2022/01/11

π=3は問題か? (武田邦彦)



本日の収穫(3731文字) 

ゆとりの教育っていう問題はですね
非常に大きな問題を投げかけたわけですね
もちろん その第一の問題は
ゆとりの教育をやるっていう時はですね
その考え方とか これから日本の教育を変えていくんだと
今までのお仕着せとか 暗記タイプの教育じゃなくてですね
一人一人の個性を生かし 伸ばしていくと
そのためには 教育にゆとりが必要であるということで
1990年代の全般はですね
オールジャパンで ゆとり教育を賛成したと
それが現実にゆとり教育に入ってみたら うまくいかないと
それはうまくいきませんよ
今までとにかく 暗記修身のですね
お仕着せ教育をやってたわけですから
それをその生徒主体にやるっていったってですね
それはうまくいかない
先生方もそれに慣れてない
先生方も今まで文部省がですね 学習指導要綱に沿って
とにかく学習指導要綱に
書いてあることしか教えちゃいけません
受験もですね 今度は学習指導要綱に書いてあったかないか
なんてことが問題になるっていうですね
そういう ガチガチの社会を作ってたわけですから
そこでそのゆとりの教育っていうのを
始めてもですね それはうまくいかない
おまけに世界的な 試験問題のテストみたいのがあって
それで日本の地位が下がってくるっていうことで
もう今度はあっという間にですね
ゆとり教育反対論っていうのが
ものすごく湧いたわけですよ
まぁここはやっぱり
これからの日本っていうのを考える時はですね
実際自分がその ゆとり教育が出てきた時にどう言ったのか
ゆとり教育に賛成した人はですね
やっぱりゆとり教育にまずい点ができても
反対しちゃいけませんよ
やっぱりそれだけの見識あり
考えてやんなきゃいけませんね
しかし教育委員会とか 教育にあまり関係なくて
そのゆとり教育だけ
うっかり賛成したり反対したりした人はですね
やっぱり ものすごく多かったんですよ
それが一番悪かったのがメディアですね
やっぱりメディアはゆとり教育が出てきた時は
ゆとり教育賛成の人をどんどん出す
そして今度ゆとり教育がうまくいかなくなったら
ゆとり教育がうまくいかないことが
ゆとり教育反対の人をどんどん出す
それからじゃんじゃん態度を変える
不見識な評論家を出すということで
たちまちの内に ゆとり教育が潰れたわけですが
これはまぁ 以前に一回お話ししましたけどね
その中の一番象徴的な問題は π=円周率ですね
円周率=3と教えるということが
そのうち誰か評論家が言ってですね
冗談じゃないよと
3.1415 せめて3.14を覚えさせないと
子供はね 暗記の力がなくなるじゃないかなんていうですね
超くだらない 話が出てきたんですよ
僕はまぁ物理系ですからね
専門に近いから当たり前ですけど
えー π3じゃ何で悪いの?っていう感じでしたね
π3っていいじゃないのと
π3っていうのはね すごくいいんですよ
えーとπをですね 
3.1415とか π=3.14と覚えた人はですね
例えば直径が1㎝であると
それでこの円周は何㎝ですかっていったら
1×3.14ってやるんですよ
それで3.14㎝ですって答えるんですよ
全くそのー こう労働者のちゅうかね
頭を使わない学問を教えてるわけですね
πが3という風に教えるのが すごく素晴らしいんですよね
つまり直径に対して円周 円を直径こうありますね
例えば ある運動場に立ちますよ
そしたらどうもこの運動場は
向こうまで50メートルだなーと
そしたらこれに これをグラウンドにしたら
大体一周 何メートルぐらいのグラウンドが
できるかなとこう思うとですね
その時は3掛ければですね
150メートルの 一周150メートルの
そのー グラウンドができるんだとかですね
それから400メートルのグランドがあったとすると
これまっすぐ行ったらどのくらいって誰かが
まっすぐ行って100メートル競争できるって言ったら
うん400だからね 3で割ったら100メートル超すから
大丈夫じゃないのってこう言えるわけですよ
つまり科学とか学問っていうのはですね
本質にできるだけ迫って教えるとですね
教わる方も楽しいですよ
ところが πは3.14だとか 3.1415だとかってやるとですね
単に横に計算機があったら 計算するだけですよ
そうすると人間は思考力とか そういうのを使うんじゃなくて
単なる計算機だけになっちゃうわけですね
しかし 僕はこの問題が起きて
多くの人がπ=3ってなんだ
こんなことを教えて ゆとりの教育は
馬鹿じゃないかって言った時に
あれ! この人たちってπが3だってことを
知らなかったのっていう風に思いましたね
例えば面積もそうですよ 円の面積πr^2ですよね
これまた すごく面白いですよ
円を四分の一に切ったところが
ちょうど半径のrですからね
そのrの正方形になりますから
そのrの正方形の切り取り
三日月みたいなところが切り取られるわけですが
それがですね πの^2が正方形で
その r^2 四つありますからね
それで4で割ったら
それが面積なんだって気が付くんですよ
そん時の小学生の喜びが 学問の喜びなんですよね
それから3分の4πr^2なんで 今度πr^3だったかな
球の面積を 今度球の体積を覚えた時も
ああそうか ここでは今度3分の4かと 3はπかなーと
4はあれ 4分の1だったからなーと
球になると それが4つだから4倍なのかなーとか
あーなるほど球の体積っていうのは
πr^2を3で割ったやつが4分の1の片割れで
それに4倍すると円の体積になるのかっていったら
感激があるんですよ
知的な興奮があるんですよ
だからπは3と教えるべきであって
しかもまぁ 僕みたいにも大人になった人はですね
πが3ということを覚えておくことによって
覚えるっていうかな 3であるということの
本質を知っていることによって
数学も面白くなるんですよ
何もねー 専門家じゃないんですから
難しい数学を覚えるんじゃなくて
数学で明らかにした 人間の知恵というものが
どういうもんだっていうのは
π3っていうのは ものすごく良かったんですが
あの時π3をねー えっと何て言うか
応援する人ってすごく少なかったんですよ
何でか知らないけど
みんなπ3 なんだなんだってね
それでこの頃ね まあこう言っちゃなんですけどね
全然こう学問というものを楽しさも知らない
教育というものも 知らない人がね
何しろテレビで大きな顔して言うんですよ
もうね 嫌になっちゃうんですよね
私もテレビ随分出てましたけど ある野球選手がですね
僕に対して 武田先生の温暖化のやつは
私はもう全然理解できないと 反対だとこう言われたんで
もう もちろん反論しませんでしたよ だってね
電熱もわからない 地球の気温もわからない
CO2の量と気温の関係も知らない
そういう人がですね その私が言う
地球温暖化の見通しみたいなものを言って
それで評価できるんですかね
私はね その選手のバッティングには絶対口出しませんよ
そりゃあなたはね プロ野球選手だったから
それは私とは 比べ物にならないから
私は 球の投げ方とかバッティングの仕方なんか
あなたに反論しませんよって言いますよ
人間はどんなに傲慢でも そのくらいの謙虚さを
持ってなきゃいけないじゃないですかね
ところがテレビで ちやほやされましてね
ここでテレビの文句言うわけじゃないですけれども
まぁテレビで活躍する芸人
芸人っていうのは 凄くいい人が多いんですよ
あのなんか 見かけが悪くてもですね
個人的にこう知ると 本当にこの人
素晴らしいなと思う人が多いんですけども
だけどやっぱり芸人とかそういうスポーツ選手とか
そういう選手のギャラが多過ぎてね
私なんかは学者だから 文化人枠とかいって
それの十分の一だったり 二十分の一だったりしますからね
そうするとやっぱり テレビ界では
僕らは馬鹿にされるんですよ
馬鹿にされるのは 別に構わないんだけど
それによって その地球温暖化だとか
π=3なんていうのがですね
非常に大きく間違って 伝えられるわけですね
今度の感染症についてもそうでした
ここまで知らない人がよく言うなと
いう風に思うことがよくありましたね
そういうことで 教育は特に子供を教育しますから
ゆとりの教育が良かったんですよね 本当は
ただ問題はむしろ その学習指導要綱でそのまま教える
つまりその 今度次の時に問題にしますが
つまり本人の能力を伸ばすということじゃなくて
国家としてどういう人間が必要かという
明治時代の教育のまま 現在進んでるわけですね
それでみんな苦しんで いじめはできるし
受験ノイローゼはあるし
色んな問題が 男女の問題も含めて起こるわけですね
ですからこれは とにかくですね
まず議論することですね
それから三段階改革っていうのが いいと思うんですね
後で平和の問題もやりますけども
平和問題とか こういう教育問題とかですね
こういった問題みんな難しいので
一度で全部やっちゃうってことは無理なんですよ
やっぱり少しずつ 一つずつですね
三段階でこういう風に 平和を達成しますよとか
こういう風に教育をまともにしますよと
第一段階はここまでやりますと
第二段階はここまでやります
第三段階は第一第二をやった結果も見ますが
一応こういう風にやりますと いうぐらいのですね
全体のシナリオを示して
そして説明すれば ゆとりの教育もですね
π=3の問題も まともになってですね
日本の教育が 良くなったという風に思いますが
それが そこまで十分にやらなかったもんですからね
文部省の役人が傲慢だったかどうか わかりませんが
っていうことなんですね

