2022/01/21

基本的な人生設計(2)仕事と自分の人生 (武田邦彦)





本日の収穫(3565文字) 

基本的な人生設計も二番に入りまして
中心的なところに踏み込んでまいりましたが
仕事と自分の人生 これについては
まぁ日本はですね 世界でも
現在はもう混乱の最中にあるんですね
何で混乱の最中にあるかって言うと
仕事というものの考え方がですね
日本とヨーロッパと全く違ってたわけですが
その日本の仕事に対する考え方を そのままにしながら
何の議論もせずに 官僚の成績とか
東大の先生が ヨーロッパに行った時の手土産とか
こういうようなことが原因でですね
日本の仕事が大きく手直しされてきました
その手直しされるごとにですね
我々は仕事に対する もうわけがわからなくなっちゃって
現在は仕事について 物凄く悩んでる人が多いんですね
従って ここではですね
まず仕事というものは どういう風に
自分の人生とのかかわりで決めるものかと
いうことから どうしても入らざるを得ないわけですね
仕事は二つあります まずヨーロッパ的な考え方ですね
これはですね ヨーロッパは国がですね
支配層の人達 五パーセントの支配層の人達と
九十パーセントの支配層に働かされる
非支配層の人達に分かれてるんですね
これはもう ギリシャからの伝統であってですね
おいそれと変わるもんじゃないです
従って 例えばイギリスを見てもですね
現在でも貴族制度ってのは残っておりまして
公爵伯爵 そういうのがいっぱいありまして
広大な敷地を持ってるわけですね
こういった その勿論その考え方っていうのは
日本では考えられませんが
イギリスでも 現在残ってると
いうことからわかる様にですね
それからもう アメリカではそれを真似てますから
上位 一パーセントの人が
国民の財産の三十七パーセントを
持ってるっていう様なことあるんですね
つまり わずか五パーセントの人が
残りの九十パーセントの人を
奴隷のようにじゃないんですけど
思うように働かせて
自分達はほとんどその 上前をはねるということが
社会体制なんですよ これは中国でもそうで
中国共産党は大体五パーセントですね 人口の
それが九十パーセントの国民を支配して
働かせるということなんですね
このあの五パーセント 五と九十という構造がですね
何をもたらすかっていうのは
仕事はできるだけしないようにする
つまり支配階層に入る 自分が支配階層に入って
毎日八時に出勤して五時まで働くなんて
そういう馬鹿らしいこと
これは そういう仕事が馬鹿らしいんですけどね
馬鹿らしいことはしないで済む 人生を送りたい
そうすると 色んな考え方が変わってきますね
例えばアメリカ人の 一番多い理想的な人生っていうのは
四十五歳までに働いて 十分な貯金をためて
その貯金で四十五歳で引退して
遊んで暮らすっていうんですね
日本はもちろん 全然違いますよ
元気な間は できるだけ年取っても
仕事をしたいということですから 全然違うんですね
この違いはやっぱり 五パーセントと九十パーセント
つまり自分は 九十パーセントに
入っちゃいけないっていう意識が強いんですね
それで結構 嘘もつくんです
もう一つは キリスト教の影響ですね
キリスト教っていうのは
ユダヤ教っていってもいいんですけど
キリスト教ユダヤ教イスラム教 みんな一緒ですけれども
どういう考え方かつったら
原罪という考え方があってですね
人間には原罪 つまりもう存在することが元々罪である
だからそれを 贖わなきゃいけない
そのために仕事という苦役をするんだ
仕事は苦役である 苦しいことである
だから原罪を背負っている人間は
その贖いとして 仕事しなきゃいけない
これからまた 色んな派生がありますね
原罪があるから 施しものをしなきゃいけないとか
かわいそうな人を 助けなきゃいけないとか
一部いいこともあるんですが
原罪意識 つまりヨーロッパの概念は
仕事はしない方がいい
どうしても仕事をしなきゃいけないのは
人間の原罪のためだと こういう考え方なんですね
これはヨーロッパが 個人主義だからなんです
ヨーロッパは初めから個人主義じゃないんですよ
バートランド・ラッセルが言ったように
イエス様までは 個人主義はなかったけど
その後 あまりに偉いイエス様が出てきたので
その後 変わったっていう考え方もあるんですね
これに対して 日本はですね
全然違うんです 百八十度違うんですね
日本はですね 絡合 私の言う絡合なんですが
集団なんですね ですから
自分が生きているためには
ご飯も食べる 味噌汁も飲む 魚も食べる
そのためには農業の人 味噌職人の人 魚を捕ってくる人
家にも住む 大工さんがいる 道路も必要だ
道路工事さんがいる
全て自分の人生を
支えてくれてる人はもう山ほどいる
それに対して まず自分は自分も仕事をして
その人たちの恩に報いて
その後が 自分の人生だっていう考えなんですよ
ですから 日本人はですね
仕事というのがですね 概念が二つあるんですね
一つが恩返しのための仕事
これはできるだけ 苦しいのがいいっていう考え方ですよ
人がみんな苦しんでる 例えば
お百姓さんは今はそんなことないんですが 昔はですね
暑い最中 夏の暑い最中でも草取りをしなきゃならない
魚を捕る人もですね
時化の時に 命の危険を冒して魚を捕っている
他の人もみんなそうですね
家をつくる人もですね 寒い時に 寒い冬の時に
家をつくるっていうこともあるんですね
だからその苦しみも 自分も共有しようという仕事と
それから自分の人生で
こういう仕事をやって世の中に貢献したいとか
こういう仕事は 自分の性に合ってるから
楽しいという仕事と二つあるんですよ
だけどヨーロッパ流の原罪 仕事は元々駄目なもんだから
できるだけやらない方がいいということは ないんです
ですから 日本の場合ですね
自分の仕事の人生における
仕事の役割は二つあって というか
時間の配分っていうのは
二つあるっていうか四つあるんですかね
一つは恩返しとしての仕事の時間
これは大体 九時から一時二時までと言われてるんですかね
九時から二時まで
だから九 十 十一 十二 一時間休んでいいんですけど
四時間 一日四時間は
恩返しのために全員がやんなきゃいけない
やんなきゃいけないっていうか
やりたい気持ちになるっていうんですね
日本人は やりたい気持ちになるんですよ
本当にね 日本人ってのは大したもんでね
私がよく言うんですけど
東南アジアに出向した
日本のサラリーマンの奥さんっていうのは
ついつい トイレ掃除もしちゃうんですよ
ところが 東南アジアに来ますと
メイドを雇いますからね
メイドの仕事がなくなっちゃうんですよ
それはそれでいいんです
日本流のやり方の生き方なんですからね
そういうことなんですよ
だから四時間はつらい仕事をする
残りの四時間は もし仕事をするとしたら
自分の人生をより高度にするため 楽しむための仕事をする
だから仕事が生きがいなんて言う人はですね
その第二番目の仕事のことを言ってるんで
第一番目の仕事は やっぱり仕事なんですよ
それから三番目が自分の遊びです 自分が楽しむ遊び
それから四番目が 自分が家庭とか友人とか
近くの人の手助けをする仕事ですね
仕事っていうか人生ですね 時間ですね
子供と遊ぶとかですね
それから 奥さんのちょっと手伝いをするとか
そういった事ですね
だから 日本人の一日というのは
恩返しの 仕事自分のやりがいの仕事
自分の遊びの時間
それから家族友人との時間という
四つに分かれてるんですよ
だから全然違うんです ですからその上でですね
実は日本には 集団的な仕事の習慣だとか
それから年功序列だとか
そういった いろんな社会システムが
それに応じてあったんですね ところがですね
もうそういうことの検討もなく 議論もなく
説明もなく みんなで話し合うこともなく
次から次と なんか新しい なんか
本当に厚生労働省とかそういう人たちの 本当思い付きとか
それから自分の出世のための 仕事作りとかでですね
臨時雇いがいいとかですね ニートだとかですね
もうそんなものが 色々出てきましてね
全然 後に哲学も何もないんですよ
それで自分は やりがいのある仕事を探せないとかですね
それから小学校ぐらいから
君の取り柄はどうだ なんて聞かれてですね
いや大学で随分悩んでる人いるんですよ かわいそうに
先生 僕は取り柄がない人間なんで
いや 取り柄って何で必要なのって聞くと
いやなんか取り柄が必要だって
小学校の時に習ったんですけど
ってもうそんな感じになっちゃうんですね
ここでまず言うべきことは 仕事には二種類ある
恩返しの仕事
苦しくても苦しい方が良い 恩返しの仕事
それから自分の生きがいとしての仕事
この二つが仕事としてあるということを
はっきりと認識していただいて
ヨーロッパでいうような稼げばいいとか
九十パーセントのね 
ヨーロッパの九十パーセントの被支配者の人は
とにかく 五パーセントの支配者に貢ぐために
仕事をしなきゃいけないんですよ
それからキリスト教を非常に信じてる 敬虔な信者はですね
原罪を償うために 仕事しなきゃいけない
だから全然日本と違うんで
そこをまずよーく押さえていただきたい
これは ものすごく時間の掛かることなので
そこのとこが一番大切だと思います

