2022/03/10

【炉端の話】日本人とはなにか?4  日本人の神 2.祖先 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3378文字) 

日本人のですね 考え方
一つは神が一つは自然である
もう一つが祖先ですね
自分達を作ってくれたものこれがやっぱり
我々が一番大切にしなきゃいけないんだ
我々は自然から誕生してきている
太陽の光の恵みを受け
山や川とかですね
動物・植物・稲とか
そういうものから自分ができている
最近の言い方をすれば
ウイルスとか腸内細菌とかそういうのも
我々が生きていくには必要であると
だから自然は神様である これはいいですね
もう一つは祖先ですね
これはですね インドの思想が
まだ日本に入ってないと思うんですが
入ってない時に同時ぐらいにできたか
ちょっとインドよりか遅いかもしれませんが
日本人はですね 空間ですね
例えば日本列島とか地球の上とか
そういう空間とですね 時間ですね
過去から未来という二つで
物事を捉えているような感じがするんですね
それで祖先 祖先がいたから我々がいる
太陽がいるから我々がいると同じように
祖先がいないと我々いないんですね
それは単なる遺伝子のことも言ってるんですが
それ以上にですね
祖先が竪穴住宅に住み
それから藁葺屋根にして壁を作り障子を作り
そして少しずつ少しずつ進んできて
現在の我々の住居に住んでるわけですね
これは住居ばかりでなくて
食べ物もそうですね
最初はアワとかヒエとか食べて
その前は今度は栽培しないで獣を獲ったり
木の実を採ったりして食べてた
それが栽培するようになって米になり
それから水稲になりですね 水稲っていうのは
水で育てる 水田で育てる稲になり
今はコシヒカリとかそういう
ものすごくおいしいお米になる
魚も全部捕り方からそうですね
ですから我々は空間の中の一人であり
かつ過去の祖先がいたから
今の生活があるということになるんですね
そうしますと当然祖先は
神様であるということになるわけですね
それからもう一つの重要な点は
我々はお父さんお母さんが二人
お爺さんお婆さんが四人
曽祖父さん曽祖母さんが八人ということで
2のn乗といいますかね
30年大体一世代30年ですから
300年たつと10世代ですね
だから2の10乗になります
それから3000年たつと2の100乗ですからね
これはもう天文学的数字になっちゃうんですよ
だから我々は自分の祖先が
全ての日本人なんですよ
大体例えば二千年前の
ちょうど神武天皇あたりと
いうことを考えますとね
我々は全て親戚なんですよ
血がつながってるんですね
それが日本人の何となく日本人の顔
頭の髪の毛が黒い
ちょっと黄色い肌 目も黒い
ちょっとこう顔も日本人の顔 背も少し低い
筋肉の付き方から歩き方から
みんな似てるのはそれなんですね
私一回 随分精密に計算したことあるんですよ
高知県の人が何年ぐらいで
親戚になるのかなと
私の計算では六百年ぐらいでしたかね
それは難しいんですね
例えば いとこ同士の結婚なんかもありますし
重複度がどのくらいかとかですね
それから隣の愛媛県から
入ったり出たりしますからね
そういったものをこう計算しなきゃないんで
ややこしいんですが
まあまあそんな感じなんですよ
っていうことは
六百年で一巡としますとね
六千年ぐらいはもちろん日本人いますから
十回以上は他人という日本人の他人と
血が混ざってるんですよね
だから日本には他人はいないわけです
その意味では祖先を敬うというのは
遺伝子的にも正しいんですね
だから日本の場合は神様というのは二つある
一つは自然であり 一つは祖先である
ところがね ここでね
憲法改正が必要なんですよ
何で憲法改正が必要かっていったら
憲法二十条にはこう書いてあるんですね
信教の自由は何人に対してもこれを保証する
いかなる宗教団体も国から特権を受け
または政治的な権力を行使してはならない
とこう書いてるわけですね
何人も宗教上の行為・祝典・儀式
または行事に参加することを強制されない
ここにおける
宗教とか信教っていうのはですね
信教っていうのは
教えを信ずるわけですね 教えを信ずる
これね宗教学の方で
何とか早くしてほしいんですが
教えを信じてるわけじゃないんですよ 日本人は
私の言う能動的信仰ですからね
信仰 信教じゃないんですよ信仰
自然と祖先を信教してるんですよ
いや!違う 信仰してるんですよ
それでね しかしこれは日本だけなんですね
キリスト教はイエス様の教えを信じるんですよ
仏教は仏様の教えを信じる
イスラム教は
ムハンマド様の教えを信じるんです
だから世界は信教の自由になるんですけど
日本の場合は信仰の自由なんですよ
信仰の自由は何人に対しても
これを保証するならいいんですね
いかなる宗教団体じゃないんですよ
いかなる信仰に関する団体も
っていう風にしなきゃいけないんですね
日本の 日本人が全部入らない
日本の憲法なんですよ
日本人は 日本人の
九十パーセントぐらいは無宗教なんですよ
これ無宗教でいいんですよ
教を信じてるわけじゃないからね
だからこの信教の自由っていうのは
日本に来た外国の方とか
日本人の中でキリスト教とか
仏教とか 仏教もちゃんとですよ
イスラム教を信じている方のための
条項が第二十条で
肝心な信仰の自由っていうのがないんですよ
憲法に 驚くべきことなんですね
これでよく平気だと思うんですよ
それで何人も宗教上の行為・祝典・儀式
または行事に参加することを
強制されないって言ってるわけだから
靖国神社の参拝はあれ宗教じゃありませんからね
信仰ですから
日本人の信仰を神社という形にしているだけで
別段宗教とは関係ないですよ
誰が 靖国神社のことを 誰が教えたのって
誰も教えてませんからね
自然 太陽とか祖先はみんな
お亡くなりになってますから
お亡くなりになった人を
祖先と言ってるものですからね
ですから靖国神社に参拝を強制しても
宗教の自由には関係ない
信教の自由には関係ないんですよ
だけどそんなに憲法解釈って
いい加減でいいんですかね
憲法学者っていうのはいっぱいいますが
なんかいつも難しいこと言っておられるけど
この第二十条を修正してはいかんと
いう風には言ってないんですね
このね 解説にはね こういうのもあります
内心に 心の中における宗教上の信仰の自由
特定の宗教を信じる自由 信仰を変える自由
宗教を信じない自由ってあるんですが
信仰の自由っていうのはないんですよね
だからこれはですね まず宗教学っていうのが
信仰学に変えなきゃいけないんですね
人間は信仰が必要だからどうしても
必要っていうかほとんどの人が信仰ですからね
だから日本人は無宗教ですかっていったら
無宗教なんですよ
ほとんどの人が無宗教ですね だけども
信仰はあるんですよ
だから道徳が守られているわけですね
日本人は道徳はしっかりしてるんですよ
倫理もしっかりしてるわけですね
いつも私が言うんです カミユの異邦人という
ノーベル賞もらった小説にですね
裁判が出てきます
それで無宗教の人は人を殺すっていうんですよ
つまり道徳がないから
つまり日本以外の人間はですね
教えてもらわないと殺人がいけないということが
分からないっていう概念なんですね
ところが日本人は能動的信仰ですからね
教えてもらうのは受動的信仰ですから
日本人がなぜ教えてもらわないのに
道徳観念があるか
これは太陽を見たり
そのご先祖様の像を仰いだりする間に
自分の心の中に
あ!自分もしっかりしなきゃいけないな
悪いことしちゃいけないな
だからここで考える悪いことっていうのはですね
日本人の場合ね 千差万別なんですよ
日本人の正義とかね
日本人の誠意っていうのはね
全部 自分一人で考えたものなんですね
これがちょっと
いさかいの原因になったりするんですよ
キリスト教だと
イエス様がどう言われてる
イスラム教だったら
ムハンマド様がどう言われてるっていうんで
その論争ぐらいありますけどね
その論争のないやつは大丈夫なんですね
全員の意見が一致するんですね
ところが日本人の場合は
能動的信仰ですからね
だからこれは能動的信仰っていうのを
はっきりと宗教学とか信仰学に変えた
信仰学ではっきりするっていうことは
もう極めて大きな課題ですね
私もね 宗教学の方と
かなり付き合いがあるんですが
信仰学っていう人はいません
いないような気がするんですよ
これからちょっと色々探してみます
いや実はこのブログで恩について
ちょっと触れましたらね
中国語の恩っていうのはなんか
二十個ぐらいの言葉を使わないと
日本人の恩にならないっていうんで
これでいよいよですね
世界中には日本だけが
恩という概念があるってことが分かりましたので
大変にこの前 役に立ちました
ということで終わります

