたと
いう風に言えると思います

2022年1月1日 (ヒバリクラブ) 

#武田邦彦

2022/01/01

明けましておめでとうございます。【参政党のトリセツ】と同時配信 (武田邦彦)




武田先生退院おめでとうございます。
あまり無理をせずにお過ごしください。

本日の収穫(2963文字) 

皆様 あけましておめでとうございます
新春というのはですね
まぁ 一年の始まりと言うかなんで今日が1月1日なのか
なかなか難しい議論もあるんですが
なんとなく爽やかですし
太陽もまぶしいしと言うことですね
まぁ新しい年というのは いいもんですね
世界的には やはり冬至ですね
やっぱり昔から太陽というのが 人間の希望の星でしたから
太陽が だんだんだんだん衰えていく
つまり日の出の時間が遅くなり
日の入りの時間が早くなってくると
太陽の照る時間が短くなってくるもんですから
人間の気持ちは 少しずつ少しずつ暗くなっていくんですね
これが冬至ですね
ですからまぁ 大体12月の20何日という日がですね
人間社会にとっては昔から非常に 暗い年だったわけですね
ですからイエスキリスト様がですね
お生まれになったのが 12月25日となってるのもですね
まぁ それは歴史的事実なんでしょうけれども
やはり希望の星という感じがあるわけですね
新春もそうで やはり日が長くなって
太陽が長くなってきて
そして生命が息づいてくる頃 その頃がですね
人間が一番 こうスタートするには良いという時期ですので
まぁ寒かったり色々なことはあるんですが
それでも それを克服しても
人間には 希望が一番大切であるっていうことですね
それで今では 誕生日っていうのは
その人が生まれた日を誕生日としてますから
誕生日はバラバラなんですけれども
昔は年の初め1月1日に 一斉に誕生日でしたからね
まぁ数えと言ったんですけど
それも非常に良い風習で
やはり同じく年を重ねていくという感じもあってですね
日本のそういう風習というのは
一見不合理のように見えて
もう一つ考えると今の合理的な人間社会よりか
さらに合理的であると 本当は合理的であると
人間らしいっていうところもあるんですね
ところで長く私のブログってのは 続けておりまして
大きく分けますと 福島原子力発電所の爆発前ですね
何十年ってことないけど 十年以上やっておりまして
その頃まだネットのブログっていうのは
それほど馴染みのあったもんじゃないんですね
私も最初 名古屋大学の教授の時に
書き始めました時は
当然 字で書いて録音なんかしないでですね
それで少しずつ出しておりました
しかしだんだんそれが 録音の方がいいかなと思いまして
録音にしたり また福島の爆発の時は
もう本当に一日一日ですね
いろんな方から ご相談やらなんやらあって
それにもう必死でやってましたね
ですから それからも毎日やるようになり
もう本当にこう 5月ぐらいから
爆発したのは3月 地震が3月11日ですが
それから少しずつ爆発して そして5月ぐらいから
本当にその年の11月ぐらいまで
本当にこう 大きな自分の人生に
大きな影響を受けた人っていうのは 山ほどいたんですね
その人と一緒にブログを作ってまいりました
それから録音になり
まぁ大体毎日 やるようになりました
それが一時は ちょっと
私自身も辛いことがあったりしてですね
色々考えることがなかったわけじゃないんですけれども
幸い 約10年を過ごしまして
去年からは おととしですね
2020年からは
新しい気持ちでやろうと思ってたところに
新型コロナってのが出て来ましてね
それで思い切った自分が
こう考えるということが言えなくなりました
私としては十分に考え 決して間違ったことを
お話はしてないつもりなんですが
人っていうのは それぞれ考えてることが違いますので
私の考えてることが 間違ってるという人もおられてですね
少し方向性を変えました
それで2020年の6月ぐらいからですね
ヒバリクラブというものに変えました
このヒバリクラブっていうのは
もうこの社会はそれほど個人の力 考え方
そういうもので変わるもんじゃない
利権でがっしりと作り上げられてしまって
それをこの日本とかですね
みんなが良い社会にしようという動きは
