本日の収穫(3490文字)
日本の防衛でちょっと付録をですね 一つ
戦争は悲惨ではなかったと
これはですね ちょっと今の日本っていうのは
色んな点で面白い
面白いっていうか変なんですよね
なんか誰かが戦争は悲惨だっていうとですね
もう戦争が本当に
悲惨だったかなんて言おうもんならね
お前は何でそんな常識を
知らないんだ なんて言われてね
もう散々な目に遭っちゃうから
みんな黙っちゃうんですよ
そうすると もうそれが定着しちゃって
間違えでも何でも
それで行くってことになっちゃうんですね
実は戦争は悲惨ではなかったんですね
ここに関ヶ原の屏風絵を
ちょっと張ったんですけどね
こういった関ヶ原の戦いみたいな
超有名な戦いはですね
皆さんもこういった屏風絵とかそういうのを
見たことあると思うんですけども
街の中で戦争するってことまずないんですよ
それで野原でやるんですね
できるだけ人のいない野原でやるんですよ
これはヨーロッパでも基本的にはそうなんですね
ワーテルローの戦いなんて
大体平原の丘陵地でやるんですね
わざわざそこでやるんですよ
これは川中島の戦いでもそうなんですね
それからお城攻めだと
どうしてもお城になりますからね
お城攻めだと
例えば小田原城の攻めって事になりますと
小田原城の近くの民家の人たちは
そこを立ち退く必要があるんですね
いずれにしてもですね 市民とか女性子供を狙って
戦争なんか絶対しないんですよ
これはいつまで続いたかっていったら
実はゲルニカまでなんですね
ここにゲルニカの絵も張ったんですけどね
ゲルニカってのは 確か1938年
その頃のヨーロッパはですね
ようやくなドイツが
第一次世界大戦の敗戦からの痛手から回復しましてね
ナチスドイツが現れて
ヒットラーが首相になってですね
それで軍備を増強するという
そういう状態ですね 間もなく戦争ですね
スペインではですね フランコ政権という
軍人をトップにしたですね フランコ総統ですね
だから両方とも その頃はナチスとかですね
それからイタリアではムッソリーニ
スペインではフランコっていうんですね
まぁ独裁者が出てきて
それで支配するというなんかになったんですね
ヨーロッパも我々の目から見れば
民主主義であったり
先回ウェストファリア条約1648年
その頃から国際条約なんかもあってですね
そういう風に進歩はしてる つまり
ヨーロッパっていうのは戦争ばっかしてますからね
戦争は長けているんですよ
日本の文化人でヨーロッパが戦争が長けているので
文化も優れていると思うんですけど
文化はそんな優れてないんですよ
まぁね勿論
植民地の上がりで豊かな生活してましたから
文学とか音楽とか そういうのは絵画とかは
随分先端行ったんですけど
それもやっぱり王侯貴族のためのものであって
必ずしも芸術一本とも言えないんですね
そこら辺の悪口は別にしてですね
このゲルニカっていうのは
1938年 フランコ総統が
スペインの北部の
ゲルニカっていう都市があったんですけど
そこにですね そこは
反政府の巣窟みたいなところだったんですね
そこを攻撃しようと
しかしスペインの兵隊出すと面倒くさいから
ヒットラーに頼んで
ヒットラーにゲルニカの爆撃を頼んだんですよ
そしたらヒットラーが ちょうど空軍を
一生懸命作ってた頃ですから
よし試しに空爆やってみようっていうことでですね
それでドイツからこの爆撃機が
ばーっと飛び立ってですね
まっすぐゲルニカ
スペインの北のゲルニカまで行ったわけです
フランスの上空を通ってですね
そして爆撃したわけです
その下には市民がいたわけですね
だからこの時初めて女子供って言ったら
ちょっと差別的になるんですが女子供
つまり戦う意思のないのを殺したわけです
絨毯爆撃 無差別爆撃
これが本格的な無差別爆撃としては
世界で初めて ゲルニカですね
それをピカソがですね
確か万博かなんかに向けてですね
ゲルニカの悲惨さを絵を描いたと
これが非常に有名になったと
この絵は牛というのがですね
擬人的に攻撃する側ですね
馬っていうのが 擬人的には
悲惨な目に遭う方っていうことで
その他に涙を流す女性とかですね
いっぱいいました
この絵は至急描いたこともあって
あんまり最初の出来が良くなかったんで
ピカソが何回も何回も
描き直したりなんかしまして
今では名画中の名画なんですが
これがですね
悲惨な戦争っての始まった最初だったんですよ
つまり1938年が人類史上初めて