2022年3月4日

#武田邦彦 先生

2022/03/08

【炉端の話】日本人とはなにか?3  日本人の神 1.自然 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3808文字) 

さて三回目から少し
具体的な話に入りたいと思うんですね
最近の日本人の一つの特徴は
結論は何?っていうすぐそういうんでですね
考え方とかそういうのが
本当に重要なんだけど
その考え方を飛ばして
ずっと生活をする癖がですね つきましてね
それはその基本的なことを
理解するのが難しいっていうか
ヨーロッパの概念を勉強するっていうことに
なるので それが嫌なので
結論はどうなのっていうことに
なったんじゃないかと思ってるわけですね
一回二回と割合基本的なことやりましたが
日本人の神様っていうのは二つあるんですね
一つが自然であり 二つ目が祖先なんですね
これは自然と祖先を
自分たちの神としたのには
多分 縄文時代 弥生時代
あたりなんだと思うんですが
日本人っていうのは非常にこう
自然に対する観察力が強いんですね
自然はどうして風が吹いているのか
なぜ雲は浮いているのか
なぜ風は西から来て東に吹くのか
海はどうしてあれるのか
なんていうことをじっくり考えたんですね
その結果 当たり前のことですけども
自分たちが今ここにいるのはなぜかって言うと
一つは自然があるからだ
二つ目は祖先がいたからだ
この当たり前のことに気が付くんですね
この当たり前のことって
もう一つ非常に大きなことがあって
日本列島に住んでる人は
日本人なんだっていう これ
これはですね
当たり前じゃないかっていうけど
世界でその土地に住んでる人は
その土地の人なんだっていうのを見つけたのは
日本人だけなんですよ
ですから如何に人間っていうのは
当たり前のことを発見するっていうのは
難しいかってことが分かるわけですね
今日は自然なんですが自然というものは
まずお天道様ですね
実は一番こう昔の書物を読むと
人々が恐れているのは冬至なんですよ
冬至っていうのはだんだんだんだん
太陽の照ってる時間が短くなりまして
一番短くなるわけですね
今では科学が発達してますから
だんだんだんだん太陽の照る時間が短くなって
夜が早くなり
朝が遅くなるっていうのは冬至であって
そのうちまたそれが
反転してくるよっていう感じなんですが
やはり昔の人は太陽がなくなったら
どうしようかっていう恐れが強いわけですね
したがって冬至の辺りっていうのは
非常にこう色んなことが起こってるわけですよ
例えば日本ですと
これは新暦ですけれども
冬至のすぐ後に正月が来るわけですね
それは新しい年というのは太陽の照ってる
時間が長くなる必要がありますからね
だって太陽が照らなければ
希望っていうのがないわけですから
希望が失われる時にお祝いをするって
いうわけにいきませんからね
ですから新年っていうのは
今の新暦の新年って非常に都合がいいわけで
冬至の後 大体一週間ぐらいで来ますね
そうしますと ああ日がだんだん
長くなってきたなあっていう喜びがあるわけです
もちろん二月の節分の辺り
旧暦の正月の辺りもそうなんで
気温がね ようやくこう
本当に暖かくなってくる
つまり今の新暦の正月ですと
まだちょっと寒くてですね
その後に小寒大寒と来ますからね
寒い時期があってそれがようやく
春めいてくるっていうのが節分あたりですね
もちろん昔の人は鋭敏ですから
季節を少し早めに感じますんでね
それで節分辺りで
あー太陽の日も長くなってきたし
少しこう春の香りがしてきたなっていう時に
旧暦の正月が来るわけですね
それからキリスト教なんかもそうですね クリスマス
私はですね イエスキリストが12月24日の
夜にかな?朝なんかに誕生されたというのは
やはり冬至と関係があると
いう風に思ってるんですよ
冬至が終わった途端に
キリストが生まれるわけですね
これは救い主というのはやっぱり太陽だっていう
そういう概念がやっぱりあるわけですね
もちろんエジプトでも
太陽神っていうのが最も神様の中心なわけですね
ですから日本でも
ここで再々言ってますように
お天道様の下では嘘をつかない
ということもですね
やはり太陽と非常に密接に関係がある
我々は今では太陽の光で植物が光合成を行い
光合成を行って
できた葉っぱを動物が食べる
だから人間は雑食ですから野菜っていうのは
太陽の光で直接光合成でできたものであり
お米もそうですね
それから肉の方は
それを食べた動物の方ですから
やはりこれも元々は
太陽の光とCO2温暖化ガスと水ですね
それでできたものなんですね
今頃 温暖化ガスCO2が
少ない方がいいなんて言ってるけども
それは非常に罰当たりのことで
私たちが食事としている稲ですね
稲は太陽の光とそれから温暖化ガスっていうか
CO2とそれから水で米粒を作り
その米粒を我々はいただいて
命を繋いでいるわけですから
そういうその恩を感じないようなこと
言っちゃいけないんですから
そういうことなんですね
したがってやっぱり太陽が中心です
しかし日本人は細かく見たんですね
山がなければいけない
どうも山に雲が引っかかって雨を降らせ
その雨が川となって流れ その川の中に
魚がいて川辺には木が生えて
そして飲み水を提供し
洗濯がすることができる
それから更に山の方から風が吹いてきて
その風で木々が生き生きとし
洗濯物が乾き
地面が乾いて苔とかそういうものが生えない
衛生的な環境ができる
今は風から電気を取ろうとかそういうこれも
その何て言うかな
恩を感じない自然の使い方なんですけども
風力発電なんていうのは
本当に自然を壊すわけですね
川が流れて海に流れ込む
そして母なる海 母なる大地
それから神様がおられるかとも
これはね難しいんです
西洋では大体神様は天上におられるんですが
日本の神様とか地獄とかのちょっと
平面っていうところがありましてね
日本の建物の軒先っていうのは
そうなんですけども
それから三途の川なんてのもそうなんですけども
大体こう日本の場合は平面の上に
この世があり
あの世があるという考え方で
天上地上という区別よりかは
ちょっと違うイメージがあるんですね
これも自然に対する
考え方だと思いますね
それから日本人の神っていうのは
実は他の国と全く違うのはですね
人間と神の境がないんですよ
人間が死にますと仏様になる
これは仏教が伝わってからの話ですが
伝わる前もですね
人間は死んで神になるんですよ
だから神と人間っていうのは
全然区別ってのができないものなんですね
これはもうキリスト教なんか見れば
はっきりするわけで
キリスト教は神様ももちろん一人で
一人かイエス様が加えればそういう数人なんですね
それでどんな聖人でも
聖人の列に連なってお亡くなりになっても
神様にはならないんですよ
あくまでも人間は人間なんですね
罪多き人間なんですよ
神様は人間を作った人であって
全然違うんですが
日本人は神様が
人間を作ったわけじゃないんですね
自然が人間を作ったわけです
それで神というのは象徴しているわけですね
それを 抽象概念なんです
この抽象概念っていうのは
日本人では当たり前なんですね
例えば浄瑠璃を
見れば分かるんですけれども
浄瑠璃っていうのは黒い服を着た
人形遣いが後ろにいるんですよ
人形の後に
どう見たってよく見えるんですけれども
日本人は抽象概念ができますから
後ろに見えててもいいよと
それは見ないからっていうことができるんですね
ところがヨーロッパ人は
それできませんから
人形芝居っていうとできるだけ細い糸を使って
人間は見えないように
屋上か何かにいてですね
そこから糸を垂らして
人形を操作するっていうことになるんですね
これは抽象概念が
しっかりしてる日本人っていうのが
どういうものかっていうことですね
これはペリーが浦賀に来た時に
だんだんだんだん外人が上陸してきますね
そしてとある時に山道を歩いてたら
おばあちゃんがですね
お地蔵様になんかみかんかなんかを捧げて
そこでお祈りしてるわけです
それでその外人がですね
通訳がいたと思われるんですが 外人がですね
いやその偶像を
崇拝するってことは駄目なんだよと
そんなのは別に良くないことなんだと
こう言うとですね
お婆さん何つったかったらですね
あなた何言ってんですか
私はお地蔵様は石で作った
作り物であるなんてこと知ってますよ
もちろん神様じゃありません
だけどもお地蔵様にそのこう祈ることによって
祖先を敬ったり感謝したりする
ただ道具にすぎないんですよ
あなたはそんな簡単なことも分かんないんですかと
言ってたっていう話があるんですね
こういう話はガリレオがそれでも地球が回ってるって
言ったっていう話と同じようにですね
こういった有名な話っていうのは
極めて真実をついているけども
本当にそれがあったかどうかって
あんまり追求しなくていいんですね
こういうのに類するのに
後に整理いたしますが
天皇は神様である
これはもう日本人全部が天皇が神様じゃなくて
人間であることを知ってるんですよ
しかしその抽象概念お地蔵様とか天皇陛下と
いうものを抽象化したものというものが
区別して日本人は認識することができる
これが日本人が神様を自然の神様を敬う
という一つの例でありましてですね
その意味でも日本人の概念の
捉え方っていうのはですね
私は人形浄瑠璃が
一番いいと思うんですが よーく分かる
そんなくだらないことあなた言ってんの
私お地蔵さんに対してお祈りしてるけど
それはお祈りする時にお天道様でもいいし
お地蔵さんでもいいんですと
それは お地蔵様を
お地蔵様であることはよく知ってますよ
この石の塊がね 神様でないことぐらい
あなたは分からないんですかと言ったという
このおばあさんの素晴らしい日本人の抽象概念
っていうのを私は非常に感心するわけですね
それが日本の
神の一つの形を成しております