2022年1月10日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/10

宗教は命を考えるのに、なぜ、宗教戦争は残虐なのだろうか? (武田邦彦)



本日の収穫(3625文字) 

時々 宗教の話をしますとですね
割合早い時期に 早い議論が
少し進んだところで出てくるのが
宗教っていうのは 何で宗教戦争やるんですかねっていう
そういう質問が多いんですよね
それはまぁ そういう風に疑問に思うのは当然で
宗教っていうのは命を考えるわけですよ 生きる 死ぬ
特に死ぬっていうことを 考えるわけですね
死んだら天国行くとか 行かないとかですね
それから 悪いことした人は地獄に行くとか
そういうことを扱うわけですから
当然 命を大切にするような感じがするんですよね
ところが宗教は 戦争がすごく多いんですよ
しかも その戦争はですね
宗教が原因となった 戦争っていうのがなければですね
戦争は半分ぐらいになったんじゃないかっていう
気がするぐらいですね
宗教は戦争が多いんですよ
そんなに宗教に戦争が多いんだったら
もう宗教やめてしまった方がですね
命が大切にみんながするんじゃないかと
思うぐらいのことなんですね
特に日本のように
日本はまぁ ここんところ言ってますからわかるんですけど
宗教というものはなくて 自然とご先祖様
私たちは教えを受けなくていいんですね
日本人とは面白いですね
日本人以外の人は 教えてもらわなきゃいけないですよ
人を殺すことは良くないことだと
いやそんなことを宗教が言ってるか
どうかわかりませんけどね
人を殺すことは良くないことだとか
人に施しをしなさいとかいうことを
教えてもらわないとわかんない
ところが 日本人は感受性が強くてですね
自然を見てれば わかるっていうんですよ
自然を見てればですね
山に雨が降り それが川になり その川が魚を育み
海に流れ 海がまた魚とか色んなものを作り
そしてその恩恵で 水の恩恵で草が生え
その草を食べて 馬とか牛が育つとかいうですね
そういう全体の像をですね 日本人は自分で見るんですよね
自分で見て あーそうだなと こう思うわけじゃないですか
ですからまぁ日本人とは本当に大したもんで 学ぶんですね
それから祖先もそうですね
お爺さんお婆さんから話を聞いたり
昔の話を聞いたりして
ああー 祖先は偉いなーと思って
自分もそれを 参考にしなきゃいけないなーと
それから みんな祖先を尊敬してますからね
人間っていうのは祖先を尊敬する
お父さんお母さん
お爺さんお婆さんを尊敬するっていうのはこれ
自然の心なもんですから
だからお爺さんお婆さんは偉かったなー
日本国を守ってくれたなとか そういう風に思ってですね
感謝するわけですよ
それからお婆さんなんかは
特に孫のね 世話をしているお婆さんなんか
本当に子供には感謝され
孫も本当にお婆さんに育てられた
お孫さんっていうのはですね
大きくなって お婆さんが先にお亡くなりになりますから
本当に感謝して 涙を流しますよね
そういう点では日本人っていうのは 自分で自然を見て
自分でこうー ご先祖様というものに接して
それで尊敬心
神としての敬う心を育てるのでいいんですけどね
だから日本はもう 極端に宗教戦争が少ないんですよ
そういう風にいいますとね
鎌倉時代辺りに 鎌倉宗教が出来ましたね
鎌倉宗教自身は立派なんですけども
やっぱり宗教ができると 宗教の戦争っていうのは
大体 鎌倉っていうか 室町時代ぐらいから始まって
戦国時代の終わりぐらいまで
やっぱり宗教の戦争っていうのは始まるんですね
それは日本は 宗教がすごく少なかったですからね
教えというものが 元々少なかったんで
その戦争が少なかったんですね
じゃあこの宗教の戦争は なぜ起こるのかっていうとですね
これは もうはっきりしてるわけですね
つまり大脳皮質の欠陥なんですよ
大脳皮質っていうのはですね 生まれてから二十五歳まで
自分が学んだこと 自分の環境 周りの人たち
その人たちの影響で決まるわけですよ
その中に普通 宗教があるんですね
ヨーロッパなんかもちろん 中東とか宗教があるわけですよ
そこでキリスト教 イエス様のこととか
ムハンマド様のことを学ぶんですね
そうするとそれが 大脳皮質の方に入るんですよ
大脳皮質の方に 入らなかったらいいんですけど
残念ながら人間は 頭脳に欠陥があって
これ大脳皮質に入るんですね
我々が夫婦喧嘩したり 兄弟喧嘩したり
それから職場でいさかいを起こすのと 同じなんですよ
同じ原理なんですね
頭の大脳皮質の方に入っちゃうんですよ
大脳皮質の方に入るとですね
それが正しいと 思っちゃうんですよ
思わないと人間は生きていけないんで
正しいと思うんですね
だからキリスト教の人は 聖書が正しいと思うんですよ
イスラム教の人はコーランが正しいと思うんです
まぁあのー 聖書とコーランと
ほとんど同じこと書いてあるように思うんですけれども
詳細を見ると 違うんですよね
そうすると違うと憎らしくなるわけです
例えば仮に言えば そのイスラム教とは関係ないんですが
砂漠地帯にイスラム教が ずっと布教したもんですからね
砂漠においては 女性は男性が保護しないと
殺されちゃうんですよね
電話したから 警察が来てくれるってわけじゃないんで
パトカーなんか 来てくれませんからね
やっぱり 親族の男が守らないと
女性が生きていくこと 出来ないもんですから
まぁそういう色んな女性の キリスト教から見たら
差別のように見えるっていうのがあるんですね
それからもちろん 宗教の考え方も違う
聖地はもちろん両方とも このユダヤ教出身ですからね
神様も同じですから イェルサレムにあるわけで
これも色々 いざこざがある
そうするとまぁ 中世の十字軍なんかそれの典型的ですけどね
キリスト教の騎士が
正義の騎士だっていうんで 十字架立てて
それで中東の方に攻めていく
その時はイスラム教が少し 勢いが衰えた時だったんで
騎士団が イェルサレムまで行ったり
途中の そのイスタンブールなんかで
コンスタンチノーブルっていってますけど
そういったところをですね
略奪する 略奪するってのはどういうことかつったら
城の中に入っていって
女子供全部殺すとか レイプするとかしてですね
財宝を 全部取っちゃうわけですから
到底 宗教とは無縁なんですよ
だから なぜじゃそういう事が
起こるのかっていうとですね
大脳皮質に入ったら それが自分が考えている宗教が
正しい宗教だと思っちゃうんですよ
いやイエス様もマホメット様も 自分のよりか偉いから
よくマホメット様のことはわかんなくても
やっぱり尊敬しなきゃいけないな
そんなことは 大脳皮質は考えないんですよ
しかも システムが出来ていくんですね
その大脳皮質で生じる システムが出来ていくんです
まず聖人なんてのが出来てですね
人間だけど 聖なる人であるっていうのが出来ている
それから今度は 枢機卿なんてのが出来てですね
ローマ法王の下に 枢機卿ってのがいると
枢機卿ってのは ものすごく権力持ってて
人の命を左右するようなことができる
しょっちゅう枢機卿による 少年のレイプですね
男色レイプっていうんですかね
あんまり言いたくないような言葉なんですが
そういうのが報じられるわけですよ
ローマ法王に至っては でっかい屋敷に住んでて
それで割合と皆さん ローマ法王ってのは体格も良くてですね
立派な服装してですね 偉そうなんですよ
いや僕ね 聖書を読みますとね
イエス様は決して そういう人がいいって言ってませんよ
言ってません 邪教だとか言ってますよ
言っておられますね
だからそれで 宗教戦争がもう
カソリックとプロテスタントの戦いなんていうのは
本当に悲惨なんですね
Saint-Barthélemyの虐殺っていうのがあってですね
これはカソリックが プロテスタントを殺したんでしたかね
一晩で女性 子供 お婆ちゃん お爺ちゃんらをですね
一万四千人だったかな
全部やりとか刀で突き刺して死にましたね
人間ってのは 突き刺した瞬間に
ぱっと死んじゃうんだったらいいけど
うんうん なん晩か唸って
そして死んでいくんですからね
本当に残虐なんですよ そういうことをした
もちろん火あぶりとか そういうのもあってですね
宗教ってのは 人を殺すにも残虐な方法を考えるんですよね
だから宗教は命というものを考え 命を大切にするんだけども
宗教の戦争っていうのは 現在でも
近親が憎らしいっていうんですかね
キリスト教とイスラム教は 近親の関係にありますからね
特にやっぱり教えなんかが 少しダブったりしますので
お前違うんじゃないかって 言ったりしますね
イスラム教の中でも シーア派とかスンニ派ってのがあって
シーア派とスンニ派もですね
シーア派がどちらかというと 原理的なイスラム教を信じる
スンニ派ったら ややこう 世俗的っていいますかね
現実問題をやるということで
それほど差がないんですけど
それでもやっぱり戦争は イスラムの圏内では
しょっちゅう やってるわけですね
ですから イスラム圏内での
スンニ派とシーア派の戦いっていうのは
本当にこう1300年から1400年続きました
もちろんカソリックと それからプロテスタントの戦いも
やはり1000年ぐらい続いてる
それでしかも キリスト教とイスラム教の間でも
戦争があるということでですね
やっぱり宗教は 人間の大脳皮質に入るので
宗教ではなくなるということなんですね
大脳皮質というのは 如何に我々に
不幸をもたらしてるかと
いう事の参考にしていただければと思います

