2022/03/13

一番難しい問題(錯覚) ・・・(1)基本概念の違い  事実、力、所有、国、尊敬 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3347文字) 

ヒバリクラブでも
一番難しいところに差し掛かりまして
ちょっと家庭の問題が
途中になったんですけれども
どうしても頭の中にこの一番難しい問題が
もううようよしておりましてですね
なかなか先に進めなくなってしまったので
いっそのこと一番難しい問題はもうここで
一応整理をしてですね
気分もすっきりして先に進もうかなと
いう風に思いまして
一番難しい問題っていうのを出してきました
これは何はともあれ錯覚なんですね
日本人の持つ錯覚なんですよ
この錯覚っていうのはですね
聞けば あーそうかとは思うんですが
あまりに長い間 学校時代から今日に至るまで
ずっと錯覚を教えられてきた
錯覚が報道されてきたもんですから
なかなか難しいんですね これは
これが我々の日本の政治を狂わせ
人生を狂わせ楽しい家庭生活を奪い
和気あいあいとした
かつての職場も奪ったんですね
この奪って日本人を
どんどんどんどん不幸にしていく
その原因はこの錯覚にあるわけですね
基本概念の違いとここに書きましたが
つまりヨーロッパ・中国文化と
日本文化の基本概念が違うんですね
それでまたこの日本人の中で
日本を駄目にしようと思ってる
と思ってると思うんですけども
ヨーロッパとか中国の基本概念を持ってきて
それが正しいように言うことによってですね
日本人を不幸にしたいと自分が有利に
なりたいって言ってもいいんですけどね
そういう人が多いんですね
それを今日は最初ですから
全体像だけなんですが
事実の認識の仕方 力の考え方 所有の考え方
元々国というものの考え方
それから尊敬心というものを
どういう風に持ってるかっていうことなんですね
えーとですね 事実についてはですね
これはトランプ大統領の選挙の時に
ブログなんかに書いたんですが
トランプ大統領の票を
バイデンと書き直したわけですね ある程度
これが問題になったけども
アメリカではあまり問題にならない
これはアメリカのすごくちゃんとした人に
何回も聞いたんですが
結局ですね
事実をどう認定するかっていうわけですね
中国のことは皆さん知っているように
日本ではですね 事実は事実なんですよ
事実と違えば事実じゃないんですよ 嘘なんです
ところが中国やヨーロッパはですね
目的を達成すれば事実も本当になるってやつです
これは中国見てて割合よく知ってますよね
もちろんイギリスだとかフランスのことを
よく知ってる人は納得すると
これは事実に対して全然違うんですね
ですからバイデン大統領という投票を
トランプ大統領 あ!ちがう
トランプ大統領の票をバイデンと書き換えても
バイデンが最終的に大統領になればいいんだ
アメリカ人が言ってましたね
それから次は力ですね
ヨーロッパも中国も力のある方が強い勝ちだと
価値がある しかも偉いということですね
だから男と女では
必ず男の方が偉いっていうのが
中国とヨーロッパの考え方ですね
日本はそうじゃないんですよ
力に関係なく人間は人間ということなんで
男性と女性が平等なのは
世界で日本だけだったわけですね
他の国は男性が女性を所有するという関係でした
これも随分何回も繰り返しました
それから今度は所有の問題ですね
所有の問題がまた面白いんですよ
日本人はですね
人のものは人のものなんですよ
だから日本は外国にも
ほとんど侵略しませんでした
そういうと豊臣秀吉のって
こう出てくるんですが
一回とか二回はそういうことあるんですけどね
二回あるかな?一二回あるんですけども
それはイギリスがちょうど
日本と同じような立場にある国なんですが
海外に戦争に出た回数っていったら
日本の百倍以上なんですよ
これはどうしてかっていったら所有は
日本人は人のものは人のものだから
無理やり取っちゃいけないっていう
考え方ですね
中国もヨーロッパも人のものは自分のものだから
自分が必要であれば
奪い取っていいっていうそういう考え方ですね
それから国っていうのも非常に大きいんですね
日本国は二千年前
二千年前って言うと またちょっとわずかな
いちゃもんをつける人がいるんですけども
千五百年でも千八百年でもいいんですが
長い間日本国でした
我々は日本人であるという気持ちを持っていますが
ヨーロッパも中国もですね
地域はヨーロッパの地域
中国の地域
中国の地域ってなかった志那の地域ですね
地域があっただけで
そこには国はなかったんですね
ヨーロッパでもそのローマ帝国とかですね
ハプスブルク家とかですね ブルボン家とか
そういうのがあっただけですね
だから貴族の領土っていうのがあったわけです
時にそれがものすごく大きくなると
今の国を数カ国こうなんか
占有してるっていう場合もあったし
小さなイタリアみたいにもうミラノ公国とかが
いっぱいあるということもありました
中国ももちろんそうですね
漢唐宋元明清って言いますけど
その途中に十六国とか色々あったわけですが
三国志とかですね
それがあったわけですが
地域が定まってられる
国があったわけじゃないんですね
ですから国ができたのは
日本は二千年前だとしますと
大体フランスのフランス革命が二百年前
フランス革命のあとナポレオン戦争があって
各国が国という意識を
持つようになったわけですね
貴族政治から国の政治へと
いう風に変わったわけですね
ですからこれが全く違うんですよ
だからもう考えてることが違うんですよ
日本人はもう頭から日本国
日本国とか思うんですけど
ヨーロッパとか中国の人はですね
まだ国というのはないんですね
ですからそうなる
それから最後に尊敬と書いたんですけども
その地域も 国っていうのは
日本しかないんですが
その地域のトップ日本で言えば天皇陛下
大統領とかですね 王様とかですね
天子 中国では天子の
墓が暴かれなかったのは日本だけなんですよ
墓を暴かない要するに
祖先を尊敬しているっていうのは日本だけなんですね
日本は時間が繋がってるんですよ
大昔の時間から縄文時代・弥生時代
古墳時代とか飛鳥・奈良時代
平安・鎌倉ってずっと繋がってるんですよ
同じ国ですから
だから天皇陛下の墓は全然暴かれない
天皇陛下がどんなに貧乏でも
天皇陛下が軍隊を全然持っておられなくても
ちゃんと尊敬の心っていうのは変わらないんですよ
これはものの価値観なんですよね
それに対して中国は有名ですよね
王朝が変わる
国じゃないんだからしょうがないんですけど
王朝が変わる事に
墓が暴かれるということなんですね
全然違うわけですね
ヨーロッパもちろんそうですね
例えばなんかの王朝が滅びてしまったら
その王朝のことを考える人は
誰もいないわけですね
そういうことでトップの墓は常に
暴かれるっていうのが日本以外の国なんですね
そうしてみますと
我々が生活をし人生を送っていく上で
極めて重要な概念ですね
事実をどう認識するか
力づくの社会なのか
人のものは自分のものなのか
それとも人のものは人のものなのか
自分は何という国に住んでるのか
それとも国のない単なる
臨時の政府みたいなところに住んでるのか
それから誰をどういう風に尊敬するのか
それは時間をわたっているのかってことですね
これはもう重要ですね
歴史その国の今のギリシャの人は多分
古代ギリシャとは切れてるんですよね あれ
だからその自分の国の
ギリシャとは思ってないと思いますよ
これはどこの国でもそうですね
だってない なかったりできたり
なかったりできたりするわけですからね
ですから当然それは
国という風には呼べないわけですよね
ですからこれだけ違いがある
これをどのように我々は
考えていくかっていうのが一番難しいんですね
それでこれは学校でですね
これに基づいて教えてくれれば
まだ我々は基礎的概念がありますよね
人間は生まれてから
自分が経験上 新しいことは
最初に教えてもらったことが
正しいと思う性格がありますね
ですから生まれた時にその家がキリスト教なら
キリスト教を信じますし
イスラム教ならイスラム教を信じるって
こういう風になっちゃうんですね
別にイスラム教とキリスト教を比べて
どっちだっていうことは普通人間はやらないですね
ですからヨーロッパ
現在では日本の文化にヨーロッパの違う
こういう事実・力・所有・国・尊敬と
いうものをやりますからね
尊敬ってのは金と言ってもいいんですけど
権力って言ってもいいんですけど
そういうものに対する考えが大きく違う
これをですね どのように克服し
日本社会が幸福に溢れる国になるかっていうのが
僕は一番難しいと思っております

