2022/02/20

日本の防衛 ・・・(付録)戦争は悲惨ではなかった   正義のために剣をとれ! (武田邦彦先生)




本日の収穫(3490文字) 

日本の防衛でちょっと付録をですね 一つ
戦争は悲惨ではなかったと
これはですね ちょっと今の日本っていうのは
色んな点で面白い
面白いっていうか変なんですよね
なんか誰かが戦争は悲惨だっていうとですね
もう戦争が本当に
悲惨だったかなんて言おうもんならね
お前は何でそんな常識を
知らないんだ なんて言われてね
もう散々な目に遭っちゃうから
みんな黙っちゃうんですよ
そうすると もうそれが定着しちゃって
間違えでも何でも
それで行くってことになっちゃうんですね
実は戦争は悲惨ではなかったんですね
ここに関ヶ原の屏風絵を
ちょっと張ったんですけどね
こういった関ヶ原の戦いみたいな
超有名な戦いはですね
皆さんもこういった屏風絵とかそういうのを
見たことあると思うんですけども
街の中で戦争するってことまずないんですよ
それで野原でやるんですね
できるだけ人のいない野原でやるんですよ
これはヨーロッパでも基本的にはそうなんですね
ワーテルローの戦いなんて
大体平原の丘陵地でやるんですね
わざわざそこでやるんですよ
これは川中島の戦いでもそうなんですね
それからお城攻めだと
どうしてもお城になりますからね
お城攻めだと
例えば小田原城の攻めって事になりますと
小田原城の近くの民家の人たちは
そこを立ち退く必要があるんですね
いずれにしてもですね 市民とか女性子供を狙って
戦争なんか絶対しないんですよ
これはいつまで続いたかっていったら
実はゲルニカまでなんですね
ここにゲルニカの絵も張ったんですけどね
ゲルニカってのは 確か1938年
その頃のヨーロッパはですね
ようやくなドイツが
第一次世界大戦の敗戦からの痛手から回復しましてね
ナチスドイツが現れて
ヒットラーが首相になってですね
それで軍備を増強するという
そういう状態ですね 間もなく戦争ですね
スペインではですね フランコ政権という
軍人をトップにしたですね フランコ総統ですね
だから両方とも その頃はナチスとかですね
それからイタリアではムッソリーニ
スペインではフランコっていうんですね
まぁ独裁者が出てきて
それで支配するというなんかになったんですね
ヨーロッパも我々の目から見れば
民主主義であったり
先回ウェストファリア条約1648年
その頃から国際条約なんかもあってですね
そういう風に進歩はしてる つまり
ヨーロッパっていうのは戦争ばっかしてますからね
戦争は長けているんですよ
日本の文化人でヨーロッパが戦争が長けているので
文化も優れていると思うんですけど
文化はそんな優れてないんですよ
まぁね勿論
植民地の上がりで豊かな生活してましたから
文学とか音楽とか そういうのは絵画とかは
随分先端行ったんですけど
それもやっぱり王侯貴族のためのものであって
必ずしも芸術一本とも言えないんですね
そこら辺の悪口は別にしてですね
このゲルニカっていうのは
1938年 フランコ総統が
スペインの北部の
ゲルニカっていう都市があったんですけど
そこにですね そこは
反政府の巣窟みたいなところだったんですね
そこを攻撃しようと
しかしスペインの兵隊出すと面倒くさいから
ヒットラーに頼んで
ヒットラーにゲルニカの爆撃を頼んだんですよ
そしたらヒットラーが ちょうど空軍を
一生懸命作ってた頃ですから
よし試しに空爆やってみようっていうことでですね
それでドイツからこの爆撃機が
ばーっと飛び立ってですね
まっすぐゲルニカ
スペインの北のゲルニカまで行ったわけです
フランスの上空を通ってですね
そして爆撃したわけです
その下には市民がいたわけですね
だからこの時初めて女子供って言ったら
ちょっと差別的になるんですが女子供
つまり戦う意思のないのを殺したわけです
絨毯爆撃 無差別爆撃
これが本格的な無差別爆撃としては
世界で初めて ゲルニカですね
それをピカソがですね
確か万博かなんかに向けてですね
ゲルニカの悲惨さを絵を描いたと
これが非常に有名になったと
この絵は牛というのがですね
擬人的に攻撃する側ですね
馬っていうのが 擬人的には
悲惨な目に遭う方っていうことで
その他に涙を流す女性とかですね
いっぱいいました
この絵は至急描いたこともあって
あんまり最初の出来が良くなかったんで
ピカソが何回も何回も
描き直したりなんかしまして
今では名画中の名画なんですが
これがですね
悲惨な戦争っての始まった最初だったんですよ
つまり1938年が人類史上初めて
戦争が悲惨になったんですよ
だからこれは戦争が悲惨なんじゃなくて
戦争のやり方が悲惨になったんですよ
それは毒ガス使ったり生物兵器使ったりですね
原爆を落としたり そういうその
無抵抗の人たちを殺すっていうことが起きたのは
この1938年のナチスドイツの空爆なんですよ
その後それをアメリカが受けて
ドイツにはニュルンベルグの爆撃やらですね
日本には東京空襲とかあってですね
最終的には広島長崎に原爆を落とすと
これはね もう戦争じゃないんです
これは虐殺なんですよ
かつては戦争っていうのは
必ず兵士が絶対に民間人を巻き込まないように
派手な軍服着てたんですよ
ワーテルローの時も
みんな派手な軍服着てたんですね
それは派手な軍服を着るのは
なぜかって言うとですね
市民と間違えないためなんですよ
戦争はあくまでもゲームなんですね
ゲームなんですよ
また戦争っていうのは難しいんですね
正義のために剣をとれっていうのあるわけですよ
これはね 戦争が悪いことでは
なかったってことなんです
戦うことはな正義のためなんだから いいんだ
正義のために剣をとれっていうのは
立派なことだったんですよ
ところがね ちょっとこれ雑談で
今日は付録ですけど雑談しますとね
正義のために剣をとれっていうのは正しいんですよ
祖国を守るために剣をとれ
ただ正義のためにやる行為は地獄に通じる
これなぜかって言うとですね
正義っていうのは
その正義だと思う人 ここで言えば
剣をとる人が正義だと思ってるだけで
相手は自分が正義だと思ってるんですよ
正義っていうのはですね
人によって違うんですね
ですから正義のために
剣をとってはいけないという
正義のために
相手を刺してはいけないというのもあるんですよ
正義のためってのは一体何なんだと
例えば関ヶ原で徳川方と
石田三成っていうか豊臣方が戦いますね
西軍東軍 どっちが正しい
どっちが正義だなんてことないんですよ
徳川側には徳川の正義があり
豊臣側には豊臣の正義があるわけですよ
だから戦争は悲惨でもなく
正義のために剣をとった
ただ正義が はっきりしないって
いうことなんですよね
現在だったら中国共産党とチベットの抵抗運動
これは両方とも正義なんですよ
ただこの正義がどっちが勝つかっていったら
力の強い方が勝つっていうのが戦争なんです
だからこの力の強い方が
勝っていいというのがですね
宗教的にも認められてて
何でかっていうと
例えばキリスト教ですと 神様が全権を持ってる
神様は一人一人の行動で
今日あいつはあくびをした
今日サボったって全部知ってる
その神様が戦争に勝たせてくれるわけですから
ですから戦争に行く時に
神よと祈って戦争に行くんですね
神様の加護があれば
戦争に勝てるということで
戦争を行うこと 戦争に勝つこと
正義は自分の正義なんですが
そういうことは
全部認められてたわけですね
八幡太郎
日本でも八幡太郎義家が
戦争に行く時には 神社にお参りして
神の加護を乞うて戦に行く
だから必ず戦っていうのは宗教とくっついてるし
神様は勝つほうに応援する
だから宗教は邪悪でない
戦争は悲惨ではない
だから戦争は悲惨だから
平和にしようっていうのは駄目なんですよ
いやこれね 駄目だっていうか
そういう風に言ってるその気持ちはわかりますよ
気持ちはわかるけれども効果がないんです
それはそれを聞いた人はね 心の中で
それはそう言うけどねと
だけど正義のために剣がとれ
独立戦争はみんな正しいんだ
そんなね
戦争はやっちゃいけないなんて言ったって
それは寝言にすぎないよと
人間っていうものをよくわかってないよと
こういう風に心の中で思っちゃうわけなので
それでここで 私は戦争の三段階論
平和の三段階論って言ってるわけですね
戦争はまず無抵抗な人
向こうが刀は思ってない時に 武器を持ってない時に
こっちが殺しちゃいけないってことなんですよ
これはもうね つい最近
1948年まで認められてた
だから人間がもし進歩してるならですね
まず第一に平和の第一報ですね
なんといっても丸腰を撃たない
これだけを国際的に協定しようと
これならできるでしょうね
これを国連で
日本の国連代表が演説するんですよ
我々は丸腰を撃たないようにしようと
丸腰を撃つ準備をしている人は
丸腰はやめよう これだったらね
僕は粗方の国際世論を得られる
それを頑張って日本の丸腰政策と言って
はっきりと打ち出すことが大切だと思っています

