本日の収穫(3651文字)
日本人とはなにかの二番目ですね
真正面から炉端の話ではありますが
真正面から行きたいと思うんですけれども
日本人の信仰ですね
やっぱり我々は毎日寝て起きて歯を磨いて
ご飯を食べて生きているものではありますが
一方では人間っていうのはですね
どうしてもほとんどのことは心ですね
決意とか覚悟とか悩みとか
人間関係とか憎しみとか好きだとか
そういうことによって
自分の人生って決まってしまいますね
じっくりその人間っていうのを見ると
寝て食べてっていう人はあんまりいないですね
例えばシマウマみたいのを考えますとね
シマウマじゃなくても何でもいいんですが
ほとんどは寝て食べて
時々仲間とじゃれるぐらいなんですね
ところが人間は寝て食べてっていうのは
言わば必要に迫られて
一応それをやってるっていうことがあるわけで
人間の人生の実態というのはですね
寝て食べる以外の時間に何をしてるか
それから心が乱れるとからですね
心が興奮して何か有意義なことを
しようと思うとか みんな心なんですね
すると心を支配するもの
判断とか記憶とか心とか感情とか
そういったものは全て
人間において非常に強いわけですね
それの基となるのが信仰って言いますかね
まぁ自分がどういうことをもって
因って来たるものとしてるかっていうことが
極めて大切というか
それだけと言ってもいいような状態なわけですね
そうすると日本人以外の国
ここで言うのはいつも
中国人・中東の人・イスラム教
今だったらイスラム教ですね
七百年以前はイスラム教ありませんから
色んな宗教だったわけですが
それからヨーロッパ・アメリカ
この世界のほとんどを締めるところはですね
の信仰っていうのはですね
私の言う受動的信仰
お釈迦様に教えていただく
孔子様に教えていただく
ムハンマド様に教えていただく
イエス様に教えていただくと
いうようなその教えていただいて
それを受け取って
それを信じるかどうかっていうところに
その中心があるわけですね
ですからあなたはイエスさんを信じますかと
こういう問いかけになるわけですね
信ずる者は救われるとこうなるわけですね
ところが日本の
神道というものを見ますとね 神様
これはね 宗教ではないと言うんですけど
それは当然宗教じゃありません
現在の宗教っていうのは
ヨーロッパの概念による宗教ですから
教える人がいて
例えばイエス様は必ずいて
その人の教えを聞いて
それを信ずるかどうか
それからその方が決めた日常的な生活の規律
みたいなものを守っているかどうかということで
宗教の三要素 教祖がおられて
経典があって戒律があるっていうのが
宗教であるというものの
一応定義になっておりますね
例えばキリスト教ですとイエス様がおられて
それで聖書があって 新約聖書ですけどね
新約聖書があって
そして日曜ごとに教会に行って礼拝をするとかね
それから洗礼を受けるとかいう
こういうものはありますね
ですからそういうものが一体となって
例えばクリスマスの日をお祝いする
イエス様がお生まれになった誕生日をお祝いする
そういうような一連の行為っていうのは
これ宗教というものなんですね
ところが日本人は能動的信仰
つまり自らが自然と祖先というものを
じっくり見るわけですね
日本人の自然に対する
観察力の鋭さっていうのはですね
私は俗にして四十とか四十五ぐらいまで
あんまりそういうの知らなかったんですね
ヨーロッパかぶれだったんですけど
それから少しずつ少しずつ
日本人というものを勉強していくと
ヨーロッパ人と大きく違う
ヨーロッパ人っていうのは受動的なんですね
皆さん多くの人がヨーロッパ人は能動的であり
日本人は受動的であるとか逆なんですね
これはどうしてかというとですね
ヨーロッパ人は一番最初が受動的なんです
イエス様の教えを受ける
それから書物を読む
それから初めてそれの反作用として
能動的な行動っていうのが出るわけですね
したがってヨーロッパの人の
能動的行動っていうのはですね
反射で出てくるようなもんなんですよ
イエス様がこう言われてるから
こういう行動をするだから能動的になるんですね
別に自分の心の中で
発生したもんじゃなくて
イエス様に教えていただいたものが
出てくるわけですから
かなり自信たっぷりに堂々たる態度なんですね
それから科学もそうですね
それから哲学もそうです
文学も音楽もみんなそうですね
教えを受けてその反射として絵を描いたり
音楽をしたり哲学をしたり科学を作ったりする
だからそれは基盤がありますからね
教えていただいて
それを反射するわけですから
自信たっぷりだと こうなるわけですね