2022年2月19日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦 先生

2022/03/12

【炉端の話】日本人とはなにか?5 日本列島に住んでいる人は日本人 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3906文字) 

日本人とはなにかの五回目ですね
日本人は神様というのが
自然と祖先であって
自然も祖先も私たちに語りかけませんから
日本には宗教は無いと
教えっていうのはないと
だから信教の自由という憲法20条は
変えなきゃいけないわけですね
日本人にとっては
信教っていうのはないですからね
教えを信じるかどうかっていうのはですね
外国から来られた人に対する
憲法ということになりますね
それからもう一つ
非常に大きな日本人の特徴は
日本列島に住んでいる人は日本人であると
いうことを発見したってことなんですね
私がそれに気が付いたのは
何か縄文時代の文化を勉強している時に
気が付いたと思うんですけども
それからギリシャとかローマっていう
古代ヨーロッパ系ですね
の文化を勉強した時に
あれって思ったことがあるんですね
古代ギリシャは五パーセントぐらいが市民で
九十パーセントぐらいは奴隷なんですね
それからローマもそうですね
ローマ市民っていうのは特別な人たちで
それに色んなところの市民とか色んなのがある
だけど市民でもものすごく格差があってですね
ローマの政治では護民官っていうのが
それを補正するのに大変なんですね
さらに中国はですね
昔は岡田英弘さんっていう
非常に立派な有名な
歴史学者から習ったんですが
後漢 漢の終わりですね
の時に大体漢人の九割が殺されたと
最近ちょっと具体的に
数字が分かってきたんですけど
なんかその頃の人口がちょっと
桁が違ってる可能性もあるんですけど
三千万人ぐらいでそのうち残ったのが
五百万人かなんかなんですね
そんなような感じで
殺戮に殺戮を繰り返されたということで
最近また別の人からですね
そういうその大虐殺っていうのは
一割しか国民が
残らないっていうようなことは何回もあったと
実は後漢のあとにですね
五胡十六国っていう時代があるんですが
この五胡十六国っていうのは
胡っていうことですから
外人っていうことですけど
その外人が来て国を作るわけですね
何で外人が来て国を作ったかっていうと
もう漢の時代に九割の人間が殺されちゃったので
ガラガラになっちゃったんで
その北のほうから胡
胡人 違う人ですね が来たということに
なったんだっていうことも知りまして
その後のまた中国では
大虐殺が何回か行われるんですね
最近はY遺伝子の研究が随分進んでおりまして
Y遺伝子は親から子に
男親から息子に伝わるもんですから
女性の方は
そういう系列が分からないんですけれども
男の方は系列が分かるんですが
日本以外の国ではですね Y遺伝子が突然
ぱたっとこうなくなってしまうらしいですね
それはその大虐殺があると
男性は皆殺しになって女性は殺さないから
男性のY遺伝子の断絶が起こるわけですね
日本人だけは断絶が起こってないので
アジアでも日本人だけが特別なんですね
日本人だけって恐らくインドネシアとか
そこら辺が調べ 調査が進むと
あそこら辺もやっぱり日本人と同じような
皆殺しがないんじゃないかと
思うんですけどね まだ分かりません
ここで言ってる
日本列島に住んでる人は日本人ということで
日本の場合はですね 日本に住んでる
日本人はみんな日本人なんですよ
それでそれは武田何言ってんのって
言われるでしょうけども
ギリシャ人の九割が奴隷だったりですね
それから志那に住んでる人が
ほとんど殺されたりするのは何かって言うと
その志那に住んでる人は志那人だ
ギリシャに住んでる人はギリシャ人だという
意識ができなかったんですよ
土地というものにその人間が
くっついてなかったんですね
人間は人間だから
別に同じところに住んでても殺していいやと
そういうことだったわけですね
だから奴隷にしてもいいと
そういうことで奴隷が九割だったわけですね
支配層五パーセントっていうのは
今でも中国でも変わりませんし
それからアメリカでも変わりませんが
そういう基本構造なんですね
ですからもう日本人と全然違うんですね
だから日本の不思議さっていっぱいあって
色んな方が色んなこと言ってるので
正しいかどうかちょっと中々難しいんですが
ユダヤ人っていうのは
結構日本に来てましてね
歴史家の研究では
一万八千人ぐらい 古代に
ユダヤは国がないんで
色んな国に来るんですけども
ユダヤ人が移動した国でその国の
格好をしてる人って日本だけらしいんですよ
やっぱり他の国に行った
ユダヤ人はですね
やっぱりとんがり帽子のような
黒い帽子をかぶってたり
ユダヤ教だったりして
中々その土地に同化しないんですね
ところが日本に来ますと
日本人がユダヤ人を普通に扱えますから
ユダヤ人の人の性っていうのがですね
私は武田っていう性なんですけど
性は決まっていてですね
ちょっとここで言うとなんか
差別みたいなことが起こると嫌だから
言わないんですけど