2022年2月10日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

2022/02/19

日本の防衛 ・・・(1)平和への三段階論  ウェストファリアからの脱却  (武田邦彦先生)




本日の収穫(3415文字) 

現在の日本にですね
不安を抱いている人って非常に多いんですよね
とにかく国会はもう本当にまともな議論はないし
それから色んな疫病なんかに対しては
もう理屈に合わない政策が次々出てきますしね
学校もいじめがある
職場の人間関係もうまくいかない
一体どうしたんだっていうんで
まぁその新しい日本の考え方をですね
このブログで順序よく正月から出してるんですが
やっと本命になったんです 本命になるまで
大体四十回ぐらい必要でしたね
しかし日本というものがどういうものか
日本の教育がどこがまずいのか
っていうようなことを
最初にちょっとお話しとかないとですね
最初から防衛とか
それから日本の憲法とかに行きますとね
それは中々やっぱり裾がありますから
大変なんですね
こういったその話は中々難しくて
裾の方から行けば
何で裾ばっかやってんのって言われるし
メインに行くとメインの重要な問題ってのは
裾が物凄い広いもんですからね 中々難しいわけで
中間をとって四十日ぐらい
色々周辺をやりましてね
それから今日から本丸に突撃ということなんですね
日本の防衛ですね
防衛と外交でちょっと違いますので
一応ここで防衛と外交とを分けております
経済・防衛・外交・経済・国体
みたいなものが一番重要ですのでですね
その防衛の1ですね 平和への三段階論
平和運動してる人に
悪口を言うわけじゃないんですが
実はですね この日本の
今の日本の大きな間違いはですね
戦争は悲惨なものではないっていうことなんですよ
それはね
戦争をやめさせなきゃいけないっていうのはね
ちょっと目標が高すぎるんですね
残酷な悲惨な戦争をやめさせなきゃいけないと
これはですね 割合手前にあるんですよ
近くにあるんですね
ですから平和運動してる人に
是非お願いしたいんですが
戦争は悲惨なものであるっていう言い方はですね
ちょっと間違っておりましてね
これが平和に害をなすということじゃないんですが
錯覚をさせますね
元々戦争っていうのは
残酷じゃありませんでした
それは次回に詳しくご説明しますが
平和への三段階論というのはですね
やっぱり平和を求める心っていうのはもう
人間が生まれてからっていうかですね
年を作ってからどんなに少なくいっても
紀元前五千年ぐらいには
もうそういう考えがあってですね
何とかして平和な社会を
築こうとしたんですけどね
上手くいかないんですよ
それはね もう紀元前五千年ぐらいから
戦争に戦争を重ねたわけですね
ですからそういう心は勿論あるんですよ
身近な人がどんどん死んでいきますから
ところがやめられない
そこで最初のその本格的な試みがですね
ヨーロッパのウエストファリア条約だったんです
これは1648年ですからね
1600年ですから
今から400年ぐらい前のことなんですね
これは悲惨なですね
ヨーロッパ人ってもの凄く戦争が好きなんですよ
よくあの日本は侵略的だっていうけど
日本なんか全然侵略的じゃなくて
日本って本当平和国家なんですよ
この二千年を見ればですよ
平和国家なんですよ
ヨーロッパっていうのは非常に闘争的なんですね
だから もう闘争に闘争
戦争に戦争を重ねてね
ウエストファリア条約が結ばれた時は
三十年戦争っていうのがドイツを中心にありまして
これも悲惨だったもんですからね
ですからもう戦争止めようやっていって
ウエストファリア条約
これが人類が考えた
平和への第一歩っていう感じだったんですね
そこでの結論はですね
皆さんこう平和運動なんかやってる方は
非常に違和感が感じられると思うんですけども
人間の知恵っていうのはですね
やっぱり戦争を止めるということは
戦争の多い国を参考にしたらいいんですよね
結局だけど勢力均衡なんです
それはまぁ考えてみれば当たり前でですね
二つの国が戦争する時はどっちかが強くて
どっちかが弱いと戦争になるんですよ
ところが勢力が軍力が軍事力が
均衡していると戦争にならないんですね
最近の世界を見てもそうですよ 戦後のね
アメリカとソビエトは戦争してないんですよ
やっぱり勢力が均衡してますからね
アメリカと中国や
ソビエトと中国もあんまりしなかったんですよ
ところがアメリカが戦争した
相手っていうとね 戦後ですとね
やっぱりベトナムとか あの何ですかね
シリアとかイラクとか
そういうとこなんですよ
それはどうして
それは戦争になるかっていったら
アメリカに対して相手の国が極めて弱いか
弱いと思われるので戦争になるんですね
やっぱり戦争って人間がやりますからね
自分が死ぬと思うとやりたくないんですよ
ですから中国が戦後に占領した
中国っていうのは 今の中国共産党って
なんか間違ってるんですけどね
他の国を占領しちゃったのは
戦後占領したのは中国だけなんですね
中国共産党っていうんですか
チベットでしょ
ウイグル・モンゴルの南半分
満州さらにベトナムも占領しようと思って
1978年にベトナムに侵攻する
現在は台湾を取ってしまおうと
思っているわけですね
だからこれも当然なんですが
中国共産党が攻撃して侵略して
戦争で侵略して取った国は
全部中国と比べ物にならないぐらい
弱い国なんです
ベトナムにうっかり行きましたね
ベトナム強かったもんですから
すぐ引き揚げたと
こういうことになるんですね
ウエストファリア条約って
それを言ってるわけですよ
もう戦争やめよう
戦争やめようと思ったけど
止まらない じゃあ
事前の策として何がいいかっていったら
勢力均衡なんですよ
大国を作っちゃいけないってことなんですね
ドイツと戦われた
隣のポーランド・オーストリア あの当時ね
ポーランド・オーストリア・フランス・デンマーク
ここら辺がですね
もしもドイツと同じぐらいの軍事力なら
双方を牽制して攻めないんですよ
これもね 欠陥がありますよ
勿論欠陥があります
1648年にやっとそこまで来たんですね
それで これから日本はですね
日本の防衛っていうのは
世界が平和になれば防衛は良くなりますからね
日本の防衛は世界平和が
達成されることなんですが
平和はどうしても三段階いるんですよ
第一段階は残虐な戦争を
しないということなんですよね
残虐な戦争をしない
これは簡単なんですね
誰でも納得するんですが
丸腰の相手を撃たないっていうことなんですよ
丸腰の相手を撃たないっていうのはですね
自分の目の前に小学校の男の子が
何も持ってないで立ってる
それに対して銃を構えて
撃ち殺す兵士っていうのはそれほどいないんですよ
ほとんどいないんです
それはやっぱりよくないことなんですね
だから現在でも化学兵器とか生物兵器といった
無差別な殺戮は止めることになってるんですよ
だからこれは現実的にできるんですよ
まず丸腰を撃たない
丸腰を撃たないっていうのはね
これは非常に重要で
これは合意が取れるわけですよ
戦争を平和にするためにまず
合意が取れるものから行かなきゃならない
それが第一段階ですね
第二段階は自分の領土を広げるために
戦争はしないということなんですよ
自分の領土を広げるための戦争はしない
これしますとね 中国は
チベット・ウイグルは返さなきゃいけないですね
だから台湾にも侵攻できません
自分の領土を広げるために
軍事力は使わないっていうことですね
これが第二段階です
だから日本はそれを宣言する必要あるんですね
第一段階の丸腰の人は撃たない
日本は絶対丸腰を撃ちませんよ
第二番目
日本は現在 日本の領土から外に出ませんと
係争してるところですね
北方四島それから韓国との論争
それから中国との論争
そういった周辺は必ず発生しますから
アルザス=ロレーヌじゃないですけども
必ず発生しますから
そこはペンディングで置いておくと
これはもう歴史的にいいんですね
そのペンディングのところ以外はもう出ませんと
はっきりと宣言するということですね
そして三番目が平和を求めましょう
日本国憲法のように
各国の信頼を信じて平和に行きましょう
だから必ず三段階ですね
ですから平和への祈りとかですね
平和のことをお話しする先生のことを
お話しするという努力もいいんですけれども
それは人類ですね
七千年ぐらいやってきて失敗してるんですね
ですからやっぱり我々は
1648年のウエストファリア
ぐらいから行った方がいい
まず勢力均衡だと
できるだけ勢力均衡にする
それから丸腰の相手を撃たないとすると
それから領土を増やすのに
軍力を使わないっていうこと
そして平和と こういうことが
まず基本的な日本の政策としてですね
決めなければいけないと思います
これはもう政策で議論と 国民の議論と政策で
平和の三段階っていうのを
はっきりと意識しなきゃいけないと思います

