2021/12/18

NHKのウソ報道の原因 が分かった! その2 輝ける頃の4つのNHKのドキュメンタリー作品を見てみた。それでわかったNHKのポンコツ度 レベルの低いNHKはなぜできたか? その2は「山の分校の記録」(武田邦彦)


 

本日の収穫(3211文字) 

NHKの嘘報道の原因が分かった その2ですね
その1では 私が色々考えた四つの番組
古いですね あのNHKが輝かしい頃
現在のNHKの低迷っていうのは
やっぱりNHKが輝かしい頃の まぁ間違いというか
それが ある程度出てきたわけですからねー
その一つとして 今日は山の分校の記録という
非常に普通の番組ですね
NHK本当に NHKらしい
昔のNHKらしい良い番組です
ここでわざわざ 良い番組という風に言いたいんですねー
ちょっと背景に音を出して
お話をしようと思うんですが
まぁ音楽は
分かりますよね
こういう日本のですね
山村の 山の山の奥の方の分校なんですね
そこの分校には
栗山小学校っていうとこですね
本当にこう山だけに 木こりですね
木こりの人が昔いた その木こりの残りがですね
もうそろそろ 木こりができなくなっては来てるんですが
しかしそれが残っている
そういう状況が最初にずっと移りましてね
そして 子供達はやっぱりどこの子供達もそうなんですが
明るくて屈託がなくて
ただ山に閉じこもってるので
感受性も低くなるしですね
やがて この子達も男の子は木こりになって
山の中に入って危ない作業してですね 炭焼きをすると
女の子は結婚して奥さんになって
子供を産んでっていうような そういう未来ですね
それを一生懸命 村の分校の先生
これはあのー 先生っていってもですね 老夫婦なんですね
新しい先生もおられたんですが
なかなか続かないってことで
老夫婦の先生が二人
男の方の先生は 社会とか工作とか教えて
女の方の先生は音楽とか そういうものを教える
そのうち女の方の先生が ご病気になって
街の方に行って入院をする そしたら
男の先生だけで 一生懸命単身赴任で頑張ると
そういうこのね 山間の敷地で
それでずっーと教えていくわけですよ
それでやっぱり子供達は 発育は不十分なわけですね
そしてあのー 先生が自分のお金を出して
子どもたち数人を街に連れていく
そこで街でですね
彼らはテレビを見るわけですよ
びっくりするわけですよ
テレビって まぁ昔はそうでした
私達も僕は東京に住んでましたけど
テレビをやっぱり 街頭テレビで見ましたからね
その時代ですねー
そういう時代のことなんですよね
子供達がテレビを欲しいということで
巡回して回ってる
テレビを先生のご努力で 学校に来てそれを見て
子供達が非常に明るく 活発に成長すると
テレビ教育とはいかに大切かと
ということを示しております
そして子どもたちの目が少しずつ生き生きとし
その中で ドラマとしては木こりの人がですね
木を切ってそしてやっていくうちに ある時に怪我をする
その怪我をした お父さんの状態を見ながら
この町の将来は どういう風にするべきかということを
学芸会で発表する
親たちはもうその びっくりしちゃってですね
というふうなことで
やがてそのテレビが学校に来る
それによって学校の発展に繋がるんだと いうテレビで
これは非常に良いテレビの番組ですねー
何回見ても素晴らしい
ドキュメンタリーの技術も素晴らしいしですね
内容 書かれてる内容も素晴らしい
だけど今日はNHKを持ち上げるための
あのひばりクラブではないもんですから
この素晴らしい NHKのドキュメンタリーのテレビの中に
やはり私はですね
まぁ今後明日あさってと ご紹介するやつは
もっと酷くなるんですけど
一番良かったこの番組の中にもですね
やっぱりNHK没落のもとが残ってたなーと思いますね
これは非常に筋が単純に作ってありまして
筋が単純に作ってるってことは いいことなんですよ
別に悪いことじゃないんですが
えーまぁ 日本には山の山村がある そこに分校がある
どうにもならない教育が
せめて文部省としては教室と それから夫婦の先生方
老夫婦を派遣することしかできない ねー
街はもう素晴らしい学校なんですが
それができないということなわけですね
それは現実だったわけですから
それはそれでいいんですけどね
その中で少しずつ目覚めていく児童
それをNHKがアシストしていくと
これは非常に大きな成果があったってこと
何のもう普通に見たら 何の欠点もないんです
ただ今のNHKの酷さですね
嘘つき 嘘番組ばっかする酷さの
やっぱり根本は ここにあるんですね
こんなに良い番組でも
ここに根本があるんだなーと思いました
それはですね 全体像は見せないっていうことなんですよ
この場合の全体像は
普通に ごくごく普通に考えたら
世界の教育と日本の教育の比較ですね
それから一つは
日本の教育の中の都会の教育 町の教育
こういった山村部の教育
そういったものの教育の分配の問題ですね
この問題が一番大きいんですよ
これをやるためには
NHKのこの放送はですねー
世界でも日本の山間部の教育は
酷いなーと思わせるように演出がなってます
それから町の教育 都会の東京の教育と
これほど違ってもいいんだと
それは日本人の中に階級があるんだと
田舎っていうのは もういいんだと
お金もないんだから そんなことまで
応援しちゃいけないんだっていうことを
二つが隠れてるんですよ
この隠したっていうのはですねー
NHKに好意的に取れば当然であって
番組一つで世界の教育と日本の教育とか
日本の教育の中の
この教育の偏在性っていうものをですねー
示すことができないから
この山の分校の記録においてはですね
山の分校の現実は そのままもう分かってもらって
その上で その中で行われている
一つ一つの努力を見せると いやこれは実はね
今でも このレジ袋の回収とかですね
リサイクルとか地球温暖化とか
それから消費税の問題だとか
そういうのに非常に色濃く出てる
NHKとか日本を没落させる
反日日本人の 一つの手なんですね
これは多分 
まぁ一つはNHKもちろん分かってるかもしれませんが
分からないようにやっております っていうのはですね
世界において日本の教育っていうのは
非常に優れているんですよ
もう優れてるっていうかですね
これは国民一人一人の素質なんですね
例えばこの番組で放送される
山の分校の先生の教育に対する熱心さ 態度 レベル
これはね これをちょっと
他の国と ちょこっとでも比較したらですね
うわー違うなーと思いますよ
それから日本の子供の就学態度
勉強するタイプですね
立派なもんなんですよ
いやこれなら それはそうだなと思うようなことで
明治時代に日本人が
ものすごく教育程度が高かったと
いう風に言われるわけですが
その一端があるんですね
それをちょっとでも放送してくれれば
この教育問題に対する皆さんの認識が
凄く高くなったと思うんですよ
これはお涙頂戴なんですよ 単に
お涙頂戴のレベルで NHKの放送することによって
みんながNHK様ありがとうと
いうような気持ちになるように
編集されてるんですよ
それからもう一つは
日本の文部科学省の 文部省の教育政策ですね
この頃の東京の小学校 東京じゃなくても
例えばこれが 新潟だったら
新潟の市の小学校と一緒にちょこっとでも
これ五分でも放送したら これはね
テレビの問題じゃないよって
いやー これはNHKが努力して
テレビをその分校に回したことによって
子供達がこんなに良くなったっていうことなんですけど
全然違うよと これは
これはね 文部省の教育費の分配がですね
日本の場合はもう全部あれなんですよ
あのー 結局全部ですねー
都会中心なんですよ
それは どういうことかと言ったら
教育を受ける児童は 日本の宝であり
日本人全員が 同じ教育を受けるべきなんですよ
ちゃんと憲法にも そう書いてありますよ
ところが文部省は違うんですね
文部省は東京の人は金を儲けてるから
いい環境で子供達を勉強させる
山間部はもう
税金ちょっと収めてくれないから だから
そこの子どもたちには貧弱な教育をする
これに費用を当ててたらね
これはNHKの問題じゃないし
テレビ教育の問題じゃないということが分かりますね
つまり一見して素晴らしい この番組っていうのは実は
本当のことを隠して
お涙頂戴によって
みんなをNHK支持者にするということが
最初から計画されてた 残念ながらね
本当残念ながら 
計画されていた番組であったということなんですね
本当に考えさせられました
この番組にはですね