二つか三つかもう決まってるんですね
私はそれちょっと聞いてるんで
勉強したので その名前聞くと
あーこの人祖先がユダヤ人なのかなと
思ったりはするんですが
とにかくその日本人には
そういう意識はないんです
僕にもありませんね
みんな日本人 隣近所みんな日本人
あーおはようございます こんにちは
どうですか最近っていう感じでですね
対等な人間として生活する
これは本当に日本人としては
当たり前のことなんですね
だから日本人って意識があるんですよ
日本列島に住んでる人は日本人
このね 当たり前のことに気が付いたのが
世界で日本人だけだったっていうのは
非常に不思議ですね
それで日本人
だから日本列島に住んでる人は
基本的に階級がなかったんですよ
身分制度もないし
そこで色々生まれたのが
仁徳天皇が民のかまどは賑ひにけり
これは物凄く面白い発言なんですね
っていうのはですね
日本に住んでると天皇陛下が民が豊かに
平和に暮らしていることは
良いことだと思うのは当たり前だと
思うんですけど 違うんですよ
それは幕末に日本に来たヨーロッパ人
アメリカ人がいくらでも言ってますけどね
同じこと言ってます
びっくりしてるんですよ みんな
あれ!みんな幸福そうだな
みんな一生懸命生活してるな
何でだろうか? つまり人に言われないで
自分で自分の人生を作ってるわけですよ
他の国は九割の人が奴隷
もしくは奴隷に近い人たちですからね
今問題になってるウクライナだっていっても
ウクライナの大量餓死事件っていうのが
多いんですけど
それはロシア赤軍がですね
銃を構えてウクライナの農民を
働かせて収穫で麦を採ると
その麦を全量を持っていくんですね ロシアに
そうすると百姓は働かされて
食べるものがないという状態になって
大体一千万人とか
千四百万人って言われてますね
その時に餓死したのが
ウクライナの今度の紛争は
それがベースにあるんですね
その後今度はウクライナが独立してから
今度はロシア人を虐殺するんですよ
だからこれは何かっていったら
そこに住んでる人は
自分たちと一緒だって意識がないんですね
ですから例えばロシアだったら
農奴と言ったわけですよ
農民と言わないで
民じゃないんですよ 奴なんですよね
奴っていうのはやっこと書くんですけど
奴隷の奴ですね
農奴と言ったわけですね
スレーブ 【slave】はそれがスラブですね
したがって日本列島に住んでる人は
日本人ということで
それじゃその制度どうするのかと
いうことで天皇陛下ができたんですね
天皇陛下の周りの貴族の数っていうのは
もう圧倒的に少ないんです
現在でもイギリスはですね
公侯伯子男
つまり公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵
っていうのは今でもいっぱいあるんですよ
いっぱいの人がいるんですね
領土を持ってるわけですね
つまり支配階級が厚いんですよ
つまり支配階級と非支配階級ですからね
ところが日本人はこう考えたんですね
全員が同じだと
日本に住んでる
その当時二千万人とかそんな数なんですが
二千万人とか一千万人とかみんな同じなんだと
そうすると支配層の数を
できるだけ減らさなきゃならない
それが日本の天皇陛下の制度で
一人 お一人なんですね 天皇陛下お一人
ですから天皇陛下お一人ですからね
兵士も死ぬ時には
天皇陛下以外あんまり思い浮かばないんですよ
天皇陛下万歳って言って死ぬんですね
それで一人ですから
天皇陛下お一人ですからね
お一人がいくら贅沢したって
それで結構天皇陛下も豪華なところに
お住みになってるわけじゃないんですよ
普通の民家よりか少しましだって
いうぐらいのところなんですね
だからこの体制っていうのは
本当に珍しい体制で
身分制度もないし奴隷もいなかったって
いうのもこれ日本だけなんですね
だから日本列島に住んでる人は
日本人だということを自分たちで認識した
我々は自然から作られるから
自然は神である
祖先から誕生したから祖先は神である
日本列島に住んでる人は日本人なんだ
この三つがですね
日本人とはなにかっていうことを
考える時に最も基本なんですね
他の国は全く違うんですよ
自然も別に祖先も ものを言わない人は
教えてくれないから宗教に入らないんですよ
だから信教
教えを信じるっていうことになります
誰かがイエス様とか
そう言ってくれないと
人生を送ることができないんですね
そこの土地に 志那に住んでるから志那人
ヨーロッパに住んでるから
ヨーロッパ人ってことないんで
虐殺がいくらでも起こる
これが今度どんどんどんどん
遺伝子解析が進んでですね
それで歴史が書き直されると思うんですよ
そうすると日本が
もう非常に光ると思いますね
日本の男性の持ってるY遺伝子っていうのは
アフリカから人間の祖先が
三回出たわけですけれども
その三回出た人たちの
DNAって分かってるんですけど
それと非常に似てるんです
っていうのはもう超大昔から
虐殺がなかったってことを
示してるわけですね
これも日本人とは何かってことを
考える時に非常に重要で
白人なんかを尊敬してる人って
結構多いんですけど
ちょっと考え直してほしいなと私は思います 