戦争が悲惨になったんですよ
だからこれは戦争が悲惨なんじゃなくて
戦争のやり方が悲惨になったんですよ
それは毒ガス使ったり生物兵器使ったりですね
原爆を落としたり そういうその
無抵抗の人たちを殺すっていうことが起きたのは
この1938年のナチスドイツの空爆なんですよ
その後それをアメリカが受けて
ドイツにはニュルンベルグの爆撃やらですね
日本には東京空襲とかあってですね
最終的には広島長崎に原爆を落とすと
これはね もう戦争じゃないんです
これは虐殺なんですよ
かつては戦争っていうのは
必ず兵士が絶対に民間人を巻き込まないように
派手な軍服着てたんですよ
ワーテルローの時も
みんな派手な軍服着てたんですね
それは派手な軍服を着るのは
なぜかって言うとですね
市民と間違えないためなんですよ
戦争はあくまでもゲームなんですね
ゲームなんですよ
また戦争っていうのは難しいんですね
正義のために剣をとれっていうのあるわけですよ
これはね 戦争が悪いことでは
なかったってことなんです
戦うことはな正義のためなんだから いいんだ
正義のために剣をとれっていうのは
立派なことだったんですよ
ところがね ちょっとこれ雑談で
今日は付録ですけど雑談しますとね
正義のために剣をとれっていうのは正しいんですよ
祖国を守るために剣をとれ
ただ正義のためにやる行為は地獄に通じる
これなぜかって言うとですね
正義っていうのは
その正義だと思う人 ここで言えば
剣をとる人が正義だと思ってるだけで
相手は自分が正義だと思ってるんですよ
正義っていうのはですね
人によって違うんですね
ですから正義のために
剣をとってはいけないという
正義のために
相手を刺してはいけないというのもあるんですよ
正義のためってのは一体何なんだと
例えば関ヶ原で徳川方と
石田三成っていうか豊臣方が戦いますね
西軍東軍 どっちが正しい
どっちが正義だなんてことないんですよ
徳川側には徳川の正義があり
豊臣側には豊臣の正義があるわけですよ
だから戦争は悲惨でもなく
正義のために剣をとった
ただ正義が はっきりしないって
いうことなんですよね
現在だったら中国共産党とチベットの抵抗運動
これは両方とも正義なんですよ
ただこの正義がどっちが勝つかっていったら
力の強い方が勝つっていうのが戦争なんです
だからこの力の強い方が
勝っていいというのがですね
宗教的にも認められてて
何でかっていうと
例えばキリスト教ですと 神様が全権を持ってる
神様は一人一人の行動で
今日あいつはあくびをした
今日サボったって全部知ってる
その神様が戦争に勝たせてくれるわけですから
ですから戦争に行く時に
神よと祈って戦争に行くんですね
神様の加護があれば
戦争に勝てるということで
戦争を行うこと 戦争に勝つこと
正義は自分の正義なんですが
そういうことは
全部認められてたわけですね
八幡太郎
日本でも八幡太郎義家が
戦争に行く時には 神社にお参りして
神の加護を乞うて戦に行く
だから必ず戦っていうのは宗教とくっついてるし
神様は勝つほうに応援する
だから宗教は邪悪でない
戦争は悲惨ではない
だから戦争は悲惨だから
平和にしようっていうのは駄目なんですよ
いやこれね 駄目だっていうか
そういう風に言ってるその気持ちはわかりますよ
気持ちはわかるけれども効果がないんです
それはそれを聞いた人はね 心の中で
それはそう言うけどねと
だけど正義のために剣がとれ
独立戦争はみんな正しいんだ
そんなね
戦争はやっちゃいけないなんて言ったって
それは寝言にすぎないよと
人間っていうものをよくわかってないよと
こういう風に心の中で思っちゃうわけなので
それでここで 私は戦争の三段階論
平和の三段階論って言ってるわけですね
戦争はまず無抵抗な人
向こうが刀は思ってない時に 武器を持ってない時に
こっちが殺しちゃいけないってことなんですよ
これはもうね つい最近
1948年まで認められてた
だから人間がもし進歩してるならですね
まず第一に平和の第一報ですね
なんといっても丸腰を撃たない
これだけを国際的に協定しようと
これならできるでしょうね
これを国連で
日本の国連代表が演説するんですよ
我々は丸腰を撃たないようにしようと
丸腰を撃つ準備をしている人は
丸腰はやめよう これだったらね
僕は粗方の国際世論を得られる
それを頑張って日本の丸腰政策と言って
はっきりと打ち出すことが大切だと思っています