2022年1月4日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/09

神様はおられるのか? 復活はあったのか? 奇跡は起こるのか? (武田邦彦)



本日の収穫(3845文字) 

さて今日はですね ヒバリクラブをお聴きの皆さんで
やっぱり宗教の話を聞いたりですね
うっかり入らされたり
もう過激な人になっちゃうんじゃないか
家庭も破壊しちゃうんじゃないかと思って
心配している人も多いと思うんで
その最後の方にあたるんですが
一体あの 神様っていうのはいないよと
そんなのは嘘だよと思ってる人も多いですし
それからキリスト教ではですね
イエス様が はりつけの刑になって
亡くなった後ですね
墓の中からまた復活されますね
また生きていきます
そんなことなんかないよとかですね
それから何とかの泉とか
色々奇跡を起こすものってあるんですが
もちろん イエス様みたいな偉い人も
奇跡を起こすんですけど
それ以外に この世の中には奇跡を起こす水とかですね
それから奇跡を起こす人とか
そういうのがまぁ 多く知られてるわけですよ
そういうのも合理的に物事を考える人はですね
違うとこういうわけですね
私なんかは物理学者で 典型的なもんですから
大脳皮質 支配人間なのですからね
現代の科学で 嘘だと思うのは嘘だとか何とかっていう人が
僕の仲間なんかほとんどなんですよ
そのだけどもですね
この問題について もう少し
深く考えてみたいと思うんですね
ですから今まで こういうことに対して
反感持ってた人に対してもですね
是非 お聴きいただきたいと思うんですけども
神様はおられるのか これが一番難しいですね
勿論 答えは分かりません というのはですね
あのー 我々の科学っていうのはですね
神様がおられないことを前提に
近代科学ってのはできてきたんですよ
つまり人間の頭で考えられる範囲で
科学を構築するという 約束っていうか
そういうのがありましてね
したがって自然の中で
これは神様じゃないかなーと思うことがあるんですよ
ファーブルの昆虫記のですね 真ん中ぐらいに
ファーブルの昆虫記って凄い長いですよ
12巻だったか20巻だったか すごく面白いですね
あれをずっと読んでますとね
途中になんか虫の話が出てくるんですよ
その幼虫かなんかでですね
20節ぐらいある 節っていうのはこう何て言うかな
区切りがあるようなこうね ありますよね 虫でね
その13節かなんかにこう あるものがあるんですよ
こういうものが
この13節にできるということは進化ではないと
こんなのは進化として できるって言ったら
物凄く多くのトライアル・アンド・エラーっていうか
試し やってみなきゃいけない
神が造られたとしか思えないんだという風に
ファーブルは言っておられますね
自然界を見ますと これは神様じゃないかと
思うことが凄く多いんですよ 実は
その神様じゃないかと思うものの
百のうち九十ぐらいはですね そのうち解かってきて
それは神様じゃなくて
我々の知恵が足りなかったんだって
解かってくるんですけど
それでもまだ 残るものがあるんですね
例えば現在 光よりか速いものはないなんて言ってますけど
そのうち見つかりますよ これは必ず
それから もっと変なことがあるんですね
現在宇宙では 光よりか速い速度で離れ離れになっている
銀河団っていうのがあるんですよ
その銀河団同士は 光よりか速い速度で遠ざかっているので
お互いに何も見えないし 何もないないと思ってるんですけど
実はあるんですよね
ですからまぁ 神様はおられるのかって難しいんです
マホメットがですね
マホメットじゃないや マホメットかなー
ヨーロッパから中国に旅行して
その時に元のフビライが あなたは
君はつったかな 君は世界中を旅行してきてるから
どの神様が本当の神様だか わかりますかと
私は最初の頃はモンゴルの神様だったんですけれども
領土が広がってきて 中国やらインドやら
中東やらなんやらにヨーロッパやらが領土になると
私の領土の中に5人の神様がいるんだけど
私が死んで会う神様と 違う神様を祈ってると
怒られちゃうからっていう話もあってですね
神様って嘘じゃないかと
だって神様が複数いるはずないからと
いうことになるんですね
これらは全部 人間の頭で考えることですから
何とも言えないんです
ただ私がですね イエス様の言っておられることを
じっくり聞いてみますとね
イエス様ですら 神様がおられるかどうかということは
明白ではないような気がいたします えー
これはまぁ気がするだけで こんなこと言うと
キリスト教の人に怒られますが
私はそういう風に思いますね
じゃあ第二番目に行きましょうか
復活はあったのか イエス様が亡くなってから 再び
これはですね キリスト教信者の中核中の中核なんですよ
キリスト教信者になりますとね
ポンテオ・ピラトのあれで死刑になり
命を失いそして復活した
これを信じるのがキリスト教徒だと
いうことを毎回唱えるんですね
だからこれは信仰 キリスト教信仰の中心なんですよ
そんな馬鹿な事ないよって いう人はですね
実は日本にもあるわけですね
天皇は現人神だ 天皇陛下だけが日本人の中で
天照大御神という神様の血統だから
天皇は神の子だと
あと日本人全員は 人間なんだけど
