本日の収穫(3513文字)
政治と宗教っていうのはですね
本来は別に
関係がないっていったらなんなんですが
宗教は宗教 心の問題
それから政治は政治 社会の問題
っていう風にみんな思うんですけども
しかし宗教
それで宗教は心の問題ですから
宗教戦争とか
そういうのが起こるはずないんですね
宗教が存在するためにみんなが不幸になる
なんてことがあったらですね
何で宗教なんかあるのって
ことになるわけですね
個人は確かにいいでしょうけども
今までの歴史を見ますとね
もうキリスト教も
色々戦いに戦いを続けてですね
しかも千年ぐらいから後には今度は
カソリックとプロテスタントというのができてですね
もう本当に血を血で争うことを
続けてきたんですね
最近ではキリスト教と
今度はイスラム教が戦っている状態なんですね
それで十字軍なんかからそうなんですが
一体冷静にですよ
これはキリスト教を信じてる方とか
イスラム教を信じてる方は
カッとこられるかもしれませんが
冷静にですね
宗教がなかった時とあった時と
どっちが戦争が多いかっていうと
やっぱり宗教による戦争が多いんですね
そういう点でインドの仏教とか日本なんかは
宗教の戦争っていうのは
ちょっとはあったんですが
非常にわずかだということがあるんですね
宗教によって社会が歪むっていうのも
色々問題なわけです
インドなんかは今でもカースト制度
宗教に基づくカースト制度ってあってですね
それによって随分身分制度が固定されたり
結婚が自由にできなかったりっていうような
問題があるんですね
ですから私はですね 日本式の
日本は宗教という教えというのがないんで
つまりこれはですね
政治的にはどう考えられるかっていったら
まずは政治が直接出ていくと
なかなかうまくいかない問題ですね
あのつまり信教の自由とか
宗教とはどういうものかっていうことに対して
日本の宗教界が少なくとも
かなり心を開いて議論してくれなければいけない
これは相当今進んでますよね
例えば仏教でも宗派を超えた
会議っていうのがずっと行われております
もう私がそこで講演したのは
第四十一回でしたから
宗教を超えた日本の仏教の
会議っていうのは随分行われております
非常に努力をされてますね
それからローマ法王も色んな宗教の人の
お互いの議論というのを広く求めておりますね
まぁそういう点では昔と違って
宗教観がいがみ合うばかりでなくて
お互いに和を尊重するという風な
習慣になってきてるのは非常にいいんですね
ですからまずは学会ですよ
宗教学の学会の方々 先生方がですね
まず心を開いて 私が言ったりなんかしますとね
またこうバイアスがかかるんですが
例えば受動的仏教っていうのと能動的 あー⁈
受動的宗教っていうのと
能動的まぁ宗教っていう
宗教っていう言葉は
両方では共通に使えないんですが をまず作ると
つまり受動的宗教っていうのは
キリスト教とか仏教とか
イスラム教でわかるように
一神教 多神教の区別ではなくてですね
教えてもらって
その宗教を信じて生活するという
そういうタイプの宗教ですね
これは受動的ですよ
イエス様がこう言われた
ムハンマド様がこう言われた
お釈迦様がこう言われた
だからそれを信じてっていうやつですね
信じるものは救われると
こういう感じですね
ところがもう一個
日本の宗教は能動型宗教ですね
別に自然に口があるわけじゃない
亡くなった祖先に口があるわけじゃない
何も聞かない だけども
自然から我々が受けるもの
我々が能動的に自然に接して
自然から教えをもらうっていう
そういう能動的宗教ですね
それと受動的宗教を区別しなきゃいけない
それで能動的宗教の場合には
信教の自由なんていうのありませんね
何でかっていったら一人一人が能動的に
自分が自然とか祖先をよく見て
それで自分の心の中に自然とか
祖先からの教えを受けるっていうことですね
これはあのー
実はインドにはそういうのがありましてね
初期の仏教ではですね
祖先の行為というのを
非常に重要視するんですね
私たちが現在生活している
食べ物にしても着るものにしても
家でも移動する手段
自動車とか家電製品とか何でも
私たちの世代で
全部作ったもんじゃないんですよ
食なんていうのはですね
室町時代から割合日本食の根本ができた
遊びなんかもそうですね
ですから我々はやっぱり祖先の
行為の上に立っている
行為とは行動ですね
成果ってもいいんですけど
その上に立っているという考えは
インドにはあるんですね
非常にその深くあるんです
インドですから哲学