2022年1月19日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/20

基本的な人生設計(1ー4)第二の人生のための政治課題 (武田邦彦)



本日の収穫(3420文字) 

第二の人生の設計についてはですね
更に深く議論が必要なんですね っていうのは
現在のように 働いている人が老後の人たち
十五年間だけを世話するというのが基本設計になっている
現在の年金とかですね
社会システムとか あらゆる問題ですね
このままではですね 駄目なんですよ
ですから やはり
高齢者対策ということになってしまうわけですね
そうじゃなくて 高齢者も共に
高齢者が若い人に迷惑をかけることなく
つまり第二の人生の人が 第一の人生の人に
迷惑をかけることなくですね
社会的負担になることはなく
その社会を作っていかなきゃならないっていう
時代に入るわけですね
これは今 例えば十歳から二十歳の人
ゼロ歳から二十歳の人の子供達っていうのは
大人の世話をしているわけですが
この世話はですね 社会としては
まぁ当然のこととして 受け取られてたわけですね
これと同じように 人生の終わりの方の
八十歳っていうか 九十歳から百歳の人たちの世話は
これは社会は当然だと
しかし そこまでは
高齢者のことやってくださいねってことになるわけですね
そうしなきゃ 社会持ちません
その点では まず定年制の廃止ですね
これは もちろん日本は定年制ありますけども
私の 職業なんか大学教授なんかで
アメリカなんか 定年制ありません
九十歳の大学教授なんて いくらでもいますね
ですから それで日本国憲法も
年齢によって差別することを
禁止しているように読み取れます
これは今度 憲法改正があればですね
性別なんかで差別しちゃいけないと同じように
そこに年齢というのを 入れなきゃいけないと思いますね
もちろん働けなくなったり
頭がぼけたりするのは年齢に関係ありません
ですから 国民一致してですねえ
頭が丈夫で体が丈夫であれば
自分は働いて 人に迷惑かけないよという
思想をまず教育で作るっていうことですね
それから定年制を 政治的に廃止する
それから年金制度ですね
これはあのー 早くそのー 例えば生活保護と一緒ですけども
早く年金生活に入れば楽だというような
ずるい考え方をいかにして取るかっていうのは
これは教育が一つなんですが
年金の制度もですね しなきゃいけません
それからもちろん年金の 現在の制度はですね
やや積立型的になってるので
この積み立ててる年金をですね
どのように運用するかっていう
これが巨大な利権になってるんですね
これをまぁ できれば毎年清算
つまり去年あつめた年金は
今年中に配ってしまうということにして
年金の積み立てという制度を
なくすってことも大切 これも政治ですね
それからもう一つ 二十代から五十代の人が
千三百万しか その資産を持ってないのに対して
五十歳から八十歳の人が
四千三百万も資産を持ってるってことは
まさに不安なんですよ
ですから 老後の不安に対して
どうして保証するかっていうこの問題ですね
特に八十歳以上 もしくは九十歳以上
九十歳以上は まぁ全員と
八十歳以上は 体とか
頭が少し悪くなってきて働けなくなってきた人
あとは自分でやってください
それからこれは 若い人はあまりよく知りませんが
現在の介護制度に対する 介護保険とかいうものがですね
非常に重い形で その介護の人に
掛かってくるっていうことがあってですね
これは 今問題になっている生活保護との問題と含めて
大いに福祉の方々の 知恵を使ってですね
やっぱり政治的に解決しなきゃならない
つまり第二の人生のための 政治課題っていうのは
今 まだゼロっていっていいんですけどね
何しろ 高齢者対策っていってるぐらいですから
まず高齢者対策っていうのをやめて
高齢者を社会から 排除するっていうのをやめると
健康で長生きする 高齢者が望ましいという
形にしなくちゃいけないわけですね
今度 新型コロナで明らかになったのはですね
スウェーデンなんかは いわゆる延命治療っていうのは
医療の中に入ってないんですよ
医療というのは
健康に生きれる人が 健康を損なった場合に
治すものを医療といって 延命治療
つまり命を伸ばすのは 医療の中に入ってないんですね
これはまぁ もちろん保険のない形でやってもいいわけですね
とにかく第一に 人生に対する愛情ですよ
第一の人生の 青年期も苦しい
これは このブログで教育のことで述べましたけども
若者を痛めつけるような 採点の方法を取る
これと同じように やっぱり
老人に対して痛めるような制度ですね
定年も 現在の定年も保証も介護もそうなんですが
これはもう政治的な解決が どうしても必要ですね
もう一つは 老人の方の改善が必要なんですよ
これは まず体力ですね
どうしたら膝の痛くなるのを遅くするか
どうしたら筋肉の衰えを遅くするか
どうしたら 尿漏れしないような訓練はできるか
それから頭もそうですね
できるだけ柔らかい頭 頑固じゃないこと
それから その色々な故障が出てこないこと
これに対して 謙虚な心を持つ老人
というものを作っていかなきゃなんない
これも本格的に そこに人を投入し
お金を投入してやっていかなきゃいけないですね
つまり健康指標なんかもそうなんですが
現在健康指標 最近ようやくとですね
閉経する前の女性と 閉経した後の女性の健康指標を
少し変えたりしてますが それは当然ですよね
体自身が変わるわけですから
それと同じように五十歳以前の人と
五十歳以上の人の 健康指標っていうのは
血圧にしてもコレストロールにしてもですね
その他全部違うわけですね
それを今 第一の人生のための健康指標と
第二の人生のための健康指標
同じになってますからね これをやると
それから社会的にはですね これは色んな機会を通じて
全世代に対して ゼロ歳から二十歳までの教育世代
二十歳から四十歳までの若い世代
四十歳から六十歳までの熟年世代
それから六十歳から八十歳までの
高齢世代っていうのかな
それから八十から百までの
本当の老後という各世代をですね
別の世代が常に尊敬する
常に別の世代を尊敬する
そのやっぱり 日本風土っていうものを作る
これは昔は儒教という形で 少しはあったんですが
儒教ってやっぱり中国でできたもんなんで
少し差別感があるんですね
日本式のやっぱり儒教っていうか
各世代に対する 年取った人は若い人に対する尊敬心
それから若い人は 年取った人にも尊敬心っていうのを持つと
この教育をしっかりやると
これ理論基盤も必要ですし 教育理論も必要です
それから 全ての世代において謙遜の心ですね
やっぱり自分はみんなに世話になってるんだという
その謙遜の心をですね
持つということもやらなきゃいけない
これで ちょっとここはですね
非常に課題が多いもんですから
今後 参政党なんかを中心にしてですね
定年の問題 憲法改正の問題
年金の問題 年金の負担を減らす問題
積み立て年金から 付加年金に変える問題
それから 老人の不安をなくすためにはどうしたらいいか
これには 例えばですね
現在 若い人だけを相手にして
やってるようなデザインだとか
車のスタイルとか こういったものもですね
はっきりとした その第一世代用の第一の人生のための車と
第二の人生のための車
全てですね そういう風にやる
例えば 今だったらパソコンなんかはですね
第一の人生の人はよくわかりますよ
だけど お爺ちゃんお婆ちゃんの
第二の人生の人はパソコン使いこなせませんよ
あなたの方が変えて下さいって
お爺さんお婆さんに言ってんですけど
そうじゃなくて
やっぱり各世代が 快適な人生を送れるような
商品設計っていうものの技術を磨く
これはね キャンペーンが必要なんですね
例えば 身体の障害のある人に対して
段差をなくすとかですね
そういうこう 活動が随分ありましたね
エスカレーターを作ったり エレベーターを使ったり
階段 登れたり降りたりできない人
こういうバリアフリーって言ってんですけど
このバリアフリーを 全ての製品ですね
自動車にしても パソコンにしても
洋服にしてもですね 全ての世代に
全ての分野に バリアフリーを持ち込むと
いうことも非常に必要ですね
そういう点では第二の人生というものを
どうするかっていう議論もあり
もちろん文学もあり
そして政治課題 それに伴う政治課題あり
とにかく憲法改正まで 必要ですからね
だからこの 日本の今までの古い
もう何にも 今までそのためにはですね
このブログでずっと言ってきましたけども
自由民主党って 随分功績があるんですよ
それは日本が高度成長で 平均年齢日本人の寿命が
五十歳から六十歳の時には
ものすごく大きな功績があった
しかし人生百年になって
第一の人生と第二の人生を どうしても分けて
定年だとか年金だとか
世代間の融和っていうのを
考えなきゃいけなくなった 今はですね
やっぱり 新しい革袋に新しい酒を入れる
ということが大切になってきたと いう風に思われます

