2021/11/29
100年人生時代の男女(2) 50歳から変わること 小説なし、体験なし 男性は第一線から後退 女性は産む育てるが軽くなる それだけでも文学がいる
2021/11/28
日本は違う。一つ上 6.子供は神の子 全く違う成長と教育 のびのびと育て魂を持つ チップをねだる文化、チップを断る文化 敵将を遇する日本、敵将を辱める欧米 男女を比較しない。 仕事は恩返し。 日本の宗教は平和。
子供についての考え方ですね
本当に子供についての考え方は
日本とヨーロッパと ものすごく違うんですね
ヨーロッパはですね
子供というのはまだ教育されてないので
野獣であると 野獣であるので
それを教育で人間にしなきゃいけない
だから鞭を使うんだっていうのが
ヨーロッパの基本的な考えなんですね
ですから まぁ昔
今はそんなことはありませんが
昔のヨーロッパのイギリスのですね 小学校では
先生が鞭を持ってるんですよ
鞭を持ってるって事なにかていったら
相手が獣ですからね
獣ですから この子供は獣なんで
先生という大人
つまり教育が終わって人間になった人がですね
獣に対して鞭を振って教育すると
もしくは木に縛り付けたりもしたりしたんですね
それで とにかく子供を人間にするんだと
獣から人間にするんだというのが
基本的なヨーロッパの教育の考え方なんですね
それと180度違うのは日本で
日本はですね
子供は神の子なんですね
実は人間というのは
子供が一番正しいっていうか綺麗で
純粋で大人になってくると
どうしても人間の悪い所を つまり
大脳皮質の利己性が出てくるんでですね
これは どういう事かって言うと
大脳皮質の下にですね
ちょうど頭の下の方に
真ん中ら辺に扁桃脳?があるわけですね
この扁桃脳?は
5億5千万年間の生物の知恵がつまってるので
どちらかと言うと利他的なんですね
利他的って言っても難しくて 例えば
獲物を捕食する 捕らえて食べるっていうのは
これは生物界では悪いことではないとされてるわけですね
そうしないと生きていけませんので
自然の秩序そのものがですね 太陽の光で草が生え
草を食べる草食動物がいて
草食動物を食べる肉食動物がいるって言うのは
これはもう 自然の摂理ですから
これはいいとしなきゃいけないですね
それから そういったものが繁栄するためには
ウイルスだとか微生物だとか
ミミズとかそういったものが必要なんで
それで一つの体系を成しているということなんですね
ですからそのー 草食動物が肉食動物を食べるとか
草食動物が草を食べたりするっていうのは
これは良い悪いという問題ではないということなんですね
それでその そういった中で一つの調和ですね
一つの調和をとって自然というのは成り立っている
その状態で子供は生まれるわけですね
子供は親から
扁桃脳?は もらって生まれるわけですね
それから0歳から25歳まで
大脳皮質を 人間の知恵を入れるわけですね
だから結局 大人と子供
生まれたての子供と大人の差っていうのはですね
日本の考えだと
子供は生まれた時に
神の子として生まれる
この神の子っていうのはどういうことかって言うと
まだ人間の知恵が入ってない
5億5000万年間の動物の知恵ですね
生物の知恵が詰まってる この状態は神様だと
それは神様ですね 自然ですからね
人間は 日本人は自然と祖先を神としたわけですが
その点では確かに 子供は神の子なんですね
つまり子供は生物としては正しい行動ができる
まだ人間としては その上澄みの人間としてはできていない
ということなんですね
ですから人間は子供は神の子 そうすると
子供はこの何を学ぶべきかっていったら
できるだけ自然に近いものを
学んでいくっていうことが大切で
それによって利他的な心も持ってですね
みんなで暮らしていこうと
全員で暮らしていこうと 恩とかですね
日本人の恩とかいう心が生まれるわけですね
ですから子供は神の子で
できるだけ子供同士で遊ばせて それも
自然の中で遊ばせる そのことによって
てにをはとか数学算数なんていうものよりかですね
1+1が2であるとか
そういう事ではなくて
そういう事を最初に覚えるのではなくて
つまり人間の知恵を覚えるんじゃなくて
生物としての正しい自然を学ぶっていうことなんですね
そして7歳ぐらいになると
読み書きそろばんとか
今で言う小学校1年生ですかね
読み書きそろばんとか言葉漢字っていうのを覚えてですね
そして人間社会で生活できる様にする
しかし人間社会っていうのは基本的に利己的ですからね
だからダメなんですね ところがヨーロッパのように
子供はまだ教育を受けてない獣だから
これを縛ったり引っ叩いたりして
人間の知恵を大脳に入れるんだと
これが先なんだという風にしますと
絶対に これはどういうことが生まれるかっていうと
大脳皮質から完成がしてきますから
利己的になりますね
そうしますとヨーロッパの社会のように
中国もそうですけど
支配層と非支配層に分かれるわけですね
ですから子供を鍛えて支配層に入れて
同じ人間の非支配層を圧迫して
自分だけが幸福な人生を送るという
個人主義になるわけですね ですから
個人を尊重しろということになって
集団を尊重するのは野蛮である
こういう考えになるわけですね
ですから大本は
子供というものをどう捉えるかっていう事なんですね
もう生物としては完成してるから
後は人間の知恵を少し足さなきゃいけないが
人間の知恵っていうのは とかく利己的なので
どうしても自分が支配層に入ろう
自分の国が他の国を占領しよう
もしくは植民地にしよう 皆殺しにしよう
ということになるわけですね
その考え方は
歴史的にはも実証されておりまして
ヨーロッパ諸国はものすごく戦争しております
それからロシア これもあのウクライナよりか
西の方にいた昔のロシアですね
これがシベリアに進出してくる時は
村を 一つの村が一つの村を兵隊が囲んで
焼き払って皆殺しにする
そしてそこに白人のロシア人が住むと
そういうことでウラジオストック つまり
シベリアずっと来たわけですね
それからイギリスとかスペイン ポルトガル
イギリス オランダっていうところは 今度は
海に出て行って
そして有色人種の国を全部植民地にし
植民地の人に働かせて
そして自分達は まぁピアノ弾いたり絵描いたりしてたと
これは子供に対する考え方のところでも別れて
そして そこで会得した自分たちの考えをですね
やるわけですから
当然その帰結としてですね
支配層と奴隷を作るのがヨーロッパであり
一つの平等社会を作ったのが日本である
力づくの社会がヨーロッパであって
力づくではない社会が日本にできたということは
日本とかヨーロッパ全体の考え方の思想と
一致してるわけですね 教育もそうなんです
ですから日本の教育っていうのは
今の教育は日本の精神の上に
ヨーロッパの残酷な力づくの精神を植え付けて
あたかも なんか算数とか国語はできる子が偉いとか
そういうような力づくの教育を現在してるわけですね
しかも国家のための教育というものはあるわけですね
それはどうしてかっていったら 一つは
その子供自身が実力を 力をつけて
力づくの社会で支配層に入るっていうことですね
もう一つは国家自信が 全体が力をつけて
そして他国を痛めるという 二つのことが目的ですからね
教育の元々が ですから日本のように
大きくなったらみんなで一緒に
幸福な人生を送ろうやっていうのと
全く180度違うんで 受験ステムとかですね
他人を蹴落とした人が優秀であるとか
それからあなたの長所は何ですか
取り柄は何ですか という質問をしてですね
取り柄っていうのは
他人よりか優れたこと ということなんで
そういうことで
支配層になって
奴隷を使うんだという精神の人間を作る
そしてまさに この2000年間って言うか
まぁ特に外国との交渉が増えてきた1500年
15世紀から近代にわたってですね
この子供に対する考え方っていうのが
教育に大きな影響を及ぼしたんですね
どちらが優れているか
他国と戦争するにはヨーロッパ流の
子供に対して鞭を打つほうが優れてるし
みんなで一緒にやろうやっていうのが
日本で 平和ですね
現在の中国が
非常に侵略的であるっていうのは
中国は日本の隣にいるにも関わらず
ヨーロッパ文化と全く同じなんですね
子供を鞭打って あるいは殺してもいいと
神の子って 子供は神の子じゃないよって
いうのは中国でありますので
日本と中国がですね
あまりうまくいかない 感覚として
アメリカと中国の方がうまくいくっていうのは
どういうことかって言うと 大陸文化ですね
中国 中央アジア 中東
ヨーロッパ アメリカという所の文化とはですね
日本はもう全然質が違うということで
おそらくアメリカ人も中国人も
日本人に対しては違和感を持つ
違和感を持つというか もしかしたら
心の中で ひがんでるのかも知れませんね
日本人っていいなーと
みんなのためを考えて生活してるなあーと
それから見れば我々は本当にこう
一刻を争って他人を蹴落とそうとしてるなぁという
そういう引け目があるのかもしれないと
私は思っています
2021年11月28日(ヒバリクラブ)
#武田邦彦
2021/11/27
仮想なのか現実なのか? “貴族政治と変わらない日本” 度が過ぎた二世議員 それを産んだ小選挙区 それを正当化するメディア 議員報酬をサカナにする (武田邦彦)
この人間の頭と言うかですね 集団っていうのは非常に面白い特徴がありまして なんだか仮想なのか 現実なのかよく分からないというような 矛盾したことがしょっちゅう起こるんですね これは一言で言えば 人間の大脳の構造の欠陥なんですけども 事実 非常に面白いんですね まぁその一つとして 現在の日本は貴族政治なのか 民主主義なのかと 民主政治なのかと それはもちろん民主主義に決まってるじゃないか 民主政治に決まってるんじゃないかって言うんですけど それは そういう 名前になっているだけではないかと思うんですね というのは もう簡単に言えば 現在はもう既に 度が過ぎた二世議員なんですよ 本当に度が過ぎてるんですよね だって政府の上の方はみんな二世議員ですよ それでまぁ 陣笠って言うか 要するにぺーぺーの議員の中にはですね 二世議員じゃない人もいるというぐらいで まぁなんて言うか 安倍総理大臣 まぁ二世だと 麻生副総理 まぁ二世だと その他に今ちょっと注目されてる林前の文部大臣ですね もちろん二世であります しかもこれはですね 麻生さんは福岡ですけども 山口県出身 もの凄く多いわけですね それで山口広島ぐらいがですね やっぱり旧毛利藩の力がありましてね 明治維新の時に大変に力を出したので 現在でも山口を中心として この鹿児島の方が衰えて 山口県の方がですねえ ずっと続いているっていうのは やっぱりまぁ 吉田松陰の松下村塾 これの出身者の伊藤博文とか山縣有朋とか その他 ものすごく首相を出しましたからね そういうような事もあるでしょうし それから 鹿児島の方は西郷隆盛のやっぱり 反乱がかなり大きな影響を与えましたし 軍人の方はある程度 鹿児島県出身っていうのが幅を利かせましたが 現在では既に政治家の方はですね 山形貞則だったかな税金関係の それから 二階堂進とかですね かつて割合そうそうたる議員がいましたが 今ではもう鹿児島選出の議員っていうのは すっかり影を潜めたということですね しかしまぁ ポイントは二世議員ですよ 二世議員っていうことはどういうことか まぁ例えば 河野太郎さんとか 小泉進次郎さんを見ると分かるようにですね 一つは世間知らずであるということですね なんたってもう河野家でも 小泉家でも何代か続いてですね 議員やっておられるわけですよ 鳩山さんもそうでしたね 鳩山首相も ちょっと とんちんかんなことがあるんですが それはやはりあの 貴族階級ですね 現在の貴族階級っていうと二つありますよね 一つは政治関係の二世議員を ずっと繋いでいくような貴族関係と それから会社の会長社長あたりで これは比較的民主的なんですよね トヨタ自動車みたいに現在でも トヨタという名前を使って やや世俗的ではありますが それでもトヨタ自動車とか松下 ナショナルですね 今ではもう名前を パナソニックに変わっておりますが やや世襲というわけにはいかないようになっておりまして やはり産業界は政治と違って 優秀じゃないと社長やってられませんからね やはり二世というのはある程度は 制限されるということになりますね それを生んだのは もちろん小選挙区制で なにしろ選挙区に一人しか 実質 与党野党 一人ずつしか 立てられないということになりますと もちろん地盤看板鞄がものを言いますね 地盤というのは まぁその地盤ですよね その地域の 地域でやってきた 看板ってのは名前とか そういう知名度ですね それから鞄 お金ですよね そういったものが どぶ板選挙とも言いますけれども 狭い 狭い選挙区で国政ですら 狭い選挙区で戦うわけですから これはまぁ 二世議員が出てきますね それからまぁ もちろんそのー 最近私が指摘してる供託金ですね 選挙に出るために衆議院だったら600万円 参議院で300万円 比例区と なんか一緒になると もっとさらに積み増すと言うのはですね もう本当 世界で稀に見る高さなんですよ 普通は10万円ぐらいなんですよね それは憲法違反してるわけです 日本人は結構 憲法違反が平気なんですよね 今度の色々なこともそうでしたけども 憲法違反で何かやってても それはいいよということなんですが 憲法ではですね 党を選ぶのじゃなくて 議員さんを選ぶわけですから 自分の代わりに代議士になって言ってくれる 議員を選ぶのですから 30人ぐらいいないとですね その中から 自分がこの人と思って推す人はいませんよね もう少し こう電子化されましたから もう立候補止めて 全員が誰でもいいから名前を書く という制度の方がいいような気がしますよね それから もちろんその所得だとか それから立場とか二世だとか そういうのって絶対に区別しちゃいけないと思う 憲法では厳重に書いてありますが 実際上は二世でないと立てない 例えば 有力な政党のボスと繋がってると 政党交付金で立候補する時にお金もタダになると しかも区割りもくれる地盤もくれるって事でですね 完全なこれ 貴族社会なんですよ だから日本の中に庶民社会と貴族社会があって 貴族社会が政治をやってるわけです ですから民主主義じゃないんですよね これはもうどう見ても正しいんですが メディアは相変わらず それを促進する様なこと言ってますね 例えば供託金が少ないと 泡沫候補が出る 泡沫候補は相手にしない そんなこと言ってますが 日本のように供託金が高いって国が例外なんですから メディアは本当にきちっと議論をするんだったらですね 各国の供託金と候補者の数かなんかをちゃんとやってですね それが本当に泡沫化してるか 泡沫というのは民主主義で どういう意味を持ってるのかと 言う様な事を議論しなきゃいけないわけですね こういう風にこう貴族政治 日本の政治が貴族政治になった原因はですね 一つは戦後にマッカーサーがですね これは正しかったと思うんですが 議員報酬があまりに低いと 日本の議員報酬がですね あんまり低いと 結局これは 金持ちしか議員になれないということになるので 報酬が高いとか低いっていうのは難しい 両刃の剣なんですね 報酬が低ければ 生活に関係なく 議員ができる人しか議員になれない ところが今度は報酬が高すぎると 政治家というのが 政治屋になって職業化するということになるんで 頃合が難しいんですが まぁ私は今の まだロートルの年取ったですね 議員の中で明らかに政治で金を儲けてきたという人が 結構いるんですよ それから河野家にしてもですね 小泉家にしてもですね 政治家は長くやったらお金がなくなる というほうが正しいと思うんですよね つまり利権を 政治っていうのは 利権を取っちゃいけないわけですから だから家はやっぱり出費があって 少しずつ貧乏になると 耐えられるぐらいの貧乏で やって行くっていうのが本当なのに 鳩山さんにしても 小泉さんにしても 河野家にしても金持ちなんですよ ということは政治が金になる つまり利権化してるって事は これでも証明されるわけですね 私が批判してるように 小泉進次郎さんが環境大臣の時にですね レジ袋を有料化したと 国民に環境意識を持ってもらうためだ なんて言いましたけど 自分は奥さんと合わせて資産が3億円以上もあると それで3億円以上資産のある夫婦がですね 環境にやさしい生活をすることができるはずがないんですよ 絶対できません お金を使えば環境には悪いんですよね 結局 レジ袋有料化したって3億円もある人がですね 3円のレジ袋が問題にはなりませんからね それからもう一つは その小泉進次郎さんなんかの感覚が 非常におかしいと思うのは かなりの 小泉さんがですよ 奥さんの資産が分かって 奥さんに申し訳なかったって言ってるんですよ 何言ってんだろと思いますね 大臣の資産を公開するっていうのは 国民のためにしようということに 国会というか みんなでなったわけですよ だから大臣ともなれば 奥さんの収入も含めて 公開しなければいけない ということなんですからね ですから それ決めた本人 立法した本人っていうかですね 大臣がですね 家内に申し訳ないなんていうのは 一体何を履き違えてるのかと思いますよね そういう覚悟で国政をやって下さいっていうことで やりなさいっていうことで 国民が大臣に命令してるわけですからね そういう点ではですね 江戸時代の士農工商というのは非常にいい制度で 侍は権限を持って 政治的権限を持ってましたから 報酬が米なんですよね 百石とか二百石とか 殿様ですと十万石とかこういう風になるわけですね 米で貰うわけです 米で貰うと 米を 米蔵につめて置くんですけど やっぱりまぁ最近の米でもですね 3ヶ月ぐらいも経ちますと味が落ちてきます まして古古米ぐらいになるとですね とっても味が落ちてきますので まぁ貰ったものは消費しなきゃなんない つまり 蓄財できない 政治的権力を持ってる人が 蓄財できないってなったわけですね 士農工商という 農と工はですね 現物を持ってるわけですよ 米がとれるとかね それから刀鍛冶をするっていうわけで これは現物と繋がってますから これはまた それで強いんですね 商はですね お前ら下賤だ下賤だと言われて 政治的権力も何もない 時には非道な方法で財産を没収される そういう立場の人は お金は使っていいということで 権力とお金が結びつかないような制度を 巧みに作ってるわけですね これは日本の天皇陛下の制度もそうですし つまり天皇陛下に軍隊がいなくても みんなが跪くとかですね 女性 男女の関係もそうで 女性に力がなくても 結婚したら男は 妻にですね 収入を全部渡すとかですね そう言ったその日本独特の その平等感覚って言いますかね そういうものが働いてるわけですから 国会議員もこの際報酬を魚にしたらいいと思うんですよ 日本は漁業国家ですからね 魚をうんと食べようということで 議員には魚を配る そうするとまぁ 大きな冷凍庫でもなかったらですね 取っておけませんから だから権力と お金だからいけないんですよ お金だから蓄財しちゃうんですね 魚だから議員報酬も魚 それから供託金も魚っていうのに決めればですね それはもう随分変わると思います