2022年2月9日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

お知らせ

ご迷惑になるかもしれませんので
参議院選挙が終わるまでは
T先生の文字起こしが日課です
にプロフィールを変更します。
頑張れ‼ 参政党。

#武田邦彦 #吉野敏明 #赤尾由美 #松田学 #神谷宗幣 #参政党

2022/02/18

日本が世界一! 技術  ・・・(4)技術者の概念の復活  建築と技術伝統の崩壊  所得と医師の倫理 (武田邦彦先生)




本日の収穫(3338文字) 

技術の政策についてですね  話してみますと
いろいろやっぱり
難しいことがあるっていうことがわかりましてね
この四回目で一応の区切りをつけますが
やっぱり日本の技術が良かったのはですね
日本人が技術自体の
心を持ってるってこともあるんですが
能力持ってるってこともあるんだけど
それ以外に日本の社会体制がですね
技術者を保護するような方向で
つまり技術が日本の
非常に重要な因って来たるところなんだと
モンゴルが攻めてきても技術で勝てる
植民地にならなかった
スペイン・ポルトガルが来ても
ポルトガルから鉄砲は知ったんだけど
それを凌駕する鉄砲ができる
というですね そういう様な
それで植民地を防ぐと
そういう様なそのことなんですね
明治時代でもそうなんですね
明治時代の時ですね
やはり日本は
技術立国であるという意識がありましてね
そのために大鳥圭介が演説をして東京大学工学部
それから東京大学の中に西洋美術を入れて
西洋美術で製図学を学ぶというようなですね
非常に はっきりとした政策があったんですね
もう一つはですね 日本の技術が進んだのは
やっぱり大工の棟梁制度とかですね
寿司屋の専門家制度というようなものがですね
日本の技術をカバーしたんですよね
育てていったんです
それで明治時代に入ってもですね
技術職を出た人間は生涯賃金が
事務系よりか十パーセント高くなるように
政府指導で設計されておりましたね
ですから技術関係の大学行くにはですね
ちょっと高いんですよ 授業料が
今でも多分ですね 技術系の大学行くんだったら
年に八十万ぐらいかかるのが
事務系だったら五十万ぐらいとかですね
やっぱり平均して事務系の方が安いんですね
だからそれに応じて
やっぱり給料高くせんといかん
今は逆になってますね
最初のうちは技術系の事務系の会社に入って
二十年ぐらい一緒なんですけど
それからやっぱり事務系の方が
平均賃金が上がってくるんですね
ですから社会体制全体もこれ政治の力でですね
技術者が日本のやっぱり生命線である
ってことをはっきりしてですね
そして技術者の
概念の復活をしなければいけないと思います
それの一番典型的なものが
建築士と医師にあらわれていますね
建築士はですね
昔は日本は棟梁と言いましてですね
それで技術の伝統が守られておりました
どういうのかっていうとですね
例えば家を建てる時に棟梁に頼む時に
四畳半を作ってくれとか
六畳を作ってくれとかですね
外見はこうしてください
なんて言わないんですよ
言わないのはどういう風に
言うかっていったらですね
自分はこういう人生を送りたい
こういうような考えを持ってる
夫婦の間はこういう夫婦でありたい
子供の教育はこうしたいと棟梁に言うんですよ
今は違いますよね
間取りだとかそういうのを詳しく言いますね
違うんですね 棟梁が専門家なんですよ
そうすると棟梁がわかったと
じゃあ あなたの人生を幸福に過ごすための家を
自分が作りましょうということなんですよ
それで これ全然考えが違いますよね
それで山に木を見に行って
自分がその依頼人のことを
達成できるような木を選んできて
それで切り出して家を作ると
こういうことなんですね
この技術者の専門知識を
十二分に生かすっていう点ではですね
建築士ばかりじゃなくて
寿司屋の職人もそうなんですね
基本的には寿司屋に行きますとね
これはまだ日本の伝統が生きてるんですけども
大将握ってくれよって言えばいいんです
そうすると大将はですね いつも来る客なんで
顔つきだとか食べ方を見ながらですね
今日その人がどのくらいの魚を
どのくらい食べたいかっていうことが
それがその寿司屋の職人の技術なんですよ
だから発展するんです
だから包丁の捌き方も素晴らしくなるんですね
それから自分の技術に対する
信念が非常に高いんで
まかり間違っても寿司屋の職人がですね
自分が使ってる包丁で
人を殺めたりはしないんですよ っていうのは
彼にとっては 寿司屋の職人にとって
包丁はもう本当に
ものすごく神聖なものなんですね
そういう一連の社会もそういう風に見る
それから本人もそう思ってるっていうのが
実は日本の技術の素晴らしさを
支えておりました
ところが建築についてはですね
棟梁のそういう立派さですね
いや間取りは俺が決めるんだと
間取りなんつうのは言ってもらっては困るんだ
俺は専門家なんだと いうような意識が
明治の初めに駄目になってですね
設計と施行が分離されちゃったんですよ
設計する人は設計 施工する人は施工
それで今はもう
建築の専門の先生でもですね 学生にですね
クライアントつまり
依頼主の要求に合うようにというような
教育をしてる場合もあるんですね
これは実はヨーロッパは
昔そうだったんですけど
ヨーロッパは日本のものを真似てですね
現在では Architect
アメリカでですね
二万人ぐらいしかいないんですよ
一級建築士は二十五万ぐらいいるんですね
これはなぜかっていったら
アメリカはまだですね
建築史が専門家なんですよ
だから専門家だから街並みを考えて
その人の希望を聞くんです
だからアメリカとかフランスの方が逆にですね
日本よりかは街並みが揃ってるんですよ
日本の古い街並みはみんな揃ってますよね
あれは棟梁がですね
その人の生活全体を考えるわけですよ
その人も家の中だけで生活してるわけじゃなくて
依頼主ですね 外にも出るんですよ
外に出た時に道路から街並みが
綺麗に見えなきゃいけないですね
だから日本の街並みっていうのは
棟梁がやりましたから
今だったら 例えば有名なところでは
倉敷の川のほとりとかですね
杵築だったかな なんかの武家屋敷の跡とか
そういうのを見ると非常に揃ってますね
これは棟梁が
専門家であったっていうことなんですよ
それから医師もそうですね
病気だからっていって
医師に注射を打ってくださいとか
あの注射を打ってください
あの薬を出してくださいって言わないんですね
症状を言うだけなんですよ
症状を言って希望はいいますね
そうすると医師が自分の判断で
この病気は多分こうだ
注射を打つ必要があるか
薬を出す必要があるかと考えるわけですね
だからヒポクラテスの
ギリシャの時代からそうなんですが
医師とか建築士とか
もちろんこれは会社の技術者もそうだし
広く言えばタクシーの運転手とか
それから寿司の職人とかですね
日本流の技術という
技術者の待遇とか考え方があるわけですね
ところが最近は建築士はですね
クライアントの言うことを聞いてしまう
医師は今度の
色んな疫病なんかについても同じですね
医師は所得のことを収入だけ考える
大体元々医者になろうっていうのが
将来儲かるから医者になろうっていうんで
医学の大学の偏差値が
高くなったりしているわけですから
そういう点ではですね やっぱり通常の
技術者の十パーセント増ぐらいに決めて
あと寿司屋の職人とか
タクシーの運転手も含めてですね
建築士 医師そういうところの人たちがですね
クライアントの希望はですね
本当に人生の希望を聞く
病気を治してくれということは言うんだけど
何を具体的に注射を打ってくれ
どの薬をくれってことは言わないと
これがですね やっぱり日本が
実は日本が育てた専門家の技術を
日本の技術を高めた
大きなソフト面での制度なんですよ
これをですね もう一回これはね
ドイツでは ヨーロッパですとドイツですね
ギルド制度 このギルド制度っていうのは
非常に似てるんですね
例えば大学教授ですと
大学教授は教授会が選任するんですね
だから学長とか理事長でも
大学教授を首にすることができない
医師もそうですね
医師も医師会が何かの決定すればできる
だけど雇い主の 例えば病院の理事長が医師を
高い薬を使ってくれないから
解雇するっていうことはできない
この専門職の身分保障と
それから仲間が認めていること
いうことはやっぱりドイツなんかは
やっぱり日本と一緒にですね
世界における技術は
非常に誇るべきものがあるんですが
日本人そのものが技術に対して良いと
それから社会的にも待遇が受けられると
そこに政府も注力をすると それから最後は
技術者自身の社会的な位置付けとか
待遇とか考え方
そういったものが相まってですね
やっぱり日本が技術が冠たるものになるわけで
非常にこの浅い考えで ただ技術が
良ければいいやというようなことではですね
やっぱりそれは 技術ってのは一人一人の
技術者のレベルが問題になりますからね
そこが重要なことだと思います

2022年2月8日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

2022/02/17

日本が世界一! 技術立国 ・・・(3)英語教育と電気・機械 (武田邦彦先生)




本日の収穫(3651文字) 