2022年1月18日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/19

宗教とはなにか? (武田邦彦)




本日の収穫(3365文字) 

今年のヒバリクラブはですね
基本と嘘っていうのを
主たるテーマにしてやろうと思うんですけど
こんなのは 一か月も続かないかもしれませんけどね
基本っていうのはここで言ってるのは 宗教とは何か
人生とは何か 男女とは何か 幸福とは何かっていう
やっぱり基本をですね これはね
繰り返し繰り返し こう聞いたり考えたり
それから 気の合う仲間と議論して
随分それで やっぱり幸福になると思うんですね
嘘これはねー ものすごく困るんですよ
NHKが悪いっていうのは
もう今年は言うのやめようかと思ってんですけどね
私は NHKが1972年に石油がなくなるんじゃなくて
メジャー 国際石油資本 メジャーと言ってたんですけど
それがですね 
バレル2ドルの原油を20ドルに上げるためについた作戦
それを知ってたのに もう石油がなくなる
石油がなくなるって放送したためにですね
原子力の方 行っちゃってですね
いやー それは大変だと
日本は石油なくなったら もうみんなが寒さに震えるし
自動車に乗れないし 大変だっつって原子力行って
大失敗しちゃったんですけどね
ですから 嘘というのは人を不幸にしますんでね
それで ニュースで嘘が出てきたら
やっぱり それは
このブログでやろうという風に思うんですね
だから 基本と嘘っていうのをですね
基本にして話をしていくと
今日は まぁ第一番目なので
宗教とは何かということを お話したいと思うんですが
これは どうしてかっていうとですね
宗教っていう言葉自身が日本にはない言葉なんですよ 実は
教えというのはですね
誰か教える人がいて 教えっていうのがあるわけですね
ですから まぁ基本的には一神教といいますか
ユダヤ教 それからキリスト教
それで イスラム教というこの三つがですね
同じ宗教なんですけども
同じ宗教の 分派みたいなもんなんですけども
それが正に教えなんですね 神の教え
つまり神様がいて
それを教えるという感じなんですね
それは 仏教でもそうじゃないかっていうと
実はちょっと仏教は違ってですね
お釈迦様のことを よーく勉強しますとですね
お釈迦様は あれ宗教家じゃないですね
どう見たって哲学者で
人生とはどういうものであるかっていうことを
非常にレベル高く お話になったということなんですね
ただ お釈迦様とイエスキリストってのは
非常に こう近いっていうかですね
まぁこれは私が感じるばかりでなくて
バートランド・ラッセル だったと思うんですが
イギリスの二十世紀の
大きな哲学者が 宗教は宗教はつったかな
えーとまぁ 日本語じゃないんで難しいんですが
お釈迦様で生まれて
イエスで死んだと言ってるぐらいでですね
本当に宗教の真髄っていうのは
紀元前五百年から紀元まで 紀元0年まで
という感じではあるんですね
日本には宗教がなかったっていうのは
どうしてかっていうとですね
日本の神様っていうのは 二つなんですよ
それは自然が神様なんですね
自然は教えてくれると言えば 教えてくれるんですが
それは自然という姿を以て 教えてくれてるだけで
自然がですね 言葉でこうだ あーだとは言わないわけですね
ですから キリスト教の様に聖書があるとか
イスラム教の様にコーラン
最近コーランって言わないんですけれども
コーランがあるとか いうようなことではないんですね
具体的な教えはないんです 自然ですから
それから祖先が もう一つの神様なんですね
祖先っていうのも
ご先祖様が言ったことってのはあるんですけど
やっぱりこれも抽象的でですね ないんです
したがって 例えば神道
日本の基本的な宗教っていうのは
宗教っていうかそういったもの
心の支えっていうものは 神道だけではないんですけども
神道でも 神教とは言ってないんですね
それで神道は 宗教じゃないとよく言われるんです
それは 宗教っていうのは教祖がいて 経典があって
戒律があること っていうことなんですね
これが宗教の三要件なんですよ
それは当然で 教えを我々受けるわけですからね
教えを受けるっていうことは 教祖がいて
教祖が教えを言うわけですから
それが神様にあるにしても
預言者でもですね 教えがあるわけです
それから 経典がやっぱりあるわけですね
それを書き記したものがあるわけですから
聖書なり コーランなりがあるわけですね
それから 戒律がある
つまり守るべきことっていうのがあって
その教えを実際にこう ポンコツである人間が覚えるには
やはり戒律がなきゃいけない
何時何分には どっちの方向を向いて祈りをするとか
これはイスラムですね
それからクリスマスには こういうことを祈るとか
毎週土曜日の夕方とか 日曜日の朝のミサに行って
教会で牧師様の言うことを聞く
これは戒律といえないでしょうけど
そういった決まり事があるわけですが
もちろん神道には何もない
これは神道自身は やや宗教的なんですけれども
そのもとになる 日本人の宗教観っていうか
人間観 宗教っていう言葉じゃないんでね
言葉はないんで ややこしいんですけども
日本の言わば 宗教に相当するものは
自然と祖先なわけですから あるとすれば
例えばお天道様の前では 噓をつきませんとかですね
それから あなたそんなこと言っていいんですか
ご先祖様が見てますよ 聞いてますよといったような
そういうことで 日本の道徳
生きる道というのが教えられているわけですね
その意味では ノーベル賞に輝いた
素晴らしい文学があるわけですけれども
そういったヨーロッパの文学ですね それを読みますとね
宗教を持っていない つまりキリスト教を信じてないとか
そういう宗教を持っていない 無神教の人はですね
道徳を守ることができないから 危険であると
カミュの異邦人なんかはですね
それをテーマにしているわけですね
それで非常に見事に 割合と薄い本ですけども
見事に描いている
つまり宗教 神が人を殺してはいけないとか
そういうことを教えていただけるので それで人間は
人間としての道徳を守れると そういう考え方なんですが
日本人の場合は
よく私は無宗教ですっていうんですけれども
これは 外国人に言っちゃいけませんね
外国人に無宗教っていうと
本当に無宗教だと思っちゃうんですよ
ですから日本人の神
私の神様は自然と それから祖先ですと
いう風に言うのは正しくて
やっぱり神様はいますと 神様を拝みますと
お正月になると 外に出てお天道様に手を合わせますと
これは自然を象徴しているわけですね
本当は自然っていうのは 山であり川であり
海であり稲でありキツネであるわけですけども
それらは全部で私が生きている 私たちが生きている
生きている原動力は 自然であるという
日本の古代の人たちの 非常に鋭い頭脳ですね
それがあったわけです
それからもう一つは 千年も経ちますと
約三億人の人の遺伝子が混ざります 計算上はですね
ですから 日本は
まぁ三千万人ぐらいしかいませんでしたから
八百年ぐらいで 一回混ざるわけですね
日本の歴史っていうのは まぁ短く言っても八千年ぐらい
長く言えば 三万年ぐらいありましたから
日本人は周りが海で 島国でもありましてね
何回も何回も 混ざってるもんですから
日本人ってのは 全員が兄弟なんですね
同じ人間と言ってもいいわけです
だから自分とですね 他人っていうのは
区別しちゃいけないわけですね
自分と他人は同じ人だと
これは行き過ぎますとね ちょっと団体的な色彩があったり
村八分的なことが起こったりしますので
これはあのー 人間の心の中にある邪悪な部分
っていうと ちょっと言い過ぎなんですが
そういった部分が出てしまうわけですね
ですけども 少なくとも個人主義というように
個人を大切にするよりかは 日本人の考え方
お天道様 つまり自然とご祖先様を神として崇め
全員が日本人であるという中で 生きていくと
いうのは立派な 言わば宗教なんですね
ですから 日本人の宗教とは
何かっていうと 正にその通り
それから日本でも 弘法大師が中国から仏教を持ってきて
それで やがて親鸞聖人のように
ものすごく偉い人が出てきましてね
もちろん親鸞聖人以外でも
栄西様でも道元様でも日蓮様でも みんな同じですけどね
そういった その偉い人
明治以降にも そういう偉い人がおられるんですが
そういう人に言われたことも 教えの一つなんですが
しかし日本は それを教えとはとらないということですね
それから一神教っていうのが その他にあるということで
これは ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は全く同じ
神様は全く同じですからね
そういう風に頭の中を整理して
宗教とは 何かということ
それから自分はどう生きるべきかということを
まぁ考えるべきでないかと いう風に私は思います

