2022/01/25

試験の採点を止めてみたら…どうなった? (武田邦彦先生)



本日の収穫(3789文字) 

さてですね 悪戦苦闘した挙句
試験の採点をもうやめようと思ったのが
最後の終点だったんですね
だって大学では六十点というのが
一応合格ラインなんですけども
私の教えていることにですね
得意な学生はもうらくらく合格なんですよ
不得意な学生は もう苦労するんですよ
そうするとね 一定に六十点
同じ問題を皆さんに出して
それで六十点が合格っていう風に
一定の線を引くとですね
結局 何をしてるかっていうと
試験っていうのは その道に優れた学生は
もう教える必要ないぐらいで
合格してしまってですね
それで苦手な学生に
鞭を打つっていう感じになるんですよね
もちろん世の中がですね
全員が同じ物理とか物理化学を
できなければ
仕事が進まないのなら仕方ないですよ
だけど そんなことは全くないんですよ
例えば建物を建てるにも
車両を作るにもですね
材料をやる人もいれば 設計やる人もいるし
お客さんを相手する人もいるし
それから いろんな計算をする人もいる
多種多様な人を必要としてるのに
大学ではですね 苦手ばっかり勉強させるんですよ
これ大学ばかりじゃなくてですね
小学校の頃から同じ基準で
生徒とか児童を評価するっていうことは
その児童にとっていいことは勉強させず
まずいことだけ勉強させるっていうことを
続けているわけですから
それはできないんですよ
そうかといって その子の予備試験をして
その子の最初の実力を見て
進路を聞いて採点すると
それは確かに
ほとんど出来てるのに不合格になったり
ほとんど出来ないのに
合格になったりするわけですから
それは学生側としては不満がありますよね
それはやっぱり
確かに行き過ぎなんですよ
それでもう困った挙句ですね
結局採点やめてみようと思ったんですね
それで黒板に五問
普通五問書くんですね 私は
五問黒板に書いて
それで真っ白な紙を渡しましてね
それでとにかく名前だけ書いて
学籍ナンバーと名前だけ書いてくれと
そうしないと採点できないからつって
書いてもらって
それを確認して それで黒板に五問書くから
自分の好きな一番から五番まで
自分の好きなものを幾つでもいいから
五個でもいいし
一個でもいいから書いてくれと
採点は長さだけで決めると
このA4の紙は29センチ4ミリだから
半分まで書けば五十点だと
学生はむしろワーっと笑いますよ
内容は読まないよと
こういうわけですね
それで試験を始めたんですよ
そういう試験をですね
それで結果的には大成功で
それまで採点してた時期よりか
採点しなくなってからの方が
学生の出来がいいんですよ
実際は僕見てるんですよね
どの位くらい出来てるかなって見てるんですよ
全然まともな答えなんですよ
もちろん これには
若干のトリックはあるんですよ
授業中にですね 僕は君たちの将来には
何の責任も持てないからねーと
だから僕が教えることを
覚えたって覚えてなくたって
僕は社会で必要だと思うよと
必要だと思うけど
まぁ君たちの将来には
僕は責任持たないからねと こう言ったりですね
それから昔から私は
試験監督ってのはやらないんですよ
もうあのー カンニングしたい人は
カンニングすればいいよと
だけどカンニングなんかする
癖が付いたら人生は失敗するよと
やっぱり人生っていうのは
自分で額に汗流して働かないと
他人のお金をくすねようなんて思ってね
ろくな人はいないよと
ねー って言ってそういうことを
講義の間に間に 僕は言うんですよね
だから そういう手は打っているわけですよ
それでね 本当に
最初の年は感激しましたね
なにしろみんなの答えが
ガラッといいんですよね
それは確かにそうなんですよ
それまではね
もう小学校から高等学校までね
試験のために勉強してきたんじゃないですか
ところが僕に採点は長さだけだよって
中は読まないからねって
何でもいいんだよ
彼女のデートでも何でもいいんだよって
新聞記事でも何でも
書きゃいいだからっつってね
そしたらね 初めてじゃないですかね
学生にとってみれば
あれ?何のためにこんな寒い時に
いやねー 冬の講義なんか寒いんですよ
この頃大学がケチになってですね
暖房費の節減とかね
環境に優しくなんつってるもんですから
もうコート着ながらね 手震わせながらね
勉強している 学生もいるんですよ
そんなような状態なんですよ
とにかく今はですね
大学の経理の方が大切で 学生が快適に
勉強するとかいうんじゃないんですよ
むしろ学生に敵意を持ってるっていうか
学生を馬鹿にしてるんだよ
大学の管理の人も結構いるんですよね
とにかく学生は初めてね
何のために
勉強してるんだろうと思ったんでしょうね
それで僕の講義を
その時に聞かなければ
もう一生これは話は
こういう話は聞かないよ
聞くことをチャンスないよって
そういう牽制球も打ってますからね