2021年12月18日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/17

NHKのウソ報道の原因 が分かった!その1 輝ける頃の4つのNHKのドキュメンタリー作品を見てみた。それでわかったNHKのポンコツ度 レベルの低いNHKはなぜできたか?(武田邦彦)



本日の収穫 (3313文字) 

NHKがですね
どうしてこうなってしまったのか
例えば 最近ですとですね
もうちょっと この世の中では
現代の日本というのは穏やかなですね
割合とみんなが
まぁまぁそれで行こうやっていうような国がですね
この前 最高裁判所で
壊れたテレビを持ってる人が
NHKにお金を払わなく
受信料を払わなくていいんじゃないかって訴訟をしたと
まぁ裁判ですから いろんな内容あるんですけどね
簡単に言えば もうNHK見るのが嫌なんですよ
だから その人は何かの目的もあって
言ってんのかもしれませんが
いずれにしても見かけ上はですね
テレビが壊れてんだから
それ修理できるかもしれないけど
俺NHK見るの嫌だから テレビ持ってたら
NHKの受信料を払わなきゃいけないって言うんだから
しょうがないからテレビ 
壊したテレビをただ置いてあるだけだから とかですね
それはやっぱり最高裁は
NHKの受信料払えという判決なんですよ
その前に また似たようなやつありましたね
NHKが見えないようなテレビを買ったと
これNHKが見れないんだから 
受信料払わなくていいだろうっていったら
改造すれば見えるんだから
テレビを改造すれば 見えるんだっていうのなら
自動車だって改造すれば見えますよ
そこにテレビ受像機をつければいいんですから
パソコンだって改造すれば見えます
それはまぁ多分 電気ポットだって
電気釜だって テレビ見れるようになりますよ
一部にテレビをつければですね ですから
もう無茶苦茶な判決なんですが
問題は どうしてそんなに
NHKが嫌がられるようになったかっていうことなんですね
これについて本当はNHK自らが
NHKはなぜそんなに嫌がられるようになったのかという
特集を組むべきですよね 別に正直に
それからやっぱり 国会でも
NHKをぶっ潰す党みたいなものがですね
議員が当選するっていう事態でですね
これはもう大変な事なんですね
こういう公共放送っていう点ではですね
公共放送と銘打つためには
やっぱりみんなに愛されるなんですよ
内容はそれほど過激じゃない
だけどもみんなに愛されるNHK
昔で言えば 三つの歌の宮田輝とかですね
そういう感じの 花菱アチャコちゃんの
なんか8時頃あったやつとかですね
そういうような内容的には たわいもないけど
日本人でNHKの嫌いな人はいないと
いうようなものじゃないと
やっぱり公共放送というには少し問題があるんですね
ところが現在のNHKは ものすごく方向性が強いんですよ
これは前の前のNHK会長が お話になったように
政府が右と言えば右
左と言えば左の放送せざるを得ないじゃないかと
言ったことやらですね
現在のNHKの会長もですね 盛んに問題になってる
もう潰すそうじゃないかと金融庁なんか言ってるような
銀行の頭取だったりですね
人事すら変なことになってるんですよ
確かに内容を見ますとね
私なんかも昔は大河ドラマ見たりですね
それからいろんなことしてました
歴史ものなんて割合と私が好きなもんですからね
NHKの歴史ものなんかも随分
参考にさせていただいたし
それから映像の世紀とかですね
色んな有名なシリーズもののドキュメンタリー
もしくはそれに近いものもあったんですよ
ところが最近のNHKのそういうものは
ものすごい過剰演出なんですね
まず女の人一人出して
それに対してまぁ専門家ではない ちょっといい加減な
わざといい加減なキャラクターを
使ってると思うんですけどね
いい加減な文化人見たいなのを出して
せっかく例えば平家物語の
平家物語という放送するんでも
全部ぶち壊す演出をしてるんですよね
文化的価値を全部ぶち壊す
文化的価値をぶち壊すことが
視聴率は上がるかもしれないですね
その方が 馬鹿な国民 NHKが考えてる
アホな国民には いいかもしれないんですが
しかし それによって
日本の文化が大きく崩れてることは また確かなんですね
だからどうして 私の疑問はですね
どうして そういうことをNHKがするんだろうか
だって受信料があってですね
まぁ1回出たNHKの職員の平均賃金が
1,800万円年間 だったりしてるわけですから
それから私は名古屋に永らく住んで
今でも住んでいるようなもんなんですが
名古屋に住んでてNHKの記者というのに
私は25年間ぐらい 一回も会ったことないですよ
他のテレビ局 放送局の人は随分会います
全然会ったことない 
全然 治外法権にいるんですよ
いや今でこそ 私はNHKの悪口言ってますが
その前は そんなことないんですよ
だけど私たちのとこまで降りてこないんですよ 記者は
特権階級のとこにいるんですよ
だけどおかしいなー 理屈が合わないよ
っていうのが僕の感じだったんですね
最近では先ほどの このブログでもお話ししましたけど
NHKの 確かに受信料っていうのは 
年に2万円とか3万円とかとらえるわけですが
2万円ぐらいかな なんか取られるんですけども
NHKによる僕らの損害っていうのは
そんなもんじゃないんですよ
NHKが 日本の国の赤字は1,000億円だと 
これを国民一人当たりに直すと
一人当たり800万円の借金になる
国民一人当たり800万円の借金になる
それを子孫に 子供達につけるのかと言って
嘘ついてる これは完全に嘘なんですけど
噓ついて消費税を上げた 
消費税は今10パーセントですからね
NHKの噓の報道のために 僕らが税金を払ってるのは
現在の日本人の平均の所得が年に460万円
446万円かなー
それの10パーセントですから 年に44万6,000円を
NHKの嘘報道で払ってる 
こっちの方が大きいですよね もちろん大きい
それにおまけに 僕個人から見ればね
youtubeで快適に話をしてたらNHKのなんか
退職した理事かなんかが作った
ファクトチェックイニシアティブとか
いうとこに雇われた
カナダでなんか経営学かなんか 勉強してる女の子が
私の発言の科学的な部分ですよ
なかなか難しい科学的な部分ですが
それは嘘だと ファクトじゃないと報道した
それにつられて その人だか誰だか知らないんですけど
私の大学にガンガン辞めさせろっていう抗議が来ると
そういうようなこともありましてね
NHKは表からも裏からも
自分たちを非難する人たちを
潰そうと思って必死なんですよ
全部受信料でやってるんですからね
しかし その本当のところは何なのかと
いうことが知りたかったんですけど
今日 今度病気になりましてね
じっくりとNHKの これまでの私が良いと思ってた
ドキュメンタリーを中心に
じっくり何回か見てみました
実際に見たものは
どういうものだったかって言うとですね
一つは非常に軽いもので 山の分校の記録っていうんですよ
これは 日本の過疎地の小学校にNHKがテレビを提供し
NHKが教育番組をやるっていう事によって
その分校の教育が本当に良くなった
という記録の割合軽いものですね
それからもう一つは非常に有名なシリーズで
新日本紀行ってのがありましてね 
今ちょっと音楽流れたんですけど
それの第9回の葛飾 東京の葛飾ですね
これのドキュメンタリーですね
それから それとほとんど同じなんですが
新日本紀行の これは昭和40年3月に放送された
新日本紀行で大阪の河内をですね
放送したものであります
これもあの NHKの本当に僕がよく見た
昭和40年とか 
そういう頃によく見た新日本紀行のひとつでした
古き良き時代のNHKっていうですね
もう一つが これは総合的な番組ですが
万博の終わった辺りですね
何年から何年か ずっと日本の高度成長を追った物語ですね
それをアナウンサーが
その日本の高度成長っていうのは何だったかと
いう非常に大きく広くですね
戦後復興から高度成長それから
高度成長が終わっていくまで
1960年から1975年までですね
昭和35年から昭和50年までの15年間ですね
これは日本が本当に高度成長だった もうですね
戦争が終わって15年
それからバブルまでに15年 ちょうど成長のとこですね
これ失踪する日本 光と影という題で
ドキュメンタリーを作っておりまして
この四つともですね 極めてNHK的なものでした
今日第1回はNHKを考える基礎的なものを
まず映像を紹介したに とどまりました
2回目から もう少し踏み込んでですね
この番組 四つの番組を通じてNHKっていうのは
本当は どういう団体っていうかですね
どういうことだったのかって いうことをですね
一つ明らかにしたいと まぁいう風に思いますね