2022年1月2日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/18

基本的な人生設計(1ー3) 第二の人生の設計 (武田邦彦)




本日の収穫(4164文字) 

えーとですね ある小説を読んでましたらね
ある人が 人間っていうのは
うっかりしたもんですねってこう言ったらですね
そばにいた人が
いや 人間がうっかりしてんじゃなくて
あなたがうっかりしてるんでしょっていう話がありまして
なかなかいいなーと思いましたが
そういうもんなんですよね
この前 新聞かなんか読んでたらですね 定年になって
ああー 若い頃にこういうことをしておいたら良かったなと
思ったことっていうのが集計されておりましてね
本当に面白いと思ったのは
もちろん 定年後の計画っていうのは
もちろん 定年前にしておかないとですね
計画ですからね
ところが人間っていうのは うっかりしたもんで
定年になんないと
定年後の計画を作って やろうとしないと
ところが定年になってから定年後の計画したって
それは間に合わないということになるわけですから
論理的におかしいんですけどね
それが人間というものになります
これからの百年人生ではですね
第一の人生 第一の人生っていうのは
ゼロ歳から五十歳まで
日本人の平均寿命が 戦争が終わった時には
まだ五十歳になってなかったんですね
これはおかしいという人がいるんですけど
おかしくもなんともなくて
公的な集計はそうなっております
人生五十年っていうのはもう
織田信長の時から言うじゃないかっていうけど
これは大名とかですね そういう人で
生活も恵まれてるし 栄養も
おいしいもの食べてたっていう人だけに限られますね
それからもちろんその 人生五十年ってのは途中の戦いで
三十五の時に槍に突かれて死んでしまったとか
そういう人 人生五十年の中に入ってませんからね
もちろん病気で亡くなった人も入ってません
そういう点では 人生五十年って昔言うのはですね
五十年まで生きることができる人は幸せだっていう
そういう感じなんですね
ですから 日本人の平均寿命が 1947年
戦争が終わってから 二年経った時に
やっと五十歳に達したっていうのも
わからないではないわけですね
ところが この前お話しましたように
このブログでお話しましたように
日本人の平均寿命はですね っていうか平均寿命っていうか
一昨年 五十歳を超えた人の平均余命が
五十年になりましたから
だから現在は まぁまぁ生きている人は
ほとんど全部が 特別に年取った人以外は
大体人生は百年近く生きる
ということは間違いないわけですね
そうすると私が言ってる 第一の人生
ゼロ歳から五十歳と
五十歳から百歳と二つに分けて考えなきゃならない
二つに分ける理由はですね
まず第一に第一の人生 生まれてから五十歳までの人生は
今まで人間が随分 これを過ごしてきましたから
誰にでも記憶はある 話はする 小説もあるっていうことで
大体イメージが描けるんですが
五十歳から百歳の人生っていうと
なかなか描けないんですね
昔は日本人の その引退後っていうかですね
隠居生活とか 色々いうのは老後とか言いますね
全部十五年なんですね
まぁ十五年ぐらいですと
なだれ込むことができるっていうかですね
最初の十年は やれやれ勤めも終わったかと思って
一二年ゆっくりし
旅行でも行くかとか好きなことでもしようかとして
五六年時間が経ち
その頃 体が悪くなってきて 病院通いしてるうちに
お亡くなりになるっていうことで
あまり計画ってのは いらないんですよね
ところが五十年ってなりますとね これはね
はっきりとした 人生設計がなきゃ駄目なわけですよ
それを私がちょっと最近読んだ新聞のその
ああー こういうことを
しておけば良かったっていう 反省なんですね
ところが私 講演なんかで第二の人生の話をしますとね
若い人はね 俺関係ないよって顔して見てるんですよ
いやいや あなた方こそ関係あるんですよと
実はその五十歳以上の 人生設計っていうのは
五十歳になってからじゃ
間に合わないんですよ 当たり前なんですけどね
ただ私もですね 四十五歳でそれに気が付いたんですよ
大慌てに 慌てましてね
それで五十歳から百歳の人生を今 送っているわけですが
私は第二の人生を
どういう風に設計したか 四十五歳の時ですね
その時会社に 大きな会社に勤めておりまして
順調に仕事をしておりましたから
まさか自分が この会社を
辞めるとは夢にも思ってなかったんですけど
私が五十歳からある百歳までの
自分の計画があるかと思ってると全然なかったんですよ
それで急いでですね
五十歳で何の不満もなかった いい会社でしたね
何の不満もなかったけども
会社を辞めて第二の人生に入りました
その時に私の計画ですよ
今からもう四十年ぐらい前の計画ですし
その頃そういう第二の人生を送るなんていう
概念もなかったですからね
だってその頃は 穏やかな老後とかですね
そういう風な本なんかが出てた頃ですからね
私はこういう風にやったんですね
五十歳から六十歳は まだ社会的自分の立場もあるし
体力もあるし ガンガンできるので
六十歳までは 準備の十年としようと
これはあのー 第一の人生で十歳から二十歳と同じですね
十歳から二十歳ってのは 学校行って勉強したり
運動したりやって 人生の基礎を作りますね
それと同じようなことを 五十歳から六十歳までやろうと
お金も貯めようと 健康にも注意しようと