ですから
あ!そうかなと思って聞くんでしょうね
それでせっかく出席してるんだから
こんな寒い教室で出席してるんだから
やっぱりちょっとは覚えた方がいいよとかって
いうもんですからね
成績がいいんですよ それでね
もうすごく僕が気に入っちゃったんですね
レベルが下がるってのはね
強制的に勉強させなきゃ
レベルが下がるっていうのはね
そういうことを経験してきたから
そういう風になっちゃったんですよ
俺は大学受験の時しか勉強しなかった
だから大学受験なんか無くしたら
駄目になる
いや違うんですよ 人間はやっぱり
知的好奇心とか知りたいとか
今知らなきゃいけないって
そういう判断力が聞くんですよね
だから いやねー
ジャパンタイムズかなんか載せてくれましてね
日本の新聞は見向きもしなかったですよ
そんな変な先生のこと出すかと
それで長さだけですよ ですから
最初持って帰ってきましたらね
大学院の学生にこれを渡してさ 答案を
おいちょっと採点してくれよって言うと
いや採点だけは先生できませんよって
大学院の学生が言うから
いやー 定規でいいんだ定規で
半分が五十点だからねって言って
それで定規だけで
ちょっとやってくれよって言ったら
やってもらったりしましたね
ある時ね 僕は普通その何ですか
試験監督やらないんですけど
なんか用事があって教室にいたんですよ
パソコンかなんかやってて
それでみんなが取り組んでるやつを
こう見て回ったらね
一人ね 半分しか書いてないんですよ
半分っていうのは五十点ですから
内容見ませんからね
それで小さな声で
彼にプライドがありますからね
小さな声で
おいおい!もうちょっと書けと
このぐらい書いたら六十点だからなって
書け書けって言ったらね その学生はね
先生申し訳ないけど
僕書けませんって言うんですよ
問題できませんって言うんですよ
いいよいいよ お前デートでも
何でもいいから書けよ
ねー 中身読まないんだから
言ったんですよ
その学生は最後に出した
答案を見たら書いてないんですよ
落第ですよ 翌年もう一回来ましたね
やっぱり人間ってのは
そうしたもんじゃないですかね
それで五問書くっていうのは またね
またこれがトリックがありましてね
一問から四問までは
その講義で教えたことなんです
それで最後の五問はですね
教えてないことなんです
教えてないこと だけどその分野ですよ
もちろん その分野だけど
分子運動論なら
分子運動論っていう領域ですよね
力学なら材料力学なら
材料力学っていう領域
熱力学なら熱力学っていう領域
領域はそうなんだけど
教えてないと それ書くんですよ
なぜそうしたかったらですね
僕はね 学生の能力っていうのは
我々が考えているよりか
ずっと高いんですよ
実はね 五十人ぐらい教えてますとね
一人二人はね
あれっていう答案を書いてくるんですよ
それで試しにですね
教えてないものも書くんですよ
そうすると反応が二つあるんですね
一つは五番なんか先生
習ってませんよっていうのがいるわけですよ
そういう文句言ってくるのがいるんですよね
これなかなかいいんですよ 学生はね
そうかと 君は大学に何しに来たの?
僕はね 学生が勉強する場が大学で
僕はそれをアシストしてるつもりだけど
君は大学で習ったことだけ
勉強しようと思ってるのって言うんですよ
そうすると そういう学生はね
感受性が強いですからね
しまったと思ってね
すいませんつって帰っていくんですよね
だからその
五番を書くっていうのはですね
五番でも書くような学生はね
もう大丈夫なんです
それから僕は
いろんな講義をしておりましてね
名古屋大学では
物理を教えてたんですけれども
その時並行して
多摩美術大学で二十年ぐらい
主にはデザインですね
たまに絵画なんて教えてましたけどね
そこでも同じ試験方式なんですよ
そうするとね 面白いんですよ
多摩美の学生はね
やっぱり想像力があるんですよ
やっぱりね 名古屋大学の
工学部の学生ってみんな優秀ですよ
優秀だけど言われた通り
きちっと書いてくるんですよ
上からね ほとんどぎっしりと
多摩美の学生で一人ね
縦に一行を書いてきて
下まで書いたのいましたよ
もちろん百点ですよ
それからね 僕の似顔絵だけを
書いてきたのがいるんですよ
もちろん合格ですよ
まぁねー やっぱりそういう柔軟な心も
教育には大切なんですよね
それだけじゃ やっぱり駄目で
やっぱり五十人いたら四十八人ぐらいは
ちゃんと書いてくるけど
一人や二人はね やっぱりそういう
ちょっと茶目っ気があったり
少し羽目を外したり文句を言ったりする
学生がいるっていう集団がね
やっぱり教育の場には
非常に大切だと思って
この試験の採点をやめてみたら
素晴らしかったと
僕はね これはもう一生忘れませんね
従って退職するまで採点は
この形式でした
人間はやっぱり信ずればいいんだと
子供を信ずればいいという僕の核心は
ここから来ております