ところが日本の場合は教わらないんですよ
人間というものはどういうものか
人生はどう送るべきか
人を殺していいのか 悪いのか
全ては自分が自然と祖先を見ることによって
自分の心の中に生まれてくるんですね
それが だから能動的信仰になるわけです
簡単に言えば お天道様の下で嘘をつかない
ご先祖様の前ではこれも嘘をつかないというか
恥ずかしいことをしない
そういうようなことですので
どうしても自分に自信が少しないんですよね
つまり人から教えてもらえばそれは
それを信じれば自分の力となって
能動的になるんですけれども
日本人のように根本が能動的だと
かえって日常の行動は受動的になるわけです
したがってこういう風になりますね
日本人は普段はおとなしい優しいだけど
いざとなるとものすごい力を発揮する
これはなぜかっていうとですね
普段は穏やかな日はですね自分が自分自身で
作り上げた信仰というものに基づいてます
知識というものに基づいていますので
ちょっと自信がないので優しかったり微笑んだり
そうだね そうだねと頷くという日本人の
不思議な笑顔ということになるわけですね
ところがいざ追い詰められたら
今度は自分が考えた信仰に基づいて行動しますから
これは結構強いわけですね
ですからよく中国とか朝鮮の人が
日本をなぜ恐れているか
それは日本人は普段おとなしいけど
いざとなったら凄いから
うっかりあんまりやるとやけどするよ
っていうのはそれを言ってるわけですね
ですから日本人の二面性っていうのはですね
能動的であり受動的である
これは日本人ばかりじゃなくて
西洋人も中国人もそうなんですけど
それ逆転してるんですよね
ヨーロッパ人中国人は一番スタートが
受動的であって行動日々が能動的なんです
それから日本人は一番根本が能動的なので
毎日は受動的であるっていう風に
逆転現象が生まれるわけですね
それでは日本人はなぜ
世界でただ日本人だけが
能動的な信仰に至るのかということですね
これはあの最近のですね
遺伝子の学問がすごく進んでおりまして
日本人の遺伝子が極めて特殊である
ということはよく指摘されております
これは日本を故意にですね
偉い人が日本人は偉い人だとか
愛国心を振り立てるっていうことでも
利用されておりますが
実際にもそうなんですね
日本人の遺伝子これは男のY遺伝子が基準で
測定せざるを得ないんですけども
もう日本人だけにしかない遺伝子っていうのが
非常に多いんですね
もちろん大陸から
縄文から弥生に移るときに
大陸から人が移ってきたって
これは嘘ですからね
もう今ははっきりと嘘だっていうことが
遺伝子的にわかっております
どちらかというと
南の方から来たのではないか
だけどどっから来たかわかんないぐらい
他の民族と遺伝子が違うんですね
極端に言えばアフリカから人類が
狭いエジプトのところの道を渡って
ユーラシア大陸に来た時に
三回に渡ってきてるんですね
この三回に渡ってきてる方の
遺伝子っていうのは全部違うんですけども
その大陸には住んでる現代人で
そのアフリカから出てきた三つの遺伝子を
持ってる人は日本人だけなんですよ
ちょっと考えられないんで
今一生懸命研究されてますね
だって中国もインドもどこも通らないで
日本に来れないんじゃないかと
じゃどうして中国とかインドとかそういうところに
日本人の持ってる遺伝子が残ってないのかと
いう風な大きな問題があるわけですね
言語もそうですね 日本人のような
主語目的語述語と並んでるものはですね
世界でほとんどないんです 言語が
中央アジアの北方に一部あるんですね
トルコ系のところにですね
しかしあまい?単語一緒のやつもあるんですけども
文体は そこと一緒なんですね
それから もう一つの日本人の言語の特徴は
例えば信仰だったら
信仰の前に無信仰とかですね
常という上に非とついて非常時とかですね
こういった否定語が上につくっていう言語も
これはカンボジア辺りにはあるんですが
ちょっと南の方なんですね
ですから中央アジアの北の方と
東南アジアの南の方にある言語が
くっついて日本語になってる
もう奇妙きてれつなんですよ
だからそういう中で実は
日本人というのができてきた
その日本人というのを今でも日本人は
非常に強くこう影響されておりましてね
それが日本人が他国のことを錯覚したりですね
間違った行動に出たり
他国から見たら暴発したり
あるいはものすごく道徳的だったり
っていう風な日本の特徴がある
それがですね
このグロバリゼーションの中で混乱して
そして我々の不幸を呼んでいると
そういう風に考えられます
2022年3月1日
#武田邦彦 先生