それから 私が特に意識したのは対人関係ですね
やっぱり六十過ぎて 社会から後退して
社会の人と縁がなくなっては駄目だと言うことで
そういうことも積極的にやりました
そして六十 まぁ実際は六十三が私は定年だったんですけど
六十ぐらいで定年退職して 九十歳まで三十年間
これをまた第二の人生の 私の人生そのものにしよう
つまり仕事を中心とした人生にしようと
これはちょうど 二十歳から五十歳の三十年間
と同じ三十年間を 一応設定したんですね
六十歳から九十歳
だけどその頃はまだ平均寿命も七十
まぁ男の平均寿命なんて
七十ちょっと 超したぐらいでしたからね
ですから 本当に自分が
九十まで働けるかっていうのはあったけど
まぁまぁ とにかく計画ですからね
計画ってのは 将来のことですから
それで 六十から九十までの三十年間を
二十歳から五十歳までの三十年間と
同じように働こうということで
六十歳からあるところに勤めて それで七十歳までそこで勤めて
そこで本当に定年になって
また ずーっとそこで設計がありましてね 僕の
結構 設計うまく行ったんですけども
今から考えたら 反省事項が多いんですよ
だけども そういう計画を立てました
それで九十歳から百歳は
これはやっぱり疲れるから 家でぼんやりしてようかと
孫の世話でもしてようかと
孫ったって その頃孫はもう二十歳ぐらいになって
下手したら ひ孫がいるかもしれませんからね
そういう計画を立てました
それでやってみまして 私は今七十八歳なんですけども
まぁあのー 体の方はね ずーっと健康だったんです
私はもう四十二までは 病気のし続けだったんですけどね
五十歳ぐらいから元気になりまして
四十二三歳から元気になりまして
今まで元気だったんですけども
久しぶりにこの前 三十年か四十年ぶりにですね
病院に入院しましたが そういうことはあるでしょうね
それから いつ死ぬかわかりません
死ぬっていうのは 自分で選択できませんからね 時期が
向こうからお呼びが来たら 死ぬっていうわけですから
まぁ一生懸命やろうって 一生懸命やってきました
そのおかげで多分 僕は健康で活発で
現在でも 夢を持ってやってるんですね
まぁこの年で 夢を持ってつっても変ですけどね
ただ私の人生は 私の友達
つまり私の友達は ほとんど六十五ぐらいで引退して
あとは家にいる人が多いんですよ
そうすると やっぱりね
歩き方もよぼよぼになってきますしね
病気も しがちになってきますね
それから何をもとでも 不満が多くなってきますよ
だからあってですね 友達とビールなんか飲むとですね
まず不満が出てきますね
これは不満が出てくるのは
自分にすることがないからなんですね
周りもいじめるんですよ お前免許証もやめろとかね
お前老人じゃないか いやその人だってね
あなただって百歳まで生きるのよって
言いたくなっちゃうんですけどね
社会は他人の生きてるのを
非難するっていうのはあんまりよくないですね
ですからまぁ 同窓会なんかやるとみんなよぼよぼしてますよ
私はそれに比べれば 昔はね
私が よぼよぼしてたんですけど
やっぱりそういう人生計画を持ってますので
やっぱり やりがいがありますね
それからやっぱり何をおいても第一の人生 若い頃はやっぱり
自分が 俺が俺がっていう感じがありましたが
まぁ僕の 今の私は全くありません
本当にね 信じられないぐらい人のためなんですね
年取ってますからね
電車に乗ると座りたくなったりしますが
昔よりか座りたくないですよ
まぁ若くて疲れていそうな人がいたら
まぁどうぞという感じがありますねー
その点では やっぱり
第二の人生の設計を持つことっていうのは大切ですね
私はテニスっていうのは ほとんど若い頃してないんですが
テニスを始めたのは 七十二歳ですからね
ですから そういう気持ちにもなるんですよ
要するに 若々しく五十歳から百歳までは生きれる
その第二の人生を設計して その設計図を持っている
僕の感じはね 四十五歳は全く遅かったですよ
多分 四十でも遅いですね
ですからまぁ このブログをご覧の人は
四十 三十五ぐらいから
第二の人生の設計をされたらいいし
しかしそれに基づいた やっぱり社会の体制が必要なんですよ
だって無理やりに 定年させられたりね
老人は免許証が取れないとか
いろんな制約を設けられたら もうダメですもんね
あの この前はブログでお話した ある大きな市の
高齢者対策の時に僕が
高齢者は市民じゃないんですかって言ったわけですよ
あの市はね 人事部長がすごく偉くて
どうなったかっていうとですね
そこの市で採用する人間の定年を
八十歳にしたんですよ 一気に
六十歳から やっぱりそれね
僕はあのー これからの世界っていうのはね
老人だから排斥するっていうのは 駄目だと思うんですよ
老人も人生だと それをやっぱり
みんなで認めて みんなで朗らかに
それから老人の方も ブツブツ文句言ったり
汚い格好をしたりしてるんじゃなくて
ちゃんと髪の毛も染めて きちっと整髪して
そして ちゃんとした格好で歩く
お互いに 楽しくやろうじゃないかという社会を作っていく
これには やっぱりどうしても
政治が関与しなきゃいけませんので
今度 参政党が出てくれたらですね
その力で やっぱり第二の人生の設計も
参政党の主力の政策の一つとして
やりたいなという風に思っています
やってほしいなっていうと ちょっと第三者的なんでね
自分でやるぞと いうような感じであります 