2021年12月17日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/16

お金が3 NHKのウソと経済学者のケンカ 経済学者がケンカしている意味 1)経済学が学問ではない  2)政府の政策が破綻することがある 3)自分で考えてはいけない ディジタル通貨、MMT、バラマキ政府 (武田邦彦)



本日の収穫(3864文字) 

お金がなくなる可能性が高いですね
それで三年前 一度そう思って考え直したんですけど
やっぱり可能性が高いと
デジタル通貨への転換の問題
この前は そればっか見たんですけど
MMT理論が出てきた問題ですね
それから 最近の色んなことで分かるように
政府がお金を 国民にキャッシュを渡すと
こんなことやったら問題なんですけども
非常にお金が不安定になってきました
その原因を考える上で
まず私たちの頭から除かなきゃならないのは
NHKの嘘と経済学者の喧嘩の二つなんですね
NHKの嘘がどういう役割を果たすか
これ前回やりましたが 簡単に言えばですね
皆さんはNHKに
お金を取られてるってことに気を取られていますが
NHKに月取られたってですね まぁ二千円ぐらいかな
その契約によるんでしょうけど
それが1年間に2万幾らでしょう
NHKの受信料っていうのは
2万円なんですよ 言ってみれば
だけども NHKの嘘のおかげで
我々はつい乗せられて
消費税10パーセントを乗せちゃったわけですよね
まぁ消費税10パーセントが
全部損害っていうわけじゃありませんが
NHKが仕掛けた嘘で
国民が払っているのが消費税なんですから
その意味では 国民平均的な国民のその平均っていうのは
446万円ですから年俸が 年の収入がですね
それの10パーセントの消費税を
NHKの嘘で取られたんですよ
ということは46万円ですよ
簡単に言えば NHKに2万円払って
NHKの嘘の放送を聴かせていただくとですよ
それによって我々の判断力が失われて
我々は46万円損したと
これが この三十年間の現実なんですよ
これ現実ですからね
もう事実っていうのは否定できませんから
ひどいもんですよね だから
NHKに反対する人は
むしろNHKの2万円なんぼの受信料よりか
NHKの嘘によって我々が取られるお金の方を
問題にした方がいいと思いますね
もう一つそれは前回やってたんで
もう一つは経済学者の喧嘩なんですよ
これが非常に問題なんですね
経済学者は まだそれに気がついておりません
僕なんかに経済学者が 随分文句つけてくるんですが
それを見ると 自分たちが正しいことやってると思うんですよ
それは学問的には
正しいことやってるかもしれないけれども
経済学者が世の中に対して言うってことはですね
世の中が経済学者の判断したことを
参考にしてくれっていうことですから
経済学者が喧嘩してる状態で
我々が経済学者の言うことを勉強すると
どういうことになるか いいですかね
経済学者が喧嘩している状態でですよ
我々がついつい経済学者のことを聞いちゃいますよ
お金がどうなるとか
そうすると どういうことになるかって言うと
まず経済学者が喧嘩するってことは
経済学が学問でないってことなんです
これまた難しいんで ちょっと丁寧にご説明しますが
学問っていうのは喧嘩はないんですよ
っていうのは喧嘩の領域もあるんですよ
学問をずっと進歩させていくと
意見が分かれる領域があるんですよ
先端の方では
だけど学問は 一応ですね
一つ一つを出来上がってやっていくんですよ
だから学問ができた最初の頃には 喧嘩があるんですね
例えば一番有名な 皆さんが知ってるってのは
例えばガリレオ・ガリレイが
それでも地球は回っていると
こういう時はですねえ
地球が回ってる
いやー太陽が回ってるんじゃないのって
議論があるわけですね
ところが学問というのは 次第次第にそれを克服しまして
喧嘩なくですよ
地球は太陽の周りを回っているという
太陽系の図なんか出てきましてね
そうやって 固めていくもんなんですよ
だから時代と共に 学問っていうのは
喧嘩がなくなっていくんですよね
アインシュタインだって 出てきた頃は
E = mc^2はおかしいじゃないかと
こう言われるんだけど
まぁあの場合は
5年か10年経ったら固まってくるわけですよ
アインシュタインの
ものすごく大きな体系の中でですね
まだ一部 議論のあるところありますが
学問っていうのは 積み上げていくもんですから
それから 合意をしていくもんですから
意見じゃありませんからね
学問っていうのは 意見じゃないですから
ただ経済学者は意見言ってるんですよ
その財政均衡論が正しいとか
現代貨幣理論が正しいとかって
これ全然逆なんですよね
財政均衡論なら
お金は注意深く作っていかなきゃいけないし
現代貨幣理論なら お金はもう必要な分だけ
作っていけばいいっていう風になってるので
全然違うんですよね
もちろん財政均衡論ならお金はなくなりませんが
現代貨幣理論なら
お金がなくなる可能性がありますが
これが大体五分五分で議論されていますので
分かんないですよ こんな重要なこと
お金をどのくらい刷るのかが決まってない経済学
なんか意味があるんですかね
二番目はですね 実はこれが一番ポイントなんですね
経済学者が喧嘩してるっていうことは
政府が現在行ってる政策はですよ
後に経済学者がいるんですよ
経済学者のアドバイスで 政策が決まるんですよね
他の要因もありますが
ということはどういうことかって言うと
経済学者が喧嘩している状態で
そのうちの一つの考えを取って
政府が政策を進めますので
政府の政策が破綻する可能性は
50パーセント 50パーセントなんですよ
つまり経済学が学問でなくて
つまり一つずつ積み上げていって
全員が納得するっていう状態になっていなくて
かつ政府の政策が
そういうけんかんする 喧嘩をしている
経済学者の考えで決まってるっていうことになると
もうこれは必然的にですね
何にも考えなくても もう確定してですね
現在の政府の政策は 半分は破綻するっていうことなんです
事実 今までも破綻してきたわけですよ
それは1929年のブラックマンデーでもそうですしね
戦前戦後もそうですし それから最近では
経済学のノーベル賞を取った人たちが多く
参画してたリーマンショックなんかもそうなんですよ
なんで破綻するのか
それは経済学が学問でなくて
しかもその上に喧嘩している状態で
その一方を取って政策にしているわけですから
それは半分破綻するんですよ 半分は間違ってますからね
だってどっちが合ってるか分かんないわけですから
学問的に分かんないわけですよ
ということは 私が例えばお金を持っているとします
この聴いてる方も 財産を持ってるとしますね
そうしますと 今デジタル通貨とかMMTとか
ばらまき政府という新しい現象が出てきたら
それによって 日本政府の経済政策は
破綻する可能性が
50パーセントあるっていうことなんですよ
破綻するか破綻しないかは誰にも分かんないんです
なんで分かんないかって言ったら
経済学は学問でありませんから
合理的な結論は出せないんですよ
この前 この話をしようと思ったきっかけになった
慶応大学かなんかの准教授の考えもですね
誠にちゃんとしてますよ
それから最近 文芸春秋かなんかで騒がれてる
財務省の次官かなんかの論文も 別に間違ってはいません
それからそれに猛烈に反対している
経済学者の 細かい議論も間違ってはいません
間違ってる どれが間違ってると決めたり
どれが正しいと決めたりするっていうことは
学問があって 喧嘩がない状態じゃないとですね
誰も決められないんですよ
お釈迦様しか決められないんですよ
そういう時はですね
お釈迦様に聞いてくれってことになるんですよ
っていうことはどういうことか
ここよーく ものすごく深い考えですから
本当は深くないです 簡単っていえば簡単なんですがね
自分で考えてはいけないということ 例えば
金を持ってたらいいか
円を持ってたらいいのか
ドルに変えておいた方がいいのか
ファンドに変えた方がいいのか
インドに投資した方がいいのか
全く分かるはずのない状態にあるんですね
我々がインドの株を持った方がいいとか
金を持った方がいいとかって決めるには
その決める根拠が必要なんですよ
その根拠が我々は 感で決めても勿論構いませんよ
感で決めてもいいけど 感はほとんど失敗します
合理的に考えるっていう
合理的にっていうことはですね
いやこれがね 難しい問題なんですよ
よくねー 色んな人 俺はこれが正しいんだって
主張する人がいるから その根拠を聞きますとね
結構根拠はないんですよ 直感で
それが正しいんだとか
いや 自分は右の思想だからこうなんだ
いや そういうのは駄目なんですよね
ちゃんとした合理的根拠を
持たなきゃいけないわけですよ
その点では もう経済学が学問ではなくて
政府の政策は経済学に基づいて
破綻する可能性が
50:50であるということを考えると
自分の資産は 50パーセント当たってりゃいいっていうほど
いらないもんじゃないんですよ
2千万円持ってりゃ1千万円失うは嫌なんですよ
ですからですね そういう基準から考えると
自分で考えてはいけないんです
どうしたらいいか
金を買ったらいいか
ファンドを買ったらいいか
考えちゃいけないんですよ いけないけども
必ず5年以内ぐらいに
自分の財産は半分になるんです
持ち金は半分になるんです
じゃあ 5年後に持ち金が
半分にならずにする方法はあるのかと
経済学が喧嘩してる状態で
経済学者ってね
そういうこと全然考えないんですよ 
経済学を勉強して自分の財産を失いたくないと


