本日の収穫(3578文字)
このところですね
宗教の話を3回ぐらいしたわけですね
人生を幸福に過ごすと まぁいうことを
自分自身で作っていくということで
最初に宗教ってのを持ち出したんですが
これには違和感がある人が多いでしょうね
何で最初に宗教来るのって
働き方とか考え方とか人生とはとか
そういうのが来るんじゃないかという感じがしますけども
実はですね 例えば哲学というのを見ますとね
哲学というのは頭のいい人がですよ
カントとかヘーゲルとかですね
そういう まぁ日本ですと西田さんがそうですが
非常に頭のいい人かですね じっくり考えて
それで 人生とは斯くなるものだとか
現象というのは一体どういうものかって
いうようなことを考えるわけですね
ほとんど大脳皮質で考えるわけですが
それには二つ欠点があるんですよ
一つはですね 哲学はその性格上
あまり現実を見すぎると 哲学の体系が出来にくいんですね
ですから やや現状と離れるっていうかですね
そういうところがあるんですね
それから二つ目はですね
哲学の人っていうのは頭がいいから
大体恵まれてるんですよ 生活がですね
大体大学の いい大学の先生だったり
家の家系もですね 割合と金持ちでは
哲学なんていうのは 昔はその商売になりませんからね
お金にならなくてもいいやーってな
家庭の人が哲学をやるもんですから
これ非常に哲学の人が 怒るかもしれませんけども
エリート学問なんですよ
だから基本的にはお金持ちであって
まぁ貴族つってもいいんですね
あのー ヨーロッパでは貴族学問の一つなんですね
ですからまぁ普通の庶民 日本の場合はですね
平等主義ですから ちょっと違うんですけども
ヨーロッパは階級制ですからね
ですから階級制ってことは どういうことかっていうと
そのー 5パーセントとの人が恵まれた生活をして
残りの90パーセントが
まぁ奴隷みたいな生活するわけですよ
ところがその哲学者
特にヨーロッパの哲学者っていうのはですね
5パーセントの人を相手にしてるんですよね
だからヨーロッパの幸福論
ヒルティだとか有名な幸福論ってあるんですが
その幸福論っていうのはですね
どっちかったら哲学に似てるんです
どうして哲学に似てるかっていうと
やっぱり恵まれた人のための人生論なんですよ
ところがですね
宗教ってのは 何かつったらですね
これはもう
お釈迦様はちょっと哲学者ですから あれですけども
お釈迦様くらい偉くなったらですね
哲学者でも こう貧民のことにも目が配られるわけですけど
イエス様が 一番いいですね
もう最初っから病気の人
いざりの人 苦しんでる人 お金のない人
そういう人が イエス様の対象なんですよ
ですから新約聖書
イエス様の行状 一生を描いた新約聖書にはですね
ほとんど可哀想な人が出てくるんですよ
じゃあ宗教は恵まれた人のためか
可哀想な人のためかっていうと
やっぱりは可哀想な人のためなんですね
ですから哲学と宗教というのは非常に大きく違うんですよ
ですからまぁ日本でですね
ちょっとこれを間違えて考える人がいてですね
哲学の人って どっちかつったら真面目なんです
遊びがいらないんですよ
パチンコ?いやパチンコなんかしなくたって
人生を送れるじゃないですか
女性?いや女性なんか
関係ないんじゃないかっていう人がですね
哲学をやるもんですから
哲学は誠に綺麗な感じなんですけども
本当にそうなの?人間は病気もするよ 心の悩みあるよ
変な事になることもあると
その中で人生つうのはどうなのかっていうことになると
哲学はやっぱり弱いんですね
それから心理学も同じなんですね
心理学ってのはちょっと今度は哲学と違ってですね
守備範囲が違うんですよ
私なんか物理学者ですけど
物理学者は何の人生にも役に立ってないかって
そうでもないんですよね
ちょっと物理学で役に立ってるってのは
天文なんかそうですが
宇宙の最初はどうか
これから宇宙はどうなるかなんていうのはですね
人生を考える上でやはり役立つんですよ
もちろん生物学はそうですよね
生物はどうして生まれたのか
命とはどういうものなのか
オスメスはどうして誕生したのか
兄弟は元々 仲の良いものか悪いものか
全部これ 生物学が教えてくれますからね
ですから 学問つうのは守備範囲があるんですね
心理学っていうのはもちろん
心理学っていう名前で分かるように
人間の心理なんですよ ですから
心理学で幸福をつかむのは無理なんですね
なんかの問題が起きた時に
それは人間の心理としてどう考えられるかっていう
根拠を示すということですね ところが心理学者の中でも
ちょっとこう お金儲けに興味があったりする人も
もちろんいますからね