技術政策っていうとですね
何かこう全然他の政策とは違うようなことを
考えなきゃいけないという風に思いますが
技術政策であってもですね
技術政策ってのは本当
日本の産業を支配しますから
例えば1990年にリサイクルの技術を取るか
GAFAの技術 ITソフトを取るか
ITハードを取るかっていう
選択で日本は間違ってですね
我々の所得がこの三十年間変わらなかったっていう
悲惨な状態になったわけですね
その技術の政策を決める時に
どういう事を
考えなきゃいけないかということですね
一つはもう既に述べましたけども
世界的に技術ってのは六十年ぐらいで
陳腐化するというようなことですね
これは基本的なことなわけですけど
技術を考える時はですね
それからものづくりといっても旋盤で削ったり
表面を磨いたりすることだけではなくて
やはりソフト
そのソフトっていってもですね
色んなソフトがあるんですが
少なくともITソフトっていうのは
ものづくりと同じなんですね
ですからものづくりというような言葉に
ごまかされないというようなこともありますし
また日本人の特性ですね
頭脳の特性というものを生かす
これは男女の問題とか色々複雑に
絡んでくるんで難しいんですけども
もちろん女性にも男性にも門戸は開くんですよ
だけれども英語・語学はもう
圧倒的に女性が強いんですよ
それから電気機械は圧倒的に男性が強いんですよ
これはね 別にあの男女共同参画とか
男女同権と全く関係ないことなんですね
これは何で女性におっぱいが
付いてるんだっていうようなもんでですね
そんなこといったって
胸とかなんかはですね 見たらわかりますが
英語教育の頭とか
電気機械の頭っていうのは
頭の中の構造なもんですからね
ちょっと見ても
わかりにくいっていうことがあるんですが
語学はもう圧倒的に女性なんですよ
これはもう 小さい頃から語学は発達し
何しろ私なんかテニスやってましてね
テニスは時々やってると
ボール拾いの時間になるんですけども
ボール拾いの時間になって ボールを拾いながら
喋っている男性は一人もいません
よっぽど変わってる男性が
ちょっと話すことはあってもですね 話しません
女性はですね
ボール拾いをしながら喋り通しです
それはやっぱりね
子どもを教育するという意味で
育てるっていう意味で
お母さんの言語で子供が育つわけですから
だからそれは おっぱいが付いてるのと
同じことなんですよね
それから電気機械っていうのはですね
これは中学校から高等学校ぐらいで
女性に電気機械を教えた人は
よくわかると思うんですけどね
どうしても女子学生は女子高校生とか
女子中学生わからないんですよ
非常に丁寧に電気も機械も
機械っていうのは空間的なものですね
メカニズムを説明してもですね
なんか頭に入らない感じなんですよ
ところがね
男子中学生 男子高校生はね
よくわかる方はぱっとわかります
学生はですね ぱっとわかります
ところがそういう学生は今度はですね
英語はもう全然できないんですよ
ですから これはこれでいいんですよね 別に
私はいつも思うんですけどね
スポーツっていうと百メートルであれ
三千メートル・マラソンという風に人が違うんですよ
バレーボール・野球みんな違うんですよ
だからそれでいいんですよね
別にその みんながですね
スポーツっていったら
百メートルから千五百メートルからですね
一万メートルから全部走る
そしてバレーボールも何でもできるっていうそれは
十種競技とか五種競技っていうのありますけどね
だけども単発いいんですよ
僕はね 勉強でもそうだと思うんです
勿論音楽だとか 音楽だって
ピアノとかバイオリンとか
声楽とかあるんですよね
絵だってそうなんですよ
ですから勉強もですね
英語ができる子は英語をやればいいし
電気機械の子は電気機械やればいいんですよ
それは別にどうってことないんですね
私がね 私はどっちかっていうと
電気機械はぱっとわかるんですよ
ところが やっぱりね
語学はそんなに上手くないんですね
だから四十ちょっと過ぎぐらいまではね
私は外国行く時に
一生懸命自分で会議やったりしまして
そうしないとなんか日本から行って
なんか日本語しか喋れないっていうと
いけないような感じがして
英語喋るんですよ 片言 片言で
そうするとだんだんだんだん
向こうと議論が深くなってきて
一日行って四時間ぐらい向こうと会議する
なんてことあるわけですね
やっぱり僕が英語を喋るとね
理解は完全じゃないんです
そこである時から通訳をですね
一緒に行ってもらうことにする
そうすると通訳の人は
今度は電気機械できないんですけれども
英語と日本語が堪能なんですよ
ですから僕とその通訳とがセットになったらですね
ものすごくいいんですね
そういうもんじゃないかと思うんですよ
それで最近小学校の低学年から
英語の教育が始まりましたね
もちろん英語が同時通訳のITができるのは
まもなくでしょうけど そういうこと以外にね
人間っていうのは英語の上手い人には
英語で働く場所
電気機械のいい人は 電気機械の働く場所
っていうのがいるんじゃないかと思うんですね
ですからこの英語教育が盛んになった時の
色んな決め方を見ますとね
やっぱり文科系の人が指導的だったんですね
文科系だったらやっぱり
英語が必要かもしれません
だけども全員が文科系じゃないんですよ
日本の収益になるものが技術だとしたらですよ
やっぱり英語教育を
小学生に全員にさせるっていうことはですね
やっぱり問題だと思います
もう一つはやっぱり英語教育を重点を置く時に
裏に利権が強かったような感じもするんですね
英語教育を盛んにすると
儲かるところがどこどこだと
それが自民党の議員に工作をするっていうような
ケースもあったんですよね
だけどやっぱり そうですねこれやっぱり
日本が世界一という中にはですね
日本人が国のことを考えて
自分の利得を考えなかったっていう
その日本人のいいところがあるわけですね
やっぱり精神的にそれも
やっぱりこれから少しずつ少しずつ
我々日本人はご飯と味噌汁とおつゆと
魚がちょっとあればいいと
人間が日本人として生きていく価値はですね
やっぱり自分が日本に貢献すると 絡合ですね
それが大切なんだっていう教育をし
日本人が日本人は元々
そういう気質を持ってますからね
ですから そういう気質を
育てるだけでいいわけで
無理やり教育する必要もないんですよね
だから英語教育と電気機械という意味では
脳の構造の問題もありですね
これは少しずつ少しずつ
脳科学なんか進歩してくれば
そういうことがわかると思うんですね
だけどここで言いたいのは
やはりこれ教育の問題もあります
技術の問題もあります
日本人はどれもこれも優秀でなくてもいい
それぞれであればいい
それから英語教育が重要なのは分野に限る
むしろですね 日本の技術が良かった
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたですね
1960年とか1980年においては
むしろ日本人が
英語が下手だっていうことが良かったですね
どうしてかっていうとですね
英語が上手い人はね
しょっちゅう外国行ったりするんですよ
そしたらやっぱり
往復の飛行機は結構大変ですしね
それから向こうでの生活も大変です
ところが日本でずっと生活してれば
技術屋は非常に時間が自由になるんですよ
それで自分の研究に没頭できるんですね
ですから日本人の英語力が弱くて
特に電気機械の人たちが英語が不得意だから
できるだけ外国に行きたくなかった
そのことがですね
むしろ日本の技術を発達させたんですね
政治っていうのはそういう複雑なことを
考えながらやっていくっていうのが
政治だと 僕は思うんですね
その意味で英語教育と
電気機械の教育っていうのは
ほんのその教育のうちの一部なんですけどね
やはりある国の技術を 政策を決める時はですね
今みたいに
今はどういう形で決まってるかっていうと
もう英語教育を盛んにしようっていうのは
二三人のなんか文部省の役人と親しい人とか
産業界の経団連なんかと親しい人が
ちょこちょこっと話をしてですね
いや英語教育が必要だ
日本人は英語が弱いからね
やっぱり駄目だねっていうような
程度で決まるんですよ
後はそれに にくづきを付けるだけなんで
それでそこで 何にも
ディスカッションがないんですね
参政党のような政党が出てくればですね
みんなが政治に参加する
つまり英語教育の良さも
英語教育の悪さもちゃんと表に出して
英語教育を盛んにしたら 利得が取れる人と
どのぐらい取れるのかっていうようなことも
オープンに言ってですね
そして本当に日本は
電気機械を潰して英語の方が大切なのか
やっぱりね 私は
英語教育これだけしたことによってね
日本の電気機械の技術は下がると思うんですよ
その電気機械の技術が下がればね
現在トップである 例えば自動車だとか
それからこれからトップに
ならなきゃいけない自動的な色んなものとかね
それからその生活に関係するITソフト技術
こういったやつはもう 発破を掛ければ
日本の技術者は本当に優れているんですけど
英語教育をあんまりしたらね
私は駄目なんじゃないか
政策を決める時に本当に
日本のためということを表に置かないとですね
やっぱり失敗するんではないかと思います 