2022年3月2日

#武田邦彦 先生

【炉端の話】日本人とはなにか? 番外編  不機嫌な日本人 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3771文字)  

今日は炉端の話はですね
日本人とはなにかなんですが
番外編でちょっと系統的なお話ではないんですが
不機嫌な日本人ということですね
私今日も実は新幹線で移動してきたんですが
私の座る横にですね
人がいたんですね
私が予約する時は
人がいなかったもんですから
もしかして間違いじゃないかなと思ったんですね
それで前の席は空いてましたから
誰も座ってなかったんで
前の人と もしかしたら
この人を間違ったかなと思って
失礼ですけども
こちらの席でよろしいですかって言ったら
じろっと私を睨んで一言も言わないんですね
年の頃は五十ぐらいの男性で
眼鏡かけておられましたね
それで こういうようなことっていうのは
日本では結構あるんで
私なんかも日本人ですから
その慣れてるんですが
私の経験だけではですね
あまり経験ないんですが
アメリカ・ヨーロッパでは
あんまり経験がないんですよね
汽車もこういう普通の通勤の汽車なんかに
よく向こうで乗ってたんですけども
総じて愛想はいいんですよ
特にアングロサクソンですね
アングロサクソンでもどちらかといったら
アングロサクソンは階級制があるので
私が付き合う人は大体やっぱり日本人なので
向こう行ったら少し高級な方っていうかね
向こうは高級低級っていうのありますから
そんなもんなんですが 日本では
その人は明らかに割合と裕福な人ですよ
顔つきとか着ている着物から見るとですね
それで日本人はとにかく
無愛想なんですよ 初対面の人に
あ!あどうですか 私ここ隣 
あそう隣がいたんですか
前の席 空いてますねぐらいの
気軽な話っていうのがね
ものすごく下手なんですね
構えちゃうんですね
それで構えて俺が席をとったのに
何だお前ケチつける気かって
そういうような対応に
なることが多いんですね
これは例えば
スチュワーデスなんかもそうなんですよ
国際線によく乗ってた頃ですね
私はあんまりANAとかJAL
日本の飛行機に乗らなかったんですけど
何でかっていうと
日本の飛行機のスチュワーデスってね
すごく不機嫌なんですよ
不機嫌な人が多いんですね
なんかね こう乗客を叱ろっていうかね
そういう感じがあるんですね
ところがアメリカの航空会社とか
エールフランスとかですね
ルフトハンザはどうだったか
ちょっとあんまりはっきりしないんですが
そういう飛行機はですね
陽気なんですよ スチュワーデスさんが
それで何かこういうことを
ちょっとしたいんですけど
ああそうですか
やってあげますよっていう感じなんですよ
ところが日本のスチュワーデスさんはですね
威張っておりましてね
いやそんなこと規則でできませんよって
こうなっちゃうんですね
これは日本人は非常に規則に厳しくて
相手が規則違反をしてたら
居丈高になるっていうか
政府を代表して俺があなたを
とっちめてやるぞっていうのあるんですね
この前高校生が電車の中で
殴られた事件なんかもありましたが
やはりこれはもういい点と
悪い点があるんですけどね
やっぱりみんなで規則とかそういうのを
守っていこうっていうような日本人と
人のことは人のことっていう外国人と
どっちがいいか分かんないんですけど
やはり歴史を見ますとね
外交なんかの点で特にですね
日本が外交は下手なんですね
何でかっていうと ぶっきらぼうなんですよ
それで強腰なんですね
これは中国なんかもそうだから
アジア人に特有なのかもしれませんが
中国の政府の発表なんかいつも強腰ですよね
もう俺たちは正しいんだ
お前ら間違ってんだって
いつもぶっきらぼうですよね
にこにこしながら
発表してるってことほとんどないですよね
これは例えば日本は本当にちょっとの間だけ
朝鮮と台湾を領有したりして
しかもそこの統治の仕方っていうのは非常にこう
なんていうかこう正義に満ちたっていうか
誠意ある統治だったんですけど
恨まれてるでしょう
これに対してイギリスなんっていうのは
山ほど植民地を持って酷い統治をしてたのに
それほど悪く言われないんですね
これは日常的なね接し方とか相手のために
してあげますよっていうジェスチャーをして
自分は実は自分のためっていうか
嘘をつくアングロサクソンと
誠実な日本人の差なんですね
それでは日本人が誠実でありながら
にこにこしてるってことは
できないかっていうことなんですけどね
僕はできると思うんですよ なんでも
ところが私もね
にこにこしながら言えるようになったのは
四十五歳ぐらいからですかね
それまでやっぱり突っ慳貪だったしなんかこう
ハリネズミのように構えてましてね
何か言ってきたらよし反撃するぞっていうようは
そういうスタイルでしたね