天皇だけが神様だと
これはね 私日本人だからよくわかるんですけど
日本人は天皇陛下が
神様と思ってなかったと思うんですよ 昔から
ただ神様じゃないとするとね 天皇陛下というのが
もう絶対的に尊敬すべき人だという
根拠がなくなっちゃうんですよ
非常にあのー 力が強くて 暴力が強くて
剣術の試合したら必ず勝つと
宮本武蔵よりか強いというわけでもないし
金を猛烈持ってると
どんな金持ちより持ってるっていうとないし
軍隊を非常に持ってるっていう それもないし
天皇陛下っていう方は 本当に何も持ってないんですよ
しかし天皇陛下なんですよ
じゃあ それをこうちゃんとするためには
天皇陛下だけが神様の子供である
天皇陛下の人間宣言なんていうのは
インテリの連中が 浅はかな考えでやっただけでですね
イエスキリストの復活と同じなんですよ
要するに自分たちが神と崇めたり
条件が全部悪くても どんなに貧乏で
どんなにボロを着てて 力も弱いし 何にもできなくても
天皇陛下だ イエス様だというためにはね
やっぱり何か 特別なことがなきゃいけないんですよ
それを日本人は天皇陛下は神の子だと
いうことを信じていたわけですよ
だから天皇陛下に はーっと頭を下げるわけです
感激するわけです
天皇陛下の御姿を見たら感激するんですよ
それは イエス様が復活するのと一緒なんですね
ですから これは本当に復活したのか
復活は 信仰上のことなのか
日本人の天皇陛下が神の子なのか
じゃあ日本人は今でも
多くの日本人が天皇陛下っていうのは
やっぱり頭下げなきゃいかんし
絶対下げると思いますよ 私は
もうどんな時でも下げると思います
織田信長ですら 僕がいつも言うように
天皇陛下を殺したりなんか できなかったわけですよ
そういうことのために 復活という話があるんだ
その意味から復活というものを 見てほしいと思うんですね
それから奇跡は起こるのか
この奇跡は もう色んなところで話があります
もちろん これは仏教でもありますし
それからキリスト教でも
イスラム教でも全て奇跡がありますね
奇跡は起こるのかっていうのは これ答え簡単なんですよ
奇跡が起こらなければ 不幸から立ち上がれない人は
生きていけるのかっていう 問題を考えてほしいんですね
最近ね 日本は非常に裕福になりました
それも日本に奇跡話っていうのは少ないのはですね
日本はやっぱり 恵まれてたからなんですね
ですから 最近はヨーロッパでもですね
日曜日にミサに行く人たちは
もう1パーセント 2パーセントだと言われるんですよ
これはどうしてかったら やっぱり瞬間湯沸かし器ができ
水洗トイレができ 外科手術が発達して
外科手術が発達するまでは
ヨーロッパの人たちはミレーの夕方に鐘がなるやつの絵がありますよ
農夫が二人で 夫婦で神様に祈ってるねー
ああいうことなんですよ
要するにそのー この人の農夫ですね
夕日の中で教会が遠くに見えて
それで農作業が終わった後
神様に今日の一日の感謝をお祈りする
ベッドでもお祈りしますが
これは外科手術がないからですよ
だって何かが起こったら そのまま命を落とすわけですから
神様ありがとうございます
今日も元気で生きていくことができました
っていうことが必要だ
ということは奇跡も必要なんですね
どうしても治らないこと どうしても良くならないこと
絶望の淵にしか 自分の人生がない人にとってみればですね
お前奇跡なんかないよ
なんて言われたらどうしたらいいんですか
それで やっぱり宗教っていうのはですね
解決策を与えるっていう点で
哲学なんかは冷たいけど 宗教はあったかいんですよね
宗教があったかいのは
愛がすべて 本当に愛がすべてなんですよ
理屈なんてのは大したことないんです
愛がすべてなんですね
だけど愛が全てだということは
奇跡があるということと一緒なんですね
この際ですね このヒバリクラブをお聴きになる方で
今まで 神様はいないと 復活はないと
奇跡なんか起こらないと 思っておられた方は
自分は恵まれてると思った方が
いいんじゃないかと思うんですね
自分が どうにもなんない欠陥持ってたり
自分の家族は どうしてもあの人助けたい
自分の家族助けたい だけどもう助けることができない
その時に 自分はどういう気持ちになるかっていうことですね
今自分が考えてる 人間関係のトラブルだとか
深い悩みっていうのは
本当の人間の深い悩みよりかは
ずっと浅いかもしれないんだと
まぁいう風に考えていただく一つのきっかけがですね
神様おられるのか 復活はあったのか
奇跡は起こるのかということを
もう一回ここで考えることによって
ああー 自分はもう今の状態で幸福なんだなあー
自分が考えてる 悩みっていうのは
随分浅いもんだったんだなーと
思うきっかけを 与えてくれるんじゃないかと思います

2022年1月8日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/08

武蔵野市の外国人の住民投票を認める条例について (武田邦彦)



本日の動画ですが、マスターが出来上がっていたのですが 誤って削除してしまいました。🙇⤵ なのでテスト動画になります。動画の方の文字に誤りがあります。 誤)ちょっとできないと そうですね 正)ちょっとできないと 思うんですね

本日の収穫(2728文字) 