思ってる人のために研究してるとか
著述物を書いてる人はいないんですよ
全部自分の名誉のためなんですよ
自分の名誉のためにやったってね
爺さんがしょうがないのに そんなわけですよ
じゃあどうするかって ここなんですね
このヒバリクラブは 政府はどうでもいいと
やっぱり自分の身を守ろうっていうのがヒバリですから
ヒバリクラブではですね
絶対に5年以内に
二分の一になってしまうお金の損失を
損失しないようにする方法は 何なのかっていうことです
自分で考えては そこに到達しません
非常に難しい選択が要求されるわけですね

2021年12月16日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/15

二種類の仕事 仕事に生きがいをというのは何か? 不幸は自分の錯覚で作ることが多い (武田邦彦)



本日の収穫(3706文字) 

えーとこのー 日本人が今不幸であるというか
これをお聞きの皆さんの中にもですね
どうも俺は仕事が合ってないとかですね
仕事の職場の人間関係がうまくいかないとか言って
仕事関係で悩んでる人が多いと思うんですよね
しかもその中にはですね
どうも自分に合ってないとか
自分にはもっと人生ですべき
自分にすべき仕事があるんじゃないか
なんていうんでですね 悩んでる人っていうのは
まぁ結構若い人を中心にいるんですよ
それはですねー いつも私が言っておりますが
ヨーロッパの悪い文化で
汚染された頭で考えるとっていう条件が付いてるんですね
仕事は二種類あるんですね
一つは日本流の仕事なんですよ
日本流の仕事の考え方
日本人はねー どういうふうに思ってるかって言うと
自分が私なら 私が生きていくわけじゃないですか
私が生きて行く上にはですね
朝起きますとね
歯を磨いて 歯を磨いてって簡単に言いますけど
歯を磨くためには水道が出ないといけないですから
水道やってくれる人 昔は井戸でしたけど
井戸でしても 井戸を掘る人もいますからね
歯ブラシで歯を磨く コップもいる歯磨き粉もいりますよ
それから 顔を洗うんだったら
まぁ水でも何でもいいけど
できれば 瞬間湯沸かし器を使って
石鹸を使いたいですよね
色んなものがいるじゃないですか
食卓に着けば 箸もいる茶碗もいる
ご飯もいる 味噌汁もいる
ちょっとした魚も食べたいことがある お新香もいる
そういうことを今ずっと挙げますとね
たった一日私が過ぎるだけでも
物凄く多くの人が働いたものを
使わせていただくわけですよ
じゃあ それを使わないとしたら私はですね
もう頭はボサボサ 体は臭い歯はボロボロ
お腹は減ってるって こうなるじゃないですか
だから人間っていうのは
どうしても多くの人が集合して生活しないと
現代の生活はできないと 現代っていうかもう
平安時代ぐらいから生活できないと
いうこともはっきりしてるんですね
ですから じゃあー人間として
まず第一に やらなきゃならない仕事は何かと
考えたのが日本人なんですよ
謙虚な気持ちでですよ
俺だけが偉いっていうんじゃなくて
謙虚な気持ちで
日本人が みんな協力してんだと
そうするとですね 私は夏の暑い時でも
雑草を除いてくれる 
お百姓さんがいなければ駄目なんですよ
暑い時に道路工事で フーフー言いながらやってくれる
道路工事の人がいなければ駄目なんですよ
もちろん 私の赤ちゃんの時には
夜でも そそうをしたらですね
おしめをかえてくれる人がいたから
私が今いるんですよね
もちろん 時々には病気もかかる
電車に乗りゃー 運転手もいる
電車の車両を作る人
車両を作る人を組み立てる人も当然ですが
新日鉄とかね そういうふうに
JFEとか鉄鋼やってる人
そういう人がいないと 私は生活できないんですよ
人生送れないんですよ
ですから 日本人が考えた仕事というのはですね
恩返しなんです まず第一に
まず第一に恩返しをして 初めて君は
人間と言えるっていうことになるんですよ
まず人間の資格ですね
ご飯は食べるね 道路を歩く
だけど俺は そんなことは俺は貴族で
ご飯を作ったり道路工事した人は それはまぁ
貧民か奴隷だからっていう考えは 日本にはないです
ですから まず日本人の仕事は恩返しですから
つらい仕事の方がいいとも言えるんですよ
いいとは言えないけどね
つらい仕事に文句は言えないんですよ
だって 皆さんは仕事の中で
つらい仕事をしておられるわけですから
だから 仕事がつらいからって文句を言うつったらですね
一体 お百姓さんは
稲どうやって作るのとことになりますよね
台風が来た時に 川の護岸工事に一生懸命土嚢を運んで
雨が降りしきる中に 土嚢を積んでいく人っていうのは
一体あれ つらくないのと
もうね 冬の寒い時に色々やる人もいますよ
そういう人の苦労は
やっぱり自分が味わわなきゃいけないんです
だから楽な仕事っていうのはですね
まず楽な仕事をこのブログに聴いてる人で
楽な仕事をしようと思ってる人はですね
やっぱり生きる価値ないですね 悪いけど
やっぱり人間として一番大切なことは
自分が世話になったら
それだけ世話をして返すということが大事であって
自分は貴族だから
世話してもらって当然だなんてやつはですね