2022年3月7日

#武田邦彦 先生

2022/03/11

【炉端の話】イエス様の衝撃 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3309文字) 

もちろん一人の人生ですから
色々なことがあるわけですね
よく言うように人生を顧みると
走馬灯のように流れると こんな感じですね
その中で幾つか私の人生にも
強い印象の残ってることがあるんですね
よく話すのは三十二歳の時の
もう私のなんか自覚というか
悟りというには
ちょっとまだ不十分だったんですが
そういうものもあったし
今日はこの前ちょっと
何か話してたか 聖書を読んでる時だか
イエス様の聖書をですね
実はイエス様の聖書っていうのは
もちろん非常に有名な書物ですから
小さい頃から知ってはいたんですけど
私はキリスト教じゃないって思ってたんですね
僕はキリスト教じゃないと
だからキリスト教の書物を読んでもなぁーと
こういう感じで人事で読んでたわけですね
ところがだんだんこう年も取ってきて
自分がキリスト教であるとかないとかいう前に
イエス様という人のことを知りたいと
思うようになってきたわけですね
これはなかなか
年を取るってのはいいことで
年の若い時は
何か変なこだわりがあるんですよ
あれはキリスト教じゃないかとか
あの人は右じゃないかとか
左じゃないかとかですね
そういう全然関係ないのに
その人にレッテルを張るわけですね
だからイエス様は
今になってはキリスト教の
なんていうか神様っていうか
人間っていうか ちょっと中間なんですが
そういう風にこういわば
いい意味でレッテルを貼られてるわけですが
イエス様という人間自体はお生まれになって
三十ちょっと前で何か悟ったんでしょうね
それで人々にある人生の生き方
この社会の理解の仕方というのをお話になり
それがあまりに素晴らしかったんで
みんなに教えられてんだなって
いう感じがしたんでしょうけど
イエス様自体は教えようと思っているのか
それともご自分がそう思ってるのかってのは
分かりませんね
それで非常に強い衝撃を
受けたわけですよ 私はですね
私は今でもキリスト教の洗礼を受けてないんで
キリスト教者ではないんですが
イエス様の信者っていうのかな
キリスト教ではないが
イエス様の崇拝者っていう感じですね
お釈迦様はですね
東洋の人であるからということで理解しやすいのか
もちろんある王様の家に生まれて
教育も十分に受けて結婚もして
お母さんが早く亡くなったっていう点で
苦労もされて
そして青年期から少しになると今度は
人生に悩み放浪の旅に出るというわけですから
割合と人間的ですよね
それでお釈迦様は特別に長く生きられたんですが
今のネパールあたりのところの
王家だったわけですが
八十歳の近くになって本当の意味で
悟りというか知恵ですね
人生を送るこの宇宙やこの人っていうのは
どういうものかっていうことが心底おわかりになり
これは私の言い方でいえば
大脳皮質を抑制して伝統脳と大脳皮質を
調和させてものを考えるっていう
そういう風に私は説明しているんですが
そういう状態になる
もちろんお釈迦様自身は神様とか
宗教っていうのはほとんど言っておられません
そういう意味のことは
言っておられますけどね
仏教っていうのができたのは
お釈迦様とほぼ関係のない形でできている
ところがですね イエス様の方は
とても信じられない人生なんですよね
当時何もない 文化的なことが何もない
別に本があったわけじゃない
古典を読むわけじゃない
そういうその昔のパレスチナあたりの
普通のっていうか
貧困だったかどうか分かりませんが
普通の大工さんの子供に生まれて
そして学校行ったとか
学校でどういう成績だったなんていうのは
僕は知らないんですね
多分教育制度も整ってなかったんで
自分で勉強されたんでしょうね
そして二十七ぐらいでなんか教え
教えというか人間が今
名前を付けている教えをされた
ということですから もうそれでそのー
イエス様のお話になったことを記録したと言われる
マタイ伝を始めとした新約聖書を
私がある時に読んだらですね
わ!この人は この人っていうかイエス様を
人か神からよく分からない人なんですが
この人は素晴らしい人だなーって
いうように思いましたね
さすが2000年の長きにわたって
多くの人がイエス様の言動って言いますかね
話したこと行動に感激し影響を受け
そして救われたと
いうだけのことはあって
もう飛び抜けてるんですよ
当時のギリシャ哲学も優れてたけど
ギリシャ哲学なんていうのは
ほとんどギリシャのアテネならアテネの人たちを
奴隷に使ってその人たちを働かせて
それでその上前で生活して
面倒くさい理屈をこねていただけですからね
それから見れば 中にはヒポクラテスみたいな
偉いお医者さんもいたわけですが
それに比べれば
もう全然片田舎も片田舎
超片田舎で二十七歳にして
何でこんな知恵があるのかなと
これはもうほとんど人間業じゃないなと
キリスト教の人はですね
何を信じなきゃいけないかと
いけないかということもないけど
何を信じておられるかっていうと
イエス様の復活ですよね
十字架にかけられて
亡くなった後 復活したと
この復活イエスの復活というのを
信じるかどうかで今はどうも
キリスト教の人かキリスト教じゃない人かの
区分をしているようなんですけども
私は随分教会にも行くタイプですし
聖書も読むタイプなんですが
イエス様の本当の偉さは
実は復活したというよりか むしろ
復活を信じられない人もいますからね
そのイエス様のものすごく深い愛情ですよ
愛情 愛ですね
キリスト教はよく愛って言いますけど
本当にそうでそれは私はですね こんなこと
言ったらもう袋叩きに遭うかもしれないですが
モーゼだとか色んな人が
キリスト教には登場するんですね
しかしこのイエス様の愛情
人間に対する愛の深さっていうのはですね
もう桁が何桁も違うんですよ
それはもう復活っていうそのね
三年ぐらい布教された後の事件もそうですが
一番最初の頃に行っている
山上の垂訓っていう有名な山の上かなんかで
皆さんにお話をされている内容なんかですね
もうとても人間業とは
思えないっていうんですかね
自己に対する今でいう利己心ですね
利己心ほとんどない
もうとにかく今の日本なんか
もう利己ばっかで行ってますけどね
なんか伝染病が流行ってもこの機会に
病院で儲かるようにするにはなんて
考える医者がいるぐらいですからね
学校の先生も僕もそうですが
もう本当にもう利己ばかりなんですよ
ところがイエス様っていうのは
利己がないっていってもいいんですよね
ないんですよ 見当たらないですね
他人に対して非常に深い
もう本当に深い愛情があるんですね
それは色んな病気の方を治されたという
奇跡なんかが普通は言われますが
私は例えば
広場で石に打たれている女の人をですね
この中でこの女に石を打てるぐらい立派な人は
石を投げてもいいよと言ったら
誰も石を投げられなくなって去ったと
これなんかはもう余程人間に対して
深い愛情がないと思い浮かばないことですよね
それを我々はそうだなーと思うわけですね
だからキリスト教を深く信じている人も
非常に結構なんですよっていうのは
我々が一生かけても到達できないような
他人に対する深い愛情というものに
接するというだけでですね
人間っていうのはやっぱりこう立派になるんで
聖書をお読みになるのは全くお勧めなんですが
しかしやっぱりそこに
人間の手が入りますとね
なんかきらびやかに飾った偉そうな格好してる
枢機卿とか神父さんとかおられるしですね
やっぱり教会は今でもいつもドアが開いてて
どんな方でも入れるわけですね
だけどもちろんそうですが
イエス様のような利己が全くない利他だけと
人間に対して本当に深い愛情を
持ってるっていう人がパレスチナの田舎で生まれて
何にも教育がないのにそうなるって考えられないので
イエス様はまさか神様じゃないと思うけど
もしかすると神様なのかなーと思ったりしますね
いずれにしても私の人生には
非常に大きな衝撃がありましたね
ああ!こんなに深い愛情をもった
人というのが人かどうか分かりませんが
この世に存在するんだなー
その後 色んな方の本を読んだり
色々行状を聞いたりしても
世界中でやはり今まで歴史に残る人で
イエス様のような自分を捨てて他人に深い愛情
それが十字架に現れてるんですが
深い愛情を持った人はいない
それはキリスト教徒であれ
誰であれ感じることができる
これが僕の人生における
イエス様の衝撃だったということなんですね