この話はですね 暮れのことなんですけども
暮れにですね 武蔵野市で昔から提案されておりまして
かなり話題をさらっておりましたからねー
皆さんも ご存知の方が多いと思うんですけども
武蔵野市に住む外国人の人がですね
住民投票の時に 武蔵野市に住む日本人と同じ権利が
住民投票によって権利を持って
投票できるんじゃないかという条例ですね
確かに そういうこともあるんですね
つまり武蔵野市に 
本当はこの条例上は三か月以上なんですけども
長く住んでて 日本人と同様な生活をしている人がですね
自分たちに関係する条例案の住民投票っていうのに
参加したいという気持ちは十分に分かりますね
それから提案側の説明のように
これからは多様化の時代だと
多様化の時代 多様化の時代って言ってて
この方もマスクかけたりしてますからね
多様化なのかどうかは ちょっとよく分かりませんが
まぁ多様化の時代だという謳い文句もあって
外国人も認めるべきじゃないか
それは長期的に言えばですね
かつての日本だって昔は藩ごとに争ってたり
戦ってたわけですからね
例えば島津藩 鹿児島県とですね
長崎県 まぁ長崎県というか山口県 長州ですね
江戸幕府なんって争ってたわけですから
それは時代と共に だんだん交通も便利になり
人の心も変わってですね
自分たちの同胞と思われる人が
増えるっていうことは確かなんですね
ですから 今から千年後ぐらいに
こういう条例は可決するようになるんじゃないか
実際には否決されたんです
本会議で否決されたんですけどね
まぁ随分反対意見も強かったもんですから
まぁまぁ今のところは妥当な結論
だったかなと思うんですけども
私は少し考えが違っててですね
私は近隣諸国とか外国から来た人と
親しくするべきだと思うんですけれども
それは無制限では駄目だと思うんですよね
この条例案の問題は無制限っていうことですね
例えば中国人ですよ 中国人はですね
私は中国人との差別感情はないんですけども
何しろ中国はですね
日本に向かって核ミサイルをですね
20サイロぐらい
全部日本の都市に向けてるんですよ
つまり何か いざこざがあったら
日本人を核ミサイルで全部殺すぞ
ということを公に言ってるんですよ
これ公に言ってるのと一緒ですよね
言葉でいうのと 実際に中国に
満州の辺りから上海の辺りまで
核ミサイルサイロがありましてね
それの照準が
日本の札幌とか仙台とか東京とか福岡とかって
みんな照準が合ってるわけですから
これはですね なんでそれじゃあ日本に向けての
日本は核ミサイル持ってませんし
それから中国に対してミサイルを
常時向けてるなんてことないんですよ
だから日本は中国を攻撃する意思もないし
できないんですよね
それに対して だから中国人がこの住民投票できるという
僕は資格がないと思うんですよ
それはですね いくらなんでもね
人に対して 目の前じゃないから分かりにくいんですけど
人に対して短刀を突き付けて
お前と一緒に酒を飲もうたってですね
それはちょっと無理なんですよ
それから韓国もそうですね
韓国も今では少し収まりましたけど
かつてはですね 日本の自衛隊に嫌がらせをしたり
レーザー照射したり もう散々やってきたわけですね
やっぱりね 私はね 日本に住む
中国人韓国人の待遇を良くしてほしいと思ったら
やっぱり日本に対する敵対政策を
取らないっていうことだと思うんですね
まず反日教育をしてるところはやっぱり駄目だと思うんですよ
だからこの外国人の住民投票もですね
僕だったら一応市議会で
いや外国人全部反対というのではないと
要するに日本に親日であって
しかも本人も日本に対する愛国心 愛国心っていうのかな
日本に対して愛する心がある
そういう条件を付けなきゃ駄目だ
例えば 中国のように
日本に対して核ミサイルを 照準を向けてるとかね現に
反日教育をしてるとか
それから韓国みたいに 反日教育してるとかそういう人たちは
それは いくらなんだって優遇は認められませんと
だって我々は税金も使い何も使い
何をしてるかっていったら
中国とかそういう人ってところの
侵略を防ごうと思って一生懸命やってるわけですよね
ですから 侵略を防ごうと一生懸命やってるんだから
せめて こういう条件は付けるべきですよね
中国の人は母国に対して 日本に住みたいんであれば
母国に対して 日本に対して
ミサイルを向けるっていうのをやめてくれと
そう言わなきゃですね
やっぱりこれは ちょっといくらなんでもひどいですよね
まぁあのー それとかですね
中国の法律では 日本に住んでいる中国人は
中国と日本の間で いざこざが起きたら
日本国内で氾濫を起こすというのが
法律で決まってるんですよね
これもふざけた法律なんですけども
そういう法律で決まってるんですよ
それをですね 押し並べて認めるっていうことは
ちょっとできないと 思うんですね
ですから やっぱり
少なくとも親日であるということを表明している
外国から来ている外国人であって
その外国人が日本を発展させようという
気持ちがあるというのが
最低の条件でしょうね
そうじゃなくちゃ 一体何だってことになりますね
ところがね こういう住民投票が提案されるのは
武蔵野市であるっていうところがなかなか面白いんですね
武蔵野市っていうのはね 平均所得がすごく高いんですよ
インテリが多いんですよ 日本はどうもね
インテリが かわいそうな人を助けようとするんですよ
そのかわいそうな人
例えば ここで言えば外国人とかですね
所得の低い人がなぜできるかと言うと
武蔵野市に住んでるようなインテリが お金を稼ぐので
そういう貧乏人とか 困った人が出てくるんですよ
これ面白いんですよ 昔からそうなんですね
共産党の指導者が 弁護士が多いんですけどね
それはなんでかっていったら 弁護士ですから
そういう場面に 多くあうっていうことはあるんですが
一つはお金持ちだからなんですよ
それで共産党の指導者は みんなお金持ちなんですね
お金持ちが 貧乏人がかわいそうだっていう見下した態度
これがですね いわゆるリベラルとかそれから知識人とか
それから そういう人たちなんですね
これおかしいんですよ 本当はね
政治ってのは 自分たちの代表者ですからね
ですから 自分たちを代表する人たち
その人たちが 力を持つべきであるということですね
ちょっと今これ ピーピーとこうすると
警報音が鳴りだしたもんですから ここでやめますけれども
私は武蔵野市の外国人の住民投票が
否決されたことは歓迎すべきことだと
一つは反日を表号して具体的に行動を取っているようなのは
外国人の住民投票を認めるどころか
国外に帰ってほしいと思いますし
もう一つは日本のリベラル お金持ち
この市長さんも相当お金持ちなんですよ 実は
個人的なことは 言いませんけどね
ですからお金持ちだから 貧乏人を助けようというのはね
私はちょっと 納得し難いという風に思います
ちょっと途中ですけども これで終わります

2022年1月6日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/07

15の夜  ココロのひとつも解りあえない大人達をにらむ  そして仲間達は今夜家出の計画をたてる  とにかくもう 学校や家には帰りたくない  大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ  退屈な授業が俺達の全てならば なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な15の夜 (武田邦彦)



本日の収穫(3471文字) 