ヨーロッパとか中国の悪しき社会なんですよ
これが第一種の仕事なんです
だからこそ日本国憲法は 勤労が義務になってるんですよ
義務になってるってことは そういうことなんですよ
ところがもう一つはですね
中国とかヨーロッパの階級社会ですね
階級社会はどう考えたっていったら
労働は神の罰だと考えるんです
恩返しじゃないんですよ 神の罰だ
本来人間は労働しなくていいと
いやこの理屈はおかしいんですよ
みんなそう思ってますけどね ヨーロッパ人なんかね
哲学者なんか 立派な哲学者といわれる人
みんなそう思ってますよ
労働はしなくていいんだと
勝手に机の上にはパンが来て
バターが来て コーヒーが来て食べれるんだ
風呂に入れば 誰かが風呂を綺麗にして
お湯を張ってくれてんだ
いや全部メイドがやってんですって言うんですよ
だけど彼らは メイドは人間じゃないと考えてるわけですね
ですから 日本に原爆を落としたアメリカもそうですね
日本人は猿であって 人間ではないって言うんです
人間ではない 女は人間ではない
今でもヨーロッパ人は 女は人間じゃないと思ってますよ
そのヨーロッパに近づこうとしている
ジェンダーとかいう人たちがいるんだから
もうどうにもならないですけどね
何を錯覚してるんですかって 言いたくなっちゃうんですね
ヨーロッパ人は貴族は仕事をしなくていい
仕事は汚れたものであり やるべきものではない
まぁこれはキリスト教の現在意識とか色々あるんですが
まぁものすごく内容は深いんですが
少なくとも仕事は 人間のするべきことではない
猿とか奴隷とか 貧民のやるべきことであると
そういう考え方なんです
これから言ってですね
仕事にやりがいが必要だってなるんですよ
だってそうすると 仕事っていうのは区域ですからね
やりがいのある仕事を
自分の人生の目的を達する仕事が必要なんです
だからそれは日本の これを考える日本で
これを考えているからですね
どうしても職場で
うまくいかなくなったりなんかするんですよねー
だけど もう少し現実的に見てみるとですね
仕事一日を分けると まず第一に恩返しの仕事
これ大体四時間は
かかるって言われてるんですよ 四時間ね
自分がご飯を食べたり 靴を履いたり道路を歩いたりね
時にはエンターテイメントに行ったり
色んなことしますよね
酒を飲んだり これには四時間ぐらいかかる
じゃあ 九時から仕事を始めて一時まで仕事をする
それから遊んでもいい だけども
全部遊ぶのも何だと思って
自分の人生に役に立つような仕事をするとしますね
これが一時から五時までするじゃないですか
そうすると大体 その人は義務として
恩としての仕事と 自分の人生としての仕事を二つやる
それから五時から遊びに行くっていう考え方もあります
つまりですねー
自分の人生を全うしたり
自分のためにやる仕事っていうのは遊びと一緒なんですよ
そりゃそうですよ 遊びですよね
人にとってみればどう見るか分からないけど
自分としては やりがいのある仕事っていうのは遊びですよ
遊びだって やりがいのない遊びってないわけですから
遊びか仕事かっていうのはやっぱりそれは
やってるのがね パソコン打ってるから仕事だとか
漫画 パソコンで漫画見てるから
遊びだなんていうことでもないですからね
行為ですから ですからその意味ではですね
まぁやっぱりスパッと 仕事は恩返し
それ以外は遊びっていうことですね
遊びの中には 自分の人生の目標を到達したいとかねー
自分はバレーボールの選手になりたいとか
そういうことはありますね
それはそういうことなんです
これはね 何回も何回も
繰り返していただいたほうがいいと思うんですよ
私が今してる仕事は恩返しなのか
恩返しだったら寒い冬の時に 雨に打たれながら
道路を歩くのも仕事のうちですよ
嫌な上司の言うこと はいっつって聞いてね
そしてそれをやるのも 仕事のうちですね
できれば嫌な思いをする方が
短い時間で仕事が終わりになるとも言えるんですよ
とも言えるんですよ
そんなことだけではないんですけどね
楽しくやるのも大切なんですが
しかし仕事の本質っていうのは 恩返しなんですね
これがもし若い方がお分かりになればですね
人生は非常に明るくなりますっていうのは
仕事がつらくなくなります
仕事してる間は 俺はもっと鍛錬のために
つらい仕事をしないと 自分が大きく遊ぶわけでしょ
自分が大きく人生を楽しもうっていうためには
その大きく楽しむためには
飛行機でどっか行ったりですね
それから色んなことをするわけですよ
お酒を飲んで どんちゃん騒ぎしたりっていうことは
ますます人に迷惑かけますからね
人に迷惑っていうんじゃないんですよ これ
みんなはそれでいいです
あなた そういう風に楽しんでいいですよ
だけどその代わり 飛行機に乗るって言ったら
電車に乗るよりか 何十倍もエネルギーも使うし
色んなもの使いますからね
だから余計につらいことをしなきゃならない
つまり つらい仕事をすればするほど
自分の楽しい人生を送ることができる
これが日本の仕事に対する考え方であります
是非 仕事を悩んでいる人
この原理原則を身につけてですね
楽しい人生を送っていただきたいと思います