最近はもう好好爺になりましたから
ああそうですかっていって
何でもにこにこしてますけども
それからそういう心になりましたね
今ウクライナのことが
皆さんが言ってるんですけど
皆さん大体日本人は憤激してるんですよ
けしからんプーチンはけしからんつってね
憤激してるんですね
だけどウクライナの人に悪いんですが
我々日本人からいうとね
ウクライナの紛争がね
ウクライナ側が正しいのか
ヨーロッパ側が正しいのか
ロシアが正しいのかって
簡単には分からないんですよ
その簡単に分からないことをね
感情的になっちゃうのが
結構日本人は多いんですね
そうしますとね
ウクライナの方はかわいそうだなと
だけどヨーロッパもNATOもね ちょっと
ロシアの方に行き過ぎてんじゃないかなと
ウクライナは元々ソビエトの領土で
それをソビエトが崩壊した時に独立した国だから
ロシアとしても言い分があるだろうなとかね
それから中国が日本を狙ってるので
ここでロシアの味方をした方がいいのか
敵対した方がいいのか
ちょっと難しいねと
そのぐらいのこう一つ引いたね
ウクライナの情勢が日本にものすごく大きな
影響あるなら若干真剣になってもいいんですけど
まあまあウクライナも平和の方が
いいなぐらいなんですよね
イラクの場合はフセイン大統領は極悪人だつって
みんなでフセインやっつけろって言ったと
何でかっていったら
アメリカとイラクを比べると
アメリカの方が正しいように
日本人には見えるんですよ
これテレビの報道によるんじゃないかと
思うんですけどね
今度はウクライナとロシアっていうと
今度はウクライナの大統領 あの人もね
僕はフセイン大統領の方が
立派だと思うんですけどね
僕はですよ
報道が偏ってますからあれですけど
今のウクライナの大統領って
大統領としてはそれほど
大した人ではないという風に思うんですけど
ウクライナの大統領と
プーチン大統領だと 今度はもう圧倒的に
ウクライナの大統領を
日本人は支持してしまうんですね
もちろん理屈はいくらでもつけられまして
軍隊で侵入するロシアが悪いんだって言ったって
まぁロシアは隣の国ですから
アメリカがメキシコにですね
反アメリカの国ができて それでアメリカが
がんがんがんがんメキシコに文句言ったり
あるいは侵攻したりするっていうのと
同じですからね
しかしアメリカがイラクに行くっていうのは
これはもう地球の裏側みたいなもんですから
だからちょっとやり過ぎかなと思うんだけど
日本人はやっぱりフセイン大統領は嫌い
プーチン大統領は嫌いなんですよ
この嫌いっていう感情は なんていうかな
日本人独特のなんか
感情から入るっていうんですかね
本当は事実をよく見て
それを整理して自分の意見を作り
最後にその意見に基づいた自分の感情が
芽生えるっていうのが普通だと思うんですが
日本人の場合 直感力が強いもんですからね
まず感情があって嫌い好きを決めて
それから意見を作って
ロシアが悪いとかウクライナがどうとか
それから遅ればせながら
じゃあ事実はどうなのって整理をするっていう
そういう順番にテレビなんかも進んでますね
ニュースはほとんどが国連
これは西側ですね
それからアメリカの大統領のスピーチなんか
どんどん出てくるんですけどね
プーチン大統領のスピーチはちょっと
付け足しで出てくるっていうような感じなんで
やっぱりどんどんどんどん日本人は
反ロシアになっていくような感じがしますね
しかしこれがですね 実は前の戦争の
原動力になったような気がするんですよ
前の戦争でも鬼畜米英
アメリカとイギリスは憎らしい
ドイツが正しいんだ
ドイツヒットラーだったしね
アメリカもルーズベルトで
感心したものはないんですが
そういうところの全体的なものを
考えるってことじゃなくて
今日私がここの席は
大丈夫ですかって聞いたのは
相手がわざわざ隣の前後の席が人がいないのに
僕が予約してる時はいなかったんですよ
だから後なんですね
おかしいなと思ったんですね
前後の席が全部空いてるのに
前後に座らないで 予約を取らないで
僕の隣に取るっていうのはちょっとね
普通じゃないんで
間違ってんじゃないかと思って
それじゃあ 僕はこう言ったんですよ
じゃあ私前の席に座りますから
どなたもおられないからっていって
前の席に座ったんですね
どうですかね そこのところがねやっぱり
ものすごく反発しちゃうってことがあるんですね
確かに新幹線もね
ちょっと隣の席に座ってるだけでね
車掌が駆け込んでくるんですよ
ちょっと切符出し下さい
ちょっと僕は後ろの席なんですが
ちょっと前に今座ってるんですよ
誰もいないんですよ
今ガラガラですから 新幹線
ガラガラでもなんでもね
とにかく人が不正らしいことをしてたら
ものすごく追求する
いいのか悪いのか この辺でちょっと
考えてみる必要があるなと思います
不正がいいといって私がそれを
すすめてるわけじゃありませんけどね