戦争は悲惨ではなかったと
これはですね ちょっと今の日本っていうのは
色んな点で面白い
面白いっていうか変なんですよね
なんか誰かが戦争は悲惨だっていうとですね
もう戦争が本当に
悲惨だったかなんて言おうもんならね
お前は何でそんな常識を
知らないんだ なんて言われてね
もう散々な目に遭っちゃうから
みんな黙っちゃうんですよ
そうすると もうそれが定着しちゃって
間違えでも何でも
それで行くってことになっちゃうんですね
実は戦争は悲惨ではなかったんですね
ここに関ヶ原の屏風絵を
ちょっと張ったんですけどね
こういった関ヶ原の戦いみたいな
超有名な戦いはですね
皆さんもこういった屏風絵とかそういうのを
見たことあると思うんですけども
街の中で戦争するってことまずないんですよ
それで野原でやるんですね
できるだけ人のいない野原でやるんですよ
これはヨーロッパでも基本的にはそうなんですね
ワーテルローの戦いなんて
大体平原の丘陵地でやるんですね
わざわざそこでやるんですよ
これは川中島の戦いでもそうなんですね
それからお城攻めだと
どうしてもお城になりますからね
お城攻めだと
例えば小田原城の攻めって事になりますと
小田原城の近くの民家の人たちは
そこを立ち退く必要があるんですね
いずれにしてもですね 市民とか女性子供を狙って
戦争なんか絶対しないんですよ
これはいつまで続いたかっていったら
実はゲルニカまでなんですね
ここにゲルニカの絵も張ったんですけどね
ゲルニカってのは 確か1938年
その頃のヨーロッパはですね
ようやくなドイツが
第一次世界大戦の敗戦からの痛手から回復しましてね
ナチスドイツが現れて
ヒットラーが首相になってですね
それで軍備を増強するという
そういう状態ですね 間もなく戦争ですね
スペインではですね フランコ政権という
軍人をトップにしたですね フランコ総統ですね
だから両方とも その頃はナチスとかですね
それからイタリアではムッソリーニ
スペインではフランコっていうんですね
まぁ独裁者が出てきて
それで支配するというなんかになったんですね
ヨーロッパも我々の目から見れば
民主主義であったり
先回ウェストファリア条約1648年
その頃から国際条約なんかもあってですね
そういう風に進歩はしてる つまり
ヨーロッパっていうのは戦争ばっかしてますからね
戦争は長けているんですよ
日本の文化人でヨーロッパが戦争が長けているので
文化も優れていると思うんですけど
文化はそんな優れてないんですよ
まぁね勿論
植民地の上がりで豊かな生活してましたから
文学とか音楽とか そういうのは絵画とかは
随分先端行ったんですけど
それもやっぱり王侯貴族のためのものであって
必ずしも芸術一本とも言えないんですね
そこら辺の悪口は別にしてですね
このゲルニカっていうのは
1938年 フランコ総統が
スペインの北部の
ゲルニカっていう都市があったんですけど
そこにですね そこは
反政府の巣窟みたいなところだったんですね
そこを攻撃しようと
しかしスペインの兵隊出すと面倒くさいから
ヒットラーに頼んで
ヒットラーにゲルニカの爆撃を頼んだんですよ
そしたらヒットラーが ちょうど空軍を
一生懸命作ってた頃ですから
よし試しに空爆やってみようっていうことでですね
それでドイツからこの爆撃機が
ばーっと飛び立ってですね
まっすぐゲルニカ
スペインの北のゲルニカまで行ったわけです
フランスの上空を通ってですね
そして爆撃したわけです
その下には市民がいたわけですね
だからこの時初めて女子供って言ったら
ちょっと差別的になるんですが女子供
つまり戦う意思のないのを殺したわけです
絨毯爆撃 無差別爆撃
これが本格的な無差別爆撃としては
世界で初めて ゲルニカですね
それをピカソがですね
確か万博かなんかに向けてですね
ゲルニカの悲惨さを絵を描いたと
これが非常に有名になったと
この絵は牛というのがですね
擬人的に攻撃する側ですね
馬っていうのが 擬人的には
悲惨な目に遭う方っていうことで
その他に涙を流す女性とかですね
いっぱいいました
この絵は至急描いたこともあって
あんまり最初の出来が良くなかったんで
ピカソが何回も何回も
描き直したりなんかしまして
今では名画中の名画なんですが
これがですね
悲惨な戦争っての始まった最初だったんですよ
つまり1938年が人類史上初めて
戦争が悲惨になったんですよ
だからこれは戦争が悲惨なんじゃなくて