2021年11月27日(ヒバリクラブ)
#武田邦彦
日本人を幸福にする具体的な政策1 (教育)本人のための教育へ 国家のための教育から本人のために 誰もが数学の専門性はいらない 人生に必要な学問体系を作る (武田邦彦)
日本人を幸福にするための具体的な政策って言うのが 必要ではないかと思うんですね 一応 基本的にはこのヒバリクラブで 検討を進めてるようにですね やっぱり日本人 和魂洋才ならいいんですが 洋魂洋才ですね ヨーロッパの考え 人生観 宗教観みたいなものまでですね 日本に持ち込もうとしますと 日本人は非常に混乱してですね 元々 日本社会は平等な社会なのに 支配層と被支配層を分けた社会にするとかですね それから男性と女性を 特に比較したりなんかしない日本文化なのに 男性と女性を盛んに比較しだすと そういうことによって 非常にこう不幸な社会になるわけですから それはあまり望ましいことではないということはもう それは誰でも分かる事ですよね それで そういうその矛盾した所をなくして 日本人が本来幸福になるような 具体的な政策が必要じゃないかと思うんですね どういう順番で ここであげてもいいんですが 他の所は別の視点から整理してますので この具体的な政策という意味では 教育から始めようかなという風に思うんですね 私は前半生を企業の技術者として送りましたが その間もいろんな教育関係ですね 例えば 工学教育とか そういったものに携わってまいりましたが 特に後半は大学の教育 もしくはそれに関係する 教育をしてきたわけですが 一番大きいのは 今日はその日本の考え方はですね 本人自らが好奇心を持って勉強するということが 最善であるという考えですが ヨーロッパの考えはですね 人間は教育を受けてないうちは野獣だから 縛り付けて鞭を打って教育するんだっていう考え方で 人間はその人間として生まれるか 従として野獣として 生まれるかっていう考えが全く違うんですね 日本は昔はですね 寺子屋をはじめとして 自ら勉強することを進めた国だったんですが ヨーロッパの人が入ってきてからですね 罰を与えるというような そういう教育に変わってましてね それがまだ続いております 特に日本が明治時代に外国から攻められて まぁひどい目にあったもんですから そういう印象もあってですね 富国強兵 つまり国家を守るための人間という様な 感じが強くなってきましてね そして現在でも 国家のための教育という意味があるんですね 本人のために教育するんじゃなくて 国家のために あるレベルまで とにかく鞭を叩いても到達させると それに教育ママなんかのですね ちょっと まあ良くないっていうか まぁお母さん方を非難するのはかわいそうなんですが やはり あまり望ましくないですね その考え方が蔓延りまして それからさらに数学の先生を批判すると いけないんですけども 非常に難しい数学の問題なんかを 解かせるっていう様なこともあってですね 国家のためにこのくらいまでやらなきゃいけない 例えば漢字でもですね 一応 ものが読めて文学作品が読めて 新聞が読めればいいのに 非常に難しい国語を勉強させる 算数なんか特にそうで 私はその特殊な人を除いたらですね 二次方程式ぐらいまでがある程度わかれば それ以上のことを勉強させる必要はない もちろん興味がある人は勉強していい 私が昔 一緒にお仕事をさせていただきました ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈先生はですね ??? 数学の 自然に数学が好きな子 もしくは才能がある子が大体200人に1人いると だから数学の得意な人がですね 日本社会には50万人いることになるけども それで不足なのかということを いつも言っておられましたが まさに私もその通りで 誰もが数学の専門家になる必要もないし 私は物理を教えてきましたが やっぱり物理もですね 基本的に自然とか そういうのを理解するための 物理の筋道を教えるのはいいんですが 非常に難しいものを教えますね 滑車とか光学とか 電磁気学なんかもそうなんですが 専門家が知ることの初歩を学生に教える まぁ高校生に教えるというところありましてね これはあの学問側の教育側の努力不足なんですね あの要するに僕が言ってるのは 例えば物理学で専門の物理の人が 知るべき事っていうのはあるんですね それの初歩を素人に教えるわけじゃなくて 物理の専門じゃない人に教えるんじゃなくて 物理の専門じゃない人は社会生活 人生 もしくは自然を理解するために必要な 別の体系を作って 教育体系ですね 教育体系が必要なんですよ 学問体系がですね あの物理学というものの体系と 物理教育学という体系と 二つ必要なんですよね 教育物理学って言ったほうがいいかな 要するに教育として使うべき物理学ですね これは 日本人が大体は知ってなきゃいけない物理学の体系 これは全然違いますね 教え方が違います 定量 あんまり厳しい定量性は要求しないしですね そういう中で物の本質ですね 自然と物理は違いますが 例えば生物だったら自然というものを理解する 自然学なんていうのも必要かもしれませんね 自然学という中には むしろ物理とか化学とか生物とかいう分類以外に 自然学と 自然を理解するための物理とか 化学とか生物とか地学というものが必要で まぁそういう学問体系を作ってないという点ではですね むしろ日本の教育を まず二つの軸として 一つは国家のための教育から 本人のための教育に変えるって事と もう一つは人生に必要な学問体系で 専門性を寛容する学問とは違う学問体系を やっぱり教育方面で 作っていかなきゃいけないと思いますね 非常に大きな努力がいりますが しかし非常に大きな考え方で やっていく必要があると思います まずあのー 本人のためっていうのは どういうのかっていうとですね 私の経験では 私は大学に行きましてね 採点をどうするかって 最初すごく迷ったんですよ それでまぁ学問 その教育において 採点はどうするべきかという本をですね 読み漁ったんですが 適切なものはなかったんですよね 特に大学教育で点数をどうつけるかなんていうことは 殆どもう 少しだけ書いてあるっていう様なものなんですね ですからまぁ自分で しょうがないや考えなきゃいけないと思って いろんな方法を確かめた結果ですね 私が到達した方法は 内容によって点数をつけないっていう方法だったんですね A4の紙を配ります 縦が 29.4㎝ ありますんでね 黒板に5問書いて そして皆さんに白紙のA4の紙を渡して 名前を書いてもらって そして5問のうち 好きなものを 自分の好きなものを選んで 5問全部でもいいけど どれでもいいから選んで そして回答を書きなさいと それで採点は内容読みません 長さだけで採点しますから 29.4㎝ の 60%を書けば合格です という風に学生に言ってですね 最初は学生もゲラゲラ笑ってましたけど 2年目から3年目になりますと みんなが学生間の情報交換で それは分かりますからね それでやりました そうしますと驚くべき事にですね 採点を私が内容を見て 例えば 25.4㎏なんとかだったら OKだったらば それで〇したり✕したり 内容も 回答の内容も読みながらやってた時期よりかですね 長さだけで決めた時期の方が みんなの学力が上がってるんですよ 実は それはですね 私の見解では講義の途中にですね この講義は試験ないよと ない様なもんだよと 長さだけだから みんなが学生がわーっと笑わうわけですよ だけど その代わり私はね 皆さんの将来には責任持たないよと 将来 物理が必要になっても その頃になって勉強しようと思っても もうできないよと だけど それは君たちの人生だからねと だから別に試験のために勉強するわけじゃないから 私もそういうことでやるから という様な事を時々話しますから そういうことにもよると思うんですけどね 学生は多分 人生で初めてというか 小学校の1年生は違うかも知れませんが 試験のためではない勉強をしたんでしょうね それで まぁ先生にそう言われるとですね 確かに大学に入って授業料を払って 物理のせっかく講義に 夏の暑い時とか 冬の寒い時にも出てきてるわけですよ それで それを勉強しなかったら 自分は一体何してんのって いうことになった感じがするんですね ですから まぁ先生方は固くですね 採点が必要だと思ってますが 私の経験では採点することによって 勉強するんじゃないような気がするんですね 若い人っていうのは そういうやっぱり力を持ってますね 採点しなきゃ勉強しないとか 大学受験がなければ 人間は勉強しないと考えるのは そういうシステムの中にいる人なんですよ それはつまり なにも とにかく国家のために このレベルまで行かせるんだというものが 先に立っちゃってるんじゃないかと思うんですね 私はそういう経験を積んだ後ですね やはり人間っていうのは 特に若い人の場合は 相手を信用するんだということが一つありますね それから相手のために 常に相手のために講義をするんだと まぁいう風な精神を持つ事によってですね 今のいじめの問題から 大学生が遊ぶという問題がもしあるとしたらですね それも解消していけるんではないかと もう少しやっぱり踏み込んだ考えを持った人が たいへん 大切なんじゃないかという風に思いました
日本は違う。一つ上 5.宗教戦争 今でもパレスチナで宗教戦争 日本の宗教は1つ上 チップをねだる文化、チップを断る文化 敵将を遇する日本、敵将を辱める欧米 男女を比較しない 仕事は恩返し (武田邦彦)
日本は違う これはどうして必要かって言うとですね 現在の日本は和魂洋才だったらいい つまり日本の思想とヨーロッパの考え方と言うんだったら まぁいいところを取れるんですが 最近 洋魂洋才に変わってですね 変わりつつあって それで非常にこう日本人の心が揺れてるんですよね だから例えば離婚した方がいいとかですね それから会社は株主のものだとかですね 変な事が流行ってしまって それでまぁ それに本当に合わせなきゃいけないんじゃないかと 思ってる人もいてですね 混乱して みんなが精神的に不安定になってるんですね それで日本がですね 日本の文化が非常に劣っててですね ヨーロッパの文化なんかを 習って行かなきゃいけないんだったらば それはまぁ そういう考えもあるんですが 日本の文化の方が一枚上なんですよね だから この愚劣なって言ったら失礼なんですが 劣る文化を学ぼうとしてるので 非常に混乱するっていう事ですね だんだん積み重ねて行こうと思ったら どんどん積み重ねて行って まぁチップをねだる欧米文化に対して チップを断る日本文化 敵将を遇する日本文化に対して 敵将を辱める欧米文化 男女を比較してない日本文化に対して 男女を比較する欧米文化 仕事は恩返しという日本文化と 仕事は金儲けという欧米文化という 四つがだんだん重なってきたんですが 今日は宗教戦争ですね 相変わらず今日ニュースを見ますと パレスチナの方で銃の掃射なんかありましてですね だいぶ犠牲者が出てるようなんですが これあのー 少しは考えないんですかね あの 一神教のホームですね 非常に宗教を大きく見ますとね 小さい事を色々細かく言えばいっぱいあるんですが 一神教は一個しかないんですよ 世界にはですね もちろんそのー 細く言えばいくらでもあるんですが ユダヤ教から発した ユダヤ教もしくは ゾロアスター辺りから影響を受けたですね キリスト教とイスラム教ですね ユダヤ教も一応 数えてもいいんですけど人数が少ないんで ほとんどユダヤ人だけなんで まぁ世界的なっていう事になると やっぱりキリスト教とイスラム教ですね このキリスト教とイスラム教というのはですね 言えば神様は同じですからね 神様は全く同じなんで キリスト派とかイスラム派と 言ったほうがいいかもしれないですね 浄土真宗とか 仏教の中で浄土真宗とか 日蓮宗とか言い方をすれば キリスト宗とかですね それからイスラム宗って呼んだほうが いいような気がしますね 同じ宗教ですから しかし同じ宗教でね これだけ長い間 つまり大体 十字軍の辺りからですからね 延々と1000年近くもですね 血を血で洗う戦争を行ってるっていう 一つの同じ宗教っていうのは ちょっと異常ですよね あのイスラム教とキリスト教と違うという風に 思ってる方もおられると思いますが 神様は 同じ神様で 基本的には教義も まぁ同じで 時代が違いますからね 700年ぐらい違いますので その差はありますけども それで天主も同じでいう事になってますんでね お互いに話しあってですね つまり宗教っていうのが 人間を幸福にするものならですね これだけ戦争に戦争を続けてたらですね 宗教があるおかげで不幸になってる比率と 宗教があるおかげで 幸福になってる比率を見ますとね 私は宗教があるおかげで 不幸になってるほうが強いんじゃないかと思うんですよね それはキリスト教の中でも カトリックとプロテスタントとか なんとかルターとかですね いっぱいあってですね 本当これも血で血を洗うですね 戦いが続いていましたね まぁ特にフランス ドイツ辺りで行われた 新教徒 旧教徒に関する戦いっていうのは 本当に血生臭いんですよ しかも長いんですね ですから そういうキリスト教内部での争いも考えますとね どうもその一神教は世界でひとつなんですが つまり神様一人ですからね ですから 一人っていうか一柱っていうかですね ちょっと異常だなって感じがしますね それから仏教は宗教かって言うと 仏教は一応宗教には数えられてないと思うし それから日本だけでほぼ発展しましたので ユダヤ教と同じように ちょっと一民族だけの中で流行ったものは あまり世界的な宗教として カウントしないっていうことになるとですね まぁ仏教も日本人にとっては 非常に大きな影響はあるんですが 一応宗教の中に入れないで 日本はこの神道も違うんですね 神道 ややそうなんですが 日本の宗教っていうのは なんとか教って言うもんじゃないんですよね なんとか教っていうのは何か教えがあって 言えば その教祖がいて 教典(経典)があって 戒律があるとよく言われるんですが それはあの 単にキリスト教がそうなんです キリスト教イスラム教って言うその なんて言うんですかね これを何教って言ってもいいんですけど 何教って新しく名前を付けなきゃいけないですよね これはそうなんですけども 日本の場合は国民のコンセンサス 日本に住んでる人のコンセンサスがあるわけですね コンセンサスが宗教なんです どういう宗教かって言うと ちょっと神道と似てるけど違うんですね 二つ神様がいて 一つが自然 山とか川とか海とか動物とか 植物とか稲とか そういったものが神様 もう一つは祖先ですね この祖先は自分たちを作ってくれたものですから 二つとも日本人を作ってくれたもの 作ってくれたものが神様だと 神様の前では嘘をつかない 正直に生きる 感謝をするって言うのが まぁ 日本なんですね ですから日本は別に キリスト教とかイスラム教とか そういう一神教とも反しないし 仏教とも反しないし どんな宗教でも 別に孔子様でも構わない 儒教でも構わないわけですね だから日本の宗教 日本のような宗教を なんか名前つけなきゃいけないんですよ 宗教じゃないんですよね 神を祀るって言うんですかね 尊神とかいう そういう尊神行動とかいう 神を尊ぶ行動ですね 行動とか考え方 そういうものが日本の宗教なんですね それから一神教はユダヤから発したっていうか それからゾロアスターも関係してるんですが キリスト教とイスラム教を二つ合わせたものですね その他に 仏教はかなりそれに近いんですけど いろんなものがあると まぁ最近では11月になるとかぼちゃに穴開けて なんか電灯つけてわーわーやってますが そういったものも宗教の一つなわけですね その著しく違いますよね 日本は神様に感謝するわけですからね どの神様でもいいわけですよ 昔私ね キリスト教の信者でもない日本人が 教会で結婚式を挙げて イエスキリストを信じてもないのに イエスキリストの前で愛を誓うなんて 最初から嘘を言ってるなんて言ってたんですけども それからクリスマスをお祝いする 新年には初詣に行く その帰りに お寺さんによって墓参りをするっていうのは 全部おかしいと思ったんですけど おかしくないですね つまりそれは 私がいわゆる 学校で習った宗教っていう間違った考えにいたんですよ やっぱり学校も早いとこね 宗教っていう名前も変えて それからその一神教多神教というのも変えて 宗教学者が頑張ってもらってですね 新しい学問を作っておかなきゃいけないですね 日本はもう ものすごく平和な宗教なんですよ だからもう結果を見ればわかりますよ あんまり言わなくても 日本の宗教は一つ上と書いたんですけど 日本の宗教じゃないんですけどね 日本が信じてる神は 一つ上って言った方がいいでしょうね 平和に できるだけ平和に みんなが協力して そして自分達を作ったものに感謝して 生きていくっていうわけですから これはもう最高ですよ それに対して まぁ私はイエスキリストもですね 非常に立派な方だと思うんですね 立派な方なので イエスキリストがあまり立派な方なので ちょっと批判したくないんですけど 今はイエスキリストの教えとは かなり離れてますからね ローマ法王が煌びやかな服装をしたりですね しょっちゅうヨーロッパの枢機卿ぐらいの キリスト教の地位の高い人が 児童虐待とか児童性犯罪なんて起してますからね 到底まぁ ちょっと尊敬できるような神様のもとでの 教えではないような気がするわけですよ それから派生した 例えば信教の自由なんていうのはですね 宗教が複数あることを前提としてますね だけどもイスラムとキリスト教は同じですからね その意味では 信教の自由っていうのがどういうものなのか 日本は欧米の その一つ劣る欧米のですね 宗教というものを信じてというか それが宗教であると思ってしまってるので もう1回ここで 特に神学者を中心にですね 宗教というものは 一体どういう定義によるのか 日本の日本人が信じている神様 自然と祖先という神様 一体この宗教的な考えで言えば どういう風に分類されるのかって いうことも見直してですね 世界ができるだけ戦争とかそういう悲惨な いがみ合いの少なくなる考え方ですね それを以て やっぱり宗教とするって言う 定義をし直したらどうかなと