2022年3月3日

#武田邦彦 先生

2022/03/07

【炉端の話】日本人とはなにか?2  日本人の信仰 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3651文字) 

日本人とはなにかの二番目ですね
真正面から炉端の話ではありますが
真正面から行きたいと思うんですけれども
日本人の信仰ですね
やっぱり我々は毎日寝て起きて歯を磨いて
ご飯を食べて生きているものではありますが
一方では人間っていうのはですね
どうしてもほとんどのことは心ですね
決意とか覚悟とか悩みとか
人間関係とか憎しみとか好きだとか
そういうことによって
自分の人生って決まってしまいますね
じっくりその人間っていうのを見ると
寝て食べてっていう人はあんまりいないですね
例えばシマウマみたいのを考えますとね
シマウマじゃなくても何でもいいんですが
ほとんどは寝て食べて
時々仲間とじゃれるぐらいなんですね
ところが人間は寝て食べてっていうのは
言わば必要に迫られて
一応それをやってるっていうことがあるわけで
人間の人生の実態というのはですね
寝て食べる以外の時間に何をしてるか
それから心が乱れるとからですね
心が興奮して何か有意義なことを
しようと思うとか みんな心なんですね
すると心を支配するもの
判断とか記憶とか心とか感情とか
そういったものは全て
人間において非常に強いわけですね
それの基となるのが信仰って言いますかね
まぁ自分がどういうことをもって
因って来たるものとしてるかっていうことが
極めて大切というか
それだけと言ってもいいような状態なわけですね
そうすると日本人以外の国
ここで言うのはいつも
中国人・中東の人・イスラム教
今だったらイスラム教ですね
七百年以前はイスラム教ありませんから
色んな宗教だったわけですが
それからヨーロッパ・アメリカ
この世界のほとんどを締めるところはですね
の信仰っていうのはですね
私の言う受動的信仰
お釈迦様に教えていただく
孔子様に教えていただく
ムハンマド様に教えていただく
イエス様に教えていただくと
いうようなその教えていただいて
それを受け取って
それを信じるかどうかっていうところに
その中心があるわけですね
ですからあなたはイエスさんを信じますかと
こういう問いかけになるわけですね
信ずる者は救われるとこうなるわけですね
ところが日本の
神道というものを見ますとね 神様
これはね 宗教ではないと言うんですけど
それは当然宗教じゃありません
現在の宗教っていうのは
ヨーロッパの概念による宗教ですから
教える人がいて
例えばイエス様は必ずいて
その人の教えを聞いて
それを信ずるかどうか
それからその方が決めた日常的な生活の規律
みたいなものを守っているかどうかということで
宗教の三要素 教祖がおられて
経典があって戒律があるっていうのが
宗教であるというものの
一応定義になっておりますね
例えばキリスト教ですとイエス様がおられて
それで聖書があって 新約聖書ですけどね
新約聖書があって
そして日曜ごとに教会に行って礼拝をするとかね
それから洗礼を受けるとかいう
こういうものはありますね
ですからそういうものが一体となって
例えばクリスマスの日をお祝いする
イエス様がお生まれになった誕生日をお祝いする
そういうような一連の行為っていうのは
これ宗教というものなんですね
ところが日本人は能動的信仰
つまり自らが自然と祖先というものを
じっくり見るわけですね
日本人の自然に対する
観察力の鋭さっていうのはですね
私は俗にして四十とか四十五ぐらいまで
あんまりそういうの知らなかったんですね
ヨーロッパかぶれだったんですけど
それから少しずつ少しずつ
日本人というものを勉強していくと
ヨーロッパ人と大きく違う
ヨーロッパ人っていうのは受動的なんですね
皆さん多くの人がヨーロッパ人は能動的であり
日本人は受動的であるとか逆なんですね
これはどうしてかというとですね
ヨーロッパ人は一番最初が受動的なんです
イエス様の教えを受ける
それから書物を読む
それから初めてそれの反作用として
能動的な行動っていうのが出るわけですね
したがってヨーロッパの人の
能動的行動っていうのはですね
反射で出てくるようなもんなんですよ
イエス様がこう言われてるから
こういう行動をするだから能動的になるんですね
別に自分の心の中で
発生したもんじゃなくて
イエス様に教えていただいたものが
出てくるわけですから
かなり自信たっぷりに堂々たる態度なんですね
それから科学もそうですね
それから哲学もそうです
文学も音楽もみんなそうですね
教えを受けてその反射として絵を描いたり
音楽をしたり哲学をしたり科学を作ったりする
だからそれは基盤がありますからね
教えていただいて
それを反射するわけですから
自信たっぷりだと こうなるわけですね
ところが日本の場合は教わらないんですよ
人間というものはどういうものか
人生はどう送るべきか
人を殺していいのか 悪いのか
全ては自分が自然と祖先を見ることによって
自分の心の中に生まれてくるんですね
それが だから能動的信仰になるわけです
簡単に言えば お天道様の下で嘘をつかない
ご先祖様の前ではこれも嘘をつかないというか
恥ずかしいことをしない
そういうようなことですので
どうしても自分に自信が少しないんですよね
つまり人から教えてもらえばそれは
それを信じれば自分の力となって
能動的になるんですけれども
日本人のように根本が能動的だと
かえって日常の行動は受動的になるわけです
したがってこういう風になりますね
日本人は普段はおとなしい優しいだけど
いざとなるとものすごい力を発揮する
これはなぜかっていうとですね
普段は穏やかな日はですね自分が自分自身で
作り上げた信仰というものに基づいてます
知識というものに基づいていますので
ちょっと自信がないので優しかったり微笑んだり
そうだね そうだねと頷くという日本人の
不思議な笑顔ということになるわけですね
ところがいざ追い詰められたら
今度は自分が考えた信仰に基づいて行動しますから
これは結構強いわけですね
ですからよく中国とか朝鮮の人が
日本をなぜ恐れているか
それは日本人は普段おとなしいけど
いざとなったら凄いから
うっかりあんまりやるとやけどするよ
っていうのはそれを言ってるわけですね
ですから日本人の二面性っていうのはですね
能動的であり受動的である
これは日本人ばかりじゃなくて
西洋人も中国人もそうなんですけど
それ逆転してるんですよね
ヨーロッパ人中国人は一番スタートが
受動的であって行動日々が能動的なんです
それから日本人は一番根本が能動的なので
毎日は受動的であるっていう風に
逆転現象が生まれるわけですね
それでは日本人はなぜ
世界でただ日本人だけが
能動的な信仰に至るのかということですね
これはあの最近のですね
遺伝子の学問がすごく進んでおりまして
日本人の遺伝子が極めて特殊である
ということはよく指摘されております
これは日本を故意にですね
偉い人が日本人は偉い人だとか
愛国心を振り立てるっていうことでも
利用されておりますが
実際にもそうなんですね
日本人の遺伝子これは男のY遺伝子が基準で
測定せざるを得ないんですけども
もう日本人だけにしかない遺伝子っていうのが
非常に多いんですね
もちろん大陸から
縄文から弥生に移るときに
大陸から人が移ってきたって
これは嘘ですからね
もう今ははっきりと嘘だっていうことが
遺伝子的にわかっております
どちらかというと
南の方から来たのではないか
だけどどっから来たかわかんないぐらい
他の民族と遺伝子が違うんですね
極端に言えばアフリカから人類が
狭いエジプトのところの道を渡って
ユーラシア大陸に来た時に
三回に渡ってきてるんですね
この三回に渡ってきてる方の
遺伝子っていうのは全部違うんですけども
その大陸には住んでる現代人で
そのアフリカから出てきた三つの遺伝子を
持ってる人は日本人だけなんですよ
ちょっと考えられないんで
今一生懸命研究されてますね
だって中国もインドもどこも通らないで
日本に来れないんじゃないかと
じゃどうして中国とかインドとかそういうところに
日本人の持ってる遺伝子が残ってないのかと
いう風な大きな問題があるわけですね
言語もそうですね 日本人のような
主語目的語述語と並んでるものはですね
世界でほとんどないんです 言語が
中央アジアの北方に一部あるんですね
トルコ系のところにですね
しかしあまい?単語一緒のやつもあるんですけども
文体は そこと一緒なんですね
それから もう一つの日本人の言語の特徴は
例えば信仰だったら
信仰の前に無信仰とかですね
常という上に非とついて非常時とかですね
こういった否定語が上につくっていう言語も
これはカンボジア辺りにはあるんですが
ちょっと南の方なんですね
ですから中央アジアの北の方と
東南アジアの南の方にある言語が
くっついて日本語になってる
もう奇妙きてれつなんですよ
だからそういう中で実は
日本人というのができてきた
その日本人というのを今でも日本人は
非常に強くこう影響されておりましてね
それが日本人が他国のことを錯覚したりですね
間違った行動に出たり
他国から見たら暴発したり
あるいはものすごく道徳的だったり
っていう風な日本の特徴がある
それがですね
このグロバリゼーションの中で混乱して
そして我々の不幸を呼んでいると
そういう風に考えられます

2022年3月1日

#武田邦彦 先生

2022/03/06

【炉端の話】日本人とはなにか?1  全く逆に錯覚している  (武田邦彦先生)



本日の収穫(3606文字) 