もう駄目だと思いましてね
そしてヒバリ つまりヒバリっていうのは
世の中がどうであれヒバリは
さらに高くピューと登ってですね
チューチューチューと鳴くと 
社会全体を変えようということよりか
むしろ自分自身の人生を 見直そうということで
一年半前にヒバリクラブということで
非常に多くの人の賛成を得て
ここ一年半 楽しい時を過ごしておりましたが
この度12月22日 去年の12月22日だと思うんですが
参政党から 参議院議員に立候補することになりましてね
色んな経緯があって それでまぁ
それに伴ってですね ヒバリクラブも続けていきたいし
参政党の綱領っていうかですね 方針と政策とか
ヒバリクラブと それほど違いがないものですから
ただ私としては
ヒバリクラブの方も随分お世話になったんで
できればヒバリクラブを
今までお世話してきて頂いた方に継続して
参政党の絡合の武田ゼミブログと
どういう名前になるかはちょっと
色々な方が考えてくれるんですが
いずれにしても参政党 キーワードはですね
参政党 それから絡合 武田ゼミ ヒバリクラブ
ここら辺をですね キーワードにいたしまして
今日から新しく
ブログを始めたいという風に思っております
最初はですね
新しいお酒は新しい革袋に入れる
というのは昔から これは直接的には旧約聖書ですけれども
ユダヤ教の旧約聖書なんですけれども
キリスト教と言ってもいいんですが
こういう話は もう世界各地にありましてですね
それと全く同じで 今度私が参政党からですね
参議院議員どうだろうかと思ったのも
やはり今までの自民党も 非常に日本には長い間貢献しました
また社会党もですね
昔 日本社会党ってのがあったんですが
ここもですね 日本の政治には大きく寄与したと思いますね
日本社会党の時代は政権が取れなかったんですけど
それでも野党として 非常に貢献があったと思いますね
日本が経済成長していく時にですね
自由民主党と日本社会党の戦いがですね
日本の政治を良くしてきたと いう風に思っております
それから時代が変わりまして
そのことは 次回に詳しくやりますけれども
新しい時代には新しい革袋がいるということで
時代は大きく変わりましたので
やはり参政党という 新しい革袋でですね
日本を発展させていくってのが
正しいんではないかという風に思いました
このブログは従ってですね
今日からは参政党の 一応あのー
新しい国作りっていう参政党の政策が示してある
ブログがあるんですけども このブログですね
参政党は
政治に参加するの参と 参議院議員の参ですね
それから政党ですね
普通の政党という名前を書きまして
まぁ党ですから ある程度の基本方針とかいうのあるんですが
非常に自由に議論をしていけると
まさに国民一人一人が 党を作っていくんだと
基本理念でいくようですので
私のここで書く ブログで書くものもですね
あるいは参政党のページに書いてあるものと
少し違うじゃないかと
言われるかもしれませんが
そんなことは多分 参政党の首脳人もですね
全然 気にしてくれなくていいよいいよと
武田先生は 武田先生が勝手に書いたらいいよと
いう風に言ってくれると思っておりますので
明日から自由にですね 書いていきたいと
できれば 私の希望としてはですね
政党の政策の理論面
特に政治とか財務とかですね ご専門の方がおられますので
私は科学 歴史 日本というものを中心にして
なんたって個人の幸福ですね
個人の幸福をとにかく
今から30年待ってくださいじゃ ちょっと長いんでね
すぐにでも 幸福な人生が送れるような
そういうことを目指してですね
ブログを続けていきたいと いう風に思っております

2022年1月1日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

明けましておめでとうございます!


 

明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします🙇⤵

参政党のロゴを日の丸に入れたら かっこ良かった。

#武田邦彦


米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...