いうふうに私は思っています
100年人生時代の男女(1) 欧米思想からの脱離 100年人生の始まり。 激変する男女の関係 (武田邦彦)
私が今からそうですね 30年前に 50歳以上の人生っていうのを考えてですね 非常に私としては思い切って 50歳で会社を辞めてですね 第2の人生に入ったわけですね それまで全く経験がなく 私は自分が一生会社人間として働いて 定年を迎え 老後を過ごして 一生を送ると思っておりました それ以外の事は考えてもいませんでしたね ですから その変化っていうのは非常に激しくて 私としても考える所は随分あったんですね まぁ人間というのは不思議なもので 将来は現在と違うんですよね もちろん現在と将来は違います それはもう50年も経ったらですね 今から50年前って言いますと 高度成長時代ですね サラリーマン 駅を降りて20分も30分も歩いたり バスに乗ったりしてですね そして我が家にたどり着くというような人生ですね やっとスーパーマーケット ダイエーとか イトーヨーカドーが出てきてですねぇ もう ものすごく混雑してましたから 我々は先を争ってレジに並んで 家族の一人にレジに並んでもらって という様な感じの時でしたね まぁ活気はあったけど 今と全く違う時代でした それが50年前ですね じゃあー 今50歳の人がだいたい寿命が尽きる 50年後 もしくはですね 今30歳とか40歳の人は まだまだ元気な80歳ぐらいを過ごしてる時 それが50年後なんですね ですから いつも人間は今を考えますから 私も今から30年ぐらい前に 50歳以上の時の私の人生を考えてですね 退職の理由も見つかりませんでしたね だってその頃は 退職って言ったら 会社を退職するって言ったらですね 会社で喧嘩するとかで行き詰まるとか 不祥事を起こすとか 体を壊すとか そういう事で会社を辞めるんであって決してその 第2の人生を歩くから会社を辞めますなんて話はもう 誰に言っても通じないんですよね 元々 一体 第2の人生ってなんですか? なんて聞かれちゃうんですね しかし現在になって見ると それから30年経って見るとですね 本当に寿命が100年に近づいてきたっていうか むしろ100年を超えるようになってきたわけですね それはもちろん傾向から論理的にですね 頭で考えれば分かるんですょ だって日本人の平均寿命は 今から100年前は43歳 男女ともに43歳 それが戦争が終わった1947年 戦争が終わって2年後ですね その時に50歳を超えて それが瞬く間に どんどんどんどん伸びて行ってですね 一年に大体 0.4年寿命が延びましたからね 最も一年に一年 寿命が延びると 人間というのは いつまでも死ねないんですけど まぁ幸い 一年に 0.4年しか伸びないので 寿命が延びるぐらいで済んだわけですね それで2000年になって 80歳を超えたわけですから 当然2030年には 100歳ぐらいになるわけですよ 今では まだ100歳にいってませんが 隠れ寿命って言いますかね 普通は寿命って言ったら 0歳児余命を示しますから 現在でも男性が81~82歳 女性が88~89歳という所なんですけれども 実態はですね まぁ寿命を 自分が感じるって言うか どのくらい自分は生きるかなぁと思うのは 50歳ですからね ほぼ そうすると50歳の平均余命は もう50年を過ぎてますので 男女平均したら もう100歳というのは 本当に来てるわけですね ところが今50歳の人が 自分が100歳まで生きるっていう感覚がないんですね それは現在を見てますから 現在やっぱり80歳を過ぎると老人はもう 非常に体力が弱って元気もないし 白髪でよぼよぼ歩いてますからね だから自分は80歳になったら そういう風になんだろうなと思っておられるんですね だけども 私のようにちょっと年の人はですね 60歳を過ぎますと 大体おばあちゃんは皺苦茶になって あるいは額に膏薬かなんか貼ってるわけですね それが おばあちゃんなわけですよ サザエさんの世界ですからね 私たちなんかは ですから そういう家庭?(過程) そういう人生なわけですね だから だけども私自身が もう80歳になろうとする時に どういう社会かって言うと 社会で活躍してる人いくらでもいる ご婦人はもう 現在はもう60歳なんて言ったら若いですからね 60歳のお母さん 主婦なんて言ったらですね 本当にお化粧も良くなったし 皮膚のケアも良くなって 髪も良くなったんで 本当 娘さんみたいな感じの人はいくらでもいますよ 30歳から60歳まで 変わらないといってもいいぐらいなんですね ですから 非常に難しいのは 将来を見ながら現在を設計するって難しいんですね それが非常に人間には 非常に大きな困難になるわけです しかしそこは そういうところにこそ私がいつも批判してる 大脳皮質が有効なわけですね 前頭葉の方はなんとなく 我々はみんなと協力して 生きていかなければいけないんだ というような事ぐらいしか わからないんですけども 大脳皮質の方は理性的にものが考えられますから こういう時は大脳皮質を使ってですね 一体 50年後の自分っていうのは 具体的に描くっていう事が大切なわけですね 私の場合は今のところ比較的成功してますね 私が会社にいて成功してもですね ある程度出世をして 60歳から65歳の間に仕事を辞めて 今は引退してると思いますね そういう私の友達というのはいくらでもいるんですが やはり私よりかは 元気がないっていうかですね やっぱり仕事がありませんからね 老化も速いように見えますし 健康の障害も多いように思います これは非常に難しいんで この100年人生時代の男女という中で 触れていきたいと思うんですけども 確かに老齢社会になるとですね 福祉っていうのが大切ではあるわけです それで福祉に色々努力をしている方の考えも 非常に正しいんですが 福祉っていうのは こう相反するところがありましてね 人間は やっぱり福祉が充実すると サボるようになります サボる様になると必ず体は弱くなってきます だからその人の寿命が短くなるか もしくは短くならないまでも よぼよぼになるのが速くなるわけですね 人間は若干の こう何て言うか 不足状態が必要なんですね だから 例えば腹八分目とか 腹七分目とかいうのは何故かって言うと 若干 体に対して食料が足りないぐらいの方が 体の機能がですね 衰えないということを示してるわけですね それと同じように食料は腹八分目であるが あるし それと同じように お金も十分な状態よりかは少し少なくて 自分が少し努力しなきゃいけない 寒さ暑さ それから歩くこと ちょっと肉体的な辛さ それからまぁ お風呂がいつも 沸いてるかどうかっていう様な問題ですね つまりこれは 何を言ってるかって言ったら やっぱりお風呂に入ろうと思ったら お風呂をつけて それでまぁ できれば安全も少しチェックして というのがないとですね やっぱり人間というのは やっぱり生命体ですから 生きようという刺激がないとですね やっぱり非常に老化してくるし また早く死んでもいいやって人もですね やっぱりピンピンコロリとは死ねなくなるわけですね まぁその意味から 100年人生っていうのは 私は30年前 30年前以上に考えて一回 それで計画を立て その後 最近では5年ぐらい前に 100年人生の本を2冊ぐらい書いたわけですね しかしそれから そういうのがあって 私も講演をしたり 人とディスカッションしたりするとですね かなり今はもう また少し私の考えも進歩しておりますので この際 ヒバリクラブでしたらね まぁ身内みたいなものですから 色々考えてみたいと思うんですね それには まぁ二つのやっぱり大きな問題があって 一つは男女の関係です まぁ健康の問題なんかも大きいんですが 男女の関係ですね それから欧米思想と今はね ごっちゃになっちゃって 非常に 生きるのが辛くなってますね そういう点から言って欧米思想からの脱離 和魂洋才と言いますけど やはり人間って言うのは 才ですね つまり技術だとか社会システムなんかは やや新しいものを入れてもいいんですけれども 心はそれほど変わりませんので 日本風の考え方というのはですね なかなか我々から取れるわけじゃないんですね 従って100年時代を考えると もう欧米と日本とは全く違いありますね それから 男女も50歳までと50歳以降と 全く違いますね 従って そういう所に焦点を合わせて 100年人生というのを もう1回考え直して見ようと 私としても 45歳の時に100年人生というのを考えて その計画に沿って今までやって来たんですが もうそれから30年以上も経ちましたんでね そろそろ ここでもう1回ですね 自分の100年人生という計画は どこが良くてどこが間違ってたのかということも このヒバリクラブで 少し考えてみたいなという風に思って 本当はシリーズとして開始したいと思うんですけど このヒバリクラブは気楽にやってるもんですからね シリーズとしてスタートしても大体途中で 挫折してるんでどのくらい続くか分かりませんが まぁやってみたいと思っております
日本は違う。一つ上 4.仕事は恩返し 仕事に生きがいはいらない 贖罪のヨーロッパとは違う チップをねだる文化、チップを断る文化 敵将を遇する日本、敵将を辱める欧米 男女を比較しない (武田邦彦)
はたごの女中と関西電力9役員 はたごの女中はチップを断った 関電の役員は自粛したお金を隠れてもらった 検察は不起訴とした。(武田邦彦)
今日は友達テレビの 本当の話っていうのをやっておりましたら 大変にびっくりしたって言うか 元からそのニュース自身は知ってるんですけど 不起訴になったっていうことでですね 桃子さんがですね アナウンサーの桃子さんが読み上げてるものをですね ちょっと ここで聴いて頂きたいと思います 桃子さんが読み上げてるものは うまくこの録音にのるかどうかって心配ありますが ちょっと耳をそばだてて 聴いて頂きたいと思います 私が言うよりか 桃子さんの方がはるかに優れてますんでですね 彼女に話をしてもらおうと思います 関電前会長ら9人全員不起訴 報酬補填金品受領問題で 大阪地検ということの概要です 関西電力の歴代幹部をめぐる一連の問題で 大阪地検特捜部は9日 役員の報酬補填や金品受領に 関する会社法の特別背任などの告発容疑について 9人全員を容疑不十分で不起訴処分にしました 特捜部は前会長ら関連関係者への聴取や 社内資料の分析などの捜査を続けてきましたが 刑事責任を問えないと判断しました 告発した市民団体は 不起訴処分を不服として 検察審査会に申し立てる方針です 告発状などによると 前会長らは 東日本大震災後の経営不振で報酬が減額された 当時の役員18人に対し 計約2億6000万円を退任後に補填した他 高浜原発のある福井県高浜町の元助役から 総額 約3億7000万円相当の金品を受領 元助役側に原発関連工事の発注で便宜を図り 関電に損害を与えたなどとされていました 一方関電は21年7月 大阪国税局の税務調査を受け 役員報酬の補填問題について 約1億9800万円の 所得隠しを指摘されたと公表しました 国税局は役員の退職金をみなすべき給与を 退任後の嘱託報酬に課そうしていた と認定していました なお検察審査会で起訴相当となれば 強制起訴の可能性もありますという内容です えーとですね まぁこのニュースはですね 私がタイトルを付けましてね どういうタイトルを付けたかって言ったら 旅籠の女中と関西電力9役員と いうタイトルを付けたんですが もちろん旅籠の女中の方を先に持ち出しました これは私がいつも言ってることなんですが 江戸の終わりにですね イザベラ・シッドマーという女流の旅行家がですね 大変に勇気のある女流の旅行家なんですが 日本の東北地方を旅したんですね まぁ日本の旅籠だし 旅籠っていうのは旅館のことですが 旅籠だしですね まぁ馬に乗って行く お風呂も全然違うというなかで 大した女性だと思うんですね イギリスの女性はこういう所あるんですけどですね イザベラ・シッドマーがある旅館でですね 大変に女中がしっかりやってくれたので 出掛けにですね 金子を紙に包んで渡そうとした つまりチップ渡そうとした そしたら女中がですね 私は女中としての仕事をちゃんとやっただけで チップを頂くことはいりませんって言って 断ったわけですね これはですね まぁヨーロッパ アメリカの文化が チップの文化なんですね つまり旅籠の女中さんというのはですね まぁ農民か もしくは 駕籠舁きみたいな職業の親父とですね 家事をやっている母親との間で生まれ 大体あの頃の 普通の庶民のですね 女性っていうのは大体4歳ぐらいから 子守をするんですね 主には 赤ちゃんを背中に括り付けて それで ずっとそれを面倒見てるというのが 女の子の仕事で 8歳とか10歳になるとですね 12歳かな なると 奉公に出るわけですね 旅籠の女中さんとか そう言うのに奉公に出る そしたら まぁ廊下を拭くとか お客さんに食事を出すとか 風呂を焚くとか そういう仕事をずっとするわけですね ですから もちろん教育も受けてない 本当にあのまぁ そういう点では 機会がなかった可哀想な人なんですよ その人がですね 私は自分の仕事をしただけだから チップを断った なんでヨーロッパではチップがいるかって言ったら チップがでなければ仕事をしないというのが そういう旅籠の女中さんみたいな人はそうだって言うのがね ヨーロッパなんですよ 実際はそうなんですよ 私なんかもアメリカヨーロッパに行ったらね 枕銭を必ず置いとかなきゃいけない そうしなきゃ ちゃんと ベッドメイキングしてくれないって言うね そういう愚劣な文化なんですよ この旅籠の女中はですね 教育も受けてない 江戸時代の東北地方だ それで生活も苦しい その中で ちゃんと 自分というものを持ってるんですよ ヨーロッパが1920年頃に いろいろこういう事を検討した時ですね こう言った 今の 旅籠の女中さんのような精神ができるのはですね 教育を受ける身体(イントネーションで悩みました?からだ。なのか?) 