去年の夏頃ですかね から
私は色んなきっかけがありまして
それは参政党の関係もあるし
それからそれで日本全体のことを考えたり
それから幸せ砂時計っていうのを
去年の正月ぐらいから始めてですね
皆さんの色んな
悩みっていうのを聞いたりしますと
だんだんだんだん
こう色々考えることが多くなって
普段からかなり私よく考えてる方だと
思ってはいたんですが
大きなところをこうちょっと
まだ未開拓であったということがわかったんですね
それはですね 我々は
日本人なもんですから当たり前なんですけども
対人関係にしても
学問にしても政治にしても
日本人という考え方は基礎になってるわけですね
当たり前ですけどね
一番私がその典型的に言ってるのは
お天道様の下では嘘をつかない
こんなのはもう諸外国には
全くないんですね 日本だけなんですね
三菱商事の専務さんが
なんかの会食の時に私に言ったこと
つまり海外の事務所
小さな事務所が幾らでもあるでしょうね
三菱商事ぐらいになりますと
そこからの資金回収っていうのはですね
日本人の事務所だったらもう絶対に大丈夫だと
絶対にごまかさないで資金が回収できると
ところが外国の外国人のやってる事務所って言ったら
資金回収にものすごい大変だと
何かあったらすぐごまかして
ごまかそうとしていると
ところが不思議なことにその外国人だけで
まぁ五名か十名ぐらいでやってる事務所に
日本人を一人入れると
その事務所はもう
ごまかしをしなくなるっていうんですね
それでその専務さんは私にですね
日本人の力って凄いですねって
そういう感想を述べておられました
そういうこともあれこれあって夏頃から
一体我々は何が原因で不幸になってんだろうか
ここ三十年間ほとんど
日本っていうのは発展せずに
年収四百六十万 平均四百六十万で推移し
その間に消費税が十パーセントになりましたから
実質可処分所得っていうのは九十パーセント
つまり給料減っちゃったと
いうことになったわけですね
こういったその人間関係のもつれとか
色んなトラブルがですね こうずっと考えてると
我々は日本人というのを錯覚してるからだと
そういう今のところ結論に達しまして
まぁこれからこの炉端の話
もしくはこの話は参政党でも
色々議論しなきゃいけないものなんですが
勿論当たり前ですけど
己を知れば百戦殆からずということでですね
やはり自分を知るっていうことが
極めて大切だっていうことは
もう古今東西言われてるわけですね
今日は日本人とはなにかの1でですね
全く逆に錯覚してる何を錯覚してるってことに
私が気がついたかっていうと
これ気がついたのは十月か十一月頃でしょうかね
その頃 あ!そうかって一つ気がついたのが
その全く逆だったっていうことですね
何が逆かっていうと
なんか日本人っていうと同調圧力があるとか
それから自分で決定できないとか
意志が弱いとか集団としてはいいとか
真面目で規則を守るとか
そういうイメージがあるんですけれども
これは全く逆だったっていうことですね
日本人はですね 非常に自分でものを考え
自分で自分を作っていくっていうことができる
逆に外国人ってのは
ここで言ってる外国人は
中国・中東・ヨーロッパ・アメリカ
なんか大陸国なんですが
その人達は自分ではわからずに
他人から教えてもらって
初めてわかるっていう風に
私のこうぼんやりとした日本人とは何かって
いうことの全く逆だったってことですね
それの一番いい例が日本の宗教っていうか
宗教っていうとこれ日本語じゃないんですね
もちろん宗教って日本語ですけど
宗教っていう宗というのは
まぁ心みたいなもんですね
それからなんていうか起立みたいなものですね
それから教っていうのは
教えるっていうわけですね
だから宗教っていうのは 例えばお釈迦様が
お釈迦様は直接的には
仏教を作られたわけじゃないんですが
それの礎ほとんど
百パーセントの礎を作られたという意味では
仏教の教祖と言っても悪くはないんですが
お釈迦様の教えを聞く
これが仏教ですね 仏の教えですね
それからイエス様の教えを聞く
これがキリスト教ですね
ユダヤ教と区別しますと
新約聖書の教えということになりますね
もちろんイスラム教も同じですね
これは教えという字がついてるのは
人間は教えてもらって
初めてわかるっていうことが
前提になってるんですね
生まれてそのままほっといたら
野獣になる だけども
ありがたい方のお話を聞いてそれを
教えを受ければ
本当に立派な人間になるっていう考え方
これはもう人類共通の考え方なんですね
ところが日本には実は
宗教っていうのはなかったんですよ
日本で宗教という言葉が使われ始めたのは
今でいう宗派なんですね
法然上人とか親鸞聖人とか日蓮聖人とか
こういう偉い方が現れて
そして教えてくれる
それをこう畳の上に座ったり
板の間に座ったりして聞いて
覚えるっていうのは
中心は鎌倉時代 それよりかちょっと前
もちろん平安の後期にもあったんですが
それができたわけで
今は我々はそれを宗派と言ってますけども
元々はこれを宗教と言って教えですね
じゃその前は何だったか
日本に宗教がないっていうけど
宗教の教ってのは何だったかっていうとですね
それは実は天然自然と
それからご先祖様の二つだったんですね
自然というのは太陽にしても山にしても
川・海・キツネ・熊
何も教えてくれません 黙ってますね
まぁ熊とかキツネは少し泣いたり
吠えたりするでしょうけど言葉ではない
もちろん太陽とか山とか川は何でもない
しかし我々は太陽をじーっと見てる
太陽の光を浴びているとですね
ああ人生は嘘をついちゃいけないんだなっていう
自分の気持ちって言いますか
頭っていうかですね それが整理できる
それがまた日本人で
ほとんどの人は同じことを思う
これは遺伝子と
生活環境のもたらすことだと思いますが
そこでほとんどの人は太陽の下で嘘をつかない
ということに同意するということになるんですね
つまりこれは私のその後の言い方ですね
そうですね
こういった考えがまとまってきたのは
十一月頃なんですが
今では能動的信仰と僕呼んでるんですね
つまり自分で信仰を作る
つまり受動的信仰っていうのがその逆なんですが
仏様のお釈迦様のお話を聞く
イエス様のお話を聞いて受動的にそれを信ずる
だから宗教には
信じるか信じないかっていうのが
その一番の眼目になるわけですね
ところが日本の場合はですね
お天道様を見てればいいわけですね
そうするとお天道様が何も言わないのに
この世の中で嘘をつくのは良くないことだ
あなたはもし嘘がついたらお天道様の
あのほのぼのとしたぬるい暖かさ
日向ぼっこの暖かさはもう来ないよという風に
お天道様が言ってるように思う
だからお天道様に手を合わせ
お天道様の下では嘘をつかないとこう言うと
それから恩という概念ですね
あの人から恩を受けた
それから日本の自然から恩を受けた
お天道様のおかげで稲が育った
こういうことに対して自分はちゃんと
その恩を返さんといかんっていうのは
またこれは日本人に
非常に強い意識なんですね
これはご先祖様もそうで
ご先祖様が頑張ってくれた
だから私はその恩を返さなければいけない
っていうのも非常に似てるわけですね
この恩というのはですね
恐らくっていうか私の知ってる範囲では
少なくとも英語圏にはありません
契約とかですね 損得とかですね
そういうのはありますが
恩という非常に抽象的で
かつ深い内容のものはありません
したがって今ウクライナへの
ロシアの侵攻がありますが
ロシア人は恩を知らない
なんて言って怒ってる人がいますが
いやいやあの別にあのー
日本以外の民族は恩を知らないんですね
ですからどっちかっていうと
日本人から見ると豹変する
自分が得になるように
豹変するように見えるわけですね
これ何で豹変するように
見えるかっていうとですね
別に彼ら豹変してるわけじゃないんですね
恩という考え方がないので
その時その時の都合のいい方向に舵を切る
というだけでまともにやってるんですよね
別に悪い人でも何でもないんですよ
それで一時僕は英語の先生にですね
英語で恩というのはどういう風に
言えばいいですかと聞いたらですね
英語には恩という単語はないと
だからもっと具体的に
例えばあの人に
こういうことをしてもらったんで
こういうことを返さなきゃいけないとかいうように
言わなきゃ駄目だって言われてですね
なるほどなとこう思ったんですが
まぁその後も二十回ぐらいはですね
とあるそういう時に差し掛かると
私はどうも英語で
恩という単語が思い浮かばないんですけど
試しに言ってみても
誰もまだ返事をしてくれないところ見ると
民族が違うから当然なんですが
英語には恩という言葉がない
中国もないですね
そういう意味では何て言うかな日本っていうのが
日本人っていうのの基本がですね
自分で自分の人生 人間それから宗教 道徳
こういったものを自分で作っていく
つまり今まで全く付和雷同型であると
考えられた日本人は
実は世界で例えば
唯一の能動的な人種ではないか
これが混乱の原因ではないかっていうのが
最近の私の考えです

2022年2月28日

#武田邦彦 先生

2022/03/05

【炉端の話】恩師と父の言葉 (武田邦彦先生)




本日の収穫(3528文字) 