2022年2月23日

#武田邦彦 先生

2022/03/10

【炉端の話】日本人とはなにか?4  日本人の神 2.祖先 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3378文字) 

日本人のですね 考え方
一つは神が一つは自然である
もう一つが祖先ですね
自分達を作ってくれたものこれがやっぱり
我々が一番大切にしなきゃいけないんだ
我々は自然から誕生してきている
太陽の光の恵みを受け
山や川とかですね
動物・植物・稲とか
そういうものから自分ができている
最近の言い方をすれば
ウイルスとか腸内細菌とかそういうのも
我々が生きていくには必要であると
だから自然は神様である これはいいですね
もう一つは祖先ですね
これはですね インドの思想が
まだ日本に入ってないと思うんですが
入ってない時に同時ぐらいにできたか
ちょっとインドよりか遅いかもしれませんが
日本人はですね 空間ですね
例えば日本列島とか地球の上とか
そういう空間とですね 時間ですね
過去から未来という二つで
物事を捉えているような感じがするんですね
それで祖先 祖先がいたから我々がいる
太陽がいるから我々がいると同じように
祖先がいないと我々いないんですね
それは単なる遺伝子のことも言ってるんですが
それ以上にですね
祖先が竪穴住宅に住み
それから藁葺屋根にして壁を作り障子を作り
そして少しずつ少しずつ進んできて
現在の我々の住居に住んでるわけですね
これは住居ばかりでなくて
食べ物もそうですね
最初はアワとかヒエとか食べて
その前は今度は栽培しないで獣を獲ったり
木の実を採ったりして食べてた
それが栽培するようになって米になり
それから水稲になりですね 水稲っていうのは
水で育てる 水田で育てる稲になり
今はコシヒカリとかそういう
ものすごくおいしいお米になる
魚も全部捕り方からそうですね
ですから我々は空間の中の一人であり
かつ過去の祖先がいたから
今の生活があるということになるんですね
そうしますと当然祖先は
神様であるということになるわけですね
それからもう一つの重要な点は
我々はお父さんお母さんが二人
お爺さんお婆さんが四人
曽祖父さん曽祖母さんが八人ということで
2のn乗といいますかね
30年大体一世代30年ですから
300年たつと10世代ですね
だから2の10乗になります
それから3000年たつと2の100乗ですからね
これはもう天文学的数字になっちゃうんですよ
だから我々は自分の祖先が
全ての日本人なんですよ
大体例えば二千年前の
ちょうど神武天皇あたりと
いうことを考えますとね
我々は全て親戚なんですよ
血がつながってるんですね
それが日本人の何となく日本人の顔
頭の髪の毛が黒い
ちょっと黄色い肌 目も黒い
ちょっとこう顔も日本人の顔 背も少し低い
筋肉の付き方から歩き方から
みんな似てるのはそれなんですね
私一回 随分精密に計算したことあるんですよ
高知県の人が何年ぐらいで
親戚になるのかなと
私の計算では六百年ぐらいでしたかね
それは難しいんですね
例えば いとこ同士の結婚なんかもありますし
重複度がどのくらいかとかですね
それから隣の愛媛県から
入ったり出たりしますからね
そういったものをこう計算しなきゃないんで
ややこしいんですが
まあまあそんな感じなんですよ
っていうことは
六百年で一巡としますとね
六千年ぐらいはもちろん日本人いますから
十回以上は他人という日本人の他人と
血が混ざってるんですよね
だから日本には他人はいないわけです
その意味では祖先を敬うというのは
遺伝子的にも正しいんですね
だから日本の場合は神様というのは二つある
一つは自然であり 一つは祖先である
ところがね ここでね
憲法改正が必要なんですよ
何で憲法改正が必要かっていったら
憲法二十条にはこう書いてあるんですね
信教の自由は何人に対してもこれを保証する
いかなる宗教団体も国から特権を受け
または政治的な権力を行使してはならない
とこう書いてるわけですね
何人も宗教上の行為・祝典・儀式
または行事に参加することを強制されない
ここにおける
宗教とか信教っていうのはですね
信教っていうのは
教えを信ずるわけですね 教えを信ずる
これね宗教学の方で
何とか早くしてほしいんですが
教えを信じてるわけじゃないんですよ 日本人は
私の言う能動的信仰ですからね
信仰 信教じゃないんですよ信仰
自然と祖先を信教してるんですよ
いや!違う 信仰してるんですよ
それでね しかしこれは日本だけなんですね
キリスト教はイエス様の教えを信じるんですよ
仏教は仏様の教えを信じる
イスラム教は
ムハンマド様の教えを信じるんです
だから世界は信教の自由になるんですけど
日本の場合は信仰の自由なんですよ
信仰の自由は何人に対しても
これを保証するならいいんですね
いかなる宗教団体じゃないんですよ
いかなる信仰に関する団体も
っていう風にしなきゃいけないんですね
日本の 日本人が全部入らない
日本の憲法なんですよ
日本人は 日本人の
九十パーセントぐらいは無宗教なんですよ
これ無宗教でいいんですよ
教を信じてるわけじゃないからね
だからこの信教の自由っていうのは
日本に来た外国の方とか
日本人の中でキリスト教とか
仏教とか 仏教もちゃんとですよ
イスラム教を信じている方のための
条項が第二十条で
肝心な信仰の自由っていうのがないんですよ
憲法に 驚くべきことなんですね
これでよく平気だと思うんですよ
それで何人も宗教上の行為・祝典・儀式
または行事に参加することを
強制されないって言ってるわけだから
靖国神社の参拝はあれ宗教じゃありませんからね
信仰ですから
日本人の信仰を神社という形にしているだけで
別段宗教とは関係ないですよ
誰が 靖国神社のことを 誰が教えたのって
誰も教えてませんからね
自然 太陽とか祖先はみんな
お亡くなりになってますから
お亡くなりになった人を
祖先と言ってるものですからね
ですから靖国神社に参拝を強制しても
宗教の自由には関係ない
信教の自由には関係ないんですよ
だけどそんなに憲法解釈って
いい加減でいいんですかね
憲法学者っていうのはいっぱいいますが
なんかいつも難しいこと言っておられるけど
この第二十条を修正してはいかんと
いう風には言ってないんですね
このね 解説にはね こういうのもあります
内心に 心の中における宗教上の信仰の自由
特定の宗教を信じる自由 信仰を変える自由
宗教を信じない自由ってあるんですが
信仰の自由っていうのはないんですよね
だからこれはですね まず宗教学っていうのが
信仰学に変えなきゃいけないんですね
人間は信仰が必要だからどうしても
必要っていうかほとんどの人が信仰ですからね
だから日本人は無宗教ですかっていったら
無宗教なんですよ
ほとんどの人が無宗教ですね だけども
信仰はあるんですよ
だから道徳が守られているわけですね
日本人は道徳はしっかりしてるんですよ
倫理もしっかりしてるわけですね
いつも私が言うんです カミユの異邦人という
ノーベル賞もらった小説にですね
裁判が出てきます
それで無宗教の人は人を殺すっていうんですよ
つまり道徳がないから
つまり日本以外の人間はですね
教えてもらわないと殺人がいけないということが
分からないっていう概念なんですね
ところが日本人は能動的信仰ですからね
教えてもらうのは受動的信仰ですから
日本人がなぜ教えてもらわないのに
道徳観念があるか
これは太陽を見たり
そのご先祖様の像を仰いだりする間に
自分の心の中に
あ!自分もしっかりしなきゃいけないな
悪いことしちゃいけないな
だからここで考える悪いことっていうのはですね
日本人の場合ね 千差万別なんですよ
日本人の正義とかね
日本人の誠意っていうのはね
全部 自分一人で考えたものなんですね
これがちょっと
いさかいの原因になったりするんですよ
キリスト教だと
イエス様がどう言われてる
イスラム教だったら
ムハンマド様がどう言われてるっていうんで
その論争ぐらいありますけどね
その論争のないやつは大丈夫なんですね
全員の意見が一致するんですね
ところが日本人の場合は
能動的信仰ですからね
だからこれは能動的信仰っていうのを
はっきりと宗教学とか信仰学に変えた
信仰学ではっきりするっていうことは
もう極めて大きな課題ですね
私もね 宗教学の方と
かなり付き合いがあるんですが
信仰学っていう人はいません
いないような気がするんですよ
これからちょっと色々探してみます
いや実はこのブログで恩について
ちょっと触れましたらね
中国語の恩っていうのはなんか
二十個ぐらいの言葉を使わないと
日本人の恩にならないっていうんで
これでいよいよですね
世界中には日本だけが
恩という概念があるってことが分かりましたので
大変にこの前 役に立ちました
ということで終わります