2022年1月17日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/17

基本的な人生設計(1ー2) 「少子高齢化」は問題か? (武田邦彦)



本日の収穫(3808文字) 

日本のですね 政治っていうのが疲れてきてですね
まぁ 古い皮袋には新しい酒が入らないということで
もう嫌だと まぁいうことになってるんですよ 実はですね
それで例えば 少子高齢化っていう問題もですね
少子高齢化大臣までいるんですよ
何にもしてませんね
だってできないですよ だってですね
まず少子ですね 子供が少ない
子供が少ないって まず国際的に比較しますと
日本みたいに 人口密度の高い先進国ってないんですよね
日本は三十七万平方キロメートルの国土の中に
一億二千五百万人も人がいると
こんなとこってないんですよ
しかも森林率が大体 甘く見ても六十パーセント
辛く見れば七十パーセントぐらいは森林なんですね
ですから 日本は本当 人が住める平地面積とか
耕作できる平地面積に対して
人がものすごい過剰なんですよ
ヨーロッパを基準にするわけじゃありませんが
イギリスとかフランスとかドイツとかに比べるとですね
約 人口密度を三分の一から四分の一
三倍から四倍っていう感じなんですよ
ですから現在日本は 一億二千五百万人いるわけですから
大体 六千万人ぐらいが適切なんですね
これはまぁ当然で 江戸時代までは大体三千万人でした
それが明治になって 戦争で死んでいく人たちが多いんで
産めや増やせやということで
一億人を突破してきただけであってですね
別に必然的なことじゃないんですよ
まず少子っていうのは子供の数が
人口が少なくなるってのは問題じゃないんですね
次に女性はですね
やっぱり自由な人生を求め始めたわけですよ
今までは 親が決めた相手と結婚して
子供を 四~五人産んで 疲れ果てて四十三歳
今から百年前っていうと
四十三歳が女性の平均寿命ですけども
四十三歳ぐらいで 死んでいくという風に言ってみれば
日本の女性っていうのは 子供を産む機械といって
悪い言い方ありますけどね マシーン
そんなような 立場であったわけですよ
それが みんな女性が色々考えて
自分の人生を選ぶようになった
やっぱり 一人当たりの女性が産む子供っていうのは
二人以下になるっていうのも 確かなんですね
ですから全然 少子っていうのは問題じゃない
高齢化っていうと もっと問題じゃないですよ
これ高齢化が問題だって
一体何を言ってるかってことなんですね
人間はですね 死ぬよりか生きてた方がいいんですよ
しかも 元気で生きてた方がいいんですね
健康寿命って言うんですけど
まぁ平均寿命は八十五歳ぐらいなんですけども
健康寿命はですね もう間もなく八十歳になります
それはね 百年前に四十三歳で 平均寿命四十三歳の時と
現在みたいに八十歳ぐらいまで 元気で過ごす時と
どっちがいいの? あなたどっち選ぶって言ったらね
ほとんどの人は 八十歳選びますよ
じゃあ高齢化って何かっていったらですね
年金が大変だっていうだけなんですよ
年金が大変だっていうのは 結局何かっていうと
定年というものを変えるだけの
政治的な力がないっていうことだけなんですよ
議論もできないというわけですね
ですから かつて平均年齢が
四十三歳だったり五十歳だったりする頃に
年金っていうのを基本的概念ってのが できたわけですが
実際年金が 実際っていうのは1963年ですからね
ですから だいぶ後ですけども
だけどそういう考えができた
ところが現在の年金の問題って どうかっていうとですね
二十歳から五十歳の 言ってみれば
年金を出す方の 平均的な資産っていうのは
まぁ一人当たりっていうか 一家族あたり千三百万なんですよ
これに対して五十歳から八十歳 言ってみれば
半分ぐらい まぁ年金をもらう世代の
平均的な一家の資産っていうのは四千三百万
だから結局 三倍以上なんですね
それからまぁ 非常に簡単に言えば
貧乏な若い人が 金持ちの年取りに
年金を出すっていう構造に一応なってるんですよ
もうこれはね 年金は付加年金っていうのと
積み立て年金ってありますからね
こういう専門的な議論をいっぱいすると 色々議論があって
この少子高齢化だけで 何回もやらなきゃいけないんですが
そういうことを 難しいことを除けばですね
簡単に言えば そういうことなんですよ
ですから 少子っていうのはですね
別にどうってことないんですよ
それはその 強制的に子供を産んじゃいけないよとか
いう風な制約をつけて少子になるのは別だけど
現在みたいに 女性が自らの意思で
子供を産む数を減らしているという時はですね
やっぱり それが女性の希望であり
発展する段階ですからね
僕は問題じゃないと思うんですよ
それから もう少し子供を産んだ方が
私は女性の幸福にはいいと思いますよ
思うけども それを判断してるのは
女性ですからね あくまでも
ですからそれはやっぱり 女性の意思を尊重するべきだと
僕は思ってるんですよ
だから少子はまず問題ない
六千万人行くにはですね
現在のスピードでも百五十年ぐらいかかるんですよ
多分ですね っていうのは
今の状態がそのまま続けば あと百年ぐらいなんですが
色々その もうちょっと減り出したから
私も子供を産んでみようかしら なんてのが出てきますからね
そうすると百五十年ぐらいかかる
百五十年ぐらいで 現在の一億二千五百万人が
六千万人ぐらいになるのっていうのは 非常にいいんですよ
日本はね 六千万人ぐらいになったら
ものすごくいい国になります
ですから もう少子は全く問題ない
無理やりね なんかだからその少子の問題の中で
お母さんが子供を育て 家事をやり
しかも仕事をするというのが過度である それはそうなんです
子供を産みにくい環境にある それはそうなんですよ
それはね 環境を直すべきであって
子供が少ないことを強制的に
何か補助金を出したりして やるっていう問題じゃない
ここは 根本的な議論が必要なんですね
まず日本は どのくらいになるのが望ましいか
現在子供の数が少ない
一人当たりの女性が産む子供が平均 1.4人ぐらい
これは女性の これからの将来に向かって
明るい状態なのか 暗い状態なのか
こういう基本的議論はですね やっぱり今度新しい
例えば 参政党みたいなのが出てきて
初めてできることなんですよ
どうしてかというとですね もう後はね
もう がんじがらめなんですよ
この前ある県のね 非常に優れた女性のですね
福祉関係のトップの人と会って 話をしましたらね
もうとんでもないことが
いっぱい行われてるって 政治的にはですね
一歳の子供に 一歳って一歳二歳の一歳ですね
一歳の子供に 月なんか二十万円ぐらい
今かかるようなシステムになろうとしている
だけどお母さん それはお母さん働いてるから
だけどもお母さん方に聞くと
まぁ十万も手当てをもらったら
自分で子供を育てたい言ってると
どっちが正しいか分かんないけど
議論なくして子供にお金が行くと それに関するですね
子供スポーツ関係とか 保育関係とか
金をもらいたい人が山ほどいる
その人達だけの つまり政治が利権化してるんですね
だから少子化の問題 
少子化して保育をするというような問題は
やっぱりこれは 利権の問題に絡んでるんですね
高齢化はもっとそうですよ
それから 高齢化の一番悪いところはね
若い人が高齢化の社会に対して
反感を持ってるってことですよ
例えば 七十歳以上の人は免許を返上すべきだと
いうような人が多いんですけれども
これは全然方向が逆ですね
七十歳以上の人でも 安心して運転できる車を作れと
こういう方向に行かなかきゃいかないわけですよ
だってね 七十になったらもう
お前死んでしまえっていうのはね
それは人間として あまり感心したことじゃないですね
やっぱり この社会は
ゼロ歳から五十歳までの第一人生の人
五十歳から百歳までの 第二人生の人が
共にお互いを認めて
幸福な百年の人生を送るように
どうやったらいいだろうか どういう技術を開発し
どういう社会にしたらいいだろうか 例えばですね
自動運転の自動車を早く作れば
もう全然七十歳以上の人の免許なんて 問題にならない
もっと前に 例えば
自分のところから十メートル以内ぐらいに
障害があったら アクセルを踏んでも
ガソリンが行かないようにすりゃーいいんですけど
簡単ですからね 三万円も掛かりませんよ
高齢者用車両の製造っていうのをですね
それを人間の方に 刃を向けるっていうのは
もうそれはね あまり感心したことじゃないです
やっぱりみんな お互いに
高齢の人は頭も少しぼけてきます
運動神経も悪くなってきます
しかしそれなりの社会を 作っていくっていうことであって
こう憎むとかね いじめるとかいう風に
心が向いていく社会こそですね
我々一人一人が
悲しい人生を送らなきゃいけないってことですね
今 四十歳の人もやがて七十になります
それで七十 八十で健康であるっていうことは
その人が喜ぶと思いますよ
そしてみんなは 子供を育てて子供が大きくなり
子供が孫を生み 孫の顔を見る
もしくは違う人生の計画を持って
その人はその人なりに 結婚しない
子供を持たないっていうことの人生を選んでいく
しかしその人も比較的自由に ちょっとこれ難しいんですが
比較的自由に 男女の交際もでき
豊かな楽しい生活を送れると
そういうそのー あの人はこうだって後指差すような
暗い社会じゃないものを作る
だから少子高齢化という問題自身を
もう取り下げなきゃいけない
しかしそれはね 古い政党ではできないんです
なぜできないか それは利権に絡んでしまって
それをもう 振り落とすことはできないんですよ
我々の生活もそうですけども
やっぱり人間には しがらみっていうのがあるんですね
だから 新しい方向に行くには
新しい社会じゃなくちゃいけない
その新しい社会をリードする人たちは
今までの人ではいけないと そういうことですね
それが少子高齢化には
本当に はっきりと表れていると思います

2022年1月16日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/16

基本的な人生設計(1) 第一と第二の人生 (武田邦彦)



本日の収穫(3567文字)  