2022年1月8日 (ヒバリクラブより)

#武田邦彦 先生

2022/01/24

基本的な人生設計(2-3) やりがいのある仕事と余暇 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3671文字)  

よく学生とかですね 卒業生とかそれから一般の人からも
どうも仕事に熱が入らないんだ
職場の人間関係がうまくいかないんだ
やりがいのある仕事を 見つけたいというような
悩みを持ってる人が多いんですけれども
私はね こう思うんですね
まず仕事というのは 基本的には恩返しだと
基本的には恩返しなんで
別に やりがいがなくても辛くてもいいと
辛さを我慢することが
むしろ自分が今 食べたり
使ったりしているものを作っていただける
色んな人の恩に報いることができる それが基本なんですが
しかし二十歳ぐらいからですね
実はまず最初はやりがいのある仕事を
探すべきだと思うんですよね
それで やりがいのある仕事が見つからなければ
恩を返す仕事を選ぶと
恩を返す仕事をやってるうちに
それがやりがいになる場合もありますからね
そういう順序で ものを考えるっていうことが
非常に重要だと思うし
仕事における不満だとか 上司に対する不満とか
それから 人間関係の不満なんかをかなり軽減
軽くすることができるわけですね
それから上司に対する不満の多くはですね
上司が自分と 意見が違うっていう人がいるんですよ
しかしそれはね よく酒場なんかで
そういう文句を言ってる人がいるんですよ
あの上司はけしからんと けしからんということは
自分が正しくて 上司が間違ってるという前提なんですけれども
それは人によって意見が違うっていう場合が多いんですね
それで会社の組織っていうのは
非常にいいんですよ っていうのは
もし上司と意見が違ってたら ここは難しいんですけどね
これをよーくこう吟味して かみ砕いていただきたいんですが
自分の魂を曲げなくても
会社の仕事を続けてられるっていうことなんですよ
これがね やっぱり自分でやる仕事っていうことになると
自分の魂を 屈するのが嫌なんですけどね
それは まぁ15の夜で
なんで俺の 思う通りに
ならないんだっていう不満になるんですよ
ところが会社っていうのは 非常にあっさりしてて
意見が衝突したら 上司の言う通りやればいいんですよ
上司が責任を持っているんだしね
嫌な上司ももちろんいますよ
それから責任を転嫁する上司もいます
しかし基本的には そういう風になってるんですね
会社組織のいいところは
意見が違ったら上司の言うようにやっとけば
自分の魂には触れないっていうとこがいいんですよ
もしも一個一個自分の思う通りやるか
自分の魂を屈するかってことになると嫌なんですよね
だから自分の主張すべきことを 柔らかく主張し
いやー私はこうやった方がいいと思うんですけどね
僕はこうやった方がいいと思うんですけどねって
違うと言われて ああそうですかと
これが 会社のシステムのいいとこなんですね
ですから 本来は
会社は仕事の悩みが生じないはずなんですよ
だからこれは 正しく考えればっていうことになって
正しいとは何かってのは 僕 本書いてるんですけれども
まさに正しいとは何かということを
よーく考えておくということが大切だと思うんですね
ですから やりがいのある仕事っても
最初からやりがいのある仕事につける人もいますよ
だけどそれはね 十人に一人ぐらいですよ 私が見てると
やっぱり多くの人は
つらい仕事 やりがいがない仕事をやってるんですよ
だけど元々仕事っていうのは
恩を返すわけだから それで構わないんですよね
偶然にやりがいのある仕事に
就く人がいるということなんですね
それから 余暇なんですけど
これは第一の人生 五十までの第一の人生と
五十からの第二の人生に 大きく関係するんですけれども
余暇は第二の人生 六十とか七十で
余暇を楽しむというのはやっぱり違うんですね
日本人は そこがやっぱり
日本人の悪いところっていやー そこが悪いんですね
余暇ってのはやっぱりね 若い時で感受性が高くて
つまり何でも楽しくて美味しくて 楽しくて美味しくて
体も疲れないっていう時に余暇が楽しいんですよ
それで もう七十代になりますとね
おいしいものがない
やりたいことがない すぐ疲れる楽しくない
だってね例えば それは幼稚園児を見てたらわかりますよ
幼稚園児を見てると
どんなつまんないことも楽しくやってますよ
けらけら笑いながら だから人間っていうのはね
残ってる人生の時間が短くなると
楽しくなくなっちゃうんですよ
ですから余暇もですね どっちかっていうと
若い頃に 余暇の時間を取るっていうことなんですね
ですから やりがいのある仕事をやり
余暇が欲しければ 欲しければですよ
別に無理やり 余暇は絶対必要だとかね
それから家庭に帰る時間が 早くなきゃいけないとか
これ全部ね 錯覚です
やっぱり自分の人生は 自分がしたいようにする
したいようにするって 迷惑を掛けちゃいけませんよ
私がそれに目覚めたのは 三十二歳だったんですよ
三十二歳の時に 自分はみんな
他の仲間と一緒に酒飲みに行くよりか
ホテルで その時宿でね 安宿で英語の論文読んでる方が
自分には面白いんだっていう 意外なことを気が付いた
それで自分の身の回りを見ると
自分は一体 本当に自分の
自分がいいってことやってんのか
いや別に仲間と飲みに行かなくてもね
仲間は三人で飲みに行ってるんですから
僕は加わらなくたって 加わったって同じなんですよ
私はどう見ても飲みに行くよりか
つまんないし つまんないこと
つまり英語の論文を読むっていう方が
その当時は面白かったんですよ
研究も熱心でしたからね
だからまぁ 人の人生っていうのは
そういうやり方っていうか 考え方で決まるわけですね
それで年取ったら 今度は逆にですね
余暇はやっても つまんないんですよ
要するに幼稚園児みたいに
つまんないことをケラケラ笑えないんですよ
だからどうするかっていったら なんか無意味にですね
あんまり無意味というと やってる人に悪いんですけど
超豪華旅行とか そういう風になっちゃうんですね
別にね 本当はね
旅行っていうのは感受性が高くて 何でも楽しい時は
普通車でも何でも楽しいんですよ
ところが老人になると
いい車に乗らなきゃならないっていうのは
それから いいグリーン車に
乗らなきゃないなんていうのはやっぱりね
感受性が鈍くて 疲れやすくて
面白くなくなってくるからなんですね
じゃあ そういう時の余暇っていうのは やっぱりね
周りを掃除するとかね
ボランティアにやるとかね
そういうことが またいいんですよ
だから老人は老人としてのやり方がある
つまり五十歳から百歳までの余暇というのは
今と考えを逆転させたらいいんですね
五十歳から百歳までは旅行に行くとか
世界旅行をするとか そうじゃなくて
旅行するとか世界旅行するってのは
忙しい最中の二十から五十までやって
学生も 学生の時もいいですからね
ゼロ歳から五十歳までやって
むしろ何も面白くなくなった
五十から百歳の時は面白くないものをやる
例えば本を読むとか 掃除をするとか
町内会をやるとかですね
町内会も人に迷惑を掛からないように
町内会やる人もね ご年配で町内会やる人も
自分は町内会好きだけど 若い人町内会 嫌なんですよ
ところが若い人を 参加させようとしちゃうんですよ
そうじゃなくて
自分はちょうど町内会でも面白い時期だから
自分が どんな
細かいこともやろうと思ったら楽しいんですよ
それでみんなも 感謝してくれますから
特に八十歳以上になりますとね
ご飯もおいしくなくなります
それから やることも楽しくなくなります
その時はその時の 余暇の過ごし方ってありますね
その時に無理やりどっか 無理な日程で
世界旅行しても これはまた つまらないんですよね
そういうことで基本的な人生設計ってのは 本当にね
錯覚に満ち満ちてるんですね
ですから それから勿論仕事はですね
恩を返す仕事と やりがいのある仕事はありますよ
金を稼ぐ仕事っていうのは 僕はないと思います
お金を目指して仕事をしたら
絶対に不幸な人生になりますねー
私は多くの人を見てますけど 必ずそうですね
ですから まず第一仕事は やりがいのある仕事を求めて
それがそういう
ポジションにつけない場合が八割ぐらいありますから
つけなければ やがてやりがいのある仕事がつければ
それを頑張ろうと思って 今は恩を返そうと思って
恩を返すつらい仕事をしている
決してその中に お金が儲かる仕事を選ばないっていうことですね
私も三十二で気が付いて以来
二回三回と転職しましたけれども
決して次の 仕事の給料を聞きませんでした
自分が生活できればいい それで絶対生活できるんですよ
職があればっていうのは
生活できない賃金で雇う人いませんからね
そういうのは たちの悪い人だから
そういうとこは行かないようにしたらいい
だから仕事は やりがいのある仕事を探すんだけれども
駄目な時は まぁ 一生懸命働くと
それはお金を目当てに働くんじゃない
これはもう極めて大切なことですね
それから余暇もできるだけ若いうち
元気で楽しくて美味しい時 これが大切ですね
これは三要件ですよ
元気で疲れなくて 何でも楽しくて
つまらないことでも楽しくて
何食べても美味しいという時に
余暇を過ごさないとですね
疲れやすい面白くない ご飯が美味しくないっていう時に
いくら旅行しても何してもつまらないですね
だからその時は またその時のやり方
若い人がつまらないと思う 掃除だとか町内会とか
ボランティアとか そういうものの方に行くと
まぁいうのが非常に重要じゃないかと思います