2021年12月15日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/14

日本人を幸福にする具体的な政策2 (文化)力づくではない社会 力づくの社会と力づくではない社会は基本的に違うので、日本文化を基礎としないと 日本人は幸福にならない。 1.教育は本人のため (武田邦彦)



本日の収穫(3409文字) 

政治はですね 国民が幸福になるのを
ために 色々やるわけですよ
だけど この頃の日本政府の野党なんかもっとそうなんで
日本政府っていうか 政府も野党も
与党も野党も入れてですね
何しろ 国民を痛めつける方ばっかりやってんですよ
例えば一番典型的なのは
小泉進次郎前大臣がやったですね
レジ袋の有料化なんてのは典型的なもんですね
なんの効果もないんですよ レジ袋有料化したら
将来日本は良くなるんですか なりません
何にも関係ありません
ただレジ袋を有料化したわけですよ
日本人はですね プラスチックをそこら辺に
ポイなんて捨てないんですよ
捨てても 問題はあまりないんですが
しかも捨てないんですよ それをですね
毎回毎回お金いりますか 袋いりますかって
聞かれてね めんどくさい人生なっちゃったんですよ
小泉進次郎さんは どう思ってるか知りませんけどね
国民には やることがあるんですよ
そんな変な事を考えなくてもですね
毎日楽しく美味しいお弁当を食べたりね
コンビニで買ったりしたいんですよ
いちいちそんなこと言われてね
国民の環境意識をあげるんだって 冗談じゃないですよ
夫婦揃って 小泉さん3億円以上の資産があるんですけど 
どうやって使うんですかね
環境にいい使い方って 聞きたいですよ
小池さんもそうですね
クールビズなんていうのやってですね
ネクタイを取ると なんか涼しくなるってんでですね
電通から あの時ですよ
報道されたのが 正しいかどうか私には分からないんですが
電通に80億円かけたって言うんですよ
クールビズという名前に 税金をね
ただ電通を救っただけの事ですよ
早稲田大学に これは僕が直接聞いた話なんですけど
二千万円の研究費渡してですね
ある教授に 襟にネクタイがあるかないかで
体温はどのくらいになるかって
2度ぐらい下がるとかね
そんなことは色々ありますよ
それはYシャツ着ないで Tシャツでやればいいんですから
南洋みたいに 何の役にも立たないんですよ
もう今ですね ここ30年間日本人はですね
日本政府が我々を幸福にしてくれるために
なんかやってるっていう
もう感触はないでしょうね
だけどやっぱり私はねぇ 
日本人を幸福にする政策がいると思うんです
その一番基本はねぇ 日本という力づくではない文化
力づくではない文化っていうのは
支配層5パーセント 被支配層90パーセントという
ヨーロッパ中国の文化とは違い
日本は たった一人の天皇陛下だけを象徴で置いておいて
後国民は全部同じと 身分がないと
これが一つは力づくじゃないですね
2番 女の方が男よりか力が弱いんだけれども
女性を上に置いて
家庭では旦那が派遣労働者として外に出て
稼ぎを家族のために 全部妻に渡すと
これ力づくじゃないんですよね
3番目会社 会社はですね
従業員の努力 日本の土地とか道路
それから経営者株主 それから日本文化
これ言葉とか コミュニケーションとか考え方ですね
この5つで収益を上げてるのに
力づく文化はね 株主が会社を支配してるって言うんですよ
違うと 従業員が一番会社で貢献してんだと
従業員第一の会社を作んなきゃいけないのに
従業員ごと売ったりですね
この頃は銀行が会社に来てですね
もうちょっと株主に対する配当を増やせとかね
なんか言ってくるんですよ
あなたどこの人ですかって言ったら
いや うちの銀行は半分ぐらいが外資だっていうでしょう
まぁとりあえず3つですね
支配層と被支配層のない社会 
男性と女性が本当の意味で平等な社会
本当の意味でですよ
それから3番目が会社とかそういうとこで
従業員が一番大切という文化
従業員が上とか下とかじゃないんですよ
なんでも上とか下とかにしたいんですね
西洋文化っていうのはですね
天国はっていうとですね
上の方にあるんですよ
これねぇ 非常に重要な意識なんですね
人間の意識って結構複雑でですね
天国が上にある 天に昇るって言うんです 
ところが違うんです 日本はね
三途の川を渡るって言うんです
日本はねぇ 平等社会ですからねぇ
天上も天下も全部 平面なんですよ
別に上に昇るとか下に落ちるとかいうことじゃないんですね
まぁそういうヨーロッパの文化の影響を受けて
芥川龍之介なんか 蜘蛛の糸書いてますけどね
あれは日本流じゃないんです
日本には家もそうなんですね 縁側なんてありますね
あれは家の中と外を平面で結んで
縁側っていうのは 家の中でもない外でもないっていう
上下の意識は日本にはつくらないんですよ もちろん天の神様
神様みたいな
まぁ天にいてもいいということなんですけどね
若干はありますよ 若干はありますが
基本的にはですね
日本は平面の文化 力づくではない文化
みんなが一緒の文化 絡合の文化なんですね
これを無理やり力づくにしてるでしょ
例えば 奥さんは扶養家族だ
なにを扶養家族なんですか
どうしても日本文化で扶養家族っていったら夫ですよ
ヨーロッパで扶養家族っていうのは妻ですね
お母さん 日本はお母さんが一番偉いんですよ
なんだって365日24時間労働でしょ
赤ちゃんが夜中に泣いたって どんなに疲れたって
オシメかえてくれますよ
このお母さんの労働はね
ゼロなんですよ ゼロ価値 
何でゼロ価値なんですかって
社労士に聞いたらね 社労士なんて言ったと思います
雇用関係がないから
雇用関係っていうのは上下関係なんですよ
だから日本は そういう意識がないんですよ
元々ね 日本はね
お母さんが偉いとか偉くないとかいうことも言わないんです
水平関係だから
お母さんは そういう仕事をしてくださっている
だから みんなでお母さんに感謝しようって言うんで
全然 上下関係と雇用関係とか 
そんなのないんですね
ここで言いたいのはですね
日本は明治以来 よく日本文化を勉強しなかった
帝国大学の先生方とか文化人とか
そういうのは西洋にかぶれちゃって
もちろん軍事力は西洋の方が強かったんですよ
文化の面では日本の方が遥かに上だったんですよ
それを間違って 素晴らしい文化の日本に
愚劣な文化のヨーロッパを持ってきちゃって
それを今えだついたみたいにやってるから
日本人は本当に幸福な人生 送れないんですよ
日本人が幸福になるためには
日本文化を基礎としないといけないんですよ
当たり前ですけど 我々にはですね
古い昔から血が流れてて
それで我々の精神状態っていうのができてるわけです。
これもヨーロッパはですね
大脳皮質という
その人一代限りの議論をしてますから
だから日本とは違うんですけど
日本はもっと自然っていうのをよく理解して
人間っていうのはよく理解して
例えばですね 後で宗教についても
日本の状態を改善する必要があるんですが
日本の宗教っていうのは自然とご先祖様 二つですね
宗教とも呼ばないんですよ
教えじゃありませんから
あのね ヨーロッパはやっぱり上から教えるって言うんです
神様が人間に教えてくれるっていう解釈ですから
やっぱり いざこざあるんですよ
日本はそうじゃないんですね
自分と共に住んでいる自然 山とか川
自分を産んでくれた ご先祖 
だいたいですね 千年遡るとですね
30億人ぐらいが同じ遺伝子なんです
日本には1億人ぐらいしかいませんからね
昔は4000万人とか 3000万人しかいませんから
ダブってるんですよ
ですから ご先祖は
僕らのご先祖は全部共通してるんです
僕らのご先祖は全部共通してるっていうと
山とか川とか海とか魚とかいなければ
僕らは死ぬじゃないですか 稲とか
だから僕らをつくってくれたものは
神様とすると そっからなんか教えてもらうわけじゃないで
宗教ではないんです
日本の日本人の信ずるもの というものなんですね
日本人が神様として信ずるもの
神信というのかな
神を信じる 神様ってのは何ですか
それは自然とご先祖様で
自分をつくって下さったもの これに尊敬します
だから 日本人はクリスマスになると
クリスマスツリーを飾り
子供にプレゼントをあげる
一週間経つと神社にお参りする
その帰り足でお寺に行って ご先祖様にお参りをする
元旦は朝起きた時に
お天道様様を拝む 何にも矛盾してないんですよ
これ だから信教の自由なんて
けち臭いもんなんですね
日本は元々信教の自由っていうか
信教の自由という
概念のいらない社会をつくってたわけですよ 日本はですね
信教の自由という 概念のいらない社会
それをね 無理やりね
力づくの社会を持ち込もうとしてるわけですよ
信教の自由が大切だとか
男女は平等でなければならないと
なんちゅうことですか まぁとにかく
日本人を幸福にする 具体的な政策の2番
文化 力づくではない文化の社会をつくる
第一に教育は本人のためにやる
二 力づくではない社会をつくる
これで ものすごく皆幸福になりますでしょうね
私はそういう風に思います

2021年12月14日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/13

なぜ人間の赤ちゃんは1年半で離乳なのか? チンパンジー4年、人間1年半 (武田邦彦)



本日の収穫(3534文字) 