そういう人達が
いやーまぁ人生を幸福にするにはこうしたらいいよ
心理学ではもうそれは分かってるよなんて 話になってですね
ちょっとあなた哲学とか いろんなものですね
と あわせて言って下さいっていうことに
ちょっとなりたいわけですね
まぁそういうことで 実は宗教こそがですね
人類の苦しみから ものを見るっていうところがあるんですよ
ですから宗教はその意味で 非常に貴重なんですね
ですからまぁあのー 人生を幸福
自分の人生を幸福に送るということは
お釈迦様の言っておられることをですね
よーくお聞きになる
もしくは そのお釈迦様の言われたことが
後にですね 百年後ぐらいなんですけど
お釈迦様は 紀元前 500年ぐらいなんですけど
紀元前400年から300年ぐらいになりますとね
お釈迦様は あまりに偉かったので
本当は哲学者なんですけど 宗教化したんですよね
その宗教化したものがですね
経典になっていくわけですね
その経典が中国に伝わり 中国から弘法大師が
日本に持ってきた そして宗教として育つ
だから仏教の宗教つったら
お釈迦様よりか むしろ親鸞とか道元とか
そういった人たちのものの方
栄西かな ものの方が
やや宗教的なんですね えー 日蓮ぐらいになると
かなり宗教的になってくるわけですよ
ですからまぁ 仏教の親鸞
例えば親鸞 それからキリスト教の新約聖書
ここら辺が参考になるんですね
キリスト教の場合はむしろ
新約聖書を読まれるのもいいですけど
むしろ土曜日の夕方にですね
やっぱりプロテスタントの カソリックでもいいんですが
カソリックはミサっていうんですけど
プロテスタントのお説教ですね
それをこう 誰でも入れてくれますから
教会に行ってですね
イエス様のお考えになったことを
イエス様の行状というのをですね
一生というのを勉強されると
宗教っていうのは こういうもんだってことがわかります
そこでうっかりキリスト教徒になってしまっても
別に構わないんですけど まぁ王道としてはですね
そこでキリスト教ってのはこういうもんだ
仏教っていうのはこういうもんだ
いうことを知るってことが大切ですね
まぁよく引っかかるのが
引っかかるつったら悪いんですけど
偉人とか偉い人のねー 本っていうのを結構
偉い人の本って魅力的なんですよね
だって いい事が書いてあるから
だけども いい事っていうのは
人生の幸福とはちょっと繋がらないんです
いい事はいいんですけどね
もうそれ 人間がね
毎日毎日迷わず真面目に働いてやっていける
病気もしない 心理的な葛藤もない
なんていう状態ってほとんどないんですよ
それからね 人間社会つうのは汚いもんなんですよ
人間社会っていうのは 人間というものが
そもそも欠陥を持ってますんでね
人間が集団になると意地悪あり いじめありですね
嘘があり ごまかしありという社会なんですよ
それを避けたらね
人間っていうのは 幸福にはなれないんです
やっぱりその人間社会 私たちは人間ですからね
人間っていうは 殺人あり放火あり
色んなことがある中での人生なんですよ
ですから こうあるべきだ
これが正しいんだっていうことを 学び過ぎますとね
全然 駄目になってしまうもんですからね
そこんところをこうー よくよく考えて
幸せな人生を送る自分として それでまたね
これがあのー 教科書があればいいんですけど
教科書ないんです というのはね
人間つうのは一人一人ものすごく違うんですよ
環境も違うし 自分自身も違うし
もちろん体が
ある人はこういう病気になる ある人は病気にならない
ある人は幸運で恵まれて
ある人は不運ばっかり続く そういうことがあるんでね
やっぱり自分自身で 幸福というものはどういうものか
どういう風に物を考えなきゃいけないのか
ということを自分で知る必要があるっていうことなんですね
ですから 昔は我々に学力がなかったですから
お坊さんとこに行ってお説教を聞くというような
ことしかなかったんですけども
我々は今 ネットもあるし
テレビはちょっと駄目なんですけど
まぁそのー 欠陥のある人間というものが
自分自身で幸せを見いだしていく ということのためには
やっぱり宗教っていうのは 欠かせないんですよ
宗教を信じるんじゃないんですよ
宗教を知るということなんです 知るということが大切で
信じなくていいんです
あの宗教を信じなければ幸せが来ない そんなことありません
宗教がよーく分かれば
自分で幸せをつかむことができると
こういうことになると私は思っています
2022年1月5日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