貴族だけに限られるんだって そういう論調ですよ 貴族どころかね まぁ旅籠の女中になってる人が お客さんからチップを出されて いや私は自分の仕事をしただけですから 余分なものは頂きませんと 素晴らしいですね これとですよ 関西電力の9役員で 今度かつて成績がまぁ悪くなって 一時ですね そして 自粛した役員報酬を減らして自粛した 自粛したってことは これは公に株主総会にも言うし ちゃんと従業員にも言ってる そういう公の行動なんですよ だから役員には みんなそれに 同意したはずなんですよ それを退職してから 別の名目で貰ってたって言うわけですよ それも数億円ですよ それで高浜原発の助役からもらった金ですね これもまぁ 要するに あのー 助役に工事を発注してくれよと そしたら キックバックがあって 金貰えるからなーっていうことは 役員の間では もう知ってたわけですよ 検察が不起訴にしたのは まぁこれは日本のもう裁判がダメになってるから しょうがないんですけど 私はね これこの事件はね ちょっとあの僕は まぁなんか精神科かなんかで 関電の役員は 診察を受けた方がいいと思うんですよ これ正常な 人間のやるべきことじゃないですよね 明らかに精神異常っていうか なんて言うんでしょうかね これは もう道徳とかそう言うのをちょっと超えてますね 旅籠の女中は まぁ普通ですよこれ 普通ね 自分はちゃんと賃金を頂いておりますから その少ない多いは別にして 余分なお金は頂きません これでしょう 関電は自分たちの業務成績が悪かったから 役員報酬を返上したその金を 別の名目で退職した後 慰労金みたいな形で貰うと 今度は高浜原発については3億5000万ぐらいかな 当然 関西地区に住んでいる住民が払った電気代としては 不当な支払いをしてるっていう事ですよ そういうことをやってる人がですね 関西電力の役員じゃなくたって 関西電力の社員であっても 全部ダメですよ ダメって言うかね 僕の聞いた感覚ではね これが人間なのかと思いましたよ ちょっとね 大変に失礼ですけども これ人間技なの?って なんか全然別種の なんかコウモリとか なんかそういう動物をちょっと思い出しますね つまり どんなずるいこともやるよ それから関西電力の役員だったらね 食べるに困らないですよ 食べるにも着るにも困らないですよ それなのに 意地汚いって言うのはどういうことですかね それで教育すればいいとか これは関西電力の役員って言ったら貴族ですよ 一応 今ではね 貴族という位はないけど 一流大学出て 一流会社に入り きちっとした出世をして 関西電力の役員になってる人がね 自分で自粛して返上した報酬を退職した後 別の名目で貰うって言う なんて言うんでしょかね これはもうなんて言うんですか 道に座って お慈悲を乞うてですよ 10円20円を貰っている人たちよりか まだ悪いですね その人達はまだ一応自分が地べたに座って もう生活が苦しいと ご飯も食べれない 味噌汁も飲めない 納豆も食べられない だからすいませんが 私の命を救って下さいって言う人だったら まだまともですよ 顔も晒してるし なんて言うんですかね もう僕は ちょっと人間のようには見えないですね 旅籠の女中と関西電力の9役員を見るとですね 検察が不起訴にしても 多分僕はね この人達はどうするんですかね 不起訴を受けて どういうことで人生を終わるんでしょうかね 私はね いくらなんでも度が超えてる 大体ね 人間って言うのは 程度問題が分かんなくなったら もうダメなんですよ 程度問題って言うのは すごく大切なんですよね 程度問題も完全に逸脱してるじゃないですか ちょっとね 僕はこれ なんて言っていいか分かんなかったから もうこっちは言わないで あまりに唖然としましたからね あの検察がもう話しになんないっていう 話だけはしたんですけども 本当にこう 今日のこの 暗澹たる気持ちになるって 言うのはこれですね しかも関西電力の役員ですよ それが自分の会社の収益は悪かったんで 役員報酬を一部返上したのを退職してから 別の名前で補填して 税務署に脱税で上げられるって 旅籠の女中さんの爪の垢でも 飲んでくれって言うんですよ あんまり かっかしちゃいけません 今は夜も更けておりますからですね かっかしちゃいけませんが まぁなんちゅうか 悲しいをちょっとこれ通り過ぎてね 僕の感じだったら もう どうにもなんないっていう感じに思います
日本は違う。一つ上 3.男女を比較せず 男女平等という概念がない日本 女性には全権利、男性は制限 チップをねだる文化、チップを断る文化 敵将を遇する日本、敵将を辱める欧米 (武田邦彦)
えーとですね 日本は違うんだと 日本 まぁ残念ながら日本だけが違うんで 非常に困るわけですね 中国とか中央アジア 中東 そしてヨーロッパ アメリカなんかのうちの一つでもですね 日本と同じだとですね 説得力が上がるんですが なにしろ日本文化だけが2000年の歴史を持ち 日本国というのが元々2000年で そんな国は他にないので それはまぁ 日本だけに世界で日本だけが一つだけってことは どうしても起こっちゃうんですね ですから あんまり勉強しない 日本文化を勉強してない人 ヨーロッパで一生懸命勉強した人 別に悪意はないけども 結局 自分の頭に入るものがですね ヨーロッパがほとんどなので あと中国ですね ですから 自分の頭脳よりか ヨーロッパとか中国の文化が高いと それに影響されるって まぁ人間だからしょうがないんですけども 1回目はチップをねだる文化 これは中国からヨーロッパまで 全部チップをねだる文化ですね 日本はチップを断る文化ということで これ素晴らしいわけですね 特に私が例に挙げている 江戸の終わりの宿の女中はですね 全然差別感がないですよ 全く差別感ないんですけど 生まれてですね 教育は全く受けてない 小さい頃は あの頃の女の子は みんな子守してたんですよ 子守して それで子守が終わったら ご奉公に出るって言う事で それからずっと女中として働いて 拭き掃除したり物を運んだりなんかしてたわけですから 教養とかそういう点ではないんです ない ないって言うか 何が 何を以て教養かって言うことなんですけども その彼女がですね お客さんがチップを渡そうと思ったら 私は女中としてするべきことをしただけですから チップはいただけませんと いうのはですね 自己が確立してるっていう事ですよ だからヨーロッパの文化ではですね 自己が確立するためには規則であるとか 教養があるとか そういうことが必要だと 人間は生まれながらには自己が確率してないと こういう風に定義されてるんですけども 日本の女中さんはですね おそらく18歳か17歳ぐらいでしょう 全く教育受けてない まぁ生活も非常に貧乏だ それでも自分という魂を持っている これに比べるとすぐ 現在の議員とか東大教授とか会社の社長なんか 思い出しちゃうんですけどね それから乃木大将 明治の日露戦争の乃木大将については いろいろ議論があります 非常にくだらなかった人だという議論もある しかし敵将を遇する その魂は十分にあった それに対して 第二次世界大戦で軍人を絞首刑にしたような 敵将を辱める欧米って言うのは大きく違う もう一つはこれだけ大きく違いますとね やっぱり錯覚する人がいるんですよ それが 一つが男女平等ですね 男女平等っていう思想はどこで出来たかって言うと 欧米がですね ヨーロッパがですね 女性は男性の所有物であると 所有物ですよ そういう風に概念を決めたわけですね まぁ もちろんその旧約聖書でも アダムという男の肋骨から イブという女ができたという そういう創世物語もあるぐらいなわけですね もちろん神様は全部 アポロンにしても ジュピターにしてもですね 何してもヤハウェにしても アッラーにしてもですね やはり男なんですね 私はキリスト教を 非常に尊敬してるのでいいと思いますが 天にまします我らの父よとこう言うわけですね 男性の方が上であると 何で彼らが男性の方が上かってしたらですね 男性の方が力が強いからなんですよ 要するに私が今 力づくの世界ではない 日本は力づくではないと言ってるように 日本は天皇陛下に軍隊がない だけどみんなが天皇陛下にひれ伏す 男性よりか女性が力がない だけど女性を上に置いていると 株式会社は株主のものとか言ってるけど 日本では違う 従業員のものだ つまり力では比較しないって言う 実体的に誰がやってるか 誰に頼んだらいいか という事で決めるっていう事なんですね もちろんあの 日本の場合は男性と女性 男女平等という概念が日本にないんですよ 野蛮だからないんじゃないんです それからよくですね 日本は 例えば昔の森総理大臣がですね 女性のことなんか言ったとオリンピックで そしたら一斉に非難する 非難は何で非難するかって言ったら 男の方が女よりか上だという 前提で考えてるからなんですよ ところが全然日本は違いますからね 女の方が偉い 女はとにかく子供産んでくれなきゃ駄目だ こんなに立派なことはない 男が協力しようって こういうスタンスで 男と女と比較したってしょうがないんですよ だって違うんですから 人間って言うのは一種類じゃないんでに二種類いるって わかるじゃないですか 男と女と二種類 それで 男の人で女の心を 持ってる人だっていていいわけですよ 別に 男の人は男の心を 持ってなきゃいけないなんてことないんで 今なんか性同一性症候群で差別がある 差別があるのは男は男 女は女じゃなくちゃいけないと 片やで思ってたりですね 時によると男女共同参画なんか突然言い出して 男も女も同じだが 言い出したりしてると 全く思想的基盤がはっきりしてないんですよ 日本は男は男の人間 女は女の人間 どっちが偉いかとか 平等かってことは 比ぶる必要がない それそれ幸福な人生を送ればいいんだっていう 考え方なんですからね それに決まってじゃないですかね 僕は決まってると思いますよ それでシステムを作ったんわけですね ですから 平安時代の末期までは非常にはっきりと 女性は何やってもいいんですよ 何やってもいい オールマイティ 男は三つしか許されてなかったんですね 戦争に行くこと これは死ぬっていうことですね 女のために死ぬっていうことです 後農業やること これは子供のために食事を作るっていうことなんですね 食事っていうか 食料を作るという事ですね それから記録文書の作成を漢字だけを使ってやる つまりこれは何を言ってるかって 感情を入れないものをやんなきゃいけないという事ですね もちろん家には原則としてですよ 大きな侍は違いますが 原則として 庶民は男の部屋というのは元々ない それで給料っていうか 稼ぎは一応家内に全部渡す それで山の神 つまり 奥さんが家庭を切り盛りする それから最近では なんか義務のように言われてますけれども 男子厨房に入らずというのは 女性が食事を作る権利を有していると そういう思想なんですね ですから 元々間違った思想ですね つまり男が女を所有するという 間違った考えに基づけばですよ 日本も男女関係が正しく見ることができない そりゃそうですね 日本の男女関係と言うのは女が上ですからね だから上っていうか 比較しないっていうんですよね そんなこと比較して何かいいのかっていう事なんですね この頃 男はこれをやる 女はこれやるって言うと役割分担とか言うけど 役割分担って元々子供を産むのは女性なんですから 筋肉労働は男なんですから 何で役割分担じゃないじゃないですか まぁそういう事なんですね これもですね ヨーロッパ文化よりか はるかに 文明と言ってもいいんですかね ヨーロッパ文明でも文化でもいいんですが それよりか はるかに日本の方が高いので 位置が高いので優れている それは当たり前ですよ 今の私の説明聞いて ヨーロッパの方が優れてる 男が女を所有するんだとか 男女を比較した方がいいんだなんて 考える方が僕はおかしいと思いますけどね そういうことで 日本は違うの3番目ですね 日本は先ずチップをねだらない それから敵将を遇する 男女を比較しない そういうことをですね やっぱり日本文化というのは それなりによく考えて作られてるわけですよ 昔の人 大体僕の感じでは まぁ大体2000年前にこういった思想が固まってきた もしかすると一万年ぐらい前に 固まってるかもしれませんが なにしろ文字が残ってないんで 完全な推察になるんですけれども まぁ土器の状態とかですね はにわの状態 はにわって言うか それはまぁ かなり古墳時代ですから後なんですが いろんな産物から見てもですね それから 日本の宗教感ですね これはまた後でお話ししますが それから見てもですね まぁ大体 まぁ妥当なのは 2000年前ぐらいに出来たんじゃないか こういう思想自体が非常に重要なんですね それで学校の先生もですね よく考えて欲しいんですね なぜ日本は世界で奴隷がいなかったのか なぜ日本は天皇陛下という 軍隊ほとんど持たない人がですね 権威を保てたのか なぜ日本の家庭は ごく最近まで 男性の稼ぎを女性に全部渡していたのか そういう根本的なことを やっぱり考えてもらわないとですね 表面的なことを言ったり ヨーロッパなんかの変な環境団体とか 人権団体で言うことをですね そのまま受け取るようでは それはほとんど教養とは 言えないじゃないかと私は思いますね やっぱりなぜ日本の宿の女中がチップを断ったのか なぜ乃木大将がステッセル将軍を遇したのか なぜ日本の紫式部は小説を1000年に書いたけど その次に書いたのは約700年後のアフラ・ベーンだったのか そういうことをやっぱりちゃんとですね 正面から 自分が 先生ご自分が納得し 納得したものを若い生徒さんに教えると そういう様なことが 必要じゃないかと私は思いますね
日本は違う。一つ上 2.乃木大将 ステッセル将軍を遇した乃木大将 見せしめの絞首刑をしたアメリカ 地中海の日本軍、太平洋の海軍 チップをねだる文化、チップを断る文化 (武田邦彦)
これはですね また何回も話した話が出てくるんですが まず第1回にですね ちょっと今 整理をしてるものですから ちょっとダブルのは許して頂きたいんですが 最初は宿の女中さんの話でチップをねだる文化 ヨーロッパのチップをねだる文化 日本のチップを断る文化 どっちが文化のレベルとして高いかって言ったら 僕はもう絶対にチップを断る文化の方が高いと 僕は思いますね チップをねだる文化って言うのはですね やっぱり支配層と被支配層がいてですよ 支配層が何かをやると 被支配層は正式な賃金では駄目なシステムになってて なんでかって言ったら 被支配層はお金を渡さないと 仕事をしないという前提に立ってるわけですね ですから ヨーロッパや アメリカのホテルに泊まるとですね 枕に必ずThank youとかいって 少し1ドルぐらい置いとかなきゃいかんと 日本の今度は宿の女中さんは それを断るわけですからね やっぱり僕は 精神の高さが違うと思うんですよ だからはっきりとこれは我々としてはね 世界に向かって あなた方のようにチップを出さなければ 仕事をしないような文化と チップは要りませんという文化と どっちがいいんですかっていうのはね まぁ特にあのヨーロッパかぶれの文化人に言いたいですね ということでダブりますが 今日は乃木大将ですね 軍人ですよ 乃木大将とロシアのステッセル将軍はですね 日露戦争の203高地で激戦をしてですね お互いに5万人ほどの死者を出したと 犠牲者を出したと まぁこれはですね 戦術として 戦争として 乃木大将を褒められるかどうかって言うのは 説が二つあります 普通はですね 乃木大将とその時の参謀の伊地知 参謀長がですね やっぱりおかしかったというのが普通ですね ただ私は戦争っていうのは犠牲を考えちゃいけないと とにかく敵を叩き潰すことが大切なんだっていうことで 乃木大将の戦いも 日露戦争という極めて切迫した中ではですね あるいは あり得たんじゃないかという説なんですが まぁその戦術としての正しさというのを ちょっとおきますとね 乃木大将は遂にステッセル将軍が指揮した 203高地を落としたわけですよ そうすると相手が降伏しますから 降伏会見が行われるわけですね その時に通常ならばステッセル将軍は もちろん丸腰ですよ 敗軍の将ですから 捕虜みたいなもんですね とぼとぼと会見場に来るわけですが 乃木大将はやっぱり武将と武将だから 戦争っていうのは仕方なくやるんであって お互いにプライドを持って 国民の代表として戦争するんだから 負けは負けだけども と言って刀をちゃんと佩してですね それでステッセル将軍は会場に来る 両将軍がその水師営でまみえて お互いに健闘をたたえて しかし負けたのはステッセルだから まぁ降伏して下さいっていうことですね その後 まぁこのブログでも書きましたが ステッセル将軍はロシアに帰ったら 皇帝から死刑を言い渡されるわけですよ しかし それはだから ロシア ヨーロッパの文化は劣りますからね 敗軍の将は遇さないわけですよ 日本だったら自分で腹を切る ということはあってもですね 誰かから死刑になるっていうようなことはしないんですよね やっぱりそれはそれなりに 敗軍の将も一生懸命戦ったわけですから 言い分も山ほどあるわけですね 補給が足りなかったとか 何か言うのがあるわけですよ しかも乃木大将は更にステッセル将軍が シベリアに流されたもんですから ご家族が困るだろうっていう事で 乃木大将が ステッセル将軍の家族を援助するって言うですね 誠に立派な武将なんですね これに対して 大東亜戦争の時に マレー作戦の指揮をとった山下大将ですね シンガポール要塞を落としたわけですよ まぁあの当時 アジア人がですね イギリスの誇るシンガポール要塞を落とすなんてことは もう考えられないことなんですよ それをした 山下大将がですね それでイギリスもアメリカも こいつ憎いと思ったわけですよ 敵の大将は当然あらゆる 汚い手を使ったわけじゃないんですよ 進軍の速度が速かっていうだけなんですが いろんな手を使ってなんとか敵を落とすわけで あっぱれなんですよ 敵将あっぱれなんですよ しかしアメリカもイギリスも アングロサクソンの文化は 本当に愚劣な文化ですからね これを僕は日本の文化人に知ってもらいたいんですよ 何をしたか それは愚劣かどうかって言うのはですね その人達が行った行為によって決まりますけどね その後しばらく官職にいた山下大将が 戦争が終わる少し前に フィリピン方面司令官として着任した