えーとですね
まぁ昔から私はこうなんか
おかしいなーと思うんですけども
保育園とかですね
それから 保育園はそうかな
幼稚園は だいぶ大きくなってからですけども
赤ちゃんを施設に預けるっていうのがあるんですね
名古屋大学の経営委員みたいなものをやってる時ですね
提案がありまして 大学側からですね
今度 名古屋大学で四千万円からかけてですねぇ
保育所を作ると これは名古屋大学に勤めてる方々が
もう長く希望したことであって
今回これを作るので 皆さん是非賛成してほしいと
いう話が提案されました
まぁ保育園を作わけですから
そこにおられる12~13人でしたかね 経営委員の人は
先生方は みんな賛成の感じでしたよ
私が質問しますとね
保育園を作るっていうのは
別にそれほど 僕としてはあれだけども
反対はしないけども
保育園作るにあたって 赤ちゃんにお聞きになりましたかと
赤ちゃんは保育園を 保育所を
希望しておりますかって こう言ったんですね
そしたらまぁ 
アホな教育学か何か別の先生かもしれませんが
それがですね
武田先生赤ちゃん答えるはずないじゃないですかって
アホなこと言ったんで
ええー それは分かってますよと だけど
ここは名古屋大学ですからね
ですから 世間が保育所を作ってるから
名古屋大学が作るっていうんでは
大学としての社会的意味はないでしょうと
やっぱり大学には 幼児学の先生とかですね
教育学発達学の先生がおられるんだから
社会は赤ちゃんのことは考えなくても
名古屋大学は赤ちゃんのことを
考えなきゃいけないじゃないですかと
保育所を作りたいっていうのは
多分 ご両親の方の希望じゃないですかと
じゃあ ご両親がなぜ赤ちゃんを
保育所に預けたいかという希望を言われるかと言うと
それは 自分が勤めたいからじゃないんですかと
もちろんその勤めたお金は
赤ちゃんにもメリットはありますが
しかし勤めること自体は ご両親
例えば お母さんの希望じゃないんですかと
だけども保育所っていうのは あくまでも第一義には
赤ちゃんのためになることじゃ
なくちゃいけないと思いますと
したがって赤ちゃんがまず
保育所に預けられることを喜ぶというのが 第一条件でしょう
社会の保育所の議論を聞いてると
勤めが大変だとか お母さんが大変だとか
男女平等とか 全然関係ありませんよと
私はそう思いますと
第一義にやっぱり赤ちゃんですと
やっぱり人間を何を作るにしてもですね
学校を作るにしても 学校は学生のために作るんであって
何も学校が大学ができてないと
先生方に給料払えないから
大学を作るっていうわけじゃ
ありませんよと言ったわけですよ
私がいると 物事が混乱するってよく言われるんですが
そこで誰も答えないんですよ ええ
だけど採決は 何とかこれをごまかして
採決まで持っていきたいっていうのは
大学側の態度はありありとしてるんですね
僕はそんなことじゃへこたれませんからね
いかがですか いかがですかって聞くんですよ
やっぱり もちろん
赤ちゃんにとっていいという根拠はあるんでしょうね
と聞くわけですよ
追い詰められましてね
ご提案なったのは 副学長かなんか
そういった事務系の人なんですけど 困り果てて
先生方は誰も応援しないんですね
結局 その提案は流れました
多くの人は 武田先生は何ていうこと言うんだと
みんなが保育所が必要だって言って
せっかく国も認めて名古屋大学に
保育所ができるってことになったのに
それを潰すとは何事かと こういうわけですね
だけど これでいいんでしょうかね
確かにお父さんお母さん赤ちゃんと 三人比べますと
赤ちゃんが一番力弱いですよ
だってお乳飲ませてもらわなきゃいけないし ねー
それからまぁ 
お父さんお母さんいないと死んじゃいますからね
赤ちゃんは 弱い立場ですよ
だけど 弱い強いという以外に
赤ちゃんをどう育てるのは正しいのか
正しくない保育の仕方をする限界は
どういう場合なのかっていうことがですね
少なくとも国立大学のなかでもいいと言われる
名古屋大学の先生方が
僕に答えられないっていうんじゃですね
それは いくらなんでもひどいですよ ねぇー
戦争の時に捕虜収容所ですら
捕虜の人権っていうのが認められているのに
なんで保育所で 赤ちゃんの人権が認められないんですか
私は個人的に 赤ちゃんはお母さんに育てられる場合
お父さんに育てられる場合
保育所で育てられる場合
何が一番いいかっていうのは一応考えがあるんです
赤ちゃんの年齢とか家庭環境にもよりますね
必ずしも保育所が常に悪いってわけじゃありません
特に最近のように
家庭環境があまり良くなかったりですね
というのは おばあちゃんが
いなかったりっていう意味ですけども
えーそれから えーまぁ
赤ちゃんが厄介者にされるって言うかですね
そういう時代にとか
それから少子化で 兄弟がいないとかいう場合に
それぞれ どう考えるかっていうのは
細かく考えなきゃいけない問題なんですね
ところで私が こういうことはもう常に言ってんですよ
保育所ばかりじゃなくて
あらゆる よく男女平等とかですね
それから 中学の女子中学生に対してある校長先生が
妊娠と母親っていうことに対して
女子中学生だけに 特別に話をしたら
そのマスコミがもう 非常に程度な議論でですね
その校長先生を罷免させましたね ついには
これはですね 何の議論もしない
つまり男女平等が最高の道徳であり
赤ちゃんも含めて男女平等という錦の御旗に対して
誰も抵抗できないんだっていうことをやり
それに反するものは全部潰すぞという
まぁマスコミの常に傲慢な心なんですね
まぁこれは戦争の前ですね
早稲田大学と慶応大学が野球対抗戦を
野球の対抗戦を始めようとした時に
朝日新聞がアメリカのような
野蛮な国のルールを持つ野球を
その日本の大学がやるとはけしからんと 朝日新聞の力で
早稲田大学と慶応大学を潰してみせると言って
一週間ぐらいの大々的に
キャンペーンを打ったことがあります
その朝日新聞は戦争で
日本がアメリカに敗れるとですね
途端に 180度態度を変えまして
高校野球のメインの推進役をやるわけですね
あのマスコミってのは その程度の見識なんですよ
マスコミっていうのはゴロツキ
反社会的団体と言ってもいいぐらい
レベルが低いんですよね
そんなことの言う人を 
今度これ聞くわけいかないですよ 赤ちゃん
ここで ちょっと別の議論をいっぱいします
いっぱいしたいものがあるんですね
もちろん日本文化についても話したいんですが
ここは動物学ですね
チンパンジーの赤ちゃんはですね
1㎏半ぐらいの 非常に小型で産まれて
哺乳期間は4年です
これに対して 
人間の赤ちゃんは 随分大きく産まれますね
3~4㎏で産まれて
離乳は一年半ですね
これは類人猿なんかと 人間との大きな差があるんですね
総じて言えばゴリラも含めて類人猿のですね
赤ちゃんの産まれてくる体重っていうのは
まぁ1㎏から2㎏っていう 小さいですよ
ゴリラみたいな大きな動物でも小さいんです
ところが人間はですね 3~4㎏で産まれて
離乳期間が短いんですね
これは事実はもう分かっております
まぁ類人猿の研究でよく分かっておりますが
理由は分かっておりません
これには必ず 私は理由があると思うんですね
どんなものにも理由があります
この どんなものにも理由があるので
我々はですね 赤ちゃんの養育については
なぜ離乳期間が一年半しかないのか
なぜ3~4kgの大きな体で産まれるのか
その他ですね 山ほど女性が
赤ちゃんを育てるということをやめる
もし やめたりですね
男女が均等に赤ちゃんを育てるということは
非常に危険なんですね
なぜ危険か 私がですね
実は遺伝子作物について やや否定的なのは
なぜかって言うとですね
遺伝子作物は現代の科学に於いてはですね
安全だと考えられます
しかし我々はですね
現代の科学というものが同時に
非常に不完全なものであって 全部をカバーしていない
ということを知っております
まぁ今度のコロナとかワクチンの事件も
やっぱりそれを示しておりますね 当たり前ですけども
我々の科学は完全ではないんですね
ですから 遺伝子について
ほぼ まだ5パーセントか
10パーセントぐらいの知識しかないのに
それを操作して作った作物が
人間に対してどういう影響があるか
っていうことは分からないですよ
単に 遺伝子で作った食べ物をしばらく食べさせたら
病気にならないとか そういうもう超雑なね
それがある程度 子供に伝わるのか伝わらないのか
生態系としてどうなのか
私に言わせれば 絡合的な効果はどう起こるのか
何にも分かんないで 単に自分たちが儲かるから
遺伝子作物は安全だと言ってるに等しいと言っても
それほど間違いではない状態なんですね
名古屋大学の保育所の問題もそうですが
一体 日本のいわゆる文化人学者とか
インテリというものはですね
物事を総合的に考える力があるんでしょうかね
そして弱者を守るっていう
極めて大切な概念をですね に対して
自信を持っているのかどうか
非常に疑問に思っております

2021年12月13日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

2021/12/12

ホッブスとルソー: アホではないが 人間は獰猛である(ホッブス) 人間は穏やかである(ルソー)  ゴリラは穏やかである。 先史時代の人間は穏やかである。(武田邦彦)


本日の収穫(3660文字) 