2022年1月21日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

2022/01/23

基本的な人生設計(2-2) 最初に「恩返し」の仕事 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3746文字) 

さてですね 基本的な人生設計2の2ですね
仕事というのは二つあると
一つは自分が生きてるうちに
多くの人から恩を受けていると
ご飯を食べる 道路を歩く
全てについて 恩を受けている
今だったら 寒いですから
瞬間湯沸かし器でお湯を使える
みんな本当に他の人の助けで 私は生きているわけですね
ですから その恩返し分の仕事
これは大体 自分の人生の仕事の約半分なんですね
一日の時間で言えば四時間です それをまず決めてですね
それから自分が生き甲斐とできる仕事っていうのは
次に考えるという順序が
まぁご推薦できる方法であります
そして これにはですね
個人が自分の意志でできることと
政治がやってくれなきゃいけないことがあります
そして分類としては 第一の人生 五十歳までと
第二の人生 五十歳以上で
またこの恩返しの仕事の内容が変わってきますんで
それも 頭に入れる必要があります
それから 男女では大きく違いますので
自分が男であるか女であるかと
結婚してるか結婚してないか
子供がいるか いないかということで
この恩返しの 仕事の内容も大きく変わりますので
それをよく 頭の中を整理をしてですね
そして設計をするっていうことですね
まぁあのー 人生っていうのは設計通り行きません
突然病気になったり 突然いろんな幸運に恵まれたり
また不運にあったりしますが
そういうことはまず考えない 例えばね
明日死ぬかもしれないと
確かに明日死ぬかもしれないんですよ
だけどそんなことを考えてたら
人生ってのは送っていけないわけですので
まずは設計するっていうことですね
それでは早速 第一の人生
ゼロ歳から五十歳までの恩返しの仕事
実際には二十歳ぐらいまではですね 学校にいますから
恩返しの仕事をすることができないんですけれども
二十歳で就職するとしますね
そうしますと 五十歳までの三十年間
男の場合にはですね
ほとんど普通にやれば問題ありません
つまり三十年間 自分の仕事でお金を稼ぎ
その稼いだお金で 結婚したり
家庭を持つというのが通常の考えですからね
通常の考えですよ
従って就職 一生懸命するわけですね
それで大体 まぁ今で言えば
最初は二十数万から
四五十万の給料を取るようになります
ということは どういうことかって言うと
これは お金に換算されているわけですが
お金っていうのは 今度は逆に社会が
働いた人に対して 恩返しをするのがお金ですからね
ですから 二十万以上ぐらいを稼げる仕事につけばですね
これで一応 恩返しのことはできます
ですから 通常の男性ですね
これ男女差別しませんよ 僕全然してないんですが
生物学的に違いますから
区別をして考えた方が いいということなんですね
あまり問題ありません ただニートだとかですね
財産のあるところの男はですね
これを忘れがちになります
これは必ず不幸にしますね 本人を
従って働きのない男性 もしくは
お金があって働かなくても生活していける男性
この二種類の男性はですね
恩返しは絶対しなきゃならない
それは自分が人間であるということの プライドなんだと
いうことをわかってもらいたいと思うんですね
つまり仕事をするっていうのは
別にお金を儲けるためじゃないんですよ
その仕事のうち 二つありますけどね
お金儲けのための仕事もありますが
ここで まず第一の仕事っていうのは
自分が生きてるうちで 
ご飯食べなきゃなんない 道路歩かなきゃならない
例えばお金があって 自動車を最初から持ってて
パソコンもあると 快適な家もあるという人でもですね
それを作ってくれた人に 恩返しをしなきゃいけません
そのためには やはり
仕事をするということが必要だと思います
それから女性の場合は 非常に複雑ですね
まず結婚して子供ができた女性
これは 恩返しの仕事を探す必要はありません
子供を産んで育てるだけでも
社会に対しては 莫大な恩返しをしていることになります
社会は 子供がいなければ成り立ちません
例えば自分の子供がいなくても
社会に子供がいればですね
その社会の人達は 働く意欲
生きていく意欲 生きていく意味を見出します
しかし女性が子供を生んでくれなくて
自分たちの次は 誰も一人もいないっていうんではですね
誰も働かなくなるでしょう
つまり女性が子供を産んで育てるっていうのは
極めて大きな価値がありますね
この女性がどのくらいかというと
統計を見ますと 今七割ですね
五十歳までに結婚して
子供を持つ女性ってのは大体七割です
ですから この女性は
恩返しの仕事を探す必要がありません
ところが問題なのは男と同じで
結婚しなかった女性 もしくは働きのない女性
もしくは 働かなくても財産のある女性
これがどうするかっていうことなんですけれども
この女性もですね
やはりご本人の あくまでもご本人ですよ
ご本人の人生の幸福というのを考えれば
恩返しの仕事は絶対にしといた方がいいですね
これについては もしこのブログで時間があれば
その内容をじっくりとお話しますけれども
仕事をするっていうことは
実に人間にとって
嬉しいことであり 楽しいことでありですね
だけども それが恩返しするともっといいんですよ
苦労を自分が この仕事は自分に
何人の役に立つかなんていうこと関係ないですからね
それで若干 職場のいざこざなんかあった方が
それをぐっと我慢するということで
恩返しにもなりますっていうことですね
ところが 第二の人生の場合は
五十歳から百歳なんですが
まぁ六十ぐらいまでは 皆さん働いてますので
六十以上の場合ですね
この場合も やっぱり八十ぐらいまではですね
自分の体がきくまでは やはり恩返しの仕事
つまり 一日に四時間ぐらいの仕事ですね
これはどうしてもしといた方がいい これをすることによって
年金の額も少なくなりますし
それだけ若い人の恨みも買いません
人っていうのは 恨みを買うっていうことは
やはり自分が不幸になるっていうことなんですね
恨みを買っても知らん顔してればいいと
思うんですけど 違うんですよ
やはり人間はですね
街を歩いてても どっかに行ってもですね
若い者が あいつはね
ただ人から金もらって生きてるんだと いうような
目で見られるっていうことは やっぱり辛いんですよ
そうじゃなくて少しでも
自分の老骨に鞭打ってですね
自分ができる仕事をしてるってことは
本当に生き生きと 生きていけるんですね
私の経験でも 私はここまで健康で来た
この頃最近 入院したりしましたけども
それでも健康で来たというのはですね
やっぱり私が恩返しをやろうと
だから自分はまだまだ働くんだと
いう気持ちがあったから健康になるんです
それからもう一つはですね
具体的に自分が健康になろうって 意欲がありますね
それから身なりもしっかりしようと
身なりもしっかりすればですね 付き合いも多くなります
好意を持ってくれる人も増えますね
私なんかは 少し白髪なんですけれども
それを少し染めて きちっとして
髪の毛なんかも きちっといつもしてるんですね
仕事に出る時には ネクタイを締めたりしてます
そういうことによって 自分自身が健康になりますね
それから健康もですね 今は健康の指標がですね
年齢によらないといけないんですけれども
六十歳から八十歳のところの健康に 焦点を合わせて
膝が痛くならないように 適切な運動を常にする
日光浴もする コロナなんかかからないぞ
という意思を持つ それが大切だと思うんですね
ですからこれは 医療の方の
厚生労働省の方の政治的努力もいるし
それから本人の努力もいります
それから何しろ定年が なくなんなきゃいけません
これは既に先進国は 多くの先進国は定年がありませんしね
元々日本には 定年なんかなかったわけですから
これを戻すということで
せめて八十歳定年までは
政治が主導をしてやるということは大切でしょうね
八十から九十っていうのは
現在では かなり体に問題がありますが
これから三十年 五十年後はですね
私は九十までは十分に 元気だと思うんですよ
私が若い頃はね
もう五十五ぐらいになるとよぼよぼでしたね
もちろん今から百年前は 四十三の平均寿命の時は
四十を超えると 男女ボロボロだったんですよ
だからそれが どんどんどんどん伸びて
元気で人生を
年取りまで送れるってことは本当にいいことで
大体高齢化社会が問題なんですが
何が問題かっていうのは
高齢者の人が元気がなくて やや汚らしくて
年金をもらってるからなんですよ
やっぱりこれはね 若い人が言う意味もよくわかります
もちろん我々 年取りにとってみればね
いやそんなこと言ったって
我々が高度成長の日本を作ってきたんだと
まぁこれは日本人が
祖先を尊重するっていうのがそれですね
現在私があるには 家庭電化製品も
自動車も 美味しいお米も
豊かな食料も全部祖先がやってくれたから
今我々の生活がある
これが祖先を尊敬する 一つの主要な理由ですね
ですから若い人も それを
尊重してくれなきゃいけないんですが
一方 年配者もですね やはり半分でいいんですから
八時間のうちの 四時間だけ働けばいいわけです
これはやっぱり 六十から八十まではですね
必ず四時間は働いて
自分が生きているための恩返しをすると
それを見たらですね 若い人は
やはり年配者も尊敬できるなーと
こう思って それぞれが尊敬し合う
本当に楽しい日本というものを
作ることができると思います
政治は これでやる仕事はいっぱいありますけどね
ですけど 今の政治では駄目です
やはり新しい革袋に新しい酒を注がなきゃいけませんが
それは時期に そういう時代が来ますから
個人もその準備をしておくと いうことが大切だと思います

2022年1月20日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

2022/01/22

次の30年、どんな政党が求められるか? (武田邦彦)




本日の収穫(3419文字) 