戦争のやり方が悲惨になったんですよ
それは毒ガス使ったり生物兵器使ったりですね
原爆を落としたり そういうその
無抵抗の人たちを殺すっていうことが起きたのは
この1938年のナチスドイツの空爆なんですよ
その後それをアメリカが受けて
ドイツにはニュルンベルグの爆撃やらですね
日本には東京空襲とかあってですね
最終的には広島長崎に原爆を落とすと
これはね もう戦争じゃないんです
これは虐殺なんですよ
かつては戦争っていうのは
必ず兵士が絶対に民間人を巻き込まないように
派手な軍服着てたんですよ
ワーテルローの時も
みんな派手な軍服着てたんですね
それは派手な軍服を着るのは
なぜかって言うとですね
市民と間違えないためなんですよ
戦争はあくまでもゲームなんですね
ゲームなんですよ
また戦争っていうのは難しいんですね
正義のために剣をとれっていうのあるわけですよ
これはね 戦争が悪いことでは
なかったってことなんです
戦うことはな正義のためなんだから いいんだ
正義のために剣をとれっていうのは
立派なことだったんですよ
ところがね ちょっとこれ雑談で
今日は付録ですけど雑談しますとね
正義のために剣をとれっていうのは正しいんですよ
祖国を守るために剣をとれ
ただ正義のためにやる行為は地獄に通じる
これなぜかって言うとですね
正義っていうのは
その正義だと思う人 ここで言えば
剣をとる人が正義だと思ってるだけで
相手は自分が正義だと思ってるんですよ
正義っていうのはですね
人によって違うんですね
ですから正義のために
剣をとってはいけないという
正義のために
相手を刺してはいけないというのもあるんですよ
正義のためってのは一体何なんだと
例えば関ヶ原で徳川方と
石田三成っていうか豊臣方が戦いますね
西軍東軍 どっちが正しい
どっちが正義だなんてことないんですよ
徳川側には徳川の正義があり
豊臣側には豊臣の正義があるわけですよ
だから戦争は悲惨でもなく
正義のために剣をとった
ただ正義が はっきりしないって
いうことなんですよね
現在だったら中国共産党とチベットの抵抗運動
これは両方とも正義なんですよ
ただこの正義がどっちが勝つかっていったら
力の強い方が勝つっていうのが戦争なんです
だからこの力の強い方が
勝っていいというのがですね
宗教的にも認められてて
何でかっていうと
例えばキリスト教ですと 神様が全権を持ってる
神様は一人一人の行動で
今日あいつはあくびをした
今日サボったって全部知ってる
その神様が戦争に勝たせてくれるわけですから
ですから戦争に行く時に
神よと祈って戦争に行くんですね
神様の加護があれば
戦争に勝てるということで
戦争を行うこと 戦争に勝つこと
正義は自分の正義なんですが
そういうことは
全部認められてたわけですね
八幡太郎
日本でも八幡太郎義家が
戦争に行く時には 神社にお参りして
神の加護を乞うて戦に行く
だから必ず戦っていうのは宗教とくっついてるし
神様は勝つほうに応援する
だから宗教は邪悪でない
戦争は悲惨ではない
だから戦争は悲惨だから
平和にしようっていうのは駄目なんですよ
いやこれね 駄目だっていうか
そういう風に言ってるその気持ちはわかりますよ
気持ちはわかるけれども効果がないんです
それはそれを聞いた人はね 心の中で
それはそう言うけどねと
だけど正義のために剣がとれ
独立戦争はみんな正しいんだ
そんなね
戦争はやっちゃいけないなんて言ったって
それは寝言にすぎないよと
人間っていうものをよくわかってないよと
こういう風に心の中で思っちゃうわけなので
それでここで 私は戦争の三段階論
平和の三段階論って言ってるわけですね
戦争はまず無抵抗な人
向こうが刀は思ってない時に 武器を持ってない時に
こっちが殺しちゃいけないってことなんですよ
これはもうね つい最近
1948年まで認められてた
だから人間がもし進歩してるならですね
まず第一に平和の第一報ですね
なんといっても丸腰を撃たない
これだけを国際的に協定しようと
これならできるでしょうね
これを国連で
日本の国連代表が演説するんですよ
我々は丸腰を撃たないようにしようと
丸腰を撃つ準備をしている人は
丸腰はやめよう これだったらね
僕は粗方の国際世論を得られる
それを頑張って日本の丸腰政策と言って
はっきりと打ち出すことが大切だと思っています
2022年2月10日 (ヒバリクラブ)
#武田邦彦 先生