そこで終戦を迎えたのでこの将軍が 捕らえられるって言うのも辺なんですけどね 捕らえられた アメリカ イギリスの文化 その程度だからしょうがないんですけどね 捕らえられた そして軍人は銃殺とかそういうのが普通ですが 絞首刑にする見せしめの絞首刑にする ただの絞首刑じゃなくて その時にシンガポールの司令官 負けた司令官をわざわざフィリピンまで呼んできて それでその絞首刑の現場に立たせて 見せしめをするという そういうもう本当に 愚劣なことをやったわけですね まぁあの日本軍はですね その前に 第一次世界対戦の時に 地中海に派遣されてた日本軍の艦艇がですね イギリス兵を随分助けたということで これはイギリスからかなり感謝されましたし 大東亜戦争 太平洋の方ですが戦いで これもイギリス軍だったですかね 沈没した船のですね 命からがら海に逃げたやつ これにあの 日本軍の航空隊が来ますからね 普通だったら泳いでる逃げてる ヨーロッパ文化だったらですね 逃げるこの水兵をですね 上から機銃掃射で撃ち殺すってことやるんですよ しかし日本軍は助けたんですよ むしろね 日本の艦艇を出して助けたわけですよ それはもう全然格が違いますね アメリカはですね 今度は例えば日本本土を攻撃する時に 豊橋なんかで私 事実をよく知ってるんですけども 海岸を逃げ惑う日本人の女子供が見えるのに それを機銃掃射して 殺していったんですね だからもう全然人間の格が違うんですよ 日本人とアメリカ人というのは アメリカ人もイギリス人も 全く人間の格が違うんですよ なん段も違うんですよね それはあのー ただねぇ 日本の武士道も昔からそうだった訳じゃないんですよ やっぱりもう江戸時代に入って だんだんだんだんそういう日本人の文化って言うのが 本当に出来てきたんですよね 平清盛 あぁ平将門 清盛じゃない将門ですね 平将門の乱の時は 平将門は天皇 自分は天皇だって言って 新皇って言ってですね それを主張したこともあってですね 逆賊になりましたから 平貞盛なんかが討伐隊に出てですね 平将門を討ち取った その首は 京都に晒されるって事になりましたからね そういう文化もあったんですよ 日本にもそういう文化がありました だから日本の文化が最初から原始時代から レベルが高かったっていう部分もあるんですよ そういう文化もあるんですが 全部がそうだっていうわけじゃないんですね ちょっと油断するとね 反日日本人がねぇ 特殊な例を持ち出してきますからね よく言われるのは 私が日本は平和国家だったと言うとですね いや 秀吉が朝鮮に出て行ったんじゃないかっていうけど それはねぇ 例外なんですよ 日本が対外的に戦ったのは3回なんですけどね イギリスなんてその100倍も戦ってるんですよ 戦争してるんですよ しかも侵略がほとんどですね 日本の戦争はほとんど防衛なんですね 秀吉の朝鮮に行ったやつを除いて ほとんどが防衛なんですけども だからその例外を持ち出す 反日日本人がいるんで本当にややこしいんですけどね まず第一は宿の女中でチップをねだる文化 チップを断る文化 これは仕事に対する高貴な心を日本人が持ってる それから乃木大将とか それから山下大将の絞首刑とか 地中海における日本軍 太平洋における日本海軍の動きを見てるとですね 敵をちゃんと敬う日本人と それから敵を侮辱する 辱めるアングロサクソンとですね 全然違うっていうことですね これはもう本当に全く大きく違う 違いかたでありますね まぁ基本には やっぱり平等社会 人間は人間として遇するという日本の文化と それから人を差別して 支配層と被支配層に分けたり 肌の色で差別したり まぁギリシャでも同じ民族で5パーセントが市民で 90パーセントが奴隷というようにですね これはもう それはイギリスで共産主義や マルクス エンゲルスの共産主義が出たのは やっぱりそれはひどい差が あったからなんですね 国内ですら 日本は やっぱり国内での差別がないので 外国人に対しても差別しなかったと そういう風に言えるでしょうね
日本は違う。一つ上 1.宿の女中 イギリス夫人が見た日本 マックスウェーバーとオルテガ 日本だけは「庶民が貴族」だ。 (武田邦彦)
先日ですね 東京で 幸せ砂時計っていう方々とですね 仲間と私がちょっと話をして その後みんなで 食事をしたんですけども とっても楽しかったって言うか 温かかったって言うかですね 私は人生長く生活してきましたが あんなに温かさを感じた会っていうのは ありませんでしたね 時間としては5時頃から 7時か8時頃までやったと思うんですが もう最後まで本当にこう ほのぼのとした感じの温かさを感じました まぁそういうものを感じた後ですね 私いろいろ考えるところがあって 今このブログをご覧の皆様のなかにはですね まぁそれは その話はもう聞いたよ という人もいるかもしれませんが 私は改めてですね 日本というのは違うなーと思いましたね まぁ外国生活 私それほど長いわけじゃないんですけども それでも30歳ぐらいから50歳ぐらいまで かなりの部分 まぁ1年で2ヶ月ぐらいですね 外国に居りました それもいろんな外国に居りました 会社の時には原子力やってましたから 主にほとんど先進国しか行きませんでした アメリカ ヨーロッパを中心としてですね それで後半大学の方に移ってからは 今度は東南アジア中国 そこら辺に盛んに行きましたね まぁそういうことから見て アフリカはあまり私知らないんですけども その他のところは大体知ってるわけですから 日本は違いますね もちろん私が経験したこと以外にもですね まああのー 物の本読んだり 歴史を勉強したりすることによってですね 知った外国のに関するものとですね 日本の物とか 違うなーと思うわけですね それで私がこれをまた 日本は違うというのを書きたいなーと思ったのは やはり現在の日本人がですね 残念ながら 日本が一枚上なのに 日本よりか下の文化ですね まぁヨーロッパとか中国なんかの文化に 日本は習ったという 間違った先入観があってですね それで日本人の多くの人が 不幸な生活を送っているように見えるんですね だから日本のことを知るということが やはり日本人を幸福にする それで日本人の方が劣っていればですね それは外国のことを学んでほしいんですけど 日本が一枚上なのに より悪いっていうか 劣った文化を学んでしまうって言うですね まぁそういうことがあるわけです 今日はですね 宿の女中さんということでですね これは かつて このブログでも出てるんですけども ただ全体で違う見方で見てみようと思うんですね 19世紀から20世紀になりましてですね まぁ1900年 丁度 日本で言えば日露戦争ですね ヨーロッパで言えは第一次世界対戦の直前ということで 世の中が貴族社会から大衆社会って言うか そういうのに変わりつつある時ですね いったいその貴族が治めていた世界と 大衆が民主主義で選挙なんかを使うと どう違ってくるだろうか というのがマックス・ウェーバーとか オルテガ・イ・ガセットなんかが研究してですね いろんな書物を出してるわけです もちろん その他にも出しておりますし またココ・シャネルとかですね マックス・ヴェーバーなんかが 女性のファッションとか お化粧を本格的にやりだすという まぁそういう時代にもなってきてるわけですね その時にみんなが ヨーロッパの人達ですよ ヨーロッパの人達が考えたその貴族社会と 大衆社会の差というのはですね やっぱり貴族社会は 一人一人に魂があるプライドもある 個人の個性というか アイデンティティというか そういうものがある これに対して大衆って言うのは その日暮らしであって迎合するところがあり すぐ錯覚するところがある だから マスコミなんかに ちょっと煽られると すぐその方向に行ってしまう だから実は貴族社会から大衆社会に移る ということがいいことなのかどうか 疑問がですね ずいぶん投げかけられてるわけですね まぁ例えば それまでの大学教授っていうのは 学問か好きだから大学教授になると ところが大衆社会に於ける大学教授は 別に学問が好きだから大学教授になるんじゃなくて 生活の糧として大学教授になる だから勉強が嫌いなんです これ確かに 私は大学を経験して そういう感じがするんですね ですから それは間違いではない それから大衆を煽られやすいから 戦争が増えるだろうという風に その時代の偉い人は予想しておりますけども それもその通りになった それはなぜかって言うと 貴族は一人一人 武田邦彦 私は貴族ではありませんが 武田邦彦という貴族がいたらですね その武田邦彦って言うのは貴族は個人 個人なんですね 大衆の中の一人じゃなくて 個人としての独立した人間なわけですね まぁこれに対して大衆というのはですね 武田邦彦という個人がいるんじゃなくて 大衆の中に武田邦彦というのがいる だから一応名前はついてるけども 精神的に独立してるわけじゃない という風になる という事なんですね つまり庶民は独立できないと 人間としては独立できない だからNHKが放送すれば NHKの放送通りに それが真実だと思うと 言うようになってしまうので 戦争が多くなるだろう 確かに日本の戦前もですね すでにヨーロッパ文化に侵されたこともあるんですが 朝日新聞なんかに煽られて 戦争に突入したわけですね だからまぁ そういうこともあり得ますね しかし貴族社会でもそうだったと思います しかしここでいうのはですね 大衆だから もしくは教育を受けてないから 自己が確立していないというのは 私はね ヨーロッパ人の偏見だという風に思うんですね その一例として私がちょっと話すんですけども イザベラ・シッドマーという イギリスの女流の旅行家ですね これが幕末の日本に来て 東北地方をぐるっと一回りしますね 大変な勇気と言うか積極性ですけども そのイザベラ・シッドマーがある時に 日本の宿屋 旅籠に泊まるわけですよ そうするとその旅籠の女中さんが 一生懸命やってくれる 誠意を持ってやってくれる 本当に良かったと思って その翌朝ですね その宿を離れる時に 女中さんに心付けを包んでですね 渡そうとする そしたら 女中さんはなんて言ったか いえ私は女中として 自分のすべきことをしただけのことですから お金を頂くわけにいきませんと言ったわけですね この女中さんは普通に考えますと おそらく学校に全く行ってません それから出身も貧乏な人だと考える方が普通ですね 教養もないと思います 勉強もしてないと思います しかしその人がですね 自分というものを持ってるわけですね 私は宿の女中ですと だから一生懸命 女中としての仕事をしますと その仕事をしてる範囲ですから 余分なお金は頂きたくありません これはもう立派にですね 魂もある 自己もある 考えもある 独立してるわけです 貴族ですよ 貴族 完全な貴族ですね それから見たら 現在の大臣とか東大教授とか そういう人達の浅ましいことね NHKの放送のプライドがないこと まぁとにかく他人に阿る 自分はない 勉強の嫌いな大学の教授 真実を報道する気のない NHKの幹部 日本を良くしようと思わない愛国心のない国会議員 こう言ったものはですね このイギリス人が見た女中さんとはですね 格段に劣ってるわけですね なぜ江戸時代の末期の教養もない 何もない東北の 一東北の宿屋の女中さんがですね 自己というものを持ってて 魂を持ってて 立派な人間なのに対して 現代の東大教授 国会議員 NHK幹部っていうのは あまりにも愚劣であるのは何故かって言うと やっぱり私は日本にヨーロッパ文化が 入ってきたことによってですね まぁこれ お金中心の社会なのか それとも損得だけを考える社会なのか どういうものがですね 日本人の心を この宿の女中さんから 現在のNHKの幹部にしちゃったのか なんでこんなにひどく劣化したのかと いうことは考える必要がありますね これは女性と男性でもないんですよ 実は 江戸時代の男性の振る舞いっていうのは 非常にしっかりしていますしね もちろん現在は だけどもあれですね やっぱり現在の飲食業の女性の方があるいは こういう道徳はしっかりしてるという感じがしますね ですから あるいはそのヨーロッパ文化を 多く取り入れた文化人 学者 インテリと言われる人達の方が 劣化が早いということを考えますとね これは そうかもしれませんね そういう人たちがヨーロッパ文化に属されてひどくなった しかし一方日本の飲食の人なんかは 日本人の魂を持ってる人 いっぱいいるんですね 日本人の魂と言っちゃいけないんだ 貴族 庶民だけど貴族だ つまり 日本だけは庶民が貴族だったと いう事なんですね まぁちょっと どうしても 僕は心の中をまとめたくなって 今日 そういう話をいたしました
「幸福」の「構造」2: 幸福の初歩:労働をどう考えるか? 勤労の義務の理解 最低の労働:日本と外国 人間としての特性を知る (武田邦彦)
幸福に構造があるということは この前お話をいたしまして 幸福の問題 例えば人間関係とか 夫婦の事とかで 親子とかですね 仕事の事とか そういう事で悩んでる方のほとんどがですね 幸福というものを一回も勉強したことないと もしくはですね ネットとか それから まぁ簡単なノウハウ本でですね こういうのはこう考えたらいいって言った 主に心理学的もしくは宗教的なですね 事を知るということが精々なんですね ところが幸福に至る 人間が幸福に至るのはですね 構造その幸福というもの 言ってみれば幸福学って言うんですかね 幸福の学問っていうのは学ばないとですね やっぱりその場その場 限りになりまして 今の職場の人間関係は これで解決したけども 次また似たような問題が起きても 応用が効かないわけですね ですから幸福っていうのは 構造をちゃんと学問的に知る必要がある やっぱり学問的に知るんですから ちょっと面倒くさいことは面倒くさいんですが やはりあのー まぁ学校教育でやりませんからね 成人教育っていうか 大人の教育っていうか 社会人教育というか そういうところで学ぶのに 適しているんじゃないかと思うんですね それのいろんなその幸福のしょうほうには いろいろ考えることがあるんですが その一つにですね 日本と外国とでものすごく違うんですよ これがまぁ一つは誤解の基になっておりまして 解決しない基になってますねー というのは 日本人がある問題で悩んで それを その外国の幸福論を読んじゃうとですね 全く見当はずれの所 行っちゃうんですね なんでそうかって言ったら 日本だけが幸福に関する考え方 日常に対する考え方 夫婦に対する考え方が全く違うんですよね ですから 結局のところ外国の本に一回左右されると もう 幸福にはなれないっていう感じがするんですね その一番 まぁいろんなものがあるんですけども その一つに 勤労というものに対する考え方なんですね これがもう全く違うんですよ これをお聴きになってる方で キリスト教の原罪というのがありますね 罪 人間はもともと罪がある だからその罪をその解消するために 人間に神様が 人間に苦痛を与えた その苦痛は労働なんだ っていう仕事をすることなんだ だから仕事をするっていうのは苦痛なんだ できればやらないほうがいいんだ っていうのが キリスト教ばかりじゃなくて 中国 中央アジア 中東 ヨーロッパ アメリカ 全部そうなんですよ もちろん アメリカヨーロッパの影響を そのまま受けている南アメリカもそうですね ですから ところが日本は全く逆 もう正反対なんですね 日本はどう考えてるかって言ったら 今日ご飯を食べる 味噌汁を飲む 魚を食べて お新香を食べるという風にしますね それからもちろん洋服も着る 今では まぁ電車に乗るとか 自動車に乗るとか 冷暖房のエアコンを使うとかいう事もありますよね これはほとんどのものが 自分でやったもんじゃないんですよね それは完全な自給自足生活なら 自分でお米を作って あばら屋に住んで という生活もあり得ますけど そんなのは今はないんですよね そこで日本人はどう考えたかって言ったら 労働は別に神様の罰じゃない 労働はですね 自分で米を作らない 味噌を作らない 魚を獲らない 自動車を作らない エアコンを作らない 家を建てないのだから 自分の仕事の上でその分だけは返さなきゃいけない それは最低の義務なんだって事なんですね それは別に人間として正しいことである 勤労は正しいことであるって言うのは日本なんですよ 勤労は罰である 神様の罰であると考えるのが外国なんですよね ですからもう180度違うんです それで日本はもう それで一万年もやってきましたのでね 大体 そうしますとね 日本人が勤労を神様の罰だと考えてもね 考えきれないところがあるんですね 自然と自分は働いてしまう だから非常に簡単に言えば アメリカ人の理想的な人生はと言うと 45歳までにお金を稼いで 45歳からは仕事をしないで 遊んで暮らすのが理想的だって言うわけですよ それは労働が神様の罰ですから それから解き放たれるのが幸福なんですね ところが日本は 他の人が働いて頂いて 自分はご飯を食べて エアコンの生活をして電車に乗ってるんだから その分だけは死ぬまで 働きたいって言うのがあるわけですね ですから できるだけ長く働きたいっていう風な それが幸福だっていう事なわけですね だからもう180度違っちゃうんですね それで まぁ男の場合は定年制というのがありますから 強制的に その人生でやるべきことから離れて 不幸になっちゃうんですけども まぁ家事をやってる女性はですね 主婦ですね 昔の は非常に幸福なんですね その点で というのは 