炉端と言ってもですね
私は今炉端に座ってるわけじゃなくて
私の炉端ですね
小さい机とパソコンがあって
パソコンの第二次画面っていうのは
私どうしても必要なんですが
それを見ながらお話をしておりますが
今日は仕事をしてると恩師と
仕事っていうか調査をしてたんですが
恩師と父の言葉を思い出しましてね
本当に恩師には
色々なことを教えていただきました
父が存命中には私は若かったもんですから
さほど多くの教えを受けたわけじゃないんですが
やはり影響は大きいですね
一つだけ紹介をいたします
恩師から習ったのがですね
私は1972年の石油ショックの時にですね
もう石油がなくなるという風に
メディアがどんどん放送してたわけですね
成長の限界という言葉も
本も出て言葉も流行りましてね
その当時の日本の指導する人達っていうのは
もう成長には限界が来るんだ
足るを知るなんつってですね
大いに囃し立ててたわけですよ
私もそれに間違えちゃったんですね
私が今 NHK に非常に厳しいのは
自分の体験もあるんですよ
私はその時まで NHK を信用してたんです 実は
NHK は我々に正しい情報を
伝えてくれるという風に信頼しておりました
信頼してる人とか信頼してるものから
裏切られるっていうのは本当に人生辛いもんですね
NHK が盛んにあと石油は三十年でなくなる
三十年でなくなると毎日繰り返しましたね
そして母親が一生懸命
トイレットペーパーを買い漁っておりました
本当に石油がもう買えなくなるっていうんで
競争的な騒ぎになったわけですね
そして私もそれについ騙されまして
原子力の方に行ったのも私の人生を
狂わしたのもそのNHKの放送だったんですね
NHK だけが悪いわけじゃありません
民放も評論家もみんなそう言ってたわけですから
それはいいんですけど
私は NHK は正しいことを言ってくれるって
いう風に思っていたもんですからね
ですから受信料を払っているっていう点でも
自分たちのためにやってくれてるんだ
っていう風に思ってたもんですから
それが錯覚であるということは
その時に気が付いたわけですね
私の若き頃ですよ
その時にそういうことを言ったり
書物を書いたりしてたら
恩師からですね
一通のハガキが来ましてね
非常に簡単な
そこにこう書いてあるんですね
資源は時間が経つと増えていくんだけど
もしも資源が地下にあって掘っていくと
なくなっていくっていうならば
時間が経ったら減っていくんじゃないかって
ただそれだけなんですね
この恩師の言い方が非常に正しいわけで
どうしてかっていうと全部を説明しない
あなたはここを間違ってますよとも言わない
先生は 先生っていうかその恩師はですね
私が石油がなくなると思ったり
言ったりしてることを
ちょっと考えさせなきゃいけないと
思われたわけですね
そして私はそれから
急に調べ始めたわけですよ 自分で
それまで NHK の言う通りだったんですね
情けないことに技術者でありながら
NHK の言うとおりを思ってるなんていうのは
本当に情けない話なんですが
情けなかったわけですよ
そしたらですね
今でも記録を残してあるんですけど
銅が1970年から1995年までの
25年間で変化したこと
銅が寿命が36年から61年に
伸びてるんですね
もちろん時間が経って人間が使ってるわけですよ
埋蔵量は何百トンって決まってて
生産量は何トン何十トンって決まってて
それで徐々に掘っていくわけですから
寿命は減っていくはずですよね
石油もそうですよ 石油は今みたいに
使っていったらなくなるって言ってるわけで
三十年でなくなるってわけですから
それが銅の寿命は36年から
資源寿命ですね
36年から61年伸びてる約倍
それから鉛ですね
これも26年から46年に伸びている
亜鉛 23年から49年に
これはもう二倍以上に伸びている
要するに資源は時間が経つと伸びてるんですよ
石油は時間が経つとなくなるっていうんですよ
この差は何かなとそう考えましてね
今考えている本当のことがわかってきたわけです
それは石油の値段を上げるために
この資源に共通したある特徴ですね
通常は使用していくと共に埋蔵量が上がっていく
つまり必要がなかったら探さないんですよね
地下にありますから
探せばまだまだいくらでもあると
いうことを示しているってことに
気が付いたわけですよ
それで自分で石油の寿命っていうのを
計算してみたんですね
理論計算してみたら大体一千万年とか
そういうのが出てくるんですね
石油は大昔の生物の死骸ですし
生物の中でどのくらい地下に
埋まったかっていうのも大体研究がありますからね
合理的に計算したら
一千万年は無理でも百万年ぐらいあると
ただ今必要ないものは掘ってないと
またむやみに掘って
いっぱいあるってなると値段が下がると
それから色々調べたらですね
これはヨーロッパとか
アメリカの英語を読んだらですね
実に石油がなくなるっていうのは
石油がなくなるんじゃなくて
石油の値段を上げたかったための
ビジネス上の活動だと
嘘なんだっていうことがわかったわけですよ
その後さらにそれは恐らく 
NHK がわかってただろうという
資料がいっぱい出てきましてね
あらっと思って 
NHK は石油がなくなるということじゃなくて
これは石油の値段を上げたいための
国際石油資本の作戦なんだっての知ってて
日本国民に放送した
っていうことがわかったわけですよ
それでもう NHK もう全然信用しなくなりましたね
それでその後の例えば
リサイクルとかダイオキシンなんかの時に
私はもう NHK の言うことは
全く信用しませんで自分で調べました
そしたらリサイクルは意味がない
ダイオキシンは
毒物じゃないっていうのがわかってですね
それをなぜリサイクルは大切か
ダイオキシンが毒物だと言ったのかという
NHKの方針もわかるようになりました
恩師というのは
そういうもんだなと思いましたね
それに関係する父の言葉ですね
父は数学者でしたから
そういう具体的なことを私に言って
親子関係でもありますからね
ある時にこう言いましたね
邦 私邦彦っていう
邦 生きてる間に評価されるなよ
生きてる間に世の中に評価されるなよと
こう言ったわけですね
言われたのは
大学生ぐらいだったんだと思うんですね
父は割合早く他界しまして私が技術者になって
しばらくしたら亡くなりましたから
まぁその身内ですから
敬語使っちゃいけないんで他界しましたんでね
年取ってから父の教えを
受けることはできませんでしたが
若い頃には父がそう言ったわけですね
最初 意味がわかりませんでした
評価されてはいけない
何でだろうなと思いましたけど
恩師に会う頃にはもうわかりましたね
つまり世の中から評価されるっていうのは
NHK 通りに言うってことなんですよね
つまり NHK が放送しますと
みんながそう思ってますね
私なんかも NHK を信じてたっていうことは
世の中の人が評価するっていうのは
私が石油はもうなくなるんだとか
それから足るを知るとかそういうことを言えば
つまり学問的な嘘を言えば世間は喜ぶ
つまり世間は嘘をつくものが
自分が儲けたいために嘘をつくもんだ
だからそれは知ってなきゃいけない
だからその学問を目指すんであれば
世間がその邦彦を評価されるというのは
駄目なんだとこう言ったわけですね
それで私はそれもありましてね
世間にどう思われようと
自分は学問っていうのは非常に難しいもんで
学問だから正しいっていうことじゃないんですよ
学問間違ってることはいくらでもあるんですね
だけども自分としては
少なくとも世間が言ってるから
それに乗って言って
評価を上げようとは思わないっていうね
そこはもうしっかりいたしまして
それで今でもですね 時々言われるんですよ
武田先生は名声もあるし名前もよく通っている
お金に困ることもない
なのに何でそんな
一生懸命朝から晩まで調査したり
人に恨まれるような悪口を言う
僕なんかよく罵倒されますからね
よく罵倒されることを言うのかと言われますが
私はそこは父の言葉を受け継いでおりましてね
いいんだと罵倒する人は NHK を見て
事実を調べないで私を罵倒してるわけですから
それは別にそれほど問題ではない
ただ時々 身の危険を感じることがあるんで
身の危険を感じる時にはどうするかっていったら
一応カバンを持ち歩いてたんですよ 昔
向こうが刺してきたら
カバンでせめて防ぐとしようと
もちろん運動神経によって
駄目な時ありますけどね
其の様に思いました
私にとっては私の人生が非常に良かったっていうか
まだ死んでないんですけど
私の人生が非常に良かったのは
やはり恩師がはっと思わせてくれ
父が本質的な言葉ですね
学者であれば学問をやるなら世間の生きているうちに
世間が評価しては駄目だと
世間というのは死んでからしか
自分が死んでからしか
本当のことを気が付かない
というこの二つの忠告をですね
私は今でも
非常にありがたいと思っています

2022年2月27日

#武田邦彦 先生

2022/03/04

【炉端の話】 ウクライナ 本当に平和を守ろうとしているのか? 1)アメリカ軍需産業の動き 2)虐殺は戦争犯罪であると繰り返す (武田邦彦先生)



本日の収穫(3374文字) 