2022年2月7日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

2022/02/16

【炉端の話】どこまで脅すの? そこまでお金が欲しい? (武田邦彦先生)


動画はrumbleにUPします。こちら

本日の収穫(4036文字) 

物事っていうのはですね
論理的っていいますか
頭で一つ一つ組み立てるように考える
癖みたいなのできますとね
中々暇な手持無沙汰ってのがなくなるんですね
私なんかこう歩いてる時とか
特に歩いてる時は足の裏を刺激されるので
脳が働くといわれますね
ヨーロッパのことを言うのはなんなんですが
哲学者のカントなんていうのは
決まったように散歩をしながら
頭の中を整理したようですけど
そういう感じがしますよね
それから現代のあれですと 駅まで歩いていく
駅まで十分ぐらいたつと結構長いし
十五分というと非常に長いんですが
交通事故に遭わないように
しなきゃいけないんですが
何か考えながら行きますとですね
駅から少し家が離れてても
腹が立たないということになるわけですが
風邪ですね 今まだオミクロンがなんか
猛威を振るってるようにテレビで言っておりますが
よく風邪を引くっていうのがですね
お風呂に入った後 体が冷えるとか
寒いところにいるとかですね
それから役に立つのは
江戸時代ぐらいのその風邪薬なんていうのは
治療なんかあんまりない時
肺炎なんかなりやすい時はですね
その部屋の端の方で寝ると
風邪を引くっていうんですね
窓なんかありますから
当時は窓ったって がたぴしした
障子とか雨戸ぐらいだったんですけども
そうすると そこのところが冷える
今で言えば 窓のそばに寝るとですね
窓から冷気が降りてきて
その冷気で風邪を引くんですね
そういうのは普通に誰でも言われてて
私も昔そう思ってたんですけど
ある時におかしいなと思ったんですよね
風邪ってウイルスで起こるんですよね
ウイルスが喉につくから風邪を引く
だからコロナでもなんか距離を取れとか
マスクしろとか言ってるわけでしょう
そのマスクしろとか距離を取れっていうのは
どういうことかっていうとですね
自分の喉にはウイルスがいない
もしくは空気中にはウイルスがいない
だけど人 風邪を引いてる人から出る
ウイルスが自分に届くと
そこで風邪を引くっていうことですよね
もしも人がかかってるウイルスで
自分が風邪を引くんじゃなければ
距離なんか開けてもですね
空気中にウイルスがいるわけですから
風邪を引きますよね
だからそのー
風呂上がりで冷えたら風邪を引くとか
窓際に寝たら風邪を引くっていうのは
どういうことかなとこう思ったわけですよ
こういうことを思うのは
中々暇な時じゃなくちゃ駄目なんで
っていうのは 風邪を引かないように
したいなと思うことがありますよ
今コロナもそうですけど普通の時でも
なんか重要なことがある前とかね
そういう時には
風邪引きたくないってこう思うわけですよね
女性の方だったら
デートする前なんていう 前の前の前の日
三日ぐらい前に風邪引いたら
デートした時にしゅんしゅんと鼻がなってるから
嫌だなと思いますでしょう
そういう時に やっぱり
風邪引きたくないなと思うわけですよ
もちろん風邪には
今度ワクチンなんて言いますけど
風邪でワクチンを打った人って
いないと思うんですよね
あの今度はちょっと陰謀があって
ワクチンを打たせようとしてますけど
通常は風邪っていうのは ワクチンは
効かないっていうか意味がないんですね
ちょっとこれは別の機会に
風邪ではなぜワクチンが効いても
意味がないのかっていう話は
また別途にしたいと思うんですけれども
ということで考えておりましてね
ある時に お医者さんにちょっとそのての
お医者さんに聞いたらですね
いや風邪っていうのは 普段から
冬になると喉に付いてるんですよと
そう考えた方がいいんですよって
言った方がいいんですね 方がおられるんですよ
それで常に喉に発病する
ぎりぎりのウイルスがくっついていると
それで自分の体が弱ったら
その時に細胞の中に侵入したり繁殖したり
つまり免疫抵抗力が落ちた
抵抗力が落ちると風邪を引くっていうのは
どういうことかっていうと
自分の身の回りか もしくは喉にですね
ウイルスが常にいるので
これを常在ウイルスといったりもするらしいんですね
土着ウイルスと言ったりもするらしいんですが
いずれにしても常在ウイルスってのが一番
言い方としていいでしょうね
自分の部屋の中の空気の中とか
それから机の表面ですね
風邪っていうのは
別に空気伝染ばかりじゃないんですよ
飛沫伝染とか空気伝染とか
そういうのだけじゃなくて
表面からこう うつることが多いんですよね
ですから自分の机の上とか
自分の体力がある時に
たまたま風邪が感染してる
発症はしてないけど感染してる
感染してて家に帰ってきて
喋ったりすると自分の唾が机の上に着くでしょう
その時はウイルスが喉に付いてるんだけど
発症してないわけですよ 抵抗力があって
ところがその二三日
夜更かしして抵抗力が落ちたと
その机の上には まだウイルスが生きてると
手でそれを触ったりそれで口を触ったり
目を触ったりするので
そこで感染するっていうルートっていうのは
結構あるんじゃないかと思うんですね