政治の問題の中でですね
教育問題っていうのは
非常に大きな問題であるってことは
非常に多くの人がですね そう思っておられるわけですね
もちろん小学校に入るまでの教育機関っていうのは
まだはっきりしておりませんしね
それから小学生からもいじめがありますし
それから中学高等学校での
色々な学校の問題がありますよね
不登校の問題だとか
まぁ多様化の時代ですからね
大学もまぁ大衆の大学とか
勉強しない学生とか言われて久しいんですが
この問題もありますし
また寿命が延びている中で
どのくらいの期間を教育機関と当てるかって
いうようなこともまだ未解決のままですね
それから日本の教育関係で 一番大きな問題だったのは
1990年代に一度話題になり 制度としても採用されて
直ちに制度が始まったら潰されたという
いわゆる ゆとりの教育の問題ですね
あの問題は非常にこの 教育というものに対する
日本社会の未熟性と言いますかね それを示したもので
実はゆとりの教育っていうのは
今まで詰め込み式の教育だったけども
これをこれからは一人一人が
個人としてやっていかなきゃいけない
それをアシストしていくのが教育だから
少しゆとりを持ってと 言うことでスタートしですね
ゆとりの教育がスタートする時はもちろん
教育界はもちろんのこと 政界も官界も財界も
メディアも一般社会も みんなが指示して
これから ゆとりの教育なんだって言ってスタートした
そしたらもちろん ゆっとりの教育ですからね
詰め込み教育と違って 単純な学力は落ちますよね
掛け算の力とか割り算の力とか
暗記が必要なような 科目のものってのは下がりますよね
これがあのー 世界の順位で
例えば国際的なテストで
まぁ5位ぐらいだったですかね 日本は
それが20位ぐらいに下がったっていうんで
大騒ぎになりましてね
まぁ実施した途端に止めになると
それでいわゆるゆとり世代
ゆとり教育世代っていうのが 生まれましてね
それで私その頃 色んな大学で教えてたんですけども
何か変なことがあって 僕の講義でこんな人がいるんだ
こんな学生がいたんだけどな
それは先生ゆとりの人ですよ なんて言われてですね
言わば 言えなき差別も生じましたね
ただこの ゆとりの教育の失敗っていうのはですね
色んなまたこれ要因があるわけですね
一番大きな要因というのは
やっぱり文部省主導で 教育をしているということなんですね
文部省っていうのは そんなに力があるわけじゃないし
文部省の役人というものがですね
全国の教育を担当してる先生方より
圧倒的に力が上ってことないんですよ
ただお金を握ってるっていうことで
まぁ日本の教育っていうのは
その生徒自身が悪いとは言えないんですが
文部科学省が主力になってるとかですね
それから戦後すぐに作られた 教育委員会なんかがですねー
主体になってるとか それからPTAなんかに関してはですね
アメリカの制度をそのまま日本に持ってきた
教育委員会もちょっとそういうとこあるんですけども
そういうことで日本に馴染んでないことで
理解がほとんどされてないと いうこともあってですね
実は日本は一度もですね
言ってみれば 戦後の新しい教育というものを
議論したことがないんですよ
しかしね それでありながら教育についてはすごくね
意見が強いんですよ
あるまぁ 私は
中央教育審議会の専門員なんかもやったりして
色んな大学のとか一般の教育の改革なんかも
委員なんかで携わったんですけども
とにかく不思議なことに教育と環境ですね この二つですね
教育と環境っていうのは なんか人間のこう
癇に障るっていうんですかね
感情的になるんですよ 議論がですね
ですから こう積み重ねていって
しっかりと議論するっていうことが
なかなか出来ないでいる
っていうことはあるんですね
長く考えますと 明治の時にですね
とにかく欧米に追い付くために 小学校を置いて
それで全員が小学校に入って
とにかく 尋常小学校でですね
とにかく読み書き そろばんをちゃんと教えるということは
大成功したんですよ
そして日本人の素質の高さもあってですね
その当時の大英帝国を抜いてですね
識字率なんかも世界一になった
というようなこともあってですね
大変にその後の日本の発展に 役立ったわけです
それが少しこう戦争までの教育が 少しこう行き過ぎてですね
歪んでたわけですが それが戦争に負けたことによって
負けたと言えませんが 戦争が終わったことによって
新しい教育を随分検討されましてね
昭和二十七年に作られた
日本の新しい教育に対する その著名人の
レポートっていうのは非常に優れておりましたね
私はそれを読んで あーこんな優れた考えで
戦後の教育っていうのは
始まったんだなーと思いましたよね
その中でも特にもちろん
こういう教育をやるんだっていう
具体的なことも全部書かれてるんですが
問題点としての指摘もありましたね
それは教育っていうのは 難しい矛盾があるんだと
今まで間違ってるから教育を改善するんだと
戦前の教育が間違ってたから
戦後は新しい教育にするんだと言いながら
戦後の新しい教育をするのを担当する人が
戦前の間違った教育を受けた人だと こういう矛盾がある
これはですね 本当に素晴らしい指摘なんですね
私が大学で色んな管理をやったり 教育を研究したりした中で
やっぱり優れた人っていうのは
いつもこういう意識を持ってますね
大体優れた人っていうのは お年寄りですが
お年寄りは自分たちが 間違った教育を受けたのに
間違いを受けた 教育を受けた人が
本当に正しい教育ができるんだろうか
教育っていうのは そんなに杓子定規のものだろうか
っていうことがあるんですね
今日あのこのー 今度のですね この党っていうのも
やっぱり一番最初に言いましてるように
新しいお酒は 古い革袋に入れちゃいけないって言うんですよ
これ本当そうなんですね
まぁあのー 時代の変化っていうのをやりましたけども
やっぱり明治の初めに 小学校中学校高等学校大学という
今の制度が大体明治時代にできてですね
その時は平均寿命43歳ですね
全然 今と違うわけですよ
ヨーロッパに追い付け 追い越せ
そのためには富国強兵ですからね
そういう中で作った 現在の学校制度をそのままですね
現在でも使ってる 平均寿命はもう85歳から
生活程度は欧米にしっかりと追いついている
ノーベル賞の授賞とか
オリンピックの成績なんかを見てもですね
まぁ十分に一流国としてのレベルに達している
特に最近の女性のですね
中距離1500 3000 5000なんかの陸上を見たりですね
その他の色んな球技なんかを見ても
決してその欧米なんかに遅れを取らないような
力を持った人が 若い人が多い
その中で学校制度だけが
一番遅れてるような気がするんですね
ここで私は 尾崎豊の15の夜
これは本当は 歌をうたうのが一番いいんですけど
ここで声を張り上げのも変ですから
ちょっとこの詞の一部をですね 紹介します
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は 今夜家出の計画をたてる
とにかくもう学校や家には帰りたくない
一番にこういう詞がありますね
それから 少したって
大人達は心を捨てろ捨てろと言うけど 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てならば
なんてちっぽけで なんて意味のない
なんて無力な15の夜 とこう続くわけですね
まぁこれを私歌いますとね いつも心が痛みます
なんで我々は 15歳の子供に
こんなに つらい思いをさせなきゃいけないのか
思春期に もっと思春期らしい
教育っていうのはできないもんなのか
もちろんですね 全員が全員じゃありません
しかしこういう歌が 尾崎豊が歌ってヒットする
大ヒットしましたね という裏にはですね
我々は何のために
教育というものをしてるんだということなんですね
これは元々 日本の教育ってのはそうだったら
まだ しょうがないんですけど
日本の教育というのは本当に 子供本位だったんですよ
子供は神の子と言いましてね
日本は大人よりか
子供の方が優れてるんだという意識を持った
世界で唯一の国だったんですね
だからイギリスなんかは
子供は教育を受けてない野獣だから
鞭で叩いて教育をするんだというんで
小学校の先生は 鞭をもって教育をしたわけですけど
日本は全く逆で 子供達がお互いに学び合うことがですね
教育の本質なんだっていう 本当に優れた考えを持ってた
その日本の中で
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
っていう子供を作る
大人達は心を捨てろ捨てろと言うけど 俺はいやなのさ
というような感じを持ってるのは
確かなんですよ 確かなんです
なぜそういう教育を 私たちはしているのか
これをもう一回ですね
別に子供達に
そのゴマをすろうとかそういうんじゃないんですよ
私達大人自身がね
もう一回よーく考えてみる必要があるのではないかと
いうのがスタート時点ですね

2021年1月6日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/06

幸福な人生になぜ宗教の知識が必要か? (武田邦彦)



本日の収穫(3578文字) 