今はね なんか家で働くのが賃金に結びつかないので 女性が嫌がってますけども やっぱり働くということが 賃金をもらうことよりか もっと優れているんですね そういう意味では 女性の場合は家庭労働をしてる限りはですね 定年が基本的にないので 一応家庭労働ができなくなるほど 体が弱るまでは まぁ幸福な人生を送れる可能性がある とも言えるんですね つまり例えば これはもういろんな所に現れておりまして 例えば東南アジアに 会社の用事で派遣になる人がいますね 課長さんぐらいって言うの 奥さんもついてって 外国だから珍しいとかですね 生活したいとか 会社はまぁ できれば奥さんも一緒に行ってくれって言うんで行く そうすると 日本の割合大きな会社で 東南アジアに支店を持っている様なところだったら 大体東南アジアに行きますとメイドが付く ところが このメイドに言わせると 日本人の主婦のいるとこが一番困るって言うんですね 自分たちが働くものがない トイレも奥さんがやってしまう 皿洗いも奥さんがやってしまう 日本の女性によってはですね 主婦によってはですね 皿洗いを他の人にやってもらいたくない 自分流儀にやって 自分の家族の健康は自分で守るんだって言う まぁそう言うのが多いわけですね つまりまぁ 例えば私でしたら物理学ですから 物理学でご飯ができるわけでもないし お味噌ができるわけじゃないので まぁ賃金でやると だから自分が 他人に恩を受けてる分だけは 自分の領域で返すっていう気持ちが強いわけです すごく強いわけですね ですから当然 幸福も違って日本の場合の幸福というのは 先ず それを示しているのが江戸時代の職人の話ですね 9時から2時までは ガキとかかあの飯のために働く 後は遊びだっていうわけです これはまぁ 短い言葉の中に全てを含んでますね つまり日本人の考え方は 幸福な人生っていうのは まず自分が外から他人から受けてる恩ですね お百姓さんが米を作ってくれた 技術者がクーラーを エアコンを作ってくれたり お風呂を作ってくれたりした その分は 9時から2時までで もう返すと 2時からはやっと やっとっていうか そこまでやらないと 2時から遊びに出ても 満足できないんですよ 日本人は満足できないですよ だから日本の幸福っていうのは まずは働く それも社長になるとか そういうんじゃないんですよ あの外国のね 特にヨーロッパの幸福論って言うのがですね 先ず偉くなることなんですよ 偉くなる その5パーセントって僕は言ってるんですけど 社会の中の5パーセント 20人に1人に入る これがもうとにかく 幸福の第一歩だっていうことで 一生懸命勉強し 我慢し 努力して仕事をするんです その仕事っていうのは 日本とはちょっと違うんですよ 外国の仕事はですね 出世した仕事なんですよ 出世した仕事の中に自分の身を置くっていうのが あの幸福の一つの条件なんですよ それはどうしてかって言ったら 労働が神様の罰だからですね ところが日本はそうじゃないんですよ お百姓さん お味噌の職人 それからお風呂を作る職人 これと同じレベルの仕事をしなきゃいけない それが一番 自分が生活してる上で まず人間としてやらなきゃなんない 先ず第一の事なんだって意識があるので 先ずはですね 仕事が面白くないとかですね 仕事がやりがいがないっていう人はいるんですよ それが引っかかって これは幸福じゃないって 不満を持つ人がいるんですけども これは非常に難しいんですけども やりがいがあるとか 面白いとかいうのじゃないんですよ 日本人の働く 妻が?ですね あのむしろ辛い方がいいって言った方がいいですね つらい方がいいというのは ちょっと極端な言い方ですが 人が辛い思いをして米を作ったり お米を作ると言ったって今は違いますよ 昔はね 鍬を振ったり 寒いとこでも出て行ったり 暑い時でも草取りしたりするわけですから その苦労を自分も 味わなきゃいけないって意識なんですよ ですから働くということが それほど快適であるとか 楽しいとか それから自分が人生でやりたい仕事を するって言うんでもないんです やっぱりそれは我慢して 他の人が仕事で我慢してくれてるように 自分も一緒に我慢しよう 私の言ってる絡合的な考え方なんですね ということで 今日は幸福の構造の2で 幸福の初歩ですので あまり深くは踏み込みませんが 勤労に対する考え方というのを
平和運動をしよう(6)まず独立 この世には悪い国がある 軍備均衡が第一条件 同時に「力づく」の社会を非難する 選挙制度の改正からスタート (武田邦彦)
平和運動をしよう 6回目なんですけども まぁこれ非常に大切で 僕は来年の活動としては 平和運動をどういう風に 具体的にやるかっていうことを 検討したいと思うんですけど 一番最初が一番難しいんですよね 先ず日本が独立しなきゃ駄目なんですよ やっぱり平和運動っていうのはですね 国と国との関係ですから 国際的ですからね 戦争っていうのは国と国とで起こりますから 今の時代に 国内で戦争が起こるっていうのは まぁ普通少ないので 国と国とで戦争起こりますからね やっぱり国がしっかりしてないと 先ず国際的に平和運動なんてしたところでですよ 言ってみれば笑われちゃうんですよ それでもちろんあの平和運動するっていうのは この世にはですね この地球に悪い国があるからなんですね 今で言えば中国ですね 中国は何で悪い国かって はっきりしてますよ まぁいつでも中国の方が反論して頂いていいんですが 中国はですね もともと北は万里の長城ですよ 西はチベットの間にある高い壁ですね 急にこう高くなってますから 南はベトナムとかインドシナとの堺ですよ 東は海ですね その中に志那という地域があって これ地域ですよ 地域があって そこに昔から漢唐宋元明清という国がですね 次々と王朝が変わって存在したのが 中国と今言ってるところなんですね ところが今は中国はですね 第二次世界対戦の後 日本軍が中国を離れたので それをいいことにですね チベット これは別の国ですよ ウイグル これも別ですね ただウイグルは中国はどちらかっていうと ウイグルを占領したというよりか むしろウイグルがソ連の支配下にあったものを 自分の支配下に戻した 戻したっていうか 取ったと言ったのが正しいでしょうね それから内モンゴル これはモンゴルの国ですね だけども今は どんどんどんどん 中国人が内モンゴルに入っていって それであたかも中国の国の様になってしまいましたけど これもモンゴルですね それから満州は多くの人が迂回していますが 満州はですね これ中国じゃありませんで 民族も漢民族じゃなくて 女真族なんですが たまたまですね 中華民国の前の国ですね 清ですね 清という国は 清という中国の国が中国の国じゃないっていう 非常に分かりにくいんですね 満州が中国を占領したんですよ 逆に これこういう事ありますね 元のフビライっていうの皆さん知ってますけども モンゴルが強くなって中国を占領して モンゴル人が支配した国が元なんですね 今 元というのはモンゴルでしょう だからと言って モンゴルが中国の国じゃないんですよ 当たり前で 外の国が 中国を占領したわけですから それと同じくですね 満州というのは日本人は なんか中国の一部みたいに思っていますけども 全然違って モンゴルも中国の一部って事になりますね 中国を占領した国が中国じゃないんで 当たり前ですけどね 満州も違いますね それからさらに1978年には ベトナムを占領しようと思って 侵攻していったんですね そりゃもちろん朝鮮戦争も北朝鮮にちょっと色気があって 中国軍が入っていったわけですね ですから中国がこういう平和という点でも 悪い国であるという事は明白で 何しろ第二次世界対戦の後 日本がまぁ2勝1敗1引き分けで 戦争が終わった後ですね イギリスもオランダも日本と戦った国は みんな参っちゃってですね アメリカのそうでした 植民地を次々と手放して やっぱり人の国を占領してるのは悪いと つまり武器で 武力で人の国を占領するのは悪いということで 国際的な consonance?もあって みんな離したわけですね 皆が植民地から独立してる頃に 中国はですね 今の中国というか 中国共産党なんですけど 1949年から1950年にかけて 周辺の国を占領したわけですね なんで占領されたかって言ったら もちろん周辺の諸国が軍事力が弱かったからなんですよ だから なんて言うんでしょうかね これ非常に難しい矛盾した問題なんですが まぁ1648年にヨーロッパでね 合意したようにですよ まず平和をもたらすには 軍備均衡が大条件だ これはヨーロッパとしての判断が正しかったんですよね 30年戦争っていうのが ドイツの中心としてあってですね 30年戦争し続けてたわけですね 第二次世界大戦の時 4~5年なんですよ だけど30年も戦争し続けたんでもう嫌になってですね ウェストファリアっていうところで条約を結んで まず軍備均衡にいこうやと いう事になったわけですね まぁ人間は理想的な生物じゃないんですよ なんかの戦争が起こるんですね 戦争が起こるって簡単に言えば お前のものは俺のものだっていう そういうのを力づくで やろうっていうのが戦争ですからね 誰もが自分の国は自分の国でいいと思ってた 日本がそうだった 実は これはもう日本の学校の先生が嘘を 嘘をつき続けたものですから 今の日本人が 多くが誤解してますけども 世界の中で日本がですね ほとんど唯一というぐらい 力があっても外国に行かなかったわけですね そういうとですね すぐあのー 豊臣秀吉の朝鮮征伐なんかが出てきてですね あれはですね 日本の考え方では例外なんです そりゃ例外はやっぱり一つか二つあるんですね 何しろイギリスと日本と比べると日本はですね 戦争の回数 外国との戦争の回数 1/100よりか小さいですからね イギリスは日本の100倍以上戦争してるんですから 外国に侵略して 全然世間の常識と比べるとですよ そんなにお釈迦様だけが住んでる国じゃないんで 一個か二個ぐらいの例外は存在します それは別に私全然否定しないし 隠しもしないですけどね だけど そういう例外だけを挙げて議論してもですね あんまり意味がないんですよね だから日本が先ず アメリカ軍に出て行ってもらって 自分でその独立する つまり 自分で自分の平和は守る これが出来なければ 人に言えないんですよ 先ず だって日本の中だけではですね 軍備を持たないのが平和だなんて言ってる人いますけど そんなのは世界で全く通用しません 何で通用しないかって言うと 今まで人間が苦労して築いてきた知恵ですね それに反するからなんですよ そんなこと言ったってね それが架空のものであるってことは チベットが チベットと中国がそれを示してるわけですね 中国がチベットを占領したのは チベットが日本でいう第9条 憲法第9条みたいなの持ってて 仏教で国を治めるんだから 仏教で国を守るって言ってたんですよ ところが仏教じゃ国は守れなかったんですよ 悪い奴が世の中にいるから それはね 悪い人が社会にいないから 警察が入らないって言ってるようなもんですよ そうすると女性なんかどんどんレイプされたり 暴行されたり殺されたりするわけですよ だけどもそれでも信じますからと 日本の国の治安が良くなるといいですかね 日本に第9条が大切だなんて言ってるのは どういう人かって言ったら 警察がいなければ 犯罪がなくなるって言ってる人と一緒なんですよ そんな事はないんですよ それは人間という生物がそうだから しょうがないんですよね だけど同時に 力づくはいけないとも言わなきゃいけないんですよ これは当たり前ですね 日本に警察があり 110番したらすぐ警察が来るという体制を作っておいて その上でですね 犯罪はいけないと女性を襲うのはいけないと こう言ったら始めて辻褄があうんですよ 女性を襲ったらいけないんだけ言ってね 警察がいませんじゃやっぱり駄目なんですよ だけど これをやるにはね そういうことを言う人をね 議員にしちゃいけないわけですが その議員にしちゃいけないことをやるにはね やっぱり小選挙区制 これがあるとね そういうことを決める 力のある人が議員にならないんですよね 今日の虎ノ門ニュースで 大分言わしてもらいましたが 従って まず日本が独立して 日本人が平和を守ると言う姿を世界に示さないことには 世界に全然影響はないんで 平和運動をする意味がないんですよ ところがそれをするには 日本は日本で独立に 軍備均衡に持っていかなきゃならないので アメリカ軍が日本の中にいてね それで平和なんて言ったって無意味なんですよ だってアメリカ軍に実際守ってもらってるわけでしょう このところアフガニスタンにしても イランにしてもイラクにしてもですね 中東にしても アメリカは全部戦争してるんですから 一番戦争多いのが中国とアメリカなんですからね ですから そのアメリカ 戦争の多いアメリカ軍に保護してもらって それで日本は平和だなんて言ったってですね それは全く無駄で もちろん日本は第9条があって 軍隊がいないなんて言ってもそれはもう無駄なんですよ アメリカ軍がいるんですからね だから そういう矛盾した状態で運動やっても駄目なんで まずは アメリカに出て行ってもらって 日本は日本で軍備均衡をしてですね 周辺の諸国ですね それからアメリカ ロシア 中国 朝鮮 そこら辺と全部軍備均衡して そしてから力づくの世界 つまり 警察は整えた 110番したら警察は来てくれるという体制をとってから 犯罪はいけない 暴力犯罪いけないと言わなきゃいけない それで 社会を平和にしていかなきゃならない だからどうしても 選挙制度の改正がいりますからね これはまぁ とにかくだけど 言わなきゃいけないと思いますので 今日 話をしたという事であります
「命令」は言い訳 一人一人が魂を! 山下奉文陸軍大将の遺言 現在の方が命令を強調する 特に上司より本人が。 (武田邦彦)
「産みの親より育ての親」と「日本の神」 (武田邦彦)
産みの親より育ての親っていう言葉がありますね これは非常に含蓄の深い言葉で 現在の科学の研究の多くがですね これに注がれていると 言ってもいいぐらいの割合なんですね しかし私はいつも思うんですけども 日本の神っていうのがですね あたかも昔 日本人の古代の人がですね それが分かっていた様な 決め方と言いますかね 性格って言うか それを設定をしてるっていうのに 本当にこう 今から20年ぐらい前に びっくりしたことがあるんですね というのは 日本には宗教 いわゆるヨーロッパで定義された 宗教というのは無いんですね これは宗教がないんじゃなくて よく日本人が あなたはどういう宗教ですか? 私は無神と言うか別に宗教無いんですって いう風に応える日本人って多いんですけど これ本当は間違ってるんですよね 日本と言うのは 西洋風にちょっと言えないんですよ 定義が違うんですね 宗教っていうのは もともと違うんですね 神道もすべて 日本の宗教と言うのは 日本教というか 日本 教というのを付けちゃおかしいんですよ 日本? 