1930年以来ですね
30年ずつ日本の社会っていうのは
大きく変わってきたわけですね
1930年から60年まで 軍事一色の時代ですね
若い将校が街を歩いていると
キャーっと若い女の子が言うと いうような時代
軍事が悪いなんてことは誰一人考えてない
今では考えられませんね
しかも平均寿命は男女共に四十三歳
ですからもう 今と社会構造全く違うわけですね
そういう時に必要とされた政治
それから戦争があり 戦争が終わった後始末があり
1960年から1990年までは
当然のように何が起こったかっていったら
戦争で頑張ったけども まぁ経済発展したわけじゃない
1960年の日本つったらですね
まぁ大都市以外は井戸 瞬間湯沸かし器はない
水洗トイレはない あの頃 内風呂って言ったんですよね
風呂がなくて 銭湯に行く
もちろん冷蔵庫 洗濯機がないので
主婦は もう主婦から脱することができない
男も力を振うんで
四十を過ぎると もう体ぼろぼろになるっていう
そういう生活でしたからね
何しろ 高度成長が必要だったんですよ
それが三十年経って 高度成長が終わった1990年
バブルが崩壊した時はですね
何でこんなに 経済成長しなきゃいけないのって
いやそのー 高度成長前はですね 私なんかそうですけど
初任給が二万円 それが高度成長が終わって
初任給二十万から三十万
冷蔵庫洗濯機テレビは もう当たり前のことになった
その時代になってみんなはですね
何で経済成長が必要なのって言い出すんですよ
しかしその時に政党としてはですね
自由民主党 日本社会党は 役割を終えてたんですよ
五十五年体制って言いますけども
日本の高度成長に ちょうど合ってたんですね
それで自民党が じゃんじゃんじゃんじゃん前向きにやる
それを日本社会党が抑えて
批判してブレーキをかけるっていうことで
日本は調和を取れた発展をしてきました
1990年にバブルが崩壊してからですね
環境の方に行かなきゃ良かったんだけど 行ってしまった
政党も間違って もう自由民主党と
日本社会党じゃやれないことはわかってた
社会党が先に崩壊しましたが
自由民主党はどう変わったかって言うとですね
それまでの重点政策 自由と民主主義を守って
小さい政府で がんがんやっていくっていうのをやめて
コンビニエンス政党になったわけですね
どれからどれまで 福祉も勿論軽視しませんよ
何も全部 軽視しませんよ
細かいことにも 目を配りますよってことになって
結局 日本社会党は存在意義がなくなって
実質潰れた形になった
その代わりに さきがけとか
いろんな政党が もう山ほどできて
1992年から離合集散を重ねてですね
小泉政権の時に
自由民主党をぶっつぶすと いう小泉首相
これも変な話ですけどね
それである程度 政権ができましたが
その後 安部さん それから福田さん麻生さんと
一年ごとに首相が変わって ついに崩壊して
つまり自民党政治は ここで崩壊したわけですね
それで民主党になってみた
そしたら悪夢の その三年間でひどい目にあって
まぁたぐいまれな首相としての
資質を持ってる安倍さんがですね
その後一応繋いだというのが 2020年までですね
やっぱり自由民主党も もうよたよたしてるんですよ
つまりもう時代に 要求に応えられないんですね
これはね 自由民主党が悪いかっていうと
僕はね 悪いと言えないと思うんですよ
古い皮衣に新しい葡萄酒を注げば
駄目になるっていうだけのことで
それはもう わかりきってることなんですよ
それは日本社会党が崩壊してしまったのが
自由民主党 やはり柔軟性がありましたからね
今まで持ったと よく持ちましたねっていうことなんですよ
ただこの三十年間は やはり自由民主党は
うまく行きませんでした
だって アメリカ中国日本と比べたら
日本の国民だけが給料が上がらない
非常に多くの社会的問題ですね
教育問題では いじめもあるし
それからそのー 年功序列の解除とか色んなことがあって
それから女性の社会進出も
矛盾だらけの社会になってしまったわけですね
これはもう自由民主党という殻ではですね
何が悪いとか上が悪いじゃないんですよ
やっぱ新しい 酒は新しい だってね
平均寿命が四十三の時と
平均寿命が八十五歳の時と同じ政党でね
舵が取れるかって それは無理なんですよ
いや民主党もね それは悪くはなかったかもしれません
だけども やっぱり二大政党で
政権が変わりながらやるっていうのは 別ですけどね
あまりにも 寄合所帯でしたよ
非常に左の思想を持った 日教組の幹部もいるし
それから自民党でも ややこう
中道から右寄りかと思うような人ですね
それから ややフィクサー的な方とかね
そういう方が色々混じってたっていうのが
やっぱり民主党の不幸でしたね
それで例えば安部さんが立って 一応自民党で頑張って
自民党の結党の精神ってのは 憲法改正ですからねー
やっぱり ちょっと時代が違うんですよ
それで ところがモリカケ問題とか
桜とかで足をすくわれて
そして結局在任中 憲法改正が
できなかったということになったわけですね
まぁそれで野党側もね現在は もう
野党はどういう政策持ってるのと
対中国政策 日本の経済発展に
どういう政策持ってるのってわからないんですよ
それは何でわからないかですね
野党第一党の党首が 今度の選挙で変わりましたけど
この自民党が公約を全く果たせなかった時に
野党が伸びなかったっていうのは
正に何回も繰り返しますけども
古い皮衣には 新しい酒が注げないということなんですよ
もう 全然時代が違うわけですね
高度成長も終わって 平均寿命が長くなって
女性が 家事労働から解放されて
それから 多様化が求められているわけですよ
その中で 到底ですね
戦後の高度成長の時代に功績のあった
やっぱり功績があるとね
それなりに業界との癒着もあるんですよ
それはね 今までの付き合いっていうのは人間ありますから
突然 自由民主党にですね 業界との癒着をやめてくれっても
それは無理なんですよね
やっぱりそこは新しい袋がいるんです
それがちらほらと 維新とかですね
希望の党とかいう形で 芽を出したんですが
やはり準備不足とか 色んなことがありましたね
そういう点ではやっぱり
二三年かけて政党の基盤を作ってという
そして方向性としては何かつったら
世界的な今の 大きな危機ですよ
それは民主主義の崩壊ですね
もう既にアメリカは 金持ちの社会になりました
それからトランプ大統領の選挙で見られるように
勝てば官軍というアメリカの言わば悪い
道徳のない社会になりつつあります
極端な思想を掲げる政治団体も多くなる
一方中国は それは共産党だから決断は早いですよ
しかしどう見ても
国際社会の倫理を守ったり ルールを守ったり
それから国内でも
民主主義とは ちょっと言えないんですよね
それからチベットとか ウィグルとかいうのを
占領したままになっているという点もですね
やはり ちょっとどうかなーと思うわけですね
まぁ少なくとも
世界の各国から尊敬を集めるような国ではない
っていうことはどういうことか
現在では やはり一番大切なのは民主主義
みんなが政治に参加する
その下地はできてるわけですね
多様化の時代になり ITが発達し
情報が非常に流通できるようになった
まぁあのー 今 自民党の岸田首相がですね
IT革命をやろうとしてますから
ちょうど それが軌道に乗った頃にですね
政党が全部変わって
新しい政党で日本がやれるようになったら
それは日本はね 大きく発展するでしょうね
日本の国民の 平均レベルって凄く高いんですよ
戦争が終わった後 アメリカの進駐軍がですね
日本に来て 靴磨きをしている人がですね
お客さんのいない時に
難しい新聞を読んでるのにびっくりしたんです
アメリカはそういう社会じゃないんですよ 階級制ですからね
私なんかも タクシーに乗りますとね
タクシーの運転手が 先生今日は国会討論を聞いてましたが
国会っていうのはあれー
優秀な議員さんっているんですかね
なんていう質問が出るわけですよ
これはね アメリカ
ヨーロッパには全くそういう国はありません
もちろん アジアありません 日本が世界で唯一ですよ
ですから 日本こそが
民主主義には一番適しているんですよ
だって国民一人一人が 考えられる
国民を持っているわけですからね まとまりもいいし
だからそれに応じた 新しい民主主義ですね
全員が国民全員 全員つったって
全員やらなくて良いんですが 多くがですね
政治に夢を持ち 自分の政策を語り
そして政治を進めていくという社会
この社会を作ることが いよいよ出来るようになった
それこそ新しい酒を注ぐ 新しい皮衣であると
そういうことであります
四五回に渡ってですね
時代の流れと求められる政党ということの
基礎的な話をさせていただきました

2022年1月15日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/21

基本的な人生設計(2)仕事と自分の人生 (武田邦彦)





本日の収穫(3565文字) 