このところですね
宗教の話を3回ぐらいしたわけですね
人生を幸福に過ごすと まぁいうことを
自分自身で作っていくということで
最初に宗教ってのを持ち出したんですが
これには違和感がある人が多いでしょうね
何で最初に宗教来るのって
働き方とか考え方とか人生とはとか
そういうのが来るんじゃないかという感じがしますけども
実はですね 例えば哲学というのを見ますとね
哲学というのは頭のいい人がですよ
カントとかヘーゲルとかですね
そういう まぁ日本ですと西田さんがそうですが
非常に頭のいい人かですね じっくり考えて
それで 人生とは斯くなるものだとか
現象というのは一体どういうものかって
いうようなことを考えるわけですね
ほとんど大脳皮質で考えるわけですが
それには二つ欠点があるんですよ
一つはですね 哲学はその性格上
あまり現実を見すぎると 哲学の体系が出来にくいんですね
ですから やや現状と離れるっていうかですね
そういうところがあるんですね
それから二つ目はですね
哲学の人っていうのは頭がいいから
大体恵まれてるんですよ 生活がですね
大体大学の いい大学の先生だったり
家の家系もですね 割合と金持ちでは
哲学なんていうのは 昔はその商売になりませんからね
お金にならなくてもいいやーってな
家庭の人が哲学をやるもんですから
これ非常に哲学の人が 怒るかもしれませんけども
エリート学問なんですよ
だから基本的にはお金持ちであって
まぁ貴族つってもいいんですね
あのー ヨーロッパでは貴族学問の一つなんですね
ですからまぁ普通の庶民 日本の場合はですね
平等主義ですから ちょっと違うんですけども
ヨーロッパは階級制ですからね
ですから階級制ってことは どういうことかっていうと
そのー 5パーセントとの人が恵まれた生活をして
残りの90パーセントが
まぁ奴隷みたいな生活するわけですよ
ところがその哲学者
特にヨーロッパの哲学者っていうのはですね
5パーセントの人を相手にしてるんですよね
だからヨーロッパの幸福論
ヒルティだとか有名な幸福論ってあるんですが
その幸福論っていうのはですね
どっちかったら哲学に似てるんです
どうして哲学に似てるかっていうと
やっぱり恵まれた人のための人生論なんですよ
ところがですね
宗教ってのは 何かつったらですね
これはもう
お釈迦様はちょっと哲学者ですから あれですけども
お釈迦様くらい偉くなったらですね
哲学者でも こう貧民のことにも目が配られるわけですけど
イエス様が 一番いいですね
もう最初っから病気の人
いざりの人 苦しんでる人 お金のない人
そういう人が イエス様の対象なんですよ
ですから新約聖書
イエス様の行状 一生を描いた新約聖書にはですね
ほとんど可哀想な人が出てくるんですよ
じゃあ宗教は恵まれた人のためか
可哀想な人のためかっていうと
やっぱりは可哀想な人のためなんですね
ですから哲学と宗教というのは非常に大きく違うんですよ
ですからまぁ日本でですね
ちょっとこれを間違えて考える人がいてですね
哲学の人って どっちかつったら真面目なんです
遊びがいらないんですよ
パチンコ?いやパチンコなんかしなくたって
人生を送れるじゃないですか
女性?いや女性なんか
関係ないんじゃないかっていう人がですね
哲学をやるもんですから
哲学は誠に綺麗な感じなんですけども
本当にそうなの?人間は病気もするよ 心の悩みあるよ
変な事になることもあると
その中で人生つうのはどうなのかっていうことになると
哲学はやっぱり弱いんですね
それから心理学も同じなんですね
心理学ってのはちょっと今度は哲学と違ってですね
守備範囲が違うんですよ
私なんか物理学者ですけど
物理学者は何の人生にも役に立ってないかって
そうでもないんですよね
ちょっと物理学で役に立ってるってのは
天文なんかそうですが
宇宙の最初はどうか
これから宇宙はどうなるかなんていうのはですね
人生を考える上でやはり役立つんですよ
もちろん生物学はそうですよね
生物はどうして生まれたのか
命とはどういうものなのか
オスメスはどうして誕生したのか
兄弟は元々 仲の良いものか悪いものか
全部これ 生物学が教えてくれますからね
ですから 学問つうのは守備範囲があるんですね
心理学っていうのはもちろん
心理学っていう名前で分かるように
人間の心理なんですよ ですから
心理学で幸福をつかむのは無理なんですね
なんかの問題が起きた時に
それは人間の心理としてどう考えられるかっていう
根拠を示すということですね ところが心理学者の中でも
ちょっとこう お金儲けに興味があったりする人も
もちろんいますからね
そういう人達が
いやーまぁ人生を幸福にするにはこうしたらいいよ
心理学ではもうそれは分かってるよなんて 話になってですね
ちょっとあなた哲学とか いろんなものですね
と あわせて言って下さいっていうことに
ちょっとなりたいわけですね
まぁそういうことで 実は宗教こそがですね
人類の苦しみから ものを見るっていうところがあるんですよ
ですから宗教はその意味で 非常に貴重なんですね
ですからまぁあのー 人生を幸福
自分の人生を幸福に送るということは
お釈迦様の言っておられることをですね
よーくお聞きになる
もしくは そのお釈迦様の言われたことが
後にですね 百年後ぐらいなんですけど
お釈迦様は 紀元前 500年ぐらいなんですけど
紀元前400年から300年ぐらいになりますとね
お釈迦様は あまりに偉かったので
本当は哲学者なんですけど 宗教化したんですよね
その宗教化したものがですね
経典になっていくわけですね
その経典が中国に伝わり 中国から弘法大師が
日本に持ってきた そして宗教として育つ
だから仏教の宗教つったら
お釈迦様よりか むしろ親鸞とか道元とか
そういった人たちのものの方
栄西かな ものの方が
やや宗教的なんですね えー 日蓮ぐらいになると
かなり宗教的になってくるわけですよ
ですからまぁ 仏教の親鸞
例えば親鸞 それからキリスト教の新約聖書
ここら辺が参考になるんですね
キリスト教の場合はむしろ
新約聖書を読まれるのもいいですけど
むしろ土曜日の夕方にですね
やっぱりプロテスタントの カソリックでもいいんですが
カソリックはミサっていうんですけど
プロテスタントのお説教ですね
それをこう 誰でも入れてくれますから
教会に行ってですね
イエス様のお考えになったことを
イエス様の行状というのをですね
一生というのを勉強されると
宗教っていうのは こういうもんだってことがわかります
そこでうっかりキリスト教徒になってしまっても
別に構わないんですけど まぁ王道としてはですね
そこでキリスト教ってのはこういうもんだ
仏教っていうのはこういうもんだ
いうことを知るってことが大切ですね
まぁよく引っかかるのが
引っかかるつったら悪いんですけど
偉人とか偉い人のねー 本っていうのを結構
偉い人の本って魅力的なんですよね
だって いい事が書いてあるから
だけども いい事っていうのは
人生の幸福とはちょっと繋がらないんです
いい事はいいんですけどね
もうそれ 人間がね
毎日毎日迷わず真面目に働いてやっていける
病気もしない 心理的な葛藤もない
なんていう状態ってほとんどないんですよ
それからね 人間社会つうのは汚いもんなんですよ
人間社会っていうのは 人間というものが
そもそも欠陥を持ってますんでね
人間が集団になると意地悪あり いじめありですね
嘘があり ごまかしありという社会なんですよ
それを避けたらね
人間っていうのは 幸福にはなれないんです
やっぱりその人間社会 私たちは人間ですからね
人間っていうは  殺人あり放火あり
色んなことがある中での人生なんですよ
ですから こうあるべきだ
これが正しいんだっていうことを 学び過ぎますとね
全然 駄目になってしまうもんですからね
そこんところをこうー よくよく考えて
幸せな人生を送る自分として それでまたね
これがあのー 教科書があればいいんですけど
教科書ないんです というのはね
人間つうのは一人一人ものすごく違うんですよ
環境も違うし 自分自身も違うし
もちろん体が
ある人はこういう病気になる ある人は病気にならない
ある人は幸運で恵まれて
ある人は不運ばっかり続く そういうことがあるんでね
やっぱり自分自身で 幸福というものはどういうものか
どういう風に物を考えなきゃいけないのか
ということを自分で知る必要があるっていうことなんですね
ですから 昔は我々に学力がなかったですから
お坊さんとこに行ってお説教を聞くというような
ことしかなかったんですけども
我々は今 ネットもあるし
テレビはちょっと駄目なんですけど
まぁそのー 欠陥のある人間というものが
自分自身で幸せを見いだしていく ということのためには
やっぱり宗教っていうのは 欠かせないんですよ
宗教を信じるんじゃないんですよ
宗教を知るということなんです 知るということが大切で
信じなくていいんです
あの宗教を信じなければ幸せが来ない そんなことありません
宗教がよーく分かれば
自分で幸せをつかむことができると
こういうことになると私は思っています

2022年1月5日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/05

バブル後に失敗した政党作り (武田邦彦)



本日の収穫(3505文字) 