私はですね アドバイザーをやっております
ある大きな自治体がありましてね
そこで 今から五年ぐらい前でしょうか
その市のですね 基本的な高齢者対策を作ったので
ちょっと来てですね 考えを言ってくれと
コメント言ってくれっていう話がありまして
市役所に行きました
その高齢者対策は 非常にしっかりしておりましてね
大体四十ちょっと過ぎぐらいの
四十から五十代のですね 課長さんか部長さんとみられる方が
非常に系統的にですね 一時間ほど
その市の今後の高齢者の対策を お話になりました
それで そこの席でですね
武田先生コメントをお願いします
と言われたんで一言いったんですね
この市では 高齢者というのは市民ではないんですかと
こう聞いたわけですね それはどうしてかと言うと
日本人はどうしても従来の概念を そのまま良くすると
それを良くするっていうのは
割合と良くて あの上手くてですね
この場合も高齢者対策という名前に 縛られたんでしょうね
現役の方 例えば
二十歳から六十歳の四十年間の人が どうやったら
六十歳から年の上の高齢者に
対策を取るかって 対策なんですね
ですから まぁ例えば高齢者をいかに閉じ込めておくかとか
高齢者が例えば認知症になったら
それをどうするかっていう その対策なんですね
高齢者側には立ってないんですよ
その人も四十から五十ぐらいの人ですから
当然自分が六十以上になった時のことを
考えてるわけじゃないんですね
この問題の難しさはですね 実はその
ここで人生設計という風に出したんですが
この難しさはですね
子供は子供のこと
自分は自分のことには興味あるんですよ
若い女性は若い女性のこと
勤め人は勤め人のこと
主婦は主婦のこと
老人は老人のことっていう風になっちゃうんですね
ところがですね 私はこの参政党とか
そういうところで活動するのにですね
その主たる中心を絡合
糸偏に おのおのという各という字ですね
字を書いて合うという字を書くんですね
絡合というのを掲げているわけですよ
これは個人の幸せは 個人の幸せでできるものではないと
それは当たり前のことですね
よく昔ですね 学生がですね
私は工学部の物理系ですから
大体男の学生ばかりで しかも人間関係うまくいかないんですね
それで ぶりぶり怒ったりしてるんですよ
あいつがいけないとか こいつがいけないとか言ってですね
大学がいけないとか言ってですね
そうかと 君そんなに社会に不満があるんだったら
野原で一人で生活したらどうだと こういうわけですよ
ちょっとしばらく経って その学生にね
どうだい この前言ったのはったら
いや先生やっぱり寂しくて 野原で一人で生活できませんよと
それからまたですね ご飯も作んなきゃなんないし
一人で畑も耕さなきゃなんないし
野獣も捕らなきゃなんないし
ちょっとそれできませんと そうだろうと
つまり人間っていうのは 一人で生活できないんだよと
これが絡合というものなんですね
これはですね いつ頃その生物史上発生したかって
なかなか難しいんですよ
単細胞生物ができて 真核細胞ができて
多細胞生物になってっていう風に だんだんこう行くんですが
多細胞生物っていうのが元々ですね
細胞間の連絡をしながらしか 生きていけないんですね
人間あのー こういう生物は
多細胞生物 細胞がいっぱいないとですね
ある人は目で ある細胞は目になり
ある細胞は足の裏になり
ある細胞は膝になるということで
まぁ生物というのは大きくは繁栄した
ところが繁栄して しばらくしてみるとですね
いや実はそうじゃないんだと
一つの生物を多細胞で作っても 例えば人間ですね
人間やっぱり一人で生活できない
もしくは一人で生活する方が
ずっと貧弱だと言ってもいいですね
不幸だと言ってもいいんですね
それで随分昔からですね 群れをなすようになりまして
人間ばかりじゃないですね それは馬でも群れですし
ボルボックスっていうのが一番 その原始的なんですけど
それも群れなんですね
だから多細胞生物 例えば人間ですと
六十兆個の細胞って 言われるんですけども
六十兆個の細胞がさらに例えば日本ですと
一億五千万人が一緒になって 日本国というのを形成する
日本国が繁栄してないと そこに住んでいる日本人は
幸福にならないっていうことが
もう今から まぁ五万年ぐらい前に
気が付いてるんですよ 人間もですね
ですから利己 自分を利する利己がいいのか
利他 他人がいいのかとかですね
性善なのか性悪なのか なんていうのは
いつも議論になるのは この問題なんですね
やっぱり人間の基本的な矛盾はですね
利己と利他が共存している
個人と絡合が共存してる
だけども 人間の長い歴史を考えるとですね
他人が幸福になったほうが 自分が幸福になると
いうことは もう実証されております
これはもう本当に 実証されております
私は歴史が好きなんですが 歴史を見ますと
個人が幸福になるということを
追及したとこはみんな駄目になって
みんなが幸福の方が 自分が幸福だっていう方が
幸福な人生を送ってますね
その点から 私は絡合というのを
表に掲げておるわけでありますが
その戦後ですね自由民主党が力を発揮した
1960年 1957年なんですけど正式に言いますと
日本人の平均寿命が やっと五十を超えました
つまり五十歳までの人生が 全てだったんですね
ですからゼロ歳から五十歳までに どうやって生きていくか
十歳までは成長し 十歳から二十歳までは
勉強したりスポーツしたりして能力を高め
二十歳で社会に出て 一生懸命若い頃働き
やがて結婚し 子供を持ち家を持ち
そして五十歳の中盤になるとですね
大体そういった 自分の人生が終わって五十で死ぬと
こういう人生だったわけですよ
いや今の人はそんなこと聞いたら嘘だって思うけど
日本人の平均寿命は 五十歳を超えたのは
1947年ですからねー
ですから そういうことになったんですよ
ところが今は百歳ですね
おととし 五十歳を超えた人の平均寿命が
五十歳になりまして 五十年になりましたので
現在 まぁまぁ生きている人のほとんどが
百歳の人生を送ることになります
現在まだ 男女平均して八十五歳ぐらいですから
百歳っていうと
俺はそんなに生きれるのかなと思いますけれども
私が生まれた頃は まだ平均寿命は四十代でしたからね
そんな五十歳以上に
人生になるなんて思ってなかったんですよ
それは私ばかりでなくて文学者 一番文学者がねー
頑張ってもらわなきゃいけないんですが
文学の人が 第二の人生
五十歳から百歳の人生を色々描いてくれないと
我々の頭の中に 浮かばないんですよ
私達がですね 十歳まではどう 二十歳まではどう
二十代は若くて 結婚して子供持って
三十代は 一生懸命子供を育てて家を持って
四十代はそれを完成していくという
人生のイメージがあるのは
やっぱり色々な文学があるからなんですね
もちろん哲学もありますけど
それから実例もありますけどね
やはり文学が先行するんですよ ですけども
第二の人生 五十歳から百歳っていうとですね
まず夫婦は一体どうするのかと
もちろんセックスはもうありませんよね
ない あってもまぁ子供を産むための
セックスじゃないんでちょっと違いますよね
子供を産むということもない
育てるということも ほとんどない
それで そうかといって
仕事もまぁ定年になっちゃったらない
定年なんていう概念はですね
平均寿命が 五十歳以下の時の概念なんですよ
だから第二の人生 酷い人は
もう七十歳以上は免許証は要らないなんて言ってますけど
七十歳以上だって同じ人生なんですよね
同じ人生なんです
私は四十五歳の時に それが気が付いたんですけど
四十五歳の時に
老婆の一時間という随筆を書きましてね
その随筆を書いている時に
そのこのー 私が書いた随筆に出てくる老婆はですね
頭もはっきりしている 腰も膝も悪くない
だけども もう何もすることがなくて
台所は嫁がやってくれる 掃除もやってくれる
ただ縁側に座っている
だけども そんな老婆はですね
まだやっぱり 自分の人生を送りたいんですよ
じゃあその老婆から
人生を奪ってしまった人は誰かって言うと
みんなその老婆に好意を持ってる人
お母さん 台所は私がやるから休んでくださいね
っていう嫁さんとか そういう人なんですよね
決して悪意じゃないんですよ
だけども人間が 五十歳から百歳までの五十年間を
ゼロ歳から五十歳までの 五十年間と
同じように充実して生きる
ということは大切ですよね もちろん
それには やはり個人の力だけじゃ及ばないです
やっぱり文学があり
政治体制があり 周りがありですね
今みたいに周りがですね
老人は何だって言ったら駄目なんです
だけども若い人にも 若い人の意見がありますね
今みたいに金持ちの老人を
貧乏な若者が年金で支えるみたいなことがあると
やっぱり歪んできて ぎくしゃくするんですよね
ここのところを やはり政治で解決していかなきゃいけない
まずは基本的には 
政治で解決していかなきゃいけないということで
まずは第一の人生と第二の人生を
我々が有意義に送るために
どういう政治が必要かということをですね
次にお話をしたいという風に思います

2022年1月15日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2022/01/15

PTAと教育委員会 (今の状態より、未来の教育を議論し、 形にするのが大切) 武田邦彦




本日の収穫(3753文字) 