いずれにしてもここで非常に新しい考え方
っていうか これは当たり前らしいんですけど
今度もう一回 専門家の方
本当の専門家の方に
私あったら聞いてみたいんですが
その風邪のウイルスは冬はいつも
自分の喉か自分の身の回り空気とか
机の上とかにいるんですかと
そうじゃないと寒い思いをしたら
風邪を引くっていうのはおかしいですねと
ウイルスがなくても ウイルスがいなくても
寒い思いをすると
風邪を引くみたいな気がするんですよ
だっていつもそう言ってますもんね
そんな冷えたら風邪引きますよ
ウイルスがどこにいるかっていうこと
言ってないですよね
だからマスクは効かないっていうのは
それかなと思ったりするんですけどね
今度の今の状態を見てみますと
オミクロン株っていうのはですね
恐らくもう今はですね ほとんど日本中に
いるんじゃないかと思うんですよ
そのいるっていうのは
その空気中にいるのか
物の表面の吊り革に入るのか
知りませんけどね
ちょっとそう思われるのがですね
オミクロンの感染者っていうのは
数が少ないんですよ
一日に十万人でしょう
十万人っていったら多いですっていったってね
日本人って一億人いるんですから
十万人っていうとですね
一千万人が十分の一
百万人が百分の一
一万人は千分の一ですからね
あー 十万人が千分の一ですから
千人に一人ぐらいが
風邪引いてるっていう感じなんですよ
とんでもなく少ないんで
何でそんなのNHKが
NHKばかりじゃないんですけども
放送したりですね
それから子供に
ワクチンを打たなきゃいけないのか
それからもう一個
凄く不思議なんですけどね
厚生労働省から重症者数っていうのと
死亡者数っていうのが発表されるんですね
普通に考えますとね
これはコロナの件ですよ
普通の風邪の件じゃなくて
重症してからしばらく病院に行ったりして
あえなく死亡するっていうわけですから
だから感染者が例えば十万人
そのうちの一パーセントが重症化するとすると
十万人の一パーセントですから千人
千人が重症になって
重症になったうちの百分の一ぐらいが
死ぬということになると1パーセント
0.1パーセントぐらいですからね 風邪は
その意味では十万人がいたら
その十万人の1パーセントで千人でしょ
0.1パーセントで百人ですから
百人死亡すると だから重症者が千人で
千人のうち十人に一人死んだとして
百人が死亡者だってなるのが普通ですね
ところがね オミクロン株は
元々重症者が少ないって言いますけど
今ではですね
大体感染者っていうか感染者が分かんないんで
発症者なのか感染者なのか
PCR陽性者なのか分かんないですけど
そう言われてる人が十万人でしょう
ところがね 重症者が五十人なんですよ
重症者が普通は千人ぐらいのはずなのに五十人
だからこれはお医者さんも言ってますよね
オミクロン株では ほとんど重症になりませんよ
そうするとね またね 心配性の人か
金を儲けたいと思ってる人か分からないんですよ
多分 金を貰ってるんだろうと思うんですよね
製薬会社とか色んなところから金を貰ってる
それから正義感が
間違った正義感溢れる人ですね
ごみを捨てちゃいけないなんていうのと一緒で
なんかこう錯覚してる人ですね
そういう人が それはオミクロンを
侮っちゃいけないとか言ってますけど
実際の厚生労働省の統計では
このもう一月の後半ね と二月の初旬の
この流行ってるオミクロンの流行ってるとこ見ても
患者さんが十万人
ところが重症者がね五十人なんですよ
だからもうないっていう感じなんですよね
風邪ではないんですよ
風邪っていうのはね
軽症の時には鼻がしゅんしゅんいったり
咳がコンコンいったりするぐらいですから
微熱が出たり一日で下がったりするわけで
それ関係ないんですよね
ところがもっと奇妙なことがあるんですよ
それはですね 重症者五十人なのに
死亡者は約百人なんですよ
これね どうしてかと言いますとね
それで僕はこれをこうずーっとグラフ見てて
あーそうかと思ったのはですね
今 死亡者をカウントする方法がですね
2020年の6月から変わったんですよ
WHOの圧力だといわれてますが
今まではコロナが原因で亡くなった人を
コロナによる死亡者にカウントして
それは当たり前ですよね
今度はそうじゃなくて 逆になったの
死んだ人の喉を調べてコロナウイルスがいたら
コロナで死亡するってなるんですよ
ところが常在的になって
喉に常にウイルスがいると
体が弱った時にコロナにかかる
っていう状態だとするとね
これらは前後関係は
すごく重要なんですけれども
そうすると死亡した人は全部
コロナになっちゃうってことになるんですね
そうすると大体一年に
百万人死にますからね
一年に百万人ということは
一か月に約十万人ですよね
まぁ八万人ぐらい
だから八万人を三十で割りますから
まあ三百人ぐらいが一日に死ぬわけですよ
だからこのコロナによる死亡者百人っていうのは
自然に死んでる人がほとんどで
っていう風にも考えられるんですね
そういうことでこんなね 状態
もう殆ど重症者いない
常在菌と同じぐらいだ ウイルスと
それでも騒いでるのは
どうしてこんなに人を脅して楽しいんですかね
子供にワクチンを打たせてひどい目にあわせる
そんなにお金が欲しいんでしょうか? 