えーとですね ヨーロッパでは
非常に有名な近代の思想家ですんでね
その人達をアホなんて言ったらですね
お前 何言ってんだと
日本には ヨーロッパかぶれが山ほどいますからね
それでヨーロッパの思想学とか哲学といった
ヨーロッパの頭脳で考えたのの大きな欠点はですね
ヨーロッパがアーリア民族社会にいる
つまり 獰猛な社会にいるということと
大脳皮質社会にいるっていう二つのですね
大きな欠点があるわけですね
この欠点が十六世紀以来ですね
人類社会にものすごく大きな
最悪をもたらしたわけですね
これだけ大きな最悪をもたらしながら
この最悪をもたらした文明を
貴重なものだと言って奉る人たちが
まぁ 日本には山ほどいると
その人たちが東大教授であり
文化人なもんですからね
だから ヨーロッパの悪口なんかなんで言うんだ
っていう風に言われちゃうんですが
実はですね ヨーロッパ文化というものが
ものすごく大きな最悪を
人類にもたらしたことは もしかすると
その洗脳された その人たちにもですね
まぁ わかっちゃいるかもしれないなと
思う節もあるんですね
その一例を挙げますと
イギリスの巨大な思想家 ホッブスはですね
人類は獰猛なものである
つまり人類っていうのは
元々獰猛なものだからですね
人類が戦争したり 争ったり
殺人事件が起こるのはもう仕方ない
これは止められないんだと いう風に考え主張しですね
それが後の
色々な植民地とか 戦争というのをよんで
世の中には 人間社会には
非常に大きな最悪をもたらしたわけですから
ある意味では ホッブスはですね
ホッブスのリヴァイアサンなんかっていう
著書があるわけですね
私なんか ホッブスのリヴァイアサン若い頃読んでですね
なんと素晴らしいことかと思ったんですが
それは私の考えが未熟だったから
素晴らしいと思ったんだってことは
後になってだんだん分かってくるわけですね
だから フランスの巨大思想家ルソーはですね
人間は穏やかなものである それが本来の性格性質だ
だから人間が獰猛に思うのは 若干
別の要素があるんだと言った人なんですね
ここでホッブスが正しいかとか ルソーが正しいかとか
それらの持っている思想の意味を論じるわけじゃないんですね
何で彼らが違う意見になったかっていうことですね
現在の日本でも
違う意見っていうのは非常に多いんですけど
なんで人間は
違う意見を持つようになるかっていうことの一例ですね
これアホだからなんですね
もちろん 私もアホであってですね
全員がアホなんですね
なんで全員がアホかって言うと我々はですね
全能な知識を持ってるわけじゃないんですよ
本当に人間が知るべき知恵のですね ごく一部
僕の感じではですね
感じですから 分かんないんですが
一万分の一とか そのぐらいしか持ってないわけですね
だから事実とか 知識があれば
思想っていうのは 簡単にひっくり返るわけですよ
今私日本でですね
色々議論している 特に野党の議論なんかはですね
ほとんどは知識の問題じゃないかと思うんですね
知識の問題じゃないやつもあるんですよ
そこに関係している人が 全部よく分かってるけど
利害関係から言って
ただそう言ってるってやつあるんですね
まぁそういうものは 人間のあれですから多いんですが
まぁ知識不足が多いですね
ちょっと このホッブスとルソーについて
科学的な知識をですね 整理します
この科学的な知識っていうのは またですね
あるいは 時代が変わるとですね
変わる可能性があるんですが
とりあえず現在のところの まぁ霊長類の研究ですね
そういうのとか 人類の先史時代の研究を参考にしますと
ゴリラは穏やかなんですよ
あのー よくあのー ゴリラはですね
獰猛だっていう風に思われますけど
これはただ単に 人間のアホがですね
ゴリラが胸をどんどんと高くってあれ
ドラミングって言ったかな
なんか言うんですけども あれを見てですね
ゴリラは好戦的な動物だと
獰猛なんだって 錯覚しただけで
その後のゴリラの研究によったら
あの胸をどんどん叩くっていうのはですね
平和な印なんですよ 妥協して 
みんなで仲良く生きていこうじゃないかっていうことを
主張している時の行動なんですね
ですから あーそうですかと
じゃあ みんなで楽しく生活しましょうっていったら
絶対にゴリラはおとなしいんですね
まぁ もちろん動作っていうのはですね
民族によっても違うぐらいですから
まして人間とゴリラだって言うと
それは全然行動が違うわけですね
類人猿からだんだん人間になって
猿人になって だんだん行くんですけども
その考古学っていうか 先史時代の人間ですね
人類学でもいいし 考古学でもいいし
色んなことがあるんですが
この人間が戦争を始めるっていうのは
非常に最近のことでですね
少なくとも数万年前からなんですね
それまではどうも
戦争っていうのはなかった感じがするんですよ
これはですね
土地が豊かだからかとかそういうんじゃない
よくあの戦争が行われるのは 食べ物が減ったり
そういうことになって
戦争が行われるという風に言われたりする
これもですね アリア人が
自分たちの世界だけを考えたわけですね
ヨーロッパ人が何で背が高くて
男性が結構かっこよくて 女性が美人かっていうと
あれは競争が激しいからなんですよ
競争が激しければ 結局ですね
何とかして背が高くなり
何とかして女性は美人になってですね
そして対抗しようとしますので そういう風になりますね
南洋の方の人達は まぁ生活が楽ですから
いつも にこにこして
戦争の数は もう全然少ないですね
例えばイギリスと南方の島々とを見ますと
全く違うんですね
そういうことは どうしてかって言うと
まぁ体型にも表れているわけです
そういう厳しい 非常に厳しい環境の中で
ヨーロッパ人 アーリア人ですね
特にアーリア人の場合は 遊牧民が元々ですからね
そういう その草がなくなったらどうするのって
いやもう それから草を植えるっていうようなことは
彼らはしないで 面倒くさいから
人の土地を奪って生活するっていうことをしてたわけですね
戦争が始まったのっていうのは
いろいろ説がありますが
まぁまぁ数万年なんですよ
2~3万年前ですね
もちろん 近世まで
近代まで戦争を行わなかったのが
アイヌ 日本の親しみではアイヌ民族ですね
アイヌ民族っていうのは
日本民族よりかずっと優れておりまして
優れているというのは
平和という意味で優れておりまして
アイヌの遺跡の中には人間を殺す刀とか
槍っていうのは ほとんど見つかりません
熊をやっつける イコロ?とかですね
キツネを捕らえる狩猟するための
矢尻というのは見つかるんですけど
人間同士っていうのは ほとんどないんですね
それから 実際に刀傷がある遺体というのはですね
ほとんどありません
私が知ってる範囲で三体ですね
ですから アイヌのように非常に生活が厳しいんですよ
やっぱり 北の国ですからね
アイヌが重婚つってですね よく夫がですね
姉と結婚してたら その姉の妹ともう一回結婚して
妻が二人作れるつうのもあるんですけど
これをもって 非常にアホな人がですねぇ
アイヌは野蛮だとか重婚だとかは違うんですよ
あの北海道ぐらいですとね
要するに 女の人一人じゃ
なかなか昔は生きていけないんですよ
だって熊を 簡単に言えば熊を狩るわけですから
山に行って 激しい海に行って
船を漕いで魚を捕るわけですからね
これはちょっと無理なんですよ
野菜だけじゃちょっとね 生きていけないですよ
野菜つったって 本格的は栽培はしないですからね
ですから 命を救うために重婚制度っていうのは
特例としてあるわけですね
それをアイヌを非難しようという人たちが
使うということなんですね
私がここで言いたいのは
実は アイヌのことでも何でもなくてですね
人間の頭っていうのは 本当に浅はかだと思うんですよ
本当に浅はかなんですね
ホッブスとかルソーといった ヨーロッパでも
一二を争う巨大な 巨大な思想家ですよ
もう文章なんか読むと もうこの人たちの頭がいいのは
素晴らしいと思いますよ
しかし この頭がいいというのは
何の頭がいいかっていったら
大脳皮質の密度や
回転速度がいいということであってですね
その大脳皮質っていうのは
それまでに ホッブスとルソーの頭の中に入ってる分しか
動員されませんから
私はこれを一回大学の学生相手にですね
色々テストをしたわけじゃなくて
教育のために一生懸命やったんですが
ある有機合成反応っていうのはですね
学生はどうしても
自分の頭で覚えてる有機合成反応から
見つけようとか改良しようとか思うんですね
しかし学生が知っている有機合成反応っていうのは
本当に限定されてるんですが
自分の頭の中にある
有機合成反応が限定されているという
前提には立たないで
自分の知っている 合成反応っていうのは
あたかも合成反応の 有機合成反応の自然界にある
有機合成反応の全てでだと
いう風に思うような感じで取り組むんですね
ですから もちろん間違えます
しかし それもね
しょうがないってちゃしょうがない
人間の限界かもしれませんが
それを人間が知っているということは極めて大切ですね
私はギリシャ哲学をあまり評価はしませんが
ソクラテスが
人間の大切なのは知らないということを
知っていることである
っていうのは確かにある意味で
人間の頭脳のですね
働きを示したものだと思います

2021年12月12日 (ヒバリクラブ)

#武田邦彦

米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)

本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...