2022年3月4日

#武田邦彦 先生

2022/03/08

【炉端の話】日本人とはなにか?3  日本人の神 1.自然 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3808文字) 

さて三回目から少し
具体的な話に入りたいと思うんですね
最近の日本人の一つの特徴は
結論は何?っていうすぐそういうんでですね
考え方とかそういうのが
本当に重要なんだけど
その考え方を飛ばして
ずっと生活をする癖がですね つきましてね
それはその基本的なことを
理解するのが難しいっていうか
ヨーロッパの概念を勉強するっていうことに
なるので それが嫌なので
結論はどうなのっていうことに
なったんじゃないかと思ってるわけですね
一回二回と割合基本的なことやりましたが
日本人の神様っていうのは二つあるんですね
一つが自然であり 二つ目が祖先なんですね
これは自然と祖先を
自分たちの神としたのには
多分 縄文時代 弥生時代
あたりなんだと思うんですが
日本人っていうのは非常にこう
自然に対する観察力が強いんですね
自然はどうして風が吹いているのか
なぜ雲は浮いているのか
なぜ風は西から来て東に吹くのか
海はどうしてあれるのか
なんていうことをじっくり考えたんですね
その結果 当たり前のことですけども
自分たちが今ここにいるのはなぜかって言うと
一つは自然があるからだ
二つ目は祖先がいたからだ
この当たり前のことに気が付くんですね
この当たり前のことって
もう一つ非常に大きなことがあって
日本列島に住んでる人は
日本人なんだっていう これ
これはですね
当たり前じゃないかっていうけど
世界でその土地に住んでる人は
その土地の人なんだっていうのを見つけたのは
日本人だけなんですよ
ですから如何に人間っていうのは
当たり前のことを発見するっていうのは
難しいかってことが分かるわけですね
今日は自然なんですが自然というものは
まずお天道様ですね
実は一番こう昔の書物を読むと
人々が恐れているのは冬至なんですよ
冬至っていうのはだんだんだんだん
太陽の照ってる時間が短くなりまして
一番短くなるわけですね
今では科学が発達してますから
だんだんだんだん太陽の照る時間が短くなって
夜が早くなり
朝が遅くなるっていうのは冬至であって
そのうちまたそれが
反転してくるよっていう感じなんですが
やはり昔の人は太陽がなくなったら
どうしようかっていう恐れが強いわけですね
したがって冬至の辺りっていうのは
非常にこう色んなことが起こってるわけですよ
例えば日本ですと
これは新暦ですけれども
冬至のすぐ後に正月が来るわけですね
それは新しい年というのは太陽の照ってる
時間が長くなる必要がありますからね
だって太陽が照らなければ
希望っていうのがないわけですから
希望が失われる時にお祝いをするって
いうわけにいきませんからね
ですから新年っていうのは
今の新暦の新年って非常に都合がいいわけで
冬至の後 大体一週間ぐらいで来ますね
そうしますと ああ日がだんだん
長くなってきたなあっていう喜びがあるわけです
もちろん二月の節分の辺り
旧暦の正月の辺りもそうなんで
気温がね ようやくこう
本当に暖かくなってくる
つまり今の新暦の正月ですと
まだちょっと寒くてですね
その後に小寒大寒と来ますからね
寒い時期があってそれがようやく
春めいてくるっていうのが節分あたりですね
もちろん昔の人は鋭敏ですから
季節を少し早めに感じますんでね
それで節分辺りで
あー太陽の日も長くなってきたし
少しこう春の香りがしてきたなっていう時に
旧暦の正月が来るわけですね
それからキリスト教なんかもそうですね クリスマス
私はですね イエスキリストが12月24日の
夜にかな?朝なんかに誕生されたというのは
やはり冬至と関係があると
いう風に思ってるんですよ
冬至が終わった途端に
キリストが生まれるわけですね
これは救い主というのはやっぱり太陽だっていう
そういう概念がやっぱりあるわけですね
もちろんエジプトでも
太陽神っていうのが最も神様の中心なわけですね
ですから日本でも
ここで再々言ってますように
お天道様の下では嘘をつかない
ということもですね
やはり太陽と非常に密接に関係がある
我々は今では太陽の光で植物が光合成を行い
光合成を行って
できた葉っぱを動物が食べる
だから人間は雑食ですから野菜っていうのは
太陽の光で直接光合成でできたものであり
お米もそうですね
それから肉の方は
それを食べた動物の方ですから
やはりこれも元々は
太陽の光とCO2温暖化ガスと水ですね
それでできたものなんですね
今頃 温暖化ガスCO2が
少ない方がいいなんて言ってるけども
それは非常に罰当たりのことで
私たちが食事としている稲ですね
稲は太陽の光とそれから温暖化ガスっていうか
CO2とそれから水で米粒を作り
その米粒を我々はいただいて
命を繋いでいるわけですから
そういうその恩を感じないようなこと
言っちゃいけないんですから
そういうことなんですね
したがってやっぱり太陽が中心です
しかし日本人は細かく見たんですね
山がなければいけない
どうも山に雲が引っかかって雨を降らせ
その雨が川となって流れ その川の中に
魚がいて川辺には木が生えて
そして飲み水を提供し
洗濯がすることができる
それから更に山の方から風が吹いてきて
その風で木々が生き生きとし
洗濯物が乾き
地面が乾いて苔とかそういうものが生えない
衛生的な環境ができる
今は風から電気を取ろうとかそういうこれも
その何て言うかな
恩を感じない自然の使い方なんですけども
風力発電なんていうのは
本当に自然を壊すわけですね
川が流れて海に流れ込む
そして母なる海 母なる大地
それから神様がおられるかとも
これはね難しいんです
西洋では大体神様は天上におられるんですが
日本の神様とか地獄とかのちょっと
平面っていうところがありましてね
日本の建物の軒先っていうのは
そうなんですけども
それから三途の川なんてのもそうなんですけども
大体こう日本の場合は平面の上に
この世があり
あの世があるという考え方で
天上地上という区別よりかは
ちょっと違うイメージがあるんですね
これも自然に対する
考え方だと思いますね
それから日本人の神っていうのは
実は他の国と全く違うのはですね
人間と神の境がないんですよ
人間が死にますと仏様になる
これは仏教が伝わってからの話ですが
伝わる前もですね
人間は死んで神になるんですよ
だから神と人間っていうのは
全然区別ってのができないものなんですね
これはもうキリスト教なんか見れば
はっきりするわけで
キリスト教は神様ももちろん一人で
一人かイエス様が加えればそういう数人なんですね
それでどんな聖人でも
聖人の列に連なってお亡くなりになっても
神様にはならないんですよ
あくまでも人間は人間なんですね
罪多き人間なんですよ
神様は人間を作った人であって
全然違うんですが
日本人は神様が
人間を作ったわけじゃないんですね
自然が人間を作ったわけです
それで神というのは象徴しているわけですね
それを 抽象概念なんです
この抽象概念っていうのは
日本人では当たり前なんですね
例えば浄瑠璃を
見れば分かるんですけれども
浄瑠璃っていうのは黒い服を着た
人形遣いが後ろにいるんですよ
人形の後に
どう見たってよく見えるんですけれども
日本人は抽象概念ができますから
後ろに見えててもいいよと
それは見ないからっていうことができるんですね
ところがヨーロッパ人は
それできませんから
人形芝居っていうとできるだけ細い糸を使って
人間は見えないように
屋上か何かにいてですね
そこから糸を垂らして
人形を操作するっていうことになるんですね
これは抽象概念が
しっかりしてる日本人っていうのが
どういうものかっていうことですね
これはペリーが浦賀に来た時に
だんだんだんだん外人が上陸してきますね
そしてとある時に山道を歩いてたら
おばあちゃんがですね
お地蔵様になんかみかんかなんかを捧げて
そこでお祈りしてるわけです
それでその外人がですね
通訳がいたと思われるんですが 外人がですね
いやその偶像を
崇拝するってことは駄目なんだよと
そんなのは別に良くないことなんだと
こう言うとですね
お婆さん何つったかったらですね
あなた何言ってんですか
私はお地蔵様は石で作った
作り物であるなんてこと知ってますよ
もちろん神様じゃありません
だけどもお地蔵様にそのこう祈ることによって
祖先を敬ったり感謝したりする
ただ道具にすぎないんですよ
あなたはそんな簡単なことも分かんないんですかと
言ってたっていう話があるんですね
こういう話はガリレオがそれでも地球が回ってるって
言ったっていう話と同じようにですね
こういった有名な話っていうのは
極めて真実をついているけども
本当にそれがあったかどうかって
あんまり追求しなくていいんですね
こういうのに類するのに
後に整理いたしますが
天皇は神様である
これはもう日本人全部が天皇が神様じゃなくて
人間であることを知ってるんですよ
しかしその抽象概念お地蔵様とか天皇陛下と
いうものを抽象化したものというものが
区別して日本人は認識することができる
これが日本人が神様を自然の神様を敬う
という一つの例でありましてですね
その意味でも日本人の概念の
捉え方っていうのはですね
私は人形浄瑠璃が
一番いいと思うんですが よーく分かる
そんなくだらないことあなた言ってんの
私お地蔵さんに対してお祈りしてるけど
それはお祈りする時にお天道様でもいいし
お地蔵さんでもいいんですと
それは お地蔵様を
お地蔵様であることはよく知ってますよ
この石の塊がね 神様でないことぐらい
あなたは分からないんですかと言ったという
このおばあさんの素晴らしい日本人の抽象概念
っていうのを私は非常に感心するわけですね
それが日本の
神の一つの形を成しております

2022年3月2日

#武田邦彦 先生

【炉端の話】日本人とはなにか? 番外編  不機嫌な日本人 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3771文字)  