ウクライナ情勢が風雲急を告げておりまして
今日はまだ散発的な何か
小競り合いはあるようですが
全面的な戦争にはなっていないんですが
この炉端の話も
少し私が録音するのと実際に掲載されるのに
少しタイムラグがありますのでですね
それで結局どうなってるか
わかんないですけど 一応私はですね
日本のニュースとか
私は日本のテレビのニュースはですね
戦争を煽ってるように聞こえます
というのは西側の言い分とですね
ロシア側の言い分が違うんですよね
西側の言い分だけ伝えてるとですね そうすると
やっぱり何かロシアが悪いってことになって
戦争しろとか戦争にあんまり反対の元気が
出てこないということになるわけですね
例えば先進七か国首脳会議のなんか
結論みたいなものを出してますが
それは全部西側ですからね
ロシア入ってませんから
ですからそういうような報道をするとかですね
最近は日本の報道も完全に
国連無視の報道しておりますし
安保理は一体どうだったんだと
いう風な感じがいたします
私が実は自分で調べたりするとですね
どうしてもアメリカの情報が
主たるものになっちゃうんですね
元々情報源がアメリカが多いということと
英語であるということでですね
私も非常に偏った教育を受けて
英語とかですね
フランス語ドイツ語はほんの少しですが
一応なんか
そういう方面の言語はできるんですけど
ロシア語とかですね
そういうのはほとんどできないもんですから
しかも情報が薄いということで
どうしても人間は
自分の頭に入った情報で左右されますね
それから今日もNHKが
主要7カ国会議の結論を言いましたけど
先進7カ国の意見を言ってもいいですけれども
これにはロシアが
入っておりませんがぐらいはですね
やっぱり戦争っていうのは戦いですからね
両方平等に扱うっていうのが
日本人が判断する時も
いいんじゃないかと思いますね
私の現在の関心事は二つあるんですよ
ウクライナの歴史的なものとか
それから一般的にYouTubeなんかで
解説してるやつはもうすぐ見ればわかるんですが
一つはアメリカの軍需産業の動きですね
このところ三十年ぐらいですね
ほとんどの世界の戦争はですね
アメリカの軍事産業が仕掛けたか
あるいは主体的な役割を
果たしているかっていう戦争が多いんですね
それでもちろん
アメリカの軍需産業も企業ですから
収益が上がらなきゃいけない
そうすると作ってから
時代遅れになりそうな機関銃とかですね
そういったやつを
どういう風にさばくかっていうのは
企業としては考えなきゃならないことですね
これを死の商人ということもできるし
逆に言えば国を守る武器を世界中に供給して
自分の国を守りたいっていう国に
援助しているとも言えるんですね
ですから軍事産業=悪ということはできないんですが
軍事産業 アメリカの軍事産業が
かなりの程度寄与している可能性があるので
その動きはですね アメリカのロビー活動だとか
そういうところを丹念に取材しなきゃいけないんで
これはアメリカに特派員を置いている
NHKとかその他の新聞社なんかがですね
綿密に調査をして
日本にその情勢を送ってもらいたいと思うんですね
有名なところではオレンジ革命と言われた
アメリカがこれ仕掛けたわけですが
エジプトとかリビアとか
中東から北アフリカにかける
色んなそのいざこざがあったんですが
最近ですね
これはアメリカのホワイトハウスと
アメリカの軍需産業と言われております
しかし言われてるんで噂程度っていうか
ある程度の論評は出てるんですが
日本のNHKとかですね
朝日新聞なんかもこういう点で活躍すれば
部数も少し戻ると思うんですけども
そこら辺で真面目なですね
取材と報道してくれるとよくわかるんですね
それでウクライナについても盛んに
そういうその意見がありましてね
この前の紛争の時に仕掛けたのは
どうもアメリカ軍事産業じゃないか
というようなことが随分言われました
これはアメリカの軍需産業が善か悪かって言うと
独立を助けるという意味じゃ善で
仕掛けたっていうのは悪なんで
これは非常に重要なことですのでね
やっぱり報道としては
しっかりやってほしいなと思います
それからですね 日本としては
ロシアがウクライナで戦争を起こすとですね
極東の方の圧力が減りますので
それからアメリカもそれに係いますので
中国としては台湾攻撃には
絶好のチャンスになりますから
台湾の攻撃に移る可能性があります
それからついでにっていうことで
尖閣諸島に上陸したり
あるいは沖縄の方と内通してですね
沖縄内通しなきゃできないでしょうけど
沖縄の反日勢力ってのは結構強いですからね
沖縄の二つの新聞は完全に半日ですので
中国側につきたいと思ってる可能性もありますので
沖縄の動きもよく報道して欲しいと
沖縄の反日勢力がウクライナ紛争について
どういう動きをしてるかということも
国を守るという意味で極めて大切なので
これは日本人が知る権利があると
そういう風に思われますね
それでそれと共に日本はですね
虐殺は戦争犯罪だと
これを繰り返し外交ルートを通じて
各国に呼びかけ国連でも演説をし
ネットとかテレビ新聞でどんどん騒ぎますとね
日本が統一して騒げば平和国家日本
戦争に反対されたり
平和勢力ってのは日本に随分強いもんですから
その人たちが一致協力してですね
その虐殺は戦争犯罪だと
だからウクライナの紛争は
これは色々その国の需要があるから
日本としてはコメントを差し控えるが
人道上のことは言えると
人道上のことを言う権利はある
人道上のことと言えば戦争と虐殺は違う
戦争は兵士軍隊同士が戦うのを以て戦争といい
虐殺は武器を持っている人が
武器を持ってない人を殺すことを虐殺と言うと
だから今ロシア軍とかウクライナ軍
もしくはNATO軍が
ウクライナ方面で戦争しようとしてるけども
一人でも民間人を殺した人は虐殺の罪で
国際裁判にかけなければいけないと
例えば一人の人がはっきりと
殺したっていう場合は その本人
それから軍隊がどっかの町を襲って
一般住民を殺したっていう時は
その軍隊の司令官が戦争犯罪人として
裁かれると この国際ルールをですね
はっきりともうこれはっきりしてるんですけどね
一応してるんですけども
実際上罰せられてないんで
それを事前に通告すると日本が一生懸命言うと
日本は広島長崎で多数の虐殺者を
虐殺犠牲を受けている
東京大空襲でも受けた沖縄でも受けた
だから日本はそれを言う権利がある
従って日本が最も権利があると思うので
日本が諸外国に向かってですね
戦争は仕方がないかもしれないし
戦争の是非というのは適否って言いますかね
戦争が起こるべくして起こる場合もあるから
それはもう日本は口を出さないと
しかし各国に自衛権が
ありますからね それはいいと
しかし武器を持たない住民を武器を持った
軍隊が殺すのは虐殺である戦争行為ではない
これはもう誰でも国際的に
そりゃそうだと思いますね
現に生物兵器化学兵器の禁止っていうのは
それによってるわけですね
生物兵器とか化学兵器は範囲を決めて
相手の軍隊だけを殺そうと思っても
ついつい一般住民も殺されてしまう
従って使用が禁止になってるわけですから
その精神をですね
今度のウクライナ戦争から始めようということを
日本が 今の日本政府ができればですね
それから日本のメディアが統一して
戦争については
もちろん戦争じゃない方がいいけども
それはその国の自衛権の問題であるが
虐殺は人道上の理由として認められないって
これはもう全く
世界で反対できる人いませんよ
ですから日本としては直ちに
国連の安保理事会を開きですね
日本として言うべきことを言うと
今 日本がその理事だったかどうかはちょっと
ずっと理事だったんですけど
なんかほとんどこの頃
安保会議も開かれておりませんが
理事会もですね
だけどそこら辺の平和の活動をですね
盛んにやるべきであると
今度のウクライナ紛争は
アメリカにとってもあまり得がないので
同盟国アメリカもですね
戦争は色々あるけども
虐殺は戦争犯罪になるってことに対しては
表向きは大きく反対できないと思います
そういう具体的に
行動を起こすっていうことが
本当に平和を守ろうとしてると
本当に平和を守るためには
アメリカの軍需産業の動きなどの
難しい情報を国民によく伝えるっていうこと
それからもう一つは虐殺は戦争犯罪である
っていうような具体的な提案をですね
国際社会に向かってしていくということが
非常に重要じゃないかという風に思います

2022年2月26日

#武田邦彦 先生

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...