基本的な人生設計も二番に入りまして
中心的なところに踏み込んでまいりましたが
仕事と自分の人生 これについては
まぁ日本はですね 世界でも
現在はもう混乱の最中にあるんですね
何で混乱の最中にあるかって言うと
仕事というものの考え方がですね
日本とヨーロッパと全く違ってたわけですが
その日本の仕事に対する考え方を そのままにしながら
何の議論もせずに 官僚の成績とか
東大の先生が ヨーロッパに行った時の手土産とか
こういうようなことが原因でですね
日本の仕事が大きく手直しされてきました
その手直しされるごとにですね
我々は仕事に対する もうわけがわからなくなっちゃって
現在は仕事について 物凄く悩んでる人が多いんですね
従って ここではですね
まず仕事というものは どういう風に
自分の人生とのかかわりで決めるものかと
いうことから どうしても入らざるを得ないわけですね
仕事は二つあります まずヨーロッパ的な考え方ですね
これはですね ヨーロッパは国がですね
支配層の人達 五パーセントの支配層の人達と
九十パーセントの支配層に働かされる
非支配層の人達に分かれてるんですね
これはもう ギリシャからの伝統であってですね
おいそれと変わるもんじゃないです
従って 例えばイギリスを見てもですね
現在でも貴族制度ってのは残っておりまして
公爵伯爵 そういうのがいっぱいありまして
広大な敷地を持ってるわけですね
こういった その勿論その考え方っていうのは
日本では考えられませんが
イギリスでも 現在残ってると
いうことからわかる様にですね
それからもう アメリカではそれを真似てますから
上位 一パーセントの人が
国民の財産の三十七パーセントを
持ってるっていう様なことあるんですね
つまり わずか五パーセントの人が
残りの九十パーセントの人を
奴隷のようにじゃないんですけど
思うように働かせて
自分達はほとんどその 上前をはねるということが
社会体制なんですよ これは中国でもそうで
中国共産党は大体五パーセントですね 人口の
それが九十パーセントの国民を支配して
働かせるということなんですね
このあの五パーセント 五と九十という構造がですね
何をもたらすかっていうのは
仕事はできるだけしないようにする
つまり支配階層に入る 自分が支配階層に入って
毎日八時に出勤して五時まで働くなんて
そういう馬鹿らしいこと
これは そういう仕事が馬鹿らしいんですけどね
馬鹿らしいことはしないで済む 人生を送りたい
そうすると 色んな考え方が変わってきますね
例えばアメリカ人の 一番多い理想的な人生っていうのは
四十五歳までに働いて 十分な貯金をためて
その貯金で四十五歳で引退して
遊んで暮らすっていうんですね
日本はもちろん 全然違いますよ
元気な間は できるだけ年取っても
仕事をしたいということですから 全然違うんですね
この違いはやっぱり 五パーセントと九十パーセント
つまり自分は 九十パーセントに
入っちゃいけないっていう意識が強いんですね
それで結構 嘘もつくんです
もう一つは キリスト教の影響ですね
キリスト教っていうのは
ユダヤ教っていってもいいんですけど
キリスト教ユダヤ教イスラム教 みんな一緒ですけれども
どういう考え方かつったら
原罪という考え方があってですね
人間には原罪 つまりもう存在することが元々罪である
だからそれを 贖わなきゃいけない
そのために仕事という苦役をするんだ
仕事は苦役である 苦しいことである
だから原罪を背負っている人間は
その贖いとして 仕事しなきゃいけない
これからまた 色んな派生がありますね
原罪があるから 施しものをしなきゃいけないとか
かわいそうな人を 助けなきゃいけないとか
一部いいこともあるんですが
原罪意識 つまりヨーロッパの概念は
仕事はしない方がいい
どうしても仕事をしなきゃいけないのは
人間の原罪のためだと こういう考え方なんですね
これはヨーロッパが 個人主義だからなんです
ヨーロッパは初めから個人主義じゃないんですよ
バートランド・ラッセルが言ったように
イエス様までは 個人主義はなかったけど
その後 あまりに偉いイエス様が出てきたので
その後 変わったっていう考え方もあるんですね
これに対して 日本はですね
全然違うんです 百八十度違うんですね
日本はですね 絡合 私の言う絡合なんですが
集団なんですね ですから
自分が生きているためには
ご飯も食べる 味噌汁も飲む 魚も食べる
そのためには農業の人 味噌職人の人 魚を捕ってくる人
家にも住む 大工さんがいる 道路も必要だ
道路工事さんがいる
全て自分の人生を
支えてくれてる人はもう山ほどいる
それに対して まず自分は自分も仕事をして
その人たちの恩に報いて
その後が 自分の人生だっていう考えなんですよ
ですから 日本人はですね
仕事というのがですね 概念が二つあるんですね
一つが恩返しのための仕事
これはできるだけ 苦しいのがいいっていう考え方ですよ
人がみんな苦しんでる 例えば
お百姓さんは今はそんなことないんですが 昔はですね
暑い最中 夏の暑い最中でも草取りをしなきゃならない
魚を捕る人もですね
時化の時に 命の危険を冒して魚を捕っている
他の人もみんなそうですね
家をつくる人もですね 寒い時に 寒い冬の時に
家をつくるっていうこともあるんですね
だからその苦しみも 自分も共有しようという仕事と
それから自分の人生で
こういう仕事をやって世の中に貢献したいとか
こういう仕事は 自分の性に合ってるから
楽しいという仕事と二つあるんですよ
だけどヨーロッパ流の原罪 仕事は元々駄目なもんだから
できるだけやらない方がいいということは ないんです
ですから 日本の場合ですね
自分の仕事の人生における
仕事の役割は二つあって というか
時間の配分っていうのは
二つあるっていうか四つあるんですかね
一つは恩返しとしての仕事の時間
これは大体 九時から一時二時までと言われてるんですかね
九時から二時まで
だから九 十 十一 十二 一時間休んでいいんですけど
四時間 一日四時間は
恩返しのために全員がやんなきゃいけない
やんなきゃいけないっていうか
やりたい気持ちになるっていうんですね
日本人は やりたい気持ちになるんですよ
本当にね 日本人ってのは大したもんでね
私がよく言うんですけど
東南アジアに出向した
日本のサラリーマンの奥さんっていうのは
ついつい トイレ掃除もしちゃうんですよ
ところが 東南アジアに来ますと
メイドを雇いますからね
メイドの仕事がなくなっちゃうんですよ
それはそれでいいんです
日本流のやり方の生き方なんですからね
そういうことなんですよ
だから四時間はつらい仕事をする
残りの四時間は もし仕事をするとしたら
自分の人生をより高度にするため 楽しむための仕事をする
だから仕事が生きがいなんて言う人はですね
その第二番目の仕事のことを言ってるんで
第一番目の仕事は やっぱり仕事なんですよ
それから三番目が自分の遊びです 自分が楽しむ遊び
それから四番目が 自分が家庭とか友人とか
近くの人の手助けをする仕事ですね
仕事っていうか人生ですね 時間ですね
子供と遊ぶとかですね
それから 奥さんのちょっと手伝いをするとか
そういった事ですね
だから 日本人の一日というのは
恩返しの 仕事自分のやりがいの仕事
自分の遊びの時間
それから家族友人との時間という
四つに分かれてるんですよ
だから全然違うんです ですからその上でですね
実は日本には 集団的な仕事の習慣だとか
それから年功序列だとか
そういった いろんな社会システムが
それに応じてあったんですね ところがですね
もうそういうことの検討もなく 議論もなく
説明もなく みんなで話し合うこともなく
次から次と なんか新しい なんか
本当に厚生労働省とかそういう人たちの 本当思い付きとか
それから自分の出世のための 仕事作りとかでですね
臨時雇いがいいとかですね ニートだとかですね
もうそんなものが 色々出てきましてね
全然 後に哲学も何もないんですよ
それで自分は やりがいのある仕事を探せないとかですね
それから小学校ぐらいから
君の取り柄はどうだ なんて聞かれてですね
いや大学で随分悩んでる人いるんですよ かわいそうに
先生 僕は取り柄がない人間なんで
いや 取り柄って何で必要なのって聞くと
いやなんか取り柄が必要だって
小学校の時に習ったんですけど
ってもうそんな感じになっちゃうんですね
ここでまず言うべきことは 仕事には二種類ある
恩返しの仕事
苦しくても苦しい方が良い 恩返しの仕事
それから自分の生きがいとしての仕事
この二つが仕事としてあるということを
はっきりと認識していただいて
ヨーロッパでいうような稼げばいいとか
九十パーセントのね 
ヨーロッパの九十パーセントの被支配者の人は
とにかく 五パーセントの支配者に貢ぐために
仕事をしなきゃいけないんですよ
それからキリスト教を非常に信じてる 敬虔な信者はですね
原罪を償うために 仕事しなきゃいけない
だから全然日本と違うんで
そこをまずよーく押さえていただきたい
これは ものすごく時間の掛かることなので
そこのとこが一番大切だと思います

2022年1月19日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/20

基本的な人生設計(1ー4)第二の人生のための政治課題 (武田邦彦)



本日の収穫(3420文字) 