今日は炉端の話はですね
日本人とはなにかなんですが
番外編でちょっと系統的なお話ではないんですが
不機嫌な日本人ということですね
私今日も実は新幹線で移動してきたんですが
私の座る横にですね
人がいたんですね
私が予約する時は
人がいなかったもんですから
もしかして間違いじゃないかなと思ったんですね
それで前の席は空いてましたから
誰も座ってなかったんで
前の人と もしかしたら
この人を間違ったかなと思って
失礼ですけども
こちらの席でよろしいですかって言ったら
じろっと私を睨んで一言も言わないんですね
年の頃は五十ぐらいの男性で
眼鏡かけておられましたね
それで こういうようなことっていうのは
日本では結構あるんで
私なんかも日本人ですから
その慣れてるんですが
私の経験だけではですね
あまり経験ないんですが
アメリカ・ヨーロッパでは
あんまり経験がないんですよね
汽車もこういう普通の通勤の汽車なんかに
よく向こうで乗ってたんですけども
総じて愛想はいいんですよ
特にアングロサクソンですね
アングロサクソンでもどちらかといったら
アングロサクソンは階級制があるので
私が付き合う人は大体やっぱり日本人なので
向こう行ったら少し高級な方っていうかね
向こうは高級低級っていうのありますから
そんなもんなんですが 日本では
その人は明らかに割合と裕福な人ですよ
顔つきとか着ている着物から見るとですね
それで日本人はとにかく
無愛想なんですよ 初対面の人に
あ!あどうですか 私ここ隣 
あそう隣がいたんですか
前の席 空いてますねぐらいの
気軽な話っていうのがね
ものすごく下手なんですね
構えちゃうんですね
それで構えて俺が席をとったのに
何だお前ケチつける気かって
そういうような対応に
なることが多いんですね
これは例えば
スチュワーデスなんかもそうなんですよ
国際線によく乗ってた頃ですね
私はあんまりANAとかJAL
日本の飛行機に乗らなかったんですけど
何でかっていうと
日本の飛行機のスチュワーデスってね
すごく不機嫌なんですよ
不機嫌な人が多いんですね
なんかね こう乗客を叱ろっていうかね
そういう感じがあるんですね
ところがアメリカの航空会社とか
エールフランスとかですね
ルフトハンザはどうだったか
ちょっとあんまりはっきりしないんですが
そういう飛行機はですね
陽気なんですよ スチュワーデスさんが
それで何かこういうことを
ちょっとしたいんですけど
ああそうですか
やってあげますよっていう感じなんですよ
ところが日本のスチュワーデスさんはですね
威張っておりましてね
いやそんなこと規則でできませんよって
こうなっちゃうんですね
これは日本人は非常に規則に厳しくて
相手が規則違反をしてたら
居丈高になるっていうか
政府を代表して俺があなたを
とっちめてやるぞっていうのあるんですね
この前高校生が電車の中で
殴られた事件なんかもありましたが
やはりこれはもういい点と
悪い点があるんですけどね
やっぱりみんなで規則とかそういうのを
守っていこうっていうような日本人と
人のことは人のことっていう外国人と
どっちがいいか分かんないんですけど
やはり歴史を見ますとね
外交なんかの点で特にですね
日本が外交は下手なんですね
何でかっていうと ぶっきらぼうなんですよ
それで強腰なんですね
これは中国なんかもそうだから
アジア人に特有なのかもしれませんが
中国の政府の発表なんかいつも強腰ですよね
もう俺たちは正しいんだ
お前ら間違ってんだって
いつもぶっきらぼうですよね
にこにこしながら
発表してるってことほとんどないですよね
これは例えば日本は本当にちょっとの間だけ
朝鮮と台湾を領有したりして
しかもそこの統治の仕方っていうのは非常にこう
なんていうかこう正義に満ちたっていうか
誠意ある統治だったんですけど
恨まれてるでしょう
これに対してイギリスなんっていうのは
山ほど植民地を持って酷い統治をしてたのに
それほど悪く言われないんですね
これは日常的なね接し方とか相手のために
してあげますよっていうジェスチャーをして
自分は実は自分のためっていうか
嘘をつくアングロサクソンと
誠実な日本人の差なんですね
それでは日本人が誠実でありながら
にこにこしてるってことは
できないかっていうことなんですけどね
僕はできると思うんですよ なんでも
ところが私もね
にこにこしながら言えるようになったのは
四十五歳ぐらいからですかね
それまでやっぱり突っ慳貪だったしなんかこう
ハリネズミのように構えてましてね
何か言ってきたらよし反撃するぞっていうようは
そういうスタイルでしたね
最近はもう好好爺になりましたから
ああそうですかっていって
何でもにこにこしてますけども
それからそういう心になりましたね
今ウクライナのことが
皆さんが言ってるんですけど
皆さん大体日本人は憤激してるんですよ
けしからんプーチンはけしからんつってね
憤激してるんですね
だけどウクライナの人に悪いんですが
我々日本人からいうとね
ウクライナの紛争がね
ウクライナ側が正しいのか
ヨーロッパ側が正しいのか
ロシアが正しいのかって
簡単には分からないんですよ
その簡単に分からないことをね
感情的になっちゃうのが
結構日本人は多いんですね
そうしますとね
ウクライナの方はかわいそうだなと
だけどヨーロッパもNATOもね ちょっと
ロシアの方に行き過ぎてんじゃないかなと
ウクライナは元々ソビエトの領土で
それをソビエトが崩壊した時に独立した国だから
ロシアとしても言い分があるだろうなとかね
それから中国が日本を狙ってるので
ここでロシアの味方をした方がいいのか
敵対した方がいいのか
ちょっと難しいねと
そのぐらいのこう一つ引いたね
ウクライナの情勢が日本にものすごく大きな
影響あるなら若干真剣になってもいいんですけど
まあまあウクライナも平和の方が
いいなぐらいなんですよね
イラクの場合はフセイン大統領は極悪人だつって
みんなでフセインやっつけろって言ったと
何でかっていったら
アメリカとイラクを比べると
アメリカの方が正しいように
日本人には見えるんですよ
これテレビの報道によるんじゃないかと
思うんですけどね
今度はウクライナとロシアっていうと
今度はウクライナの大統領 あの人もね
僕はフセイン大統領の方が
立派だと思うんですけどね
僕はですよ
報道が偏ってますからあれですけど
今のウクライナの大統領って
大統領としてはそれほど
大した人ではないという風に思うんですけど
ウクライナの大統領と
プーチン大統領だと 今度はもう圧倒的に
ウクライナの大統領を
日本人は支持してしまうんですね
もちろん理屈はいくらでもつけられまして
軍隊で侵入するロシアが悪いんだって言ったって
まぁロシアは隣の国ですから
アメリカがメキシコにですね
反アメリカの国ができて それでアメリカが
がんがんがんがんメキシコに文句言ったり
あるいは侵攻したりするっていうのと
同じですからね
しかしアメリカがイラクに行くっていうのは
これはもう地球の裏側みたいなもんですから
だからちょっとやり過ぎかなと思うんだけど
日本人はやっぱりフセイン大統領は嫌い
プーチン大統領は嫌いなんですよ
この嫌いっていう感情は なんていうかな
日本人独特のなんか
感情から入るっていうんですかね
本当は事実をよく見て
それを整理して自分の意見を作り
最後にその意見に基づいた自分の感情が
芽生えるっていうのが普通だと思うんですが
日本人の場合 直感力が強いもんですからね
まず感情があって嫌い好きを決めて
それから意見を作って
ロシアが悪いとかウクライナがどうとか
それから遅ればせながら
じゃあ事実はどうなのって整理をするっていう
そういう順番にテレビなんかも進んでますね
ニュースはほとんどが国連
これは西側ですね
それからアメリカの大統領のスピーチなんか
どんどん出てくるんですけどね
プーチン大統領のスピーチはちょっと
付け足しで出てくるっていうような感じなんで
やっぱりどんどんどんどん日本人は
反ロシアになっていくような感じがしますね
しかしこれがですね 実は前の戦争の
原動力になったような気がするんですよ
前の戦争でも鬼畜米英
アメリカとイギリスは憎らしい
ドイツが正しいんだ
ドイツヒットラーだったしね
アメリカもルーズベルトで
感心したものはないんですが
そういうところの全体的なものを
考えるってことじゃなくて
今日私がここの席は
大丈夫ですかって聞いたのは
相手がわざわざ隣の前後の席が人がいないのに
僕が予約してる時はいなかったんですよ
だから後なんですね
おかしいなと思ったんですね
前後の席が全部空いてるのに
前後に座らないで 予約を取らないで
僕の隣に取るっていうのはちょっとね
普通じゃないんで
間違ってんじゃないかと思って
それじゃあ 僕はこう言ったんですよ
じゃあ私前の席に座りますから
どなたもおられないからっていって
前の席に座ったんですね
どうですかね そこのところがねやっぱり
ものすごく反発しちゃうってことがあるんですね
確かに新幹線もね
ちょっと隣の席に座ってるだけでね
車掌が駆け込んでくるんですよ
ちょっと切符出し下さい
ちょっと僕は後ろの席なんですが
ちょっと前に今座ってるんですよ
誰もいないんですよ
今ガラガラですから 新幹線
ガラガラでもなんでもね
とにかく人が不正らしいことをしてたら
ものすごく追求する
いいのか悪いのか この辺でちょっと
考えてみる必要があるなと思います
不正がいいといって私がそれを
すすめてるわけじゃありませんけどね

2022年3月3日

#武田邦彦 先生

2022/03/07

【炉端の話】日本人とはなにか?2  日本人の信仰 (武田邦彦先生)



本日の収穫(3651文字) 