えーとですね 教育の問題に最後にですね
PTAと教育委員会について 触れたいと思うんですね
教育の問題ってもっといっぱいあって
いじめの問題もあればですね
先生の問題もあるし
学校の将来の問題もあるんで
また更にですね 話したいと思うんですが
一応ここではですね 今回は教育の基本
日本の教育の基本のですね
子供のための教育なのか
誰のために教育やってるのかと
いうことを中心にお話ししてきました
それで そのまとめとしてっていうか
そのそれに付随する問題ですね
PTAと聞きますとね 皆さんもPTAは困るよと
もう権力争いがあったりですね 意地悪があったりですね
もうPTAなんか 何のためにやってんのと
Parent-Teacher Association
英語でできていると同じように
これはまぁアメリカから直輸入されたものなんですね
教育委員会もそうなんですね
教育委員会も文部科学省のような 中央集権的ではなくて
地域地域で教育を
教育委員会が指導してやるという思想なんですね
これはですね 基本的にはですよ
非常に複雑にも また別なんですが 基本的にはですね
元々教育というものは ヨーロッパの文化で言えばですね
貴族が自分の家に家庭教師を呼んで
そして師弟に教育をさせるっていうのが
基本でスタートしてるんですね
もう一つ もちろん
公的な学校っていうのもあったんですけれども
ほとんどは職業教育なんですね
大学ですと 例えば神父さんを教育する神学校とか
それから弁護士さんとかそういうのを教育する
公学校?といったようなものが中心でですね
いわゆる我々がぼんやり考える 読み書きそろばんとかですね
それがさらに進んだ英会話とか
それから算数の難しい問題 数学の難しい問題
そういうものを 思い浮かべるもんじゃなかったんですね
そういうことで それが発展しまして
今でも欧米ではそういうところ 多いんですけれども
父兄が集まって 学校を作ろうじゃないかと
そうしないと どうも子供達の教育が
うまく行かないからっていうんで
学校を作ってですよ 父兄が学校を作って
先生を雇い入れて
それで先生方とその父兄で相談をしてですね
そして教育をスタートするっていうのが
PTAの原形なんですよ
だからPTAを作るっていうことはですね
教育内容を その親とですね
今で言えば 親と
それから先生方が協議して作るわけですね
ですから 今のPTAがやってることと全く違うんですよ
もっと本質的なことやるわけですね
ここの地域ではむしろ 大学受験をする人は少ないから
高等学校で完結するような 教育をしようじゃないか
例えばそういうことですね
ここは伝統的に 文化を重要視するところなので
国語の教育とか それから古文の教育を重要視して
あまり理科の方は 教養程度でいいんじゃないかとかですね
そういうことを PTAでやるわけですね
ところが日本のPTAってのは 元々そういう文化がありません
それで日本は全然 まぁここでずーっと言ってきたように
子供の教育は子供同士でやる 七歳まではですね
七歳以上は今度は学校でやるけども
男女別学であるという 全然違う考え方
これは立派な考え方で
日本の教育の考え方の方が
子供のことを考えていると私は思ってますけどね
そういうことなんですね
だから今のPTAは 何のために存在するんだと
親の負担を増やすだけじゃないかとか
親の負担を増やすっていうのは 何を言ってるかっていうと
教育はもう学校に任せときゃいいんだと 言うことなんですね
それと同じのが やっぱり教育委員会がそうなんですね
まぁですね 文部省っていうのが 我々はですね
国に文部省っていうのがあって
そこで教育の検定試験もやり 学校も作り
教育も作り それから学習指導要綱みたいな細かいのも決め
大学の受験なんかも全部決めると こう思ってるんですけど
仮に言えばですね アメリカは日本流の文部省はありません
お金 研究費なんかは大学に配るような
組織なんかはあるんですけどね
もちろんそのー 教育内容を
文部省というようなところが決めるってことはありません
またヨーロッパはですね
基本的には大学受験がないっていうか
大学の区別がないっていう感じなんですね
ですからまぁ フィンランドみたいなところそうですが
しかしドイツみたいな大きなとこでもですね
大学に入学するっていう試験はあっても
どの大学に所属するってことは あんまりなかったりしますね
ですから まぁ学生によっては
冬はスキーのできる北のほうの大学
夏はプールに入れる 南の方の大学なんつってですね
渡り歩く人も いないではないんですね
フランスはちょっと エリート教育的なところありましてね
またそれなりに違うシステムなんですが
簡単に言えばですね
ヨーロッパの教育システム アメリカもそうなんですが
主体的な教育が やっぱり大学とか教育機関
中学校高等学校に任されている
どちらかというと
私立大学っていうのが中心で 例えばアメリカですとね
皆さんがご存知の ハーバード大学とか
そのー カリフォルニアの方の色んな大学なんかも
基本的には 私立大学はレベルが高いんですね
日本と逆なんですね
それで公立大学というのは
私立大学に入れないようなお金のない人に対して
教育機会を提供するっていうような感じなんですね
ですから私立大学に入ったけども
どうも授業料が払いきれないということになると
公立の方に移るという
そういうような感じもありますね
それからアメリカでは十八歳になると
これヨーロッパでもややそうなんですが
十八歳になると
親が学費を負担するっていうことはあまりないんですよ
自分でやるっていうことになるんですね
それなりの社会システムも整ってるんですね
ですから 大学に入って二年間勉強したけれども
どうもお金が続かないから
一年間休学して アルバイトして金を稼いで
三年四年をやると
しかも三年四年は ちょっと私立大学では無理なので
そこで公立の大学に入ってやるとかね
そういうものの影響が 中学校高等学校にも及んでいますし
アメリカも昔は わりあい厳密な
大学受験なんかあったんですけれども
現在では 大学入学資格試験みたいなものがですね
高校の時に三回ぐらいありまして
そのうち一回ぐらいはですね
大学入学資格があると認定されたら
もういいと 一発勝負じゃないんですね
ですからこれはね 
こういうことを 十分に議論せんといかんですよ
PTAもそうなんです 教育委員会もそうなんですね
私はね PTAとか教育委員会の話出てくると
もう嫌になっちゃうのはですね
そういうその各国の歴史 もしくは
なぜ日本がPTAとか教育委員会を作ったかという歴史
これを全く勉強されないでですね
PTAなんかくだらないとか
教育委員会何やってんだって話になるんですね
それは当然 今何もやってません
それはやっぱり制度っていうのは 作っただけじゃ駄目で
作ったものを議論しなきゃなんない
ところがPTAなんかくだらないからって
現在の今の状態だけが議論されるんですね
だけど本当に大切なのは 子供達のために
日本の教育をどうするんだってことを
十分に大人が議論して
それを具体的な形にするのが 大切だと思うんですね
私は日本の国民の制度 もしくは日本の文化
その二千年間の日本の文化からいって
やっぱり PTAと教育委員会制度を廃止してですね
今よりか 緩やかにした文部省と
それから学校にかなりの権限を
与えた学校組織
それをですね 中心に日本の教育を
再構築する必要があると思っております
私の個人的な意見ではですね
これはだけど 個人的な意見なんで
現場に教育があたってる方
その他の方のご意見も色々議論してですね
全然 何も議論しないで PTAと教育委員会があって
それをただ横から
批判するというようなことを
今までのようなことを 続けてたらですね
それは大人の慰み みたいにはなるんですが
その下で教育を受ける
子供達としては どうにもならないんですね
例えば いじめの問題なんかは
まさにPTAと教育委員会が 担当することなんですが
まぁ教育委員会は いつも頭を下げている
PTAはいつも 親の方はいつも
いじめを学校はどうしてくれるんだって怒り狂ってる
だけども いじめというものを学校の方で処理するのか
親の方で処理するのかということも 議論されてないんですね
これはマスコミがですね そういう議論を
止めているって言ったら ちょっと極端なんですけど
マスコミの人も ほとんど知らないですよ
教育の実態とか PTAがどうしてできたかとか
アメリカとか ヨーロッパの教育制度がどうなってるか
まして東南アジアとかね 中国とかインドとか
そういうところが教育どうなってるかなんて
全く知らない人が多いんですね
ですからまぁ そういう中で
PTAとか教育委員会が 出来てきてるんですよ
日本の文化では PTAも教育委員会も絶対できません
だから日本が 第二次世界大戦の時に
まぁ一応占領されたような
状態になったんで できたもんなんですね
ですからこれはもう 戦後七十年経ちますし
色んな問題点っていうのは いじめも含めて
それから 子供中心の教育っていうのを含めて
それであのー ゆとり教育が潰れたってことも含めてね
それは基本的にもう一回
極めて重要なテーマなので 教育自身はですね
これを議論することが大切だと
決してPTAとか 教育委員会の批判をですね
成立過程とか 世界の情勢とか
子供と教育の問題というのを切り離して
その文句を言ってもですね
ほとんど身にならないということは
我々が肝に命じておかなければいけない 問題じゃないかと
そういう風に思います 

2022年1月13日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...