第二の人生の設計についてはですね
更に深く議論が必要なんですね っていうのは
現在のように 働いている人が老後の人たち
十五年間だけを世話するというのが基本設計になっている
現在の年金とかですね
社会システムとか あらゆる問題ですね
このままではですね 駄目なんですよ
ですから やはり
高齢者対策ということになってしまうわけですね
そうじゃなくて 高齢者も共に
高齢者が若い人に迷惑をかけることなく
つまり第二の人生の人が 第一の人生の人に
迷惑をかけることなくですね
社会的負担になることはなく
その社会を作っていかなきゃならないっていう
時代に入るわけですね
これは今 例えば十歳から二十歳の人
ゼロ歳から二十歳の人の子供達っていうのは
大人の世話をしているわけですが
この世話はですね 社会としては
まぁ当然のこととして 受け取られてたわけですね
これと同じように 人生の終わりの方の
八十歳っていうか 九十歳から百歳の人たちの世話は
これは社会は当然だと
しかし そこまでは
高齢者のことやってくださいねってことになるわけですね
そうしなきゃ 社会持ちません
その点では まず定年制の廃止ですね
これは もちろん日本は定年制ありますけども
私の 職業なんか大学教授なんかで
アメリカなんか 定年制ありません
九十歳の大学教授なんて いくらでもいますね
ですから それで日本国憲法も
年齢によって差別することを
禁止しているように読み取れます
これは今度 憲法改正があればですね
性別なんかで差別しちゃいけないと同じように
そこに年齢というのを 入れなきゃいけないと思いますね
もちろん働けなくなったり
頭がぼけたりするのは年齢に関係ありません
ですから 国民一致してですねえ
頭が丈夫で体が丈夫であれば
自分は働いて 人に迷惑かけないよという
思想をまず教育で作るっていうことですね
それから定年制を 政治的に廃止する
それから年金制度ですね
これはあのー 早くそのー 例えば生活保護と一緒ですけども
早く年金生活に入れば楽だというような
ずるい考え方をいかにして取るかっていうのは
これは教育が一つなんですが
年金の制度もですね しなきゃいけません
それからもちろん年金の 現在の制度はですね
やや積立型的になってるので
この積み立ててる年金をですね
どのように運用するかっていう
これが巨大な利権になってるんですね
これをまぁ できれば毎年清算
つまり去年あつめた年金は
今年中に配ってしまうということにして
年金の積み立てという制度を
なくすってことも大切 これも政治ですね
それからもう一つ 二十代から五十代の人が
千三百万しか その資産を持ってないのに対して
五十歳から八十歳の人が
四千三百万も資産を持ってるってことは
まさに不安なんですよ
ですから 老後の不安に対して
どうして保証するかっていうこの問題ですね
特に八十歳以上 もしくは九十歳以上
九十歳以上は まぁ全員と
八十歳以上は 体とか
頭が少し悪くなってきて働けなくなってきた人
あとは自分でやってください
それからこれは 若い人はあまりよく知りませんが
現在の介護制度に対する 介護保険とかいうものがですね
非常に重い形で その介護の人に
掛かってくるっていうことがあってですね
これは 今問題になっている生活保護との問題と含めて
大いに福祉の方々の 知恵を使ってですね
やっぱり政治的に解決しなきゃならない
つまり第二の人生のための 政治課題っていうのは
今 まだゼロっていっていいんですけどね
何しろ 高齢者対策っていってるぐらいですから
まず高齢者対策っていうのをやめて
高齢者を社会から 排除するっていうのをやめると
健康で長生きする 高齢者が望ましいという
形にしなくちゃいけないわけですね
今度 新型コロナで明らかになったのはですね
スウェーデンなんかは いわゆる延命治療っていうのは
医療の中に入ってないんですよ
医療というのは
健康に生きれる人が 健康を損なった場合に
治すものを医療といって 延命治療
つまり命を伸ばすのは 医療の中に入ってないんですね
これはまぁ もちろん保険のない形でやってもいいわけですね
とにかく第一に 人生に対する愛情ですよ
第一の人生の 青年期も苦しい
これは このブログで教育のことで述べましたけども
若者を痛めつけるような 採点の方法を取る
これと同じように やっぱり
老人に対して痛めるような制度ですね
定年も 現在の定年も保証も介護もそうなんですが
これはもう政治的な解決が どうしても必要ですね
もう一つは 老人の方の改善が必要なんですよ
これは まず体力ですね
どうしたら膝の痛くなるのを遅くするか
どうしたら筋肉の衰えを遅くするか
どうしたら 尿漏れしないような訓練はできるか
それから頭もそうですね
できるだけ柔らかい頭 頑固じゃないこと
それから その色々な故障が出てこないこと
これに対して 謙虚な心を持つ老人
というものを作っていかなきゃなんない
これも本格的に そこに人を投入し
お金を投入してやっていかなきゃいけないですね
つまり健康指標なんかもそうなんですが
現在健康指標 最近ようやくとですね
閉経する前の女性と 閉経した後の女性の健康指標を
少し変えたりしてますが それは当然ですよね
体自身が変わるわけですから
それと同じように五十歳以前の人と
五十歳以上の人の 健康指標っていうのは
血圧にしてもコレストロールにしてもですね
その他全部違うわけですね
それを今 第一の人生のための健康指標と
第二の人生のための健康指標
同じになってますからね これをやると
それから社会的にはですね これは色んな機会を通じて
全世代に対して ゼロ歳から二十歳までの教育世代
二十歳から四十歳までの若い世代
四十歳から六十歳までの熟年世代
それから六十歳から八十歳までの
高齢世代っていうのかな
それから八十から百までの
本当の老後という各世代をですね
別の世代が常に尊敬する
常に別の世代を尊敬する
そのやっぱり 日本風土っていうものを作る
これは昔は儒教という形で 少しはあったんですが
儒教ってやっぱり中国でできたもんなんで
少し差別感があるんですね
日本式のやっぱり儒教っていうか
各世代に対する 年取った人は若い人に対する尊敬心
それから若い人は 年取った人にも尊敬心っていうのを持つと
この教育をしっかりやると
これ理論基盤も必要ですし 教育理論も必要です
それから 全ての世代において謙遜の心ですね
やっぱり自分はみんなに世話になってるんだという
その謙遜の心をですね
持つということもやらなきゃいけない
これで ちょっとここはですね
非常に課題が多いもんですから
今後 参政党なんかを中心にしてですね
定年の問題 憲法改正の問題
年金の問題 年金の負担を減らす問題
積み立て年金から 付加年金に変える問題
それから 老人の不安をなくすためにはどうしたらいいか
これには 例えばですね
現在 若い人だけを相手にして
やってるようなデザインだとか
車のスタイルとか こういったものもですね
はっきりとした その第一世代用の第一の人生のための車と
第二の人生のための車
全てですね そういう風にやる
例えば 今だったらパソコンなんかはですね
第一の人生の人はよくわかりますよ
だけど お爺ちゃんお婆ちゃんの
第二の人生の人はパソコン使いこなせませんよ
あなたの方が変えて下さいって
お爺さんお婆さんに言ってんですけど
そうじゃなくて
やっぱり各世代が 快適な人生を送れるような
商品設計っていうものの技術を磨く
これはね キャンペーンが必要なんですね
例えば 身体の障害のある人に対して
段差をなくすとかですね
そういうこう 活動が随分ありましたね
エスカレーターを作ったり エレベーターを使ったり
階段 登れたり降りたりできない人
こういうバリアフリーって言ってんですけど
このバリアフリーを 全ての製品ですね
自動車にしても パソコンにしても
洋服にしてもですね 全ての世代に
全ての分野に バリアフリーを持ち込むと
いうことも非常に必要ですね
そういう点では第二の人生というものを
どうするかっていう議論もあり
もちろん文学もあり
そして政治課題 それに伴う政治課題あり
とにかく憲法改正まで 必要ですからね
だからこの 日本の今までの古い
もう何にも 今までそのためにはですね
このブログでずっと言ってきましたけども
自由民主党って 随分功績があるんですよ
それは日本が高度成長で 平均年齢日本人の寿命が
五十歳から六十歳の時には
ものすごく大きな功績があった
しかし人生百年になって
第一の人生と第二の人生を どうしても分けて
定年だとか年金だとか
世代間の融和っていうのを
考えなきゃいけなくなった 今はですね
やっぱり 新しい革袋に新しい酒を入れる
ということが大切になってきたと いう風に思われます

2022年1月18日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/19

宗教とはなにか? (武田邦彦)




本日の収穫(3365文字) 