2022年2月14日

#武田邦彦 先生

2022/02/15

【炉端の話】「体に良い」食べ物とは? コロナにかからないためには? (武田邦彦先生)


動画はrumbleにUPします。こちら

本日の収穫(3803文字) 

この炉端の話って
始めて良かったんだと思うのはですね
今まで自分一人のブログだから
自分で自由に話せると思うんですけど
やっぱり色々
一日一個やろうとかですね
十二分ぐらいやろうとか
色んな制約を自分で作ってしまってですね
自由に喋れなくなったですね
炉端の話って これ炉端ですからね
まぁ炉端の話で
それにちょっと正確じゃなかったとか
文句という人もいないと思ってですね
リラックスして話して
却って真実に近づいてきたですね
今日は体に良い食べ物とは
何かっていうんでですね
実はこの頃も過剰なんですよ
テレビもそう 料理の本なんかもそうでですね
それからもう本屋に行っても
山ほど体にいい食べ物ってあってですね
もうなんだか さっぱり分かんないんですよね
全部食べ物はいいような気がして
かと思うと何でもかんでも
悪いって書いてあるのあるんです
なんでもかんでもっていうか
もう絶対にアルコールはいけないとかですね
それから刺激物はいけないって
そんなことないんですよ
刺激物は刺激物として
やっぱりいいわけですね
古代ローマの時ですね
これは割合と大きな国だったんで
データもいっぱいあって有名なんですが
大体ニンニクとか玉ねぎとかですね
ショウガとかそういうちょっと
においのする臭い刺激のあるものをですね
食べてる間はみんなが元気で
国が繁栄したっていうんですね
ところがだんだん 国が栄えてくると
どろんとしたものとか 甘いものとかですね
そういうものを食べるようになって
帝国が没落したと
この話は結構多いんですよね
それはもう一つは体に良い食べ物を推薦する専門家に
これはちょっと言いたいんですが
よくヨーロッパとかですね
それからアメリカなんかの
論文を引いている人が多いんですけども
もう体に良い食べ物ってもう
地域によってものすごく違うんですよ
一番極端にはお酒ですね
東ヨーロッパを中心とした
ちょうど日本と地球の裏側みたいなところはですね
お酒が飲めない人 いわゆる下戸ですね
アルコール飲むと気持ち悪くなっちゃうとか
そういうのはもうゼロパーセントなんですよ
日本は一番それがアルコール飲めない人多くて
生まれつきでは四十パーセント飲めないんですね
まぁ ただ何かの機会に
アルコールを少しずつ飲んでる時に
アルコールをある程度
飲めるようになる人がいてですね
亡くなる時のアルコール飲めない人は
二十パーセントと言われるんですが
いずれにしても良くないんです
逆に水銀ですね
水銀は日本人は割合と許容するんですよ
ところがヨーロッパなんかの
水銀の感度は凄く高くて
ちょっと食べるとすぐ
ちょっと身に入ると凄く駄目なんですね
っていうのはその肉から塩を取るところって
いうのはお塩の感度も高いんですよ
だからいわゆる塩を取ったらいけないっていう
これで凄く儲けているわけですよ
日本の人たちもですね
栄養学者なんかも
塩をとってはいけない 塩をとってはいけない
いやそれはね
民族によってすごく違うわけですね
塩をほとんどとってはいけない
一日一グラム二グラムっていうところとですね
日本のように大体十二・十三グラムっていうところと
もうこれはあるんですね
それと共に日本は米と魚と味噌なんですよ
それから塩の少ない所は
パンと肉とお酒なんですよね
それからヨーグルト・牛乳なんですよ
だから日本人には牛乳とかヨーグルトって
あんまり良くないわけですね
乳酸菌とろうとしても大体納豆
これはね 歴史的にもうすごくあるんですね
中国からヨーグルト入ってきて
それで日本はですね
平安時代ものすごく朝廷が頑張って
ヨーグルトを普及させて
国民を健康にしようと思ったけど
やっぱり敗北しちゃってですね
鎌倉の初期にもう全部
その平安の時には国府っていって
今の県庁所在地みたいなところに
全て牧場があってですね
それでヨーグルトを作ってて
それがもう絶対に生産しなきゃいけないっていう
縛りがあったんですけど 効率的なね
それも全部撤廃してしまって
それで日本はやっぱり納豆・味噌汁
そういうね 大豆系の発酵物になったんですよね
これはまぁ ある時に
こう調べてくれた人がいてですね
それを綿密に私
古代の文献を見たらそうなってましたね
結局私の結論はですね
体にいい食べ物ってのは やっぱり
日本人が長く食べてたものなんですね
それはどうしてかっていうと
例えば水銀なんかそうなんですが
日本の近海の水銀は
ものすぐく濃度が高いんですよ世界的に
だから それをずーっと
一万年ぐらい食べてるわけですね
大体人間の体ってのは一万年ぐらいすると
大体それを許容するんですよ何でも
ですからに日本は水銀とか鉛なんかに
対してですね 割合と毒性が感じないんですね
その代わり日本になかったものですね
これは貝原益軒