日本人の考え方と言うのでいいんですね それはですね 自分を作ってくれた人を神とすると これが日本の宗教なんですね 自分の作った人と言ったら 先ず 作ったものと言ったら先ずですね 自然ですね その一番は太陽でしょうね それから二番が月 地球そのもの 海 山 川 こういったものが 岩石こういったものですね それから動物ですね 狼とか鹿とか 虫のミミズまで そういったものですね そういったものがなければ 人間というのは存在できませんね 魚も含めて ですから 自分を作ってくれたものというのは 太陽とか そこから始まってミミズまで ずっと周りのものが神様なんですね だって自分を作ってくれたのですから やっぱり神様でしょうね どんな偉い人よりか偉いですよ それは それが自然を神とするということなんですね ですから 岩にしめ縄を張ったりですね 太陽 お天道様の下では嘘をつかないと これも日本だけの信仰と言うんですかね 太陽に手を合わせるなんていうのは これは信仰に近いんですけどね そういうことなんですね それでもう一つは自分の祖先ですね 自分に祖先がいなければ自分は生まれてないわけです 祖先はあんまり遡るとアメーバとかですね ゾウリムシとかになっちゃうんですけど 単細胞生物ですね そこまでは遡らなくていいだろうと まぁ哺乳動物ぐらいからでいいかなってなことで 一つは動物の世界 植物の世界 植物もいなければ人間いませんからね だけどそれは自然の方に分類されておりまして 自分の祖先っていうと 人間に限ってるんですね それで 人間っていうのはどのくらい遺伝子が 混ざるのかっていうのは簡単に計算が出来るんですね 親が二人で 親の親が四人ですから 親の親の親は8人ですから これは2のn乗ということになるんですね ちょっと2のn乗って難しいですけど nがどのくらいあるかでね 2の2乗と言ったら4なわけですね それで2の 例えば5乗といったらですね 5代遡ると親は32人になるわけですよ 5代遡ると 10代遡るとつまり300年遡るとですね 親の数は約千人 1024という数字はなるんですけど 1000人になるわけですね 10代遡ると そうすると だいたい1代が30年ですから 千年っていうと 30代くらいなんですね まぁ33代って言ってもいいですけど 30代ぐらい そうすると どのくらいかって言うとですね これはもの凄い数で10億人なんですよ ですから 日本の人口は大体 元々2千万人とか3千万人ですから 1000年前ですね 1000年前というとまぁ西暦1000年 紫式部とか平安時代の終わりですね まぁ貴族文化の終わり その頃の人達のうち 我々はですね 10億人の親と親から出来ているわけです もちろん10億人いないんですから ダブって こう親がダブっていくんですね という事は日本は大体そうですね 一万年前ぐらいから はっきりした形を取っておりましたから 3万年前って言ってもいいんですか 一万年前とすればですね もう一万年前というと 天文学的数字になるんですよ 親の数は という事は どういう事かっていうと 我々は遺伝子がほとんど一緒ってことなんですね 全員が兄弟なんですよ 実は 日本人って全体が兄弟なんですよね ですから黒い髪を持ち 割合ちょっと黄色めの皮膚を持ち それから背の高さがこのくらいとか 足の長さはこのくらいとか 腸の長さはこのくらいとかですね こういうものが消化しにくいとかですね そういう全体的な日本人っていうのができるわけですね これはあの先ほど一番最初に言いましたように 現在の科学ではもう最先端なんですね 遺伝子の共有性 人間というのは遺伝子が99.9パーセント共有してると 後の0.1パーセントで差が出ると 民族の差とかですね そういうのが出ると言われているんですが 同時に今ものすごく研究されていますから 今あんまり結論出すのがちょっと早いんですね つまり人間の形とか性格とかは色々ありますが そういったものの内 環境に左右されるものって すごく少ないと言われていますが しかしまだ研究途上なんですね ですから 今の段階であまりこう 共有がどのくらいかってのは 言えないので僕は大体99.9以上は 共有してますからね 何ていうのはですね 研究途上の時にあんまり断定的な事を 言うとですね 誤解を与えますので 人間は 例えば日本人は 遺伝子の多くを共有してるというぐらいに言うのが むしろ正しい言い方かもしれないですね それは何かって言ったら 実は自分は誰から生まれたというよりも その日本人であるとか 人類人間であるということ自体で ほとんど子供と一緒だ 親戚と一緒だって事なんですね ですから 産みの親より育ての親って言うのは当たり前で その産んだ遺伝子って言うのは 隣のは 親戚の甥っ子とか もっと遠い離れた人たちと 自分の子供っていうのはほとんど同じと言っていい訳です 従って もちろんその後 育てた方が育てた年限の方が 愛情もわくしですね 性格も似るしですね いろんな点で似るんですね そういう意味では 産みの親より正に育ての親なんです これは産みの親より育ての親っていう表現が 少し不適切かもしれないんですね 産んだ子供はほとんど同じと だから 親子の愛情は育てる事によって作られると こう言ってもいいですね まぁだから 日本の神というのは そこがよくわかっていたってことですね まぁ言ってみれば 女性の寿命なんかをいろいろ研究してもですね 子供のいる人といない女性というのは ほとんど同じような人生を送るんですよ その見かけは違いますよ 子供がいる 親は一生懸命お弁当を作るとか そういう見かけは違うんですけども 全体としては同じなんです ですから寿命も同じなんですね だからそういう点では まさに産みの親より育ての親であって それがわかっていたのが日本の神様であり 自然崇拝と それから祖先崇拝と この二つで成り立っている それから 日本がヨーロッパとか中国の神様と 圧倒的に神の概念が違うのは 人間が死んだら神様になるんですよ 日本の場合は ところが例えばキリスト教なんかはですね 死んだって神様は神様なんですよ いくら人間は死んで偉い人でも 聖人ぐらいには列せられますが 神様にはならないんですが 日本はですね 日露戦争で戦った乃木将軍 いやぁ神様だと あの人は神様かどうかわかりませんよ だって評価が二つに分かれてるわけですよ 僕は乃木将軍を評価してますけど 乃木将軍はポンコツでね 日本人の兵隊の多くを 殺したっていう風に評価してない人もいるんですよ だけどもやっぱり お亡くなりになったら神なんですね ですから日本には信仰の自由とかないんですよ なんでないかって言ったら 神様が 神様というものの概念が違うんで 信仰という概念も違うんですね ですから 日本人は この前アメリカ人と話しましたが アメリカ人が 日本人は素晴らしいと 何故かって言ったら神様がいなくても 道徳が守れるっていうわけですよね 神様以外に何を基準にしてるのって聞かれるわけですけど それは日本の神 自然の中に自分は生きている だから感謝しよう 祖先の結果 私がいる だから祖先にも感謝しようということなんですね それがもう 日本の日本人の心の中には 非常に強いので まぁ お釈迦様でもいいんじゃないの イエス様でもいいんじゃないの ムハンマド つまりマホメットも 多分素晴らしい人なんでしょうねと 孔子様 これも偉いんでしょうねと みんな偉いですよと 私よりか少なくとも偉いですから まぁ尊敬はしてますねってという事になると これはですね だから信仰の自由っていうのは 一神教みたいな この宗教じゃなくちゃいけないっていうような 非常に堅苦しいものはそうなんですね それから道徳も日本の場合は お天道様の下では嘘をつかないって こういう道徳なんですね ですからノーベル賞をもらった文学作品で カミュの異邦人ってありますけど それを見ますと非常にこう ヨーロッパ的な宗教概念と道徳というものが 極めて鋭く表現されております ですから世界的には 日本はマイナーですから マイナーな存在ですからね こういった事については カミュの異邦人が文学賞 ノーベル文学賞を取るわけですが 私から言えばね ちょっと傲慢な言い方なんですが ちょっと神の概念が甘いんじゃないですか? と言いたくなると まぁこんな感じですね
「著作権」は「力づく」の社会の産物 著作権は根源的な権利ではない。 著作権は「力づく」、「金まみれ」の社会 日本で著作権がなかったのは「力づく」ではなかったから 著作権の無い社会を作っていきたい
私はですね
この日本が力づくの社会ではなかったと 日本以外の国がですね ほとんどの主要国が力づくの社会でですね 軍隊が強い方が偉いと お金を持ってる方が偉いと 女より男の方が偉いと いう風に全部力がある方が偉いという そういう間違った 間違ったというか日本の文化とは違う国なもんですから どうしても外国にかぶれてる人 ヨーロッパにかぶれてる人はですね 力づくの社会がいいと思っているわけですね それからまぁ日本の独特の文化を 理解してないっていうぐらいあるんですね 日本が2,000年間 非常に平和で 平等で奴隷もいなかったという社会はやっぱり 力づくじゃなかったからなんですね 是非私は力づくでない社会ですね やっぱり人間を尊重するという 力のある人が偉いってわけじゃないと この社会はどうしてもですね 今のアメリカみたいに 1パーセントの人が40パーセントの金を握ってるとかですね それから中国のように 共産党の独裁であるとか そういった社会を作ってしまうわけですね 力のある者が偉いということになりますと どうしてもそうなりますね ところが日本は 結婚したら妻の方が偉くて 偉いというのは やること何でもやれて 夫はやれることが制限されてるわけですね それから会社もですね 日本の会社っていうのは従業員のためだったわけで 決して株主のためじゃないんですけども 最近では日本人がですね 日本人の方が株式会社は株主のものなのに あなたは知らないのかと この前言われたんでですね 知ってはいますけど 株式会社が株主のものという考えが間違ってるんですと まぁ会社っていうのは 従業員が努力し 経営も努力し 日本国も土地とかそういう道路とかを提供してくれて 初めて実施できるわけで 何も金を出す株主だけが会社を持ってるわけじゃないと 株主が会社を持ってるというのが 力づくの社会のシステムなんですね 非常に残念なんですが 著作権もそうなんですね 著作権というのは 18世紀にイギリスで出来た権利で これは力づくの社会だから 著作権というのが出来たんですね 金まみれ 力づくの社会という中で 人間の頭の中に発生したものですね 著作権ですから それが権利として 社会的に認められるという制度を作ったわけですね 現在では著作権があるからって すごく威張ってたりですね 著作権を侵害したって言って 侵害した人をものすごく非難したりしますが 元々著作権っていうのは期限付きなんですよ 出来た時は15年とか25年とかだったんですね なんで著作権が期限付きで 所有権は期限付きじゃないかって言うと 所有権は人間の根源的な権利なんですね 著作権は臨時に与えられている権利なんです それがイギリスで発生した後 アメリカで アメリカは更に力づくですから 著作権が50年になり75年になったわけですよね ですから 著作権で押さえつけるっていうのは正に 力づくの社会なんです じゃあなんで人間は著作権について 頭の中で出来たものについて 権利を認めなかったかっていうと 例えば まぁあのイエス様の聖書でもいいですし お釈迦様の書いたものでもいいんですが そう言った物については 著作権が及んでないわけですね それはどうしてかって言うと 我々は地球上に生まれて 地球上でいろいろ権利も調整しながらやりましょうと その中で ものについてはね 例えば自動車を持ってると そしたら 他の人が勝手に自動車使うと不便だから やっぱり所有権というのをしっかりして どの家が 家とかそういう風にしようじゃないかと いう風になったわけですが 著作権と言うか人間の頭の中で考えたものは イエス様が考えついたと それを皆が それを聞いて あぁーなるほどいいなぁと思ったと そして イエス様が例えば貧乏なほど幸福であると こう言われたと それを聞いた人が本当だなーと思って 他の人に貧乏な方が幸福であると言ったから その人は損をするわけでもないし またそれを言ったイエス様が 損をするわけでもない つまり人間の頭の中で出来たものっていうのは 共有性があった方がみんなが使えた方が 人類の幸福になるって言うのが 実は18世紀のイギリス つまり力づくの社会じゃないところではですね こういったまぁ 森の入会権なんかもそうなんですが 人類は昔の方が レベルが高かったっていう様なところもあるんですね だから著作権 それで日本の最高裁判所高等裁判所の 著作権の判決って言うのは いっぱいあるんですけども この非常に制限されてるんですね 思想又は感情に基づく創作物であってって言う風に 事実ではないと 事実については著作権及ばないと いう事を明確に言ってるんですね 事実についてはもちろん 著作権は及ばないんですよ だからマスコミが非常に上品ではないんですが マスコミ 新聞記事なんかはですね 文学作品なら 著作権が及ぶと言ってもいいんですけども ただそのニュース記事なんかをですね 著作権があるって言って頑張るんですね マスコミって言うのは 例えば朝日新聞だったりNHKだったり すごく力が強いんで 一個人が逆らえないんですよ それをいいことに 最高裁の判決なんかをわざと隠してですね 著作権を主張するっていうのが その今のマスコミのやり方なんですね ですから私はここはですね 日本だけでもいいんですけども まぁ日本の最高裁の判決は今ですね 著作権ついて非常に厳しく制限しています 思想もしくは感情に基づく創作物であって 表現されたものと言うですね 極めて厳しい制限をしているんですね したがって著作権を主張する人にはですね 必ず これは思想か感情に基ずくものですかと 事実とは違うんですねって まず言わなきゃいけないんですよ それが表現されてあるもの そういうものだけに限られるんだと なぜかって言うとですね 著作権個人の権利よりか 社会がその人間の頭の中で生じたものを 使うというメリットが大きいからだって言う事なんですね 私は自分のブログ このブログですね そういったものとか まぁ自分の著作物には 基本的には著作権を主張してないんですよ そうするとね 今度は著作権を主張しないと それをまぁ悪用とまでは言わないんですけども 私のブログの内容の表題をガラッと変えちゃってですね ちょっとそんなこと言ってないんだけど と言うような表題をつけてネットで流すと 武田先生おかしいじゃないかと 内容と表題が違うよって いつも怒られてるんですけど やっぱり著作権があまり主張しない時は やっぱり尊敬する心とかですね それから上品であるとか そういう社会基盤が必要なんですね 礼儀正しいとかですね 相手に敬意を表する こういった日本の文化っていうのは 同時に必要なんですね 著作権がなくて みんなが言ったことを使える 聖徳太子が何か言ったらそれが使えると いうその社会ではですね やっぱりそれなりの上品さ 礼儀正しさ 謙虚さ こういったものを伴わないとですね やっぱりうまくいかないんですね それで私は実は著作権を主張する社会は良くないと これはね そしたら歌を作る人は どうするんだとかいい事あるんですが そういうことなのでやはり私は 著作権がないような 著作権のね ないと生活が出来ませんという人もいるんですよ だけど方やね 著作権だけで 何億円って取ってる人もいるんでね やっぱり社会的に補償される範囲の 著作権というものを考えるってことと 一応マスコミはですね テレビ新聞なんかに書かれたものは著作権はないと いう様に はっきり言ってほしいですね 実際そういうのが 日本の最高裁判決なんかで主流ですからね 主流というか 確定してる訳ですから だからやっぱり欧米の力づくの社会と いうものをこれ以上進めていくっていうのは 私はあまり感心しない やはり日本のように 人間の頭の中で 作ったものを使用する時は その人を尊敬してですね いやぁこれは良寛様が言ったことだとか もちろん あの親鸞聖人が書いた 歎異抄とか そう言うのだって 何にもあの あれはないんですよ 著作権ないんですよ 日本はずっと著作権ないんですからね だから外国から悪い風習ですね 著作権とか株主総会なんか 皆悪いんですけども こういう 悪いって言うか日本の社会には合わないもので 日本は そういうのをやらなかったからこそ 平等社会であり 奴隷が生まれなかったりですね 天皇陛下がいくら軍隊を持っておられなくても みんなで天皇陛下を きちっと遇するという上品な社会だったんですね 金まみれの社会ではなくて もう少し上品な社会に やっぱり戻して行くっていうことがですね まぁ日本で生活する人が より幸福になるんじゃないかと思うんですね 著作権がね 本当にね 主張されなかったら 本当に日本人が考えた知恵とかそういうのが もっと有効に使用されて 社会は全体的に凄く良くなると 私はそう思っております「正しい」とは何か?人はなぜ自分が正しいと思うのか? 多様化の時代というけれどそう思っていない。 他人を尊重し自らも主張するのが筋。 間違いがあればすぐ謝って訂正する。 訂正を批判しない。
正しいとは何か 人はなぜ自分が正しいと思うのか いやですね 私日本は民主主義だと 言論の自由もあると それから反論の自由もあるという風に思って しかも多様化の時代といいですね 左翼の人達も まぁ右の人達もですね 共にそういうことは否定してないんですけども まぁこれマスコミが悪いとも言えないんですよ ネットも同じようなもんなんでですね 私はね 皆さんが多様化の時代と言ってるんだけれども その実際は多様化の時代ってのは どういう事を意味するのかって いう事をあまり考えてないかですね 実は口ではそう言ってるけれども 本当はそう思ってないか どっちかだと思うんですよね 多様化の時代と言ったら もちろんこの言葉の通りですね 人によって考え方が違うという事を 認めるっていう事ですね あの人によって 考え方やら希望とか望みとか 幸せとか夫婦とか男女とか そういうのはそれぞれ違う それが今まではもう社会はこうするんだって決まってた 特に日本ではですね 民族があまり分散してないとか それから文化がかなり似てるっていう事もあってですね 今までは日本人が合意するということは 一つに決まってるという風に考えてた訳ですね しかし いろんなグローバリゼーションっていうか 世界的な波もあるし またそういう所からいいものを取っていくって 言うのが日本の文化の優れた所でもあるので 多様化の時代というのに反対してる人って あんまり見かけてないんですよ ところが現実の言動はですね 私なんかもうじゃんじゃん叩かれるんですけども 武田の言ってるのはおかしいじゃないかとかですね そんな過激なこと言ってどうするんだとかですね そういう話が結構多いんですよ もちろん僕ばかりじゃないですね だからその本当に多くの人は 多様化の時代を認めてるのかと思うんですよね 多様化の時代って もちろん簡単に言えば他人を尊重し 自らも主張するっていう事ですよね 他人は他人なんだと だから 他人がカレーライス食べようが 中華が好きでも それはそれでいいんじゃないかと 自分は和食が好きだ それでいいんじゃないかと これを食べなきゃいけないって言うことないと それから健康もそうですね タバコなんかその典型的で 禁煙学会と言うのはもう酷い学会でしたね 禁煙学会の理事長さんかなんかの 割合と偉い先生がですね お医者さんですけど 全然診察もしないのに 副流煙かなんかの影響で 病気になったという診断書を書いてそれをもとに悪い人が 4千万円か5千万円ぐらいの 損害賠償訴訟をしたというのがばれて それで これ診察してないじゃないかという事になりましたね これはどうしてかっていうと