日本人とはなにかの二番目ですね
真正面から炉端の話ではありますが
真正面から行きたいと思うんですけれども
日本人の信仰ですね
やっぱり我々は毎日寝て起きて歯を磨いて
ご飯を食べて生きているものではありますが
一方では人間っていうのはですね
どうしてもほとんどのことは心ですね
決意とか覚悟とか悩みとか
人間関係とか憎しみとか好きだとか
そういうことによって
自分の人生って決まってしまいますね
じっくりその人間っていうのを見ると
寝て食べてっていう人はあんまりいないですね
例えばシマウマみたいのを考えますとね
シマウマじゃなくても何でもいいんですが
ほとんどは寝て食べて
時々仲間とじゃれるぐらいなんですね
ところが人間は寝て食べてっていうのは
言わば必要に迫られて
一応それをやってるっていうことがあるわけで
人間の人生の実態というのはですね
寝て食べる以外の時間に何をしてるか
それから心が乱れるとからですね
心が興奮して何か有意義なことを
しようと思うとか みんな心なんですね
すると心を支配するもの
判断とか記憶とか心とか感情とか
そういったものは全て
人間において非常に強いわけですね
それの基となるのが信仰って言いますかね
まぁ自分がどういうことをもって
因って来たるものとしてるかっていうことが
極めて大切というか
それだけと言ってもいいような状態なわけですね
そうすると日本人以外の国
ここで言うのはいつも
中国人・中東の人・イスラム教
今だったらイスラム教ですね
七百年以前はイスラム教ありませんから
色んな宗教だったわけですが
それからヨーロッパ・アメリカ
この世界のほとんどを締めるところはですね
の信仰っていうのはですね
私の言う受動的信仰
お釈迦様に教えていただく
孔子様に教えていただく
ムハンマド様に教えていただく
イエス様に教えていただくと
いうようなその教えていただいて
それを受け取って
それを信じるかどうかっていうところに
その中心があるわけですね
ですからあなたはイエスさんを信じますかと
こういう問いかけになるわけですね
信ずる者は救われるとこうなるわけですね
ところが日本の
神道というものを見ますとね 神様
これはね 宗教ではないと言うんですけど
それは当然宗教じゃありません
現在の宗教っていうのは
ヨーロッパの概念による宗教ですから
教える人がいて
例えばイエス様は必ずいて
その人の教えを聞いて
それを信ずるかどうか
それからその方が決めた日常的な生活の規律
みたいなものを守っているかどうかということで
宗教の三要素 教祖がおられて
経典があって戒律があるっていうのが
宗教であるというものの
一応定義になっておりますね
例えばキリスト教ですとイエス様がおられて
それで聖書があって 新約聖書ですけどね
新約聖書があって
そして日曜ごとに教会に行って礼拝をするとかね
それから洗礼を受けるとかいう
こういうものはありますね
ですからそういうものが一体となって
例えばクリスマスの日をお祝いする
イエス様がお生まれになった誕生日をお祝いする
そういうような一連の行為っていうのは
これ宗教というものなんですね
ところが日本人は能動的信仰
つまり自らが自然と祖先というものを
じっくり見るわけですね
日本人の自然に対する
観察力の鋭さっていうのはですね
私は俗にして四十とか四十五ぐらいまで
あんまりそういうの知らなかったんですね
ヨーロッパかぶれだったんですけど
それから少しずつ少しずつ
日本人というものを勉強していくと
ヨーロッパ人と大きく違う
ヨーロッパ人っていうのは受動的なんですね
皆さん多くの人がヨーロッパ人は能動的であり
日本人は受動的であるとか逆なんですね
これはどうしてかというとですね
ヨーロッパ人は一番最初が受動的なんです
イエス様の教えを受ける
それから書物を読む
それから初めてそれの反作用として
能動的な行動っていうのが出るわけですね
したがってヨーロッパの人の
能動的行動っていうのはですね
反射で出てくるようなもんなんですよ
イエス様がこう言われてるから
こういう行動をするだから能動的になるんですね
別に自分の心の中で
発生したもんじゃなくて
イエス様に教えていただいたものが
出てくるわけですから
かなり自信たっぷりに堂々たる態度なんですね
それから科学もそうですね
それから哲学もそうです
文学も音楽もみんなそうですね
教えを受けてその反射として絵を描いたり
音楽をしたり哲学をしたり科学を作ったりする
だからそれは基盤がありますからね
教えていただいて
それを反射するわけですから
自信たっぷりだと こうなるわけですね
ところが日本の場合は教わらないんですよ
人間というものはどういうものか
人生はどう送るべきか
人を殺していいのか 悪いのか
全ては自分が自然と祖先を見ることによって
自分の心の中に生まれてくるんですね
それが だから能動的信仰になるわけです
簡単に言えば お天道様の下で嘘をつかない
ご先祖様の前ではこれも嘘をつかないというか
恥ずかしいことをしない
そういうようなことですので
どうしても自分に自信が少しないんですよね
つまり人から教えてもらえばそれは
それを信じれば自分の力となって
能動的になるんですけれども
日本人のように根本が能動的だと
かえって日常の行動は受動的になるわけです
したがってこういう風になりますね
日本人は普段はおとなしい優しいだけど
いざとなるとものすごい力を発揮する
これはなぜかっていうとですね
普段は穏やかな日はですね自分が自分自身で
作り上げた信仰というものに基づいてます
知識というものに基づいていますので
ちょっと自信がないので優しかったり微笑んだり
そうだね そうだねと頷くという日本人の
不思議な笑顔ということになるわけですね
ところがいざ追い詰められたら
今度は自分が考えた信仰に基づいて行動しますから
これは結構強いわけですね
ですからよく中国とか朝鮮の人が
日本をなぜ恐れているか
それは日本人は普段おとなしいけど
いざとなったら凄いから
うっかりあんまりやるとやけどするよ
っていうのはそれを言ってるわけですね
ですから日本人の二面性っていうのはですね
能動的であり受動的である
これは日本人ばかりじゃなくて
西洋人も中国人もそうなんですけど
それ逆転してるんですよね
ヨーロッパ人中国人は一番スタートが
受動的であって行動日々が能動的なんです
それから日本人は一番根本が能動的なので
毎日は受動的であるっていう風に
逆転現象が生まれるわけですね
それでは日本人はなぜ
世界でただ日本人だけが
能動的な信仰に至るのかということですね
これはあの最近のですね
遺伝子の学問がすごく進んでおりまして
日本人の遺伝子が極めて特殊である
ということはよく指摘されております
これは日本を故意にですね
偉い人が日本人は偉い人だとか
愛国心を振り立てるっていうことでも
利用されておりますが
実際にもそうなんですね
日本人の遺伝子これは男のY遺伝子が基準で
測定せざるを得ないんですけども
もう日本人だけにしかない遺伝子っていうのが
非常に多いんですね
もちろん大陸から
縄文から弥生に移るときに
大陸から人が移ってきたって
これは嘘ですからね
もう今ははっきりと嘘だっていうことが
遺伝子的にわかっております
どちらかというと
南の方から来たのではないか
だけどどっから来たかわかんないぐらい
他の民族と遺伝子が違うんですね
極端に言えばアフリカから人類が
狭いエジプトのところの道を渡って
ユーラシア大陸に来た時に
三回に渡ってきてるんですね
この三回に渡ってきてる方の
遺伝子っていうのは全部違うんですけども
その大陸には住んでる現代人で
そのアフリカから出てきた三つの遺伝子を
持ってる人は日本人だけなんですよ
ちょっと考えられないんで
今一生懸命研究されてますね
だって中国もインドもどこも通らないで
日本に来れないんじゃないかと
じゃどうして中国とかインドとかそういうところに
日本人の持ってる遺伝子が残ってないのかと
いう風な大きな問題があるわけですね
言語もそうですね 日本人のような
主語目的語述語と並んでるものはですね
世界でほとんどないんです 言語が
中央アジアの北方に一部あるんですね
トルコ系のところにですね
しかしあまい?単語一緒のやつもあるんですけども
文体は そこと一緒なんですね
それから もう一つの日本人の言語の特徴は
例えば信仰だったら
信仰の前に無信仰とかですね
常という上に非とついて非常時とかですね
こういった否定語が上につくっていう言語も
これはカンボジア辺りにはあるんですが
ちょっと南の方なんですね
ですから中央アジアの北の方と
東南アジアの南の方にある言語が
くっついて日本語になってる
もう奇妙きてれつなんですよ
だからそういう中で実は
日本人というのができてきた
その日本人というのを今でも日本人は
非常に強くこう影響されておりましてね
それが日本人が他国のことを錯覚したりですね
間違った行動に出たり
他国から見たら暴発したり
あるいはものすごく道徳的だったり
っていう風な日本の特徴がある
それがですね
このグロバリゼーションの中で混乱して
そして我々の不幸を呼んでいると
そういう風に考えられます

2022年3月1日

#武田邦彦 先生

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...