江戸時代の貝原益軒の書類なんか読むとですね
本なんか読むと やっぱり牛肉豚肉が
何で悪いのかってことを書いてありますね
これは私の現代の評価から言えばですね
やっぱり日本人は遺伝子の
近いものってのはどうも駄目ですね
ですから鳥とか そういう風に
ちょっと魚とかちょっと離れたものですね
これはやっぱり米なんかとも
リンクしてんじゃないかと思うんですね
ですから日本人は
やっぱりパンはちょっとまずいんですよ
パン・牛乳・ソーセージ・ハム
なんていう食事はですね
やっぱり二十パーセントくらいに
した方がいいかなっていう感じがしますね
そのうち慣れてきますよ
ですからイギリス人がオーストラリアに
囚人が送られるとですね
癌が 皮膚癌が二十七倍に増えるように
やっぱり人間にとっては
その土地で慣れた体なんですね
パンなんかまさかと思ったけど
やっぱりこれもあんまり良くないんですね
ですから体にいい食べ物とは何かっていったら
日本で食べてるものっていうことなんですよ
この前 割合信頼できるお医者さんが
生野菜を推薦してましたので
その先生に日本では生野菜じゃなくて
野菜は煮物かおひたしか
なんかそういう風に漬物かするんだけども
本当に生野菜いいですかって
先生に聞いたらですね
先生は いやいや本当は煮た方がいいと
だけども最近の女性っていうか
女性っていうと差別になるかもしれませんが
女性はですね
煮た野菜を作るのが面倒くさいから
それでまぁ回虫も
この頃は回虫がいないっていうのは
本当いけないんですけどね
なんていうか農薬とそれから化学肥料を
使ってるってことなのであんまり良くないんですが
農薬もないんで
生野菜にサラダオイルをかけるってまた問題で
サラダオイルが一番危険ですからね
本当は煮た野菜煮物の野菜とか
せめてお味噌汁の中に野菜を入れて
食べるっていうのがいいんでしょうね
まぁだけどその先生が言うには
それは煮た野菜の方がいい
お味噌汁の中の野菜の方がいいんだけど
それが面倒くさいっていう人は
せめて生野菜でいいから
生野菜にドレッシングかけずに
サラダオイルとかかけずにですね
食べた方がいい
本当に全員が一致してますよ
それで今度はコロナに
かからないためにはっていうのはですね
これはこれから少しずつ少しずつ
出てくるでしょうけど
コロナにかかりにくい食事っていうのは
やっぱり日本食なんでしょうね
っていうのは なんつったって日本はですね
もうペストにしろ
コレラにしろ インフルエンザにしろ
今度のコロナウイルスにしろですね
世界的にすごい少ないんですよ
だからこれはやっぱりご飯・味噌汁の組み合わせが
いいんじゃないかって言われてるんですけど
本当かもしれませんね
案外そういう身近なもので
コロナの免疫もできる 清潔である
靴を脱いで家に上がるってのは
これはもう決定的でしょうね
それから女の人を見てると日本の人はきれい好きで
よくあのテーブルの上を拭いてますよ
あのテーブルの上を拭くっていうのは
非常に大切なんでしょうね
ヨーロッパでペストが流行った十四世紀ですね
ポーランドは流行らなかったんですけど
ポーランドのご婦人はですね
ちょっとウイスキーを湿らせた布巾で
テーブルを拭く習慣があったんですね
その頃もちろん細菌もウイルスも
見つかってないんで 単なる習慣なんですね
ですけどまぁそういうこと だからやっぱり
今コロナで特にオミクロンみたいな
割合弱いやつの時にチャンスですからね
日本食を食べて家の中を清潔にしておく
っていうぐらいがいいんじゃないですか
そうするとワクチンを打ったりね
それから消毒したりすると
これは一網打尽にやっつけちゃうんで
やっぱり感染に弱くなっちゃいますよね
感染に弱くなってっていうことは
結局免疫が落ちるんですけど
免疫が落ちて一番怖いのはやっぱり癌ですよ
癌はやっぱり免疫によって凄く変わりますからね
この前ちょっとある人に聞いたら
最近老人の癌がですね
今までこう大きくならなかった癌が
急激に大きくなる人が多いっていうんですね
やっぱりこれはアルコールで手を洗ったり
それからワクチンをしたりっていうことで
人間が本来備わっている
免疫系が弱まってるんでしょうね 今
ですから意図的に
このコロナが流行ってる間は意図的にですね
日本食と日光浴 それから風呂という
日本風のね やっぱり生活をするっていうのが
一番体にいいんじゃないか
私はね もう無茶苦茶な
元々胃腸が弱くて
自分が胃腸が弱いのは
しょうがないと思って諦めてたんですけどね
ごく最近になって
色んな友人から勧められてですね
ごく最近つっても
五年ぐらい前か十年ぐらい前なんですが
日本食に変えたりですね
日本の食事を中心として食事するようになって
すごく体が良くなったですね
今度一回病気しましたけど
あれも恐らく私はですね
ちょっとそれが
不十分だったからなーと思ってます

2022年2月4日

#武田邦彦 先生

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...