タバコを吸うっていうことは多様化の時代を認める 一つのですね まぁメルクマールと言うか 肝心な所だったわけですね もちろん人前でタバコを吸って そのタバコの煙を その人の顔に吹き付ける なんて言うのはいいかどうかって これ全然別の問題ですね 自分の家で まぁ他に迷惑をかけずに吸ってとかね それからまぁ喫煙所がちゃんとあって そういう所で吸うと 僕は実は全然考えが更に違って 副流煙と言うのは若干の発がん性がありますんでね 私は日本人の発がんを抑えてた ひとつの大きな功績の あったものじゃないかと思ってるんですね 皆さんよく知ってるように 無菌室なんかで育てたらすぐ死にますね 免疫が落ちて 癌も もちろん免疫によって決まるわけですから だから日常的にある程度 発がん物質に触れてないといけないんですが 発がん物質に触れるって言うのは なかなか難しいですね まぁ私が日常的に思うのは タバコの煙ぐらいが丁度いいぐらいじゃないかなと いう風に私は思ってるので 全然私は考えが違うんですが これはまぁ 尊重してくれないんですよ 武田はなんだー とか言ってくるんですね これはあのー 禁酒法がですね 20世紀の最初にアメリカで成立した時に あれは禁酒法って言ってもですねえ お酒を飲むのは禁止できなかったんですよ お酒を製造したり販売したり 輸送したりするって言うのに規制がかかってですね その規制が非常に論理的じゃなかったものですから 結果的にはギャングを生んで 抗争事件が起きただけで終わってしまったんですね これもまぁ感情的なもので 多様化の時代を尊重しなかった っていう事によって起こった まぁ社会的な失敗例なんですね その時に お酒を飲むのが 禁止されなかったのは何故かって言うと ある人が こういう質問をしたんですね 禁酒団体ってのがものすごく感情的でしたからね 禁煙団体が感情的なのと同じように 禁酒団体も感情的なわけですね それで禁酒団体に対してある人がですね 私は寝る時に ベッドサイドでウイスキーを飲んで寝るのが 私の生活習慣ですと 他人に何の迷惑もかけてません 起きた時にはもうお酒は酔いが冷めておりますと なぜ私がそれは法律的に 規制されなきゃいけないんでしょうか このまぁアメリカですからね 多様化の時代ですから アメリカはまさに多様な民族ですよね だってアメリカ人と言うのは 一番最初のイギリス人はそうでしたけど 他は移民で構成されてるわけですから まさに多様化なんですね だから多様化の時代っていうのは その理屈なんですよね 法律で決められる もしくは指導とか そういうもので決められるのはですね 多様化の時代を認めて 他人に迷惑かけるものだけっていうのがね 多様化の時代の根本原因 根本なんですよね だからそれで 禁酒法って言うのは お酒を飲むのを禁止できない それは何の迷惑もかけてないから 迷惑がかからないように飲めばいいんだから 今タバコも若干そうなってますけども まぁ東京都の小池知事なんかがちょっと暴走しましてね 例えば区ごとに ここの区では吸っちゃいけないとかいうのがあるんですよ それやっぱりちょっと行き過ぎですよね それから子供の 元々子供っていうのはですね まぁタバコを吸うの禁止されているんですけど 副流煙もダメだって言うのがあるわけです これはですね データは一切示されてないんですよ データが示されて やっぱりそれが データは そういうデータを示すために 国立研究所とか大学とか そういう所があるわけですから 特に国立研究所はですね やっぱり法律に定めるやつの基本的なデータはですね 取らなきゃいけないですけど だいたいインチキが多いんですよ なんでインチキが多いかって言ったらですね 政治家かなんか頼んで ある団体が頼んでですね ちょっとあんた そういうデータを出してくれよって事になるんですね これでやっぱりまぁ 今の小池都知事が 環境大臣の時に問題が起きたのが ネクタイを外すと温度は28度でも仕事が出来るっていうの これは早稲田大学が計算したんだと思うんですが これなんかまぁ御用学者の御用計算なんですね どっちにでもデータが出てくるという結果で 依頼された人にいいように出すという こういう御用学者がやっぱりどうしても 今の日本にはゴロゴロしてるんですよね ですから まぁみんなが金が欲しい つまり学問的な興味より金が欲しいんだっていうね そういう時代になってしまってるわけです もう一つの問題はですね この多様化の時代のもう一つの問題は 間違いがあれば すぐ謝って訂正するっていうことが必要なんですよね どうしてかって言うと これはですね 今までの 単一社会と違うんですよ つまり それぞれの人が それぞれの価値観をもって議論したり 話したりするわけですから 当然人の話を聞いたら 自分が間違ってたなと思う チャンスは増えるんですよ あの 一様な社会って言うのはですね 社会に規範があって 大体の人がその社会をやるわけですからね ですから そのあれですね 意見はあまり変わらないんですけども 多様化の時代ってやっぱり 他人の意見を尊重して聞きますからね どうしても人間ですから そうだなぁ 俺も考えてみればそうだなぁって思うわけですよ その時に謝らないんですよね それで訂正しないって言うのが多いんですよ 僕は 必ず謝って訂正します それともう一つは僕は科学者ですからね 科学者って言うのは 新しい技術が出てきますから 新しい技術を求めてるわけですからね ですから学問は自ら 時代遅れになることを望むと言うんですけど これ難しく言ってですね 学問は自らが時代遅れになることを望む つまり昨日自分が言ったことは 昨日までの知識で正しいと思うことなんですよ 今日新しいことが分かって まぁ自分の意見を変えなきゃいけない つまり自分 昨日までの自分が時代遅れになる その時代遅れになることが 学問では大切なんだって言うのが 学問は自ら時代遅れになることを 望むという言い方なんですね ですから 多様化の時代ってのは二重にですね 自分の考えが誤ってることに気が付くんですよ 一つは他人の考えを聞く ともう一つはいろんな点で こう新しいことがわかりますから それで謝って訂正する ここでもう一つ問題はですね マスコミが悪いんですけど ネットもそうなんですが 訂正した人をね この批判する 叩くというのがあるんですね これは その人は本当にいつも正しい事言ってるのかと お釈迦様なのかと いう風に言いたくなっちゃうような人もいるんですよ がんがん人の欠点を叩くと あの時 あー言ってたじゃないか いやそりゃぁねぇ 人間ですから もちろんできるだけ訂正しないように 心がけるのはいいですけどね しかし人間には限界があるということで もう少し私は多様化の時代という限りは 多様化を尊重した方がいいんじゃないかと このように思います
「幸福」の「構造」1:幸福は学問 幸福には学問がある 心理学、宗教などと生物などが必要 断片はあるけれど体系化されていない その意味で教育と似ている 本来は学校で習うものだ (武田邦彦)
今日はですね 幸福 幸福論っていうか幸福ですね 幸福についての 幸福の構造論っていうのを 少しやってみたいと思いますが 一番このポイントはですね 幸福っていうのは 幸福学というのがあってもいいぐらい 非常に幅が広くて深い学問なんですね ところが幸福っていうのは なにかですね 思いつきのように思われててですね 例えば小学校中学校高等学校大学の講義を受けたら その中から人生を幸福に生きる方法っていうのは 方法とか考え方ですね それから幸福とは一体なにかとか そういうことが 自然に湧いてくるように まぁ思っていてですね 学校教育もそういうのが そういうことがあって 幸福学とか幸福の時間ってないんですよね 国語とか算数とかそういう事を勉強すると 幸福というのが自動的に思い浮かんでくる という風な構造になっておりましてね しかし 人生において幸福に人生を送るってことは ものすごく大切って言うか もうほとんど人生そのものみたいなものな訳ですね したがって幸福は学問であるということなんですね それで それは心理学とか宗教とか お釈迦様がこう話されたとか それから心理学で このように考えられるって言うことを勉強してもですね 幸福には到達しないわけですね 幸福には到達するには生物学も入りますし まぁもちろん哲学とかそういうのは全然いるんですけども 科学的な考え方も非常に大切なんですね 総合的な判断が必要である まぁ法律なんかも大切ですし 医学はもちろん大切ですよね 病気したらダメですから だからその意味では 幸福というのが誤解されていてですね なんかあの人に聞いたら幸福になれるとか そういう感じの捉え方をされてるわけですよ これが多くの人を悩ませている訳です 特に人間関係なんかはですね 学問的知識があると 物凄く人間関係を 回避 トラブルを回避できるわけですね 結婚の問題もそうで 昨日ちょっと結婚の問題を言ったんですけど そういった問題もそうですし 家庭という問題もそうですね 歴史学も必要だし 非常に広く必要なんですね 日本学というのも必要ですね まぁ日本学というのも本当は必要なんですよね ですから 今の学校教育で国語算数理科社会 英語はいらないと思いますが かえって昔のように 美術とか音楽とか そういうものの方が歴史とかね その方が人間にとっては 必要な学問かもしれませんね その意味で とんでもなく難しい まぁ数学もですね まぁせいぜい どんなに必要でも 私は2次方程式ぐらいまで まぁ組み合わせなんかもあんまりいらないと いう風に私は思うんですね 数学の先生はそれ言うともの凄く怒るんですよ 怒りっぽいんですよね 数学の先生って あの数学はそんなに難しいとこまで やんなくていいんじゃないですかって言うと もの凄く怒るんですよ それは物理なんか 私が専門物理ですけど 物理もちょっと難しいとこまでやりすぎてるんですよね 化学もそうですね 何と何と反応したら何になるなんてことは 生活に必要な酸アルカリ反応とか 酸化還元反応とか そういった基礎的な反応ですね それから有機化学の本当の基本ですね それを教えるのはいいけど 有機化学でも何と何と反応させたら 何になるかなんてことは必要ないんですよね 電気陰性度とか 立体的な問題なんていうのを しっかり教えるって言う必要があるんじゃないか その意味では やっぱり教育も全部やり替えてですね まぁ皆が幸福とか健康とか法律的なトラブルとか そういうのに 巻き込まれないようなですね そういう学校教育って言うのが 必要なんじゃないかと思うんですが まぁここではそれを言っても あんまり想像的にやってくれる人がいないんで まあ断片はあるけれども 体系化されてないこの問題について 少し取り組もうかなと思っております つまりこれに似てるのが 実は教育の方法なんですね 教育の方法も 私は子供をこういう風に教育したいになんて言う 本なんかがすごく出回ってるんですけど いやまぁそれはね みんなには参考になんないんですよ 私はこうして金持ちになりましたとか 私はこうして幸福な人生送りました って言う一例を聞いてもですね やはりそれは 本筋じゃないんですね やっぱり教育学も 教育学としての基礎がいるわけです 私もあの随分大学教育って言うのを 文部省なんかと一緒にやってきましたが その過程で ある時にですね 東工大の総長がですね これは立派なこと言われました 私はもうこの席を帰りたいと なんでかって言ったら つまり退席したいと 会合ですね ちゃんとした会合だったのに退席したいと なぜならば 教育の議論になるともう 自分の経験とか そう言うのが出てきて困ると やっぱりもう少し基礎的で こういったちゃんとした識者がいるんだったら 基礎的でしっかりした議論をしたいと まぁそこでは教育の専門家がおられるのにも関わらずですね やはりそういう体験論みたいのが出てくるんですよ それで体験論と言うのはやっぱり それはそういうこともあり得るという事であってですね 決して学問的な あれじゃない体験論みたいなものでですね もし飛行機を作って飛ばしたら必ず落ちます そりゃあ 私の乗った飛行機はこうだったとか 言うんじゃなくて やっぱり綿密にデータを積み上げて それ論理的に展開してってことがないとダメな訳ですね その意味で教育と言うもの 教育学ってのはあるんですけどね まぁよく私なんかも教生って言ってですね 高等学校までの先生の教育を受けて そういう免許を持ってるんですけども まぁそういうところで習う教育原理だとか そういうものもですね 非常に浅いんですね まぁ30年前の教育学をやってるとかね たまにはこう フランスのルソーの辺りの 教育学がまだ幅を利かせてると言うのは そんな感じなんですね やっぱり本来はですね 今日は 幸福学として 学問としてたてて それを学問的に構造をきちっとすると だからこの前 私 まぁ私 幸せ砂時計っていうのを ネットでやってるわけですが 幸せ砂時計でもですね みんなの幸福は 断片的な質問で成立してると思ってるわけですね それが一番の問題なんです そこで例えば人によってはですね 幸福論という 世界の名著に入っている幸福論を読んだら 自分が幸福になるのに何か役立つんじゃないかとか 宗教家の話とか 心理学の話 心理学者なんかも そういうアプローチというか そういう説明をしてる人がいるんですね 心理学を学べば幸福になる いやそんな事ないですね 心理学は人の心理を明らかにするわけで 心理学は幸福に至る 一つの道筋を示してくれる学問として必要ですが しかし幸福学問とは違うわけですね ですからまぁ ここでは少し しあわせ砂時計の理論版ですね まぁこの しあわせ砂時計でも少しずつ 幸福っていうのは 構造持ってって学問なんだということを 幸せ砂時計に参加してる方にはですね 示していきたいという風に思うんですね そのために今日は概論なんですけども 幸福は学問である そして 次にそういう事に触れようと思ってるんですけども 幸福がですね ヨーロッパの幸福論というのが 主流を成しているって言うとこに 日本人がまた辛いところがあるんですね ヨーロッパの幸福論と 日本の幸福論は全く違うんです それは社会の構造が違うからですね それから言葉も日本語と外国語と違いますし 社会構造そのものが違うわけですから そういう中で外国 特にヨーロッパのですね 幸福学というのを勉強してもですね それはまぁ混乱をもたらすだけだと言ったら ちょっと言い過ぎかもしれませんが そう言ってもいいぐらいなんですね むしろ混乱をもたらす 従って 目の前の人間関係とか 家庭の中の離婚の問題とか 自分の仕事の悩みとか そういうのは全く解決してくれないんですね やっぱり学問というのは 具体的に解決するためにあるわけですね 飛行機を飛ばそうと思ったら 操縦 飛行機の機体からですね 材料から破壊しちゃいけませんからね 上空で 全てのものが学問的に 高度に仕上がってないと 飛行機は飛ばないんですね それと同じように 幸福って言うのは もう飛行機よりか 更に難しいぐらいですから 幸福な人生を送るっていうことはですね 幸福の学問をしっかり基礎から勉強すると そういう意味じゃ先ほどですね 小学校中学校高等学校って言いましたが そこでは あるいは今よりかは少なくていいんですが 国語数学理科社会って言うのを 学ぶ必要があるかもしませんね だけども生涯学習という点では 幸福学とか健康学とかですね それからなんて言うかな 法律って言うか 法律じゃないですね トラブル学って言うか その世の中の人間関係のトラブルを どう処理するかとかですね 正義学?とかですね そういった 国語算数理科社会の分類とは違うですね 学問っていうのを 今後日本ででもいいですけども 作っていく必要が あるんではないかという風に思います (2021年11月12日 ヒバリクラブ)
米ロのどちらを信じるか (武田邦彦先生)
本日の収穫(1181文字) では続いては 視聴者の方からの質問ということです 米ロのどちらを信じるかということです 前回はロシアとウクライナについてのご解説 とても勉強になりました 今回はロシアに若干の利があると言いますが 日本もロシアに多少恩を売っておく方が 良いのかもというの...

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母が6カ月ぶりに入院先の大学病院から帰ってきました。 80代の母ですが、肺炎治療中にめまいに襲われ 救急車で運ばれたのですが、検査の結果は膠原病の一種で 大きな動脈に炎症をおこす病気だと分かりました。 難病指定なので治療費はあまりかからないのですが、 肺炎とめまいだけだったのに ...
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本日の収穫(4181文字) この youtube から離れてですね 今度 新しい方式になりまして 私の心も少し軽くなりました つまり人間っていうのは 自由じゃなくちゃいけないんですね 自由じゃないから なんか 考えがこう狭くなっちゃうんでしょうね 私このところブログ書くのが凄く...
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本日の収穫(3816文字) 今日はちょっと変わった話をさせていただきますが 人間の体は民主主義っていうんでですね 人間の体は一体民主主義なのかどうかと これは政治の形態が民主主義であるべきか 独裁主義であるべきか 基本的には民主主義と独裁主義ですよね 今の中国が独裁主義 今の...