非常に優れていますからね
ですから日本もインドのそういう流れを
受けてるところもあるんですね
ただ仏教はですね
これはあのー
お釈迦様がお作りになったんじゃなくて
お釈迦様が亡くなってから百年ぐらい経って
周りの人達が
これはあまりにもったいないから
宗教としてといってお経を作ったり
経典を作ったりした
それが中国に行ってですね
中国ってのは若干 階級社会ですからね
そこで指導者用の仏教っていうのに
若干直されまして
それが日本に入ってきたもんですから
日本も平安時代には仏教っていうのは
若干ですね 貴族社会のため
つまり支配層のための信仰というのに
ちょっとなりかけてたんですが
それは鎌倉仏教でですね
庶民のものにまた帰ってきたと
日本流に庶民の方に帰ってきたと
いうようなことがあるんですね
ですからまぁあのー
まずは政治としてはですね
宗教間の議論 もしくはその色んな行動
そういったものを
促すような政策を取ってですね
政策としてはですよ
まず宗教間での争いを減らすと
いうことが非常に重要ですよね
宗教間の争いが減れば自動的に
信教の自由っていうのは
受動的宗教にだけ存在しますから
日本の憲法から
信教の自由の項目を取るっていうのはですね
これはまぁ相当な準備期間がいります
ただそういう
きちっとした政党ができればですね
まずは宗教間の議論を進めるように
国でそっちの方に誘導し
かつ受動的宗教と
能動的宗教の区分をしてですね
それで従来通りのヨーロッパの 割合とレベルの
低いって言ったらまた怒られちゃうんですけど
一神教と多神教の区別とかですね
時には日本の神道は
原始的な自然崇拝に近いなんていう
そういう話をちょっとなくしてですね
もう少しやっぱり
ヨーロッパを中心とした見方ではない見方を作って
そしたら靖国問題なんかも
なくなってきますね
靖国神社っていうのは
神社という形が取れてる
これはやっぱり色々検討が
少し不十分なんですが
日本の宗教 日本は宗教がないわけですよ
その能動的宗教ですからね
それで国に貢献した人を
こういう風に言ったらいいですね
靖国神社っていうのは
日本国に貢献して命を落とした人を
宗教にかかわらず宗教とか人種とか
そういうのにかかわらず
日本国が感謝の気持ちで
祀っているっていうことなんですね
霊を祀ってる もちろんだから
靖国神社の中には
キリスト教徒の人もいるわけですよ
日本人の心としては
例えば靖国神社にある人と行くと
お互いに自分の祖先が
靖国神社に祀られてると
じゃあ お祈りする時に
あなたはキリスト教ですか? ああそうですか
それじゃキリスト教
まずはあなたのご先祖のために
キリスト教的に
お祈りしましょうっていうんで
天にまします我らの神よと こうお祈りして
靖国神社に祀られている人の心を
安らいでですね
それから私は日本人ですからということでやると
いうことができるんですよね
日本はそれができるんですよ
だって普段からしてるんですよ
クリスマスもお祝いし
一週間したら神社に初詣に行き
お寺さんにお墓参りしてるんですから
できるんですよね
もう全然平気なんですよ
つまり靖国神社っていうものも
我々の年末年始の行動と同じように
日本だけは宗教に関係ない
だから今でも信教の自由の
訴訟なんかもありますし
それからまぁ近隣諸国との間の
靖国問題なんかもあるんですけれども
そういった問題はやっぱり正面から
つまり根のところからやんなきゃいけない
それにはやっぱり宗教学者ですよね
宗教学者と各宗教のトップの方の人と
会議を 国のお金っていうか
政策としてそれを進めてですね
日本が世界でも宗教の融和
というものを一番最初にやると
いうことはこれはやっぱり
政治の役割でしょうね
そして今は日本の中でも
キリスト教も仏教もですね
それほど活発であるという状態じゃないんで
ちょうどチャンスとしては
いいんじゃないかと思いますね
それによって日本人も改めて
自分の守るべき道徳倫理 他人に対する心遣い
学校でのいじめ それから嘘をつくような指導者
こういったものが出にくくなるという点では
政治課題として
宗教の問題も少しずつですね 慌てずに
法律で何か決めてしまってそれで
お前ら従えっていうんじゃなくて
宗教の学者とか
各宗派の人の
お考えを聞きながら進めていくと
日本が一番宗教については進んでるよと
いう状態になるっていうことが
重要じゃないでしょうか
2022年1月28日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦 先生