今年のヒバリクラブはですね
基本と嘘っていうのを
主たるテーマにしてやろうと思うんですけど
こんなのは 一か月も続かないかもしれませんけどね
基本っていうのはここで言ってるのは 宗教とは何か
人生とは何か 男女とは何か 幸福とは何かっていう
やっぱり基本をですね これはね
繰り返し繰り返し こう聞いたり考えたり
それから 気の合う仲間と議論して
随分それで やっぱり幸福になると思うんですね
嘘これはねー ものすごく困るんですよ
NHKが悪いっていうのは
もう今年は言うのやめようかと思ってんですけどね
私は NHKが1972年に石油がなくなるんじゃなくて
メジャー 国際石油資本 メジャーと言ってたんですけど
それがですね 
バレル2ドルの原油を20ドルに上げるためについた作戦
それを知ってたのに もう石油がなくなる
石油がなくなるって放送したためにですね
原子力の方 行っちゃってですね
いやー それは大変だと
日本は石油なくなったら もうみんなが寒さに震えるし
自動車に乗れないし 大変だっつって原子力行って
大失敗しちゃったんですけどね
ですから 嘘というのは人を不幸にしますんでね
それで ニュースで嘘が出てきたら
やっぱり それは
このブログでやろうという風に思うんですね
だから 基本と嘘っていうのをですね
基本にして話をしていくと
今日は まぁ第一番目なので
宗教とは何かということを お話したいと思うんですが
これは どうしてかっていうとですね
宗教っていう言葉自身が日本にはない言葉なんですよ 実は
教えというのはですね
誰か教える人がいて 教えっていうのがあるわけですね
ですから まぁ基本的には一神教といいますか
ユダヤ教 それからキリスト教
それで イスラム教というこの三つがですね
同じ宗教なんですけども
同じ宗教の 分派みたいなもんなんですけども
それが正に教えなんですね 神の教え
つまり神様がいて
それを教えるという感じなんですね
それは 仏教でもそうじゃないかっていうと
実はちょっと仏教は違ってですね
お釈迦様のことを よーく勉強しますとですね
お釈迦様は あれ宗教家じゃないですね
どう見たって哲学者で
人生とはどういうものであるかっていうことを
非常にレベル高く お話になったということなんですね
ただ お釈迦様とイエスキリストってのは
非常に こう近いっていうかですね
まぁこれは私が感じるばかりでなくて
バートランド・ラッセル だったと思うんですが
イギリスの二十世紀の
大きな哲学者が 宗教は宗教はつったかな
えーとまぁ 日本語じゃないんで難しいんですが
お釈迦様で生まれて
イエスで死んだと言ってるぐらいでですね
本当に宗教の真髄っていうのは
紀元前五百年から紀元まで 紀元0年まで
という感じではあるんですね
日本には宗教がなかったっていうのは
どうしてかっていうとですね
日本の神様っていうのは 二つなんですよ
それは自然が神様なんですね
自然は教えてくれると言えば 教えてくれるんですが
それは自然という姿を以て 教えてくれてるだけで
自然がですね 言葉でこうだ あーだとは言わないわけですね
ですから キリスト教の様に聖書があるとか
イスラム教の様にコーラン
最近コーランって言わないんですけれども
コーランがあるとか いうようなことではないんですね
具体的な教えはないんです 自然ですから
それから祖先が もう一つの神様なんですね
祖先っていうのも
ご先祖様が言ったことってのはあるんですけど
やっぱりこれも抽象的でですね ないんです
したがって 例えば神道
日本の基本的な宗教っていうのは
宗教っていうかそういったもの
心の支えっていうものは 神道だけではないんですけども
神道でも 神教とは言ってないんですね
それで神道は 宗教じゃないとよく言われるんです
それは 宗教っていうのは教祖がいて 経典があって
戒律があること っていうことなんですね
これが宗教の三要件なんですよ
それは当然で 教えを我々受けるわけですからね
教えを受けるっていうことは 教祖がいて
教祖が教えを言うわけですから
それが神様にあるにしても
預言者でもですね 教えがあるわけです
それから 経典がやっぱりあるわけですね
それを書き記したものがあるわけですから
聖書なり コーランなりがあるわけですね
それから 戒律がある
つまり守るべきことっていうのがあって
その教えを実際にこう ポンコツである人間が覚えるには
やはり戒律がなきゃいけない
何時何分には どっちの方向を向いて祈りをするとか
これはイスラムですね
それからクリスマスには こういうことを祈るとか
毎週土曜日の夕方とか 日曜日の朝のミサに行って
教会で牧師様の言うことを聞く
これは戒律といえないでしょうけど
そういった決まり事があるわけですが
もちろん神道には何もない
これは神道自身は やや宗教的なんですけれども
そのもとになる 日本人の宗教観っていうか
人間観 宗教っていう言葉じゃないんでね
言葉はないんで ややこしいんですけども
日本の言わば 宗教に相当するものは
自然と祖先なわけですから あるとすれば
例えばお天道様の前では 噓をつきませんとかですね
それから あなたそんなこと言っていいんですか
ご先祖様が見てますよ 聞いてますよといったような
そういうことで 日本の道徳
生きる道というのが教えられているわけですね
その意味では ノーベル賞に輝いた
素晴らしい文学があるわけですけれども
そういったヨーロッパの文学ですね それを読みますとね
宗教を持っていない つまりキリスト教を信じてないとか
そういう宗教を持っていない 無神教の人はですね
道徳を守ることができないから 危険であると
カミュの異邦人なんかはですね
それをテーマにしているわけですね
それで非常に見事に 割合と薄い本ですけども
見事に描いている
つまり宗教 神が人を殺してはいけないとか
そういうことを教えていただけるので それで人間は
人間としての道徳を守れると そういう考え方なんですが
日本人の場合は
よく私は無宗教ですっていうんですけれども
これは 外国人に言っちゃいけませんね
外国人に無宗教っていうと
本当に無宗教だと思っちゃうんですよ
ですから日本人の神
私の神様は自然と それから祖先ですと
いう風に言うのは正しくて
やっぱり神様はいますと 神様を拝みますと
お正月になると 外に出てお天道様に手を合わせますと
これは自然を象徴しているわけですね
本当は自然っていうのは 山であり川であり
海であり稲でありキツネであるわけですけども
それらは全部で私が生きている 私たちが生きている
生きている原動力は 自然であるという
日本の古代の人たちの 非常に鋭い頭脳ですね
それがあったわけです
それからもう一つは 千年も経ちますと
約三億人の人の遺伝子が混ざります 計算上はですね
ですから 日本は
まぁ三千万人ぐらいしかいませんでしたから
八百年ぐらいで 一回混ざるわけですね
日本の歴史っていうのは まぁ短く言っても八千年ぐらい
長く言えば 三万年ぐらいありましたから
日本人は周りが海で 島国でもありましてね
何回も何回も 混ざってるもんですから
日本人ってのは 全員が兄弟なんですね
同じ人間と言ってもいいわけです
だから自分とですね 他人っていうのは
区別しちゃいけないわけですね
自分と他人は同じ人だと
これは行き過ぎますとね ちょっと団体的な色彩があったり
村八分的なことが起こったりしますので
これはあのー 人間の心の中にある邪悪な部分
っていうと ちょっと言い過ぎなんですが
そういった部分が出てしまうわけですね
ですけども 少なくとも個人主義というように
個人を大切にするよりかは 日本人の考え方
お天道様 つまり自然とご祖先様を神として崇め
全員が日本人であるという中で 生きていくと
いうのは立派な 言わば宗教なんですね
ですから 日本人の宗教とは
何かっていうと 正にその通り
それから日本でも 弘法大師が中国から仏教を持ってきて
それで やがて親鸞聖人のように
ものすごく偉い人が出てきましてね
もちろん親鸞聖人以外でも
栄西様でも道元様でも日蓮様でも みんな同じですけどね
そういった その偉い人
明治以降にも そういう偉い人がおられるんですが
そういう人に言われたことも 教えの一つなんですが
しかし日本は それを教えとはとらないということですね
それから一神教っていうのが その他にあるということで
これは ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は全く同じ
神様は全く同じですからね
そういう風に頭の中を整理して
宗教とは 何かということ
それから自分はどう生きるべきかということを
まぁ考えるべきでないかと いう風に私は思います

2022年1月2日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...