斯くして1990年を迎えましてですね
これは世界的にも大きく変化し
日本も大きく変化した年でしたね
世界的には まずイランで
ホメイニ師がお亡くなりになって葬儀が行われる
それから北京では天安門事件が起こって
中国共産党が大きく揺さぶられる
そうこうしてる内に
今度はベルリンの壁が破られるっていうですね
もう画期的なことがありまして
それでそれから東欧諸国が だぁーっと崩壊
共産党が崩壊しまして
それが波及して ソビエト連邦も崩壊するというような
大きな変化がありましてですね
日本もそれに伴って 大きく揺さぶられて
バブルが崩壊して 株価 38,000円が
たちまち 18,000円ぐらいになるという
大きなことがありました
これはですね 必然的な結果ですよね
だって30年間 正しければ34年間になるんですが
高度成長時期が続いて 国民はすっかり豊かになり
先進国入りしてですね
そして浮ついた左翼の人たち リベラルの人たちが
我々はその経済成長に 力を注ぎ過ぎたんではないかとか
江戸時代に返れとか
リサイクルした方がいいんじゃないかとか
石油がなくなるとか もう
でたらめを幾らでも言い始めたわけですね
それにバブルの崩壊ということがあって
日本社会はすっかりと 方向性を失ったわけですね
今になれば それから30年経ちますから
方向性ははっきりしてて
アメリカのようにITのソフトをやると
いう方向が一個ありましたね
これはアメリカの GAFAと言われるような
Googleとか Amazonだとか Facebookとか
それからそういったやつですね Apple
まぁ こういったものが1995年を中心にして創業いたします
アメリカ人の平均給与は 所得は三倍になりました
もう一つは中国が選んだ道ですね これはITのハードですね
スマホをやり 色々な通信機器をやりですね
そして現在は中国がもう
世界のITのハードの多くを牛耳ってると
まぁいうような状態になりですね
日本はヨーロッパに騙されて
これからは環境の時代だなんて言ってですね
その頃よく学生が私にですね
先生 環境は大切ですっていうから
僕がよくそういう学生に言いましたよ
君 環境が汚れてるっていうけど どこが汚れてんの?
その頃は名古屋大学でしたからね
空を見たって 空きれいじゃないか
水も 愛知県は水がおいしいですからね 水道が
水道だって臭くないじゃないかと
なんか海水面が上がってるって言うけど
あなたは海岸に行ったら海水面が上がってる?
なんであなた環境悪くなってるっていうの?って言ったら
その学生は その学生っていうか
いっぱい学生が そういう学生いたんですが
テレビが言ってるって言うんですね
それからテレビが世論 社会を作り
社会が間違った方向に誘導され
それに応じて政党が右往左往するということになりました
1992年からですね
まぁ皆さんがよく知ってるような 新しい政党が
雨後の筍のごとく出来てですね
次々とその内 その内のいくつかが政権を取り
細川 熊本県知事が首相になったり
それから社会党の党首が 総理大臣になってですね
実に変なことに 自衛隊の観艦式に出席して
自衛隊をあれほど反対だと言ってた社会党が
自衛隊賛成に回ると
自衛隊は憲法違反だけども合憲である
いやーなんつったかなんか変な 合法であるか
違憲合法論というのが出てきてですね
もう無茶苦茶な時代になりました
無茶苦茶は一回収まったんですが
その後すぐまた復活しましてね
民社党が政権を取り 悪夢の3年間をやりですね
また ばぁーっと政党ができるということで
現在に至っております
これはですね このブログでずっとお話ししてきたように
社会が大きく変わるわけですよ
1930年には軍隊が大切だと 平均寿命は 43歳だと
そういう中で国民が行動するわけです
1960年は あかぎれが切れるし
風呂は外に行くしと
女の人は洗濯板で洗濯するという中で
高度成長が始まるわけです
1990年になりますと 平和な世の中になり
物質は豊かになり 車をみんなが持つようになってですね
目標を失っちゃったんですよ
目標は まだまだあったんですよ
だって ここ三十年間政府がやったことはですね
日本政府がやったことは
消費税を0パーセントから
10パーセントに上げたということだけです
平均所得は 日本人平均所得は
460万のままですから
消費税が上がった分だけ 10パーセント分だけ
使えなくなりましたから
30年間で給料が10パーセント
減ったようなことになっちゃったわけですね
じゃあ何のために政治やってんのって
政治は国民が幸福になるためじゃないんですかと
じゃあ幸福っていうのは 必ずしも豊かとは限りませんが
その間にアメリカは アメリカの平均所得は三倍になり
中国の所得は五倍になり
中国はちょっと格差がありますからね 難しいんですが
少なくとも海岸線の中国の人達は五倍になり
日本は取り残されて
かつて世界で第二位の国でしたが
もう今や 見る影もないという状態になりましたね
その間もうリサイクルにしてもダイオキシン
リサイクルってのは何の意味もなくて
ものすごく資源を使いますし 環境汚しますし
ダイオキシンは無毒ですし
今やってる地球温暖化も甚だ怪しいわけですね
しかし方向性を失った社会っていうのは
そういうもんなんですよ
政党は山ほどできる 
何で政党作りに失敗したかって言うとですね
従来のもう自由民主党 日本社会党という
もう時代が要求してない政党に所属している人たちが
社会が変わってきたので 新しい政党が必要だって言って
政党が分裂する形で 新しい政党ができる
ということを繰り返すからですね
そうじゃない政党はまぁ
我々の記憶に残るようなのは二つですね
一つは維新ですよ 日本維新の党
やっぱりこれは新鮮味があって
現在でもある程度の勢力を保ってますし
これはまぁ 前政治家だった人も
参加としては多いんですけども
基本的には新しい政党なんですよ
新しい地域政党としてスタートした
それからこれはもう
本当に一か月ぐらいのあだ花だったんですが
希望の党ですねー
これもやはり
従来の政党の人が移ってっていうわけじゃなかった
それが少し一部 小池さんなり
静岡県の民主党の人なりが入ってたんで
ちょっと混乱して 潰れましたけどね
今でも東京都では ある程度の勢力を持っております
本当に新しい政党とは一体何なんだ
自由民主党 日本社会党に代わる
新しい社会の政党ですね
全然 社会は変わっています
所得は増えなかったといっても 一年間五百万ぐらいあるし
インフラストラクチャーも 随分進んだし
平均寿命は85歳を超える もう100歳人生が始まったし
そういう中で それから中国が日本に向けて
ミサイルをいつも
核ミサイルを向けているという時代になった
日韓関係も全然違う ソ連もロシアになった
しかも アメリカも民主主義になるのを失敗して
上位5パーセントの人が
もう半分以上の富を持っているという風になった
中国も共産党の下の民主主義とは言うものの
約5パーセント 国民の5パーセントの共産党員が
残りの90パーセントの人達を 支配するという構造になった
日本ばかりじゃなくて
世界的に民主主義っていうのが衰えて
せっかく民主主義でみんなが考えてやると
高度成長時代の日本はですね
自由民主党 日本社会党っていうのがありましたけど
これはあくまでも 選挙で選ばれた人達でした
これをできるだけ日本では
選挙で選ばれない人達にしようということで
供託金をもの凄く高くして 小選挙区にして
そしてできるだけもう 二世三世の議員しか
もう議員にならないという 貴族制社会みたいな体制にした
だから現在はですねー
世界的にもうアメリカも民主主義に失敗し
中国も民主主義に失敗し
EUは EUの中心メンバーであるイギリスが離れてですね
フランスも今 EUから離れようとしてますが
イギリス フランスがEUから離れたら
もうドイツ一つになりますからね
まぁどうなるか分からないような情勢です
一方インドなんかも かなり伸びてきたし
また中東も紛争が少し 少なくなってきた
ということで世界全体が変わってるわけですよ
今まではまだ 1990年は
世界全体ということまで至らなかったんですけど
今はもう世界全体が 民主主義から離れようとしてるんです
だから参政党という党ができたんですよ
政治に参加しようじゃない
いや そんなのもう民主主義が出来た時
出来てるじゃないかって
いや実は それが潰れちゃったんですよ
それでこれから 2020年からの 30年ですね
30年ごとに変わってきますから
1930年から 1960年
1960年から高度成長 1990年
豊かになった1990年から 2020年までが
暗黒の時代 つまり方向が分かんなかった
それで2020年から 新しい2050年までの時代
これを日本の政治が どう舵を切るかというので
日本の子供達も含めた 日本の繁栄
我々の繁栄っていうのが決定されると
そういう局面にあるわけです

2022年1月4日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...